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日本随一の観光地としてよく知られる京都。実はこの京都にはもうひとつ、一般によく知られているとても有名なことがあります。それは【学生活動がとても盛んである】ということ。京都は昔から文化や伝統に対する造詣がとても深い街であったため、大学・短大を合わせて37校が京都市内に集中しており、その中には西の頭脳・京都大学をはじめ、京都府立大学・同志社大学・立命館大学・龍谷大学・京都外国語大学・ノートルダム女子大学・京都女子大学と全国にその名がとどろく有名大学が多数存在しています。そしてこれらの有名・伝統校には全国からたくさんの学生が集まり、なんと京都市内に住む学生総数は13万人に達すると言います。いってみれば松江市全員が丸々学生によって構成されているといえるほどの人数です。これはただ単に京都が大都市であるからそれに比例して学生の人数も多いのだ、というわけではありません。例えば総人口で京都市を大きく上回り大学も相当数集まっている大阪市の学生はたったの3.6万人。京都の13万人と比べればいかに京都の学生数が飛びぬけて多いかがわかっていただけるでしょう。それだけ学生数が多ければ自然といろいろな学生活動の基盤がつくられるようです。現在京都ではそれぞれの大学において学生によるポータルサイト(※1)が作られたり、大学間の相互交流イベントが行われたり、大学発のベンチャーが多数誕生したり、ついには学生達が文部科学省を動かし単位互換制度というものを認めさせたりと、その活動はとどまることを知りません。ここまでを読んで「何を遠く離れた場所のことを・・・」と思われるかもしれませんが、実は京都と松江、"観光が街の重要な産業である"ということ以外に重要な類似点があるのです。そう、【街の人口に対する学生数が極端に多い】ということです。京都市の人口は平成16年8月現在で約146万人、その中に含まれる学生の数が約13万人ですから京都の総人口に対する学生の割合は8.9%。それに対して松江市の人口は約15万人、そしてその中の学生の数は島根大学・女子短期大学・松江高等専門学校をあわせて約7500人。よってその割合は京都に及ばないものの5%にも達します。これは先にあげた大阪市のそれがたったの1.3%ということから見れば格段に大きく、やはり松江市も『学生都市』と呼ぶに十分にふさわしい街なのです。京都の学生はいい意味で洗練されているそうです。多くの人と交わる中で、交渉し、売り、お金をだしてもらい、人を指揮し、協調する。学生のうちからこのようなことができる機会が多い京都の学生はやはり社会人としての基本的な能力が備わっているらしく企業の人事部の反応も良いと聞きます。しかし、同じく人口の大部分を占める松江の学生のほとんどは私を含め狭い大学のキャンパスを出ることなく生活のほとんどを大学周辺でまかなっているため、ほとんど地域とも他の学生とも関わらぬ世間知らずのまま卒業をむかえてしまいます。私たちは京都の学生と同じような社会的な環境にいるのにこれは本当にもったいないコトだと思います。そこで私は『しまね学生コンソーシアム』の設立を提案します。ひとりでは、ひとつの団体ではこの街には少しの影響しか与えることができないかもしれません。なにかをはじめるときの逆風にくじけてしまうかもしれません。しかし毛利元就が三矢の教えで言ったように、集まることで、相互に協力しあうことで足し算以上の力を持てるかもしれません。人と交わればそこでそれぞれが自分にあった役割を見つけたり、自分に何ができ何にむいているのかを知ることができるかもしれません。そこで私は学生活動先進国・京都を手本にしならがこの島根でそのような共同体を作ることで社会に出て自分の生き方の大筋が決まってしまうその直前のこの学生という貴重な時期に、それれぞの能力を育みそしてそれを見定める場として活用されることを願っています。4年後、この島根の貴重な資源のひとつに「人材」という言葉がならぶことを目標として、私はこの『しまね学生コンソーシアム』の設立に全力を尽くすつもりです。どうか皆様、ご協力ご声援いただけますよう、お願いいたします。※コンソーシアム:協会・組合・連合※1 ポータルサイト:インターネットの入り口となる巨大なWebサイト。YahooやMSNが有名。
2004.09.12
遠慮や配慮、謙虚。私が日本人の美徳として愛してきた言葉だ。私は目立ちたがりではあるが、でしゃばりはキライ。「実るほど こうべを垂れる 稲穂かな」「言うは易し 行うは難し」大言を吐くというのは才能ある者にしか許されないし、能力が足りないものが吐くのはホラだと思ってきた。実際私がその能力を認める人はみな誰に対しても低姿勢でで紳士的だったし、私が見てさほど優れているわけでもない人間に限って他人にエラソーにしていたり。それを見るたびに私はイライラ。歳を重ねたことが、早く生まれたことがそんなにエライのか。だから私自身は今まで人を呼び捨てたりすることはまずなかったし、誰に対しても丁寧な言葉使いを心がけてきたつもりだ。そしてどうなるかわからない将来のことを口にすることはなかった。私が考えることは常にとんでもないし、ホラとしか見てもらえないだろう。そう考えられることがイヤだったから。でもいつだろうか。「そういうお前はどうなんだ!?」と言い返されたくないだけじゃないかと気がついた。そして「私にそれを言う資格はない」といって話の問題点や自分の意見や要望を口に出さないのはお互いにとって不幸なのではないか。という気がしてきた。悪評を身にまとおうが偏見を集めようが「自分が正しいと思ったことをする」ということがたぶん大切なんだろう。世の中に無神経ほど強いものはない。─勝海舟私もそう思う。
2004.09.09
大分前(起業を志す~海に出るということと一緒)に書いたんですけどね、出す機会がなかったので今まで埋もれてました。でも今が公開の時だと思ったので載せます。 私は小さい頃からずーっと海を見ていました。私の両親はともにが海に出ている人だったので、私はよく二人から海の話を聞いていました。それが例え陸の話だっていつも視点は海から見たもの。私のものの見方がいつの間にか同年代の人達とはまったく違ったものになっていたのは仕方のないことなのかもしれません。いつか私はこう漠然と思うようになってました。「将来、私は海にでる人になるんだろうなぁ」成長するにつれて「モノを書く人になりたい。」と思ったり「子ども達に『社会』を教える人になりたい。」と思ったこともありました。が、どれもぼんやりとした希望でその背後にあるのは「それでも私は海に出る人になるんだろうな」という予想でした。大学に入り、ようやく自分の意思と覚悟で行動できるようになった私はやはり海辺に立っていました。そしてその海辺でじーっと陸と海を眺めていました。そこから見ているといろんなコトがわかります。陸はぜったいに沈まない安全な道であること。その道を一歩ずつ確実に歩ける人が最も素晴らしいということ。そして今の海の状況はとんでもなく悪いということ…。大人になってはじめて実感したその海の荒れ方は、海にでたことのない私にも垣間見られました。そしてこの荒波を、小さいながらも舟でずーっと航海をし続けてきた親の偉大さに今更ながらに気付いたのもこのあたりでした。「こんなご時世に・・・ 海なんて危ないよ。」「みんな丘に向かって歩くのにボーっとしてていいの?」だいたいの人は私にこう言います。ただ昔からなんとなく"みんなとは違う"と思っていた私はそういうのに慣れっこになっていたので「そうだね。今は考えているんだよ」と答えるだけでした。そして多くの人は丘に向かって歩いていき私の近くからいなくなりました。確かに寂しいと思うことはあるけれどいつかはそうなる、わかっていたことでした。でも逆に私は松江に来て海でに出ている人達とお知り合いになることができました。「私は海に出たいんです」というと皆さん決まって海の怖さを告げ、そして親切に航海の仕方を教えてくれました。それらは全ておもしろくためになる話ばかりだったのですが、ただよく考えたら私は海どころか水につかったことすらなく、どうも実感がわきません。「殴られたらいかに痛いかをどんなに理解してみても、実際に殴られるまではその痛さはわからんもんだ。実際に海にでてみなければ。」たぶん海に入ればこの人達の言っていたことも違って聞こえるんだろう。そうやって私が海に入ろうと考え始めた頃、そばには私と同じく海を目指す若者が少なからずいることに気付きました。でもそれこそみんないろいろ。場の雰囲気でいきなり海にとびこむ人。ひたすら準備体操に余念がない人、泳ぎにきたのにずーっと砂いじりしてついには帰っちゃう人。そういや浮き輪でずーっと浮いてる人もいたっけな。「出発点は同じなのにいろんな人がいておもしろいなぁ」独りじゃないことに安心した私は海に入ってみることに。でも水が思ったより冷たくて体がおもうように動きません。「こりゃぁ 溺れるな。まず船がいる」本とかを見ながらいろんな人に手伝ってもらいながら私はひとつの手製のこじんまりした船をつくりました。でも水には一応浮いてはいるものの体重をかけたら沈むのは目に見えてます。恐ろしくて乗れません。どうしようかと悩んでいる私の横を、私と同じようにこの浜辺からぎこちないながらも舟で出航した人達が沖にむかっていきます。慣れない航海にみんな必死ながら充実してるみたいです。「カッコいいなぁ。私も早くああなりたいなぁ」---・---・---・---・---・---・---・---・---・---・---・---・---・---・---・---今日、しまね産業振興財団の方にお邪魔してきました。直接はソフトビジネスパークのオフィスの使用期間延長のことについてだったんですが、いろいろ、本当にいろいろ、親身になって相談していただけました。その中で財団の方に言われたハッとなったことがあります。「あなたは泳ぐ練習がしたいのですか? 舟に乗ってみたいのですか? 舟にのって航海に出たいのですか?」私は情けないながらも舟は作ったし、その舟の浮力を上げるために努力はしているつもりでした。少なくても前には進んでいる。でもそうじゃないんですね。舟に乗りたいならそもそも自分の舟じゃなくていいし、その舟で一生という航海にのりだす覚悟なら今のようなチマチマとした整備改修では間に合わない。そして泳ぎが覚えたいのならそもそも舟なんかいらない…。私の悪い癖は今の状態がずーっと続くとおもってしまうこと。私は自分のことを若い、というより若輩者として考えています。それは見ている先が海千山千の猛者たちが集うこの社会だから。でも私もいつまでだって若いわけではありません。思えばいつだってそう。大学祭をしている時だってあのイライラする充実感が永遠に続くものだと思っていたし、ヒッチハイクの時もこのピーンと張り詰めた高揚感がずーっと続くものだと思ってました。そしてまた先日書いた、あの尊敬すべき先輩とはいつでも駐車場で朝まで語り合えるものだと信じていました。でも、今では何一つ残っていません。昨日と今日の違いはほとんどありません。今日と明日の違いもほとんどないでしょう。でも1年後、今の私の現状とは半分は状況が変わっているはずです。その次の年にはさらに半分に。何ひとつ永遠に続くものはないのです。やっと気付いたような気がします。私もいい加減、ピーターパン症候群から卒業しなければいけませんね。『Something changing.』私が好きな言葉ですがこれからは『It had already changed.』をモットーにしていきますかね。話が大分それてしまいましたが、私がいつも「なぜ起業したいのか?」と問われたとき、こたえることにしている言葉を書いて終わりにします。「私は決してコロンブスやヴァスコ=ダ=ガマになりたいんじゃないですよ。こんな時代だからこそ海にむかう人間になりたい。私が海にむかえば誰かも海に出るかもしれない。そして、もしその中からホントにコロンブスやヴァスコダ=ダ=ガマがでてきたら素晴らしいじゃないですか。だから私は大西洋に消えることになっても後悔はしないと思いますよ。」やっぱり私はこの歌好きだなぁ~ 明日を願う胸に 大事にし過ぎてた儚い日々が 無駄にならないと信じてるから どこに辿り着いてもいい ~
2004.09.08
もうちょっと待ってくださいね。いまいろんなことでアップアップしてて参ってます。しかも「コーヒー飲んだら眠くならない!」って無理してたら頭も痛くなってきたし。この、なんでもやらんといかんことよりやりたいことを先にしてしまう性分をなんとかしたいのですが、ほんと直らず、どうしていいものか悩んでいます。ホント、これをどうにかしないで夢も大業もないので本気で落ち込んでたりします。ただ、いつも私の場合プラスとマイナスは一緒にひっくるめてくるものこんな状態でも頭の働きと前向きな姿勢だけは活発でして今もまた友人の協力により新しい2つの企画が動き出そうとしてます。ひとつはワンテーマ無茶モノ、ひとつは知的好奇心を満たす無駄モノといったところでしょうか。彼らとその話をしながら「私はこういうのをするためにサイトをはじめたんだった!」と去年の夏以降久しぶりに味わってなかった企画を作る楽しみを感じてます。 また、かねてから言っていた学生による交流会も実現にむけて手をつけたところです。人の縁ってのはそれぞれの能力や才能を超えた強い力を発揮するものだと信じています。だからこそその縁をさらに色あざやかに織り出すことができたらなぁ。それはこの街にひとつのウリを作り出すことにもなると思うんですけどね。
2004.09.02
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