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もっちん4476さんComments
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称名念仏
「佛説無量寿経」には、阿弥陀仏に現世で救われて「南無阿弥陀仏」と念仏を称える(称名)身になれば、阿弥陀仏の浄土(極楽浄土)へ往って、阿弥陀仏の元で諸仏として生まれることができると説かれる。なぜなら法蔵菩薩(阿弥陀仏の修行時の名)が、48の誓願「四十八願」を建立し、とくに18番目の願である「第十八願」(=本願)に
「設我得佛十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆誹謗正法」
意訳「わたしが仏になるとき、すべての人々の心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生まれることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます」
と誓う。そしてすべての願が成就し、阿弥陀仏に成ったと説かれる。
よって浄土往生の道が開けるのは、阿弥陀仏の本願にとるものであり、この理(ことわり)を賜る(=信心をいただく)ことにより救われるとする(易行道)。ゆえに阿弥陀仏より賜る「信心」を救いの因とし、その「仏恩」に対して自然に湧き起こる「報謝」の心によるものとする。そのことを「信心正因」 称名報恩」という。念仏を、極楽浄土へ往生するための因(修行)としては捉えない。

他力本願
阿弥陀仏の本願のはたらきを、他力本願と呼ぶ。しかし、自力で悟りを開こうとする人(難行道を選ぶ人)を否定するものではない。
「正信偈」に
「禰陀佛本願念佛 邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯」
とあり、信心を獲得することは、非常に難しいとも親鸞は述べている。
本来の「他力本願」の意味を誤用し、一般化した「他人まかせ」や「太陽の働きや雨や風や空気、そのほかの自然の働き」という意味での使用は、敬虔な浄土真宗信者(門徒)は、後者の表現を嫌悪・忌避する。
悪人正機
「悪人正機」と呼ばれる思想は、すでに親鸞の師である法然に見られる思想であるが、これを教義的に整備したのが親鸞であるともいわれる。悪人正機は、上記「他力本願」とも関係する思想である。「歎異抄」の第3章に、端的に表現されている。
現世正聚
現世正定聚とは、阿弥陀仏に救われた「信一念時」に、仏のさとりと等しい位である「等正覚」となり、滅度に必ず至ることが確約された身となることをさす。すなわち浄土の功徳を感得し証しながら、五濁悪世の現世を煩悩を持ったまま生きていくこと。
