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西本願寺の近くでランチぶらぶらしながら、お店を探す七条通に面した、麒麟亭。なんか、いい感じ!ガッツリ食べたかったし、よし!すき焼きにしよう♪メニューを見てみるスペシャル、牛鍋、スペシャル、牛鍋…どっちにするか迷いながら入店お客さんが食べてるのを見て、牛鍋!和牛のすき焼き風牛鍋定食お腹もお財布も超満足お店の雰囲気もいいし、使えますよ♪麒麟亭ホームページにほんブログ村人気blogランキング================================================================
2008.10.26
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西本願寺の現地講習会で講義を受けましたが、(レポートはこちら)会場となったのは、西本願寺のすぐ隣、龍谷大学大宮学舎ですこちらの学舎は、120年前に建てられたもので、初期西洋建築物として国の重要文化財に指定されていますしかも!今でも大学の学舎として使用されていますその教室で、今回は講義を受けることができました正門(重要文化財)「龍谷大学」の文字が。奥に見えてるのが本館正門をくぐると、案内図があります「龍谷大学大宮学舎案内図」と書かれたあたりが、西本願寺本館(重要文化財)北黌(重要文化財)今回はこの中で、勉強しました建物の中の様子をチラッと北黌1F廊下です大きな窓も、洋館の風情こんなところで勉強できる学生さんは幸せですね~こちらの龍谷大学大宮学舎、毎日ライトアップされてるそうです要チェックですよ~にほんブログ村人気blogランキング================================================================
2008.10.25
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西本願寺の現地講習会レポート、今日はいよいよ書院です書院は通常非公開、写真撮影は禁止本願寺史料研究所研究員 和田秀寿先生の解説で書院の中へ虎の間 重要文化財玄関を入ると、黒っぽい板に囲まれた部屋この黒っぽい壁板、実は虎と竹が描かれている横から見ると、かすかにわかる虎の姿1630年にできたとされるここの絵は、戦後すぐ文化庁による剥落防止剤(PVA)が塗布されたそのPVAが化学変化により、真っ黒になったそうです実は全国にそういう例は多くあるとか…ここの虎の絵は、2011年には収蔵庫に収蔵され、新しい虎の絵が展示されるそうです機会を見つけて、ご覧になることをオススメします!尚、現在の絵は、最初に描かれた絵に、150年後に加筆されたとこがわかっているとか玄関に虎は、権威の象徴だそうです対面所(鴻の間) 国宝下段、上段、上々段からなる大広間。下段は162畳あり、400人入るとされる欄間のコウノトリの透かし彫刻から、「鴻の間」と呼ばれる帳台構(ちょうだいかまえ)、床(とこ)、御成口(おなりぐち)、違い棚、付書院(つけしょいん)の書院造5点セットが揃い、帳台構~違い棚が一直線に並ぶ本願寺独特の様式上段の天井は格式高い、折上格天井(おりあげごうてんじょう)→二条城でも見られますね上々段は1634年、徳川家光上洛の際、新設された(但し、実際には来られなかった)この対面所、すごく広いんですけど、更に広く見える工夫がされてますそれは、柱の間隔。手前は2間。上段に近づく最後の柱の間隔だけ、1.5間。この工夫により、奥行きが広~く感じられますここに描かれてる障壁画のほとんどは渡辺了慶らにより描かれている渡辺了慶は狩野光信の弟子 ここで、狩野派の手本「累世用画法」について 狩野派の描く絵は、一定の決まりによって描かれる まず、入口には「走獣」→下段には「花鳥」→上段には「人物」 更に高貴な人の居所には、「山水画」 確かに!どの間もそうなってる 何気なく見てた障壁画も、これを覚えておくと、かなり通っぽい南能舞台(重文)と北能舞台(国宝)重要文化財の能舞台は、春日大社、厳島神社とここ西本願寺南能舞台国宝の能舞台はここの北能舞台のみ北能舞台:現存最古の能舞台(1581年) 木が床だと思ってたら、その下には、漆塗りの床があるそうです 床下には甕があり、音響効果ばっちり また、舞台周りの石は、全て同じ向きに敷き詰められ、これも音響効果のため 徳川家康から下賜されたものとの言伝えがある(駿府城より)ここで、能舞台の時代の見方 舞台への橋掛かり(廊下)の欄干が、湾曲してる方が古く、直線が新しい 橋掛かりと舞台がつながる角の角度が90度に近い方が新しく、鈍角の方が古い西本願寺書院には二つの能舞台があるので、見比べるとよくわかりました♪書院、その他の見所・雁の間(国宝)から欄間越しに隣の 菊の間(国宝)を見ると、 菊の間の障壁画に描かれた月をバックに、雁の間の欄間の雁が飛んでるように見える おぉーー 計算された演出に、思わず感嘆の声・虎渓の庭に沿った「東狭屋の間」。ここの天井にはたくさんの書物の絵がかかれている その中央に、一匹のネコ。ネズミの見張りをしている「八方にらみのネコ」 ここに描かれている書物は、全て実在するものだそうです・1871年の京都博覧会の出品目録にあった「金泥雲龍図」の存在が長らく不明であったが、 南能舞台前の対面所の杉戸に書かれているのがわかった この杉戸、虎の間の壁板同様、真っ黒になっている でも、真横から見ると、なんとなく龍の顔が浮かんでくる 研究されてる先生も、びっくりの発見だったそうです国宝、重文満載の西本願寺書院通常非公開ですが、毎年5月20、21日は祝賀能が行われ、飛雲閣同様公開されます西本願寺ホームページ 京都・観光文化検定試験改訂版 | 世界遺産の京都本世界遺産をあそぶ京都本←書院の中は、こちらの方が詳しい京都検定関連情報は別サイトで更新しています京都検定で旅する京都 kyotabi.comにほんブログ村人気blogランキング================================================================
2008.10.21
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昨日の講義編に引き続き、今日は拝観編室町時代に比叡山宗徒による破却のため、大谷を退出した本願寺その後、山科→大坂石山→紀伊鷺森→貝塚→大坂天満を経て1591年に現在地に移り堂舎が整備されたしかし1617年、お風呂からの火事によりほとんどの建物が消失その後再建された建物は、桃山文化の粋を極め絢爛豪華西本願寺は、その後火事にあっていないちなみに…東本願寺は蛤御門の変での出火が御所から類焼現在の建物は、明治時代の再建では、岡村喜史先生の解説で、いざ拝観へ!総御堂(阿弥陀堂) 重要文化財 ご本尊、阿弥陀如来立像を安置する本堂。1760年の再建 修復中の御影堂の親鸞木像もこちらに阿弥陀堂御影堂(ごえいどう) 重要文化財 国指定の建造物としては、奈良東大寺の大仏殿に次ぐ大きさ 本願寺では中心になる建物。信者収容のため、規模が大きい。1636年建立 「ごえいどう」と読むのは、西本願寺、東本願寺、興正寺(こうしょうじ) 興正寺は西本願寺隣接。11代顕如の次男・顕尊は興正寺に養子にでている 御影堂。平成23年まで、10年間にわたる大修復工事中飛雲閣(ひうんかく) 国宝 滴翠園(てきすいえん)の池に建つ楼閣 金閣・銀閣とともに、京都の「三閣」と称される 柱が細く、軽く飛んでいきそうなことから、「飛雲閣」と名付けられたとか 金閣銀閣とは印象がかなり違う 左右非対称な造りが特徴。 これは、右側に上段があり、その上を避けて造られたため、左側に寄ったそうです 屋根も特徴的で、1Fは唐破風、2Fは千鳥破風 また、2Fは三十六歌仙が描かれ「歌仙の間」 3Fは星を摘むという「摘星楼(てきせいろう)」と呼ばれる 西は渡り廊下を渡ると、重要文化財の浴室「黄鶴台(おうかくだい)」がある 飛雲閣は非公開ですが、 5/20、21の宗祖降誕会(しょうそごうたんえ:親鸞聖人の誕生お祝い法要)の日は、 お茶席が設けられ、入ることができます しっとり落ち着いた、素敵な楼閣ですよ唐門 国宝 現地講習会に参加するようになって、「門」大好きになった私 この門は、かなりすごい 1617年の火事で、ほとんどの建物を失った西本願寺 でも、この唐門は燃えずに残りました もともと堀川通正面にあったのが、今の場所に移されました きらびやかな顔料は、30年前の調査で復元されたそうです 格式が高い唐破風の上に、千鳥破風が重なった屋根! 蟇股(かえるまた)には3次元の孔雀!! →唐破風&蟇股については、こちらの記事をご参考に左側に見えるのが唐破風。その上に三角形の千鳥破風この門は四脚門。門の脚は門自体の脚は数えない蟇股から飛び出しそうな孔雀 牡丹に獅子、麒麟に虎。ほんとに豪華な門 側面には中国の故事が4話、彫られてます 『ふんふん、中国の故事か』って思ってたら 実は門の外は「立身出世」、内は「神聖な話」。門で俗世と線引することを意味してます 故事の内容も、門に大きな意味を持たせてるんですね門外側左側面の故事 細部まで見てると、いくらでも時間が経ってしまいそうで。。 日の暮れるのも忘れる「日暮門(ひぐらしもん)」、と呼ばれているのも納得 蟇股で門の時代を見る見方を、以前この講習会で教えてもらったけど、 もうひとつ、時代を見るポイント そうです!これです♪几帳面取り 桃山以降江戸時代にみられます 角に合わせて、更に2mm程掘り込まれてる →二条城二の丸御殿唐門の几帳面取り ついつい門の話が長くなってしまう建物編はこれにて終了~最後に御影堂前にある、有名な銀杏の写真を大火災のとき、水を吹いて御影堂や阿弥陀堂を守ったと伝えられる「水吹きの銀杏」通常イチョウは上に伸びるが、この木は空に向けて根をはったように広がる通称「逆さ銀杏」西本願寺ホームページ京都・観光文化検定試験改訂版 | 世界遺産の京都本次回はいよいよ、書院の中に入りまーす京都検定関連情報は別サイトで更新しています京都検定で旅する京都 kyotabi.comにほんブログ村人気blogランキング================================================================
2008.10.19
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10日4日、京都検定現地講習会【西本願寺】に参加してきましたあまりのボリュームになかなかレポに手がつけられず…更新が遅れてしまいました実は春にも同じ内容の講習会があって、申し込んだけど落選最近は競争率が高い現地講習会その中でも、ここ西本願寺は別格みたい春の講習会も、急遽午前・午後の2部制にしたけど、200人近くが参加できなかったと(はい。その中の1人です)堀川通に面した阿弥陀堂門前の法要高札(ほうようこうさつ)な、な、な~んと!タタミ6畳分日時:平成20年10月4日解説:岡村喜史先生(龍谷大学文学部 准教授) 和田秀寿先生(本願寺史料研究所 研究員)講義1時間、見学2時間(通常非公開文化財含む)今日はまず、講義のまとめから西本願寺と東本願寺って、どう違うの? こんな疑問もすっきり解消■本願寺の歴史■ 講師:岡村喜史先生1.親鸞廟堂と本願寺の成立 親鸞は法然から教わり、関東方面に布教していた 60歳ころ京都に戻り、1263年没 ↓ 大谷の地の埋葬される ↓ 10年後改葬。知恩院山門北側の崇泰院に移す お墓を訪れた信者が、ありし日のお姿を拝みたいことから 関東の信者(門弟)により、木像が作られた 木像は御影(ごえい)と呼ばれ、御影を安置するお堂は御影堂 ↓ その後、3代目の覚如が宗教的教えを整備 寺院化を志向し、「本願寺」と称する 寺院を目指すには、本尊が必要 当初は「阿弥陀仏をひたすら信仰する」意味の掛け軸を安置していたが、 後に阿弥陀如来木像が安置された この経緯から、本願寺のスタートは御影堂であり、御影堂の持つ意味は大きく、 本堂より御影堂の方が大きい造りになっている(西東本願寺とも) また、御影堂は信者が集まる場所ともなっていて、大勢の信者を収納するための大きさが必要 御影は「ごえい」と読み、一般的な「みえい」とは読み方の違いがある左:御影堂(工事中)と右:阿弥陀堂=本堂 ともに重要文化財2.本願寺の発展 1465年、比叡山宗徒により破却 →越前→山科→摂津大坂(石山本願寺)と移る 本願寺が全国的な教団に発展 加賀を実質的に領国化。権利を守るために武装(僧兵)3.石山戦争から東西分派 織田信長は天下統一の邪魔になることから、本能寺の大坂退出を要求 ↓ 石山戦争(11年に及ぶ) 本願寺・顕如、朝廷の斡旋により、信長と講和を決断 顕如の長男・教如、講和開城を拒否。父子の意見対立 本願寺は紀伊鷺森(さぎのもり)→和泉貝塚→大坂天満 →1591年、京都七条堀川(現在地)へ移る 翌年 顕如没→長男・教如が本願寺を継職 が、顕如の妻・如春尼、顕如の遺言により「三男准如が継ぐ」と主張→豊臣秀吉に訴える 秀吉、准如の継職を命じる その後、長男・教如、徳川家康より土地を与えられ、東本願寺を別立 ※西本願寺と東本願寺が別れたのは、後継問題が原因で、 家康が権力で本願寺を分けたという従来説は、歴史的根拠がないそうです 幕末、西本願寺は 勤皇新政府側につくことになる本願寺の参拝会館玄関にある梵鐘なにげにあるけど、重要文化財この鐘は平安時代!のもので、太秦の広隆寺から買ったもの大坂退出のときも、持ち運んだというその後、西本願寺飛雲閣の鐘楼にあり、 新しい鐘と入れ替わりにここに置かれた本願寺の歴史を理解して、次回は現地見学のレポートです西本願寺ホームページ京都・観光文化検定試験改訂版 | 世界遺産の京都本京都検定関連情報は別サイトで更新していまーす京都検定で旅する京都 kyotabi.comにほんブログ村人気blogランキング================================================================
2008.10.18
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旭山動物園人気からか、最近は動物園がアツイですね→旭山動物園の記事はこちらに少し私もなんと、今年2回目の天王寺動物園?十年も行ってなかったのに日本で3番目に出来た天王寺動物園どこにあるのか?場所はあまり知られてないかもしれません実は・・・あの新世界に隣接通天閣とのはしごが、お気に入りです天王寺動物園では 「ZOO21」計画進行中現地調査をふまえて動物たちが生息する環境を再現する「生態的展示」の手法を取り入れてます東アフリカの国立公園をイメージしたアフリカ サバンナゾーンライオンごしに草食動物が見えたり動物と人間の間に「オリ」がなかったり、とても新鮮写真はキリンとだちょう(首だけ伸びてる)こちらはゾウのいる、熱帯雨林エリア亜熱帯の植物の森を歩いていくと、ゾウが見えてきます途中、ゾウが体をこすった木があったりゾウ注意の看板があったり、動物園とわかってても、ちょっとわくわくしますよ通天閣を借景に、ってのもなかなかこの他にも、カバの水中での様子が観察できたり(ここ、かなり好き)暗~い夜行性動物舎があったり美術館や、植物温室、茶臼山古墳のある天王寺公園とも隣接してます新世界観光で、少し時間を持て余したら、覗いてみるのもいいかも天王寺動物園ホームページにほんブログ村人気blogランキング================================================================
2008.10.16
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『嵯峨野を歩く』の日記も今日で4回目それにしても1日(正確には半日)の講習会なのに、こんなに盛りだくさん恐るべし、京都検定現地講習会では、『嵯峨野を歩く』最終回、いってみましょう~今日は清凉寺を離れて、薬師寺~慈眼堂~檀林字跡 と歩きます薬師寺清凉寺の境内塔頭。通常非公開。薬師寺。小さなお寺ですが、かなりオンリーワンだって、「冥土の出口」なんですからっご住職から、いろんなお話、聞けました「六道(6つの冥界)」、冥土への入口といえば 六道珍皇寺小野篁(おののたかむら)は、毎夜六道珍皇寺の空井戸から冥土に出掛け、閻魔さんの手伝いをしたといいますそして、朝になると別の井戸から戻ったそうですその帰りの井戸が、嵯峨六道町の福正寺にあった空井戸冥土から戻ることを「生まれる」ととらえ、この出口を「生六道(しょうろくどう)」と言ったそうです福正寺は明治のはじめに廃寺となり、薬師寺と合併され、ご本尊や仏事、言い伝えも受け継がれました生六道地蔵菩薩(しょうろくどうじぞうぼさつ・木像80センチ)地獄に行った篁が、猛火の中にお地蔵さんを見た「お地蔵さんがなぜ地獄にいるのか?」と問うと、火炎の中で苦しむ亡者の身代わりになったと言うわが身を犠牲に庶民を救おうとするお姿に感涙し、そのお姿を彫り、冥土の出口にある福正寺にまつった背後に見えるのは、地獄の火薬師寺のご本尊の心経秘鍵薬師如来は、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が作られた(座像18センチ)ながらく秘仏とされてきたが、今はお姿を拝むことができる心経秘鍵薬師如来境内の三地蔵尊左から:夕霧地蔵尊、生六道地蔵尊の分身、瑠璃光地蔵尊なお薬師寺では、毎年8月24日の地蔵盆法要の際、「生御膳(なまごぜん)」と呼ばれるお供えをする-7種類の野菜と、湯葉の帆付きのかぼちゃ舟のお供え-薬師寺の本堂が一般に公開されるのは、この日限りです薬師寺を後にし、清凉寺西門を出るそのまま西に向かって歩くと、左手に慈眼堂地域の集会所で、気をつけないと通り過ぎてしまいそうこの付近は藤原定家が山荘を営んでいた場所で、定家の念持仏と伝えれれる千手観音像が、ここ慈眼堂に安置されています慈眼堂は通常非公開。ふだんは地域の方しか利用されないお堂も、この日は人であふれかえる道行く人が、「何がある?」って感じでびっくりされてました光があたってないため、写真ではほとんど見えませんが優しいお顔の、とっても素晴らしい千手観音さまこの観音さまを、ずっと地域で守ってこられたとかだからこんなに、優しいお顔なのかな…慈眼堂を後にし、嵐山方面へ向かって歩きます嵯峨児童公園嵯峨天皇の皇后檀林皇后が建立し、平安後期に廃絶した檀林寺があったとされる場所です今回の現地講習会、こちらでお開き嵯峨野の竹林を歩きながら、嵐山駅へと帰りま~す改訂版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブックにほんブログ村人気blogランキング================================================================
2008.10.05
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本堂&ご本尊、霊宝館特別公開ときて、今日は清凉寺の境内のレポートをまずは、楽し~い?一切経蔵(きょうぞう) 傅大士(ふだいし・中央) 右の人、タケちゃんに似てる~(><)お釈迦さまが説かれた一切のお経が、回転する蔵に納められているこの転輪蔵を1回転(1周)すれば、一切のお経を読んだのと同じ功徳が得られる傅大士は発案者ちょっとわかりにくい写真ですが…左が転輪蔵。この中にお経が入ってます。右は転輪蔵の「足」に当たる部分。←の方向に押して一周しますさて、京都検定の現地講習会解説してくださる先生によって、ちょっと特徴があるある先生は「門」について、またある先生は「石」について詳しく話される今回の先生は、「石」光源氏のモデル、源融のお墓境内には、多数の石塔があります源融塔宝筺印塔・鎌倉時代嵯峨天皇塔宝筺印塔・鎌倉時代檀林皇后塔多層石塔・平安時代ちょう然墓塔石幢・鎌倉時代「門」にしろ、「石」にしろ、必ず「時代の見分け方」を教えていただける石塔の場合の見分け方のひとつに、『面取り』がある(深い=古い)・源融の宝筺印塔に見られる三角形の部分は「隅飾(スミカザリ)」 別の石で作られるため、落ちやすい 嵯峨天皇の宝筺印塔の隅飾は、落ちてしまった・ちょう然(開山)の墓塔は、八角形をしていて、各面に仏立像がみられるその他、境内案内 梵鐘…足利尊氏、日野富子、足利義尚ら寄進 鐘に名前が刻まれている 阿弥陀堂…源融による棲霞観(寺)が前身 豊臣秀頼の首塚…昭和55年、大阪城三の丸発掘現場から出土した秀頼を首が納められた個人で来たら、さっと見て終わってしまいそうなところも、じっくりお話が聞け、新しい発見に溢れてるのが、現地講習会のいいところ「嵯峨野を歩く」は、清凉寺を離れ、まだ続きまーす♪そうそう。京都検定的に、清凉寺といえば、必ず覚えるポイントを最後に三大念仏狂言のひとつ、嵯峨大念仏狂言が4月に行われます(他は、壬生念仏狂言とえんま堂大念仏狂言)改訂版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブックにほんブログ村人気blogランキング================================================================
2008.10.03
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昨日に引き続き、京都検定現地講習会『嵯峨野を歩く』書き忘れてたことから…「五台山 清凉寺」ってあるけど、「五台山」って?東大寺の僧ちょう然が宋から帰り、お寺の背後にある愛宕山を中国の仏教聖地・五台山になぞらえ、清凉寺建立を計画したことによるでは、霊宝館特別公開(11月30日迄)、いってみましょう霊宝館に入るとすぐ、左手に大きな三体の像が目に入る国宝の阿弥陀三尊座像。光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)の一周忌に供養として造られた。棲霞寺の旧本尊。源融に似せて造られたといい、「光源氏写しの顔」の伝説があるこの阿弥陀さまは平安前期の作。この時代の像が現存してるのはとても貴重なのに、こちらの阿弥陀三尊座像はあまり知られてなかったそうですそれが今年の源氏物語千年紀で、脚光を浴び人気が出てきた平安前期の阿弥陀さまは、・顔がひきしまり ・体はぶ厚く ・衣のひだが深いこれが平安後期になってくると、・顔が少し優しくなり ・衣のひだが浅くなるたくさん見比べると、わかってくるのかな…また、密教の影響を見て取れる ・左右の観音脇至は、手が密教の手印を結んでいる ・垂れた髪 ・大きい腕輪 嵯峨天皇といえば、空海の最大の理解者。 この像が密教の影響を強く受けていることと、関係してるのかもこの霊宝館には、もうひとつとっても珍しいものがそれは、国宝 釈迦如来立像体内納入品昨日の日記で紹介した、本堂のご本尊、三国伝来生身釈迦如来昭和28年に調査が行われ、体内から250点にも及ぶ納入品が見つかりました!これら納入品は全て国宝指定その中に、五色のシルクで作られた「五臓六腑(内臓器官)」心臓、肝臓、脾臓、肺、などが血管?でつながった、世界最古の内臓模型実物は釈迦如来の体内に戻されましたが、レプリカが展示されていますこの他、たくさんの重文指定の像がありましたが、かつて、平安京羅生門に安置され、都を守ったとされる東寺の兜跋毘沙門天この像の模像があった!今日は文章ばっかりになっちゃいました次回は清凉寺境内を、写真多めでご案内予定ですでは。。嵯峨天皇と空海の関係→『東寺の謎』にほんブログ村人気blogランキング================================================================
2008.10.02
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久々に京都検定現地講習会に参加してきました専門の先生に解説していただきながら、現地を見学するこの講習会通常非公開の文化財を、特別に公開していただけることも多く、大人気につき、最近は参加も抽選制になっちゃいました今回は『嵯峨野を歩く』シリーズの第1弾清凉寺をゆっくり見学した後、檀林寺跡まで散策しました 日時:平成20年9月27日(土) 解説:龍谷大学非常勤講師 松波先生清凉寺仁王門清凉寺と言えば、源氏物語ゆかりのお寺。源氏物語誕生1000年の今年、大注目ですねと、講習会に入る前にちょっと時間があったので…仁王門横の「あぶり餅」の文字が、呼んでる~無病息災を願う「あぶり餅」今宮神社が発祥ですが、 嵯峨野にもあったんですねこちらの大文字屋さんは、清凉寺1200年を期に、創業されたそうですお餅に黄な粉をまぶし、炭火で焼いて白味噌だれでいただきますかな~り、おいしい元気をチャージして、いざっ!お勉強まずは、清凉寺(せいりょうじ)について・通称「嵯峨野釈迦堂」・嵯峨野一帯は昔、原野だったが、嵯峨天皇が別荘地とし、開発が進む・嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)は、嵯峨野に棲霞観(せいかかん)という 道教寺院を建てた。源融の没後、寺に改められ「棲霞寺」となり、清凉寺へとつながる この源融が、源氏物語の主人公、光源氏のモデルとされる清凉寺本堂1701年、5代将軍綱吉と生母桂昌院により再建(堂内の宮殿に、葵の紋を見ることができる)本尊 三国伝来生身釈迦如来(さんごくでんらいしょうしんしゃかにょらい)このご本尊、話を聞けば聞くほど、すごいんです日本三如来のひとつ(他は平等寺の薬師如来、長野県善光寺の阿弥陀如来)普段は非公開のご本尊。今回特別に見せていただきました!インドにあった、釈迦37歳の生き姿を刻んだ像 それが、中国に渡った。奈良東大寺の僧ちょう然(ちょうねんの「ちょう」は「大の下に周」って字)は、中国でその像を模刻して持ち帰った。この像が清凉寺の本尊、釈迦如来モデルとなった中国の像が行方不明のため、生身の釈迦像はこの1体のみとなった・両肩とも衣を着ている(片肩を出していない)。衣は同心円状の模様・頭髪は螺髪ではなく、長い髪を編んで頭に巻いているを特徴とし、「清凉寺式釈迦如来」と呼ばれる鎌倉~室町時代にかけ、写しが多く作られた。(100体以上確認されている)写しが作られていくにつれ、姿はだいぶ変わっていったようです(衣の模様や、手の大きさで、作られた時代が推察できる)盛りだくさんの清凉寺、まだまだ続きま~す改訂版 京都・観光文化検定試験 公式テキストブックにほんブログ村人気blogランキング================================================================
2008.10.01
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