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一月の三連休、東京にいる夫の両親の「結婚40周年記念の会」に出席するために帰省をした。「結婚40周年」とはあまり聞きなれない数字。日本では結婚生活を祝うなら、金婚式(50年)のお祝いの方がメジャーだが、夫のお母さんがクリスチャンで、どうやらキリスト教においては「40」という数字がは特別な意味をもつとのことだった。実際、50年周年だと夫婦そろって元気に迎えられるかというと、年齢的にも難しいことが多い。だから、40周年というのは、なかなか良いタイミングではないかと思う。40年前にもキリスト教式で結婚式を行った二人なので、今回も神父様を招いて、「結婚40周年を祝うミサ」が行われた。ミサの中では「結婚更新」という言葉が使われていた。40年という区切りに、改めてお互いを夫婦としていくことの意思確認が行われた。「あなたは○○を妻とし続けることを誓いますか」「ハイ 誓います」というあの結婚式でおなじみのやり取りもなされ、さらには、もう一度指輪の交換まで行われた。(義母は指輪が外れずに、別の指輪を用意していたケド)正直、髪の白くなった二人がこうやって、多くの人に見守られ、もう一度「結婚式」のようなものをやると言う景色は初めて見たので、少々戸惑った。さすがにウエディングドレスなどは着ないので、華やかさはないが、40年という年月を重ねてきた二人が改めて「誓い合う」というのはとても静かな深い誓いに思えた。これから起こることなど何も知らないある意味「無知」な若い二人が交わすその誓いとは、随分重みが違うのだろうなと。お互いをよく「知らずに誓う」のと、色々「知って誓う」との違い。40年という年月の中には、お互いを知って、時にはぶつかり、それを「赦(ゆる)し」・・・という長い歴史を経てきたに違いない。ミサのあと皆で食事をし、落ち着いた頃に、夫(つまりは夫婦の息子)が作った「結婚40年を振り返るスライドショー」が上演された。夫はそういったことを生業としているので、技術的には難しいことではないだろうが、自分の親を主人公にというと、照れくさかったり、変に感情移入したりとかなり悪戦苦闘していた。あちこちから、それこそ埋もれていた写真たちを発掘し、整理し、デジタル処理をし、音楽に乗せて、40年の流れを構成していく。幸い、思っていた以上に多くの写真が出てきた。それらの中には、ちゃんと整理されずに袋に入ったままのものもあった。黄色く色褪せた写真。日付が消えてしまったもの。べっとりとくっついてしまって、はがすのに一苦労したものも。作業をしている脇でそれらの写真たちを見ていたら、なんともいえない気分になった。一枚一枚に降り積もる時間。「写真っていいなあ」。夫はそれこそ、音楽の選択や、写真たちをいかにストーリーとして見せるかということを試行錯誤していたが、私はもうその古い写真たちが持つ力に圧倒されて、申し訳ないけど「どうやって作ったって、いいものになるよ」なんて無責任なこと言っていた。それ位、その写真たちは多くを語っていた。その中で一枚、印象に残る写真があった。新婚当初の若い二人がささやかな新居のベランダで、同じ腕組みのポーズで立っている。誰が撮った写真なのか定かでないが、ちょっとおどけた空気や、普段着のリラックスした感じから、それが特別な日でないことがわかる。その「何気なさ」に、二人が新しい生活に見つけた喜びや、希望が息づいている。私は血の繋がった娘ではないが、「義理の親だから」とかいう親近感ではなくもっと普遍的な「しあわせ」がそこにはあった。なんともいえない愛おしい気分になる写真だった。20分ほどにまとめられた写真の数々を、集まった親族たちで笑い、時には目を潤ませながら見入った。息子が自分の親の歴史を振り返るなんて、正直どこか恥かしいような、照れくさいようなものに、なるのではと思ったが、そこはプロ。夫は仕事のように、とにかく客観的に「作品」にしていたので、杞憂に終わった。スライドショーの最後にお互いへのアンケートが少し紹介された。「好きなところ」「嫌いなところ」もちゃんと書かれていたが、その「嫌いなところ」を「何とか受け入れようとしている」という一文が「結婚」を物語っていたように思う。しかし、40年って長いなあ。写真だけでも膨大な数。そして、一枚一枚がその日その時は生々しい日常であったと思うと、今、日々を紡いでいくある意味地味な作業が、確実に未来のいつかに繋がっているんだなと実感することができた。
2011年01月11日
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2011年も明けました。「2011」とは二十世紀生まれにとっては、なんとも未来形な数字。それでも現実はいつもと変わりなく粛々と進んで行くのだけれど。昨年も色々と活動してきたけど、「忙しすぎる」ことの無いようにだんだんセーブする能力がついてきたみたいで、パンクすることはあんまりなかった。それでも、年末に急性副鼻腔炎に罹り、顔面痛と頭痛で元旦から休日診療に行くことに。初詣で引いたおみくじもひさびさの「凶」。幸先良い始まりではない新年なので、気を引き締めないとね。とりあえず、去年もずーっと体調がすっきりしない(それを「老化」と呼ぶのでしょうか)日々だったので、今年は重い腰を上げて、やっとちゃんとした運動をと思い一念発起。というたいそうなものでなないけれど、毎日ウォーキングすることにした。ウォーキングというよりは「めっちゃ早歩き」。気分としては、もうちょっとしたら「走り出しそう」な感じかな。でもジョギングとかにすると、続かないような気がするので、一応歩きにこだわった。荷物を持たないで、子どもたちも置いて一人で!ということにすると、とっても身が軽く、とにかく気分がいい。幸いウチの周りは坂道だらけなので、フツーに歩くだけでも結構な運動になる。基本、運動はあんまり好きではないけれど、歩くのだけは大好きなので、何とかつづけられそうかな、と。去年は「家計簿をちゃんとつけよう!」と決めて、今のところ続いている。一年に一つづつくらいなら、なんとかなるかなあ。「継続は力なり」。後はファシリテーターの仕事を今年はもう少し深めようかな。いつもは子育て中の母親対象にワークをすることが多いのだけれど、今年は高校生相手のワークにも参加することになった。縁あって母校にも行くことに。いまどきの高校生にも興味津々。伝えたいことも沢山。いつものワークとはまた違って、新しく組み立てないといけないので大変だけど、結構楽しみにしている。それにしても、自分の高校にこんな形で行くことになるなんて、ホント不思議な縁。子育ては、心配しなくてもいつも新たな課題が用意されている。今年は「手を抜いて、気を抜くな」。色んなことが自分たちで出来るようになってきた子ども達。私は一歩引いて、でもちゃんと見守っていてあげたい。その辺の距離感が難しいのだけれど。ブログももうちょっと更新できたらいいな。と、おみくじ「凶」の低め発進だけど、今年はゆっくり、じっくり「マイペース」で行くつもり。以上、新年の抱負でした。
2011年01月06日
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