PR
カレンダー
キーワードサーチ
コメント新着
今日は母の命日、
実際は、3/11だったが、
医師の死亡確認が、3/12の0:08AMだったので、
一昨日、弔いをテーマに取上げて、「弔い」、古来からのテーマに解決はあるかその母を思い出していた、
そして、母に弔いは必要か、
あるいは、供養は必要か、と考えた、
が、自分のこの3年間の体験からするなら、
母のための弔いとか、供養とか、
およそ、した記憶がない、
(父親然り、)
そもそも、供養って、
あの世での幸福を祈ることなのだが、当の母は、
3/11、亡くなる数時間前に、
オレのところ(神戸空港モノレール)にやってきて、ニコニコしながら、
「皆さん大変ね、」と、言ってたっけ、
その後も、頻繁に現れたけど、
幸せそうだった、
しかも、父の葬儀の早朝には、
「イエス様が福島を守ってくださる、安心して住みなさい、」なーんて聞かされた暁には、
生きているオレの方こそ、
父母に供養してほしいゾ!?
(トカナントカ、)
そこで、思った、供養、あるいは弔い、
これって、異邦人の発想だなって、*異邦人、
即ち、救い主イエス様を知らない人たち、
あの、能のテーマが、
先祖供養と言うのはそこから来ていると思った、
弔い、供養の気持ちは、
人が共通して持つ思いだろう、
能の舞に、
人々は、自分をそこに重ね、
無念の心を共有し、涙を頂戴し、癒しを感ずる、しかし、そこに解決はなにもない、
ただ、無念を共有するだけ、
ソー言う意味で、
清和が舞った能「パウロの回心」は、
清和にとって、
最初のキリシタン能であったのだが、
すごく画期的なできごとじゃなかっただろうか、
と思っている、
なんと言っても、
(先祖の救いに)解決のない能の世界に、
(先祖の救いに) 解決のある能を持ち込んだのだから、
人生に失敗がないと人生を失敗する 2024年11月09日 コメント(1)
Fakeニュースに疲れたら 2024年11月06日
コロナの終焉とイスラエルの行方 2024年11月01日