全22件 (22件中 1-22件目)
1
パルテノン神殿から始まって、古代アゴラ、ディオニソス劇場、イロド・アティコス音楽堂、ゼウス神殿、国立考古学博物館、リカヴィトスの丘の夕日まで、わずか一日で当初予定していたアテネ観光はほとんど済ましてしまったので、次の日はどうしようかと思案しました。今回は風の神様のご招待だったのですから、何か風に関係のある場所がいいのでしょう。そう思って探し出したのが、風の神の塔があるローマン・アゴラ(ローマ時代のアゴラ)でした。でもローマン・アゴラでは、一時間もあれば見てしまえるでしょう。何しろ丸一日時間がありますから、もうちょっと足を伸ばしても大丈夫そうです。アテネから日帰りで行ける場所をガイドブックで探しながら、その日は眠りに就きました。翌朝目を覚まして、どこへ行こうかと伴侶さんと相談していたら、伴侶さんは私がガイドブックの右下のほうを見ている映像を夢で見た、と言います。ガイドブックの右下ですぐに思い浮かんだのが、スニオン岬です。アテネからバスで2時間の場所にありますから、十分に日帰りできます。そうと決まれば、スニオン岬への行き方をガイドブックで調べます。どうやら海沿いの道を行くルートと内陸のルートがあるようです。当然、景色がいいのは海側のルートのほうですよね。私はそのとき、バスは30分に一本あるとガイドブックに書いてあるから、すぐにバスに乗れるだろうと高をくくっていました。でも実は、内陸と海側の両方合わせて30分に一本だったことを後で知ることになります。宿泊しているホテルからバス・ターミナルまでは遠かったので、比較的近くにある、海側ルートのバスが通るという停留所からバスに乗ることにしました。ギリシャ語がさっぱりわからない私たちは、悪戦苦闘しながら、スニオン行きと見られるバス停にたどり着きます。そのバス停には、先着とみられる男性が2人待っていました。本当にスニオン行きのバスが停まってくれるのでしょうか。私はその2人にここがスニオン行きのバス停かどうか尋ねてみることにしました。(続く)
2009.10.31
コメント(2)
アクロポリス、古代アゴラ、ゼウス神殿などを観光した後、私たちは国立考古学博物館を見学しました。詳しくは書きませんが、ある意味でこの考古学博物館での体験は、この旅のハイライトと言ってもよかったかもしれません。というのも、この博物館で私の伴侶さんの中の女性が大活躍するんですね。デロス島での体験の中ですでにご紹介しましたが、伴侶さんの中の女性は紀元前7世紀よりも前の時代に暮らしていたような「口ぶり」でした。ではいつの時代の女性なのかーー。それがこの博物館で判明します。答えを先に言えは、紀元前16世紀です。どうしてわかったか、ですって? 実に簡単です。たとえば陳列ケースに紀元前20世紀ごろから紀元前13世紀ごろまでの出土品が混在して展示されているとします。伴侶さんはそれを見て、「これは知っている」「これは使っていた」「これは知らない」と仕分けていきます。すると「知っている」「使っていた」とした出土品はほとんどが紀元前16世紀であることがギリシャ語の説明文を訳した英語の説明文で確認できたんですね。時々紀元前17世紀の出土品も「使ったことがある」と言っていましたが、やや時代遅れで、薬などを保存する洗練された容器ではなく、水などを汲む日常用の入れ物であるとの認識をしていたようです。国立考古学博物館の後は、夕日を見るために、リカヴィトスの丘(標高273メートル)へ上りました。丘の上から見た夕日です。アテネ市内が360度見渡せる絶景です。風が空から降りてきて、私たちのそばを吹き抜けて行きます。丘を下るころには、アテネ市の上空にくっきりとお月様が顔を出しておりました。(続く)
2009.10.30
コメント(0)
ミコノス島からアテネへは飛行機で夜着いたのですが、翌日(10月2日)は丸一日観光三昧でした。駆け足でアテネの観光名所をご紹介します。まずは、高い丘の上の都市を意味するアクロポリスにあるパルテノン神殿。アテネの守護神アテナを祀った神殿です。幅31メートル、奥行き70メートル、柱の高さ10メートル、紀元前432年に建てられました。そのパルテノン神殿から見たアテネ市内とリカヴィトスの丘。リカヴィトスの丘は、アクロポリスと並ぶアテネのランドマーク。標高273メートル、アテネで一番高い丘です。古代アゴラ。アゴラとは現代ギリシャ語では市場という意味ですが、古代ではもっと意味が広く、政治、宗教、文化施設も集中した一大集会場として使われていたそうです。ソクラテスやプラトンも、ここで熱弁をふるったとされています。古代アゴラ内にあるアタロスの柱廊博物館からの風景。ゼウス神殿。104本のコリント式の柱が並んでいましたが、現在ではそのうち15本しか残っていません。紀元前515年に着工。でも完成したのは、2世紀のローマ皇帝アドリアヌスの時代だったとのことです。遠くに見える丘が、パルテノン神殿のあるアクロポリスです。(続く)
2009.10.29
コメント(0)
10月1日、久しぶりにアテネにやってきました。実はアテネに来るのは、今回が三回目なんですね。一回目は1981年の春。当時は危険ではなかったユーゴスラビアを通り抜けて陸路電車でアテネ入りしました。そのときはアテネのほか、クレタ島や、ペロポネソス半島のオリンピア、カラマータなどを訪れています。その次は1984年。アテネのほか、ポロス、イドラ、エギナ各島へ足を伸ばしています。25年前、ギリシャは物価が安くて安全だという評判がありました。でも今回、夜9時過ぎにホテルに到着し、食事に出かけたアテネ市内は、それほど安全な町という印象を受けませんでした。それでもイタリアよりはましなんでしょうね。25年ぶりのアテネは、相変わらずスモッグが立ち込めて、東京みたいでした(笑)。写真はイロド・アティコス音楽堂です。(続く)
2009.10.25
コメント(0)
次の目的地であるアテネへ飛ぶ前に、ミコノスで撮影したそのほかの写真をご紹介しておきましょう。有名なパラポルティアニ教会。物思う鳩ちゃん。サボテンと教会。デロス島へと沈む太陽。宿泊したミコノスのホテル。ミコノス島の有名なビーチ、プラティ・ヤロス。ビーチの日傘。時々起こる光の乱反射。変わった写真になりました。奥に写っているのは、六つの風車です。風車の中から見た風景。再び夕日。夕暮れの中のセント・ニコラス教会。次回はアテネへと飛びます。(続く)
2009.10.24
コメント(2)
ミコノス島の猫ちゃんたちの続きです。まずは日陰で寝そべる黒ちゃん。ミコノスは日中暑いんですよね。「う~、たまらんぜ~」という顔をしています。次も黒ちゃんですが・・・こちらの黒ちゃんは、玄関のひさしの上で寝そべっていました。涼しくて安全な場所を見つけたんですね。こちらは暑さにもかかわらず、店番をする猫。つい立ち寄りたくなってしまいます。こちらも店番猫ですが・・・ちょっと警戒していますね。陽だまりで伸びをする猫ちゃん。近寄って撮影したら気づかれてしまいました。「にゃんだ、見てたのか」そして最後にご紹介するのはこちらです。ミコノス空港の待合室の猫ちゃんですね。この子は空港のお手洗いにも出没しておりました。ミコノスらしい風景です。(続く)
2009.10.23
コメント(0)
今日はミコノスの猫ちゃんたちです。まずは風車と猫のツーショット。さすらいのガンマンのように去っていく猫ちゃんの図でしょうか(笑)。どことなく西部劇風です。木の下でくつろぐ猫ちゃん。ふかふかベッドを見つけてご満悦の様子でした。こちらも風車と猫です。とても見晴らしのいい場所で、遠くにはティノス島も見えています。ブーゲンビリアの木陰で休む猫ちゃん。とても優しい光が辺りを包んでいるように見えます。高台の猫ちゃん。夕暮れ時にサボテンのそばでくつろいでおりました。月と猫。ちょっとわかりづらいかもしれませんが、下の方に猫ちゃんが写っています。最後は母猫と二匹の子猫です。最初私たちは二匹の子猫を構っていたのですが、母猫がやってきて周囲に目を光らせておりました。手前が子猫で、奥が母猫です。ミコノスの猫シリーズはあと一回分あります。(続く)
2009.10.22
コメント(0)
デロス島のことで、もうひとつ書き忘れていたことがありました。伴侶さんの見たビジョンでは、山の中腹にある神殿の周辺は階段のそばに小川が流れていたり、噴水のような泉があったりしたのだそうですが、今のデロス島は乾燥した瓦礫の山のようになっています。とても川があるような場所には見えなかった。ところがミコノス島に帰ってから購入したデロスの本には、デロス島のキントス山中腹から1924年に埋め立てられてしまった「聖なる湖」まで、1年を通して川が流れていたと書かれていたんですね。地図で確認すると、確かに神殿があったと思われる場所に川が流れていたことになっています。それを思うと、古代のデロスは本当に水の豊かな島だったことがわかりますね。さてミコノスに戻ってからは、後は観光あるのみです。いくつかのミコノスの風景をご紹介して、先に進むことにいたしましょう。デロス島からの帰りに海から撮影したリトルヴェニス。赤い屋根の教会と、島の人気者であるペリカンのペドロ君。毛づくろいをするペドロ君。愛嬌がありますね。そういえば、ガラパゴスのペリカン君もかわいかったです。白い壁の教会とブーゲンビリアと青い空。陸から撮影したリトルヴェニス。そして再び、赤と白と青。明日はミコノス島の猫ちゃんたちをご紹介いたします。(続く)
2009.10.21
コメント(0)
キントス山からの景色は最高でした。それもそのはずです。キクラデス諸島の中心にあるデロス島は、エーゲ海の島々を管制しやすいことから、古くからエーゲ海の制海権を保持するための重要拠点でもあったんですね。キントス山からは、360度はるか彼方の島まで見渡せるようになっていました。私たちはこの山の頂上で、お昼のお弁当をいただきました。そして、お弁当をほぼ食べ終わって、頂上付近の岩の上で景色を見ながらボーっとしているときです。私たちは、その巨大な岩が揺れていることに気づきます。強風で岩が動いているのでしょうか。まさかと思いながら、じっとしていると確かに緩やか周期で岩が揺れています。ただし、それは五感で感じる揺れではないんですね。人間の第六感で感じる揺れみたいなものでしょうか。岩の振動数に同調すると、揺れを感じるようでもあります。2人とも感じましたから、錯覚ではないと思いますが、なんとも不思議な体験でした。このように五感以外で感じる感覚に関しては、皆さんもおそらく経験があるのではないかと思います。そういえば以前、ひめのさんと渋谷で水の味を変える実験をしたことがあります。お互いに向き合って、レストランで出された水を使い、手から出るとみられるエネルギー、あるいは念で水の味を甘くしたり、苦くしたり、美味しくしたり、まろやかにしたりする実験です。そのとき気づいたのは、味覚とは別の霊的な味覚が存在するということでした。もちろんこれは私の主観に過ぎませんが、「甘い水」と念じても、私の舌では水の味は変化しませんでした。おそらく科学的に分析しても水は水。砂糖水に変化したりいたしません。ところが第六感の味覚では水は確かに甘くなっているんですね。この第六感の味覚が強い人は、五感の味覚と区別しないため、水が実際に甘くなったと感じるのかなと、思いました。キントス山での不思議な体験の話に戻ります。あとで知ったのですが、キントス山はゼウスの聖域とされていたんですね。道理で山頂の巨大な岩が揺れるはずです。二年前に位山登山したときに、ひめのさんが光岩の辺りで感じた揺れと通じるものがありますね。同質のものだとすると、岩は宇宙との交信機のような役割をしていたのかなとも思えてきます。素晴らしい見晴らしを満喫した私たちは、キントス山を下って、港へと向かいました。途中から私たちは上ったのとは別のルートで下りることにします。伴侶さんの中の女性が言うように、キントス山へはいくつものルートがありました。下山した後、後ろを振り返ってキントス山を写真に収めます。船の時間にもちょうど間に合って、出港。キントス山とデロス島に別れを告げ、ミコノス島へと向かいました。(続く)
2009.10.20
コメント(2)
デロス島の話に戻ります。私たちは映像で見た風景や当時の神殿を見つけようと、キントス山を登って行きました。ところが、古代神殿があったとみられる場所まで上っても、それらしい建物は見当たらないと伴侶さんは言います。ところどころに大理石の柱があり、それらは神殿に使われた柱ではないかと言いますが、原型はまったくとどめていません。どこもかしこも瓦礫の山といった感じです。それでも伴侶さんは、ここで間違いないと言います。きっと古代の神殿がここに建っていたのですが、とっくに壊されてしまったのでしょう。もっと何かヒントがないかと、私たちは山の頂上を目指します。見晴らしがとてもよくなってきました。上ってきた廃墟やかつての町の跡が一望できます。海も綺麗ですね。私が見た映像に近いと言えば近いのですが、映像の中の風景はなにしろ緑豊かな場所でしたから、イメージがまったく違います。それでも海との距離感で言えば、こんな感じでしょうか。右手奥に海。左右が森に囲まれて、海岸のそばに町がある・・・。ちょっと今では見る影もありません。そうこうしているうちに、キントス山の頂上に到着しました。頂上からの風景です。タンポポが健気に咲いていますね。海と空がまぶしく光っておりました。(続く)
2009.10.19
コメント(0)
お陰様で昨日の秋の薔薇を愛でる会も、大した流血事件もなく(笑)成功裡に終えることができました。これも皆様の薔薇と友と美味しいものを愛するひたむきな情熱のお陰だと思っております。いつもこの会を支えていただき、本当にありがとうございます。昨日の神代植物公園の写真です。曇り空が続く中、時折明るい空が顔を出すまずまずの天気でした。お天気の神様にも感謝です。そして今日は、秋晴れ。当然ですが、中央の建物が拙宅です(笑)。最後は、今日の葉山の夕日をご紹介しましょう。空高く飛ぶトンビと一緒に撮影してみました。明日はギリシャ探訪記を再開できると思います。
2009.10.18
コメント(8)
いよいよ明日17日正午ごろより、東京都調布市の神代植物公園バラ園で緩やかなオフ会である「薔薇を愛でる会」を開催いたします。先月でも来月でもなく、明日ですので、よろしくお願いいたします。雨天でも(有志のみで)決行いたします。今日現在で16人ぐらいの方が参加される見込みです。皆様にお会いできることを楽しみにしております。今日と明日は準備等で忙しく、ギリシャ探訪記はお休みさせていただきます。
2009.10.16
コメント(2)
今日は、私が見た古代ギリシャの風景をご紹介しましょう。そこもやはり、伴侶さんが見たのと同じで、緑の豊かな場所でした。私は階段のある高台から見下ろしているのですが、左右には森が、右下のほうに町が、そしてその町の向こうに海が広がっているのが見えました。遠くには島もあるようでした。いかんせん私の見る映像は、伴侶さんが見る映像と違って、大雑把です(笑)。時々詳細に見ることもあるのですが、滅多にありません。詳しく見ようとすると、すぐに次の映像に変わってしまいます。伴侶さんによると、その時代も私たちは同じ場所にいたらしく、愛し合っていたようです。私もおぼろげながら、階段の踊り場のような所で密会をしていた映像を見ています。やはり伴侶さんが言うように水が階段の脇を流れているか、噴水のような場所があった気がしています。私が見ているのは、これだけ。そしていつものように詳細に過去生の映像を見ている伴侶さんは、当時の神殿はもっと山の方にあったと言います。新しい時代(といっても紀元前3世紀ですが)のアポロン神殿には目もくれず、私たちは山の方へと向かいました。道案内はもちろん伴侶さん(と古代ギリシャの女性)です。上の写真の左手に見える山が目指すキントス山です。見覚えのある?階段を上っていきます。後ろを振り返ると・・・そこにはエーゲ海の青い海が広がっています。遠くに見える島は「神の山」があるティノス島ですね。果たして、私が見たギリシャの過去生と思われる風景にめぐり合うことができるのでしょうか。(続く)
2009.10.15
コメント(0)
デロスの博物館で伴侶さんの言う古代ギリシャ人の顔を捜すことになったのですが、なかなかそのような顔にめぐり合いません。それというのも、実は石像の顔が壊されたか、喪失したか、盗まれたかで無くなっているんですね。でも何体かは顔も残っていました。左側の女性像の鼻に注目します。何となくわかっていただけるでしょうか。ギリシャ人にかかわらず、現代人の顔は眉間から鼻に至るまでいったん窪みます。ところが、この女性像の鼻はおでこから窪むことなく鼻筋が通っています。昨日は「ディープスペース9」に登場するカーダシア人のようだと書きましたが、むしろ同じディープスペース9のオドーの鼻といったほうがいいかもしれません。カーダシア人の鼻には余計なもの(失礼!)が付いていますからね。古代ギリシャの歴史を見れば、確かにそれもうなづけます。旅行の後で読んで知ることとなったギリシャの歴史によると、紀元前3000年ごろからエーゲ海にミノア人によるミノア文明が花開きます。一方、紀元前2000年ごろになると、アカイア人やイオニア人がギリシャ本土に移住定着。その中でペロポネソス半島に定住したアカイア人は紀元前16世紀ごろ、ミノア人と交流を始め、文化を吸収していきます。ところが、紀元前15世紀にエーゲ海のサントリーニ島の火山が大噴火を起こしたころからミノア文明は衰退、代わってアカイア人がミケーネ文明を築きます。そのミケーネ文明も500年ほどで終焉を迎えます。紀元前1260年ごろ、ミケーネの王アガメムノンがトロイと戦った「トロイア戦争」が勃発します。一応ギリシャ軍が勝利しますが、10年に及ぶ戦いは国力を消耗させます。やがて紀元前1100年前後に北方からドーリア人が進入すると、壮麗なミケーネ文明は破壊され、見捨てられました。紀元前12世紀から紀元前8世紀までは、ギリシャ全土で他民族による襲撃、略奪の嵐が吹き荒れます。いわゆる古代ギリシャの暗黒時代と呼ばれるものです。紀元前8世紀になって暗黒時代にもようやく光明が差します。アテネやスパルタといった各地でポリス(都市国家)が形成され、その過程で社会生活や宗教が整備され、ギリシャ人の民族意識が生まれたからです。このポリス発展の時代(紀元前7世紀~紀元前5世紀)はアルカイック期と呼ばれ、「アルカイック・スマイル」をたたえた像に代表されるアルカイック美術を生み出しました。この後、ギリシャは東方のペルシャ帝国から戦争を仕掛けられる(ペルシャ戦争=紀元前492年~紀元前479年)や、アテネとスパルタが戦ったペロポネソス戦争などを経験するのですが、こうした時代は伴侶さんの中にいる古代ギリシャ女性とは関係がなさそうなので省略いたします。こうした歴史を見ただけでも、いかに古代ギリシャが繁栄と衰退を繰り返し、民族も次々と入れ替わっていったかが、わかります。やはり伴侶さんが言うように、古代ギリシャ人は現代のギリシャ人とはまったく違う人種だった可能性が強いんですね。(続く)
2009.10.14
コメント(0)
もうひとつ、伴侶さんが語る話の中で面白いなと思ったのは、どうやら当時のギリシャ人の顔の骨格が今のギリシャ人とはまったく違うという主張です。とにかく現代のギリシャ人の鼻は高すぎるみたいです。一方、伴侶さんの中にいるとみられる古代ギリシャ人女性の鼻は、おでこから続いている感じというのでしょうか、鼻の部分はどうも「スタートレック・ディープスペース9」に出てくるカーデシア人に似ていたみたいです。当時の女性の顔の像か絵があるかもしれないと思って、デロス島の博物館へと向かいます。そしてそこで待ち受けていたのは・・・・・・なんと猫ちゃんでした。博物館の出入り口で撮影したものですが、なんとものどかな風景ですね。(続く)
2009.10.13
コメント(0)
伴侶さんの中に存在する、古代ギリシャ時代にデロス島にいたであろう女性の言い分を要約すると、こういうことのようです。かつてデロス島には、大理石で作られた神殿や、クリスタルやガラスの食器など非常に洗練された文明があった。しかもそこは緑豊かな場所で、水も豊富にあったというんですね。この写真をご覧ください。、緑などほとんどなく、廃墟と化していますね。唯一緑が残っているのは、実は聖なる湖があった場所なのですが、それも1924年にマラリア蚊が発生したため埋められてしまったのだそうです。そのため、伴侶さんの中にいる古代ギリシャの女性は、こんなに砂漠のような場所ではなかった、もっと緑と水が豊かな場所だったと、伴侶さんに言い続けていたのだそうです。それでは次の写真をご覧ください。素人目には、古代ギリシャではこの場所にこのような状態で像が建っていたのかな、と思うはずです。ところが伴侶さんの中の古代ギリシャの女性は「何で変な台の上に、(私たちの時代の)大理石の像と台を乗せてあるの?」となります。変な台とは、大理石ではないレンガのような石で造られた台のことを指しています。つまりその女性は、この像は元々ここにはなくて、後世の人が勝手に変な場所に彼女の時代に造られた大理石の像を置いたのだと主張するのです。その主張の中でも特に面白かったのは、すべての神殿はデロス島の北にあるティノスの神の山の方向を向いてなければならないというものです。この日の明け方、あのミコノスの風車から見たティノスの「神の山」ですね。デロス島には紀元前3世紀になってアポロン神殿が建てられていますが、その女性によると、彼女が生きた時代にはそのような神殿はなく、その場所は住宅地で、しかも神の山を向いていないので神殿ではない、となるようです。デロス島観光のシンボルにもなっているライオン像(紀元前7世紀)に関しても、古代ギリシャの女性は「見たければ見れば」という感じで、けんもほろろです。一応、観光客でもあるので、記念にライオン像の写真を撮っておきました(笑)。もっともこのライオン像はレプリカで、本物はこの島の博物館にあります。こうして段々とわかってきたのですが、どうやらこの女性は紀元前7世紀よりももっと古い時代、しかも水と緑が豊かだった時代にデロス島に暮らしていたため、それよりも新しい時代にできたものや、荒れ果てた光景があまりお気に召していなかった、ということのようです。なるほど、確かに今は廃墟のような島になっています。おそらく後に流入したり侵略してきた人たちにより、当時の神殿などは破壊・改造され、無残な姿に変わってしまったのでしょう。当時の栄光を知る人が見れば、さびしい気持ちになるのも当然ですね。(続く)
2009.10.12
コメント(2)
私たちは船の右舷デッキに座っていましたからレニア島しか最初見えなかったのですが、実はそのときすでに左舷デッキからは、デロス島が見えておりました。そのため船がデロス島の港に停泊するために旋回したとき、私たちは初めてデロス島を目にすることになります。これがそのときの写真です。石の遺跡(廃墟)があちこちで露になっています。後で聞いたのですが、伴侶さんは最初に島を見たとき「デロスだ」とワーッと涙があふれ出てきたのですが、遺跡の全貌を見た瞬間に涙がスーっと引いていったのだそうです。一体どうしたと言うのでしょう。伴侶さんは島に上陸してからも、「あんなのは神殿ではない」とか「あのような石の上になぜこれを乗せているの」とか「あんなところに家を建てたのは誰?」などと言い続けます。もちろん伴侶さん本人がそう思っているのではなく、伴侶さんの中にある存在がそう思っているというんですね。ちょっと意外な展開となってきました。その辺りの感覚的なことは、伴侶さんのブログをお読みください。(続く)
2009.10.11
コメント(0)
その日(9月29日)のミコノス島は快晴でした。写真はホテル前の野外劇場からミコノスタウンを見下ろしたものです。赤いブーゲンビリアが綺麗です。早朝の散策から戻り、ホテルで朝食を済ました私たちは、午前10時発の船でデロス島へと向かいます。ミコノスからデロスへは約45分ほどの船旅。白い壁に青い空。海は澄んで真っ青です。左遠方に見えるのが「神の山」があるティノスです。やがて船の右前方にデロス島の隣のレニア島が見えてきます。(続く)(お知らせ)来週の土曜日(10月17日)正午から神代植物公園のバラ園でオフ会「薔薇を愛でる会」を開催いたします。オープンで緩やかな会ですので、ご興味のある方はお弁当持参でどうぞ奮ってご参加ください。詳細は楽天メール(メッセージを送る)にてお問い合わせください。今日のバラ園の様子です。秋のバラフェスタのポスター。現在までのところ私たち2人を含めて15名ぐらいの方が来られる予定です。
2009.10.10
コメント(5)
今日はギリシャ探訪記はお休み。その代わり、台風一過の昨日の夕日をアップします。風がすべてを吹き飛ばしたためか、伊豆半島や富士山がくっきりと浮かび上がっておりました。この山(村)の中では大きな被害は出ませんでしたが、強風のせいで裏の畑のトマトやピーマン、一部の樹木が傾いてしまいました。明日は夜にはギリシャ探訪記のブログをアップする予定です。
2009.10.09
コメント(0)
夜明け前のミコノスの風車です。風車は高台の見晴らしのいい場所に建っています。ミコノスは風の島なんですね。そのとき、伴侶さんが「神の山だって言っている」と指で遠くの方を指して言います。その方角を見ると・・・黎明の中、遠くに高い山が朝日を浴びるように浮かび上がってきていました。上の写真の左側にそびえる山がそうです。そのときは陸続きで、ミコノス島の山だと思ったのですが、ミコノスの北西に位置するティノス島の山であることが後でわかります。伴侶さんによると、あの山に風の神が宿り、そこから風が吹いてくるのだといいます。しばらく風車のある高台を歩いていると、伴侶さんが今度は「あっちの方を撮らないのか、って言っている」と言います。その方角を見ると・・・何の変哲もない風景が広がっているだけでした。しかし、これも後で調べたら、遠い水平線に、かすかにデロス島が写っていたんですね。写真中央右寄りにかすかに写っている島影がデロスです。近くにいた猫ちゃんも撮影します。ミコノスは猫ちゃんの島でもありました。このころにはもうすっかり夜が明けてきました。風車が並ぶ丘を撮影します。風の島ミコノス。そして遠くには風の神が住むティノスの山が見えます。これから向かうデロスには何があるのでしょうか。(続く)、
2009.10.08
コメント(2)
ミコノス島のホテルに着いたのは、午後8時半ごろだったでしょうか。当然、あたりは真っ暗です。その真っ暗な空には、丸いお月様がポツンと出ておりました。町の中で軽く食事を済ました後、再びホテルに戻って空を見上げます。写真には撮れませんでしたが、月のほかにも星がたくさん出て、夜空を綺麗に飾っておりました。このころまでには、伴侶さんの口から思いがけずに出た「テロス」という地名が、実はミコノス島のすぐそばに浮かぶデロス島ではないかとの結論に達していました。島全体がユネスコの世界遺産にも登録されているデロス島には、宿泊施設はありません。デロスに行くには、何とミコノス島に泊まるのが一番だったんですね。私たちは旅行に行く前、先入観や思い込みを避ける意味もあり、ほとんど下調べをせずに出かけますから、デロス島のことも、それがどこにあるかも知りませんでした。ミコノス島を選んだのも、ただの勘だけ。サントリーニ島にしようかミコノス島にしようか迷っていたときに、旅行代理店に電話して、たまたま手ごろな企画として残っていたのが、ミコノスに三泊、アテネに三泊する自由行動型のツアーだったというのが実情です。伴侶さんが心の中で聞いた「テロス」がデロスなら、私たちはまったく意図せずに最善の島を選んでいたことになります。もちろん後でその推論が正しかったことがわかるのですが、とりあえず私たちは、ミコノスからデロス島へと出港する船の時間を調べ、その日は眠りにつきました。翌日は興奮からか朝早く目覚めてしまい、朝食時間の8時まで一時間ほど時間があったので、ミコノスの町中を散策することにします。夜明け前の静寂と薄明が町を包んでおりました。ギリシャ(正教)の教会ですね。そして歩いていて見つけたのが、この風車です。ギリシャに来てガイドブックを読むまで知りませんでしたが、ミコノスは風車で有名だったんですね。どうやらギリシャの風の神が本当に私たちを招いてくれたようです。(続く)
2009.10.07
コメント(2)
昨夜、無事にギリシャから帰ってまいりました。皆様、お元気でお過ごしだったでしょうか。さて、イギリスへの庭園の旅(過去生をめぐる旅の第一弾)が終わって間もなく、どういう訳か急にギリシャに行くことを決断。後で調べたら英国キュー・ガーデンでようやく見つけた「夢の白い建物」が、ギリシャの風の神アイオロスを祭った神殿であったことまでは、前回までのブログでご紹介しましたね。ギリシャの風の神のご招待を英国滞在中に知らずに受けていたのかなと都合よく考えましたが、まさにその通りでした。今回は、「ギリシャへの風の旅」がテーマだったんですね。私がこれまで映像で見ている過去世と思われる人生は、五つあります。19世紀から20世紀にかけてのイギリスは前シリーズでご紹介しました。そのほかに古代ギリシャ、古代アイルランドか北欧(のバイキング?)、古代エジプト(日本へ気球=天空浮船?に乗って脱出した時代、5000年前?)、それから縄文時代?のアイヌです。いずれもいつの時代かわからないのですが、服装や雰囲気から古代なんだろうな、と思っている次第です。その古代ギリシャの映像で私が見ているのは、遠くに海が見える高台のようなところ、階段、噴水のような場所などごく断片的なものです。もちろん、それがどこの場所なのかはまったくわかりません。そしていつものように、私の伴侶さんのほうがたくさん、しかも鮮明かつ克明にギリシャbの過去生とみられる映像を見ています。それらは追々ご説明することにして、今回のギリシャ旅行の概略を、写真を使って説明していくことにいたしましょう。今回は羽田から関西国際空港を経由して、アラブのエミレーツ航空を利用しました。途中立ち寄ったアラブ首長国連邦のドバイ国際空港。「落陽のドバイ」の夜明けです。ここからアテネへと飛びます。中東の上空を通過。そして、エーゲ海上空を飛んでしばらく経ったころでしょうか。窓側に座って外を見ていた私の伴侶さんが突然泣き出します。そして「私の島だ。私の島だって言っている」と言うんですね。今回はその時代の女性が出てきて何かを教えてくれるのではなく、自分の奥底から言葉が出てくるのだと伴侶さんは言います。後で聞いたら、そのときの伴侶さんは自分では何で涙が出てくるのかわからず、自分の島だと思ってなくても、そういう言葉が湧き上がってくるとのことでした。でもどの島でしょう? それとなく伴侶さんに聞くと、「テロスって言っている」と返事が返ってきます。テロス? はて、どこかで聞いたような、聞いていないような地名です。今回私たちが訪れるのはミコノス島とアテネだけ。場所と島選びを間違ったのでしょうか。とにかく不意に思い立って決めたギリシャ旅行ですから、ほとんど下調べをしておりません。テロスという地名も思い当たらず、後で調べることにしました。今回の旅は、関西、ドバイ、アテネ各国際空港を経由して、直接ミコノス島まで飛ぶ日程でした。乗り継ぎ待ちの時間を入れると、27日夜に羽田空港を出発してミコノス島のホテルにたどり着くまで実に30時間も要しています(ただし実際に飛行機に乗っていた時間は16~17時間ぐらいです)。ミコノス島に着いたときには、すでに28日の夜になっていました。(続く)(お知らせ)伴侶さんのブログの更新は、操作ミスで書いていたものが消えてしまったそうなので、もう少し後になる見込みです。今しばらくお待ちください。
2009.10.06
コメント(4)
全22件 (22件中 1-22件目)
1