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9月頃、漱石は猿楽町にあった高浜虚子の家を寺田寅彦とともに訪ねました。家の近くを散歩し、途中で西洋料理店に寄って、鶏肉の料理を食べました。虚子は、ナイフやフォークを使わず、鶏の骨を手づかみで食べる漱石に驚きました。これでいいかと尋ねる虚子に、骨を外すのが難しいものは、指でつまんでいいと答えました。また、虚子は指の膏を取るためにつけるシッカロールが珍しかったようで、それを文に残しています。
ある日漱石氏は猿楽町の私の家を訪問してくれて、「どこかへ一緒に散歩に出かけよう」と言った。それから二人はどこかを暫く散歩した。そうして或る路傍の一軒の西洋料理屋に上って西洋料理を食った。これは漱石氏が留別の意味でしてくれた御馳走であった。その帰り道私は氏の誘うがままに連立ってその仮寓に行った。そうして謡を謡った。席上にはその頃まだ大学の生徒であった今の博士寺田寅彦君もいた。謡ったのは確か「蝉丸」であった。漱石氏は熊本で加賀宝生を謡う人に何番か稽古したということであった。廻し節の沢山あるクリのところへ来て私と漱石氏とは調子が合わなくなったので私は終に噴き出してしまった。けれども漱石氏は笑わずに謡いつづけた。寺田君は熊本の高等学校にいる頃から漱石氏のもとに出入していて『ホトトギス』にも俳句をよせたり裏絵をよせたりしていた。それが悉く異彩を放っていたので、子規居士などもその天才を推賞していた。そこで寺田寅彦君という名前は私にとって親しい名前ではあったのだが、親しく出合ったのは確かこの時がはじめてであった。……またこの日私は西洋料理を食った時に、氏が指で鶏の骨をつまんで、それにしゃぶりつくのを見て、「鶏はそんな風にして食っていいのですか」と聞いたら、氏は、「鶏は手で食っていいことになっていますよ。君のようにそうナイフやフォークでかちゃかちゃやったところで鶏の肉は容易に骨から離れやしない」と言った。そこでこの日私は始めて、鶏を食うには指でつまんでいいことと、手の膏をとるのには白い粉をこすりつけることとを明かにして、この新洋行者の知識に敬意を表した。(高浜虚子著『漱石氏と私』)
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