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少し前から出ていた話でしたがとうとう本決まりに。3月に出産した妹が一家で鹿児島へ行くことになりました。前々から東京に長く住むことは希望せずダンナさんが開業できる程度の実力がついたら長野で事務所を開きたいみたいな話だったのが何故か行き先が鹿児島になってしまいました。でも、話を聞いたら9時~5時で定時には帰れる様だし知り合いの事務所なので妹もお手伝いで雇って貰えるし、何より物価も安いので戸建が5万で借りられて車も持てるようになるので条件としてはいい話。夫婦二人でガンガン共稼ぎしているなら都会での暮らしも便利で楽しいけれどいざ子供を産んで専業主婦になるとなかなか暮らしにくいのが現状だ。特に妹のダンナさんは週に一日休みがあればいいほうで勤務も終電過ぎることもしばしば。その間、狭い賃貸マンションで子供と二人きり。子供を作る予定もなかったので環境的にも近くに子供が遊べるような公園もなくお散歩は椿山荘に行ってるとか。。。。(セレブやのー)正直、子育てに煮詰まってないかちょっと心配してた。なので、実家の隣の祖母の家に住まないかと提案していたのだけど結局、鹿児島行きとなった。ダンナさんも先々、自分で開業するのであれば今のまま都心であと数年は経験を積んだ方が人脈も広がり、実力もつくはず。(何しろまだ勤めて2年だし^^;)けれど先の事よりも、今、子供と一緒に居られる事家族のことを優先したんじゃないかなーー。それはそれでアリかな、と。私だったらお尻を叩いてでも経験積ませるけど。。とすぐ下の妹も行っていたけど、、やっぱり子供が出来ると考えが変わるんじゃないのかねぇ~とフォローしておきました。だって姪っ子ちゃんすっごく可愛いから!!(笑)出来れば一緒に居たくなるって!!!以前の私だったら色々異論を唱えそうだけどそこはぐっと飲み込んで「こっちは残念だけどあなたたちにしたらその方がいいかもね」と。末っ子は自由でいいなぁ。。。と言うことで、実家の隣にはもう一人の妹夫婦が住むことに。本当はそこを壊して3世帯住宅を建てて私たちも一緒に住む予定だったけど色々あって2月にその計画は実現不可能となった。直後に震災があって、やっぱり祖母の家を壊すより現状維持で行くことにした。おかげで私も両親の面倒を今すぐ見ないでも済んでかなり楽になった。まぁ、万が一、両親に何かあったら今、親が住んでる家をリフォームして私たちが同居することもできるし。そんな大きく現状を変えなくても何とかなるのだ。妹には迷惑かけちゃって申し訳ないけど、、12月には仕事をやめてしばらくは専業主婦する予定らしいからいいかなと。私より優しいから母も妹の方が色々頼みやすいみたいだし(笑)まぁ、ただ叔父たちの許可がいるのでそこがね。。その話をしようとしてたら叔父が亡くなったのでしばらく言い出しにくくなった。49日が明ける頃に言う予定。10月半ば過ぎに話をして、了解取れたら11月中に家を直して(何しろ築100年の上に祖母の没後6年間放置だったから)12月までには綺麗に片が着くように。私はその間、、、うーん、、、年内は治療はお休みかなあぁ。。とにかくなんかもう色々変化をさせたくない。全てが今のままでいいようなそんな心境。夫も食べすぎなので食事を制限させるように漢方の先生に言われたけどそれすらもおっくう。相手をコントロールする気持ち=支配欲?がなくなった。やる気が出ないとは違うのよ。諦めでもない。なんだろう、強いて言うなら脱力???そんな感じ。
2011.09.25
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雨が降ってすっかり涼しくなってしまいました。連休初日は私→仕事&ジム 夫→ゴルフ 2日目二人とも休みでようやく畑が出来る~と思いきや夫、お客さんの主催するお祭りに参加しなければならず。残暑厳しい中、朝から人生初の足袋にハッピ姿でお神輿担ぎに参加。私はのんびり朝寝坊、、あんまり暑いので3時過ぎないと畑も危険地帯。。(今年の夏は熱中症で2回倒れかけたので。。。)3時過ぎてからようやく出陣。夫が植えてくれてたカリフラワー、スティックセニョール、キャベツの寒冷しゃを開けてびっくり!雑草だらけ。畝間だけでなく畝自体をこんな雑草だらけにしたのは始めてだよぉ。雑草に栄養取られて?全然成長してないし、、。ごめんね~ごめんね~と言いながらひたすら雑草を取り、追肥をして水をやり、乾いたら殺虫して、合間にブロッコリーを植えて、と。それからきゅうりとトマトとゴーヤのツルが支柱の中で合体してたのを根っこごと抜いて片付けて下にひいていたマルチを剥がしたらびっちりコケが生えてたので^^;こちらの雑草も取って根っこを取り除き。一人だとこれだけで2時間近くかかっちゃうのよねぇ。。夫も5時過ぎにようやく来た。人参の雑草を取って追肥してもらった。(発芽まではちゃんと出揃っていたのにいつの間にか半分も消滅していた。おそらく、ヨトウ虫に食われたのだろう)しかし秋の日はつるべ落とし。6時にはすでに真っ暗。予定の半分も行ってないけどタイムアウトでまた明日。連休最終日。夫は昨日取った野菜を持って実家に行く予定が途中で仕事を思い出して仕事してたそう・・・。私は明日からの大雨に備えてひたすら洗濯、布団干し、洗濯。。午後は畑。肥料を入れてマルチを張って白菜、カブの種を撒き。大根4種の種を撒き。(のはずが一種類紛失、、とほほ)春菊の種を撒き。伸び放題だったナスとピーマン、しし唐の剪定をし。人参、サトイモの土寄せ、全ての殺虫。そしてひたすら雑草取り、、、をしてあともう少しで完璧だったのだけどそこで日暮れでタイムアウト。はー。。2日間で計7時間費やしてようやく遅れを取り戻せた。スッキリ!!!普段、家では夫がいなくて困ることは無いけれど(笑)畑をやってると作業に人手があると本当に有難い。一人より二人だと倍、作業が捗るもんね。長年やってるせいでお互いの得意分野が分っているし。まぁ、大体、私が仕切って夫ちゃんが従うんだけどさ^^;私は仕切り屋で親分肌で人使いが荒く、夫は言われたことに素直に従う働き者の子分肌なのでチームワークは良いのかもしんないなぁ。今日から3日間、雨続きなので水遣りに行かないで済むのでラッキーただ、雨の勢いが凄すぎたら白菜の種が流れそうで心配だけど。(鼻くそよりも小さいから)
2011.09.20
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はー今日ようやく畑に行ってきました。気が付けば2ヶ月も放置!!!!畑を始めて8年目。体調崩していけなかった事もあったけどここまで長く行けなかったのは初めて。夫も何度か代わりに行ってくれてたけど今月入ってからはほぼ行けず。おかげで雑草だらけで荒れ放題でしたよ。。ナスが10個以上なってましたが巨大化しすぎて食べられないのもあった。(割れて堅くなる)ジムもそんなに行ってないし。どうやら私、かなりお疲れだったようです。体力も落ちたけど気力の方が足りなかったみたい。もうとっくに元気になったと思っていたけど元気なフリをしていただけでやっぱり気持ちが回復するには時間がいったよう。食べまくりは治まったけれどずっと眠りも浅く2~3時間で目が覚めることを繰り返していたしやる気が起きず家事は最低限で毎日、韓ドラばっかり見ていた。(一日5本!とか、、中毒状態)先週末、旅行へ行ってきた。移動中の車の中では寝てばかり。夜もいつもは先に夫が寝てしまい一人でDVD見てるんだけど今回は毎晩、私が先に寝た。ぐっすり寝たので朝早く目が覚めておかげで朝風呂ものんびり入れた。久々にゆっくり眠れて温泉入って美味しい物食べて雄大な自然に触れ綺麗な景色を見ていたらふとなんだか「今のままでいいんじゃないか」と思えた。自分が弱ってる時にこそ、旅で癒されるのだなぁと思った。枯れた心にエネルギーが満たされたようで帰宅後はすっかり元気になった。元気になってようやく自分が弱っていたのに気が付いた。また元気になりすぎるとテンション高くなって自分を忙しく追い込んじゃう癖が出ないように、、今のまま、ほよ~んとした感じでいられるといいのだけど。日曜日までは何とかお天気がいいようなのでとにかく畑を片付けて白菜、かぶ、大根4種、ブロッコリーを植えなくっちゃ!!
2011.09.16
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不育症検査の結果が出た翌日、タイミングよく漢方相談でした。ちなみに9日目で内診もしてもらい卵胞14,6mm、内膜9.1mmと出血がだらだらしてた割には内膜厚めだった。色々調べた結果、タイミングでもバイアスピリンを処方しているクリニックもあるようなので出来れば処方してもらいたいなと考える一方、漢方で何とか対応できないかと思い。通常ならサイレイトウ&トウキ芍薬散と言うのがお決まりのパターン。なのだけど、私の場合、前回それをやってもダメだったので今回は、別のパターンになりました。バイアスピリンは血液を凝固させない為の薬なので漢方&サプリ系でその効果のある処方を組んで頂きました。ちなみに先生の所では不育の患者さんも多くいらしていてちょうど今、45歳!で不育の方が妊娠継続中で5ヶ月に入ったところだそう。最後まで余談は許さないけれど他に薬なしで漢方のみでそこまで至ったそう。その方とほぼ同じ処方内容の様なので。。。嬉しいような悲しいような???そうそう、ついつい、不妊の上に不育なんて、、と愚痴ったら「Mさんは不妊じゃないよ。受精もするし着床もするけど流れてしまうのを繰り返してるだけで。どっちかと言えば不育。不妊ではない。」ときっぱり。そう言えば先生はずっとそうおっしゃってましたっけね。。ただ、自分では受精も着床も正直、はっきりとは分らないので。(何となくは分るけど、体外ほど目には見えないんでね)どうなのかなーーーって感じだったんですけど。でも、不育にも色々な人が居て10人居たらみんな処方も違うそう。そこが西洋医学とは違うところで。病名に対して=処方が決まってないわけで。人間だから体調だってその時によって変わるし。そうか、だからいろんな条件の全てがかちっと合わさった時に妊娠するんだな。そんで出産までたどり着くんだなぁ。と言うことはアプローチが少し変わるけど基本的にはいつもと同じなのかも。検査結果を知ってから色々ぐるぐる考えたけど結果、いつも通りと言うかそれ程、期待するでもなくそれ程、悲観するでもなく問題点が明確になった分だけ方向性が見えた感じでゆるゆるそっちへ向かって行けばいいのかな。
2011.09.07
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すっかり治療から離れて、のーんびり生活してました。最近ジムもすっかりさぼり気味でだらだらしてたら体がぷよぷよでヤバい!ふと気がつけば不育検査結果の出る日。そう言えば助成金の書類8月末までに作成して連絡くれるって言ってた様な、、お葬式のバタバタで忘れてたよ^^;書類取りにいくついでに結果を聞きに行くみたいな軽い気持ちでした。んが!!!!ひとつふたつ引っかかりました。予測は外れて免疫系ではなく、血液凝固系でした。プロテインS活性の値が標準60~150のところ55と低い。ほんのちょっとだけど、これが低いと血液凝固が起きてしまうので次回からは胚移植当日に再度血液検査の結果数値が基準値以下ならバイアスピリンの服用となりました。場合によってはヘパリン投与もありえるそう。。。まっじー。。医師の説明ではちょっとよく分らなかったので家に帰ってさっくり検索してみたのですが意見がまちまちで。。妊娠するとこの値は低くなるそうなので流産後すぐの検査では低く出るよう。検査したのが3週間後ぐらいだったのですぐと言えばすぐ、なのかも。また、名古屋大のHPによると不育の原因にはしていないそう。でも、それが原因で妊娠継続できないのであればタイミング取った後にも処方して欲しいのだけど。それは出来ないみたいです、、何でだろう?たとえば高温期の10日目辺りに陽性反応が出たとして即効、行けば出してもらえるのだろうか。クリニックでもらった説明書には代替療法として漢方のサイレイトウとありました。はは、、、漢方の先生、ビンゴですね。着床ごろに飲んでいたけどもっと早めに飲まないといけないのかな~。。先生に相談してみよう。はぁ、、どうせなら体外に入る前に知りたかった。もし前回、飲んでいたら継続できたのだろうか。と思うと残念でならない。けれどそれがあったから今回、調べる気になった訳で問題が分り、薬で対応できる内容でよかったとも言える。今まで妊娠検査薬は生理予定日から一週間越えたら使うようにしていたのだが、今回からはもっと早めに使うようにしないといけないと分った。何となく思いつきで受けた検査だったのだけど意味があったようで良かった。しかし、不妊の上に不育とは、ねぇ。。とほほ。
2011.09.06
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確か種を撒いたのは7月の頭だったはず。。。芽が出て双葉が開き本葉が出るまではもの凄いスピードだったのにその後、葉っぱが増えても何故かなかなか花が咲かず。2ヶ月近くたってようやくつぼみが沢山ついてとうとう花が咲きました♪青だったのか~。整体の先生に頂いたのだったので、色知らなかった^^;頂いたのは確か6月。。。撒いた月に移植→陽性判定出たので朝顔効果大!と思ったものの撃沈、、、でも、ようやく花が咲いたので、いいことあるかな♪
2011.09.03
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叔父のお葬式でした。台風が近づいていて予報では大雨でしたが実際には雨どころか晴れておまけに湿度が高く暑い~~!!喪服も上着なしで十分。夫が仕事で参加できず駅まで自転車乗ったら汗だく。。最寄の駅からは妹の車に乗せてもらえたのでラッキーだったけど。結局、兄夫婦が岐阜から一家3人で来てお通夜から出たらしい。(聞いてないよ~!)何か手伝いすることあるかなとは思ったけど母が「叔父の兄も姉も東京の人だからあっちの家族で大丈夫みたいよ」と言った言葉を信じたのが間違いだった。。。実際にはお姉さんは入院中で来られずお兄さんも高齢だしその息子や娘も来てなかったっつー。ので、兄が一応、手伝ってたらしいわ^^;妹も手伝ってって言われたけど母からそれを聞いたのが御通夜の始まる直前でもう間に合わず。。。あぁ、、母を信じるとこういう目に逢うのだった。。元々気が回らない上に、常識がない、と言うか宗教が違うせいでまともにお葬式に出た経験もなく。今回もお葬式全部で一時間で終わると思ってたらしい。そんな短時間で終わる訳無いでしょう!!!!はぁ、、母が非常識なので娘の私たちまで非常識と思われる。直接、叔母に電話して確認すれば良かった。。ちなみに病院で亡くなったので遺体もそのまま霊安室に置いてたのかと思ったら、翌日には家に戻してお通夜まで3日間も置いてあったそう。そんなら、一度くらいお線香あげに行ったのに、、、まぁ今更知ったところでどうしようもないのでいいんだけど。。お式の最中も姪っ子ちゃんが3歳ともう一人はまだ生後半年なのでどっちも何がなんだか分らず勿論、大人しくしている訳もなく。3歳児に至ってはお坊様の読経に合せてヘッドバンキングしたり振付けて踊ったり、、隣の席だったのでおかしくておかしくて。。笑いを堪えるのに必死。。。時々は妹の赤ちゃんを抱っこ交替してゆらゆらさせるのに必死。。(でも、ほとんど泣かないし誰に抱っこされても大人しくていい子だった)そんな状態でちっとも悲しみを味わう余裕もなく・・。最後、出棺の前にお花を沢山入れる時に始めて顔を見られてげっそり痩せてしまっていたのでショックでさすがに悲しくなったけど。何よりもお骨をお箸で拾った後で父が「俺の時も頼むよ」と言ったのがあまりにもリアル過ぎて涙が出そうになったけど平気なフリして「あと20年後ね」と言ったら「SちゃんとYちゃん(姪っ子達の名前)がお嫁に行くのを見てからだから、あと25年だな」だって!!もう77歳だから25年経ったら100歳越えちゃうんだけど(笑)こう言う軽口を叩くのがうちの父の父らしいところだった。しばらくそんな会話も出来ない状態で7年前の祖母のお葬式の時は朝も起きれなくて最後は行かないと言い出して無理やり叩き起こして顔も洗わないのでタオルでゴシゴシやって連れて行くのが本当に大変だった。7年経ってその頃より今のほうが元気になってちゃんとお通夜もお葬式も出られるようになってよかったなぁ。亡くなった叔父は満80歳で父とは3歳しか違わない。長く病を患っていたので父とは少し状況が違うけど父も最近、高血圧、糖尿が出始めていて小さい脳梗塞の後も幾つかあるのでいつ大きいのが来ないとも限らない。何事も諸行無常。変わらないものなんてない。父が元気なうちに私の子供の顔も見せられるといいのだけど。。。。
2011.09.02
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