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23,24の両日、秋山氏の呼びかけに応じてUFOを呼んでみましたが、今回は一枚もUFOと思われる写真は撮れませんでした。その代わり撮れたのは、こちら。何とも鮮やかな夕焼けでした。24日の午後7時15分ごろです。富士山もこのようになっておりました。頂上に傘雲がかかっていましたね。 そして24日夜のUFO観測で撮影した写真がこちら。満月から二日ほどたった月です。発売日にあわせて、美しいものをみせてもらいました。
2024.06.25
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今日は見事に梅雨の晴れ間が広がっておりました。まるで梅雨明けの真夏日のような日差し。ところで、新刊『万物の霊性と共鳴する日本人の呪力』は、大きい書店では本日辺りから書店に並んでいるようです。明日には全国の書店で発売の予定です。そして秋山氏のイベント企画では、23,24日の夜10時から翌午前2時まで、UFO記念日に合わせてUFOを呼ぼうと呼びかけていますね。是非、ご参加ください。詳しくはこちら。
2024.06.24
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ウガヤフキアエズは、本当は何者なのか。そのヒントとなる条件は、アマテラスの血統をもち、かつスサノオの血を受け継ぐ出雲の神です。その該当者は、私が知る限り少なくとも一人います。それは天香山(あめのかぐやま)です。「天香語山」、「天賀吾山」などとも書かれるため、「あめ(ま)のかごやまのみこと」とも呼ばれたりします。天香山は、ニギハヤヒと天道日女(あめのみちひめ)との間に生まれた神ですね。ニギハヤヒは、神スサノオと神大市姫との間に生まれた生粋の出雲の神です。名前の前に付ける「神」は出雲族系の神であることを示すからです。一方、名前の前に付ける「天」は日向族系の神であることを示します。ということは、天道日女は日向族系の女神です。あとは天道日女がアマテラス直系の女神であることがわかれば、天香山が該当者になります。結論を言うと、天道日女は十分にアマテラスの直系である可能性があるんですね。では誰かと言うと、一番可能性が高いのが、タカテルヒメです。おそらく別名は香用姫(かよひめ)です。その根拠は、第一にタカテルヒメが、オオナムジと宗像三女神の一人であるタキツヒメとの間の子であることです。宗像三女神はスサノオとアマテラスの政略結婚で生まれた子ですから、アマテラスの直系になりますね。第二に、タカテルヒメの正式名称が「高照光姫大御神」と「大御神」という名称がつけられていることです。どう考えても、アマテラスの直系以外に「大御神」は付けられないはずです。ちなみにアジスキタカヒコネも「迦毛大御神」と呼ばれますが、この神もまた宗像三女神の一人であるタギリヒメから生まれています。では、なぜタカテルヒメが香用姫なのかというと、オオトシことニギハヤヒの神裔に、天香山とみられる「大香山戸臣神」がニギハヤヒの子供として登場しますが、その母親が香用姫と書かれているからです。香用姫の「香」を取ったからこそ、大香山としたことは明白です。ちなみに「大」はオオトシから取られたと思われます。で、大香山が日向族に養子に入ったので、天香山となった。おそらく日向族の男系の王統は、ホデリ(海幸彦)とヒコホホデミ(山幸彦)との権力闘争などで疲弊して、王統としての力が弱くなってしまったのではないでしょうか。そこで仕方なく、アマテラスの直系である天香山を養子にして日向族の系図に組み入れたというわけです。この天香山こそ、「熊野久須毘」ことウガヤフキアエズの正体ではないでしょうか。しかも決定的な根拠は、天香山も熊野の神であるということです。『古事記』に登場する「熊野の高倉下(たかくらじ)」がこの神の別名です。『先代旧事本紀』の「天神本紀」にも、天香山は、ニギハヤヒの天孫降臨に従った32柱の1柱に数えられ、「天孫本紀」では、紀伊国の熊野邑(くまのむら)に住み、別名を「手栗彦命(たくりひこ-)」、または「高倉下命」という、と書かれています。このように、ウガヤフキアエズの別名がなぜ出雲系なのかの理由は、天香山を養子に組み入れたからなのですが、それではあまりにもあからさまだったので、「熊野久須毘」はウガヤフキアエズのことである、という口伝だけを『帝王日嗣』に残したというのが真相のように思われます。次回はここまで話した系図を整理して行きましょう。(続く)
2018.10.21
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今日は、秋山さんによる羽根の生えたオーブちゃんの写真鑑定結果をご紹介します。上の写真のオーブですね。以下、質問者は私で、回答者は秋山眞人さんです。 ー静岡県のビク石で、羽根の生えたオーブの写真を撮ったので見てください。「ティンカーベルですか。ちょっと見せてください。(写真を見る)ああ、これはよく写っていますね。妖精に間違いないですね」 ーやはり妖精ですか。「ええ、西洋ではピクシーと呼んでいる小さな妖精です。鹿みたいな顔をしています」 ー鹿のような顔!? 羽根が生えた天使みたいな妖精ではないのですか。「ええ、鹿みたいな顔です。書いてあげましょう」 (ルーペを取り出して、写真を見ながらスケッチを始める)「こんな形をしています」 ーええっ! 秋山さんにはこのように見えるのですか。顔も足も見えるのですか。「ええ、このように見えます」 ーこの妖精は男ですか、女ですか、それとも性別はないのですか。「性別はありません。かなり古くからいる妖精みたいですね。若い妖精ではありません」 ー実は水のみ場でもこのような変なオーブが写っているのですが。 「これも同じ妖精が写っています。ずっと付いてきていたんですね」 ーなぜ、私たちに付いてきたんですか。「興味があったみたいですね。。しかし、よくこうした写真を撮られますね。ほかにもないか見てみましょう」 (写真を一枚一枚ルーペで調べ始める)「ああ、ありました。珍しいですね。海の妖精が写っています」 ー海の妖精? どこに写っているのですか。「分かりづらいかもしれませんが、この写真の波のところです」 「これも書いてあげましょう。そうすれば分かるはずです」 ーえっ、秋山さんにはこのようにみえるのですか! これは霊視ですよね。「ええ、このように見えます。ここだけ時間が遅れているというか、ほかとは異なる時間の流れがあるんですよね。それでわかります」 ーこの写真に写っている方は誰ですか。「海に住む妖精だとしかわかりません」 ーこの尖った三本の長いものは何ですか。「わかりません」 ー和服のように見えますが、着物か何か着ているのでしょうか。「そう見えますね」 ーこの写真からほかにはなにが見えますか。 「沖のほうには、亡くなった人の霊がたくさん浮いているようです。葉山の海にもいるんですね」 ー大山寺で光の玉のような写真を撮ったので、見てください。 「光の玉・・・? どこですか」 ー屋根の上です。 「ああ、本当だ、ありますね。これはUFOですね」 ーUFOですか。「ええ、これぐらいの(両手で20センチぐらいを示す)小型UFOです」 ー20センチぐらいですね。偵察のためのUFOですか。「そうです」 ー見張られていたわけですね(笑)。どこのUFOだかわかりますか」「大山ですから、ゲルだと思うんですけど・・・」 ーゲル・・・だからワンちゃんがしきりに吠えていたんですね。このワンちゃんは何かに憑依されていたとしか思えないんですよね。このワンちゃんが吠えなければ、この写真は撮りませんでした。意図的に撮らせたのでしょうか。「そうかもしれませんね」 ー同じ写真には光の点もたくさん写っているのですが、これは何ですか。「UFOが現れるときによく写るんですが、放射線みたいな光線がカメラに向かってまっすぐ飛んでくるところを捉えているのだと思います。本当は光の線なのですが、まっすぐ飛んでくるので光の点になるんですね」 ー放射線!? 人体に有害なのではないですか。「いや、そういうことはないと思います。何なのかはわかりませんが・・・」 以上が秋山さんによる写真鑑定結果でした。ご参考にしてください。
2008.09.08
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大神神社のそばにあるソーメンのお店でお昼を食べた後、向かったのは、大神神社の摂社・大直禰子神社(若宮社)です。本殿をお参りします。主祭神はもちろんオオタタネコです。普通、大田田根子(禰子)と書きますが、「田田」の代りに「直」と書くこともあります。これは『先代旧事本紀』に亦の名としてそう書いてあるからですね。崇神天皇の時代、国難に遭ったときに、大物主神を祀る祭主に大物主の直系であるオオタタネコを抜擢したところ、国は平和になったと書かれています。『先代旧事本紀』では、天日方奇日方命(アメヒカタクシヒカタ)の直系でタケイイカタスと鴨部のミラヒメとの間に生まれた息子であるとされています。でも私は、系図入れ替えによって、そのように隠された巫女であったと思っています。隠された理由は、ミカシキヤヒメの直系だからです。ネコという名前が付けられているということは、皇族であったということです。該当者が一人いますね。トヨスキイリヒメよりも前に伊勢大神を祀る祭主となった人です。いつか、そのことを詳しく説明いたしましょう。(続く)
2017.05.07
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流れの速い川。流れの早い川の瀬に住むのが瀬織津姫。大祓詞(中臣祓詞)の中にしか出てこない謎の女神とされています。だけど、その祓詞の中にちゃんと本名が隠されています。簡単に説明すると、高山から流れ落ちタギツように激しくうねる激流の瀬にいらっしゃる瀬織津姫という神様と書かれています。隠された名前は、まずはタギツヒメです。タギツヒメといえば、宗像三女神の末子・多岐津姫にほかなりません。そして次に隠されている名前は、大祓詞の漢字に記されています。漢字では、「多支都速川能瀬坐須瀬織津比賣(たぎつはやかわのせにますせおりつひめ)」のように書きますが、この漢字の並びの中に須瀬織津比賣(すせおりつひめ)があり、須勢理毘賣(すせりびめ)という名前がそれとなく読み取れるようになっているのです。このことから、宗像三女神の末子タギツヒメは、実はスサノオの末子であるスセリビメであり、またの名を瀬織津姫と呼ぶことが秘中の秘として大祓詞に隠されたのではないかと私は判断したわけです。どうしてそうなったのかーー。詳しくは拙著『101人目の卑弥呼』、もとい『卑弥呼は二人いた』(河出書房新社)をお読みください。
2021.07.21
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木嶋坐天照御魂神社は、境内社として蚕養神社を祀ることから、一般には「蚕ノ社」(カイコノヤシロ)として知られています。秦氏とは切っても切れない関係の神社です。そもそも神社の地名の「太秦(うずまさ)」は、秦氏が大和政権に税を納める際、絹を「うず高く積んだ」ことに由来するともされています。境内に蚕養神社があるはずですね。面白いのは神社の正式名称です。コノシマニマスアマテルミムスビあるいはコノシマニマス アマテルミタマと呼ばれています。一般的には、原野に茂る木々の様が「木の島」のようであったから木嶋(このしま)になったとされていますが、私は古代ユダヤの知恵と知識を継承した秦氏が渡って来た日本列島のことを「この島」と言っているように思われます。彼らはこの日本で絶対的な太陽神である「ヤハウェ」の魂を見つけ、それを祀った。だからこのような名前になったのではないでしょうか。同じユダヤの知恵と知識を受け継いだとみられるオオクニヌシが祭神となっているのも偶然ではないはずです。アマテルミムスヒについても説明しておきましょう。アマテルは太陽(神)ですね。ミは美称でムスは「魂」「産」とも書きますから、「生成すること」「生み出すこと」です。ヒは霊力や生命力を意味します。簡単に言うと、生命を生み出す太陽神の霊力みたいなものです。古代においても現代においても太陽の力は、あらゆる生命を維持、繁栄させるには必要不可欠なエネルギーであることは言うまでもありません。つまり太陽の運行で夏至や冬至といった季節の節目を知ることも為政者にとって非常に重要なことであったはずです。太陽がどの方角から昇り、どの方角に沈んで行くかを観察し、農耕の開始時期などを決めたのでしょう。秦氏もその知恵を引き継いでいた氏族に違いありません。その証拠が木嶋坐天照御魂神社の境内にある三柱鳥居です。最初にこの三柱鳥居を見たときに、古代ユダヤの儀式と関係するのだろうぐらいにしか思っていませんでしたが、一つの明確な答えを出した人もいました。秦氏の研究でしられる歴史研究家の大和岩雄氏です。大和氏は、三柱鳥居を三角形の測量点に見立て、それぞれの垂直二等分線がどちらの方角を向いているのか調べました。その結果、一本は北東にある比叡山の次鋒である四明岳と南西にある松尾大社のある松尾山を、別の一本は北西にある愛宕山と南東にある伏見稲荷大社のある稲荷山を、そしてもう一本は真北にある秦氏関連の群集墳がある双:ヶ丘(ナラビオカ)を指していることがわかったんですね。そして冬至の日には太陽が稲荷山から昇り愛宕山に沈むこと、夏至の日には太陽は四明岳から昇り、松尾山に落ちることを確認したんですね。三柱鳥居は、一種の観測点であったわけです。三角測量には欠かせない三角点のようなものです。そして彼らは山と山を結ぶことで測量したわけです。これこそまさにタカミムスビの神髄です。私が4年ほど前に撮影した三柱鳥居の写真。(続く)
2015.02.13
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位山の龍神1ダナ平林道終点の駐車場には、一風変わったモニュメントがある。一九八四年に地元の仏師、都竹峰仙が造ったジェラルミン製の球体でできた「太陽神殿」だ。私が初めて位山(岐阜県宮村)に登った一九八四年秋には、既にこの神殿は完成していた。当時はこの神殿ができた経緯をまったく知らなかったため、新興宗教の教団かなにかが、この土地を買って神殿を建てたのかと思ったほど奇異なモニュメントだ。しかし、実際にこのモニュメントができたいきさつを聞いてみると、非常に興味深い話であった。都竹峰仙は亡くなっているが、息子の都竹昭雄氏が著書『飛騨の霊峰位山』で、その由来を詳しく語っている。それによると、すべては都竹峰仙が子供のときに体験した神秘体験から始まったようだ。一九一一年に岐阜県高山市三福寺で生まれた峰仙は、小学校を卒業後、一三歳で宮大工になろうと決心。弟子入りして飛騨各地の寺の造営に携わり、寺の欄間を彫ったりするかたわら、独学で彫刻を学んだ。一九三二年ごろ、御嶽教飛騨教会で新しい不動明王を製作しようという話になった。御嶽教の行者が神示を受けたところ、折(お)敷地(しきじ)(岐阜県大野郡丹生川村(にゅうかわむら))の山中にある直径六尺の栃の木を使い、峰仙という者に不動明王を彫らせよ、とのお告げがあったそうだ。行者は峰仙という彫刻家も、そのような栃の木が山中にあることも知らなかったが、方々を探してやっと若い彫刻家峰仙と見事な栃の木を探し出した。白羽の矢が立った峰仙には、子供のころから不思議な体験があった。夢の中で何度も不動明王が出てきたのだという。その姿を峰仙は、栃の木に刻み込んだのだ。白装束で身を清め、三六五日間、刻み続けた。完成したのは一九三五年、峰仙が二三歳のときだった。それが現在、高山市七日町の不動橋近くにある御嶽教飛騨教会に鎮座している栃目不動明王だ。身の丈四メートル八〇センチ、背中の火炎部分を入れると七メートル以上もある。ギョロリとむいた大きな目玉、右手には剣を、左手には羂索(けんざく)を持つその迫力は、初めての作品とは思えない出来栄えで、霊験あらたかな不動明王であるとしてすぐに評判になったという。峰仙はその後、東京で本格的に彫刻の修行をし、戦後高山市に戻ってきた。そして、本当に不思議なことは一九五三年に起きた。位山を開きに来たという関西の人たちを位山に案内した後、彼らが原因不明の奇病にかかってしまった。何件かの病院で診察を受けたがまったく原因がわからない。ところが、ある有名な霊能者に相談したら「位山を案内した人こそが位山を開く人だ。その人に祈願を立てて祈ってもらえば病気は治るだろう」と言われたというのだ。(続く)
2005.01.21
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11月25日のことです。いつものように夕焼けの空が素晴らしかったので、デジカメで撮影をします。いつも思いますが、この季節の空のグラデーションは最高です。と、ここまで写真を撮ったところで、隣にいた伴侶さんが「あっ、オーブが写っている」と言います。すると伴侶さんが今しがたフラッシュなしで撮影した写真に、大きなオーブがはっきりと写っています。もしかして、私にも写るかもしれないと思って、私はフラッシュ付きで撮影します。すると・・・・同じオーブが移動したのでしょうか。こちらの写真にも写っておりました。よく見ると、月のそばなどにも別のオーブがいくつか写りこんでいます。一番大きいオーブを拡大しておきます。構造がある綺麗なオーブですね。この場所は、私が肉眼(第三の目?)でオーブを見た場所でもあります。黄昏時になると、多くの精霊たちが動き出すのかもしれませんね。と思いながらフラッシュなしで写した最後の写真にも、見づらいかもしれませんが、オーブが写っておりました。
2009.11.30
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次の巨石は、ペンブローク地方ニューポートの町はずれにあるカレグ・コエタン。住宅地の真ん中の空き地に、垣根に囲まれて、たたずんでいます。形のいいドルメンですね。動物が四足で立っているようにも見えます。「アーサー王の岩」とも呼ばれているそうで、アーサー王自身が巨人であったという伝説もあるとのことでした。(続く)
2012.11.25
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今回の取材旅行では、賀茂一族の神社を中心にお参りしてきました。京都の上賀茂、下鴨。大和の高鴨(上鴨)、中鴨、下鴨。この京都の賀茂(鴨)氏と大和の鴨氏は、元々は一緒に住んでおりました。で、基本的にご祭神も同じなのですが、それぞれ別々の名前で呼んでおります。京都では賀茂氏の祖神は八咫烏ことカモタケツノミ(鴨建角身)。大和では鴨氏の祖神はカモノオオミカミ(迦毛大御神)ことアヂスキタカヒコネです。だから京都の人にアヂスキタカヒコネの話をしても、誰のことだかわからない、という状態になります。逆に、大和の人にタケツノミの話をしても、ピンと来ないという状態になります。これはどうしてかというと、自分と瓜二つのアメノワカヒコの喪屋を切り倒したときに、アヂスキタカヒコネが出雲族の自分と決別したからなんですね。アヂスキタカヒコネと言えば、オオナムヂとタギリヒメの間に生まれた子ですから、出雲族のスサノオと日向族のアマテラスの両方の直系であるわけです。そのアヂスキタカヒコネが出雲族を見限り、日向族側についたことを示唆しています。『古事記』ではそれを非常に文学的な表現で、出雲族側に付いたアメノワカヒコの喪屋を切り倒して蹴飛ばしたと語り伝えているわけです。喪屋を切り倒すなんて尋常ではありませんよね。それほどの決意であったことを示しているんです。出雲族(アメノワカヒコ)と決別したアヂスキタカヒコネがその後どうなったかというと、大和の葛木山を拠点にしてアヂスキタカヒコネという本名を保ちつつ、タケツノミ(八咫烏)になったわけです。その後の活躍は、日向族の神武東遷を助けた八咫烏として記紀に描かれていますね。『新撰姓氏録』でも、タケツノミは大和の葛木山に降臨した八咫烏のことであると書かれていますから、葛木山の神社(高鴨、中鴨、下鴨)で祖神として崇められているアヂスキタカヒコネはどう考えても八咫烏です。でも大和では、アヂスキタカヒコネと八咫烏は分けて考えられています。それでいいんです。喪屋切りによって、出雲のアヂスキタカヒコネと決別、別人の八咫烏になったからです。別人となったアヂスキタカヒコネことタケツノミの賀茂一族は、後に京都・山城の地に集団で移り住み、賀茂氏の祖神として下鴨神社のご祭神となっているわけです。ところで、アヂスキタカヒコネが蹴飛ばした喪屋が落ちたところが、岐阜県・美濃加茂の喪山です。大和にいた賀茂一族が、後に集団で移住した先が美濃加茂。きっと、アヂスキタカヒコネの出雲族との決別を象徴する喪屋の話を残すために、地元の山に喪山という名前を付けたんでしょうね。地名というのは、このように歴史を紐解くヒントを残してくれているわけです。
2017.03.20
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ゴールデンウィークの真っ最中ですね。ただ人間界と違って、猫界には休日はありません。ご覧ください。 この三虎兄弟君たちはそれぞれ、忙しそうにお仕事?をしていますね。手前から毛舐め、見張り、見張り、と忙しそうです。そこへ遠くからオッドアイちゃんが登場します。 オッドアイちゃんの仕事は、モンローウォークでしょうか(笑)。私のそばに来ると、膝の上に乗りたがります。 膝の上に乗るのも仕事なんですね。こちらではヨガのポーズ。 この子は本当にさっきから忙しそうに働いていますね。私の膝の上から降りたオッドアイちゃんは、こちらへ移動。 船の番をしているんですね。本当にお利口さんの猫ちゃんたちです。人間界に属する私は、ゴールデンウィークは山篭りをいたしますので、次回ブログを更新するのは7日か8日になります。皆々様も楽しい休日をお過ごしください。
2009.05.02
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昨夜、山篭り先から無事に帰ってきました。今日はその山篭り先で見た夕焼けと朝焼けの景色をご紹介します。 まずは夕焼けの景色です。 山の向こうに沈む夕日です。綺麗ですね~。海も見えています。こちらは朝焼けの景色。 山の向こうから朝日が顔を出します。山の中ですから、山から日が昇り、山に日が沈むんですね。とてもゴージャスな景色です。山には鉄塔が建っていますので、まったくの人里離れた場所ではないことがわかります。いつかもっと詳しくご紹介できればと思っています。
2009.02.12
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ちょっとここで論点を整理しておきましょう。飛騨の位山と、信州の皆神山、戸隠山が結びつく根拠は次の通りです。まずは、どちらにも天の岩戸伝説が残っていること。位山には水無神社の奥宮ともいえる「天の岩戸」という巨石群があり、皆神山の中腹には岩戸神社が鎮座し、戸隠山の戸隠神社には天の岩戸伝説が残っています。次に戸隠神社にも、皆神神社にも鶏を使った神事や神楽が残り、実際に例祭などで奉納されています。これを補強するかのように、一神会の浅見氏が「神通力」によって、オモイカネが岩戸隠れしたアマテラスを探すために位山山頂で「鶏占い」を執行し、「皆神山の先の山(戸隠山)」に隠れていることを言い当てた出来事があったのだと主張していますね。もう一つの根拠が、水無神社の例祭で神輿が山頂に運ばれ一時的に安置される御旅山の参道である、明らかに加工された「滑走路」の方位角が皆神山と戸隠山を指し示している、というわけです。そしてもう一つ付け加えるなら、皆神神社の神官の家系の方の証言です。神官の家には代々、神々が位山に霊体として降臨し、皆神山で物質界や人類を創造したという話が伝わっているというんですね。正統竹内文書の口伝でも、位山で神を降ろす神事を行うことが、神主に取っての最高の神事であることになっています。「竹内文書」でも、位山三山の一つ船山に天神霊(天神第五代の時代)が降りて来ています。そして皆神山は、大本の出口王仁三郎によると「世界の中心」であり、先の大戦の終盤では、わざわざ天皇家が皆神山のそばに引っ越すことを考えていたわけです。神州の皆神山・戸隠山と、飛騨の位山は間違いなく深い関連があり、連動していると私は見ます。だから皆神山ばかりに行っていた私も、位山に呼び出され、「参拝(ご報告)」をしなければいけなくなったとも考えられますね。おそらく浅見氏が主張しているように、太陽神と関係する巫女か祭祀王がいなくなる出来事があり、そのとき戸隠山に隠れていることが鶏を使った神事によって判明した、というような物語が実際にあったのではないでしょうか。これがもう一つの岩戸隠れの物語です。あるいは、皆神神社の神官の家に伝わっているように、神々が霊体として位山に降臨し、皆神山で物質界を造ったとする物語が天の岩戸神話の中に隠されているのかもしれません。そして、ここでは書きませんでしたが、富士王朝に伝わる天岩戸神話もあります。お知りになりたい方は、『正統竹内文書口伝の「秘儀・伝承」をついに大公開!』の131ページのコラムをお読みください。このように少なくとも3つの天の岩戸物語が、『古事記』の天岩戸神話の中に隠されているのだと私は考えています。飛騨・信州王朝、富士王朝、日向王朝のそれぞれに、天の岩戸神話があり、それをギリシャ神話とダブらせながら一つの物語に取り込んだのが、記紀の岩戸隠れ神話です。その理由はわかりますよね。すべての古代王朝の系図を天皇家につなげ、天皇家に正統性を持たせるためです。もちろん他にも理由があったことでしょう。でも、記紀編集者の一番の狙いはそこにあるように思われます。今日の写真は、位山の山頂付近にある天の岩戸です。次回は位山三山の一つである船山の話をしましょう。
2015.11.27
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ところで、なぜ「シュメール」と日本語で呼ばれるようになったかご存知でしょうか。本当はシュメルとか、スメルが発音的に近いんです。それがどういうわけか、「シュメール」と長音記号を入れて表記されるようになりました。実はこれには理由があって、「高天原はバビロニアにあった」とか、天皇のことをスメラミコトというが、それはスメルのミコト、すなわちスメルの王のことであるとか、スサノオはシュメルの首都スサの王のことであるといった俗説が戦前や戦中に横行したため、時のシュメール学の権威であった京都大学名誉教授の中原与茂九郎氏が混同されないようにわざと「シュメール」と音引きを入れて表記したからなんです。当然、この「俗説」がどこから来たかは、だいたい想像できますよね。そう、既に紹介した、明治・大正期の日本史研究家・木村鷹太郎氏の「新史学」です。だけど「シュメール」という表記は間違っていることに変わりありませんね。シュメル、もしくはスメルがアッカド語の原音に近く、正しい表記なんです。でも権威ある学界の人たちは俗説が大嫌いですから、嘘の表記になってもいいから、「シュメール」にしてしまったんですね。で、この裏事情は当事者の中原氏から皇族で歴史学者の三笠宮崇仁親王が直接聞いて、我々に伝わることとなりました。詳しくは小林登志子氏の『シュメル--人類最古の文明』(中公新書)をお読みください。中原氏の気持ちもわからなくはありません。そりゃそうです。「スメラミコト」と「スメル」は似すぎていますし、スサノオをスサの王としてしまっては、もうダジャレを通り越して、悪意(あるいは善意)さえ感じられますよね。ところが、今紹介した「木村氏の俗説」は、ほとんどそのまま正統竹内家の口伝にも伝わっているから、話はますます面白くなります。しかも、シュメル(スメル)を調べれば調べるほど、記紀に描かれた古代日本との関係が深まってしまうんです。もう勘弁してくれよ、と私でも思ってしまいます。でも、まずはシュメル人とは何者だったのかを見てみましょう。(続く)
2015.04.25
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ケンメア・ストーンサークルを見た後、再び歩いてケンメアの町中に戻って来ます。宿泊している居酒屋ホテルに到着。ホテルの裏口です。真ん中に止めてある赤いプジョーが、今回私たちが借りたレンタカーです。なかなかいい走りをする車でした。表通りから見た居酒屋ホテル。今回泊まったのは、左側の「Davitts」です。そのお隣も同じような居酒屋ホテルでした。居酒屋などが立ち並ぶヘンリー・ストリート。この日は、宿泊先のパブで食事をとりました。翌6月10日。曇り。ケンメアを拠点にして、この日はウェスト・コーク地方の巨石をめぐります。(続く)
2016.08.26
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1972年のリチャード・ニクソン米大統領再選運動で暗躍した「ニクソンの汚い小間使い」とも言えるロジャー・ストーンがJFK暗殺事件等について書いた『ニクソンの秘密』という本を近々出すとメディアに紹介されていたので、これに少し触れておきましょう。彼は既に昨年『ケネディを殺した男』という本で、リンドン・ジョンソンがJFK暗殺の背後にいたと主張しています。今回の本でもストーンは、リンドン・ジョンソンがJFK暗殺で動いていたと書いているようですが、その点を除けば、おおむね私の意見と一致します。特にニクソンがJFK暗殺事件の真相を知っており、それを使ってウォーターゲート事件を乗り切ろうとしたとストーンが主張している点は、その通りではないかと思っています。2000年に出版された拙著『ジョン・F・ケネディ暗殺の動機』(近代文芸社)に、私はこのように書いています(〔〕内は文章がわかるように付け足した部分)。「〔リチャード・ニクソンが〕ケネディ暗殺に直接関与したことを示す証拠は一切ない。ただ、〔CIAの〕キャンベル副長官らと親しかったことから間接的に真相を知っていた、もしくは真相に気付いてきた可能性が高い。ウォーターゲート事件で窮地に立ったとき、なおも政権延命を図り、その〔JFK暗殺事件の〕真相の一部を取引にしようとしたことも十分にあり得ることだ」実際、ストーンによると、ニクソンはウォーターゲート事件発覚後、苦境を脱するためにCIAがJFK暗殺に関与していたことをばらすとCIAを脅したのだといいます。これに対してCIAは、自分たちの関与をばらされないようにニクソンを暗殺しようとまでしたとストーンは主張しています。これは十分にありうる話です。とにかくCIAがJFK暗殺への関与をもみ消すために、真相を知ってしまったCIAベテラン局員コード・メイヤーの妻メアリー・メイヤーなど大勢を殺しているのはまず間違いありませんから。結局ニクソンは暗殺されませんでしたが、ロバート・ケネディは殺されましたね。その辺のいきさつや、リンドン・ジョンソンがなぜJFK暗殺陰謀説を躍起になって打ち消したかの理由も拙著に書いてありますので、ご興味ある方はお読みください。1972年6月20日にホワイトハウスで録音された、いわゆる「ニクソン・テープ」から、18分30秒分が秘密裏に消去されましたが、そこにJFK暗殺事件をめぐるCIAとニクソンの熾烈なやり取りが記録されていたのだと私は思っています。
2014.06.12
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万物に固有の振動があり、音があるという考えは、遅くとも古代ギリシャにはあったとみられています。それがピタゴラス派の人たちですね。ところが、ピタゴラスの定理で知られる哲学者・数学者のピタゴラス(紀元前582年 - 紀元前496年)は、ほとんど書物を残しませんでした。教義は口伝。つまりピタゴラス派の人たちは事実上、「ピタゴラス教団」とも言うべき、秘密結社を作っていたことになるんです。だから謎だらけ。あの有名なピタゴラスの定理も、ピタゴラスが発見したのではないという説が有力になっています。というのも、キティ・ファーガソンの書いた『ピュタゴラスの音楽』(白水社刊)によると、古代ギリシャの島サモス島に生まれたピタゴラスは古代エジプトやメソポタミアに渡り、そこで神官や書記からシュメル文明の時代には既に存在していた円周率や平方根、立方根などの高等数学を学び、それを古代ギリシャにもたらした可能性が強いと考えられているからです。それが本当ならピタゴラスは、シュメル文明の継承者ということですね。そのような謎に包まれたピタゴラス派の教義ですが、同派の人たちは天界の動きに伴う音楽が存在すると主張していました。天体はあれほどの速さで軌道を回っているのだから、音を立てずにいられるはずはない、というんですね。しかも、天体には定められた秩序の中に収まる、協和的な配列があり、そこから発声する音も「ハーモニー」のように調和が取れているはずだ、だから、それぞれの惑星が回転しながら固有の音を発し、太陽系全体で和音を奏でているはずだ、と。すごい発想です。その理論を展開すれば、たとえば地球の音階はハ、月はニ、水星が変ホ、金星がホ、太陽がト、火星はイ、木星は変ロ、土星はロなどと当てはめ、今日は金星が地球に近づいたので太陽との和音が素晴らしいなどの会話が成立してしまうわけです。本当かどうかは知りませんが、ピタゴラスはそれらの星の音が聞こえたというんですね。(続く)
2015.10.09
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明神ヶ岳。箱根の外輪山の東部にある穏やかな山容の山です。昔の箱根越えでは、この明神ヶ岳の南にある碓氷峠を通る道が使われていました。結構険しいルートであったため、旅人の安全を祈るためこの山の山頂に明神を祀ったのだそうです。意外に思われるかもしれませんが、この箱根の碓氷峠はヤマトタケルの伝説の地でもあります。ヤマトタケルは東征の途中で荒れ狂った海の神を鎮めるために入水した弟橘媛(おとたちばなひめ)を偲んで、「吾妻はや」と3回嘆いたとされていますが、それが箱根の碓氷峠であるという説があるんですね。『日本書紀』では碓日嶺(碓氷峠)、『古事記』では足柄の坂本(足柄山)と書かれています。碓氷(雨水)という言葉からは水のエネルギー、なだらかで女性的な山容からは土のエネルギーが想起されます。碓氷峠は箱根町の「宮城野」という場所にあります。私には古代富士王朝の名残があるように感じられました。
2014.11.11
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▼ユゴーの薔薇7(王女の薔薇3)今日は冷酷なフェリペ2世の描写が、これでもかこれでもかというほど続きます。確かにスペインがキリスト教の名の下で、この地球の歴史上行った数々の残虐・野蛮行為は悪名高いものですが、フェリペ2世はその権化みたいな存在なのでしょうか。Philippe deux etait une chose terrible.フェリペ2世は恐ろしい存在だった。Iblis dans le Coran et Cain dans la Bibleコーランに出てくる悪魔も、聖書のカインも、Sont a peine aussi noirs qu'en son Escurial亡霊のような皇帝から生まれた、エスコリアル宮殿に住む royal spectre, fils du spectre imperial.この亡霊の王とは、腹黒さの点で辛うじて肩を並べられるぐらいだ。Philippe deux etait le Mal tenant le glaive.フェリペ2世は剣を手にした悪の化身だった。Il occupait le haut du monde comme un reve.彼は世界の上流階級を夢のように支配した。Il vivait; nul n'osait le regarder; l'effroi彼は生きていたが、だれもあえて彼を見ようとはしなかった。Faisait une lumiere etrange autour du roi;恐れる者は王の周りに奇怪な光を見出した。On tremblait rien qu'a voir passer ses majordomes;彼の召使頭が通り過ぎるだけで、みな震え慄いた。Tant il se confondait, aux yeux troubles des hommes,恐怖に駆られた人間の目には、王は底なしの淵やAvec l'abime, avec les astres du ciel bleu!青空の星々と見分けがつかなかった!Tant semblait grande a tous son approche de Dieu!それほど彼は神に近い存在に思われたのだ!Sa volonte fatale, enfoncee, obstinee,不可避で、深く刻まれた、執拗な彼の意志は、Etait comme un crampon mis sur la destinee;まるで運命に打ち込まれた鎹のようであった。Il tenait l'Amerique et l'Inde, il s'appuyait彼はアメリカと西インド諸島を手中にし、Sur l'Afrique, il regnait sur l'Europe, inquietアフリカに覆いかぶさり、ヨーロッパを支配していた。Seulement du cote de la sombre Angleterre;唯一つ気掛かりなのは、あの暗いイギリスだ。Sa bouche etait silence et son ame mystere;彼の唇は何も語らず、彼の魂は謎だらけ。Son trone etait de piege et de fraude construit;その王権は罠と欺瞞で作られていた。Il avait pour soutien la force de la nuit;彼は心の支えとして、闇の力を頼りにした。L'ombre etait le cheval de sa statue equestre.暗い影が、王の騎馬像の馬であった。Toujours vetu de noir, ce tout-puissant terrestreこの地上における絶対的支配者は、常に黒い服を身にまとい、Avait l'air d'etre en deuil de ce qu'il existait;自分自身の喪に服しているようだった。Il ressemblait au sphinx qui digere et se tait,彼は獲物を食べては黙り込むスフィンクスに似ていた。Immuable; etant tout, il n'avait rien a dire.何事にも動ぜず、自分がすべてであったから、何も言う必要も無かった。Nul n'avait vu ce roi sourire; le sourire誰もこの王が笑うのを見たことがなかった。そもそもN'etant pas plus possible a ces levres de ferこの鉄の唇に笑みなど浮かぶはずもなかった。Que l'aurore a la grille obscure de l'enfer.それは地獄の暗い鉄格子に、曙の光が差し込むようなものだ。S'il secouait parfois sa torpeur de couleuvre,時々、蛇のようにけだるい体を動かすことがあっても、C'etait pour assister le bourreau dans son oeuvre,それは死刑執行人の仕事を助けるためであった。Et sa prunelle avait pour clarte le reflet彼の目の中で光るのは、火刑台の炎の照り返し。Des buchers sur lesquels par moments il soufflait.彼は時々、その炎が燃え上がるようにと息を吹きかける。Il etait redoutable a la pensee, a l'homme,彼は、思想や人間や生命や進歩や権利にとってA la vie, au progres, au droit, devot a Rome;恐るべき敵であったが、ローマ教皇だけには献身的であった。C'etait Satan regnant au nom de Jesus-Christ;彼はイエス・キリストの名の下に世界を支配している悪魔であった。Les choses qui sortaient de son nocturne esprit闇夜の彼の魂から放たれるものは、Semblaient un glissement sinistre de viperes.マムシが不気味に這う姿に似ていた。L'Escurial, Burgos, Aranjuez, ses repaires,エスコリアル、ブルゴス、アランフェスといった彼の棲家では、Jamais n'illuminaient leurs livides plafonds;その鉛色の天井に明かりが灯ったことがなかった。Pas de festins, jamais de cour, pas de bouffons;祝宴もなければ、王宮の華やかさもなく、道化もいなかった。Les trahisons pour jeu, l'auto-da-fe pour fete.裏切りが遊びであり、異端者の火刑が祭りであった。Les rois troubles avaient au-dessus de leur tete動揺する諸国の王たちの頭上では、Ses projets dans la nuit obscurement ouverts;彼の企みが夜の闇の中で密かに花開いていた。Sa reverie etait un poids sur l'univers;彼の夢は世界中の人々にのしかかる重圧だった。Il pouvait et voulait tout vaincre et tout dissoudre;彼はすべてを征服し、破壊することができたし、またそう望んでもいた。Sa priere faisait le bruit sourd d'une foudre;彼の祈りは、響きの鈍い雷鳴のようだった。De grands eclairs sortaient de ses songes profonds.巨大な雷光が彼の胸の奥底から放たれていた。Ceux auxquels il pensait disaient: Nous etouffons.彼に思われただけで、人々はよくこう言った。「息が詰まりそうだ」Et les peuples, d'un bout a l'autre de l'empire,その帝国の国民はだれもかれもが、Tremblaient, sentant sur eux ces deux yeux fixes luire.その両目の光が自分に注がれていると感じて、身を振るわせた。Charles fut le vautour, Philippe est le hibou.カルロスが強欲なハゲタカなら、フェリペは陰険なフクロウだ。いかがでしょうか。ユゴーはかなりフェリペ2世を陰湿で残忍な人物に描いていますね。19世紀のフランス人が16世紀のスペイン王をどのように見ていたかがわかって興味深いです。フランスとスペインは昔から戦争を繰り返していました。最後の行に出てくるカルロスは、フェリペ2世の父親カルロス1世(在位1519~56年)のことです。スペイン王国の繁栄のために幾多の戦争を起こした王でもあります。次回はいよいよ、スペインの無敵艦隊とイギリスの艦隊が戦闘で激突します。果たして戦争の行方は・・・。(続く)
2008.06.05
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近江富士から北東に14キロはど離れた場所にある箕作山。その麓にある円錐形の山に着目しました。上の写真で右端の方にみえる小さな山です。国土地理院の地図で最初に等高線を見たときに、あまりにも綺麗な円錐形なので驚きました。名前のない標高175メートルの山ですが、平地面からの高さは65メートルほど。耳成山と同様に十分に建造できる高さです。この近くには太郎坊山という尖った円錐形の山もあります。山の形からすると、太郎坊山は火のエネルギーで、この小さな名もなき円錐形の山は土のエネルギーでしょうか。
2014.09.15
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日本とギリシャの神話の中で、デメテルとアマテラスの岩戸隠れと同じくらい似ている、というか同根と言える話が、オルフェウスとイザナギの冥界訪問の物語です。オルフェウスの物語は次のようなものです。オルフェウスの妻エウリュディケが毒蛇にかまれて死んでしまいました。諦めきれないオルフェウスは最愛の妻を取り戻すために冥界に下ります。彼の弾く竪琴の哀切な音色によって、冥界への渡し守も、冥界の番犬ケルベロスもおとなしくなり、オルフェウスが冥界に入るのを許します。そしてついにオルフェウスは、冥界の王ハーデスとその妃ペルセポネの王座の前で竪琴を奏でて、エウリュディケを返してくれるよう訴えました。オルフェウスの琴の音に心を動かされたハーデスとペルセポネは、エウリュディケを地上に連れて帰ってもいいという許可を与えます。ただしそれには条件があり、オルフェウスは「地上へ出るまでの間は、絶対にエウリュディケを振り返って見てはいけない」という約束をさせられたんですね。そこでオルフェウスは先頭に立ち、エウリュディケが従って、二人とも黙ったまま険しい小道を登って行きます。そしてあと少しで地上に出るという時になって、オルフェウスは妻が後をついてきているか心配になり、振り返ってしまいます。約束は破られたわけですから、エウリュディケは冥界に連れ戻されてしまいました。一方、イザナギの冥界訪問は次のような物語です。火の神の出産によって愛妻イザナミを失ったイザナギは、嘆き悲しみながらも、どうしても戻ってきてほしく思い、後を追って黄泉の国に向かいます。黄泉の国の御殿まで来ると、イザナミがそこにいます。そこでイザナギはイザナミを連れて帰ろうとしますが、イザナミは既に黄泉の国の食べ物を食べてしまったので戻れないことを告げます。それでも、わざわざ迎えに来たイザナギを無下に門前払いすることもできません。その熱意に押されて、イザナミはイザナギと一緒に地上に戻れるかどうか黄泉の国の神と掛け合うことにします。ただしその際、一つ条件を出します。その条件とは、イザナミが黄泉の国の神と相談している間は、決して覗き見てはいけないというものでした。だが、なかなか戻らないイザナミに不安を覚えたイザナギは、我慢できずに御殿の中に入って覗き見してしまいます。そこには醜い姿をしたイザナミがいます。その醜さに驚いたイザナギは一目散で地上に逃げようとします。それを見たイザナミは「よくも約束を破って、恥をかかせたな」と言いながら、追いかけてくるんですね。結構怖いホラー映画みたいです。その追いかけごっこは現世と黄泉の国との境である黄泉平坂まで続きます。そこでようやく双方が協議して、「離婚」が成立するんですね。黄泉の国に妻を追いかけて行くところや、見るなという約束を破ってしまって妻を連れて帰れなくなるところなどは、まさに同じ物語です。そして、現実界と冥界の境で物語が決着するところも似ていますね。また、黄泉の国の食べ物を食べたら帰れなくなるというイザナミの話は、ギリシャ神話にも出てきます。前回紹介した大地母神デメテルは、行方不明となった娘が冥界王ハーデスに誘拐されていたことを知り、ゼウスの助けを借りて取り戻します。ところが娘は冥界で食べ物を食べていたので、冥界に戻らなくてはならなくなるんですね。つまり、オルフェウスの冥界下りとイザナギの黄泉の国訪問の話は、細部まで同じ物語であるとみなすことができるわけです。(続く)
2015.05.22
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富士山の背後からスーッと伸びる雲。富士山にまとわりながら戯れている龍のような雲でした。
2018.02.07
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尖山と笠置山、それに山岡町の巨石群を結んだ東経137度21分の「ピラミッドライン」とも呼べる直線上には、実に興味深い古代巨石遺構が並んでいるんですね。まず第一に挙げなければいけないのは、岐阜県高山市丹生川村大谷にある日輪神社です。神社と言っても非常に鋭角的に見えるピラミッド型の山です。おそらく山自体がご神体であるのだと思われます。この山(日輪神社)がどうして有名になったかと言うと、実は日本にピラミッドがあるとした酒井勝軍に影響を受けた陸軍大佐の上原清二が1938年ごろ地元を隈なく調査した結果見つけた「ピラミッド」だからです。この山の中腹には太陽石と呼ばれる変わった巨石があり、岩の前面と上部に規則正しく刻まれた穴の列があります。上原によると、神社裏山の頂上には南北に並んだ四つの石が置かれていたそうですが、今となってはまったくわからなくなっています。詳しくは、拙著『「竹内文書」の謎を解く』の165ページをご覧ください。この上原が名付けた「ピラミッド」が、まさにピラミッドライン上にあるわけですね。私が『「竹内文書」の謎を解く』を書いたとき、何となく尖山と日輪神社は南北線上にあるなとはわかっていたのですが、偶然の一致だろうぐらいにしか思っていませんでした。しかし、今回は「山岡正」という不思議な暗示から同一経線上にあることが導かれたわけですから、ちゃんとピラミッドとして配置した測量グループがいたに違いありませんね。思えば、ピラミッド石が二つある笠置山も笠を伏せたような美しい形の山ですから、笠置山もピラミッドであるとすることができるかもしれません。このライン上には、まだまだいろいろあるんですよ。笠置山の麓の恵那市中野片町には、私たちがスコットランドで見たような、線刻がバーコード状に並ぶ岩「オガム石」があります。古代ケルト人が使っていたといわれるオガム文字に似ているとして、この名前がつけられました。スコットランドで見たのと同じように、上面が平らな巨石です。詳しくは同著178ページをご覧ください。そして山岡町には、昨日ご紹介したピラミッド石のほかに、近くには、亀のような岩偶が彫られた野田巨石群、雨雲を呼ぶ不思議な石で、三つのピラミッド型の山が並んだようになっている船岩(同著182ページ参照)、巨大組み石遺構のある石戸神殿巨石群がほぼ同一経線上に並んでいるのです。こうしてみると、『「竹内文書」の謎を解く』で既にご紹介した山や巨石遺構がちゃんと東経137度21分上に並んでいたことがわかりますね。同著では東経137度11分の羽根ラインしか紹介しませんでしたから、もしかしたら私にピラミッドラインがあることを気づかせるために「山岡正」が現れたのかもしれませんね(笑)。
2010.10.13
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文字通り、赤く焼けた雲です。相模湾も、鏡のように赤く反映しておりました。1月16日に撮影。
2018.02.05
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超能力者列伝4(秋山眞人)岡美行の惑星探訪の話に比べたら、秋山眞人の宇宙人との遭遇体験などはかわいいものだ。というよりは、まともな体験に思えてくる。秋山眞人とは、1980年代後半に彼が編集長を務めた月刊誌「ボストンクラブ」に私が原稿を書いて以来の付き合いだが、当時から近しい人に対してや小さな集会では、自分が他の惑星に行ったことがあることを明らかにしていた。ただ公には、その話はご法度で、私も実名で書いてもいいかと聞いたら、「社会的に袋叩きに遭うので、勘弁してくれ」といつも断られた。しかしその秋山も、1997年春に「カミングアウト」する。何でも宇宙人から本を書くように頼まれたからだという。そのときは当然躊躇した、と秋山は述懐する。「なぜ、いま、私が発表しなければならないのですか」と秋山は聞いた。すると、次のような答えが宇宙人から返ってきた。「今年(1997年)は君たち人類にとって、そして地球にとって大きな変革の年である。その大きな変革のときに、われわれの真の姿を公表することは大きな意味があるのだ。それをわかってほしい」その宇宙人の真剣な眼差しを見たら、断ることはできなかった、と秋山は言う。秋山は、宇宙人との関係を洗いざらい公表することにした。それが、1997年4月に出版された『私は宇宙人と出会った』(ごま書房)であった。その本と私が取材した話などを総合すると、秋山が体験したという宇宙人との驚異の遭遇記録は次のようなものだ。秋山が最初にUFOを目撃したのは、1970年代半ば、中学二年、15歳のときだった。そのころの秋山は、友達のいない寂しい少年であった。というのも、父親の仕事の関係で引越しが多く、転校先でいじめられることが多かったからだ。静岡の田舎の学校に転校したときもそうであった。友達ができず、寂しいので、秋山は自宅の裏に広がる風景の中で鳥やリス、ウサギなどを眺めては気を紛らわせていた。そうしたある日、テレビでUFO特集の番組があり、テレパシーでUFOを呼び出す方法というものが紹介された。秋山はこの話に飛びついた。秋山はそれまで、唯物論者の父親の影響もあり、こうした話は意図的に避けて育ってきた。しかし、秋山の当時の不安定な精神状態においては、まさに天からの助け舟のように思えたのだろう。「気楽な遊び感覚」ではあったが、テレパシーで宇宙に呼びかけてみることにした。(続く)=文中敬称略
2005.03.19
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▼薔薇は薔薇2ガートルード・スタインが作り出した構文「~is~is~」は、今でこそis は二つになっていますが、スタインの詩の中では「~is~is~is~」とisは3つあります。では、その構文が出てくるスタインの詩『Sacred Emily(聖なるエミリー)』の一節を見てみましょう。Night town.Night town a glass.Color mahogany.Color mahogany center.Rose is a rose is a rose is a rose.Loveliness extreme.Extra gaiters.Loveliness extreme.Sweetest ice cream.Pages ages page ages page ages.Wiped Wiped wire wire.Sweeter than peaches and pears and cream.難解ですね。言葉の繰り返しが多く、かつイメージの羅列が多いことがわかります。こういう詩は理論では読むことができませんから、提示された言葉のイメージの連想ゲームとリズムの楽しさを味わって読むしかありません。ということは、どこで区切るかを含めて、どのように解釈するかは、読者それぞれの感性次第ということになります。単語の意味を並べるだけになってしまいますが、一応、訳してみましょう。夜の街。夜の街、グラス。色、マホガニー。色、マホガニー、中心。薔薇は薔薇で、薔薇であり、薔薇である。究極の美しさ。特別なゲートル。究極の美しさ。至極のアイスクリーム。書物、年代、ページ、年代、ページ、年代。ふき取られた、消されたワイヤー、針金。桃や梨やクリームより甘い。詩はこのような調子で、最後まで言葉の繰り返しとイメージの列挙が続いていきます。3行目の「色、マホガニー」を、「マホガニーに色を塗れ」とも「色はマホガニー(赤茶)色」とも「食卓を彩れ(注:mahoganyにはテーブル、食卓という意味があります)」とも訳すことができます。問題の5行目ですが、最初のRoseは女の子の名前であるとも、当時スタインと交流があったイギリスの画家サー・フランシス・ローズであるとも、あるいは本物の薔薇であるとも解釈できます。同時にlikeなどの言葉を補って、「ローズに薔薇という意味があるのは、薔薇が薔薇であるのと同じ」というような意味に捉えることもできますね。ただ、この言葉から「cirme is crime is crime」などの言葉が出てくることを考えると、この文を読んだ人の多くが、「薔薇は薔薇であり、それ以外の何ものでもない」とか、ジュリエットが言ったように「薔薇はどんな名前でも薔薇」という意味を汲み取っていることがわかります。7行目の「特別なゲートル」は「余分なゲートル」であるかもしれません。ただし意味は不明です。ゲートルが余計にある(長い?)と、暖かくてうれしくなるのでしょうか。前後の関係から、楽しいものであることは間違いなさそうです。9行目の「至極のアイスクリーム」は是非食べてみたいものです。10行目のpagesは複数形になっているので、「記録」とか「書物」という意味になります。最初のagesも複数形で「いくつもの時代(年代)」という意味でしょうか。その後に出てくるagesを三人称単数形の動詞であると解釈すれば、「ページ、年代」ではなく、「1ページ、1ページが古くなる」と訳すこともできそうです。ページとエージで音の言葉遊びみたいですね。明日は、この「Rose is a rose is a rose is a rose」という言葉について、スタイン本人がどのように言っているかについて紹介します。(続く)
2007.12.21
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江ノ島から三浦半島先端の城ヶ島までの海岸線を、自衛隊の敷地など一部を除き全て踏破したこともあり、今日は三浦半島西側の海岸線を紹介しましょう。この日は逗子を出発して、荒崎海岸までをほとんど歩き通しました。およそ6時間の行程です。まずは葉山の森戸海岸です。富士山が水平線のほぼ真正面に見える海岸ですね。その右手の方には江ノ島を見ることができます。森戸神社の猫ちゃん。ちゃんと飼われている猫ちゃんですね。お顔がちょっとペル(グレイ)に似ています。さらに森戸海岸から南下していくと・・・昆布を干していますね。このように海岸線をずっと歩けるようになっています。次は芝崎海岸(公園)で撮った松ですね。今は小さいですが、やがては大木に育つのでしょうか。上の写真の後方に見えている島が江ノ島です。次も芝崎海岸に咲いていた花。ノイバラの一種で照葉野薔薇(テルハノイバラ)だと思います。ノイバラよりも花が大きく、葉っぱに光沢があります。そのテルハノイバラと浜昼顔のツーショットです。さらに南へと進みます。葉山の一色海岸。葉山の御用邸がそばにあります。巨大な塀に囲まれ、警察官が常駐しています。大浜海岸に咲いていた浜昼顔。長者ヶ崎、秋谷の立石、荒崎海岸へと続きます。(続く)
2008.06.26
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タギシミミの母親の「側室格下げ」が無念であったことはわかりますが、統一王朝推進派にとっては神武とイスケヨリヒメの政略結婚は申し分ない組み合わせであったのも確かです。神武は日向国の女王アマテラスの直系であり、記紀が正しければ、その日向国を強力にバックアップした海人族の血も4分の3は入っています。一方イスケヨリヒメは、出雲国の王スサノオの直系であり、私が正しければ、大和や河内地方を支配していたナガスネヒコ一族の血も入っているはずです。読者の皆さんの中には、イスケヨリヒメがニギハヤヒとナガスネヒコの妹の子であるはずはない、『日本書紀』に記されているように、「コトシロヌシ」と、ミシマミゾクイミミの子タマクシヒメとの間に生まれた子ではないかと主張する方もいるかもしれません。 実はその可能性もあるんです。もちろんその場合のコトシロヌシとは、オオナムヂの子のコトシロヌシではなく、あくまでもニギハヤヒです。そもそもコトシロヌシとは、事を知る人、つまり文部大臣とか歴史大臣みたいな役職名みたいなものですから、出雲のコトシロヌシとは限らないんですね。「八重事代主」と書くぐらいですから8人はいたはずです。まあ、今風に言うならば各地の「クイズ王」、たとえば「近畿地区のクイズ王」みたいなものでしょうか。私は大物主、すなわちニギハヤヒ説を採ります。では、ミシマミゾクイミミとは誰であるかというと、何とタケツノミことアヂスキタカヒコネである可能性が高いんです。アヂスキタカヒコネは八咫烏としても知られています。カモノオオミカミとも呼ばれていますね。なぜそのタケツノミがミシマミゾクイミミになるかという理由は、『古事記』に書かれているイスケヨリヒメ出自の「笑い話」と同じ物語が、『山城風土記』に賀茂説話として記されているからです。それによると、タケツノミの娘であるタマヨリヒメが川遊びをしていると、丹塗りの矢が流れてきます。ヒメがそれを取って床の辺に刺しておくと、やがて孕んで子供を産んだというんですね。似ているでしょ。というか、同じ物語ですよね。この場合、丹塗りの矢は当然、大物主ことニギハヤヒ。ニギハヤヒがアヂスキタカヒコネの娘と結婚し儲けた末子がイスケヨリヒメということになります。アヂスキタカヒコネの直系であれば、政略結婚には申し分のない王統です。なにしろ、アマテラスとスサノオの政略結婚で生まれた長女タギリとオオナムヂとの間に生まれた長男ですから、アマテラスとスサノオの直系です。「国作り」に多大な貢献をした古代ユダヤ人の血も混ざっているかもしれません。イスケヨリヒメには、ナガスネヒコ一族(ナガスネヒコの妹)の血か、アヂスキタカヒコネの血が入っていたことは間違いないと思われます。少なくとも、そのような組み合わせの政略結婚でなければ、統一王朝の王統は作れないんですね。それでも母の無念を晴らすべく、タギシミミは政略結婚による統一王朝樹立計画を御破算にしようとします。神武の死後、神武とイスケヨリヒメとの間に生まれた統一王朝の正統な王子二人(三人説もあります)を亡き者にしようとしたと記紀には書かれています。世に言う「タギシミミの反逆」ですね。暗殺計画は未然に防がれ、逆にタギシミミは統一王朝の正統な王子の一人であるカムヌナカワミミによって殺されたと記されています。統一王朝の正統な王子を殺せば、自分が統一王朝の王になれると思ったのでしょうか。そうだとしたら、お門違いもいいところです。アマテラスの直系と言うだけでは、統一王朝の王統にはなりえませんからね。だから記紀編纂者も、神武の子であっても逆賊扱いせざるをえなかったわけです。(続く)
2015.04.02
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カンタベリー、ドーバー、ライの町を見学した翌日(8月25日)の英国の空です。龍雲が出ていますね。でもさすがは英国。龍と言ってもドラゴンのような形の雲に見えます。こちらはさしずめ鳳凰雲でしょうか。英国流に言えばフェニックス(不死鳥)の雲。でも英国は肉食の国ですね~。フェニックスが羽根をむしられた鳥の丸焼きのように見えてしまいます(笑)。この日は途中にわか雨も降りましたが、まずまずの天気。私たちはローマ時代の温泉の町バースへと向かいました。そしてここでも不思議な出来事が起こります。(続く)
2009.09.09
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▼知りすぎた男私は転勤や留学など行く先々でテニスクラブに入ってきた。富山では富山市郊外にある武内ローンテニスクラブの会員になった。武内プレス工業が経営するクレーコート7面ほど(当時)のクラブだ。健康を維持するためにテニスをするのだが、もちろん目的はそれだけではない。情報収集も兼ねている。あるとき、そこの会員から面白い話を聞いた。便宜上Mさんとしておこう。Mさんは某大学のスキー部で学生日本代表のスキー選手として活躍。卒業後、ロッキード事件で悪名を馳せた会社に就職した。就いた仕事は社長のかばん持ち。たいした仕事はしないのだが、当時の大卒の給料の二倍以上に相当する1000万円以上の年収があった。あるときMさんは、会社で東北地方のある場所の詳細な地図を手渡された。社長からの指示は、「この地図に記されている土地を買いまくれ」であった。意味もわからず、言われたとおりに指定された土地をカネに糸目をつけずに買いあさった。後日わかったのは、その地図で指定された場所が東北新幹線の予定地であったことだ。新聞発表のはるか前に、その会社は予定地の図面を手に入れていたわけだ。そしてばれないように、関連不動産会社間で書類上の土地売買を繰り返して価格を吊り上げていく。国がその土地を買い上げるときには、かなりのマージンが手に入る仕組みだ。政治家と企業が組めば、このようにいくらでも儲けることができる。当然政治家にはキックバックがいく。共存共栄の闇のメカニズム。濡れ手で粟の錬金術といえよう。Mさんはもう一つ、面白い仕事をしたという。社長から突然、フランスまでこのブリーフケースを届けてくれと言われ、その日のうちに日本を出国、南仏に向かったというのだ。自分のものはほとんど何ももたず、何が入っているかわからないブリーフケースを携えてMさんは南仏の別荘に到着、指示された関係者にそのブリーフケースを渡した。その別荘は改築中か新築中で、見学したMさんは地下室に外からではわからないようになった二重構造の隠し部屋があるのを目撃したのだという。Mさんはブリーフケースには多額の資金や重要書類がはいっており、地下室の秘密の部屋に保管されたようであったと述べている。海外の別荘の秘密部屋に隠された謎のブリーフケース。資産隠しの古典的な手口ではあるのだろう。やがてロッキード事件が発覚、その会社は非難の矢面に立たされる。「知りすぎた男」であるMさんは、取材が及ばない地方に飛ばされた。四国の山奥である。身の危険すら感じる危ない仕事が待っていた。Mさんはその会社を辞め、故郷の富山に戻ったのである。
2006.03.10
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知られざる人類の歴史2秋山眞人によると、人類に大地震、大津波に対する恐怖を植えつけることになったアトランティスの滅亡は、別の大陸である「ムー」をも滅ぼしたという。「ムーもそのこと(地軸ジャンピングに地球大変動)をかなりの人が事前に察知していたんです。しかし、闘争のレベルに巻き込まれた人たちは、闘争しに行ったんです。戦争挑発に乗ったんですが、聡明な連中は逃げることを考えていました。違う世界へ行くことを考えていましたね。この方たちのほうが人間的には上だったわけです。さっと別な惑星へ行ってからまた戻ってきたのもいるでしょう。だから地球でいろんなコンタクトマンに会った宇宙人のなかには、先祖が地球人だったという人もいるでしょう」秋山が語るアトランティスとムーの最期が、本当にあった人類の歴史なのかは確認のしようがない。秋山が言うように、結局人類はアトランティスの暴走を止めることはできなかった、超能力と科学を悪用し、核兵器を使ったサイキック・ウォーが勃発、地軸ジャンプによる地殻変動を誘発して滅亡したのかもしれない。では、それ以前の人類の歴史を超能力者たちは、どう見ているのだろうか。そのいくつかを紹介しよう。前世でアトランティスの神官だったという正木和三は『この世に不可能はない』の中で、生命体からのメッセージとして、次のような人類の歴史を語っている。「かつて3億6〇〇〇万年前の太陽系には、木星と火星の間の軌道を回る、地球によく似たもう一つの惑星があった。仮にこの惑星をベータ星と呼ぶことにしよう。ベータ星には非常に進化したベータ星人が住んでいたが、これがいま地球上に住む人類の先祖だと考えていい」「ベータ星人は、現在の地球人がそうであるように、乱開発によって石炭や石油などのエネルギーを使い果たし、核融合エネルギーを開発した」「そして、ベータ星破滅の危機を察知した科学者は、宇宙船をつくり、さながらノアの方舟のように、できるだけ多くの優れたベータ星人を乗せて、ベータ星によく似た地球へと送り出した」「まもなく、科学者が危惧したとおり、何かのはずみでおきた核爆発によって海水が誘爆し、そのためベータ星そのものが大爆発して、宇宙空間にこっぱみじんに飛び散った。飛び散った星のかけらのうち、比較的大きい一つが地球の周りを回る月となり、十六個が木星の衛星となり、残りの無数の小片が木星の内側軌道を回る小惑星群となったのである」「地球に飛来したベータ星人は、地球の環境に馴染めずに死に絶え、その生命体だけが、その頃地球上に生息していた動植物に宿った。そうして3億年以上もの長い時が流れ、いまから約300万年前に、生命体はやっと誕生したばかりの人類の肉体に宿ることができるようになった」「だが、動植物の中に宿っていた時間があまりにも長すぎたため、かつては非常に優れていたベータ星人の生命体も、動植物の生命体、すなわちエネルギーの低い生命体になってしまい、せっかく人間の肉体に宿ることができた後も、その多くはエネルギーの低い生命体のままで残った」(続く)=文中敬称略
2005.05.10
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最終的には崇神天皇が三部族の血統のバランスを取り戻すのですが、それ以前にもアンバランスを修正しようとした試みはありました。その話をする前にまず、神武が建国した「新大和王朝」の王統に入れなかったナガスネヒコ一族がどうなったかを見ていきましょう。ちなみに竹内氏によると、ナガスネヒコ一族は、秦の始皇帝の時代に蓬莱の国に不老不死の薬を探しに旅立ったまま復命しなかった徐福の子孫だそうです。その根拠は何かと竹内氏に問いただしたところ、「神武の兄であるイツセの命を奪った矢は、中国で使われていた強力な弩(ど)という弓の矢であったからだ」と言います。確かに徐福の子孫であれば、強力な武器を持っていたとしても不思議ではありませんね。さて、系図をご覧ください。そのナガスネヒコの妹ミカシキヤヒメとニギハヤヒが結婚して、ウマシマジとウマシホヤヒメが生まれました。ウマシホヤヒメは天香山と結婚して、五多手(イタテ)を儲けます。そのイタテの子が天忍男(アメノオシオ)で、アメノオシオの娘が第五代孝昭天皇の后となったヨソタラシヒメですね。ヨソタラシヒメは『古事記』によると、後の第六代孝安天皇を産んだことになっています。ここでようやく、ナガスネヒコ一族の血が大和王朝の血統に入りました。血統のバランスが当初の「和」に近づいたわけです。しかし、これだけではまだ足りませんよね。特にウマシマジの血統からはまだ王統には誰も入っていません。こちらの系図を見ていくと、ウマシマジの子・彦湯支(ヒコユキ)から出石心大臣(イズシココロノオオオミ)が生まれ、その子・大矢口宿禰(オオヤグチノスクネ)と続きます。そのオオヤグチの娘ウツシコメが第八代孝元天皇の后となり、第九代開化天皇の母親となります。ここまで来れば、ナガスネヒコ一族の血統もかなり安泰ですが、実はこれだけでは終わっていないんですね。オオヤグチの子オオヘソキの娘・イカガシコメも、第八代孝元天皇の側室になってヒコフツオシノマコト(武内宿禰の祖先)を儲けただけでなく、イカガシコメは第九代開化天皇の正妃となって、第十代崇神天皇となるミマキイリヒコを産みます。つまり、崇神天皇の母も父も、ナガスネヒコ一族であるミカシキヤヒメの直系であったことになるんですね。その崇神天皇が宗教改革を断行したわけです。(続く)
2018.10.30
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竹野神社に参拝した後、すぐ隣にある神明山古墳を訪れることにしました。神社から古墳へは250メートルと書かれていますね。古墳はすぐに見つかりました。林の先には後円部の丘がありました。手前が前方部で、奥が後円部ですね。丘の上に到着。案内板もあります。丘の上の石碑。全長190メートル。網野銚子山古墳(京丹後市網野町網野)・蛭子山1号墳(与謝郡与謝野町加悦・明石)と合わせて「日本海三大古墳」と総称されているそうです。製造年代は四世紀末から五世紀はじめです。倭の五王の讃とか珍の時代(応神~反正天皇の時代)ですね。丘(後円部)の上からは日本海も見渡せます。中央奥に見えるのが立岩。麿子親王の鬼退治の岩と書かれています。また、用明天皇つながりです。これについても後日、お話しいたしましょう。(続く)
2018.12.21
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これは昨日(8日)の夕景です。雪雲のような雲が賑やかでした。本日もムー原稿執筆中。8万字の原稿ですから、薄い本一冊分は書かなければなりません。現在はまだ1万字程度。でも、段々面白くなってきました。
2021.01.09
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本日、第73世武内宿禰こと故・竹内睦泰氏を偲んで書いた原稿が掲載された月刊ムー4月号の見本が送られてきました。久しぶりのムー原稿。私の記憶では、2016年4月号の「総力特集 歴史を覆す古史古伝・正統竹内文書の謎」以来ですから、実に五年ぶりの登場です。今回は総力特集ではなく、「二色刷り特集」で、125ページに掲載されております。発売日は9日です。「めちゃくちゃむっちゃん」こと竹内睦泰氏を偲ぶ追悼原稿です。私のわかる範囲内で、むっちゃんのことを書かせてもらいました。鼎談本シリーズにも書いてあると思いますが、私のことを「アンドロメダ星人」だと思っていたようです。だけど残念! 私は宇宙人かもしれませんが、アンドロメダ星人ではありません(笑)。原稿を執筆している最中に、いろいろなことを思い出しました。あのハチャメチャぶりが、ある意味素敵でしたよね。ご縁のある方は是非お読みいただければと存じます。編集長の三上さんが気を利かせて、150ページに拙著『巨石文明 超テクノロジーの謎』(河出書房新社刊)の書評も載せてくれました。ありがとうございます。今日は、出版関係のお知らせでした。
2021.03.05
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今回ムー8月号に書いた「霊峰富士の神酒」を取材した際、イベント企画会社から何か英語でキャッチ―な文言を考えてくれないかと求められて、久しぶりに英語でキャッチコピーのような詩を書いてみました。広告では採用にはならなかったようですが、せっかくですから、このブログで私が考えた英語のキャッチコピーをご紹介しましょう。最初に日本語、その後に英文の詩が続きます。「飛竜乗雲」(秋山眞人監修)あなたの五感と直感を磨くスピリチュアル富士山・水とパワーの「女神の酒」 (目=視覚)深緋と琥珀―その神秘の輝きを楽しみ、(耳=聴覚)心に響く癒しの波紋に耳を澄ます。(鼻=嗅覚)月日が醸す秘密の芳香に浸り、(口=味覚)霊山に育まれた聖水の奥行きを味わう。(手=触覚)透き通る波動のぬくもりを手にして、(第六感)太古富士の超古代王朝を偲ぶ。 Hiryu-joun, specially supervised by Makoto Akiyama, a Japanese prominent PsychicJapanese Spirits for Your Six Senses Enjoy the mysterious glow of crimson & amber spirits of Mt. Fuji. Listen to the ripple of spiritual sound created by wonders of nature. Savor the secret aroma rising from the fountain of magical ages. Taste the depth of sacred river-bed water that has run through the Goddess mountain. Feel the warmth of divine subtleness coming from the inside of your heart. Sense and remember the glory of the ancient Fuji civilization, once presumably existed in this mecca of the Japanese spirit.ネイティブにもらチェックしもらっていないので、どこかに文法上の間違いやミスがあるかもしれませんが、おおよその意味は通じるのではないかと思います。次の写真は、ムー誌にも掲載されていますが、富士錦酒造の清社長と秋山氏。出来上がった「飛竜乗雲」を手に持っているところです。これが3月31日の写真。そして翌4月1日に、ちょっとしたシンクロニシティも起こりました。それがこちら。「日本の酒輸出拡大を支援」という記事が地元静岡新聞の朝刊一面を飾っていたんですね。もちろん根回ししたわけではありませんから、完全なシンクロニシティです。そんなこんながあった、非常に面白い出会いの出張取材となりました。
2021.07.12
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天照大御神。菊花紋のごとく、四方八方に太陽の光を放ちます。太陽の巫女、すなわち日御子(ひみこ)ですね。でも天照だけが日巫女(卑弥呼)ではありませんでした。ほらこの通り・・・おそらくアマテラスことヨロズハタトヨアキツシヒメは高木神の娘で、第90代の日御子(祭祀王)です。三世代後の神武天皇と結婚した五十鈴姫が第93代。その後、第8代孝元天皇の異母妹ヤマトトトヒモモソヒメが第百代の日巫女を襲名。第101代目の日御子は表がヤマトトトヒメ、裏がヒコフツオシノマコトだとにらんでいます。まさに101人目の日巫女をもって、表の歴史から姿を消したとみています。
2021.08.04
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たった5日間のパリ滞在でしたが、およそ150年分の文学・芸術史が詰まったパリを堪能しました。そして、1月6日の朝。イギリスに戻る日がやってきました。窓から春を思わせる柔らかな朝の光が差し込んできます。お世話になった「19世紀の部屋」ともお別れです。四角い窓からは、いつものように、パズルのピースのように切り取られた空が見えていました。 その後二回パリを訪れましたが、常に根底にあったのはこの1981年のパリの5日間です。私の中のパリの基準点となり、ここからどこの時代にも飛んでゆけるようになっています。 パリを発つのは名残惜しくありましたが、何と言っても、翌7日からは授業が始まりますからね。そんな感傷に浸っている暇も余裕もありません。早く戻って、授業の予習をしなければなりません。 宿屋の女主人にお礼と別れを告げて、今や第二の故郷となったイギリスへと向かいます。ボルドーからカンタベリーまでのチケットを使って電車でカレーまで出ます。そこからフェリーに乗り換えて、イギリス人がドーヴァー海峡と呼ぶカレー海峡(Pas de Calais)を渡ります。やがてはっきりと見えてくるのは、ドーヴァーの白亜の壁「ホワイト・クリフ(White Cliffs of Dover)」です。イギリスを侵略から守ってきた、自然の防璧ですね。高さ110メートルにも達する断崖絶壁になっています。その断崖が途切れた場所にあるのがドーヴァーです。ドーヴァーから後は、いつも通りのルートですね。カンタベリーの駅からケント大学のダーウィン・カレッジまで近道を早歩きして20分ほどです。 午後4時までには寮に到着していたと思います。預けていたスーツケースを受け取り、再入寮の手続きをして、自室に戻ります。 一か月近くに及ぶ長い旅が終わりました。ぎっしりと体験の詰まった旅でした。その疲れを癒すため、シャワーを浴びてベッドで夕寝することに決めました。午後6時の夕食にはまだ時間があります。それまでは、しばしの休息をとることにいたしましょう。そして、いつものように、まどろむ間もなく、深い眠りに落ちておりました。 (続く)
2022.02.22
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前回のルイス城から見た風景写真から簡単に説明しましょう。城郭の向こうに「白亜の断崖」と称されるホワイト・クリフが見えています。そして、こちらがそのルイス城の本丸。丘の上にある中世のお城で、モット・アンド・ベーリー形式で建造されています。 モットは小山という意味で、小山の上に木造や石造の天守(城郭の本丸にある最大の櫓)を置くとともに、丘を塀で囲んで、その外壁に囲まれた領域(ベーリー)に貯蔵所や住居などの施設が作られた形式をモット・アンド・ベーリーといいます。 11世紀ごろノルマン人によるイギリス征服とともに、造られるようになりました。 ウィンザー城もこの形式で造られています。上の写真は、おそらくルイス城の門ですね。若き日の筆者です。ルイス城は小山が丘の上にありますから、写真のように非常に見晴らしがいいんですね。 私がよく取り上げるマールボロ城もこの形式の中世のお城ですが、そのお城の天守が建造された小山(マールボロ・マウンド)は4500年前の人造丘であったことがわかっています。詳しくは『巨石文明 超テクノロジーの謎』(河出書房新社刊)をお読みいただければと思いますが、8月に出版される『最古の文明 チュメールの最終予言』でも言及があります。 それはそれとして、素晴らしい眺めですね。 360度のパノラマが広がっておりました。
2022.07.29
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久しぶりに夕暮れ時の写真。黄金色に染まる海が何とも綺麗です。点のように見えるのが、茅ケ崎沖の烏帽子岩ですね。姥島(うばしま)とも呼ばれます。烏帽子そっくりですが、戦前から戦後にかけて演習場の射撃、砲撃の的にされ、先端が欠けてしまったとか。ハワイのマウイ島沖に浮かぶ三日月形のモロキニ島も、一時期米軍の砲撃の的にされていたことを思い出します。人間は放っておくと、すぐ自然を破壊する生き物ですね。どこかの無人島に隔離しておくべきかも。その無人島が地球だったりして・・・。ただの独り言です。
2023.06.23
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今日は降ったり止んだり晴れたりと、まるでイギリスのような天気です。で、原稿が書き終わったので、写真を整理していたら、カワラヒワの写真を撮っていたことを思い出しましたので、ご紹介しましょう。こちらです。この建物の屋上で休んでいるのが、カワラヒワです。拡大すると、こうなります。肌色の太めのくちばしと、翼の黄色い斑が特徴です。名前の通り、河原に生息するヒワ(アワやヒエを食べる鳥)です。たまたま目の前に来たので撮影しました。
2023.08.22
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今月8日にシンガーソングライターの谷村新司さんが亡くなられたというので、ここで哀悼の意を表するとともに、谷村氏にまつわる話を少し語っておきましょう。 1982年、共同通信社の最初の赴任地だった富山支局で、まず覚えなければならなかったのは、実はカラオケでした。当時はカラオケ隆盛の時代。警察官や取材先との飲み会でも二次会までにはカラオケが設定されることが多かったように記憶しています。 学生時代は勉強と部活で忙しくて、カラオケ店には一度も足を踏み入れたことはなかったと思いますが、仕事上、そうはいかなくなりました。 で、何か歌えるものがないかなと思って、最初に選んだ歌が谷村新司の「昴」だったんですね。別にレコードをもっていたわけでも歌ったことがあったわけでもなかったのですが、なんとなくメロディーはわかっていたので、即興的に歌いました。 それ以来、何度か「昴」を歌うことになったのですが、それだけでは芸がないということで同じ谷村新司の「22歳」をレパートリーに加え、安全地帯の「ワインレッドの心」まで歌えるようになりました。 当時、共同通信には次のような川柳も流行っておりましたので、記録のために記しておきましょう。 「滞留人事 カラオケばかりが うまくなり」 それはともかく、谷村新司の「昴」は、実は宇宙人からの啓示を受けて作詞作曲をしたのだということを、あとになってから知りました。確か「次から次へと言葉やメロディーが降って来る」と言っていたように記憶していますから、まさに私が本を書くときと同じような状態に谷村さんもなっていたことになりますね。 その際、私の場合は、「啓示」をうまく受信出来て、何とか合格点をもらえると、虹が出るようになっているわけです。ノアの箱舟の「契約の虹」と基本的にパターンは同じです。 で、私が言いたいのは、実はこのような宇宙からの啓示は誰もが受け取れるようになっているということです。降り注いでいるのに気付かないだけです。 降り注ぐ秋の陽光に輝く緑の葉の中に、「啓示」はあります。だから、ただ、気づけばいいのです。 それがオカルトの神髄です。それを団体や個人に盲従的に頼るのがカルト。 カルトとオカルトはまったく対極にあるモノです。単純に言えば、心の目を見開くのがオカルト、目を閉じるのがカルト。自分で判断して見つけるのが正しいオカルトであると思っています。本来なら、既存の宗教に頼る必要はまったくないのです。 オカルトの神髄を表した詩もあります。何度か既に紹介していますが、再度ここに記しておきましょう。 Auguries of Innocence (By William Blake) To see a World in a Grain of Sand And a Heaven in a Wild Flower Hold Infinity in the palm of your hand And Eternity in an hour 「無垢の予兆」(ウィリアム・ブレイク作) 一粒の砂に世界を見て、 野の花に天界を知る 手の平には無限があり、 一瞬には永遠がある 「オカルト人生の胎動」とは、まさにこの「無垢の予兆」を指していると考えることもできます。オカルトの世界に入るゲートがここに見事に描かれているのではないでしょうか。 (続く)
2023.10.19
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夕陽が静かに沈んでゆきます(写真は12月29日の夕日)。今年もあと数時間。時があっという間に過ぎていきますね。ところで、やり残したことがあったので、ここで記しておきます。実は今年2月21日にテレビ東京が放映した番組「世界が騒然! 本当にあった衝撃ファイル」で、1985年に全日空の機長が四国上空で全長数百メートルという巨大葉巻型UFOを目撃、他の航空機や管制塔もそのことを把握していたということを紹介しておりました。その番組。この番組放映時、私はちょうど『UFOと交信すればすべてが覚醒する』(河出書房新社)の最終校正作業中で、無理をすれば後付けの「UFO関連年表」に挿入できるなと思ったのですが、調べている余裕がなくて、断念してしまいました。しかし後になって、その判断が誤りで、無理してでも年表に入れておくべきだったことがわかります。この全日空機長UFO母船目撃事件が非常に重要な意味を持っていたことが判明したからです。つまり目撃の日にちが1985年10月8日だったことです。そう、ちょうど1986年11月17日に日航機長がアラスカ上空で巨大UFOと遭遇した事件のほぼ一年前に、全日空の機長が巨大UFOと遭遇していたことに大きな意味があるわけです。後付けの年表(202ページ)をご覧ください。最初に1984年12月18日に水産庁の調査船「開洋丸」が大西洋南西部のアルゼンチン沖でUFOを目撃します。その次が、約10か月後の1985年10月8日、全日空機長(乙訓昭法氏)が四国上空で葉巻型UFOに遭遇した事件です。しかもこの日には、東日本や西日本各地でUFO群が目撃される異常事態が起きていました。乙訓昭法機長だけでなく、東亜国内航空の4機の機長、日航機長、自衛隊機のパイロットら計13機がUFOと遭遇、地上でも甲子園球場などで多数が目撃していたんですね。時間は午後7時52分ごろから56分ごろまでです。その時の事件の内容はこちらのサイトが詳しいのでご覧ください。→主なUFO事件 | Aerospace News Agency Sapporo - パート 10同時刻に日航の秋元機長、TDAの前川機長らも同じ葉巻型母船を目撃していた可能性が高いことが地図からわかりますね。そして1986年11月17日に日本航空の寺内謙寿機長らがアラスカ上空でUFOを目撃。さらにその一か月後の1986年12月21日に開洋丸が中部太平洋のウェーク島そばで巨大UFOに遭遇、レーダーにもその機影が捉えられるという事件が起きたわけです。つまり1984年から86年にかけての一連のUFO遭遇事件は、意図的に、地球人、とくに日本人にUFOの存在を知らせるために目撃させていた一大イベントだったことが推定されるわけです。ということで、202ページの年表には、「1985年 全日空機長ら四国上空で葉巻型UFOに遭遇。ほか13機がUFO目撃、地上の目撃も多数(10月8日)」を挿入していただければと存じます。乙訓(おとくに)機長は当時このことをあえて公にはしませんでしたが、退官後の2006年1月17日、岸和田健老大学の講演会でその詳細を明かしました。その際、乙訓氏が描いた葉巻型UFOがこちらです。これはまさに『UFOと遭遇すればすべてが覚醒する』の99ページで紹介した河口浅間神社の葉巻型母船の見え方と同じであることがわかりますね。最初は一つの灯しか見えないのですが、横を向いたときに前と後ろに光源が二つあることがわかるわけです。母船の周りには何機もの小型UFOをはべらせて、船体には窓があったとまで乙訓機長は言い切っておりました。全日空機のやや上空を信じられないようなスピードで太平洋の方へ飛び去ったと証言しています。「全長は200~300メートルと思うが、2キロとも思われる」と記しています。ところが、当時このように信頼のおける人たちによる詳細な巨大UFO目撃の証言があるにもかかわらず、当局(日本LATとNORAD)が「旧ソ連が9月26日の人工衛星の打ち上げロケットの残骸説」を発表したことから、多くの人はそちらの方を信じてしまったわけです。寺内機長の目撃を「星を見間違えたのだ」と曲解する自称専門家の人たちも同様にふざけています。そもそもUFOを見たこともないのに、既存の物や現象で説明しようとするから、このような変な説が出回ってしまうのです。UFOを見たことがない人にUFOの解説をさせるのは、近代科学を知らない原始人に飛行機の説明をさせるようなものなのです。「大きな鳥が音を立てて飛び去った」としか彼らは説明できません。「星を見間違えたのだ」とか「打ち上げロケットの残骸だ」と言うのがせいぜいなわけです。乙訓氏の講演会の様子はこちらをご覧ください。乙訓昭法 - 検索 画像 (bing.com)さて、それはともかく、良いお年をお迎えください。
2023.12.31
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5月20日。この日は、オーバンから北上し、カイル・オブ・ロハルシュ(Kyle of Lochash)の大橋を渡って、スカイ島に上陸。この島には二泊します。スカイ島では、北東部にあるポートリ(Portree))という町で、食料を調達します。これがポートリーの街中。港に近い町で、高台からは海が見えます。ここで食料を調達したのは、実は翌日の「絶海の孤島ツアー」のためのお弁当の材料を買い込むためでした。孤島では飲料水を含め食料品は手に入らないからです。宿泊先のチェックイン時間にはまだ時間があったので、二日後にフェリーに乗る予定の港まで足を伸ばします。岬の中ほどに見えるのが、スカイ島の北の港ユーイグ(Uig)です。綺麗な緑と青ですね。右端に見えているのが、港です。(続く)
2024.06.22
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今日はスコットランドの旅ログはお休み。梅雨入りしたこともあり、紫陽花の写真をご紹介します。全部ガクアジサイですね。それぞれ名前がついていますが、忘れました。本当にいろいろな園芸種がありますね。今日は梅雨の季節の花をご紹介しました。
2024.06.23
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