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死後の処置を考えて、鳴沢に住むというのは、
半分、冗談で書いたのだが、
(ひょうたんからこまみたいな話で、)
その時の死からの解放感が、 実 に 爽快 で、
忘れられなくなってしまった、これだから、
人生は芝居と言われるゆえんである、本当と虚偽の境目など、
あってないようなものだろう、
そこで、浮かんできたのが、
”命を惜しまない”と言うテーマである、(では、以下に、)
先ほど、自由に対する
束縛の基
”マネー”と”命”を挙げた、
(他にもあるが、 代表例で、 )
二つ共、手ごわい相手だが、
特に、命については、
ヨハネ12-25に、
自分の命を愛する者は、それを失うが、
この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。黙示録12-11に、
兄弟たちは、
小羊の血と自分たちの証しの言葉とで、彼に打ち勝った。
彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。命を憎む、
あるいは、命を惜しまない、
ここら辺が、
勝敗の分け目となっている書き方をしている、
さて、自分の信仰生活は、
一応、期間だけは結構長いのだが、
マネーはともかく、
命を惜しまないと言うのは、
頭のレベルでは、ソーだろうな、と思っても、
現実となると、
真剣に考えたことがない、そんなの自分には あまりにも高尚で、
関係ないと思っていたし、
しかし、幸か不幸か、(年が年なので、)
最近は、身近な人の死を頻繁に見聞きするようになり、死に対して、より現実的な対応を、
これまで 以上に、 考えざるを得なくなってきている、
(のが事実、)ざっくばらんな話し、
必ず、死ぬのだ、と言う、あきらめと言うか、
現実の受け入れである、
ソーなると、(自分の年齢から、)
もうあとがあまりない現実を踏まえ、
ここら辺で、そろそろ、
惜しまない生き方をしてもいいのではと、
思ったり思わなかったり、なんか、スゲー、後ろ向きな取り組み方だが、
これが、今、自分にできる精一杯の取り組みかな、但し、本気で取り組むつもりなどさらさらない、
あくまで 、命を惜しまない フリ で、
そう、あくま( 悪魔) でだ、
彼ら の演出力に引けを取って はいられない、
*コーいう捉え方(フリ)ができるようになったのを見て、自分の 信仰 も、 少しは成長したのかなと、(自分で言うのも変だが、ちょっとうれしい、)
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