シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

2010年01月22日
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カテゴリ: 神秘体験空間
 もし、今日の「キリスト」自身の進化の遂行と、同時に、人間の、ある能力の進化遂行を理解するなら(もし、その事実を人智学により理解するなら)、人間が死の門を通って行くときに遭遇する出来事や、パウロがダマスカスでの出来事に与るのを妨げるものは何もなくなる。

 何故なら、その理解によって、「死」は人間世界に最初に輝き入る「キリスト」の顕現として現れるからである。

 今日、肉体の中に居ながら、この出来事に備える人たちは、「死」と新たな生の間の生活においても、それを経験できる。

 けれども、この出来事に備えない人たち、つまり今回の受肉において、キリストを全く理解しない人たちは、「死」と新たなる生の間の生活においても、「キリスト」に関して、今既に生じ、次の三千年を通して生じ継続する出来事について何も知ることができない。

 (聖杯をつくろうと欲しない者は、キリストの血を受けることはできない。つまり、自らで努力しないものは、何事も成し遂げられない。天は自らを助けるものを助ける。つまり、生きることは、聖杯をつくることに他ならない。これが聖杯伝説となって伝わっている。)

 そのような人は再び受肉するまで待たなければならない。そのような人が再び地上に戻るときには、それに対する更なる準備が必要である。ゴルゴダでの「死」とその「死」から生じたもの(それは「キリスト」実質全体が地上で展開するために必要だった)を理解できるのは、肉体の中に居る間だけである。

 (キリストの成し遂げた「死」からの復活は、いま生きている経験により成就される。それはキリストのように生き、キリストのように自己犠牲を行い、死ぬことでキリストと共鳴し、その光を受け入れ、復活できるということである。要するに、積善行為である。天国に富を積みなさい、ということである。)

 高次生活にとって重要な唯一の事実とは、肉体の中にある間に把握する必要がある、ということである。肉体の中で一旦理解されたなら、それは高次世界の中でも更に働き続け、益々育成される。けれども、まず肉体の中で理解される必要がある。

 (悪のなかで善ならば、善のなかで善であるが、善のなかで善であっても、悪のなかでは悪に染まってしまうからである。悪に染まらなければ、悪の誘惑に負けなければ、悪のなかであっても、不動の善を保てる。だから、この世は悪に満ちているともいえる。)



 (落第すれば、何度も転生する羽目になる。)

 だから、ここで、直接的な現実や真実を示すような重要なものを物質空間上に見つけた、と理解できる。

 物質空間上にあり、現実的な存在とは何か?

 物質空間上にあり、あからさまに現実であるため、立ち止まって、「ここに真実がある!」と言えるようなものとは何か?

 それは人間世界の中にある「死」であり、他の自然領域における「死」ではない。地球進化の過程の中で生じる歴史的出来事の理解のためには、それらの出来事から精神的原型へと上昇する必要がある。

 けれども、ゴルゴダの出来事に関してはそうではない。ゴルゴダの秘儀に関しては、直ちに、そして直接、現実世界に属するものが、そこにある。

 (あらゆる人類の罪を背負って、贖罪のために、自己の命を犠牲にするという無償の愛の体現こそが、真実の「死」であり、キリストが示した人類の復活のための死である。)

 また、今述べたことの別側面も明らかになる。それは途方もなく興味深いもので、今日では、ゴルゴダでの出来事は真実ではなく、外(物質世界)的な歴史において、この出来事を歴史的事実と認めるのは不可能である、と多くの人が噂するのを耳にすることで、それは非常に重要である。

 大きな歴史的事実の中で、ゴルゴダの秘儀ほど、外(物質)的、もしくは歴史的に確認可能な方法での証明が困難なものはない。

 これに比べれば、外(物質)的世界における人間の進歩にとって重要なソクラテス、プラトン、あるいはその他のギリシア人たちの存在に関する歴史上の議論がいかにも容易であることがわかる。

 にもかかわらず、「ナザレのイエスが実際に生きていた」ということを、歴史を根拠にして、主張することはできないと(それはある程度で正当だが)、多くの人は言う。けれども、その否定的な歴史的証拠も存在していない。



 この外的、物質的空間上で生じた出来事が、超感覚的領域での事実と同じ特徴、つまり、いかなる外(物質)的な方法(物証)によっても証明され得ない、という特徴をもつことは特筆すべきことである。

 そして、超感覚的世界を否定する人たちの多くが、同時に、この出来事を(超感覚的な出来事では全くないが)把握する能力を欠く人たちでもある。

 その出来事が現実であることは、その出来事が与える影響によって確かめられるが、そのような人たちは、その現実の出来事自体が歴史的な意味において実際に起こらなくても、その影響が生じ得ると推測する。

 そのような(唯物的な)人たちはその影響を社会学的な状況の結果として説明するが、宇宙的な創造の過程を知っている者にとっては、「キリスト教」の影響が、その背後に立つ力なしでも生じ得た、と考えるのは、畑に種を植えなくてもキャベツは育つ、と言うのと同じくらい愚かしい考えである。





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Last updated  2010年01月27日 16時58分09秒
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