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犬に関する諺2句、「能なし犬は昼吠える」と「犬も食わない」について愛犬のパピヨンの飼い主の立場から解釈する。一言でいえば、犬については時代遅れの諺だ。だから、現在では、その諺は「無能な人」を揶揄(やゆ)するためだけに使われている。🐕 諺「能なし犬は昼吠える」 才能のない者にかぎって必要のないときに大騒ぎしたり、大きなことを言ったりするたとえ。対語:「能ある鷹は爪を隠す」諺「能なし犬は昼吠える」によると我が家の愛犬のパロは「能なし犬」だ。道幅4メートルの私道を通る人や犬を見て昼間でも頻繁に吠える。ただし、パロが吠えているのは威嚇のためではなく、一緒に遊んでくれと哀願の吠えだ。パロは生まれながらに人好き、犬好きだ。なのに、飼い主は加齢者であり、他人との接触が少なく、他の犬と接触は絶無に近い。だから、パロは通行人やその連れ犬にも仲良く遊ぼうと呼びかけているのだ。だが、吠え声が大きいので、威嚇の吠えだと通行人からは思われている。 逆にパロを良く知っている人からは歓迎されている。近隣の犬好きな人たちだけでなく、例えば、郵便配達の赤いバイクの人は、パロが吠えるとバイクを止めて降り、しばらくパロと遊ぶ。パロもリードを気にせずにじゃれて大喜びで遊ぶ。つまり、パロは昼間でもよく吠えるが、「能なし犬」ではない。人の心を癒してくれる犬だ。名犬とは言わない。普通の犬だ。🐶 「犬も食わない」とは時代遅れの諺昔の食料事情が良くなかった時代には犬は何でも食べる動物だと思われていた。その犬さえ食べない物とは何か。何でも食べる犬ですら食べないのが夫婦喧嘩なのだ。諺「夫婦喧嘩は犬も食わない」 犬は賢い。無用なことや余計なことはしない。夫婦喧嘩は長続きせずにすぐに仲直りするものなので、他人が仲裁に入るものではないということ。頼まれても夫婦喧嘩の仲裁にはかかわらないほうが良い。良かれと思ってした仲裁が、後で両方の恨みの原因になりかねない。「触らぬ神にたたりなし」だ。 つまり、「犬も食わない」とは現在の社会にそぐわない諺になっている。食料事情が良い現在の犬は食べない食べ物が多い。わが家の愛犬のパピヨンのパロも食べない食べ物が多い。新鮮な豚肉さえ食べない時がある。常日頃は冷凍の豚肉を冷凍肉用の包丁で一センチ角ほどに切って食べさせているが、それを食べない時ははたと困る。味付けなどの調理をして食べさせることになる。それでも食べないことがある。捨てるわけにもいかないので、そのまま放置してある。夏にクーラーが効いた部屋だと、湿度が60%以下になり、細菌が繁殖しない。パロが食べない肉は数日たつと、いわゆる熟成肉になる。パロは、その時期を見計らってその肉を食べている。つまり、パロの食器は3,4個もある。それぞれの食器に熟成待ちの肉が入っている。🐕🦺 パロに贅沢をさせる気は全くないが、食事を足らないと心配になる。犬は元来肉食動物だ。骨と肉さえあれば健康に過ごせる生き物だ。手羽先の先と豚肉がパロの主食だ。パロの食事を肉食にこだわっているのは、肉食動物に肉類を十分に食べさせていおれば健康を保持して動物病院のお世話にはならないで済むだろうと思うからだ。動物病院の医療費は実に高価だ。その動物病院の高価な出費に比べると肉類の食事の出費は安いものだ。🐂 でも、牛肉は食べさせてない。パロは牛肉を目の色を変えるくらい喜んで食べるが、飼い主でさえめったに食べない牛肉をパロに食べさせる気はない。もし食べさせるなら、年に一回正月などだろう。言い換えると、飼い主が牛肉をめったに食べないのは、飼い主が食べるとパロがものすごく欲しがるからだ。飼い主だけが食べるのは気が引ける。🍚 なお、パロは炊き立ての白いご飯も大好きだ。冷め始めたものを喜んで食べる。そのままでもいいし、味噌汁や肉汁をかけるとさらに喜んで食べる。白いご飯は犬にとっても炭水化物の補給源として最良の食べ物だ。パン類の多くは食べないが、バターをつけた食パンは喜んで食べる。つまり、愛犬には人の食べ物は何でも食べさせると良い。人の食べ物は地球上で最高の食べ物だからだ。しかも、最も安全な食べ物だ。防腐剤の猛毒のエトキシキンなどは入ってない。😥 現在では「犬も食わない」 とは、食べ物に関する諺ではない。人間社会における人付き合いに関する諺だ。人から非常にいやがられることや全く相手にされないことのたとえだ。🥰 補足吠えない犬は賢くおとなしい犬が多い。貴重だ。先代のパピヨンのパロがそうだった。しかし、犬が吠えるのは当たり前だ。習性だ。次に「吠えない犬はいない」という諺3句を追加転載する。🐶 所で吠えぬ犬はない自分の住まいで吠えない犬はいないように、弱い者でも自分の縄張りでは威張るということ。🐶 我が門にて吠えぬ犬なし弱い者も自分の家では威張ることのたとえ。どんなに臆病な犬でも自分の家の前ではよく吠えるとの意から。🐶 家の前の痩せ犬後ろ盾がある時はいばり、ない時は意気地がない人のたとえ。痩せて弱い犬も飼い主の家の前では威張って吠えることから。 関連随想集 【犬にまつわる諺45句🐕周知の句や面白い句の順で転載🐶】 「愛犬問題」 犬の身になって考えてみよう 🐕 獣医界の六大詐欺商法など
2023.10.08
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犬が主体になっている諺(ことわざ)45句をネット上から拾って周知の句や面白い句の順で転載した。🐕 犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ犬は三日間食事をやれば三年間も恩を忘れない。一方、人間は何十年も受けた親の恩を忘却することがある。「忘恩」という。🐕 犬が西向きゃ尾は東ごく順当であることのたとえ。犬が東を向くと尾は西を向くのは当たり前。🐕 犬猿の仲仲の悪い関係のたとえ。 単に「犬猿」ともいう。🐕 犬に論語道理の通じない相手には何を説いても無駄ということのたとえ。犬に孔子が説いた論語を聞かせても、まったくわからないことから。🐕 犬の遠吠え弱い犬は強い犬に対しては逃げ腰になりながら遠くから吠え立てる。人の場合、弱者や臆病者は真正面では物が言えずに陰で虚勢を張って大口をたたくこと。🐕 犬は人につき猫は家につく引っ越す時、犬は飼い主について行くが猫は家から離れようとしないということ。🐕 生きている犬は死んだライオンに勝る偉人も死んだらおしまいだ。凡人でも生きることに価値がある。🐕 一犬影に吠ゆれば百犬声に吠ゆ一匹の犬が何かの影を見て吠え出すと周辺の多くの犬が吠え出す。一人が根も葉もないこと言うと多くの人が真実であるかのように広める。 🐕 犬も歩けば棒に当たる何かしようとすれば、災難に遭いやすいということ。または、何かをやっているうちに思わぬ幸運にめぐりあうことのたとえ。犬はあちこち歩きまわり、人間の振り回す棒に当たる羽目になるということから、本来は出しゃばると思わぬ災難に遭うとの意味であったが、現在は幸運にめぐりあうとの意味でも用いられる。🔸犬も歩けば棒に当たるというから、片っ端からオーディションを受けてみた。🔹犬も歩けば棒に当たるということもあるかもしれないから、余計なことは考えず、まずは行動してみよう。🐕 尾を振る犬は叩かれず尻尾を振ってなついてくる犬は誰からも叩かれない。従順な人も誰からも害を加えられないということ。🐶 外孫飼うより犬の子飼え外孫(がいそん)とは自分の娘が他家へ嫁いで生んだ子のこと。外孫はいくらかわいがっても娘の実家の将来の頼りにはならない。女系の孫をかわいがるよりも仔犬をかわいがるほうがましだということ。🐶 飼い犬に手を嚙まれる日頃から特別に目をかけてきた部下や後輩などから、思いがけない裏切りを受けること。🐶 毛のない犬犬の全身には毛があり、人の肌には毛がない。毛のない犬とは、人情や良心がない人のこと。 🐶 能なし犬は昼吠える才能のない者にかぎって必要のないときに大騒ぎしたり、大きなことを言ったりする。対語:能ある鷹は爪を隠す🐶 夫婦喧嘩は犬も食わない何でも食べる犬ですら食べないのが夫婦喧嘩なのだ。つまり、犬は賢い。夫婦喧嘩は長続きせずにすぐに仲直りするものなので、他人が仲裁に入るものではないということ。頼まれても夫婦喧嘩の仲裁にはかかわらないほうが良い。🐶 犬も食わない昔の食料事情が良くなかった時代には犬は何でも食べる動物だと思われていた。その犬さえ食べない物とは何か。“犬も食わない” とは、人から非常にいやがられることや全く相手にされないことのたとえ。🐶 大所の犬になるとも小所の犬になるなどうぜ人に仕えるなら、勢力・権力のある相手の下につけということ。同義語:寄らば大樹の陰🐶 所で吠えぬ犬はない自分の住まいで吠えない犬はいないように、弱い者でも自分の縄張りでは威張るということ。🐶 我が門にて吠えぬ犬なし弱い者も自分の家では威張ることのたとえ。どんなに臆病な犬でも自分の家の前ではよく吠えるとの意から。🐶 家の前の痩せ犬後ろ盾がある時はいばり、ない時は意気地がない人のたとえ。痩せて弱い犬も飼い主の家の前では威張って吠えることから。🐕🦺 頼むと頼まれては犬も木へ登る人に懇願されると、出来るはずのないことまで、なんとかやってみようという気になるというたとえ。 折り入ってお願いされると、木登りができない犬も木に登ってみようという気持ちになる。(先代のパピヨンが大きい桜の樹に上っている写真が下段にある。)🐕🦺 飢えたる犬は棒を恐れず生活に困った人間は危険な事や悪い事をするのを恐れないことのたとえ。 飢えた犬は棒を持っている人も恐れずに食べ物にありつこうとする意味。🐕🦺 杖の下に回る犬は打てぬ自分を慕ってくる者はには残酷な仕打ちはできないということ。追い払おうと振り上げた杖(つえ)の下に甘えてじゃれついてくる犬は、人情として打つことはできないとの意。🐕🦺 米食った犬が叩かれずに糠食った犬が叩かれる米よりも安価な糠(ぬか)を盗み食いした犬が罰を受ける不合理、理不尽。大きな悪事をはたらいた者が罪を逃れ、小さな悪事を犯した者が罰せられるたとえ。🐕🦺 旅の犬が尾をすぼめる自宅では威勢がいいが、外へ出ると意気地がなくなることのたとえ。犬が自分の縄張り以外では威勢がなくなり尾を垂れる意。🐕🦺 吠える犬はめったに噛みつかない虚勢を張って強そうなことを言う者の言葉には実害はないたとえ。🐕🦺 食いつく犬は吠えつかぬ実力のある者はむやみに騒ぎ立てたりしないというたとえ。臆病な犬はむやみに吠えるが、食いつくほどの強い犬はむやみに吠えないとの意。🐕🦺 煩悩の犬は追えども去らずいくら追い払っても離れない犬のように、煩悩の虜(とりこ)になると脱却は至難だということ。🐕🦺 眠っている犬は寝かせておけ平穏な状態なのに余計なことをして問題を起こさないほうが良いという意。「寝た子を起こすな」と同じ意味。🐕🦺 老いたる犬に新しい芸を教えることはできない成長してからでは間に合わないことを指し、幼い頃から教育しておいたほうがいい。「矯(た)めるなら若木のうち」「老い木は曲がらぬ」と同じ意味。🦮 垣堅くして犬入らず垣根が厳重だと犬が入ってこられない。家庭内が健全であれば外部からこれを乱すような者が入ってくることはないということ。🦮 噛み合う犬は呼び難し何かに熱中していると、他から何を言われても耳に入らないことのたとえ。 いくら呼んでも、夢中で噛み合っている犬の耳には入らないとの意から。🦮 犬兎(けんと)の争い犬が兎を追いかけている間に両者とも力尽きて死んでしまった。それを通りかかった農夫が自分の獲物として手にいれたという故事から。無益な争いをしている間に第三者に利益を横取りされてることのたとえ。「漁夫の利」と同義。🦮 犬馬の心臣下が主君のために尽くし、恩に報いようとする忠誠心のこと。🦮 犬馬の年自分の年齢をへりくだっていう言葉。 大きな功績を残すわけでもなく、犬や馬のようにただ重ねただけの年齢との意。 🦮 犬馬の養い父母をただ養うだけで尊敬する気持ちのないこと。父母を養うのにただ衣食の面倒をみるだけで敬う気持ちがないとの意。🦮 犬馬の齢自分の年齢をへりくだっていう言葉。 大きな功績を残すわけでもなく、犬や馬のようにただ重ねただけの年齢との意。 「犬馬の年」ともいう。🦮 犬馬の労他人のために力を尽くして働くことをへりくだっていう言葉。犬や馬程度の苦労や労働の意。🐩 自慢の糞は犬も食わぬ自慢をする者はまわりの人に嫌われ、糞をかぎ回る犬でさえその人の糞は避けるという意味。🐩 犬骨折って鷹の餌食 鷹狩りで犬が苦労して草むらから追い出した獲物を鷹が横取りする意。苦労して手に入れかけたものを横からかすめ取られてしまうことのたとえ。🐩 犬も朋輩、鷹も朋輩 鷹狩りにおいては犬と鷹は役目が違うが、同じ主人に仕える仲間であるとの意。役目や地位が違っても同じ職場で働けばみな同僚であることには変わりないので、仲良くすべきであるということ。🐩 犬一代に狸一匹めったにない大きなチャンスのたとえ。犬が狸のような大物を捕らえるのは一生に一度あるかどうかということ。🐩 兎を見て犬を呼ぶ兎を見つけてから猟犬を呼ぶという意味。物事の成り行きを見極めてから対策をしても遅くないということ。一見手遅れに見えても、対策次第で間に合うこともあるので、あきらめてはいけないということ。 また、兎を見つけてから猟犬を呼んでも遅すぎるとの意味で、手遅れのたとえとして用いられることもある。同義句:「兎を見て鷹を放つ」 「愛犬問題」 犬の身になって考えてみよう 🐕 獣医界の六大詐欺商法など
2023.10.02
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なぜ、犬を飼うのかの問いに一言で答えるのはむつかしい。飼う人それぞれに犬についてはいろんな思いがあるからだ。なぜ、山に登るのかの問いに「山があるからだ(Because it's there.)」と答えた世界的な登山家がいる。犬の場合も「犬がいるから犬を飼う」のが正解だろう。 なぜ、犬を飼うかについてネットを調べた。おおむね次の理由だ。① 犬は家族の一員なので、家族が増えて楽しく暮らせる。② 愛情をそそぐ相手ができて、心がいやし癒されて人生が豊かになる。③ 孤独な加齢者には人生の良きパートナー(伴侶)となる。④ 若い人でも犬が毎日身近にいると孤独感が減って生活が充実する。⑤ 幸せホルモンのオキシトシンやセロトニンの分泌が増えて心が豊かになる。⑥ 犬を介して身も知らない人との交流が広がる。犬仲間、恋人探しなど。🐶 犬を初めて飼う上で熟慮したほうが良いこと① どの犬種がご自分の好みや生活環境などと最も適合しているか。② 一度犬を飼い始めたら終生飼養の責任があることを肝に銘じること。③ 動物病院の医療費は高額だ。金銭的余裕のない人は犬を飼うには熟考が必要だ。④ 犬の世話には手間暇がかかる。時間的余裕のない人はせわしい思いになりかねない。⑤ 子供の要望だけでは犬を飼わない。子供の好みや趣味はうつろいやすい。 関連随想集 【犬は孤高孤独の加齢者には唯一無二の癒しの生き物🐕パピヨンのパロはわが余生の最高の伴侶】 「愛犬問題」 犬の身になって考えてみよう 🐕 獣医界の六大詐欺商法など
2023.09.24
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愛犬のパロがいろんな物を食いちぎるのは、その心身にストレスがたまるような飼い方をしているせいだと思っている。でも、その飼い方を根本的に変えるのは容易ではない。 パロが我が家に来たのはコロナ禍が渦巻く渦中だった。飼い主は感染を恐れて外出を控えた。パロは東京の戸建ての狭い庭や玄関先の私道(幅4m)で遊ぶ以外にない。私道で遊ぶときは長いリード付きだ。行動が制限されている。パロが精神的にひどいストレスを受けるのは当然だ。つまり、パロがいろんな物を噛み切る癖があるのは、その飼い方に問題があるのだ。🐶 パロが幼犬で我が家に来て最初にびっくりしたのはティッシュペーパーを部屋いっぱいに巻き散らかしたことだ。唖然とするほど巻き散らかしてあった。ティッシュ一箱を部屋中に散らかしてあった。皮革製の財布や同じく皮革製のスリッパや合成ゴム製などのスリッパも噛み切って使用不能にした。噛みやすくて引きちぎりやすい材質の物品はパロの標的になった。電池式の音に反応して動くおもちゃの両眼の目玉も嚙みちぎられた。購入して2,3日後には目玉はなかった。追加して再購入した同じおもちゃの両眼もなくなっていた。パロは目がないおもちゃには全く関心を示さない。 でも、噛み癖を治そうと幼犬のパロを強く叱った記憶はない。 飼い主のスリッパの場合、合成ゴム製の厚みのあるスリッパに変えたら、噛みちぎることはなくなった。靴は皮革製でも他の材質の物でも全く被害を受けてない。靴は帰宅後はすぐに靴箱に入れるのが習慣になっているからだ。それとも、パロは玄関で遊ぶ習慣がないからか。 なお、写真の鹿のぬいぐるみの目は両眼ともに健在だ。購入して10日ほどたつのに食いちぎられてない。つまり、パロの「目玉を食いちぎる悪癖」は直ったようだ。やれやれだ。 パピヨンのパロは人が大好きで、他家の犬も好きだ。なのに、パロは他家の犬を見ると吠える。パロ自身は一緒に遊ぼうよと吠えているのだが、他家の犬は吠えられるのを嫌がって逃げ回るようになる。 パロ自分自身は自宅前の私道で長いリードにつながれている。行動が制限されているので、ストレスが溜まっているのだろう。いろんな物を噛み切る原因も良く吠える原因もそのストレスだろう。つまり、パロは心身ともに解放されて自由にのびのびとは暮らしてないのだ。コロナ禍だけでなく、飼い主がかなりの加齢者であることも散歩に行ってない原因になっている。 追憶になるが、現在のパロの先代のパロは全くと言ってよいほど吠えなかった。初めて出会った他家の犬がパロに吠えても全く動じなかった。吠えないで、仲良く遊ぼうよという態度だった。社会性が完成した名犬だった。しつけたわけではなく、いつの間にかそうなった。 そういう意味では現在のパロは駄犬と同じだ。生涯にわたり吠え続けて生きていくだろう。吠えるのはパロが生きている証拠なので、できるだけ長く吠え続けると良いと思っている。言い換えると、パロに向かって、その生涯、「ワンワン ダメ」と言い聞かせているだろう。近隣に吠え声で迷惑をかけているので、効果は期待できないと思いながら「ワンワン ダメ」を続けることになるだろう。ハイ。 「愛犬問題」 犬の身になって考えてみよう 🐕 獣医界の六大詐欺商法など
2023.09.17
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セラピー(therapy)という言葉は元来は古代ギリシャ語で「治療する」という意味であったが、現在では「心をいやす」意味で多く使わるようになっている。セラピニストとは、投薬や手術などはしないで「心の癒し」を中心にして病気などを治す専門家のことだ。医療分野だけでなく、いろんな職業のセラピニストがいる。 セラピニストのような役割を果たしている犬をセラピードッグという。我が家の愛犬のパピヨンのパロは老骨の心を癒してくれるセラピードッグだ。そのパロは常時飼い主の身近にいる。一時も飼い主から離れない。まさに「金魚の糞」だ。飼い主にべったり寄り添っている。パロにとっては高齢の飼い主はパロ専用のセラピニストのような存在だろう。パロも心の平穏を飼い主から得て暮らしているのだ。🐕 見方を変えて言うと、飼い主のほうもパロが身近にいないと心が落ち着かない。パロは加齢に加齢を重ねた飼い主にとっては唯一無二の掛け替えのないセラピードッグだ。パソコンで文書を作成している時や庭の手入れをしている時などでもパロがいないと落ち着いて仕事ができない。何事もパロが身近にいて初めて心が満たされて遂行できる。パロは我が余生を生きる力の源泉だ。 つまり、パロもその飼い主もお互いにセラピニストのような役目を果たしながら心の満ち足りた暮らしをしている。 自分自身が生まれながら犬好きな性格であることは実に有難いことだと感謝している。昭和一桁(ひとけた)生まれの高齢者が一人で孤独に暮らすには犬が最高の伴侶だ。掛け替えのないパートナーだ。愛犬のパロは単なるセラピードッグではない。業者が差しつかわすセラピードッグとは似て非なるものだ。パロは孤高孤独の高齢者にぴったり適合したこの世にただ一匹だけいる専用のセラピードッグだ。言い換えると、パロがいると、犬嫌いの人には絶対に味わえることのできない幸せを享受できるのだ。犬好きな性格持ち主だけが享受できる至福の暮らしだ。戸建て住宅に高齢者が一人で暮らしていると「孤独な一人暮らし」とみられ、寂しくつらいだろうと思われがちだが、決してそうではない。🐕🦺 長年連れ添った伴侶との二人暮らしよりも、考えようによっては犬との一人暮らしのほうが長生きするのではないかと思っている。犬との一人暮らしは世間体を気にせずに暮らせるからだ。犬は世間体には無関心だし、グチも言わないからだ。ネット情報によると、孤独暮らしの加齢者のほうが長生きしているとのことだ。「そうだろう」と納得して賛同する。一言でいうと、自主性が強く健康な加齢者は一人暮らしが良い。気ままに好き勝手に暮らせるからだ。その時の話相手は犬が最高の生き物だ。犬は不平不満の文句を言わないし、皮肉も言わないからだ。つまり、犬は余計余分なことは言わない賢い生き物だ。その犬の望みは飼い主と楽しく暮らすことだけだ。だから、余分なことを言わない犬との共同生活はストレスが少ない。ストレスが無いか、少ないと、飼い主には幸せホルモンのセロトニンなどが自然に多く分泌されて心が豊かになる。良い内容の随想なども書ける。 愛犬のパロは、その飼い主にとっては幸せホルモンそのものような存在だ。寝ている姿を見ているだけでもセロトニンが分泌されて心が癒される。近隣との関わりを重視しない東京での加齢者の一人暮らしも捨てたものではない。加齢者と犬が互いにいやし癒されて平穏で至福の暮らしすることもできるのだ。何事も心の持ちようで福となる。 関連随想集 犬は孤高孤独の加齢者には唯一無二の癒しの生き物🐕パピヨンのパロはわが余生の最高の伴侶🥰 「愛犬問題」 犬の身になって考えてみよう 🐕 獣医界の六大詐欺商法など
2023.08.06
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犬が大好きなので、いつも犬が身近にいる。思い起こせば、我が長い生涯の中で付き合った犬の数は多い。現在のパピヨンのパロで8代目だ。パピヨンとしては4代目だ。子供たちが独立して一人暮らしになってからは愛犬は唯一無二のパートナーだ。掛け替えのない伴侶だ。😥 7代目の愛犬が熱中症で急死したときは天災地変があったかのように気が動転した。悲嘆のどん底に落ちた。下段にその悲しみを詳記した随想がある。その悲嘆に耐えながらパソコンで日本全国から先代に容姿が酷似したパピヨンを探した。先代のパピヨンのパロは東京生まれだが、二代目のパロは新潟生まれだ。ブログ「愛犬問題」の主人公として二代目のパロを紹介したら、ブログの愛読者から次のような投稿があった。犬を飼うにはその世話にそれ相当の手間暇がかかる。なのに、高齢の身で幼犬を迎えるということは“ご健康にそれ相当のご自信”があるのでしょうね。と、感心したような投稿があった。それから5年半が経つ。人間でいえば、パロは35才くらいだ。元気溌剌だ。🥰 パロの飼い主も元気溌剌だ。歯医者以外は病院に掛かったことがない。後期高齢者の無料の健康診断さえ全く受けていない。なぜ健診を受けないのかとの問い合わせがくる。「受診の必要を感じてないから」と回答している。母が享年108才だったので、まだ20年くらいは生きられそうだ。「やまいは気から」という。風邪さえ20~30年もかかった記憶がない。だから、病気にかかるわけがない。ただし、十分な睡眠と栄養には気を配っている。 なぜ犬を飼うのか。犬を飼ったことのない人や特に犬嫌いの人には理解しにくい面もあるだろうから、そのことについて書く。歴史上、犬が飼われた理由を大別すると二つある。番犬などを含めた使役犬とかわいがって喜ぶための愛玩犬だ。パピヨンは使役犬として飼われた歴史はない。もっぱら愛玩犬として飼われてきた。フランス革命で断頭台の露として消えたマリーアントワネットが大のパピヨン愛好者であったことは広く知られている。欧州の宮廷での愛玩犬だったのだ。だから、パピヨンは気位が高い。言い換えると、しつけを緩やかにすると、主従関係が逆転しかねない犬種だ。賢い犬種なので、しっかり躾をすると共に楽しく暮らせる。🐕 現在の日本では犬は愛玩犬として飼われている。飼い主とその愛犬がともに心をいやし癒されて楽しく暮らせる。飼い主にとってもその愛犬にとっても互いに良きパートナーだ。生涯の伴侶だ。犬好きな人は、愛犬をそっとなでるだけでも心の奥から幸せな気分が湧いてくる。幸せをもたらすホルモンであるセロトニンが自然に分泌されるからだ。愛犬をなでる必要もない。愛犬の寝姿を見ているだけでも幸せな気分になる。至福な暮らしだ。世の中の煩わしいことにはかかわりのない穏やかな暮らしができる。 確かに犬を飼うには手間暇がかかる。手作り食事、トイレの始末、物を散らかしたり、かじって傷をつけたりもする。それらの犬の行動をすべて受け入れる心構えが大切だ。それらの行動を“愛犬が生きている証拠”だと受け入れる心のゆとりがあると良い。 その上に動物病院の治療費は高額だ。開腹手術が必要な場合は、幼犬の購入費用の何倍もかかることがある。なお、パロはすべてのワクチン接種とフィラリア薬のお世話にはなってない。避妊去勢手術はもってのほかだ。ホルモンバランスを狂わし、諸病を誘発する。つまり、過剰診療は金銭の問題ではなく、愛犬の健康と命の問題だ。 犬がいないと心が落ち着かない。愛犬が行方不明になると天変地異でもあったかのように心が乱れる。見つかるまでは何事もする気になれない。まさに「心ここにあらざれば見れども見えず」の心境になる。大急ぎで交番に出かけて「遺失物届け」を出す。(日本の法律では犬は「物」扱い。)しかし、ありがたいことに実際は近隣のご協力で解決することがほとんどだ。パロは人好きで誰とでも喜んで遊ぶので、最初に見つけた人がご自宅に保護していることが多い。 関連随想集 今年の夏も愛犬の熱中症に細心の注意が不可欠だ。 熱中症は怖い!30分で急死 その7編の随想集 パピヨンの良さ その随想集 「愛犬問題」 犬の身になって考えてみよう 🐕 獣医界の六大詐欺商法など
2023.07.30
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現在の日本で飼われている犬は圧倒的に小型犬が多い。小型犬はかわいがって楽しむための犬だ。愛犬をなでたり、抱いたりすると飼い主も心が癒される。脳内にある愛情ホルモンが分泌されて幸せな気分が増えるからだ。その愛情ホルモンをオキシトシンという。その分泌が増えると、精神安定作用のあるセロトニンも増える。セロトニンは人を幸せな気分にさせる脳内ホルモンだ。愛犬に触れるだけでも幸せにしてくれるありがたいホルモンだ。つまり、セロトニンは“無償”で飼い主を幸せにするホルモンだ。なでると、愛犬も愛情ホルモンが分泌されて穏やかな気分になる。🐕 医療分野ではアニマルセラピーによる治療効果が広く認知されている。中でも、犬との触れ合いによる治療効果が大きい。その犬をセラピードッグという。人好きな犬種が選ばれている。愛犬のパピヨンのパロは我が家専用のセラピードッグだ。🐶 新俳句🟠 愛犬と いやし癒され 至福の暮らし🟢 パピヨンは 仙人孤老の セラピー犬 関連随想集 愛犬は皆最良のセラピ-ドッグだ! 「愛犬問題」 犬の身になって考えてみよう 🐕 獣医界の六大詐欺商法など
2023.05.21
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