2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全11件 (11件中 1-11件目)
1
8月22日ついにヒッチハイクに出発する日。出雲大社にいってきて小旅行の心積もりもできたし、念願かなう時がきた。去年、なりゆきで彼らのかわりに岡山で車を止めたことはあるけど自分で車に乗せてもらうのははじめて。すっごいドキドキする。まず荷物の点検・何はなくても水。ちょっと大きい1リットルのペットボトルに麦茶をいれて持っていく。水があれば人間死なないらしいし。・食べ物。少なくても餓死したり動けなくならないようにカロリーメイト2箱購入。1日1箱食べれば大丈夫かな?・雨具。原付に乗る用の防水コートを荷物に入れる。念のため折り畳み傘も。・着替え。風呂に入れないことが予想されるのでTシャツだけはいっぱい。去年役にたった香水も忘れない。・ケータイの電池。去年は車でついてた私たちが充電してが私にはフォローがない。どこで充電できるかわからないけどコードを持っていく。もしどこも充電できそうじゃなかった時のことを考えて乾電池も用意する。・暇になったとき用に本2冊とCDウォークマン。いらないかもしれないけど一応。・スケッチブック。ヒッチハイクの絶対の武器だと私は思うのでまず購入。ペンも赤黒青の3種類を持っていく・地図。これもかかせない。車に積んである去年も大活躍の西日本全地図を準備。無駄にデカいが新しいの買うほどのことでもないので。・そして去年の写真。私の手元にあって今でもお会いできそうなのは新見のめし屋さん、岡山でお世話になったおばあさんとおじいさん、宝塚市役所。これをお渡しするのが今回の目的。カラープリンターで印刷してバインダーにはさんでもっていく。・服装。私は黒い服とサングラスをよく身に着けているのだがさすがにそれは感じが悪いので色のないメガネと白で統一した服装。これなら遠くからでも目立つはず。ただ去年の彼らは水郷祭の旗、派手なキラキラのついた看板を着用していてあきらかに企画という安心感があるが私はこれではただのさすらい人だ。ということで目立つために秘密兵器「新選組の羽織」を用意。NHKでも今やってるし、まさか新選組が強盗するとは思わないはずなのでいざ止まってくれないときは使おう。この時点でかなりの荷物。最初は旅行用の大きなバッグにしようと思うも「ひとの車に載せてもらうカバンじゃないなぁ」とかなり衣類を減らして手提げ1つに紙袋1つにまとめる。ついに出発。家を出たのは準備にまごついて予定よりかなり遅い午後3時。いきなり学園通りやくにびき通りでヒッチハイクやりはじめるのはさすがに恥ずかしいのでここはバスにのって松江駅にでて9号線まで歩く。そして9号線・くにびき通りが交差するローソン・トヨタ自動車付近でヒッチハイクを開始した。スケッチボードには「米子方面」と書いて高々とかかげる。その時間を時計で確認、15時15分ドライバーの注目が集まる。おぉ!みたいな感じで見る人。若いねぇみたいな感じで笑いながら通り過ぎる人。ホントに前見てんのか?といいぐらい華麗なシカトっぷりを発揮する人。「みんな見てるよ。死ぬほど目立ってるよ(笑)」半笑いの私。■15時45分 松江・9号線ヒッチハイカーやJonyの行動は逐一報告をうけていたのでだいたいどれぐらいで車が捕まるかはわかっていたつもりなので1時間やそこらはへっちゃら。でも最初の1台がなかなか止まってくれないのは悲しい…『なにしてるんですかー?』そんなことを考えていたら不意に赤信号で停車していた車から声がかかる。私か? 私なのか?『どこ行くんですかー』米子…といいかけたが米子はスケッチブックを見たらわかること。最終目的地のことか?私はあわてながら「宝塚までー!」『えぇーーー!』私が荷物を持って車に駆け寄ると後部座席のドアが開き、『米子まで乗っていきますか?』「いいんですか?!」『どうぞ どうぞ』こうして私のヒッチハイクでいくお礼の旅はスタートしたのでした。
2004.08.27
何回も書こうと思うのですが、書く以上はそれなりのもんにしないとなぁなんて考えてるとなかなかかけないものでして・・・帰ってから書きますね。
2004.08.26
ヒッチハイクのこと書くって言ってたんですが、またも深夜の2時すぎたので編集後記の転載で勘弁してください。今回私にしては珍しく先のことに言及しているので。ComRade編集後記からの転載***********************************************************私は変に秘密主義なところがあってなんでも物事が実際に動き出す直前まで公表を控えるくせがあり(だって言ってできなかったらカッコ悪いじゃないですか。)でもそれはよくないなぁと反省したので、私が今考えてちょっとずつ実現の方向で動いていることを少しここでご紹介。 今、各サークルや部の方たちと共同で掲示板やらいろいろなWeb機能を共有・管理することを考えています。 なかなか1つの組織で生きているBBSやMLなどを作るのはむずかしい(投稿が続かない)し、いろんな面で労力や費用的に無駄も多いのでどうせならみんなでそういう機能を一括管理しないかという提案をもって他のサークル・部とお話しようかなと思ってます。ま、急にTOPにリンクができたのも各サークル・部への挨拶をかねてで、もし実現したらイベントカレンダーやメールマガジン等、いろんな情報をさらに多くの学生で共有できるようにしてみんな個々にやってる広報をさらに効率的にできたらいいなぁとかんがえてます。 で、今はとりあえずその最初の段階として「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」のたとえじゃないですが、それぞれのサイトの今の状況をアンケートとして管理者の皆さんに送って答えてもらっています。皆さんが快く答えてくれたとしたら9月の上旬には結果がでるんじゃないかなぁと。 あと、オンラインショップの実験もはじようと思います。何を売るとかまったく決めてないのですが、たとえば利用者が自分の家にあるいらない教科書や家電を売りにだせたりしたら便利かなぁとか思うのですが。そういうUSEDの循環がすすめばまぁ地球環境にも利用者の方にも喜んでもらえるんじゃないかと。これはまったくまだ手をつけてないのでどうなるかわかりませんけど。 さらに大学祭ぐらいを目処に学生の交流会も企画したいなぁと。学部間やサークル間の交流がまったくないのが現状で、それぞれの学生が顔をあわす機会がないのはもったいないし、今回の旅で気づいたんですがやっぱり人と知り合うということが人生最大の学習かつ、エンターテーメントだと思うのでできればいろんな人たちが飲み食い談笑できる機会を一度つくりたいなぁと。これもまだまったく何もしてませんが。 ってなことを考えてます。何もしてないようで、実はホントになにもしてないんですが、出雲大社からチャリこぎながら、ヒッチハイクの車を止めながらちょっとずつ考えて、そして動かしてたりします。 じっさい断られたり失敗したら鬼のように凹む人なのでおっかなびっくりやってますが、なにかご意見ご感想があれば掲示板や私宛にメールでもくださいな。 みんなのためになるサイトっていうのが目標ですね。(うわー公表した以上はマジでやらんといかんなぁ・・・)
2004.08.24
えー、、、「彼らがやっていたヒッチハイクをやってみたい!そんなにしんどいものなのか? そんなに車は止まらないものなのか?」ということを確かめたいというのと、何かを達成するというこの夏の目標を遂げるために、そして何より途中で筆が止まっているあのお話に最後のページ「お礼の旅」を書き込むため、私は去年の水郷祭で行われたヒッチハイクの旅をなぞって宝塚に向かうことにしました。えー、そして私は今、予想より早く宝塚にいます。まさか一泊二日で着くとは思ってなかった・・・。宝塚でせにゃならんといかんことがあるのと台風で1日出雲大社に行くのが遅くなったのと今回の準備を私がサボって出発が1日遅れた都合、日程的に帰りはさすがにヒッチハイクは無理だろう、というわけでバスのチケットをあらかじめとっていたので帰りは彼らと同じにはできないのですが、この分なら余裕で帰れたな。佐用で『平成の宮元武蔵』とお会いしたかったなぁ。まぁそれはともかく、たった一泊二日でしたが、得るものがたくさんありました。できるだけ彼らと同じ状態の旅にしたかったので昨日は橋の下で寝ました、メニューにないかけそば食べました、1日500円以内におさめました(というかほとんど使ってない) 書くこともいろいろありますが、今日はもう遅いのでまた明日。それではおやすみなさい。
2004.08.23
今私は新見にいます。あのヒッチハイクの旅にでかけた時、できることなら私がこの旅にでかけたいと思っていました。そしてついにその念願がかないましたお世話になった方たちにお礼を言いに私はヒッチハイクで新見にまでたどりつきましたそして彼らと同じようにここで野宿しようと思います人に頼るということを勉強して帰りたいと思います
2004.08.21
私は何か成し遂げるということができない。たぶん私のかなり重大な欠点のひとつ。なのでこの夏はなにかを成し遂げようと、前々から思ってたことがあります。「チャリで出雲大社から帰って来よう」私のチャリはだいぽさんに青く塗ってもらったママチャリ「蒼竜号・改」(今命名)なんですが、変速ギアもないかなりのローテクの普通のチャリ。そんなチャリで日本地図で見てわかるぐらいの距離を移動しよう! それが今回の試みです。ここ数年まともに運動していないので普通の人には朝飯前でも私にはキツいと思われるので挑戦と言うにふさわしいし、夏休みも中盤にさしかかってだらけきった心と体に気合を入れるにはいい機会だったので。じっさい往復してもよかったんですが、それだと時間がかかりすぎるだろうし行きと帰りで同じ景色を見るのもなんだしなぁというのと、なんといっても一畑電鉄は日本では珍しいチャリをのせて乗れる電車ということ。島根に来てから一回も乗ったことがない私はぜひとものってみたい!ということで行きは電車決定。最初は19日に行こうと思ってたんですよ。台風の日に。なんか曇ってて暑くなさそうだったので。で、ジャージ着てかなり気合の入った姿で蒼竜号にまたがっていざ出陣。でも家を出た瞬間にすごい後悔。「なんだこの風は」 変速の無い蒼竜号ではその風の中をすすむだけですでに体力を消耗。しんじ湖温泉駅に着く前に少しバテ気味。で、なんとか駅につくもののそこで衝撃の張り紙を発見。 「台風のため全面運休」 なにィーーーー!!!裏をかいて台風の日に出たのがまさに裏目に。駅の人に「動きませんか?」と聞いたら「どうも倒木があったらしくて今、全線、線路をチェックしてるらしいんですよ。なので復旧の目処はたってないんですよ。すいません」とのこと。ついでにチャリの持ち込みのことを聞いてみたら「ああ、そこの券売機で300円の自転車持込券を買ってもらえばいいですよ。でも時間が決まってまして、平日は9時から16時までしか持ち込めないんですよ。休日はいつでものせれますけど。」あぶなー 帰るときには復活してるかも?って出雲大社に先にむかって電車で帰ろうかな?ってちょっと考えたけどもし帰りに動いてたとしても確実に乗れないところだった。よかった聞いて。ということでその日は潔く撤退。翌20日についに決行することに。 バイトの終わり具合や、株を買っていた三菱自動車が地味にいい感じで値上がりしていたので売り時を模索してた影響で家を出たのが14時過ぎに。でも今日はバッチリ風もなく、空もいいかんじに曇っていたのでもっていたペットボトルのお茶もあまり飲まなくてよさそう。昨日と同じカッコでチャリをこぎ、しんじ湖温泉駅には電車が出る20分ぐらい前には到着、すべて順調。ホームに自転車を持って入るときはさすがに「いいの?」と思ったもののそれ以外はたいしたこともなくスムーズに乗車。はじめての一畑電鉄は珍しいことがいっぱい。2両編成だし、後ろの車両のドアはあかないし、前には料金箱があるし。線路にしても私が育った関西に走ってる阪急電鉄では信じられないことに線路と他をわけるフェンスがない。民家の裏庭をフツーに電車が走り抜けていく感じ。すごいぞ一畑。子供とかがあやまって線路に入らんのだろうか?そんな景色に「おもしれー」と思ってたのは実は10分ぐらいで、あとは株の本を読みながら到着を待つことに。だって駅多いしスピード遅いし運賃1090円って高いし。(これは関係ないけど) 電車を降りて出雲大社の鳥居前を出発したのは時計で確認16時12分。「たぶん3時間ぐらいかかるなぁ」と思っていたので日没までに松江につけるか不安に。でもまぁ気にせずに出発。太陽も西に傾いていたのですずしくて快適快適。とか思ってたらはるかむこうから大きな荷物を2~3個積んだグラサンの若い人が競輪用のチャリで疾走してきた。しかも後部には日の丸が!「うぉ! 噂に聞くチャリで日本縦断の人だ!」と勝手に決めつけ観察しようとするもあまりの速さ(30Km/hぐらい出てた)に一瞬で視界の外に。残念。でも開始早々珍しいものがみれた、と喜ぶ。黙々と走るママチャリ蒼竜号。草木の匂いや道沿いにあるいろいろな民家や店が目に入る。車やバイクではなかなかここまでじっくり見れない。道も平坦な道がほとんどであまり疲れない。ママチャリなのですんごくトロいけど。今回、もうひとつの目標として「道ゆく人にあいさつをする」というのをおいてみてました。といってもいきなり「こんにちわぁぁぁ!」とやると相手にひかれかねないのでするのは軽く会釈する程度。するとみんな即座に会釈で返してくれます。たぶん東京駅で同じことを私がされたとしても「誰だ?知り合いか?」とドキドキしてる間にすれ違ってしまうでしょう。田舎はいいところです。 国道431は道がキレーで走りやすいのでスイスイ。道路行政が確実に行き届いてます。そんな途中、道路に面した作業場で珍しい機械を動かしている老夫婦を発見。一度は通り過ぎるものの「旅は行ったということよりもそこで見たもののほうが大事」ということで戻ってお忙しいところをいろいろお話をきかせてもらいました。なんでも田植えが終わったワラを集めて縄にする作業中らしく、夫婦お二人でやっとられるらしい。しかもそのおうちは100年以上3代にわたってその業をされていたのですが、お二人の娘さんは嫁にいかれて息子さんは公務員という勤め人になられたらしく「私たちでおわりですよ」と言っておられました。しかもこういう業界も景気の影響をモロに受けるらしく最近は安いナイロンやらにとってかわられつつあるらしい。私は100年も続いたという話を聞いたときはもったいないと思ったのですが、景気変動での収入の落ち込みというのを聞いてやはり時代の流れかぁと痛感させられるせつなくなるお話でした。お二人には親切にいろいろ教えていただき「また近くに来たときに寄っていいですか?」と失礼ながらおききしたんですが快く了承していただけたのでまた出雲に行くときにいつか寄らせてもらおうと思います。 30分ぐらいお話したあと失礼してチャリで出発。 途中で川の横の細い道を通ったらカニが大量に道路をよこぎっていたり、道間違って住宅地の中に入り込んだら絶滅したと思ってたちっちゃい子達がザリガニ捕ってたりとまぁいろいろありながらもなんとか松江に到着。ついた時間は7時30分頃。途中でお話していた時間を除外して約3時間弱とほぼ予想通り。あたりが真っ暗になる直前に我が家につきました。 しょうみ3時間、話していた時間を除けばずーっとコギっぱなしだったわりに考えたより体力的にキツくなくて24時間テレビのマラソンゴールのような達成感がなくてちょっと複雑な気持ちだったのですが、とりあえず計画通りママチャリで日本地図で目に見える距離を移動するってことが達成できたので私は満足です。なんでもこう飄々とこなしてしまうところなんかも私の長所、といい風に考えることにしましょう。また旅の途中ではいろんなものが見られ貴重なお話もきくことができましたしね。これがこの旅最大の収穫だったと思います。この分なら、チャリの性能がもうちょっとよくさらにまとまった時間がとれるなら広島や大阪ぐらいには行けそうです。(中国山地はキツそうだけど)いつかお伊勢さんとかのお参りしてみたいなぁ。でも次の目標はやっぱりヒッチハイク。いつか書いた約束を果たさなければなりませんからね。 皆さんもたまにはどうでしょうか? チャリで遠出するのもいいですよ。一畑は高いですが(笑)
2004.08.20
昔のヨーロッパ人はえらかった。世界史といえば一般的に西洋史のことをさします。よくて中国、まちがっても東南アジアやコロンブス以前のアメリカの歴史を世界史として扱う人はいないでしょう。これひとつ見てもわかりますが、現在の世界はやはり西洋を中心にまわってるようです。ではなぜヨーロッパがこのような地位になりえたのでしょうか? それはやはり”16世紀のヨーロッパの男達が海に出る勇気を持ちえた”ということから来ているのだと私は思います。ヴェネチアの一人の男が伝えた「東洋の端には黄金の国がある」という言葉。この言葉に駆り立てられ若者たちはそれまで恐怖の対象でしかなかった海に続々とのりだします。"世界はどんな形をしているのか?" "この世の果てにはどんなモノがあるのだろうか?" 当時の拙い造船技術や航海術ではほとんど死ににいくようなもの。でも若者たちはみな海を目指しました。そしてそのあくなき探究心はついには世界の隅々まで探検しつくし、そこから得られた文物や経験によってヨーロッパは世界中の富を得、科学技術を発展させ、その後数百年にわたる栄光を手にしました。それに対して我々日本人はどうでしょうか? 16世紀半ばにはじめて西洋と接触した日本人。持ち前の応用の才をいかし急速に西洋の知識を吸収するものの、天下太平になったとたん鎖国を開始し諸外国との一切の接触を禁じました。国内には上下関係をはっきりさせる朱子学を基本とした確固とした身分システムを構築しその後250年にわたっての平和を手に入れました。江戸幕府の政策はいわば「時を止める」政策だったような気がします。将軍の子は将軍、侍の子は侍、そして百姓の子は百姓。こうすれば開祖家康の時代から何一つ変化のないまま徳川家は永遠の安泰を手にいれることができるわけですから。しかし短期的・中期的にはそれでよかったとして、もっと長いスパンで見てみればこの政策では自浄作用がなくして矛盾を内包し、時代の変化、特に西洋の科学技術の進歩にまったくついていくことができず結局は幕末・明治維新というとんでもない大混乱の時代をもたらしてしまいました。しかし、外に出ていく時代がなかったわけでもありません。賛否両論はあれどアジア・太平洋戦争では日本人は海外に果敢に挑みました。また彼らは世界を見通し国の行く末を案じた外交を行い、そして戦争という手段を選びました。結果として日本人はすべて失いましたが、また立ち直りました。NHKのプロジェクトXを見ているとやはり日本の高度経済成長の中心となった企業の創業者の多くはあの、戦争という時代を肌で感じている人達でした。そして彼らが作り上げた日本企業は世界を席巻し「どんな奥地にいっても日本企業の手が入っている」と言われるほどに世界に進出ていきました。それは今でも続いています。この先人達の挑戦が今の日本を支えていると言っても過言ではないでしょう。国を豊かにする。それは"人が恐れず海に向かう"ということと同じような気がします。
2004.08.11
2ちゃんねるのスレッドで見つけたんですが、目からウロコでした。簡単に言うと、皆さんなぜかよく知ってる「コーヒーこぼしたら熱くて火傷した! コーヒーの温度が低けりゃこんなことにならなかった! 金払えコンチクショー」とアメリカのマクドナルドを訴えたら勝っちゃった。そういう話があるじゃないですか。で、みんな「アメリカは訴訟天国だ」「アメリカの裁判制度はおかしい」とかそういう結論に落ち着く話。でもホントはそんなんじゃないんですって。なんかこれ読むと陪審員制度って悪くないかもなぁって思います。日本じゃぜったいこんな判決でませんもん。悪い意味で。とりあえず読んでみてくださいな。くまぶろぐ:米マクドナルド コーヒーやけど訴訟の真相http://blog.livingjoho.net/daiji/002812.php
2004.08.09
今日、水郷祭からの帰り、原付でくにびき通りをフルスピードで疾走してたら思い出しました。はるか前、私がまだ車を持ってないときのこと。バイトへの往復はいつも原付。バイト上がりの後は皆で少し遅い夕食をとって帰るのは深夜の1時や2時でした。そんな帰りにいつも私は先輩と一緒にフルスピードでくにびき通りを走っていました。そしてその先輩と道がわかれる文化の友の交差点。先輩は逆ウィンカーをだし、私はパッシング。それがいつも「おつかれさま」の合図でした。その先輩は深く考える人で自分の意見と誇りを持って仕事に望んでいました。私は不真面目ながらも自分が正しいと思うところには本当に忠実なので、いつも言ってるように年上だろうが社会的身分がある人だろうが私が納得いかないことはガンガン口に出し、納得いくまで議論しなければ気のすまない人です。仕事の方針について二人がぶつかることも少なくありませんでした。お互い感情的になったこともありました。ただ、今のこんな世の中では珍しく二人とも衝突を恐れることなく納得いく結論がでるまで議論したものです。だから不思議と議論している最中でさえ、まわりはひきまくっていたのに(少なくても私は)楽しいとすら思っていました。で、そんな熱い議論をかわしたと思えば一晩中他愛もないこと、どんな女性がタイプかとか学校であった話とか、を語り合って気づいたら朝だったりとか。よく考えたら誰とも付き合いの薄い私にしては本当に珍しい、深い付き合いだったような気がします。ただ、その方はもう島根にはいません。私は何も変わっていない気がしていました。まだ学生だし、島根に住んでるし、水郷祭も行ったし。でも、また何一つ変わってないものもないことにも今日気づかされました。もうつまらんことを言って爆笑しあうことも、夜中にドライブしてたら話が無駄にもりあがっていつの間にか米子・出雲を8の字にまわってたりすることもないんだろうなぁ。「昔はよかった。」みんなそう言いますが私はそういう意見を「懐古主義だ」「人は良いことしか覚えてない」とバッサリ斬り捨てます。今でもその考えは変わっていません。たぶん「昔はよかった」と言っている今すら5年もすれば人は懐かしむでしょう。そんなありもしない情景に憧れるのはナンセンスだと思うからです。ただ、一緒にすごした人がいなくなるのは本当にさびしいのも事実。出会いは別れのはじまりと言いますが、それゆえに一期一会を大事にしなければならないのかもしれませんね。今日はやけにこの歌詞が心にのこります。「ボロボロで持って歩いた 想い出は写真のよう 都合がいい場面ばかりが 心 弱らせてゆく」久しぶりにCDひっぱり出して聞きながら寝ることにします。おやすみなさい。
2004.08.08
東京の話・出雲大社・ラクロス祭 書きたいことはいっぱいあるんですが、パソコンの前に座ると他のやりたいことをやってしまうので時間ないです。いつか時間を見つけてかならず!
2004.08.06
掲示板システムで私がしたいことはほとんどすべてができることがわかりました。実験はもうすぐ終わりにします。ご迷惑をおかけしました。それにしてもココを見てたんですが・・・コミュニティ・・・ 考えたことなかったなぁ。もうちょっとこの言葉が自分に溶け込めるようになるまで、こなしてみようかな。
2004.08.01
全11件 (11件中 1-11件目)
1
![]()

