2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全6件 (6件中 1-6件目)
1
me9roさんのブログに書いてあった奴してみた。結果http://www.charamil.com/my/?id=1vK1eRRlQすっげーあたってる!行動特性「遠足で調子に乗って川に落ちたりするタイプです」なにこれ! これに近しいこと何回もあったんだけど!おもしれー これ。
2005.12.29
インターネットの世界は現実の世の中とは少し違った理(ことわり)でできているようです。・文字だけのコミュニケーション・不特定多数が閲覧可能ネットのもつ独特なこの二つの変わった特性のせいでしょう、インターネット草創期、フォーラムと呼ばれる電子掲示板が主流だったあの頃はあちこちのフォーラムで議論が勃発し、また管理人もほとんど素人だったので荒れる一方で閉鎖を余儀なくされるサイトがあとをたちませんでした。この現象を以前ヤフーが配信していたドキュメンタリー『インターネットの夜明け』において大学教授がこんな風に言っていました。「うるさいところで電話すると自然と声を荒げてしまうでしょう? あれと同じでコミュニケーションにおいてむこうの声が小さければ自然とこちらの声を大きくしてしまう。それが原因なのです。」考えれば絵文字、顔文字、アスキーアートがここまで発達したのもそんな足りない声を補足する役割があったと考えるべきでしょう。ネットの住人達はこのような問題点を解決し円滑にコミュニケーションをはかれるようにするため時間をかけて慣習法ともいえる不文律をつくりあげました。むかしは『ネチケット』とか言ってましたが語感がダサく定着せず、最近は『ネットリテラシー』といっているようです。このネットリテラシー、私は2ちゃんねるの管理人ひろゆきがかかげる三原則が一番的を射ていると思います。2ちゃんねる鉄の掟・出されたご飯は残さず食べる。・転んでも泣かない。・おいらのギャグには大爆笑する。ひろゆき一流のセンスで茶化して書いてありますが、これ実は全てネットで揉めないための原理原則で「掲示板の流れ、自分の発言に対する責任はしっかり果たしましょう。」「イヤなことがあっても感情的になるのではなく理性的に対処しましょう。」「管理人は絶対です。言うことは必ずきくようにしましょう。」という意味の裏返しです。特に2番目は、2ちゃんねるの各板のトップに書いてある「荒らしは放置。放置できないあなたも荒らしです。」とおなじくネットでコミュニケーションをとる上でもっとも大事な感情的になることの危険性、反論が反論を呼ぶ掲示板の特性を踏まえた上でのよくできたルールで、私も管理人なのでよく心がけるようにしています。ネットではぜったいに感情的にならない。インターネット歴が長い人ほどこのルールを身にしみているのですが、やはりどんな世界にも初心という人たちがいるもので、この辺を理解せず飛び込んでエライことをひきおこす人たちがたくさんいます。ネットによくなれた人からみれば免許を持たずに車を運転しているようなもので「なんてデンジャーなまねをするんだ・・・」とハタからみていてもハラハラするのですが世にはインターネットの教習所のようなところはありませんし、あったとしても慣習法なので教えられる性質のものではない雰囲気なようなものを自分で察するしかないのでどうなんだろうなぁと思うわけです。そういう意味では2ちゃんねるの昔からの煽り文句「半年ROM(※)ってろ!」というのも確かにその通りだなぁと感心するのです。と、とあるスレッドを見てて思いました。※ROM リードオンリーメンバーの略で掲示板などをみてるだけで書き込まない人のこと。
2005.12.26
出さない声は聞こえないって。そういう幻想描いてる人多いわ。
2005.12.20
最近、なにも手につかないなー、やる気にならないなー、右肩下がりのアクセス数なんとかしないといけないんだけどなー、とか眠たいことを言ってたらホントに風邪をひきました。金曜日は悪寒が走るぐらいのヤバさだったです。しかし寝たきりの人ばりの療養の結果、今はしんどくもなんともないのですがなぜか咳だけがいっこうにとまりません。コンコンいつもいっています。ここ1週間以上咳をしっぱなしだったので腹筋が筋肉痛です。あと夜寝られなくてつらいです。でもなによりツライのは咳をするたびに頭をかすめる「ゴホッゴホッ、土方さん・・・ 最後まで戦ってくださいね・・・ ガク」「総司ィィィィーーーーー!!!」というネタをやってくれる相方がいないことです。
2005.12.19
ちゅうそんと話していた時にこんなやりとりがありました。「モテない男ってなんであんなに自分の武勇伝を語りたがるんでしょうねー」「そうそうそう! 隣で聞いてても痛々しくなるよね。女の子が笑ってるの、それ、ウケてるんじゃなくて苦笑いだから!って言いたくなるし。」こういうシュチエーションって結構よくみられませんか? そういうのを見るたびに私は他人事ながら死ぬほど恥ずかしいんですが、皆さんはどうなんでしょう。私は幼き頃は無口でおもしろいことなどほとんどいえない子だったので、いつもまわりの人が爆笑をとっているのをみてうらやましく思い、「自分もいつかは。」と本をいろいろ読んで少しでも人に喜ばれる話し方ができるように勉強していました。そんな本の中でもっとも印象的だった、というよりこれこそが全てだ、と今は確信できるこんな一文がありました。『人はみな他人の話など聞きたくない。そして自分の話こそ聞いて欲しいと思っている。』その本によればみんな、相手がしゃべっている間に何を考えているか? それは「次、自分は何を話そう」そして「相手からどうやって話す時間をひったくってやろう」なのだそうです。これはかなり衝撃的な事実ですが考えてみればなるほどなぁとは思いませんか。よく"先生"と呼ばれる職業はクセになると言うのを聞きますがこれも同じことで、教師にしろ医師にしろ代議士にしろプライベートでは誰にも見向きもされない人間であってもその人物が発す言葉は無条件に人に聞いてもらえます。人間にとっての基本的な欲求である「自分の話を聞いてもらいたい」が無条件でうけいれられるのですからそれはクセにもなるでしょう。さらに"先生"は職務上その言葉は強制力を持ちますから人間のもつ「支配欲」さえも満たされるわけで、中には自分の力と勘違いし王様の様に振る舞ったり体罰やセクハラ行為を行う不届き者が出てしまうのももっともな話だと思います。私はこの真理を知ってからかなりコミュニケーションがとりやすくなりました。つまり、誰も私の話など聞きたいと思っていない。ならば人に自分の話を聞かせるためには一工夫が必要。それが私の場合ユーモアでした。おもしろい話はお金を払っても聞きたいと思うのが人。ゆえに私の話を聞いてもらうなら話をおもしろくするのが一等はやい、そう気づいたのです。またもう一つ。誰もが自分の話を聞いて欲しいと思っているならその欲求を満たしてあげることこそがその人に好感を持ってもらう一番簡単な手段である。お金を出しても買えない好意、ただ話を聞くだけで買えるならこんな安いものはない。以後この2つが私が人と話す時のセオリーになりました。だから冒頭の「武勇伝」の話ですが、私ならばその話のメインを自分の失敗談やそこで見た珍しい出来事などに変えその話の節々に"あくまで目立たないように"自分のスゴさをちりばめます。相手は笑いながら聞いていてもバカでなければ節々にある私が自慢したいところに気づいてくれるでしょう。こうすればイヤミではない自慢ができるはずです。また相手と話す時間の8割は自分の話をするのではなく相手の話を聞くことに、また相手が話し上手なタイプでなければ質問することに費やすべきです。そうすることによって相手が本当に人に話をしたいと思っていた話題を見つけることができ、うまい相槌をうちながらそれをひたすら聞いてあげればその人の好感は勝ちとれたといっても問題ないでしょう。世の中にはこのコミュニケーションの基本原理をわかってない人が多いです。自分の話しかしない。おもしろくない。話を聞かない。質問しておいてその答えを平気でスルーする。それでは相手に話を聞いてもらうことも好感をもってもらうこともない、ヘタすれば「あの人と話して時間を損した」と思われることでしょう。私もそんな人間がそばに来たらソッコーでトイレに行きたいといっていなくなるでしょう。ヒカルさんには「SEIJIは彼女いない歴何年?」と言われてしまいましたが、私はこうみえてもそういうのにはかなり強いです。ちゅうそんと「もし彼女作ろうと思ったら3日で作れますよねー」「うぅ、自分にはそこまで自信はないけど1年の猶予をいただければ」というようなことをよく言ってます。それはお互いに自分に確固たる自信があるのと、他の男の話術がだらしなさすぎるので自分を好いてくれる相手をみつけるのはそう難しくないと思っているから。「こんな素晴らしい商品を売っているのに誰も買ってくれない。世の中が間違っている」なんてことを言っている商売人はアホだと言うのはみなさんわかるのに、「人と話す」というフィールドにおいては同じコトを愚痴っている人のなんと多いことか。「俺のありがたい話をなぜ聞かない。」それはあなたの話の内容や話し方に魅力がないから。営業努力のないところに売れる商品など存在しないのです。商品や話題が売れない責任はゼッタイにサプライヤーにある。クリスマスも近いです。私も含めた世の男性諸子がトークについて考えるにはいい機会ではないでしょうか。
2005.12.12
家庭教師をしていて生徒からこんなことを言われた。「大人になってからの方が勉強わかりやすいですか?」言われてみればそうかもしれない。確かに自分が受験勉強をしていたときは勉強などは苦行でしかなかったのだから。数学の問題を解くときは知ってる公式をあてはめる。ある程度あたりはつけるものの極端に言えば知恵の輪をとくように総当り。なぜそうするのか、ではなく「テキストや先生がこうしていたから」で解く。英語の長文を読むときはかたっぱしから単語を和訳して、日本語として適当な意味になるように並び替える。しかし今は違う。しっかり目的を定め、それにふさわしい手段探し、時には出題者の意図を見抜く。まさにプロジェクトのグランドデザインを事前にひくかのようにしてから手をつける。こうやると解く前からその問題が解けることがわかるし、びっくりするぐらい省力で問題が解ける。つまりあの頃になかったマクロな視点で見ることができるようになったのだろう。すると今まで「愚者への重い足かせ」でしかなかった『数学の公式』や『英語の構文』などが今度は「愚者が解答にたどりつくための有用な武器」であったことを思い知る。家庭教師をはじめていろんな問題をまた見たわけだがその都度「ははぁ、これはそういう意味だったのか」と感嘆の声をあげることは珍しいことではない。昔から「勉強は物覚えがよい子どものころにすべき」と親にはよく言われてきたが、私に限っていえばあてはまらなかったと思う。歳を重ねいろんな本や人と出会うことでこの世界がどんなものかを少しずつ理解してきた。そしてそれがまた少しずつ体になじむことによってあんなに難解だった化学の反応も英語の構文も生物の進化もすべてが『あたりまえのことである』ということに気づかせてくれ、またそれぞれに対する理解が容易になったのだ。「人を殺してはなぜいけないのか?」「そんなのはあたりまえではないか。」この説明で理解できない人間にはいかに人権、自由、法制度などあらゆるもっともらしい理屈を訴えてもその「あたりまえさ」は本当の意味で理解することはできないだろう。彼にそのことを心底理解させるには「人が死ぬとどうなるのか?」「まわりの人間の反応は?」「社会的影響は?」「経済的な損失は?」「警察につかまることのリスクは?」「殺人事犯の判例は?」「受刑者の生活は?」「前科者に対する社会の反応は?」etc...それこそありとあらゆる事例を彼に見せそれぞれを体験・実感させるしかないだろう。つまりそれは人生経験を積ませるということだ。さすれば彼は誰に教わるでもなく「人を殺してはいけない」と悟るだろう。だから冒頭の問いに私はこう答えた。「そうやな。大人になっていろんなことを知ると全部があたりまえのことにみえてくるから今のほうが簡単かな。だから勉強ができるようになりたいんやったらいろんな本を読んで、いろんな人と話をして、で、いろんな事柄に興味を持つのが一番いい。そうやな、まずは親御さんの話をよく聞いてみてはどうだろうか。たぶん俺なんかよりよっぽどいろんなことを知ってておもしろいと思うから。たぶんそれが付け焼刃じゃなく長期的にみて一番効率よく成績をあげる方法やと思う。自分は俺とちがってまだまだ時間があるから俺なんかよりよっぽどいい成績をとれるようになるやろう。」でも、もし自分があの時誰かからこのセリフを聞いたとしても理解できんかっただろうな。彼に少しでもいい影響を与えられたならば幸いだけど。
2005.12.07
全6件 (6件中 1-6件目)
1