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象さん123 @ Re:完全な人 マタイ5:38~48(10/28) 素敵なメッセージですね。感銘を受けまし…
石田聖実@ 今日の礼拝のプログラム 前奏 招詞 詩編51:19 讃美歌 第二編194 「…
象さん123 @ Re:辞任から3ヶ月(12/01) 羨ましいですね。普通の牧師は 良くも悪く…
やまひで0207 @ Re:プレハブの掃除に行きました(05/04) 大学時代、奥多摩の山を歩き回りましたの…
AGIOS @ Re[1]:義母の死と葬儀(02/17) 象さん123さん ありがとうございま…
December 30, 2008
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カテゴリ: カテゴリ未分類



なぜ礼拝式文を変えたかと言うこと…
数年前からキリスト教出版業界では礼拝学の本が盛んに出版され、礼拝学ブームが起こっていた。
本が売れたブームより前に、1997年に「讃美歌21」が出版されたが、「讃美歌21」自体が礼拝のあり方の変更を示唆していたとも言える。
私自身は、神学生の時にウェスレーの聖餐論をテーマに選んだ。
野村誠氏の「聖餐論」に、ウェスレーのメソジスト運動は聖餐式実践が重要だと書いてあった。聖餐式において我々は神と出会う。見神の場なのだと。
岩本助成氏もウェスレーの聖餐論の重要さを大阪キリスト教短大の紀要に書いておられた。
それらを読んで、聖餐は毎週行う礼拝の中心であり、また聖化の場でもあるという私の考えが形成されていった。
ウェスレーは、聖公会(英国教会)の礼拝が諸教会の礼拝の中で最も優れていると考えていた。

神学的には多様な立場を許容する英国教会は、祈祷書に従って礼拝することを以て教会の一致としたが、最初の祈祷書を作ったクランマーは、ルーテル派と東方正教会を参考にしたと言われる。
ウェスレーは最も優れた礼拝と信じる英国教会の祈祷書を、手本にアメリカのメソジストのために礼拝書を作った。
アメリカのメソジストから日本のメソジストが生まれた。
日本メソヂスト教会の礼文にある聖餐式、明治時代に出版されたものだから、もちろん文語である。
これに近い礼拝式文をもっているのはどこの教会か、と探した結果、メソジストの母教会である聖公会だった。
ウェスレーの発言からして当然のことではあったが、ウェスレーの時代から250年以上経った、アジアの端っこの日本でも、聖公会の聖餐式とメソジストの聖餐式は共通項が多い。
このことを知った時は愕然とした。
あれほど聖餐を重視したウェスレーだったが、(ウェスレーの時代にあまりまともに聖餐式を行っていなかった)聖公会の教会が現代では毎週聖餐を中心とした礼拝を行っている。メソジスト・ホーリネスはどうか?
毎週恵みの座に進み出て聖餐に与る教会がどれだけあるだろうか?
最も「一般的」な恵みの手段として聖餐を捉えている教職・信徒がどれだけいるか?
現代においてメソジスト的な聖餐を回復する第一の実践は、聖公会の祈祷書に学ぶこととなった。

いずれは毎週にするつもりで、月1回の聖餐式はそのように行った。

名古屋に転任してきた時に、数代前の牧師が「10年間は前任者のやった通りにやりますとおっしゃった」と聞かされた。その牧師の在任期間は13年だから、自分の思うとおりにやったのは3年間ということになるのだが、その前の牧師(戦中・戦後30年以上牧会された)のやり方からどう変えたのかはよくわからない。
それ以後の2代の牧師は3~4年で名古屋を去っている。
私も「それじゃぁ」ということで、「前任者の通り」と言ってきた。
ただし、教会学校の関連で教会学校単独の礼拝をやめにして、大人の礼拝と一つにして、子ども向けの説教を挿入するという変更をした。


前任牧師は4年ほどしか牧会せずに隠退されたが、大きな足跡を残した。
聖餐式文を変えたことと、クリスマスイブ礼拝を始めたことである。
前任牧師が作った聖餐式文は、一昨年出版された「日本基督教団式文(試用版)」の礼拝式Bのための聖餐式文が、おそらく参考にしたであろうものだ。極めて簡潔ではあるが。
クリスマスイブ礼拝は尾陽教会の歴史の中では初めての式文による礼拝だ。
これも極めて簡潔ではあるが。
このように、前任牧師は明らかに礼拝学の動向を的確に捉えて、実践しておられた。
私の「前任者の通り」はそういう方向性を指している。
それは決して前任者の「マネ」をしたわけではなく、同じような方向性を持っていたので、前任者の仕事を喜んで引き継いだのだ。

今年の秋、私は在任12年を迎えて13年目に入った。
12年という一つの区切りを通過したので、私が元々目指した来た礼拝の形に変更することにした。
もちろん諫早でやったのをそのまま踏襲するのではない。
この12年の間に礼拝学ブームで多くの本が出版され、仲間とそれらの読書会も行ってきた。
地区や教区の教師部委員というお役も与えられたので、講師に礼拝学方面に多くの著書・訳書のある越川先生(彼の出版ペースの速さは一体どうなってるのだろう)や、ハリストス正教会の高橋神父をお招きして学ぶこともできた。
今回の礼拝式文は、一昨年の「日本基督教団式文(試用版)」をベースに、これまで尾陽教会で用いてきた祈りの言葉(成文祈祷)を生かしつつ、同志が彼の教会のために作った聖餐式文を取り込んで、聖公会の祈祷書も参考にしつつアレンジしたものだ。
特に聖餐の部分はたいへん丁寧な取り扱いがなされている。そこにウェスレー以来のメソジストの聖餐式の伝統が生かされている。

私としては、少しずつ変更して慣れてもらおうと考えた。
しかし、長老会の判断は「ちょくちょく変わるのは困る」ということだったので、一挙に変更することとした。

しかしながら、私は「礼拝式文の決定版」はあり得ないと思っている。
常にその時点でのベストを選び、また生みだしていくこと。

「決定版」スタイルでやっている教会もないわけではない。
ハリストス正教会がそれである。
そこで用いられる式文は明治時代に日本にロシア正教をもたらしたニコライ宣教師が翻訳したものだ。ニコライは語学の天才とも言うべき人で、日本人よりも正確な日本語を使えたらしい。
だから、このニコライの日本語訳の式文は極めて厳密に訳されたものだということだ。
しかし、今日われわれが毎週使う礼拝の言葉としてどうなのだろう?
一方で日常と違う世界へ行くという意味で文語は能力を発揮すると思うのだが、そこで言われていることが呪文のような意味しか持ち得ないようでは困る。
「美しい言葉」や「正確な言葉」で礼拝したいとしても、そのために平安時代の日本語を学ばなければならないとしたら、それは問題だろう。
あるいは法律用語のような硬い表現も礼拝にはふさわしくないだろう。
自分の心を込めて表現しやすい言語で礼拝すべきなのだ。
そして、どんな言葉に心がこもるかは、時代(世代)と共に変わっていく。





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Last updated  December 30, 2008 09:09:42 PM
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