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日の出。まさか元日に奥能登が震災に見舞われるとは思いませんでした。東経137度11分の子午線(羽根ライン)もひどく揺さぶられたようです。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
2024.01.02
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17歳の夏に経験したイギリス語学研修旅行――。 記憶にはまったくなかったのですが、当時私は日記を書いていました。 それによると、朝日イブニングニュース社主催の英語研修旅行で、1975年8月3日にイギリスに到着したようです。初日の日記には次のように書かれています。 8月3日 18:30 プールアカデミア校の本校に到着。食堂で明日の登校についての説明(英語で)したのち、(ホストファミリーの)各家庭にそれぞれタクシーで分散。 19:30 (ホストファミリーの)家庭に到着。部屋に荷物を置いてすぐ食事。食事は暖かいものといえば紅茶くらいで、あとは缶詰のビーフとハムとサラダ。とてもあっさり。食後、家族と居間で雑談。「日本は共産主義国家なのか」と聞かれて驚く。家族の人たちはとても親切で、ゆっくりわかりやすく英語を話してくれる。しかし、普通に使う彼らの英語は速くて少しもわからない。彼らは「4人と半分家族」だそうで、16歳の女の子(シルビア)、12歳の男の子(マーク)がいる。ミセスはドイツの人で、ミスターはロンドンっ子。ミスターはいつも歌を歌っていて、ジョーク好き。そして残りの「半分」というのは、嫉妬深くて、賢くて、英語とドイツ語をマスターしているという「Coco」という犬で、家族の人気者。といっても、いつもビスケットを狙っているので「乞食犬」という別称を持っている。次に書くのは、その家の見取り図。 またほかに、「ペピー」という小鳥と、「ダニー」という黒と白のまだらの猫がいて、この猫は食べる時と寝る時以外は家に帰ってこないのだそうだ。Cocoはペピーに嫉妬している。 表の芝生はとてもきれい。裏の庭は「マークのサッカー場」と洗濯物を干すところ。裏の小屋にはいろいろな道具やバドミントンや卓球のラケットなどの遊ぶものが山のように詰まっている。ちょっとした道具室。その日はくたびれていたので、すぐに寝る。 ここまでが初日の日記です。結構、細かいことまで書いていますね。こんな日記を書いていたとは驚きました。 詳しく書いてくれたおかげで、当時の記憶がまざまざと蘇ってきます。ホストファミリーの人たちは本当にいい人たちでした。 懐かしいです。今はどうしているのでしょうね。 (続く)
2023.03.19
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ラフドラ原稿を書き終えたので、とある取材を兼ねて、久しぶりに富士山へ。最初は曇っていたのですが、途中から晴れました。何の取材に行っていたのかは、今度お話しいたします。
2023.01.19
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それにしても何回見ても凄い写真です。こんなにはっきりと霊的な写真を撮影することができるということは、撮影者にもかなりの霊的な能力があることを示しています。 撮影者である担任のO先生は、並々ならぬ霊能力を持っていた可能性も浮上してきます。 逆にいうと、だからこそ意図的に、私が撮った写真を霊的な写真ではないと否定したのかもしれませんね。私がそちらの世界に深い入りすることがないように配慮したというわけです。もう亡くなられてしまったので、今となっては確認できませんが、私の質問に答える前に、少し躊躇していたO先生の顔が浮かんできます。 しかもこの集合写真は、私が見た集合写真の中でも飛びぬけて素晴らしい写真なんですね。 私を含めてみんな本当に楽しそうにして、笑顔が写真から飛び出し溢れてきます。 この最高傑作の写真に、霊的なものが写り込むということはどういう意味があるのでしょうか。 そこで秋山氏に写真を見せて聞いてみました。 「いい写真ですね。屈託のない笑顔がはじけています。ああ、確かに龍の顔みたいのが写っています。面白いですね。おそらくこの場所に関係のある霊的なものが写っているように思います」と秋山氏。 早速、その場所を調べてみました。 場所は、神奈川県横浜市と東京都町田市の境にある「こどもの国」。 太平洋戦争当時、日本軍最大規模の弾薬製造貯蔵施設があった場所を、戦後の1959年に当時の皇太子(昭仁)の成婚を記念して整備、1965年5月5日に「こどもの国」として開園した総合的な児童厚生施設です。 何と戦争のための弾薬庫があった場所なんですね。しかも地名に奈良町、三輪町などニギハヤヒと関係する大和国の地名が並びます。1944年には学徒動員による填薬(薬莢に火薬を詰めること)作業が始まりましたが、その際、動員された学徒を移動させていたトラックが川へ転落、死傷者が出る事故や、翌45年にはゲート近くの広場で弾薬運搬中の爆破事故が発生、死傷者が出るなど悲しい事故も起きています。 そういう歴史を知ったとき、写真の意味もわかってきます。戦争によって傷ついた場所を子供たちの笑顔によって癒すという意味合いがあったわけですね。屈託のない子供の笑顔に勝る癒しの力を持ったものはそうありませんからね。 おそらく白龍は、子供たちの純真さを象徴する守護神だったのではないでしょうか。白龍は私たちの笑顔を使って、その土地の悲しみや、土地に沈む霊たちに光を当てて、癒していたように思うんですね。ご存知だと思いますが、三輪山の神は白い大蛇(白龍)です。 だからこそ、あのような素晴らしい写真が撮れたのではないかと思っています。 (続く)
2022.11.27
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昨日(6月24日)は空が賑やかでした。最初は、クジラの尾を付けたような巨大な雲が頭上を通って行きました。次に吊るし雲たち。結構、派手に雲が飛び回っています。そして、三角形のような雲が登場。これもよく見ると、3段の吊るし雲ですね。最後は、このような羽根もしくはブーメランのような雲も出てきます。見ていて飽きないUFO雲たち。そうそう、昨日はUFO記念日でした。あと3日ほどで脱稿となる見通しです。
2022.06.25
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ここでフュッセンの紋章についても触れておきましょう。 フュッセンの紋章は、三脚巴という珍しい紋様です。こちらがその紋章。 三脚巴紋は、3つの渦巻きの組み合わせか、膝を直角に曲げた足が3本、脚の付け根を中心とした風車のように配置、組み合わせられた図形です。奇妙奇天烈な形ですね。NHKの大河ドラマ「いだてん」でも使われました。 実はこの紋章、トリスケリオン、またはトリスケルと呼ばれる伝統的な紋様で、フランス・ブルターニュやイギリスのマン島、それにイタリアのシチリア島などでも使われているシンボルです。その起源は諸説ありますが、古代ヨーロッパに散ったケルト文化の影響を受けたのではないかとみられています。ただしそのケルト人たちは、さらに2000年以上古い「ダーナ神族」とケルト神話に語られている人々の影響を強く受けています。その神族が巨石に刻んだとされる文様がこちらです。 アイルランドのニューグレンジの巨石遺構に刻まれた三つの渦巻き紋様です。約5000年前の遺跡です。後にケルト人が使った渦巻き型三脚巴の原型であったとみられています。 それが巡り巡って、ドイツのフュッセンの紋章につながったのかもしれません。ちなみにフュッセンの三脚巴には次のような意味が込められています。 「勤勉、正直、親切。この3つがあればしっかり地に足をつけて立てる」 ドイツ語では足の複数形がフュッセンとのことですから、三つ足の町ということでしょうか。三つの足でバランスを取れということになりますね。 一方、三脚巴を「紋章のシンボル」に使っているマン島のモットーは、次の通りです。 QUOCUNQUE JECERIS STABIT 「投ぐればいずくにでも立たん」 これも三つの立場とバランスの関係を表わしているように思われます。 日本でも八咫烏の足が三本であることと、深い関係があります。日本神話でも、アマテラスの日向族とスサノオの出雲族という二つの立場とは異なる第三の立場を八咫烏(カモタケツノミ)が担っていると考えられますが、これはまた別の機会にお話ししましょう。 (続く)
2022.05.17
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4月17日。久しぶりに虹を見ました。ちょっと薄い虹でしたが、写真に捉えたのは、2020年4月18日以来二年ぶりでしょうか。私の場合は、本の出版と関係があります。2020年は出版ラッシュの年を告げる虹でした。では、今回は・・・?まだ秘密ですが、あるプロジェクトが昨日(21日)始まりました。形になりましたら、まとお知らせいたします。
2022.04.22
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リヒテンシュタインで一緒にスキーをしたクリスティーヌはハノーファー(Hannover)かシェーニンゲン(Schöningen)で暮らしていましたが、スコットランドで出会ったクリスティーヌは同じドイツでも当時の西ドイツの首都ボン(Bonn)で暮らしていました。 ボンのクリスティーヌともその後、何度か手紙のやり取りをしています。その一通がこちらですね。 彼女も写真を撮るのが好きで、お互いに自分が撮影した写真を交換したように思います。手紙には、彼女も旅行が好きで、ギリシャに行った話やいつか日本に行こうと思っているというような旅行関係の話を書いてきています。私が出会ったときは既に働いていましたが、職業については詳しく語ってくれませんでした。何となく政治家か会社役員の秘書的なことをやっているような感じの女性でした。 さて、マルブンで楽しくクリスティーヌとスキーをした後、約束通り宿屋の主人が迎えに来てくれました。至れり尽くせりですね。とりあえずこれで、欧州で春スキーをするというミッションは終了しました。その日の夕食が何だったかは覚えていません。 3月29日の日曜日。リヒテンシュタインを離れてオーストリアに向かうことに決めました。ヴァドゥーツの隣のブフツ(Buchs)の駅までクリスティーヌが車で送ってくれました。ただ、クリスティーヌの車に乗って驚いたことがあります。何と方向指示器が故障しているんですね。それではどうやって後続の車にどちらに曲がるかを知らせるのかと言うと、彼女がブレーキを断続的に踏んで、止まるらしいことを後ろの車に感づかせて、私が窓を開けて腕で右に行くか左に行くかを知らせます。 私がいないときは自分で窓を開けて、合図をしていたようです。なんともハチャメチャな運転ですね。それがまかり通ってしまうところが凄いです。何はともあれ、無事に駅まで送ってくれたクリスティーヌに感謝して別れました。 ブフツからは鉄道で東に向かい、オーストリアの首都ウィーンを目指しました。しかも記録によると、夜行列車を使っており、翌3月30日朝にウィーンに着いたことになっています。当時の時刻表がないので、一体何時ごろの電車に乗ったのかがわかりません。私の記憶が正しければ、電車は生憎満員で、通路で寝るしかありませんでした。しかも、トイレに近い通路しか開いておらず、リュックを枕替わりに、体を丸めて寝たように思います。これまでで一番つらい車中泊でしたが、それでも疲れていたのでぐっすりと眠ってしまいました。 車窓からはインスブルックなどオーストリア西部のチロル地方や、中北部のザルツブルクの風景が広がってうっすらと見えることもあったのでしょうが、すべてが深い眠りの中でした。 (続く)
2022.04.14
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再び河津桜。桜の花が散って、若葉が出てきていますね。三寒四温のように、温かい日と寒い日が交互にやって来ますね。昨日はムーの編集長と打ち合わせ。再び何か書くことになりました。既にお知らせしたように、まずは3月9日発売のムーに「むっちゃん追悼記事」が掲載される予定です。
2021.02.27
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この鳥居をくぐって、湯殿山神社の本宮へと向かいます。薄曇りですが、紅葉がきれいです。湯殿山はちょうど紅葉の見ごろという感じでした。朱塗りの橋を渡ります。ちょうどこの辺りが中間地点でしょうか。しばし、色鮮やかな木々を見ながら、休憩いたしました。(続く)
2020.11.15
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ようやく目途が立ってきました。『オアスペの謎を解く!』のほうは、おそらく来週見本が出来上がりそうです。『しきたりに隠された日本人の呪力』の見本ができて、家に送られてくるのは、15日ごろでしょうか。表紙はまだ決まっていませんが、「狐の御面」になりそうとか。なかなかよさそうですね。これも出来上がったら、お知らせしますほぼ同じ時期に二冊が出版されます。それぞれ面白いですよ。「オアスペ」は、スピリチュアリズムに関心のある方はぜひ読んでください。これを知っているのと知っていないのとでは、人生を生きるうえで大きな違いが生じます。オアスペを読めば、自分の人生をかなり達観して見ることができるようになります。本文にも書きましたが、将来的にはぜひ原文を読んでください。今回の本は入門編であると同時に、かなり掘り下げて、事象をわかりやすく解説してあります。我々以外の誰かがもしこういう本を出してくれたら、真っ先に私が買っていたでしょう。「しきたりの呪術」は、とても為になります。普段何気なくやっている所作や繰り返している風習に、そのような呪術的な面があったのかと気づかせてくれるのがこの本です。ご先祖様の知恵は侮れませんね。オカルト的な教養書と言ってもいいかもしれません。神社のお参りなども、この本を読めば、全く新しい観点からできるようになります。是非試してみてください。実はそうこうしているうちに、次の本の執筆が始まっています。それも追々お知らせするとして、今日ご紹介するのは、雲です。まるで豊雲神の行進です。巨大な雲の塊が、次から次へと通り過ぎてゆきました。
2020.06.05
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4月18日午後5時48分ごろ、綺麗な虹が出ました。180度の弧を描く虹です。よく見ると、二重の虹になっていますね。この日はちょうど、次の次の次の本を書き始めた日でした。そちらはまだ企画は通っておりません。次の本とその次の本は六月に出版される予定です。一つはもう最終校正済み。もう一つは連休明けから校正作業に入ります。タイトルや出版予定日等が決まりましたら、またお知らせします。二年前に出る予定になっていた新装版の『誰も知らない世界の御親国』も、ようやく出るかもしれません(ただし出版社の都合でまた延期になる可能性あり)。大きな書店も閉店しているようですが、それにもめげずに、とりあえずこれから「出版ラッシュ」となる予定です。
2020.04.29
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今日の写真は江の島から撮影した富士山です。矢倉岳が近くに見えますね。これから怒涛の校正作業が始りますので、しばらくブログのアップはできません。一段落したら、イタリア旅行のブログを始めようと思っております。
2020.01.20
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10月2日の午後12時半ごろ、我が家に珍しいお客さんが来ました。我が家と言っても、来訪したのは我が家の屋根です。こちらがその珍客さん。普段見慣れているトンビとは明らかに違います。そこで正面に回り込んで撮影。面構えや佇まいが全く違いますね。実に堂々としています。これはチョウゲンボウですね。変わった名前ですが、トンボの方言ゲンザンボーが由来ではないかとの説があります。滑空しているときの姿を下から見ると、トンボのように見えるからだ、とか。以前、ノスリをご紹介(2015年2月16日)しましたが、チョウゲンボウは初めて。私が撮影しているのに気づいて、こちらを見下ろしていますね。コンパクトカメラで撮ったので、画質はよくありませんが、チョウゲンボウの顔を拡大。全く驚く様子もなく、最後まで堂々としておりました。
2019.11.17
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私の著書やこのブログでも何度か取り上げた、19世紀の奇書『オアスペ』について、ちょっと語っていきましょう。1882年に出版されたこの本は、アメリカの歯医者ジョン・ニューブローが天使の啓示を受けて書いたとされている壮大な地球の歴史物語です。キリスト教文化圏の人らしく、『聖書』の別解釈がそこには書かれています。もちろん本当かどうかはわかりません。だけど、一度読んだらやめられなくなる面白さがそこにあります。そして、そこに描かれているのは、まさに「竹内文書」的世界です。竹内文書では、もともと地球の神様は宇宙から来たことになっています。それも「天の日球の国」からおそらく天空浮船に乗って、大挙して地美(地球)にやってきました。神々は、日本の飛騨に天孫降臨します。で、その神は飛騨・位山に「地の日玉の国」を建国し、五色人の棟梁となり、地球を統治します。オアスペもまさにそうなんですね。宇宙全体を司る「創造主」が住むエーテリア界の天国から、コーポリアル界(物質世界)にある地球に人間を誕生・進化させるため、大天使(あるいは神)が天使の大船団を連れて赴任します。創造主から「地球の神」に任命されたその大天使セザンテスは、パン大陸(その残骸が日本)の上空に「ホアド」という地球の天国を築き、地球の5大陸・地域を担当する首長を決めて、彼らと一緒に地球を統治するんですね。で、竹内文書ではこうなっています。五色人の棟梁である神(天皇)は、天空浮舟に乗って五色人の住む万国を巡回した、と。セザンテスも炎の船に乗って地球を巡回、5大国の首長をたずねて、現状の報告を受けます。さらに言えば、地球に最初に偵察にやってきたのは、竹内文書では「ホドノ神」と書かれているのですが、セザンテスらはホアドの神でもあります。場所や名称など、ほとんどパクリと言っていい位、似ています。竹内文書が竹内巨麿にわたったのは、1892年とされていますから、1882年に出版された『オアスペ』を参考にして竹内文書が書かれた可能性はあります。でも、実際問題として、『オアスペ』のような、ほとんど知られていない本が当時、日本に紹介されていたとは思えません。もう一つの可能性として、ほぼ世界同時発生的(あるいはシンクロニシティ的)に、このような歴史が語られ始めたということも考えられるんですね。次回はその可能性について、考察していきましょう。(続く)
2019.04.03
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太陽に住むという伝説の八咫烏(ヤタガラス)。その伝説のカラスを捉えた写真です。といっても、いつものお気に入りの場所で羽を休めているカラスを、夕陽を背景にして撮っただけですけどね。いいモデルになってもらっています。日本の八咫烏は太陽信仰の女神(アマテラス)の孫(アヂスキタカヒコネ、別名タケツノミ)ですから、やはり太陽とは切っても切り離せない関係にあります。カラスと太陽は深い因縁で結ばれているようです。写真は今年の2月24日に撮影しました。
2019.03.24
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高尾山に詣でる一日前の昨年11月28日。久しぶりに神代植物公園にバラを愛でに出かけました。バラがきれいに咲いていますね。四季咲きのバラを多いので、一月でも咲いているバラもあります。この日はたまたま公園の近くに住んでいる友人に電話をしたら、御一緒することができました。そうしたあれよあれよといううちに丹後旅行の話がまとまり、その人と12月に丹後を旅することになったんですね。これもすべて法隆寺・聖徳太子のご縁です。澄み渡るような秋の空ですね。
2019.01.28
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北西、南と来て、今日はストーンヘンジの南東に広がる風景です。弧を描いている手前の土手と溝は、ストーンヘンジのヘンジを描いたと思われます。右奥の地平線に見える塔がソールズベリー大聖堂で、中央左の地平線にキング・バロー、左端にもT・バローと書かれているように見えます。キング・バローはおそらく、今日オールド・キング・バローと呼ばれている古墳群です。その右に20世紀になって発掘されたニュー・キング・バロー古墳群があるのだと思われますが、描かれていません。さらにその右には、これも1970年代まで航空写真が撮影するまでわからなかった、紀元前2700年ごろに建造されたコーニーベリー・ヘンジが隠されています。つまり、ストーンヘンジの周りには、ステュークリーも気づかなかったような遺跡があちこちに点在していたわけですね。そうであっても、古墳などの多くの遺跡群がストーンヘンジの周辺にちりばめれていたことが、ステュークリーのイラストからも偲ばれるのです。
2018.04.07
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久しぶりに葉山の海岸に行ってきました。もう海岸はヨットで賑わっています。左奥には雲を被った富士山が見えますね。ヨットの帆で隠れていますが、江の島が見えて、その右側には大山と丹沢山地が広がっています。お正月の海の風景でした。
2018.01.06
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船の錨(いかり)のような雲です。ハンマーヘッドシャークの頭の部分にも似ています。錨ならば、ちょっと停泊して一休みしなさいという意味かもしれませんね。
2017.11.30
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大きな雲を牽引しているような雲。小さな、細長い雲が、まるで機関車のように右側の大きな雲の塊を引っ張っているように見えますね。
2017.11.16
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カラニッシュ4の後、7と5を見つけに反対側の丘を登って行きました。最初に見つけたのは、カラニッシュ7。居住用に使ったと思われますが、いつの時代に造られたものかはわかっていません。入り口から反対側が見えます。通気はよさそうですね。さらにカラニッシュ5を探すために丘の上に登ります。すると羊が群れになって不審者である私に突進してきます。上の写真の羊さんたちですね。私が何食わぬ顔をして写真を撮り続けていると、羊たちは元の場所へと戻って行きました。丘の上から見回しても、結局カラニッシュ7しか見当たりません。カラニッシュ5はあきらめて、次の巨石を探すことにしました。(続く)
2013.07.17
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5月26日はロッホ・インヴァ―からロッホ・ロモンドまで、長距離の移動でした。まずはネス湖を通過します。途中、ちょっと車を止めて、ネッシーがいないかどうか、探索。今日はいないみたいですね(笑)。そして午後4時ごろ、無事目的地であるロッホ・ロモンド(ロモンド湖)に到着。時間があったので、近くにショッピングに。ロモンド湖でボート遊びなどして、みな楽しんでいるようでした。夕食後、宿泊したゲストハウスの向かいにあるロモンド湖まで散策します。そこで出会ったのは・・・ロモンド湖畔の住人さんでした。(続く)
2012.11.10
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本日の夕日です。こちらでも風の禊があり、夕焼けは綺麗に映えました。富士山の上には、巨大な母船のような雲が出ています。日が沈んだ後は、いつものように青い富士山が現れました。本日、『竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド3』の初稿を仕上げ、出版社に送付しました。これから、校閲などいろいろな作業に入る予定です。長らくお待たせいたしました。これで少し時間が空きましたので、イギリス巨石めぐりの旅のブログも再開できそうです。
2012.11.01
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昨日、ファラ選手の頭の上に出ている光の玉をオーブではないかと書きましたが、気になってその後、AFPの写真データベースにアクセスして、何百枚もの写真を調べてみました。そうしたところ、かなりの同じような光の玉が写り込んでいることがわかりました。そのうちの何枚かはスタンドの同じ場所が光っていると解釈できるものでした。最初にご紹介した「元気玉」に関しては、あまりにも輪郭や内部の構造がはっきりしているため、オーブの可能性は残っています。ただしほかの二枚に関しては、スタンドの光源が写り込んだものであることも否定できません。私のモットーは、「偏見を持たず盲信もせず」ですから、すべてをオーブであるとは断言できません。現時点では、結論は保留ということにしておきます。近日、写真の専門家の方にも意見を聞いてみようと思っています。
2012.08.14
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私たち11人の観測者は「UFO出現」の第二波として30日午前0時35分ごろから同0時50分ごろまでの間、動く星とオーブ、飛行機に擬態したような葉巻型母船とみられる飛行物体、それにフラッシュを焚くといきなり出現して光って見せる「星」たちを目撃。それらの「UFO」に半ば仰天しながら、各人勝手に観測や撮影を続けていたわけですが、その後、気配が静かになり、雑談タイムとなります。私はその時までに、北斗七星、カシオペア、北極星、プレアデスかうお座、四角い星と連星、星形(ヒトデ型)などに配置したオーブ並びに動く星(UFO)を撮影していました。そのとき秋山氏は、自分の故郷の星であるカシオペア座のそばからUFOが来ていると感じると観測者の一人である出版社の人に当時語っていたそうですから(後日取材で確認)、カシオペアが写った撮影結果と奇しくも一致するわけです。さらに面白いことに、こうした星座の形が私の撮影した写真に写っていることを知らないときからすでに秋山氏は「今回(の観測会)は強大な母船UFOが目の前に現れるというより、それぞれの星系からUFOがやって来て、それぞれの観測者を癒している感じだな」と述べていたことです。これは観測会当日に秋山氏が実際に発言したのを私も聞いています。すると、私が撮影した「星座の形に配置されたUFO」たちの写真は、まさに11人の観測者の故郷の星々の星座と関係がある可能性が出てきますね。実は私がたまたまはっきりとした星座だと思って写真からスケッチした図も11ありました。北斗七星、カシオペア、北極星、プレアデスかうお座、連星と四角、星形の星座ほかに、白鳥座、椅子の形をした星座(ペガサス座?)、逆正三角形、扇形の星座(帆座?)、正三角形の11星座です。もちろん同じ星系から来た人もいるでしょうから、すべてが一対一に対応しているとは思えませんが、奇妙な偶然の一致です。それぞれの観測者が撮影したオーブの形や大きさ、色が違うわけも説明できそうです。つまりそれぞれの観測者の故郷の星と特に関係のあるUFOを写していたかもしれないからです。秋山氏の故郷の星がカシオペア座と関係があるのなら、私の故郷の星はどこと関係があるのか、写真を見ながら感じてみることにしました。これはあくまでも私の直観ですが、北極星、連星と四角、プレアデスとみられる星座と何か関係があるような気がしました。それらの写真だけ、特に鮮明に写っていたこともその理由の一つです。その後、UFO観測は午前1時10分から同15分ごろまで、第三回目の盛り上がりを見せます。私がその時に撮影した「星座の形に配置されたUFO」は、白鳥座、椅子型の星座、逆正三角形でした。その後再び、静かになりました。そしていよいよクライマックスがやってきます。(続く)
2012.08.08
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忘れないうちに、山中湖のそばで開催されたUFO観測会の詳報を記しておきましょう。7月29日夜から30日未明にかけて、富士山の見える、とある素敵な場所で観測者11名が集まって、和気あいあいとした雰囲気の中で行われました。午後11時12分ごろ。観測者の一人が撮影した写真にオーブが写ります。それを聞いた秋山氏が「もう(UFOが)来はじめているかもしれませんね」と言います。これをきっかけにして、観測者のほぼ全員が写真撮影を開始。すると、撮る写真撮る写真にオーブが写り込んでいます。観測者の中にはオーブを肉眼で見つけられる人がいたので、私もその人の指示に従ってオーブがいるとみられる方向に向かって写真を撮ると、確かに写っています。ぼんやりとしていますが、オーブが写っておりました。このとき、私を含めて何人もがオーブの写真撮影に成功するのですが、面白い現象が起きます。それは各人によって、オーブの写り方がまったく違うんですね。ある人が写したオーブは、画面の半分くらいの大きさに写り込み、まるで薄い泡のように写ります。別の人が写したオーブは、大きさは私が撮影したのと同じくらいですが、白く輝いています。またもう一人の人が撮影したオーブの中心には、「グレー」らしき顔が写り込んでいるようでした。15分くらい撮影したでしょうか。オーブの数が少なくなってきたことから、それぞれまた、席に戻って談笑を続けました。その間私は、秋山氏になぜUFOがオーブのように写るのか、問いただします。すると秋山氏は「UFOもこちらの次元に合わせるのに、ちょっと時間がかかるんです。すぐには物質化しないため、最初はオーブのような状態でこちらの世界にやってくるのです」と言います。すると私たちが撮ったオーブは、この世界で物質化する前のUFO、もしくは宇宙人ということになるのでしょうか。まだ完全にはこちらの世界と一致していない、調整中のUFOといっていいのかもしれません。それから一時間くらい経った30日午前0時半ごろ、再び辺りがざわめいてきたような感じがします。そのとき、秋山氏が東のほうの空を指示して、「あのあたりに異次元の扉が開いたみたいですね」と言います。皆がその方向をみると、確かに何かそこだけ奇妙な雰囲気です。すると今度はその東の空のあたりから、小さな星のようなものが現れたんですね。その時の写真がこちらです。中央と右上の二つのオーブのほかに、左下に明るい星のような光体が写っています。オーブと違って実体がありそうです。その光体はまさに星なのですが、実は星のはずがないんですね。というのも、このとき私はコンパクトデジカメを使って、フラッシュを焚いて撮影しています。当然フラッシュは星まで届きませんから、撮れるはずがないんですね。三脚を使って露光時間を長くしないと星は写らない。ところが、それが写っている。ならば近くのゴミとか虫がフラッシュに反射したんだろうと思われるかもしれませんが、私はあくまでも肉眼で見える星のような光体、しかもかなり遠くにある光体に向かってフラッシュを焚いているわけです。しかもそれが実際に写真にも写り込む。なぜ星、もしくは遠くの光体がコンパクトデジカメのフラッシュ撮影で写るのか、非常に変な現象が起きていることになります。私は後で秋山氏にその奇妙な現象について問いただします。秋山氏は「UFOは懐中電灯にも反応して輝きます。カメラのフラッシュに対しても反応して輝くんですね。こちらが発する光に対して瞬時に反応するのです」と言います。そうだとすると、UFOはどのような微弱な光にも反応して光を返している。だから遠くにいても、フラッシュの光が届いたかのように光って写ることになります。こんなことは初めてです。その時です。秋山氏が東の空を指さして「出た、出た!」と叫びます。(続く)
2012.08.03
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駐車時間が終わるまで時間があったので、エジンバラ城を見学しました。後でわかるのですが、このエジンバラ城の訪問は非常に大きな意味があったんですね。入場料を払って、お城の中に入ると、市内を一望できる展望台がありました。近いところはエジンバラ駅、遠くは海の対岸にあるゴルフのセントアンドリュースの方まで見えます。素晴らしく見晴らしがいい展望台です。そこで何枚も写真を撮影したのですが、後になってから面白い写真が撮れていたことに気づきます。それがこちら。間違いなくピラミッドです。私たちが伊豆の下田富士から利島ピラミッドと鵜渡根島ピラミッドを発見したのと同じことが、実は起きていたんですね。このピラミッドの秘密については、いつか「ムー」でご紹介しましょう(笑)。(続く)
2012.07.09
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数字の持つシンボル性が普遍的に存在するとしたら、夢分析などで結構楽しめますね。以前ご紹介した伊豆・下田の旅で、当日の朝、寝起きに山の映像と37という数字が現われ、さらに下田に向かう電車の中で、目をつぶっているとマージャンの3ピンと7ピンが出てきた話を覚えているでしょうか。そのときの話は、「ムー」の365号にも掲載されています。これを易で解釈すると、面白いことがわかってきます。まず37という数字ですが、これは3と7であると解釈するのが正しいように思われます。というのも、私は映像で3ピンと7ピンを見ていますから。それを見た私はすぐに「シャボ待ち」だなと思うわけです(笑)。つまり、別々の数字ということですね。問題は順番ですが、当時はまったく意識していなかったのですが、記憶が正しければ最初に3ピン、次に7ピンが出てきたように思うんですね。最後に出てきた数字から遡りますから、7が象徴する「山」と3が象徴する「火」で「山火」となります。易ではこれを山火賁(さんかひ)と言います。これは太陽(火)が山の彼方に沈む日没寸前の美しい光景を表わしています。山々が夕日で赤く染まるときですね。賁(ひ)は何かというと、「飾る」という意味です。つまり一般的な易の解釈では、表面的な美しさはあるが、それは一時的な美しさにすぎず、永続的なものではない、見栄を捨てて内面充実を図りなさい、となるわけです。しかし面白いことに、易には二通りの解釈があります。外面を飾ることは、実はとても大事なことでもあるんですね。潜在意識理論でいうところの、「自分の望む状態を想像せよ」です。「辛く悲しいときでも笑え。するとうれしくなってくる」という法則があるんですね。これは古神道の行法にもあるらしく、「微笑み返し」と言うとか。見えない剣に対して「微笑み」で返す――奥義中の奥義でしょうか(笑)。ジョセフ・マーフィー博士の易占いの本には、山火賁はこう書かれています。「あなたが何か夢を持っているなら、その夢をあなたの想像でできるだけ飾ることです。それが細部にわたって細密に飾られれば飾られるほど現実になっていくでしょう」さて、伊豆下田の旅の当日に見た「37」が「山火賁」だとすると、私には次のマーフィー博士の言葉が響きます。「あなたが夢をもつとき、それが正しければその願いはかなえられます」こうして私たちは、伊豆下田ピラミッドラインと尖山ピラミッドラインを「想像力と直観の恩恵」によって発見したわけです。
2012.05.01
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昨日も出版の件で新宿で打ち合わせ。午後4時から始まって、終わったのが午後11時半ごろ。 終電に間に合わなかったので、またもや新宿でのお泊りとなりました(笑)。 今日はようやく、4月上旬発売予定の本のカバーイメージが決まりました。 カバー写真の質感はなかなかいいです。発表までもうしばらくお待ちください。 今年は歴史が動きます。私たちもシリーズ化に向けて動き始めました。
2012.03.14
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緑の中で休憩中です。
2011.05.09
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アマテラス強奪事件で統一王朝の基盤を揺るがせた後、大和族は海人族(ワニ族)の助けを借りて海軍力を増強させます。あるいは別の解釈では、爬虫類系宇宙人(ワニ)から強力な武器(宇宙人にとっては遊び道具のボール?)などをもらって、軍備を増強させます。さあ、これで神武東征の準備が整いました。あとは作戦を実行するのみですね。その神武東征神話に進む前に、口伝竹内文書などから読み解いた日本神話の物語を振り返ってみましょう。もちろん、これは一つの解釈にすぎません。幾通りにも日本神話を解釈することができますね。「日本神話の物語」(アトランティスから逃れて?)日本に飛来した天空浮船族(天孫族)は当初、縄文人たちと静かに暮らしておりました。やがて天孫族の一部は、自分たちの理想郷を作るため大陸に渡ります。彼らは、メソポタミアの地にシュメール文明を築き、シュメール人(スメル族)と呼ばれます。しかしスメラミコトを統一王とするスメル族は、過酷な自然を前にして、理想の国づくりを断念。政治・軍事王のグループと祭司王のグループの二派に分かれ、将来の協力を約束して日本に戻ることを決断します。おそらくペルシャや中東地方を何世紀もの間、渡り歩いたのでしょう。一部はさらに分かれて、古代イスラエル人となったかもしれません。やがて祭司王のグループは、船団を組み、東南アジアを経由して海ルートで北九州に上陸。その後土着の縄文人たちを平定しながら日向にたどり着き、日向王国を作ります。彼らは日向族と呼ばれました。また、彼らは航海が得意でしたので、海(アマ)族、すなわち天(アマ)族(天孫族)とも呼ばれました。もう一派の政治・軍事王のグループは陸ルートで日本をめざしました。そして最終的に朝鮮半島から出雲にたどり着き、土着の縄文人たちを制圧、出雲王国を建国します。彼らは、出雲族と呼ばれます。ところが、一致協力して日本に国を作るはずが、日向族(ワニ)と出雲族(ウサギ)の間で激しい主導権争いが発生します(「因幡の白ウサギ神話」)。出雲族は「われわれが先に日本に到着したのだから、出雲族主体の国を作るべきだ」と主張。これに対し大和族は「そちらが先に日本に着いたとの主張は疑わしい。実際、我々の船団の一部を使って(ワニの背を渡って)、因幡に渡ったとの情報もある」と牙を剥き、反論します。結局、会談は物別れに終わります。こうなったら後は、軍事力がものを言いますね。出雲族は軍団の数にものを言わせて(あるいは数を多く見せかけて)、日向王国に向かって進軍します。これに驚いたのは日向族です。まさかいきなり大軍で攻めてくるとは思わなかったので、日向族の王イザナギと皇后イザナミは慌てて、高天原(高千穂)のそばにある天の安河での和議を申し出ます。その結果、イザナギとイザナミの娘である日向族の祭祀王アマテラスと、出雲族の若き王スサノオが政略結婚(誓約)し、統一王朝を作ろうではないか、ということになりました。(続く)
2011.04.29
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テレビでしか見ていませんが、すごい地震と大津波です。被災地の方々に心よりお見舞い申し上げます。こちらも揺れましたが、ほとんど被害は出ておりません。大津波警報の発令により、海岸線にお住いの方々がこちらに避難する騒ぎはありました。今更ながらに津波の破壊力に驚かされます。被害が最小限に抑えられ、災害から一日も早く復興されることをお祈り申し上げます。
2011.03.11
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このような夕陽もありました。赤味がかった炎のような夕陽です。雲に隠れながら雲を赤く染めてゆきます。妖艶な感じがしますね。太陽ではなく、まるで別の惑星のようにも見えます。日没後、赤から黄色へのグラデーションがますます怪しく見えたりします。7月22日の夕景でした。
2010.09.12
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翌28日、私たちはダートムーア国立公園の西の外れにある町タヴィストックを訪れました。この日は次の宿泊地までの移動距離が130キロほどなので、ちょっとのんびりムードです。タヴィストックのインフォメーションセンターでこの日の目的地までの道を聞いた後、マーケットで買い物をしました。買い物の後は、聖ミカエルのレイラインを追って、タヴストックから車で20分ほどの場所にあるブレントールへと向かいます。ここで少し、レイラインについてご説明しておきましょう。アルフレッド・ワトキンズというイギリスの好古家が1921年、故郷のヘンリーフォードシャの地図を眺めていたら、古代の遺跡や土塁、山の頂、、古い教会などが一つの直線上に並んでいることに気がついたんですね。そして、あちこち同じような例を地図上で探し求めたところ、確かにイギリス全土にわたって遺跡や古い教会、土塁などを通る多くの直線を見つけるわけです。しかも、レイとかリイとかが語尾などにつく地名が多かったことから、この古代の直線の道をレイラインと名付けたんですね。中にはただの偶然の一致のラインがあり、論議を呼びましたが、これまで見つかったレイラインの中で、もっとも有名で最大のレイラインが、セント・マイケルズ・ラインという、西はセント・マイケルズ・マウントからグラストンベリー・トールなどを通って、イギリスを横断するラインなんですね。私たちの前に現れたブレントールは、こんなところでした。(続く)
2010.06.20
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家から歩いて30分ぐらいの民家で見つけたミモザと河津桜です。黄色とピンクが春の色合いを出していますね。すぐ隣には10本ぐらい河津桜が植えられていました。いずれも先月25日に撮影しました。今月下旬には、まずは白木蓮、そしてソメイヨシノが咲き、まさに春一色となる見込みです。
2010.03.02
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チリ巨大地震の影響で日本の太平洋側に津波が押し寄せていますが、相模湾にも津波らしき大波が観測されているみたいです。私が住んでいるところから海までは直線距離で2キロ、標高差は150メートルほどあります。その場所から撮影した相模湾です。かなり遠くからの撮影ですが、いくつかの大きな波が続けてこちらに打ち寄せてきていることがわかりますね。撮影したのは午後2時半ごろです。午後4時現在も写真ほどの間隔ではありませんが、時々大きな波が肉眼でも見ることができます。津波らしき大波だったので、ご紹介いたしました。
2010.02.28
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見上げると、そこにはこんな雲が出ておりました。私にはカニのように見えます。自然は全く面白い形の雲を作りますね。こんな雲もありました。我が家の上の雲です。左下に我が家の屋根が見えております。一月に壁と屋根を塗り替えたばかり。赤い屋根の上に、青い空と白い雲が綺麗に出ていたので撮影しました。
2010.02.19
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今年三度目の積雪となっておりました。午前6時47分現在でも横殴りの雪が降っております。
2010.02.18
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冬です。12月ももうすぐ終わりです。でも外に出ると、何とタンポポが咲き、ツツジもチラホラと咲いております。ダールベルグデージー(ティモフィラ)だと思いますが、綺麗に咲き誇っています。風が吹かないとぽかぽか陽気ですから、花も(間違えて?)咲いてしまうのでしょうね。もう春なのか冬なのかわからなくなってしまうのが、この辺りの困ったところです(笑)。
2009.12.27
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新宿御苑ではカエデの紅葉が綺麗でした。地面にはイチョウの黄色いじゅうたんが敷き詰められ、水仙もチラホラと咲いておりました。その水仙と紅葉です。12月8日の撮影でした。
2009.12.13
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天柱石を訪れたことで、今回のツアーはほぼ完了です。尖山、二上山、天柱石の正三角形を時計の反対周りに回ったことで、封印が解けたとか。三角形の内側の方で、何か変化を感じられた方はご連絡ください(笑)。ところで前回、天柱石を訪問したときに喜楽さんの耳に聞こえてきたのは「雪の華」でしたが、今回は「Mr.ブルー 私の地球」だったそうです。ひめのさんと喜楽さんとは高岡駅で別れ、私たちは氷見に向かいました。そこの民宿(と言ってもほとんど旅館でしたが)で豪華な海鮮料理を食べて、温泉につかって一休みです。翌朝、部屋から富山湾越しに見えたのが、この風景です。北アルプスの夜明け。赤からピンクへと変わっていく空と海が綺麗でした。(続く)
2009.11.26
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11月5日、新幹線で京都へと向かいました。その車窓から撮影した富士山です。さすがに近くで見ると迫力があります。でも新幹線でいちばんはっきりと富士山が見える場所って、工場の煙突が立ち並んでいる富士市なんですよね。富士市煙突撤去モデル事業などによって煙突の数は減ったそうなのですが、それでもまだまだ多く、綺麗だとはとても言えません。富士山を世界文化遺産に登録してもらおうとの動きはあるようですが、富士山周辺で落とされるゴミや公害などの環境問題とセットにして登録してもらうのも面白いかもしれませんね。朝自宅を出てから約3時間50分後に京都駅に到着。最初に向かったのは清水寺でした。(続く)
2009.11.19
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今日はギリシャ探訪記はお休み。その代わり、台風一過の昨日の夕日をアップします。風がすべてを吹き飛ばしたためか、伊豆半島や富士山がくっきりと浮かび上がっておりました。この山(村)の中では大きな被害は出ませんでしたが、強風のせいで裏の畑のトマトやピーマン、一部の樹木が傾いてしまいました。明日は夜にはギリシャ探訪記のブログをアップする予定です。
2009.10.09
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お知らせ:来月(10月)17日、東京都調布市の神代植物公園・薔薇園で、恒例の薔薇を愛でる会を開催いたします。参加を希望される方は、ホームページ左側のメール「メッセージを送る」でお知らせくださいね。メールにて詳細を返信させていただきます。よろしくお願いいたします。写真は昨日(16日)の夕日です。
2009.09.17
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今日の空です。日差しは相変わらず強いですが、風が涼しくなりました。空も秋のようです。お盆が終わると、秋の気配を感じるようになりますね。、
2009.08.16
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夕焼け空と新しい家です。
2009.07.15
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今日は荒崎から黒崎への海岸線をご紹介します。荒崎海岸はこのようなところです。 このような岩場が続いています。写真を縮小したので分かりづらいかもしれませんが、中央の丘の上にソレイユの丘という公園施設が見えます。 ずっと海岸線を歩いて行くことができます。和田長浜海岸。 三浦半島指折りの海水浴場です。ここまで来ると、横須賀市ではなく三浦市になっています。 そして1時間ちょっとで黒崎の鼻に到着。ここで一時間ほどお昼寝をして、夕日が沈むころ目覚めます。 空の色にはまだ青味が残っていますが、それも段々と消えていきます。 オレンジ色に染まる海と空、そしてススキ。 太陽は黄金色に輝いています。 海に映し出される光の道がとても綺麗です。 写真では黄金色に輝いていますが、肉眼では虹色に輝いているように見えました。この日も素晴らしい夕日でした。
2008.10.26
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8月20日に晴見鳥さんと登った静岡県藤枝市のビク石をご紹介します。東京から新幹線で静岡に向かう途中の車中から撮影した富士山です。この日は晴れでしたが、後にも先にも富士山が見られたのは、このときだけでした。静岡駅で晴見鳥さんと待ち合わせして、藤枝駅へ。そこからはバスを乗り継いでビク石登山口まで行くのですが、午前中には二本しか登山口まで行くバスがありません。事前に調べておいたので問題ありませんでしたが、時間を気にせずフラッと行って登るというわけにはいかないようです。登山口に到着すると、空には太陽の周りに光の輪(暈)ができていました。さあ、登山の開始です。晴見鳥さんに教わったのですが、これは鉄砲百合ではなく高砂百合だそうです。違いは葉っぱが細いこと。別名細葉鉄砲百合。奥に見えるつり橋を渡って行きます。登山道はこんな感じです。登山口から15分ほど歩いた場所にあった岩が晴見鳥さんのお気に入りだと言うことなので、記念写真を撮ったときに写ったのが、すでに速報としてご紹介した羽根の生えたオーブです。この写真ですね。この場所でもう一枚写真を撮りましたが、そちらにはオーブは写っておりませんでした。晴見鳥さんも写った全体の写真は晴見鳥さんが期間限定で公開されておりますので、今のうちにご覧になってくださいね。こちらは山を登る晴見鳥さんの後姿の写真です。私が遅れると、その杖で叩きます・・・もちろん冗談です(笑)。とても明るくて素敵な方でした。私たちが歩くと時々茶色の生物が飛ぶので、よく見ると・・・コノハガエル? 木の葉に似たカエルさんでした。上からではなく、横から見るとよくわかりますね。(続く)
2008.08.25
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今日は猫ちゃんの写真の紹介です。いつもテニスクラブに行く途中、栗畑の脇を通っていくのですが、その栗畑で時々猫ちゃんに遭遇します。以前、オペラ座の怪人のような猫ちゃんを撮影したのと同じ栗畑です。下の写真の猫ちゃんですね。その栗畑で、また別の猫ちゃんを見つけました。この子です。ふわふわした毛は「オペラ座の怪人猫ちゃん」とは違いますが、顔の模様の感じがちょっと似ています。親戚かなと思ってしまいます。この子は首輪をしていますから、ちゃんと飼われているみたいですね。こんな子も同じ栗畑にいました。猫ちゃんたちにとっては、この栗畑はちょっとした社交場となっているようです。さて、次の写真をご覧ください。テニスコート脇の通路に謎の爪跡が残されていました。なんとこれはイタチの足跡なんですね。実はこの前日、私はイタチを目撃しています。イタチはこの通路を走って、5メートルの金網フェンスを越えて隣家の庭に隠れました。しかも、そのイタチを二羽のカラスが追いかけているんですね。金網フェンスの上で、逃げていったイタチをにらみつけています。イタチが逃げて場所を移動すると、二羽のカラスはそのイタチを追いかけるという、文字通り「いたちごっこ」を繰り広げているようです。やがて、隣家の庭先で隠れていたイタチは、その家の庇の上に飛び上がり、そのまま駆け抜けて、雑木林のほうへ一目散でかけていきました。私はその姿を数メートルのところで見ていましたから、そのとき初めてイタチだと確認できたわけです。雑木林へ逃げていったイタチを再びカラスが上空から追跡、やがてそのカラスも見えなくなりました。想像するに、おそらく誰かに飼われていたイタチ君が逃げ出したのでしょう。そして、お腹が空いたのでカラスの巣を襲撃した。これに怒ったカラスがイタチを撃退するために追っていたのではないでしょうか。目撃したのは、6月4日ごろ。その後、このイタチ君を見ることはありません。どこかで生き延びているのか、飼い主のもとへ戻ったのか。東京23区内には、いまでも100匹ほどの狸が生息しているとされているぐらいですから、イタチ君も生き延びているのではないかと思っています。
2008.06.28
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