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ガンプラでした。。
2009年12月31日
仲間が亡くなったコトが一番つらかったな。 昨夜というか、つい数時間前に夢の中に出てきました。 相変わらずバイクに乗っていて(どんなバイクだったかは覚えてないな。。)、おしゃべりなヒトなんだけど、夢の中ではヒトコトもしゃべんなくて、ただニコニコと・・、相変わらず居心地よくて・・ “たいへんだったね。” と、声かけると タバコくわえながらニッコリと・・。 夢なんでそっから先は覚えてないナ。。
2009年12月31日
震災後、香櫨園まで阪神電車が開通してから、西宮に入りました。 倒れた自販機、 バリバリな割れて水が無くなった水路、 2階の窓が歩行者の目線の高さにある木造アパート、 隣の家に寄り掛かってしまった一件家、 芦屋の阪神高速倒壊現場はすぐそこにあります。 東京に首都直下型地震がもし来たら、多くの人命が失われる。 残念ながら、対策は充分とはいえない・・でしょうネ。
2009年12月30日
アホねぇ。。
2009年12月30日
開戦前の写真です。 一番、チビがオヤジ様です。 現在74歳。 終戦当時は小学校4年生でした。 九州に住んでおりまして、ランドセルに模擬爆弾詰め込んで、戦車に体当たりする訓練をしていたそうです。 兄弟は男ばかりの5人兄弟。 戦争で3番目の兄を失っております。 戦争当時、父は木造2階建の校舎の2階で授業を受けておりました。 窓のすぐ外をゼロ戦がバリバリバリーーっと横切ったそうです。 父の目には窓越しにゴーグルをつけたパイロットの顔がみえたそうです。 学校から家に帰ると父の母、俺様にとっては祖母ですが、家から血相変えて出てきて、開口一番、こう言ったそうです。 「タケシ、タケシが帰ってきた!」 弟である父の学校を訪れた後、そのゼロ戦は祖母の家の上空を何度も何度も上空で旋回、やがて南の空に消えていったそうです。
2009年12月30日

画像一枚目 ここは戦前は海でした。 今は人工の島が並んでいます。 画像二枚目 回生病院 アニメ“蛍火の墓”にも風景として出ています。
2009年12月30日

ここは桜のシーズンは川沿いに桜が咲き乱れて綺麗ですヨ。 西宮は六甲の山で濾過された美味しい水が採れるため、酒造メーカーが多いです。 酒好きにはタマらんです。 はい。
2009年12月30日
色が白くて都会的、漂白された龍馬。俺様の意見ではないよ。うちのオフクロ様の意見であります。(カミソリはどーぞ西宮へ。。)「唄は好きなんだけどね。。福山マサヒロさん。」・・とのコトであります。演じてるご本人様が一番イメージギャップにとまどったのではないだろうか・・福山☆龍馬、大河がどう料理するのかも楽しみです。
2009年12月30日
ラルフに島崎さん、梅井さんも・・。
2009年12月30日
クルマの中で8時間耐えました。 お疲れ、てんてん。
2009年12月29日
里帰り。 今日は東名高速、空いてました。 明日が帰省ラッシュのビークでしょうね。。
2009年12月29日
見たことない管がついとるのぉ。
2009年12月29日
噂どおりYZR500はお店に展示してあるらしい。 見に行ってオッケーとの許可とってくれたので、カメラ片手に覗きにいってみよう。
2009年12月28日
あるガンコ者が欲しくない嬉しくない結果を手に入れた。 今のままじゃ、こんな未来が待ってるよ。 何度も忠告したが、無駄だった。 イチローのように明るい未来が待っているガンコならいいが、欲しくない未来を何度も手に入れるガンコはまさに救いようがない。
2009年12月28日
厳しかった去年より更に厳しいというのが実感です。 来年もガマンの年になりそうです。
2009年12月26日
餅つきやっていたので、興味津々でドタ参。 10回、20回やったら、「もう、いいや。。」 性格が出てますナ。 そんな中、仲間の為に餅つきを黙々と続けるヒトの後ろ姿はシブいなぁ・・と。。
2009年12月26日
昔、ちょーお金が苦しい時、遠征があって、ガソリン代とかでいっぱいいっぱいで・ ・ 、お昼食べるお金もなくて・・ 何言ったワケでもなかったのに、仲間が察して、コンビニ弁当を「はい。」って買ってきてくれました。 気持ちが嬉しいなら、情けないやら、悔しいやら、複雑で・・ 今は離れていて、なかなか返せないけど、その分は身近な仲間に返している。 メシ食いに行って、ハナシ聞いたりしか出来ないけどネ。 苦しい時、何気ない仲間の気持ちが大きなサポートになりますナ。
2009年12月25日

写真の上に文字が書いてて読みにくいだよ。 なんとかならんかぇ。。
2009年12月25日

首都高も六本木通りも。。 こんな日に、けやき坂や表参道にクルマでうかつに入ると出られなくなります。 夜景は歩いてのんびりがエエかと。。
2009年12月24日

”日本の模型屋も、ここまでやるようになったか”2009年12月ホンダウェルカムプラザ”ホンダサンクスフェア”よりNS500NSR500NSR500RC211V 祝ホンダWGP参戦50周年タミヤショー スライドショー
2009年12月23日

Scot Racing Team 250cc RS250RW Spec全長 1960mm 全幅 640mm 全高 1090mm ホイールベース 1350mm 最低地上高 110mm 車両重量 100kg以上 エンジン種類 水冷 2ストローク ケースリードバルブ V-2 総排気量 250cc 最高出力 90馬力以上 フレーム形式 ツインチューブ タイヤ(フロント) 17インチ タイヤ(リア) 17インチ サスペンション(フロント) テレスコピック式 サスペンション(リア) プロリンク 燃料タンク容量 21リットル 2008年シーズン終盤、KTMとの契約更改間近の青山博一は”KTM参戦中止”を通告される。これは所属チームの解散を意味していた。世界同時不況の影響だった。スポンサーの撤退やチーム縮小・・多くのライダーがシートを失っていた。青山博一も例外ではなかった。残り2戦、最後のグランプリになるかもしれない・・。とにかく悔いのないよう必死に走るしかなかった。”250のタイトルを獲得してから、Moto-GPクラスにステップアップ”そんな夢を描いていた青山博一は大きな岐路に立たされた。窮地に追い込まれた青山博一に救済の手が差し伸べられた。彼を”ホンダスカラシップ”で、グランプリに送り出した古巣のホンダである。バイクは2009年にMoto-GPステップアップを果たした高橋裕紀が昨年乗っていたRS250RW。2007年ドビツィオーソが細々と開発、この年を境に完全に開発が止まったマシンであった。おまけにスペアマシンなどは・・なかった。最低限のチーム体制で最新鋭のマシンを駆るアプリリア&ジレラに挑んでいかなければならかった。開発が出来ない分を走りに集中させた。青山博一のレザースーツには”74”の数字が刻まれている。これは故加藤大治郎が愛用したゼッケンだった。”加藤大治郎選手のように人々を感動させるレースがしたい。”2009年第16戦 マレーシアグランプリ250CCクラス決勝、青山博一はチャンピオン争いをしているシモンチェリと壮絶なトップ争いを展開する。コーナーごとに順位を入れ替え、何度も何度も抜き返す。そのアグレッシブなライディングスピリッツはセパンサーキットに足を運んだ多くの観客の脳裏に焼きつき、遠く離れた日本のファンを歓喜させた。クレバーなレース展開、優れたタイヤマネージメント、熱いスピリッツ、そして応援してくれる人々の為に・・2009年、青山博一は念願の250CCクラスの世界チャンピオンを獲得する。世界グランプリ250CCクラスでは1993年の原田哲也、2001年の加藤大治郎に次ぐ、3人目の日本人チャンピオンの誕生であった。夢を実現させた青山博一は2010年、念願のMoto-GPクラスに参戦を開始する。オク画伯提供青山博一オフィシャルサイト青山博一プロフィール WGP 250ccクラス 青山博一 シリーズチャンピオン獲得最後の王者を目指して(前編)最後の王者を目指して(後編)「逆境からの戦い 8年ぶりの日本人王者に」YOU TUBE 2009年オランダGP アッセン 250CC 青山VSバウティスタネットで見つけた”青山博一 2009 HONDA RS250RW #4 模型制作記”ネットで見つけた” HONDA RS250Rのあらまし ”ネットで見つけた”青山博一 チャンピオンマシン作図に着手 ”ネットで見つけた”青山博一 2009 HONDA RS250RW #4 イラスト(アドレスの登録が必要)”ネットで見つけた”青山博一 2009 HONDA RS250RW #4 イラスト(登録不要)”All About”さらば!2スト・250ccレーサーマシン”KTMに所属していた青山の画像2009 RS250RW もっと大きい画像を見たい方はコチラをクリック↑リンクがうまくとばない時は以下URLをコスペして直接入力して下さい。http://photos.yahoo.co.jp/ph/fun_circuit_since2003/lst?.view=t&.dir=/98ce2009 RS250RW スライドショー↓モーターサイクルレーサーの画像集めてみました。Motorcycle races
2009年12月23日
時々、仕事サボってますが、それ以外はまじめに働いています。そんな俺様にプレゼント プリーーズ! ☆夜寝てたら、枕元に”ドン!!”と衝撃がぁっ!なんだーーー!!??・・と跳び起きて、灯りをつけて枕元を見るとーーー!そこにはーーーなんとーーーーっ!アールワンがまるごと1台!おまけにブルーのマルヨン式ーーーっ!!真夜中に歓喜して部屋を駆け回る俺様。”・・ん? 待てよ。 これじゃ部屋から出せねぇ。。”んじゃ、とりあえず、バラしてパーツ固体にすれば出せるじゃん。やべーーー! ウチん中がバイク臭くなってしまふーー! ☆なーーんてクリスマスがいいんですが・・いかがですか? サンタさん。
2009年12月23日
犬を散歩させようと階段下ろうとしたら、1歩目からつるり、、背中からガタガタガターーーと仰向けに階段を滑っていきました。途中で止まるかな・・?なんて甘い期待は裏切られ、2階から1階まで見事に落下。最後に手すりにしこたま頭を打ちつけ(剣道の”面ーーっ!”状態・・)、やっとこさ止まりました。犬は両手に抱きかかえたので無傷。(2匹とも抱いてたら、わんこ骨折してたろうな・・。)俺様は背中に衝撃吸収パット入りライディングブルゾン着てたので、体は無傷。頭にでかいタンコブつくり、しばらく階段下でモガいてました。。
2009年12月23日
こういう時はセダンがいいなぁと思います。
2009年12月21日
散々世話になってきたけど、今日は少し返せたのが良かったな。俺は俺のやり方で大事にしてゆくヨ。
2009年12月20日
南千葉サーキットでヘッポコ走りを披露。 “俺様はへたくそ”という事が再確認出来た事が唯一の収穫。。 このサーキットはカートで走るほうが楽しいだろなぁ。 その後、レッドバロンに移動、バイクを引き取って帰宅します。
2009年12月20日
出直して、南千葉サーキット。 ひさびさなんで、道忘れてるなぁ。
2009年12月20日

レッドバロンさん到着。 バイクは今日、お泊まりになりそうです。 待ってる間にセブンイレブンで衝動買い。 かみそくさんを自宅までおきります。
2009年12月20日
残念ながらリタイア。 レッドバロンのレスキューを待ちます。
2009年12月20日

2台でゴリ師匠の待つ、長南イレブンに向かいますが、プチトラブル発生。 新しいバイクはようわからん。(古いバイクでもわからんが。。) 治るかな??
2009年12月20日

千葉東金道路大宮インターそばサンクス到着。 ここでかみそくさんと待ち合わせ。 千葉県人推奨の缶コーヒーで暖をとります。 レース用のグラブ、久々に使いました。
2009年12月20日
いってきます。 ツーリング行くのは一年ぶりくらいかな?
2009年12月20日

8耐に参加したヤマハワークス製YZF750の中で唯一の片持ちリアサスペンションがこの1987年製OW89である。実際の1987年8時間耐久レースではライダーの懸命な走りにより、ゼッケン21がトップに迫るもピットインするたびにピットロス。リアタイヤの交換はスムーズに行えるが、フロントタイヤのブレーキパットが閉じてしまうというトラブルにより交換にとまどい、トップに離されるという皮肉なレース展開であった。鈴鹿8耐でタイラが乗る予定だったが、1987年ワールドグランプリ500CC、8耐決勝前週の7月6日、フランスGPルマン・ブガッディサーキット、6速全開の高速コーナーで平選手はエンジン焼き付きがおこり、転倒。鎖骨、肋骨など数箇所の骨折、更に首はムチ打ちとまさに満身創痍の状態であった。しかし1週間後、タイラは淡いパープルのレーシングスーツを身にまとい、真夏の鈴鹿を走っていた。プロとしての意地があった。しかし、”走れない・・。”タイラはそう決断せざるを得なかった。上体が起こせないのだ。数百キロの風圧に耐えられない体になっていた。この年、資生堂TECH21レーシングチームヤマハは第3ライダー登録のマーチン・ウイマーを正ライダーに昇格させ、ケビン・マギーとのコンビにマシンを託す事となった。タイラは首に白いギブスを巻いた痛々しい状態でチーム監督としてピットに立った。決勝レースは下馬評どうりガードナー&ドミニク・サロン ホンダRVF750の独走となった。特にこの年、ワールドグランプリでランキングトップで鈴鹿に乗り込んできたワイン・ガードナー、前年までの派手なドリフトは姿を失せ、よりスムーズで無駄のない走りで手がつけられない程の速さを見せる。しかし、パートナーのサロンの2度の転倒で優勝候補のゼッケン1 ロスマンズホンダRVF750は沈黙、2度と息を吹き返す事はなかった。変わってトップはゼッケン45 ヨシムラスズキ ギャリー・グットフェロー&高吉組。確実なピットワークでライダーを送り出すヨシムラ。ピットインしたケビン・マギーはライダー交代をせず、気力の連続走行でトップのヨシムラスズキを追いつめてゆく。ラスト5分 暗がりサーキットに悲鳴が巻き起こる。”トップを走っていたヨシムラの高吉、2コーナーで転倒ーーーーっ!”TECH21、そしてヤマハワークスの鈴鹿8時間耐久レースの初勝利はこうやって実現された。しかし、ライダーとしての平忠彦の心境は複雑だったに違いない。”チームは勝った。しかし、俺は走っていない。”ニツカンスポーツ FIM世界耐久選手権シリーズ第5戦“コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース 1987ヤマハ発動機 鈴鹿8耐ヒストリーネットで見つけた”1987 8耐の思い出”ネットで見つけた”8耐決勝 1987 鈴鹿の闇 - ヨシムラ、ラスト5分に泣く”ヤマハ発動機”スペシャルコラム「8耐 ヤマハ・レジェンド」不死鳥マギー”ヨシムラジャパン”歴史1987”ケビン・マギー : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ネットで見つけた”8耐の記録集”ネットで見つけた”ヤマハコミュニケーションプラザ見学日記”ネットで見つけた”ヤマハレーシングヒストリー”ネットで見つけた”涙の表彰台”ネットで見つけた1987 YZF750 (OW89)画像ネットで見つけた1987 YZF750 (OW89)画像ネットで見つけた1987 YZF750 (OW89)画像ネットで見つけた1987 YZF750 (OW89)画像YOU TUBE 1987年鈴鹿8時間耐久オートバイレース1YOU TUBE 1987年鈴鹿8時間耐久オートバイレース2YOU TUBE 1987年鈴鹿8時間耐久オートバイレース3YOU TUBE 1987年鈴鹿8時間耐久オートバイレース4YOU TUBE 1987年鈴鹿8時間耐久オートバイレース5YOU TUBE 1987年鈴鹿8時間耐久オートバイレース6YOU TUBE 1987年鈴鹿8時間耐久オートバイレース7関連画像1985 FZR750 (OW74) TECH21 ケニー・ロバーツ&平忠彦1990 YZF750 (OWB7) TECH21 平忠彦&エディー・ローソンもっと大きい画像を見たい方はコチラをクリック画像を足して更新しております↓~Motorcycle racers~1987 YZF750 (OW89) TECH21 ケビン・マギー&マーチン・ウイマーロードレーサー画像集
2009年12月19日
海外から成田に帰ってきて、自宅に戻ると即、自転車で夜の都内を走ってトレーニング・・俺ら、凡人から見るとスーパーマンのようなヒトだった。。スーパーマンでも冬山には勝てなかった。。
2009年12月19日

ペドロサ、青山のチャンピオンマシンが展示されています。 田宮の模型も楽しめますヨ。
2009年12月19日

只今、ホンダウェルカムプラザではサンクスフェアーが行われています。 谷口尚巳さん、岡田忠之さんなど歴代のグランプリライダーのトークを聞くコトが出来ます。 タオル、もらっちゃった。
2009年12月19日
ウソでも嬉しいのぉ。
2009年12月19日
ここは飛行機が間近ですみれます。 寒いけどね。。
2009年12月18日
日本人の専属料理番がいるという噂がホントなのだろうか?・・と調べてみたら以下サイトに詳細が書かれてありました。「マドンナの料理番」なるほど・・マンドナの秘密は「マクロビオティック」にアリ。・・して「マクロビオティック」ってナニ??「マクロビオティック」ジヤンクフードに馴染んでしまった日本人にはもう一度、勉強し直した方がエエのカモねぇ・・。
2009年12月17日
EPSON CM 1( 唄 ”冒険者” 矢萩渉 )EPSON CM 2楽園の君に 矢萩渉コイツも後のEPSON CM”いつかめぐり合えるヒト達の笑顔を信じて・・さぁ、はじめよう。””僕の瞳のマーチ” ピカソ
2009年12月17日
“美味いラーメン屋があるから・・”と薦められて実際に覗きにいってみる。 食べてみるとたいして美味くない。 ひとそれぞれの美味い味があり、好みがはっきり別れる。 仲間がバイクを買うという。 カタナ、ニンジャ、CB・・聞いてるこっちが血沸き、肉踊る。 当のオーナー様が美味いと感じられる一台に出会えれば、それでいい。
2009年12月17日
只今、青山ホンダウェルカムプラザでは本年度世界選手権250CCクラスでチャンピオンを獲得した青山博一(ひろし)選手のマシンが展示されているらしい。 隙つくって見にいこ。。 (またサボりか・・)
2009年12月16日

昔はここに皆登って、江戸の花火を楽しんだそうです。 今となってはビルに囲まれて、なーんもみえませんが・・。 東京都港区虎ノ門
2009年12月16日

1993年 世界選手権250CCフル参戦、初年度チャンピオンを獲得した原田哲也選手のマシン1993 TZ250Mにはゼッケン31番が輝いています。このゼッケン31の由来はヤマハワークスの偉大なる先輩、平忠彦さんが世界選手権初優勝を飾った時につけていたゼッケン31を受け継いでいます。ここでは平忠彦さんが世界選手権、初優勝を果たした1985年サンマリノグランプリ、どんなレースだったかを振り返ります。平忠彦 戦積1980年 全日本350CC ランキング1位 1981年 全日本500CC ランキング6位 全日本350CC ランキング8位1982年 全日本500CC ランキング6位1983年 全日本500CC ランキング1位1984年 全日本500CC ランキング1位 世界選手権第8戦オランダGP アッセン決勝6位 世界選手権第8戦ベルギーGPスパ・フランコルシャン決勝6位 世界選手権500CC ランキング16位 デイトナ200決勝5位1985年 全日本500CC ランキング1位 世界選手権第4戦イタリアGP ムジェロ決勝15位 世界選手権第5戦オーストリアGPザルツブルグ決勝9位 世界選手権500CC ランキング21位 全日本最高峰のレース500CCクラスで3連覇を達成。平忠彦は名実ともに日本を代表するライダーに成長致しました。そして1986年ついに平忠彦は念願の世界選手権にチームMarlboroヤマハ・アゴスチーニより250CCクラスにフル参戦を開始します。第1戦スペインGP ハラマ初めてのハラマサーキットだったが、予選で順当に2位を獲得、フロントロースタート。決勝押しがけスタートするもの、平のYZR250はエンジンに火が入らず、再度押しがけをしようとマシンを降りた瞬間、後続車が平に激突。待ちに待った平忠彦の世界選手権フル参戦、第1戦はこの瞬間に幕を閉じた。タイラのレントゲンを見たドクターコスタの診断は”骨折”だった。第2戦イタリアGP モンツァ第1戦から約2週間後、怪我をしてパンパンに腫れ上がった左足をチームメイトの通称”ビッグマック”ことロブ・マッケルニの特大ブーツに押し込め、タイラはモンツァサーキットの予選を走っていた。予選結果は上々といって良い10位。しかし、問題は押しがけスタート、果たしてこの足でマシンを押してエンジン始動が出来るのだろうか・・。痛み止めを打った足で決勝スタート、エンジンはなんとかかったが、ほぼ最後尾からのスタート。決勝は22位という結果が残ったが、彼の左足はレース前より悪化し、腫れ上がった。”このレースはなにがなんでも完走したかった。”第3戦西ドイツGP ニュルブルグ冷やし続けた左足は回復をみせていた。予選6位からのスタートだったが、やはり押しがけで出遅れ、後方からの追い上げとなる。ドミニク・サロンとのバトルに競り勝ち、決勝結果11位。入賞まであと僅か・・。このレースの後、左足の診断の為、日本に一時帰国する。第4戦オーストリアGP ザルツブルグ左足も更なる回復をみせ、日本帰国で気分転換になったのか良い流れでレースを迎える。またもやスタートに出遅れるもの決勝8位。第5戦ユーゴスラビアGP リエカまたもやスタートに失敗。遅れを挽回しようとしたタイラだったが、他車に押し出されるようにコースアウト、転倒リタイアとなる。今度は右足を痛めてしまった・・。第6戦オランダGP アッセン日本からの応援団、ヤマハワークスの先輩ライダー、シャケさんこと河崎裕之選手がやってきて強力アドバイス。決勝では相変わらずスタートで順位を落とすも今シーズン最高位の6位入賞を果たす。第7戦ベルギーGP スパ・フランコルシャン決勝はレインコンデションのサバイバルレースとなった。タイラはいつものようにスタートに出遅れるもの、転倒者続出の中、着実な走りで9位でゴール。第8戦フランスGP ポール・リカール決勝、やはりスタートに出遅れ、ほぼ最後尾スタート。10位でレースを終える。第9戦イギリスGP シルバーストーン鈴鹿8耐直後のイギリス、疲労のためか予選から低迷し予選13位。レインコンデションの悪条件の中、決勝スタート。いつものように追い上げのレースだったが、水に足をとられ転倒。またもや右足を痛め、松葉杖と車イスが手放せない体に戻ってしまった・・。第10戦スウェーデンGP シルバーストーン歩く事もままならない体でレース参戦。決勝は13位という結果を手に入れる。第11戦 最終戦サンマリノGP ミサノタイラの足は順調に回復していた。予選も結果はそれを表していた・・予選、この年、早々とチャンピオンを獲得していたカルロス・ラバートに続く2位。予選結果が良かったのは体の回復だけではない。タイラはシーズン開幕前にこのミサノサーキットを1度走っていた。日本の筑波サーキットに似たこのミサノとの愛称は悪くなかった。決勝は今シーズン何度も目にしたスタート失敗、いつものように追い上げのレースが始まる。この日のタイラは怒涛の追い上げをみせた。何台ものマシンを抜き、2位集団のホンダ勢に追いつき始めた。場内の観客ははるか後方から追い上げてきたタイラに歓喜の声を上げた。24周目、独走状態だったラバート転倒、2位集団がそのままトップ争いに変わる。良ければ優勝・・悪くても今期最高順位の5位・・上々だ。しかしこの日のタイラはトラブルに臆する事なく攻めた。250CCのトップライダーは爽やかなスポーツ選手というよりも・・数々の闘いを経験してきた”いぶし銀の職人”だ。ゼッケン56 ロスマンズホンダ ドミニク・サロンゼッケン19 カンプサ ホンダ アルフォント・シト・ポンスゼッケン2 ロスマンズ ホンダ アントン・マンク世界に名だたるライダーと互角、いや以上の鋭さをみせタイラは走る。何度も・・何度も・・順位を入れ替え、グランプリ史上に残る名勝負が展開される。そしてチェッカー、ついに平忠彦は苦難の道の先に世界選手権初勝利という栄光を手にする。 今では考えられない事実だが、遠く離れた日本でもこのニュースはテレビニュースを通して、お茶の間に流れた。今シーズンずっと低迷していた全日本のエース、平忠彦に声援を送り続けたレースファンはこの快挙に歓喜した。 ☆後に世界選手権では危険回避の為、押しがけスタートは禁止されます。レースの世界に”たら、れば”という言葉はありませんが、もし、平忠彦選手が初フル参戦したこの年に押しがけスタートが禁止されていたなら・・と考えずにはいられません。YOU TUBE 平忠彦 1986 WGP250cc 最終戦サンマリノGP ”職人”達とのトップ争いYOU TUBE 平忠彦 1986 WGP250cc 最終戦サンマリノGP 1986 YZR250(OW82)画像
2009年12月15日
アンダーパスが出来あがっていた。(上り線。下りは未確認。)これなら、ひどかった渋滞も解消されるんじゃないかな。。
2009年12月15日
「保険いっぱいはいってるから、事故はどっちかつーと、ウェルカムなんだよね。」なるほどー、どーりであんなムチャな運転が出来るわけだ。。こんなヤローがますますふえてゆくんやろなぁ。オワリやニッポンも。救いようがない。
2009年12月14日
超勉強になります。下のカキコは全然関係ないトコロを読んで感心している俺様があほなのです。(ちなみに俺様もヒツジ年なのだ。)誤解を招くカキコ、失礼致しました。龍馬の本はセブンイレブンで売ってるよ。買ってや。
2009年12月14日
おそらく楽天のシステムエラーで、投稿してから数時間たってから更新されるみたい。 こいつがアップされるのは今から何時間後・・いや、明日かな??
2009年12月14日
なになに・・龍馬と海舟はヒトマワリ違いのヒツジ年生まれ・・。(全然勉強になってねーよ!)
2009年12月14日
坂の上の雲を見てJINを見る。坂の上の雲は歴史を勉強しとかないと人物の背景がわかりにくいね。ある程度の知識があれば、深くておもろいドラマだと思います。JINは歴史の知識なくても楽しめるドラマ、坂の上の雲に比べると深くはないが、キャラクターが生き生き描かれていて、入りやすい。今、小学生の間で土佐弁が流行っているらしい。歴史を知る為の入り口のようなドラマ。次週、最終回は見逃せない。
2009年12月14日
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