全292件 (292件中 201-250件目)
0時半就寝、6時起床、台風10号接近で夜半から時々驟雨あり菜園は水浸し。朝からどのチャンネルもオリンピック放送、同じことばかり繰り返していてアキアキする。「金と同じで銅メダル」なんてダジャレのマスメディアもいささかしらけ気味。佐々木さんの引き分け戦略うまくいったにしても「相手の立場」を無視したことで有罪。消化試合をさせられた南アフリカ、本当はワールドカップ優勝のベストメンバーと戦いたかったと思う。飛車角おろした相手にわざと引き分けに持ち込まれたのでは馬鹿にされたと面白くなかろう。そんな姑息な手段で、ブラジルを下しても(負ければ世界の笑いもの)お次はフランスが待っていて、アメリカ戦までもてないかもしれない。金メダルは結果であって、その過程が感動を呼ぶのであるから、あんまり鼻から声高にキンキン声をはりあげない方がよい。出場選手にはスポーツマンシップについて教育すべきと思う。体操男子団体予選での落下ミス続出の日本、決勝でも思い通りの演技ができないまま終わったけれど何とか踏みとどまって「銀メダル」でよかった。内村にだけ責任を負わせた感がする日本チーム、その重苦しさがみんなに伝染してしまった。チームプレーでは監督の力量(度量と包容力)が一番大切、大いに反省すべきであろう。柔道も技を仕掛けるスピードが劣っていて「後手後手」の負けパターンが続いている。勝った53キロ級の松本だけは谷亮子を思わせるスピードがあった。世界の柔道は「スピード」が試合を決める時代となった。スポーツの基本は「スピード」。相手に勝るスピードを磨くことが勝利への近道だなあと感じている。石川もあと一息。ところで、小型の台風10号、逆方向から南九州へ向かっている。今のところ雨も風も大したことはない。朝からクマゼミがせわしく鳴いていて防音サッシを閉めなければテレビも聞き取れない。雨は時たましか降っていない。11時現在の推定位置は種子島の東南東100キロを30k/hで西北西へ進んでいる。あと数時間で宮崎地方は影響圏から脱するものと思われる。風もせいぜい10m前後だろう。気象庁発表1日10時現在の台風10号位置と進路予想
Aug 1, 2012
コメント(0)
船釣り用グッズで欠かせないものが「椅子」である。何より要求されるのがシンプルで薄く折りたたみ出来ること。でないと、小舟の格納庫には収納できない。ナフコ佐土原店、ハンズマンを探し回ったが、コールマン型の円形格納タイプしかない。パイプの小さな腰掛はあるが、背もたれがないので釣ながら居眠りができない。ネットで散々探してようやく見つけたのがロゴスのシンプルタイプ布張りの椅子。実をいうと「アームレスト」は不要だが、これ以上シンプルなものは見当たらなかった。これまで使った2脚は、アームレストなしで値段は600円程度だった。アームレスト付きで、幅がやや広くひょっとすると格納できないかもしれない。その時は、また探さないといけない。値段は送料込みで2,068円とやや高かった
Jul 16, 2012
コメント(0)
昨夜0時半就寝、今朝6時起床、朝食までTVで「朝ズバッ」昨日11時発で我が家を出て、途中、義妹宅で2家族4人合流し、日南市北郷温泉へ。目的の「ホテルジェイズ日南リゾート」は、もとはと言えは北郷町出身の実業家、故「佐藤棟良」さんが創業したフェニックスリゾート「シーガイア」の姉妹館として作ったホテルとゴルフ場。結果的にはバブル崩壊の余波で倒産、現在は韓国資本「東光グループ、グミ開発」が買収して営業している。営業の実態は、北郷フェニックス時代とさして変化はない。バイキング方式の夕食・朝食も以前と同じ。料金的には安いぐらいかも。ゴルフをしたことはにけれど、団体旅行でも行ったし、家族旅行ではかなり出かけている。義母存命中は義母のお付き合いでご招待、最近は義妹夫婦のご招待である。僕は、5回ぐらいしか参加していないが、家内は年に数回出かけている。15時半ごろ、ホテルに着き、僕らは7階の見晴らしの良い部屋であった。標高は280mの旧花立牧場敷地内に建つホテルからは太平洋を遠望できる。きのうは、もやがかかり海までは見えなかったので眼下の景色を数枚撮ってみた。この絵はホテルのリーフレットを複写したもの。ホテル7階を足すと標高は300mくらい、横方向真下に天空のゴルフ場が見える。はるか眼下に見えるのは酒谷川?、もしかして広渡川? 僕は、温泉は苦手なので一人部屋に寝っころがって「クレオパトラ」後半を視た。18時からバイキング方式の夕食、この方式は食べ過ぎ。20時まで飲んで食べて満腹した。夜もテレビをいろいろ見ただけ。今朝は、早起きして窓越しに外界の風景を一瞥後はまたテレビで「朝ズバッ」8時から9時まで朝食、今回も食べ過ぎた。10時半出発。途中田野町の物産直売所「みちくさ」に寄って買い物。帰りに立ち寄った今評判の「田野物産センター・みちくさ」12時ごろ義妹宅着。13時発、途中県病院で3Mのトランスポア(患部保護接着テープ)を購入。高くなっているのにびっくり。昨年262円だったのが何と428円、経営者が代わったというので値上げしたのであろうが公立病院の売店にしてはやりすぎじゃない?14時無事に帰宅。
Jul 14, 2012
コメント(0)
6月3日の軽トラ市で買い込んだマンゴーの620gというビッグサイズを食って、その種の固い皮をはいで中身だけを植木鉢に蒔いたのが6月10日だった。最初の1週間は気にかけていたが、雨続きで菜園へ出ない日が多くいつの間にか忘れていた。今日久しぶりに菜園へ出て、菊園のk中耕をやった折に、畝間に据えておいた植木鉢に立派な芽が出ているのに気づき、「こりゃあ、大したもんじゃ。マンゴーのめがでちょるが」ネットで調べて教えどうりの方法で蒔いたのが正解だった。どうなるかは別として、太陽の卵を産み落とすことを目標に大事に育ててみたいと思う。初体験に成功したマンゴーの発芽験こちらは、やはり軽トラ市で買ったブルーベリーの実、普通より倍ほどの大粒種。我が家で熟して本日収穫したもの。完熟しておらず酸っぱかった。
Jun 29, 2012
コメント(0)
15時には三財川追手地区水位が4.46m、一ツ瀬橋水位が2.67に達したので状況見回りへ。一ツ瀬橋水位が4.4mになれば要援護者は非難させなければならない。以下、時系列で見回りした要所を画像で紹介。15:09、わが地区で最初に冠水する水田河川敷へ降りてゆくと、どん詰まりが潜水橋前の駐車広場。その降り口まで冠水。Uターンできず、帰りは300m近くバックする羽目になった。(15:11)追手川水門脇にある揚水機場のポンプは地元へ操作が委託されている。2機のポンプはフル稼働中、三財川への排水が勢いよく吐き出していた。(15:17)増水時は追手川から三財川へ流れ込む水門は閉じらて、排水は揚水ポンプで行う。追手川水門(15:18)追手川水門から上流400mほどにある現王橋中央から三財川が見渡せる。増水した三財川。普段は真ん中の河畔林の間だけに流れがある。(15;22)一ツ瀬橋は一ツ瀬川、三財川の合流点に架けられた「県道」の橋。新富町川から視た一ツ瀬橋、河川敷のゴルフ場は完全に水没。(15:34)一ツ瀬橋橋脚に記された水位標識は「2m60センチほど」普段はマイナス1.0程なので4m近く増水、あと2mで避難準備。一ツ瀬川堤防から潜水橋広場の遠望。栴檀の向こうが広場で画像では水没して見えない。ランドマークは船団をくくる中央の大木。3本ともセンダン。ここで、やはり川を見に来た「釣り友」に出会い、車から降りてしばし歓談。「きのう、あんたが居ない内にスズキ2本上げたぞ」「らしいな」道糸が切れて1匹ばらした話をしたら「Pライン」をくれて力糸の結び方を伝授してくれた。そうこうしていたら、揚水ポンプチームの一人が「鯉がいる」と網を取りに帰るという。「そんじゃあ、おれたちも身に行こう」と連れ立ってすぐ近くの揚水機場へ。水位は徐々に下がりだしていて、空も明るくなったので雨の峠は越したとの感じがした。5mの竿がついたタモが届いてしばらくして5キロクラスの大きな鯉が救い上げられた。用水ポンプの汲み上げ口に仕掛けてあるゴミ防止柵に帰り道を間違えた鯉が阻まれて浮いてきたところを長竿の網で掬うのである。5キロは大きすぎるので「俺にくれ」とは言えなかった。3キロ以下なら貰うところ。70センチ5キロクラスの鯉が捕れた(16:38)また雨が激しく降り出したのでPンプ室の水位表示板を確認して岐路についた。水位表示は三財川水位と追手川水位。PCでは追手川機場内・外と表示。(16:40)外の水位が内より高い。水門を閉めないと本流から支流へ水が逆流するのでポンプが必要になる。16時45分帰宅、まだ強い雨が降っていた。22時半現在の水位は、一ツ瀬橋2.09、追手川機場外(三財川追手地区)3.91m。
Jun 24, 2012
コメント(0)
1時半就寝、8時起床、外は小雨、船のことが気になりネットで検索。三財川追手機場外水位0.71とピーク時から1.2m減水している。後ろの錨を入れておかないと満ち潮と東風で逆流の恐れがあるので川へ行ってみよう。(170900)9時30分川へ。釣り仲間二人が既にルアーを引きに来ていた。「どやった」「1本上げたよ」「どらどら見せてんない」「こりゃ太てが」二人はウナギ釣りに行くと帰って行ったので潜水橋は僕の貸切釣り場となった。それから2時間ルアーを試みたがスズキの魚体がルアーを追って反転したのは1回きり。飽きが来たので釣り船の甲板と側板の掃除。ずいぶん汚れていたので1時間くらいかかった。そのあと、頃はよしと1時間またルアー。今度は頻繁に魚影が浮上し、一度はガツンときたが惜しくもファールチップ。そのあとは空振りが3度ほど。不食、不飲で3時間粘って腹は減る、腰は痛いでギブアップ。川岸では、ウグイスとホトトギスの歌合戦。そこで一句「腹減って腰は痛くて杜鵑」
Jun 17, 2012
コメント(0)
有村政則さんの「日本九峰修行日記考(一)」にあった野田泉光院「九峰修行供養塔」のこと。11時半頃からじちかいエリアに自転車で供養等を捜しに行き、古老にも聞いてみた。結果は、「東十文字の畑の中」とは昔の話で現在は「新城地区」らしいことがわかった。新城地区には野田泉光院ゆかりの標柱が立っているところ知っていた。13時前事務局への途上、少し遠回りして覗いてみると案の定「九峰修行供養塔」の標柱。場所は、我が家に東南東300メートルと至近距離。標柱は記憶にあるが石碑を見るのは初。この標柱「修行」が「修業」となっているのは誤りであろう。場所は畑というよりは住宅に挟まれた道沿いの50坪ばかりの空き地。標柱の奥に自然石づくりの「塔」ではなく「碑」が建っていた。誰がいつ建てたなどは一切無い。文字は野田泉光院の筆跡だそうだから本人が建てたのかも?この場所は野田泉光院が住職をしていた安宮寺の跡地でもある。「石碑」の台座はコンクリート製なので廃仏毀釈により廃寺になったずっと後世に地元の人が再建したものと思われる。この碑を眺めていると坊さんが両手を前の組んで立っている姿に見える。
May 23, 2012
コメント(0)
18時半、スノコ越しに西陽がとても大きく見えたので、日没の写真を撮ろうと2階へ。丁度我が家の搭載線上に差し掛かっている太陽、まだ日没までは数分あるのでまぶしい。撮っても輪郭がぼやけて熱球が判然としない。しばらく待って山の端にかかる太陽を数枚撮ったが、NTTの無線搭が真っ直ぐなのは2枚。縦線、横線がゆがんだガゾウにはどうしても違和感を感じる。
May 12, 2012
コメント(0)
つり好きのお隣さんから「釣ったばかりのビチビチよ~」と貰った見事な子持ちアジ。早速夕食のサシミとなった。サシミ好きな家内は大喜びで食ったが、自分は卵のアルミホイル焼きのほうに軍配。本日、昼食に帰るため公民館の玄関に立ってふと宝塔山公園を見上げると「鯉幟」が泳いでいる。「宝塔山愛護会長が「町から見える頂上に鯉幟を揚げたい」と言ってたやつである。午後の出勤の際にカメラを持って行き帰宅時に撮ってみた。標高60mの宝塔山頂公園で泳ぐクジラと鯉今、大画面で見ると、5匹のうち真ん中の一番でかいのぼりは鯉ではなく「くじら」だった。では、佐土原では鯉と一緒に「鯨のぼり」を揚げるのかというと話が長くなる。気になる人はネットでGOじゃなくネットで「ホエール」を検索してみてちょう。
May 11, 2012
コメント(0)
我が家の狭い庭に君臨するかなり貧弱な桜2本が本日満開です。
Apr 8, 2012
コメント(0)
1時半就寝、7時半起床、外は晴れで暖かい朝、気温15℃。早速、なでしこジャパンの録画を視る。ピッチの具合がパスサッカー向きで勝てたわけが分かったような気がする。10時、室温20度、気温18度、しばらく外気に当たり、日光浴をしようと思う。
Mar 6, 2012
コメント(0)
広島の長男から牡蠣の宅急便1キロが届いた。早速夕食に酢牡蠣と吸い物でワインを。本当は牡蠣フライが食べたかったのだけれど家内に言うのを忘れていたので簡単料理から。牡蠣フライは明日の楽しみ。酢牡蠣はポン酢、代々、食酢で試したが食酢が一番であった。7時過ぎから全日本カーリング選手権女子決勝を視た。接戦で面白かったが、肝心なところでのミスが多くて興味をそがれた。
Feb 14, 2012
コメント(0)
今朝の最低気温、隣りの西都市が-6.1で宮崎市中心部が-4.6、我が家付近は中を取って推定-5.3。この気温はこの地に住みついて2度目の経験。結氷も分厚くて1.5センチはあった。最高気温は8.3度、この冬の最低記録昨日の6.2度よりは2度高かった。明日から暖かくなるそうだから楽しみ。
Feb 3, 2012
コメント(0)
乾燥した西からの強風で水分90%以上の千切りが2日間で乾燥して収納できる。これは、1級品であるが、曇り続きとか雨が降れば乾燥に手間取り、黄色く変色して不良品。千切りはお天気次第の産物。今年の千切りは寒さが厳しかったので糖度が高くて美味しい。干し場は西向きに作ってある。ここには50mほどの棚が3列並んでいる。干しあがった千切りは根重量では10分の1ぐらいになるのかな?
Feb 2, 2012
コメント(0)
14時半に家内が予約しておいてくれた歯医者さんへ。14時27分に着いた。佐土原中央歯科医院、区画整理された旧町内の中心市街地にある立派なビルの一角。人口3.3万人の旧町域中心市街「JR佐土原駅前交差点」病院到着時刻記録用に撮った待合室14時27分。治療終了時刻記録に撮った歯科医院の庭に咲くヒマラヤユキノシタ15;36.ここの歯医者さんは、僕のガン手術時に同室だった方の娘さんで口腔外科が専門。県立病院の勤務医を経て開業されたベテランでこれまで掛かった歯科医ではぴか一。今では家内の方がしょっちゅうご厄介になり女同士でご懇意にしていただいている様子。最近は、評判を呼んで凄く混んでいると言うので行き辛くなっていた。しかし、猪肉の硬い皮をかんだら奥歯が欠けてしまい、そこへ物が挟まって勝手が悪い。家内に頼んで、一番空いている日を選んで予約できたので待ち時間5分で受診できた。「お久しぶりです」「どうされました」「左下奥歯と、前歯2本の塗替えと、歯石取りを」「親知らず、随分欠けていますね。レントゲンを撮ります」「親不知なら抜いてもいいんですけど土台がしっかりしていますからかぶせられませんか」「できますけど、神経を抜きますから、日数が掛かりますよ」「今日中に終わりたいので」一番簡単なのは抜歯のような感触だった。「抜歯は痛いからしたくないですね」「とりあえず埋めておきましょうかね」とこちらの魂胆を見透かしたようなお奨め。「そうしてください。それでだめなときは叉来ます」奥歯の穴をガリガリと削ってアマルガムかな、で埋めてくれた。そのあとは、1年半前に亀裂の治療してもらった前歯の「塗り物」が剥げて汚くなったのを削って塗替え。いわばコンクリート壁の補修工事、はつってモルタルで補修し、表面をきれいに磨く。ここまでは先生がしてくれて、最後の歯周の掃除は看護師さんがやってくれた。掃除する前に、歯周ポケットの深さと出血の検査。細い針を差し込んでの検査でちくちくと痛い。半分程度が歯周病で3から10の数字。22年9月の時と較べると明らかに歯周病が進行していると歯並び図面で比較説明があった。10は多分歯周ポケットの深さが10ミリという事だろう。「3月に一回くらい来ていただいて掃除して抗生剤を塗布されたほうがいいと思います」時間はかかったが上下を一時にやってもらった。歯磨きの指導などもしてもらった。治療費は1,400円で済んで助かった。代りに家内が仰山つぎ込んでいる。帰りに明林堂書店に寄り「わかさ:特集脊柱管狭窄症」を買って16時帰宅。帰宅後叉録画鑑賞「サムライスピリッツ;居合い」を視た。すばらしい精神性を持った武道。17時から21時半まで隣の小学校区公民館で成人式実行委員会最終回。内容は総括。問題点はアトラクションの抽選会がオーバータイムだったことぐらいで上々の出来だった。21時40分帰宅。まだ時間2ミリ程度の雨が降っていた。明日も雨の予報。
Jan 19, 2012
コメント(0)
23時半就寝、7時起床、8時10分から成人式準備と成人式催行のため文化センターへ。準備は殆ど若い人がしたので自分たちは準備が終わったものを見て回っただけ。ただ来年が当番小学校区なので自分の役割部分を念入りに検証、写真撮影をしておいた。成人式は、整然と滞りなく終了、アトラクションも「吹奏楽演奏、獅子舞、ダンス」と素晴らしかった。集合写真撮影もスムースで行儀良かった。出身中学校後輩たちの吹奏楽演奏はとても良かった。 最後の抽選会も恩師の出番もあり和気藹々で笑いに満ちていて楽しかった。13時過ぎ帰宅、15時まで大学ラグビーとタカジンを掛け持ち視聴。16時15分から、近くの寿司店で消防団の出初式後の打ち上げに参加、18時半まで。その後は再びテレビ。新選組血風禄を視終えた後、トンイ、平泉金色堂、サンデースポーツ。日曜サンデというのに、腰痛というのに今日もはなはだ忙しかった。明日あさってはお休み。
Jan 8, 2012
コメント(2)
昨夜、おなじみのS君が日南方面で釣ってきたイワシを持ってきてくれた。家内「ものすごく新しかったので寿司を作ったけれどまだなれてない。食べてみるね」「2個くらい食べてなれちょらんければ明日食べよう」食べてみると、サカナが実に美味しいが寿司としては明日のほうが美味しいかな?つまり、シメサバと同じで、酢がまだサカナによくなじんでいない。残りは明日食べよう。押し寿司にして一晩寝かした方が美味しい
Dec 19, 2011
コメント(0)
「だい」のひとりごとはフラワー愛好家には非常にお役に立つ楽しみなブログ。14日だったかヒイラギが紹介されていた。木ヘンに冬でヒイラギであることは誰で知っている。前からの疑問であった「クリスマスホーリー」とヒイラギの関係が知りたくなった。 早速だいちゃんさんへ質問。「モクセイ科とモチノキ科でまったく違う植物」とのこと。そう言えば、ヒイラギの実は黒っぽくて、ホーリーの実は赤い。クロガネモチの実も赤い。似て非なるものの代表格らしく、ヒイラギの英名は「チャイニーズ・ホーリー」。ところが、モチノキ科のヒイラギモチも英名も「チャイニーズホーリー」そして、セイヨウヒイラギの英名は「イングリッシュホーリー又はコモンホーリー」」じゃあ、「ジャパニーズホーリー」というのは?なんと「イヌツゲ」クリスマスホーリーはセイヨウヒイラギの商品名、日本ではヒイラギモチもクリスマスホーリー名で流通しているとのこと。クロガネモチは、クロガネホーリー、イヌツゲが「ジャパニーズホーリー」ついでに、ホーリー(holly)とは何のこと?コンサイスでは、セイヨウヒイラギとある。イギリスで「イングリッシュホーリー」なんて呼ぶはずは無いと思う。
Dec 17, 2011
コメント(1)
Dec 8, 2011
コメント(0)
ホークスの敵地で、しかも名古屋での3連勝はたいしたもの。投手がいいなあ。ドラゴンズは打撃陣が今一。大接戦だが打たないので見ている方は面白くない。女子バレーボールのドイツ戦やっと勝ったけれど、オリンピック行くには難関が2つ、現在4位なので米国に勝つことは勿論、現在3位の中国がドイツに負けてくれないとダメ。日本がアメリカに勝つ可能性より、中国がドイツに勝つ可能性の方が大きいので3位は無理かな?ホークス万歳、日本残念の可能性が大きい。
Nov 17, 2011
コメント(0)
僕らが子どもの頃、世界の人口が24億人、1ドル360円、1ポンドは1,000円超であった。で、国家レベルで考えると英国が世界トップだと単純に考えていた。それがなんと今では人口は69億人、1ドルが75円台、1ポンドは121円台の歴史的円高水準。日本国民が大震災に痛めつけられ、産業の空洞化が進み、賃金の低落傾向に歯止めがかからないというのにどうしたことだろう。アメリカの国債を買い支えているのは中国と日本。投機マネーはドル、ユーロ、ウォン、元を売って円を買っている。その意味は?円買いが一番リスクが少ないと思われているからなのだろうか。古くは敗戦の焦土の中から、近くはバブル崩壊、2度の大震災でも、外国人から見て、驚異的な道徳心で復興を成し遂げ、なそうとしている姿は投資先としては一番安心できる通貨であると。それとも、値を吊り上げておいて一気に売り込もうとたくらむ陰謀なのか。自分としては、世界のエコノミストたちが日本人の勤勉さと復元力を信じて円買いに走っていると思いたい。頑張ろう日本である。奥の手は、国債を日銀引き受けで大量発行し、ドルをがんがん買いアメリカの農地を買い占める。それを小作地にして小作料は物納とし、中国へ売る、なんてどうだろう。
Oct 26, 2011
コメント(0)
0時半就寝、5時50分目覚めて文春8月号今こそ聞くべき名講演10の続きを読む。藤本義一、笹沢佐保、逸見政孝、上坂冬子、みんな素晴らしかった。作家を目指す人には「藤本義一、笹沢佐保」を読むとその大変さが分かるし、参考になる。7時50分起床、昨夕から強くなった雨が、未明頃から一段と激しく明け方には豪雨となった。我が家から一番近い県の雨量観測地でのデータを見ると8時から9時には時間45ミリの豪雨。24時間雨量は190ミリに達している。11時現在県北では時間100ミリの箇所がある。三財川の増水状況は、11時現在で1.66m(追手川合流点)程度で潜水橋オーバーまでは50センチの余裕がある。上流域の雨が180ミリ程度で、ダム放水量も平時の6倍程度の毎秒72トンほど。ダム放水量が毎時170トンを超えると水位は一気に上がる。雨は10時40分には止んだ。いずれにしてもリフォーム工事予定の壁塗装は中止となった。
Oct 21, 2011
コメント(0)
0時15分就寝6時15分起床。6時半から庭へ出てオリヅルラン苗ポットの洗浄。軽トラ市買い上げお楽しみ抽選の景品に寄付する約束をしていた。11号ポット15個。明日は9号ポットで24個のオリヅルラン、24個のリュウノヒゲを用意している。8時前に会場の宮崎市佐土原歴史資料館「鶴松館」駐車場へ。先着既に3名。人数が揃ったところで組み立て済みテント2張りを所定の位置へ建てる。8時33分本部と芋煮給食テントが建ちあがった。そのあと公民館へ机椅子の運搬へ。自分は、車に大鍋が載っているのでスキップ。9時には本部テント、休憩、芋似振る舞いテントの机椅子設置まで準備完了。芋煮炊き要員も揃ったところでガス点火し里芋の下茹で開始。10時から芋煮給食整理券200枚の配布開始。10時半から給食開始。配食開始10分で満杯だった大鍋がかなり減ってきた。12時半でほぼ予定分給食終了。少し残ったくらいで順調に完了し味も好評だった。一方軽トラ市の出店は9台。青果2、花・苗2、和菓子1、食べ物3、陶器1の9店舗。9時半販売開始。14時半終了の予定。完売1、ほぼ完売2、あとはそこそこ。一番人気は「ミカンの詰め放1袋300円」抽選券進呈金額であり飛ぶように売り切れ。子どもたちも時折団体でやってきた。これはスーパーボールすくい。芋煮が美味しくて盛が良かったので「食べ物の売れ行きを阻んだ」との意見が多かった。原因は、どんぶりが大きかったので食べた人が満腹となりオニギリ・弁当を買わなかった?自分も芋煮を食べただけでスタッフ用のおにぎりを食べる気がしなかった。振る舞いで人集めは出来たけれど、それが売り上げには繋がらなかった。「集客用振る舞いとか景品」は何がいいかは今後充分に検討する必要がある。加えて出店配置について当初の企画が出店者の反対で実現せず結果的にうまく機能しなかったことも大きかった。午前中は雲りだったために日除けを用意したのは1店舗のみで、午後から晴れて西日が強くなり、食べ物に直射が当りだし、販売を中止した店舗が出て、場所に対する苦情も出たらしいが、「晴雨に備えるのはあくまで出店者の責任」と突っぱねた。晴れれば西日が当るのは分かりきったことであり、間延びした店舗配置ではどうしても割を食うものが出てくる。そのために色々考えた挙句に「集合店舗方式」を提案したのだが受け入れて貰えなかった。やっぱり亀の甲より年の功だということ。前回と同じミスを繰り返したことになったのであるが、もっと全体の利益に照準を定めて総合的に検討しないと物事はうまく行かない。自分的にも自分の利益に関係しないことには安易に妥協する癖がある。13時48分、客足もほぼ途絶えて、西日ガあたり店じまいをする車も出だした。帰りたがる出店者があったが、14時半まで販売はいわば回覧済みのマニフェストであり、約束事なので守ってもらった。色々あったが、14時25分に出店者へ退場を承認(約束は14時半まで車は動かさない)。大鍋ほか炊事用具洗浄、拭上げなどをお願い。男性スタッフはテントの足の折りたたみ作業。会場提供の「鶴松館館長以下のスタッフ」の全面協力が一番ありがたかった。15時すべて完了。自分はわが自治会から持ち出したバケツなどを自治公民館へ返納後帰宅。風邪の後遺症で喘息気味となり咳は出るし、陽にあたりすぎて疲れてしまった。明日は、午前9時集合、9時半販売開始、14時半販売終了。
Oct 8, 2011
コメント(1)
コモチランの由来の子球がいくつもついている。ネットで散々捜したが、ずばりヒットしたキーワードは「タマネギ状の観葉植物」だった。ユリ科、オーソガラム属で学名がオーソガラム・コーダツム(Ornithogalum caudatum)カイソウは「海葱」と書く。本物も偽者も有毒とある。全国で栽培されている観葉植物らしい。ドンドン繁殖し、誰にでも育てられるので「売り物」にならない。だから、名前も売れていない。シーオニオンとも呼ばれているらしく、タマネギに良く似ている。本物のカイソウは薬草で利尿剤として使われる。地中海沿岸の植物。ハマユウみたいなもの。
Oct 4, 2011
コメント(0)
宝塔山公園で見た「今花が咲いているカシの木」ブログに書き込んだと検索してみた。問題は「キーワード」、なんと入れればヒットするのだろう。思いついたのは、「秋に花をつけるカシの木」。すると一発でヒット。秋に花が咲き実もついている、名前は「シリブカガシ」。そうかあのどんぐりか?である。ドングリと花が同時についている珍しい「シリブカガシ」大きなどんぐりでお尻がへこんでいる。あまり渋くなくて縄文食でよく使った奴である。ぶな科マテバシイ属でカシの仲間ではない、とある。実の方はドングリの一種として子どもの頃から独楽などにして遊んだ身近なものだったのに植物名としては74歳にして初めて知ったのである。秋に咲くドングリ、花とドングリが同時という生態も初めて知った。このドングリ一年以上かけて熟すのである。小学校で教えるべき植物だなあ。
Sep 27, 2011
コメント(2)
庭仕事の趣味の園芸を終えて部屋に上がったのが17時半前。「あっ、そうだ彼岸花を見に行く約束だった」昨夜の軽トラ市出店者説明会で、町内中心部を流れる追手川の清掃ボランティア団体「五月会」会長の今田さんから「五月会で植えた彼岸花も見て」といわれていたのを思い出した。発端は「宝塔山公園の彼岸花は咲いているじゃろか」。「追手川にも咲いていますよ」先ずは小学校運動場沿いの追手川土手へ。植えて日がないのでまだまばらながら満開だった。そのあと1キロほど東の宝塔山公園へ。日暮れで人っ子一人いない里山公園。彼岸花は既に盛りを過ぎて赤花は駄目、キバナが一群れだけ咲いていた。帰りに、駐車場脇のカシの木が花盛り。秋に花が咲くカシの木は初めて見た。6時近く薄暗かったので同じ木かどうか定かでないが花とどんぐりが見える。
Sep 27, 2011
コメント(1)
昨夜は、雨の中久しぶりの金曜会に出かけた。参加者は5人だった。流石に台風の影響が強く、居酒屋の客は我々だけなのでカウンターで飲んだ。23時15分帰宅。1時就寝、雨なので6時起床、即パソコンで気象情報サイトを検索。三財川は夜の間にかなり減水していた。H2.54が1.14へ。朝食時に「ナマズのバター焼き」を試食。油が乗っていて歯ごたえもよく味は抜群だった。9時半~敬老会お祝い紅白餅つき準備、もち米15k調達。もちっこほか用具の借り上げ。13時~自治公民館でもち米研ぎ。3キロ×3回分を研いで水に浸けておいた。14時、GSへPGガスセットの配達依頼。15時カメラ屋へ。Cカメラ用の三脚買いに。進路を川へ取り、釣りへ。ルアーを引いたが全く反応なし。17時過ぎに帰宅。帰宅後、菜園へ。大急ぎでオクラ収穫、ついでに大きくばった苦瓜2本収穫。夕食で「ナマズの唐揚げと南蛮漬け」を試食。こちらも癖がなく美味。大ナマズは食べるべし。一ツ瀬川では外道として大ナマズが結構釣れる。
Sep 17, 2011
コメント(0)
シマヒギリ:島緋桐は亜熱帯・熱帯に広く分布する常緑広葉樹だと思うが我が家近辺になると地上部の軟弱な上半分は枯死する。で、昨冬の例年に無い低温で、地上部4分の3ほどが枯れ、4月の芽吹きもかなり遅れた。真夏の花なのに立秋をひと月も過ぎた九月に入ってようやく咲いた。
Sep 5, 2011
コメント(2)
原発事故問題の処理仕方が官僚寄り且つ業界寄りだった海江田さん。玄海原発再稼働でも古川知事と組んで上手くやろうとしたがやらせメールで頓挫。代表戦では小沢さんの「マニフェスト路線」に固執の方向を示唆し3党合意をも反古にするかのごとき発言をしたことで無派閥議員の支持を集めることが出来なかった。第1回投票で野田さんが102票とったところで勝負あった。これに、前原の72と鹿野の52を足せば226となり過半数を制する。実際は、野田215、海江田177で海江田さんは34票上積み下に止まった。世論では支持を集めた前原さんが伸びなかったのは外国人からの献金問題が大きかった。どんぐりから選ぶには野田さんしかないわけだけれども小沢さんがちょっかいを出し、鳩山さんがそれに乗ってかき回したのが一番悪かった。もし海江田首相となったら野党との軋轢が復活し復興どころではなくなるところであった。松下幸之助としても、政経塾1期生から54歳の首相誕生で喜んでいることであろう。
Aug 29, 2011
コメント(0)
今日明日は「佐土原夏祭り」、正式には「愛宕神社夏の例大祭」かな。本日のイベントは御神輿行列(16時スタート?)いろは口説き総踊り(18時~) 子どもダンジリ、ダンジリ模擬戦、カラオケ大会、芸能大会ほか明日日曜日は、だんじり喧嘩本戦(17時半~駅跡広場)子ども綱引き大会(18時半~) ステージ・ショー、お楽しみ抽選会ほか。なんといっても一番の見ものは」「だんじり喧嘩」赤組青組みに分かれて1トンのダンジリを4つに組んで押し合い、ねじり合う。相手をでんぐり返した方が勝ち。しかし、なかなかひっくり返ることは無い。数年前に一度だけ完全に裏返しになったのをみた。あとは判定勝ちが引き分け。19時から写真撮りに自転車で出かけた。要所要所には警備員が関所を作り自転車乗り入れを規制中。横道から脇道へ入り、お墓の細道経由で祭り会場に接するお寺の駐車場へ着いた。人出はすごい。狭い範囲の歩行者天国はまるで蒸し風呂。まつり本部で「団扇」を貰い、500mほども道筋を一周。疲れてしまった。御神輿のお旅所で参拝し、会う人毎に一言ずつ挨拶しながら1時間20分のウォーキング。「ア^疲れタア」とぼやきながら帰宅。
Jul 23, 2011
コメント(0)
マキタのバッテリー内蔵型コードレス掃除機は19日に着いた。別売品込みで1万1千円ほど。バッテリー内蔵型はバッテリーの寿命が尽きたところで廃棄なのが気になるが初代の品は丁度10年もったのでめんどくさくなくていいかなと思った。ものぐさな人種には非常に便利。コード無しだから車の中でも倉庫でも掃除できる。充電時間が3~5時間かかるのが難ではある。本日はソニーの非常用手回し充電器つきポータブルラジオが着いた。5,900円ほど。このラジオ思ったより小さかった。充電ハンドル思ったよりは重く1分間連続回しはきつい。携帯充電機能がついているのはグッド。LEDライトが強弱2個ついているのもなかなか。小さいながら音量はしっかりしている。メイドインはチャイナ。
Jul 22, 2011
コメント(0)
19時30分ニュースを視ながら西空が真っ赤に燃えていることに気づいた。家内に「空をみてん、真っ赤じゃが、台風の所為かな」「写真に撮っておいたら」「そうじゃ」カメラを片手に2階へ。西南西が屋根越しにきれいである。早速パシャ、パシャ6枚ほど。その中の1枚がこれ。19日19時36分に撮った夕映え次の1枚は、9分後の19時45分、我が家から東南東4キロほどの地点から撮られた夕映え多分同じ方向の画像だと思ったので断わりなく載せた。(認証できなくて連絡しようがなかった)19日19時45分に撮られた夕映え(じっちゃいのてげてげ日記から)9分の差で明るさが随分違うのが分かる。何故、この画像に行き着いたかと言えば「やいや マッポスじゃが」の言葉。阿蘇に住む甘木氏が、友人のブログに「台風6号がマッポスじゃが」の文章を見て検索したら我輩の古いHPで、やっぱり台風にからむ文章に「ヤイヤマッポスじゃが」があったのでと書き込んでくださったことで彼のブログからたどったらすぐに見つかり、この画像にも遭遇。「やいや、ぼどっ おんなじ写真じゃが」となった次第。「ぼどっ」という地言葉は未だに良く分からないので使い方が間違っているかもしれない。マッポスは真っ直ぐ、真っ正面、ドンぴしゃりといった感じ。「ぼどっ」は「どっさり」ドンぴしゃり」かな?
Jul 19, 2011
コメント(2)
12時10分から13時50分の現在まで雨が止みセミが泣いている空は明るい薄曇り状態。風のほうもあまり激しくは吹いていない。3m程度。家内「セミが鳴いているけど台風どうなってるの?」「逸れたのかも知れんね」調べてみたら、進路は変わらず、雲渦巻きの隙間に入っているらしい。午前中雨を降らした大外の雲の渦の内側にかなり広い雲が少ない空間が出来ている。縦の空間なのであとしばらくは振らない状態が続きそうである。雲レーダーで見ると19時くらいには15ミリ程度の雨域に入りそうな感じ。東よりの風だし、艫の錨を上げると船が逆流して不味いし、増水すると錨が岸の杭に引っかかりそう。夕方ぎりぎりに川へ行って、どう始末するか決めよう。17時半現在、雨が降りだし、北東の風が11m台となった。総雨量はまだ70ミリ。台風6号の進路は相変わらず足摺岬へ向けて北進中、出来れば室戸岬までずれてくれればありがたい。昔から北緯30度で北東へ転進するというのでこれに期待している。(18:00)気象庁17時発表台風6号進路予報
Jul 18, 2011
コメント(0)
1時半就寝、7時50分起床。外は小雨、10時までTV.そのあとPCで気象関連検索。釣り船を係留している三財川上流「県営立花ダム」の放流量を見ると6万トンを超えている。昨日は11,000トンだったので「増水しているかも」と思い、近所に住む釣り仲間に電話。「ダム放流しているので川に行くけど乗せていこうか」「そりゃ都合がいいお願いします」雨は中程度(時間5ミリ)、現場に着くと、僕の船は岸に乗り上げて40度位傾いたいた。G君は向こう岸に止めているので、潜水橋を渡って後ろのイカリを上げに行った。僕も合羽に長靴姿に変えて川に入った。傾斜しているので押せば簡単に水上へ滑り落ちた。岸へ乗り上げた原因は、艫のイカリに柳の流木がかかりその荷重で岸に打ち寄せられたもの。やっとのことイカリごと柳を引き寄せて切り離し、イカリはデッキにあげた。前後2箇所の係留索を少し伸ばして上下移動をコントロールできるようのして作業終了。登録名「愚利公号」10:09、作業終了時の姿。現在、雨は中部九州で集中的に降っているが、部分的にはえびの市西内竪では35ミリの雨が3時間も降り続いている。西内竪は昭和40年ごろ集中豪雨の土石流で大災害が起きたところで、心配な場所。流域的には鹿児島川内川であり、大淀川、一ツ瀬川への影響はない。三財川(一ツ瀬水系)上流域の累加雨量は160ミリ、これが300に達すると我等の潜水橋は水没する。1000ミリを超えると中流域で氾濫し、我が家付近の川沿いの人は避難することになる。今回の降雨は今夜が峠で多いところで200ミリというから、釣り船は岸に上がるかもしれない。雨降れば 釣は行かぬに 金は去く 愚
Jun 11, 2011
コメント(0)
頼まれている原稿締め切りが明後日となったので取り掛かった矢先に天井でネズミの走る音。1週間ほど前から床下を齧る音がしていたのであるが、遂に穴を開けて壁から侵入したらしい。これまで、5匹位捕獲して焚刑に処しているのであるが、新天地開拓気分でやって来る。近所には、庫民家あり、納屋あり、廃屋ありでネズミはいくらでもいると推察できる。ネズミが現れると、捕獲するまでは安眠が妨げられるわ、何でも齧るわ、で気が休まらない。まいったなあ、明日からネズミ捕り大作戦を展開しなければならない。
May 30, 2011
コメント(0)
今夜も、アドビPDF編集サイトへのサインイン問題と格闘?アカウント作成プログラムに所定の事項を書き込んでも「このアドレスはすでに使われているので別のアドレスでやり直せ」という。ということは、以前に登録済みということに気づいた。ログインIDメモを探したら「あった!パスワード」が。今度はどーだ、とクリックすると「アドレス確認が期限切れなのでもう一度送信して再確認手続きを」その通りにやったら今度はちゃんとログインできた。ところが、ログインしたのは「無償体験版5回限り」のような感じ。それに加えて、PDFの結合が出来ないようなので「ただでも結合が出来ないなら使い難い。
May 24, 2011
コメント(0)
10時半就寝5時半目覚め、7時から朝のアイランドパーク散策。北園を一巡してみた。貸し別荘が園路に沿い11軒配置され、それぞれに花の名がついていた。海紅豆、さつきなど、ちなみに自分が泊まった棟は「うめ」で入口に梅が植えられていた。北園の最上部にレストラン「防人」が建っている。団体客を受け入れる大きな建物。北面にレストラン、奥側がお食事処の和室で、クラス会会場がここであった。8時からレストラン防人で朝食。泊り客は2人だけのようだった。10時のバスで桟橋へ向かう家内を送っていくために8時半にチェックアウト。入園ゲートに行くと、クラス会を迎えに行くついでに家内を送ってもらえることになった。お土産は宅配便を手配し、僕も同行する。10時15分発28分ごろ港へ。船はそこまで来ていた。クラスメートが乗った船が着いた。家内はこの船で福岡へ向かうが11時の出港なので見送らずにみんなとアイランドパークへ。途中で「海水浴場を見るか」と言うので「是非見たい」。狭い道を経て久保田ビーチへ。現在、コンサート会場づくりに着手中とのことで作業チームが入っていた。海水浴場のあるキャンプ場ということで子どもに大人気のリゾートだという。宮崎ではおなじみのワシントニアパームが売りの南太平洋風の眺めが中々よろしい。椰子の樹に吊った海上ブランコは子どもたちに大人気だろうね。11時にアイランドパーク着。みんなとはちょくちょく会っているらしく園主は挨拶もそこそこに「面白かけん、のこのこボールをやんしゃい」機能のこともあるので男性3人だけで少しでも廻ろう、ということになった。もともとゴルフは得意だったのでやり始めたら面白くて、9ホールを1時間で廻った。結構難しい。スイートスポットを外すとボールはあらぬ方向へすっ飛ぶ。強打しようとすると先ずはちゃんとヒットしないので大怪我。バーディー、パー、ボギー、ダボ、トリプル、フォースとすべてを打って汗だくで上がり。12時を廻ったところでクラス会会場へ。13時から17時まで、お食事処「防人」でクラス会、思い出話に花が咲いた。共通の話題といえば、63年前からクラスメートだった3年間のことしかない。何を食ったかあまり記憶にない。刺身がおいしかったなあ。クラス会参加者は園主を含めて11名であった。内男性は3名だけ。日本の男はダメになった。16時にお開き、レストラン前と、アスレチック展望台で記念撮影をして、園主の車で港へ。16時40分港着、アイランドパーク経営のみやげ物店で買い物をして17時の船でバイバイ。17時10分対岸着、バス停へ。僕が乗る博多駅行きが最初にきたのでみんなとこれでお別れ。18時15分予約しておいたホテル着。家内と合流。夕食はホテル1階のい居酒屋で済ませた。
May 18, 2011
コメント(0)
のこのしまアイランドパークに着いたのが14時45分、入園料1,000円は宿泊客は無料。入園するとすぐに創業者夫人で我等がクラスメート久保田睦子さんに遭遇、エールの交換。「時間があるけん、のこのこボールばしてみらんね。おもしろかよー」「いやー、この暑さじゃとても無理、園内を見て回ります」のこのこボールとは、ゲートボールの道具でパターゴルフのコースを廻る仕掛け。5月とは思えない暑さの中、家内と2人で先ずはのこボール場9ホールがある南園を歩いた。お花畑もきれいだったけれど、僕が気に入ったのは樹木の大きさと勢いの良さ。これは見事。30分ほどで南園を一周、疲れ果てて入り口に戻り「休みたいので貸し別荘のカギを貸して」「貸し別荘は防人の館に受付があるけん」「そこは何処あたり」「ここからは見えんずっと向こう」重い荷物を抱え、歩いて貸し別荘受付があるという「お食事処防人」を目指す。いい加減先に、それらしき建物があったので受付を頼んだら「まだ300m先です」そこは、古い郵便局を移設した喫茶店で入り口にあの赤いポストと公衆電話BOXが立っていた。その付近は中央園にあたる地域で、花園、山羊園、ウサギ園、児童公園などが配置。建物群は博多の古い町並みを再現した思い出通りと称する喫茶店、うどん屋、陶芸体験館、焼き物の絵付け体験館、西島伊三雄「わらべ館」などがあったが疲れていて素通り。北園への入り口には案内板の役目の新たな門があり、バレーコート、レストラン、貸し別荘、アスレチック場、お花畑などがあることを示している。15時47分ようやく「お食事処防人」前広場に到着、志賀島を見下ろす絶景が待っていた。受付を済ませ、夕食は貸し別荘で「バーベキュー」を、朝食は「防人」を予約後、貸し別荘へ。貸し別荘には、ラジオもテレビなし。これは納得できるが、インターホンも無いのには困った。何はともあれ、疲れていたので二人ともしばらく昼寝して目覚めたのは17時少し前だった。別荘の前の林の向こうにお花畑があり、現在は端境期でマリーゴールドとポピーの植え付け中。作業に使用している植え込み器に興味があってのこのこ見学に行った。「へー、こんな便利な園芸グッズがあるんだ。これは是非購入しなくちゃあ」そのついでに、狼煙台、防人の和歌、アスレチック台、西島童画碑など見学して部屋へ帰った。博多湾を眼下に望む展望台霞んでいるがはるかに福岡市外を見下ろすパークは標高200mくらいかなあ?万葉集にあるのこの島にちなんだ防人の歌福岡市在住のまま活躍した西島伊三雄さんはパーク創業者と深い親交があった。18時から19時まで縁先でバーベキュー、ビールと焼肉とオニギリで満腹。日が落ちて、暗くなった頃西空に真っ赤な満月が昇ってきた。今夜が満月だとは知らなかった。アスレチック台付設の「展望台」から博多湾上に昇った満月を撮影して、本日のメニュー終了。あとは、新聞を読んで、一風呂浴びて10時過ぎには就寝。夜中に2度ほど蜘蛛らしきものが頭と首筋を這ったために目覚めた。
May 17, 2011
コメント(0)
小学校時のクラス会が博多湾の「のこのしまアイランドパーク」で開かれることになった。4年振りの開催であったし、自分からの希望会場であったので重い腰を上げて参加した。73歳になって、クラス会でもあるまいし、とも思う人が多いらしく集まりはよくない。終戦1年後の男女共学になって初めてのクラス編成時我々は4年生であった。昭和21年、福岡県三井郡合川村立合川小学校4年生は3クラス編成で男女合わせて38名ほど。そんなにすくない学級編成だったのか疑問であるが、みなの記憶では40名は居なかった。我々のクラスは、12月から翌年3月生まれを集めた3組だったのでみんな小さかった。で、1組、2組は男性教師が担任、3組は味噌っかすで女学校出の代用教員の杉本静子先生だった。優しい人で叱ることも出来なかった。甘く見た男子児童はしばしば学業を集団放棄した。そんな時、叱るのは1組、2組の男先生だった。しかし、戦後の民主教育変換で殴られた記憶は全く無い。殴られないから悪さは収まらない。4,5,6と持ち上がりで、杉本先生をどれだけ困らせたのかそれだけが今も男子生徒の記憶に鮮明に残っている。そういうことで、このクラス会だけは連綿と続いていて、集まるたびに杉本先生宅へ押しかけて行っていたらしい。高校生の頃最初のクラス会が小学校で実施されて参加した記憶がある。僕は高校卒業後は宮崎に来たので30年以上誘いもなく疎遠になっていてクラス会に復活したのは60歳過ぎてから。誰かが思い出して、実家を通して連絡してきたもの。誘われれば嫌とはいえない性分なのでそれ以後は遠路はるばる参加するようになった。前置きが長くなったが、18日11時のこの島集合の約束だったので、僕は17日の内に島に渡り宿泊する計画を立てた。のこのしまアイランドパークの創業者夫人が奇しくも我等がクラスメートだったのである。久保田耕作氏と夫人睦子さんが両の手4本だけでサツマイモ畑を今の公園にした。前回のクラス会で睦子さんの苦労話を聞いた僕が「一度行ってみたいので是非次のクラス会はのこのしまで開いてよ」と幹事役のU君へ申し入れしておいたものが実現したのである。17日7時40分家を出て、JR佐土原駅、宮崎駅、高速バスで福岡市天神へ。宮原インターで10分間の休憩。左のバスが宮交のフェニックス号。それから西鉄バスで三越前から能古島渡船場へ着いたのが14時少し前。ここから、14時15分発、のこの島行き「フラワーフェリー」10分の船旅で能古港へ。能古渡船フェリー「フラワーのこ」フェリーの名称からして「アイランドパークの花園を象徴する」物となっている。14時23分のこのしま桟橋到着。港からパークまでの西鉄の路線バスも西鉄のドル箱路線となっていると言うから大したもの。14時48分、やっとのことのこのしまアイランドパークへ横着した。7時間の旅であった。
May 17, 2011
コメント(0)
75分間の特番で厳選?された津波の映像と九死に一生を得た人の証言は生々しかった。それにしても、逃げる時間は十分あったのに逃げずに辛くも助かった人がかなりの数。亡くなった2万4千人の人は、逃げ遅れたと言うよりは逃げなかった人たちなのだろうか?勿論「早く逃げろ」と住民をせきたてていて殉職した公務員、消防団員もたくさんいた。「ここまでは来ない」「津波は起こらない」「津波は念頭に浮かばなかった」人々。「もう来ない」と屋上から体育館へ移動した父母と子どもたち。そのあとやってきて間一髪で再び屋上へ。これなどはリーダー不在と情報収集していなかった。仙台平野を襲った津波は最大6キロ奥まで侵入していた。津波侵入範囲は、地質調査により869(貞観11)年に東北地方を襲った巨大地震・津波(貞観地震)ほぼ一致する範囲であり、研究者からの警告も発せられていたと言うから「想定外」ではなかったわけである。それに、結果論に過ぎないが感じたのは大津波警報のアナウンスが、マニュアルどおり、原稿どおりの読上げで切迫感に欠けていた。アナウンサーも、まさかあんな大津波が来るとは感じないでアナウンスしたので、うまく伝わらなかったと思う。マグニチュード9近い巨大地震が沿岸部で起きたら「逃げろ、逃げろ、大津波が来るぞー」と叫んで大音響のサイレンを吹き鳴らすぐらいしないと人は驚かないと思った。車で押し流されて助かった人は、非常放送は耳に届いていなかったと話していた。結論としては、生死を分けるのは、各人が身に付けている「危機管理能力」次第だと言えるが、これが無い人をリーダーに仰ぐ集団、特に学童は悲惨なことになる。
May 7, 2011
コメント(0)
1時就寝、6時半起床。1時間間違ってとんだサマータイム。新聞を読んで、ケールを採取して朝食後10時頃選挙事務所へ陣中見舞い。地元の自治会長会長が地元候補の後援会長になって事務所の中央に陣取っている。後援会長は端のほうに座るべきだとのたまう女史もいるとか。要するに今回の選挙は、市議空白地区の自治会長たちが危機感から新人候補を推している。後援会長も事務局長もどちらも校長先生出身の自治会長。選挙のプロは1人だけでいて、実質その人が仕切っている感じである。中山恭子参議院議員が激励に現れたのは、何か縁故があったのだろう。11時半帰宅。昼食前菜園の除草、昼食後はケール双葉苗のポット上げ13ポット。サヤエンドウをわずかばかり収穫。ウスイエンドウの幼莢もとってみたが美味しくなかった。今夕16時から地域の住宅密集地を歩いて握手作戦、最後のお願いに自分の地区付近だけ随行。自分も自治会長の一員なので地区内を通過する部分はカメラ取材を兼ねてついていった。1時間歩いたら、足も腰も痛くなりリタイア。19時~自治公民館の草刈りをしてくれたS君を招いて小宴会。21時まで。折角用意していたフッコの刺身を出し忘れて彼が帰ったあとで気づいた家内大ボヤキ。昨夜釣り仲間が届けてくれたルアーで釣ったフッコ。自分も、今夜は人を招いたにしては料理が貧弱だなとは感じていたが、地鶏の炭火焼が大量にあったのでいいかなと思っていた。結局、ご飯粒は口にしなかった。
Apr 23, 2011
コメント(0)
0時半就寝、6時半起床。寒くてストーブをつけた。本日休養日でゆっくりできる。9時までアサイチ、スーパー主婦の技に感動?9時から9時半まで菜園巡回、ニンニクの董立ちを切り取った。莢豌豆を少し収穫。相変わらずの雨不足で、4月3日に蒔いたケールがようやく発芽しだした。10時から自治会会計事務と資料配達1軒だけ。昼食は、ご近所さんのご子息夫婦が開店した「フランスパンと軽食堂」へ出かけた。店の名は「Petit Lapin プチ・ラパン=小ウサギ」、先日下見とパンだけ買って帰った店。店主の「しょうちゃん」はもともとフランスパンとケーキのパティシエ。フランス料理はロンドンでフランス料理店経営の叔父さんが助っ人で来日して特訓中だとか。家から南東へ12キロほどの海岸近く、やや辺鄙な場所で分かりにくいところ。昼食のメニューは1種類3コースで、お値段は1,200円。焼きたてのソフトフランスパンをお好みの3種類の食べ方で食べるメニュー僕は「つけて食べる」を選んだ。トマトソース、温泉卵、キャロットスープ。家内は「挟んで食べる」で生ハム、チーズ、ともうひとつはジャムなど塗って食べる。メインは僕は「ハンバーグ」で、家内は「ナイルパーチ」。どちらも美味しかった。パンは美味しくて、食べ放題だったので食べ過ぎてしまった。パンの食べ方が3コース、メインがパスタ、魚、肉の3コース。これを好みで組み合わせる仕掛け。お昼に1,200円は贅沢だけどたまにはいいかな、て感じ。23席で白壁の南仏風のお店だとか。出掛けに玄関前のツバキの枝に最後の一輪を見つけたので撮っておいた。今日のトピックの窮めつけは、強風と4月半ば過ぎとは思えぬ寒さ。最低気温9.1、最高気温17.0、西北西の風15.6m。明日は20度を以上の予報。相変わらず雨が降らない。3月中旬から小雨が2回だけ。畑はからからで玉ネギが太らない。
Apr 19, 2011
コメント(2)
12時半から、庭に出て明日の軽トラ市事務局号出品苗3ケースのポット洗浄など。リュウノヒゲ24P、イチゴ苗24P、菊冬至芽苗16Pの3種類。各ポット50円、100円、100円。全部売れても5,200円である。一杯やれる金額ではないな。
Mar 25, 2011
コメント(0)
15時44分頃すごい爆発音がして家中がガガガタ鳴り出した。すは大爆発だとカメラを片手に宝塔山展望台へ。先着の見物人が5名ほど。真西に霧島連山が見え、噴煙があがってはいるが白っぽい煙でたいしたこともない。宮崎市佐土原町宝塔山公園展望台からの新燃岳噴煙ただ空振は間断なく聞こえてくる。南東に流れる噴煙の下は火山灰で大変だろう。17時帰宅、空振が続き襖戸のガタガタが鳴り止まない。南の空一杯に噴煙が流れ、不気味なドドン、ドドン、ドドドン、ドンが鳴り続いている。鹿児島県姶良・伊佐地域振興局設置ライブカメラ画像17時50分。同上18時08分、空振は止んで噴煙も少なくなった?
Jan 27, 2011
コメント(2)
13時40分から16時55分まで地域づくり協議会事務局で仕事。帰路についたところで思いが変わって再び川へ。真っ赤な夕日が取れるかもしれない。ところが、堤防上に達して既に日没しているのを知った。まあいいか茜の空でも撮ろう。16時51分堤防の上から西空を撮る。17時0分河川敷内農道を北へ向かう車から尾鈴山を望む。17時2分潜水橋から三財川上流の水道橋を写す。17時6分同上。17時8分潜水橋から下流一ツ瀬橋を望む。17時9分船着場のランドマークツリー栴檀。17時13分河川敷から日没付近を撮る。17時14分九州山地が横たわる一ツ瀬川上流を望む。17時16分最後の画像。
Dec 4, 2010
コメント(0)
今日は午前から仕事に行こうと思っていたが、長男が14時に発つというので午後からにした。乗ってきた車はダイハツの軽スポーツカー。新車を買って5年のものという。ダイハツ・コペン(二人乗りのオープンカー仕様)スピードが60キロ程度しか出なくなり。坂道では出力不足でトラック並みと言っていた。宮崎ダイハツから取りに来てもらったけれど部品がないとかで修理できず。仕方がないので、時速60キロのまま、大分まわり、国東の竹田津からフェリーで徳山に渡り、広島まで100キロを又60キロで走って帰ると13時50分に発っていった。オイル交換を怠ったことでターボエンジンのノズルが詰まったかで出力が出なくなった?そんな事があるのだろうか、コンピュータシステムの不具合が出たんじゃないかと思う。19時過ぎに竹の津に着いて、20時10分のフェリーで徳山まで2時間、それから3時間、自宅着は午前1時くらいになろう。11時間かかるが運転時間は8時間ほどだから高速とあまり変わらない。ハナシを今日の出来事に戻す。14時に事務局へ。16時まで29日の会議録を作成。要望事項を総合支所へ電話。別の案件について消防署へ電話するも担当者非番。16時10分帰宅し、即菜園へ。南側境界付近に繁殖した「オリヅルラン」ランナー切除。大量のランナー苗が採れたけれど殆ど不要、15株くらいをプランターに植え込んだ。右が地植えの親株でこのまま越冬できる。左園路上が廃棄するランナー。すべて廃棄処分は不憫なので選抜株だけをプランター上げ。ついでにリュウノヒゲをプランターに植え込んだ。作業終了17時半。相変わらずやぶ蚊はブンブン、外はまだまだ蚊取り線香が必要である。
Nov 1, 2010
コメント(2)
警察の届けると後が面倒なのでしたくなかったのだけれど、人の勧めもあったので。船の避難場所が川向こうなので高鍋警察署新富交番管轄。12時半ごろ新富交番に電話したら新田派出所が担当だから連絡すするとの返答。そのあと13時半に連絡があり新田派出所が留守、交番の自分が行くから20分後に来て!印鑑、船検査証など持ち、川向こうの現場へ。距離は1キロ足らず北方の畑の中。一ツ瀬マリンの経営者も来て被害調書作成に1時間以上かかった。どこも壊さずに船外機だけきれいに外して持っていったのが不幸中の幸い。一ツ瀬マリンの若旦那も来て事情聴取。無いのに気づいたのは1カ月前だった。会社は上げ下ろしは金貰っているがタダで置かせているだけだから犯罪には関与しない。そのあと、指紋採取など実地検分これに30分くらい。終わったのが16時20分だった。出てくることは期待できないが船外機の製造番号から足がつくかもしれない。この際15馬力のヤマハフォーサイクルエンジンが欲しいけれど新品は50万円。10年経過の中古品でも10万円以上はするだろうな。
Oct 26, 2010
コメント(0)
0時半就寝、7時半気象。外は雨、しかし今日は料理教室の主催者。大急ぎで朝食の前に菜園巡回、収穫は後回し。朝食後家内は公民館へ。料理教室の世話役。講師は自治会内の料理、菓子作りの名人主婦なのでおまかせでやってもらう。自治会長は、レシピつくりとカメラマンとお相伴が仕事。9時半から14時までお付き合いをした。帰宅後早速画像集を編纂。参加者に配る。本日大雨の一日だった。24時間雨量が100ミリ。折角芽を出したタカナがワヤだなあ。
Oct 24, 2010
コメント(0)
トシオトコといっても干支で言うトシオトコではない。一番活躍した男。今日のイチロー5打席、4打数4安打1四球で10年連続200安打へあと3本となった。日本プロ通算1,278、メジャー9年通算2,030、今年197、計2,227、今現在3,505安打。メジャー記録:P・ローズの4,256だから日米通算では、これを抜く可能性?あと751安打。ヤンキー魂としては「日米通算なんて認めらるっかい!」だろう。しかし、イチローが200安打したのは渡米7年前、試合数からみて、通算で超えれば世界一。次は、双葉山の記録に迫りつつある白鵬。その前に4場所連続全勝優勝の記録がある。双葉山の69連勝は、年2場所制のころの記録だから2年連続無敗という信じられない記録。さらには、5場所連続全勝でもあった。白鵬が今場所全勝すれば、4場所連続全勝優勝で62連勝かな。そうなれば九州場所の7日目でタイ記録、中日で70連勝の新記録達成となる。双葉山は地元大分県出身、郷土出身大横綱の大記録が外国人に破られる。大騒ぎになるなあ。不滅の大記録と思われていた69連勝、白鵬が逃せば、さらに70年くらい待つことになる?もう一人のトシオトコは左腕のトルネード投法で春夏の甲子園を制した島袋洋奨投手。殆ど一人で投げきったのがすごかったが自分の力を冷静に分析していて大学進学を志望。5点差を逆転してくれた旧友に対する敬愛の心、勝っても敗者の気持ちを慮る克己心など立派。野球がダメでも大成できる人材であって欲しいね。ちなみに春夏連覇した投手で大成したのは横浜高の松坂大輔だけ。島袋はどうなのだろうか。
Sep 22, 2010
コメント(0)
0時就寝、6時起床。6時半から8時まで菜園収穫、除草。苦瓜の蔓の間引き。15分間で朝食を済ませ、「餅つきの仕込を8時半にするから来て」と副会長へ電話。ところが、肝心の餅とり粉が1袋しか無い。「1袋持って来て」とまた副会長へ電話。丁度8時半に最初の2升を蒸し始め、最後の4回目の餅が搗きあがったのが12時半。餅っこで1回1時間を要したことになる。メインは紅白餅31セットを作ること。結果的には35パックができた。余分の白餅35個、あんこ餅が40個ほどで終了。餅つきと平行して、会場の飾りつけ、昼食準備など。13時過ぎ準備参加者10名で昼食会。14時からは、明日の敬老会参加者に配分する餅の仕分け。出席者、欠席者、準備参加者など。さらには、地元農業団体に会場を貸していたのでその対応。16時からは団体代表者と囲碁対決、1級だと言うので僕が白で対戦。「ケンカ碁で行こう」2戦とも、隙を見て大石を取ったので中押しで連勝。「次からは2目じゃな」で相手も納得。農業団体の仕事が17時に終了したので日誌を書いてもらい戸締りをして帰宅。17時15分。本日は終日、自治会用務で自治公民館詰めであった。本日のブログこれにて終了。これから(一人2,000円ぽっちだが)敬老祝い金の準備後イサンと龍馬伝を視ないといけない。
Sep 19, 2010
コメント(0)
全292件 (292件中 201-250件目)