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前文:日に日にInterpol好きが楽天内でも私生活でも増えつつあり大変喜ばしい今日この頃であります。起:さて先日1月25日に渋谷クワトロでのInterpol来日公演に行ってまいりました。しがない会社勤めの身としては平日6時会場7時開演などというオトナをなめきったこの国のエンターティメント事情に舌打ちをしつつ、それでも通常10時まで仕事をするオフィス内で「私今日は5時で帰るからね、何が起きても絶対5時には出るからね」とヒステリー起こしながら叫びまくり、周囲の顰蹙をかいつつも、なんとか予定よりも1時間遅れて無事仕事場を後にすることができました。チケット発売当日に手に入れた整理番号2桁もむなしく開演10分前に着。当然会場は既に満員、野郎&ガイジン比率高し故に平均身長もデカイ。身長155cm+10cmヒールしかない私、ダメだ、負けた。くやしいからビールとジントニック2杯で凹んだ精神に渇をいれようと、すごすごと端っこしかし可能な限り前方というポジション確保。なんだ結構ステージ見えるじゃん、周りチビばっか。まぁ、そんな個人的報告などどうでもよろしかったですね。こちらカツ丼になります。承:ハコ=クワトロ、満員御礼、野郎&ガイジン比率高し、登場直前の期待が興奮化し「はよ出てこんかーわれ」オーラがムンムンの中、なによみんな何コーフンしてんのよまだこれから前座なんでしょ?と両手に酒持ってとぼけていたワタクシ愚か者、いきなりNext Exitですよアータ、きゃーっ、Interpolの皆様ご登場。ライブのポイントとして高得点の 1)ちょこざいなエンターティメン性 とか 2)抜群のテクニック とか 3)カリスマ的パーソナリティ とか 4)アイドル化して楽しめるルックス とかそういったモノまったく皆無だーコイツら、というのが第一印象(あ、若干4番にひっかかるベーシスト、という意見もありますが)なんだかそこらのニーチャンの自主ライブに来てるような感じで、まったくのno pretenseでエラいなぁと感心した。にも関わらず、この背筋が震えるような高揚感ったらなによ?というギャップが凄いところで、久々に鳥肌立ちました。続けてObstacle 1ときてNARCあたりでワタクシ外箍しかかり(課長スミマセン)、Say Hello To The Angelsではもうココロは10代となり変なSpastic踊りで爆発してしまいました。ああ、こうしてライブ観ると2ndより1stの方が断然カッコイイなぁ、なんて思うのはInterpolを80'sリバイバルという部分で惹かれている割合が高いからかなぁ、まトシっつーことよね、なんて想念がアタマをよぎったりもした。愛想もクソもなくただ黙々と演奏をこなす姿の真摯さと、オーディエンスに媚びる必要性を否定する意志と、自分達の音楽に対する信念が技量や音響の欠点を補って余りある程のパワーを生み出しているんだなぁ、と。「ちょっとこれはスゴイよホンモノだね」とベタな表現お許しください、でも本当にそう思った。バンドブーム以降「音楽をやる」よりも「バンドやってるヒトになりたい」が目的にすり替わって久しいけど、本来の意味での「音楽をやる」っていうのはこういうコトよね、と清々しい気分にさせてくれましたInterpolの皆様。後半Evilで「ローズメリーィー」と合唱し(最近の我が家の口ずさみ曲No1)ラストPDAでココロもカラダも恍惚陶酔大暴れ状態。アンコールは皆が待っておりましたStella was a diver...そしてRolandへと、ああっ、すみませんこれ以上冷静に記述できません。転:なし結:生きててよかった。Next Exit Obstacle 1 NARCPublic Pervert Say Hello To The Angels Not Even Jail Hands Away NYC Slow Hands C'mere EvilPDA========================Stella was a diver....Roland
2005.01.30
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"Sweet sixteen" Ken Loach 2002イギリスを代表する映画監督といえばマイク・リーとケン・ローチだと信じて疑わない私ですが、まさか休日の夜7時というホゲホゲタイムにケン・ローチの最新作をスカパーで見るとは思っていませんでした。やるなスカパー、それもシネフィル・イマジカじゃなくてムービープラスというあたり。なんといってもタイトル「Sweet Sixteen(スウィート・シックスティーン)」で、なおかつスカパーの7時台なわけで、こりゃ「胸キュン思春期のホルモン映画」を普通期待するもんです。何も考えずスカスカのハリウッドエンターティメントを堪能することで、来たる激務ウィークに備えるというのが週末の習慣である私とダンナは、共に事前知識ナシでアルコール少量摂取済みという万全の体勢でリビングルームの陣地を守り固め挑んだ、スウィート・シックスティーン、夢見る16歳。しかしながら映画が始まり、微妙に「こ、これは英語か?」と20分の1くらい聞き取れる英単語モドキと特徴あるアクセントがぶっきらぼうに抑揚無くポツリポツリと流れる画面はこれまた灰色の小汚い気落ちするような日常の絵にならない光景、あちゃースコッティッシュのワーキングクラス映画かい、こりゃ字幕必須よねなんてごちていた矢先に画面に表示される監督ケン・ローチの文字。無言ながらも私とダンナの脳裏には「覚悟」という意思がみなぎったのは言うまでもない。ドラッグディーラーとしてリスキーなロウライフを送る典型的ルーザーの父親と祖父と共に住み、母親は刑務所で服役中、学校も9ヶ月前から行くことを辞め、ヤク中の父親に育てられた同じように落ちこぼれの親友と日々煙草を売り歩き小銭をかせぐ毎日、そんな普通の15歳の少年がこの映画の主人公だ。人は皆生れ落ちた環境でまずサバイバルを強いられる、これは万国共通。しかし豊かな先進国の貧困ほど正義道徳良識善意の表層に隠蔽され、かつ資本主義の魔力に支配されているが故に救いがたいと思うのは私だけか?生殺し状態、出口なし。服役中の妻にさえ刑務所内でのドラック販売を平然と強要するような父親&祖父を嫌悪し母親への恋慕を募らせる少年は、しかしサバイバルの手段として、「ここ」から抜け出すために、愛しい母親を父から救うために、金がなきゃ始まらないという資本主義社会の一員として、いともたやすく麻薬販売に手を染めるのであった。ただ単にヤク中がディーラーを始めるというのではなくて、むしろ「できることならリセットしたい」劣悪環境の根源としてのドラッグを嫌悪する本人が「それ」を金稼ぎのツールとして選択してしまうのがもう既に相当に絶望的だ。当然のように地元ヤクザとの関わりを持ち始め、現金回収ビジネスゆえの分厚い札束の権威に己を見失い(ああ、典型的なヌーボーリッチ成り上がりメンタリティ)、挙句の果てに手に負えない唯一の親友を裏切り、手にした「アチラ側の生活」とやらは果たして彼の本来の目的であった母親と姉と彼女の子供と平和に暮らすという、根源としての彼の純真さとはあまりにかけ離れていないか?答えは簡単にあっけなくこの映画のクライマックスで展開される。ラストシーンでの少年atちっとも美しくないビーチ。携帯電話の向こうから聞こえる姉の声は響くI love youと。しかし少年は声に出して答えることができない。そこでやり直すことなど不可能な現実の重みと怒りと悲しみと家族への変わらぬ慈しみを抱え迎える16歳の誕生日。現実は残酷だ、けれど逃げ出すことはできない。理性や教義や道徳や良識がひとつでも救いとなりえたのだろうか?答えは明らにそこにある。マイク・リーの作品やアラン・パーカーの「コミットメント」なんかだと、厳しい現実はちっとも変わんないけど、ささやかな希望は確かにそこにある(あった)よね、という痛みを伴うポジティブさ、といった泣き笑いしたくなるような爽快さがあるのだけど、ケン・ローチはそこんとこ超現実派というか殆んどハードコアです、挑戦的。笑いも怒りも悲しみもナシ。ただただやりきれない出口ナシの絶望感だけが目の前に広がるのを途方に暮れて見つめるのみ。
2005.01.10
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年末年始の国民的な心情やら慣習やらを悉く無視するかのように12月は30日まで年始は元旦から普通にお仕事をして過ごしたせいか「新年だねぇ」とシミジミする機会も逸したまま、あらまもうすでに1月9日なのね、とバカみたいに呆けて過ごした本日は日曜日の遅い午前。この3連休は久々のお休みなのにも関わらず溜め込んだ家事雑用その他モロモロのto doリストに追われるコト必須なのであります、が、一向に片付かない宿題が気がかりなまま遊び呆けていた小学生時代の夏休みと同レベルの刹那的享楽を貪るのもオツなものではないか、と先送りにしてみる。そうと口に出さずとも先だってのインド洋津波のトラウマは実は密かにしっかりと平和ボケした私達の胸の奥に刻み込まれているんだな、とボンヤリ確実にそう思ったここ数日間。その恐怖から逃げ出すかのように私達って必死にお喋りをして誤魔化してるみたいだわね、と社内でのソーシャルトーク中に笑い出したくなる自分がいた。家族もろとも犠牲になった同僚の死を悼みつつ、この個人的感傷などとやらはあの惨劇の何万分の一の更に何百分の一にしか過ぎないんだよねというココロの静寂さが私達の中にあるんだな、と。例えば日本人犠牲者が出ない限り世界のどこかで起きている悲劇に無頓着でいられる「ウチ - ソト」メンタリティ=国民性は周知の事実だが、かといって一旦「我々をも巻き込む世界の大惨事」となった場合のヒステリカルなまでの過剰反応はどうかと思う、という至ってマットウないい子ちゃん的心情を会得してしまったのではないかな、と。同時にあたりまえのように享受している私達の平和な日常なんて今ここで無常にも「死」という断絶が行われてもおかしくないという、極めて脆弱な基盤の上に辛うじて乗っかっているわけですね。ふーん、と思いながらパチリパチリと足の爪を切り新聞紙を丸めてゴミ箱へ投げ込む私がここにいるわけだ。あ、2時からヨガの時間だ、顔洗おう。
2005.01.09
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