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もっちん4476さんComments
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法然房源空
法然は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧で、浄土宗の開祖。「法然」は房号で、諱は源空(げんくう)。幼名を勢至丸。通称黒谷上人、吉水上人とも。
大師号は、現在「円光(東山天皇1697年)・東漸(中御門天皇1711年)・慧成(桃園天皇1761年)・弘覚(光格天皇1811年)・慈教(孝明天皇1861年)・明照(明治天皇1911年)・和順(昭和天皇1961年)大師としており、50年ごとにときの天皇より諡号を賜る。
真宗七高僧の第七祖。浄土真宗では、源空を元祖とする(親鸞は、開祖もしくは宗祖と呼ばれる)。弟子である親鸞は、法然を「本師源空」や「源空聖人」と「正信偈」「高僧和讃」などにおいて称し、師事できたことを生涯の喜びとした。

美作国久米(現在の岡山県久米郡久米南町)の押領使・漆間時国(うるま ときくに)と、母・秦氏君との子として生まれる。
「48巻伝」(勅伝)などによれば、9歳のとき、源内武者貞明の夜討によって父を失うが、その際父の遺言によってあだ討ちを断念する。
その後比叡山に登り、初め源光上人に師事。15歳の時(異説には13歳)に同じく比叡山の皇円の下で得度。比叡山黒谷の叡空に師事して「法然源空」と名のる。
承安5年(1175年)43歳の時、善導の「観無量寿経疏)によって専修念仏に進み、比叡山を下りて東山吉水に住み、念仏の教えを広めた。この1175年が浄土宗の立教開宗の年とされる。

文治2年(1186年)大原勝林院で聖浄二門を論じ(大原問答)、建久9年(1198年)「選択本願念仏集」(選択集)を著した。
元久元年(1204年)比叡山の僧徒は専修念仏の停止を迫って蜂起したので、法然は「七箇条制誡」を草して門弟190名の署名を添えて延暦寺に送った。しかし興福寺の奏状により念仏停止の断が下され、のち建永2年(承元元年・1207年)法然は還俗され藤井元彦を名前として、土佐国(実際には讃岐国)に流罪となった。讃岐国でも布教足跡を残し、香川県高松市にも法然を偲ぶ法然寺(京都の法然寺とは別)がある。4年後の建暦元年(1211年)赦免になり帰京し、翌年1月25日に死去、享年80(満78歳没)。
なお、建暦2年(1212年)1月23日に源智の願いに応じて、遺言書「一枚起請文」を、記している。
法然の門下には証空・親鸞・蓮生・弁長・源智・幸西・信空・降寛・湛空・長西・道弁らがいる。また俗人の帰依者・庇護者としては、九条(藤原)兼実・宇都宮頼綱だが著名である。
