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私は冷え性。 冬でもないのに、すぐに手足が冷たくなってしまう。 だから毎晩眠るときには、靴下が欠かせない。 足からあごまであっためながら(あごまで布団を引き上げるので)、ほかほかと眠る。 でも、なんだか、足をしめつけるのが嫌な気がして、靴下を脱いで布団に入ってみた。 足は自由にされて、やわらかい毛布の感触やすべすべのシーツなんかを、しばし直に味わった。 でも。 なんだか、こころもとない。 足ばっかり気になってしまう。 結局靴下をはいたら、急に安心して、すやすやとなった。 面倒くさい。 でも そんなふうに面倒くさいのも、ちょっと、悪くない様な気がした。
2006年04月23日
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どうしたらいいのかわからない。 ただ、落ちていくだけ。 涙が止まらないだけ。
2006年04月22日
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最近は、仕事に追われて日々ぐったりでした。 早くも5月病の気配? もっと頑張ろうと思います。
2006年04月22日
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最近、ちょっと落ち込みになるときはあっても、やり過ごせたのに。 だいぶ落ち着いていたのに。 なんのきっかけも無かったのに、急に、鬱々とした気分に包まれています… 誰からも必要とされていないような、どこにも居場所が無いような、そんな理由もない不安に包まれています。 最近調子が良かったから、もうこんな気分にはならないだろうと思っていたのに… うまくいきませんね。 とりあえず、いつものように、息を潜めて、おとなしく、おとなしく、やり過ごそうと思います。
2006年03月03日
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最近高山なおみさんに触発されて、ちょこちょこ料理をしています。今日は、読書と平行して、炊き込みご飯と豚汁と湯豆腐という夕食を作りました。豚汁とおんなじような具で炊き込みご飯を作れば材料無駄なし☆しかし、どうも、薄い・・・・私の料理の難点は、何を作っても薄味だ、ということです。これは中学生のとき、家庭科でカルピスを自分好みの濃さで作って糖度を図る、という実験をしたときに立証済みですが、異様に薄味にしてしまう癖があります。からだには良さそうだけど。だから基本的には、ちょっと濃いかな?くらいで作るんですが、今日は思い切り自分好みで作ってみたら・・・ううん、素材の味が、よくします(笑)次は気をつけよう・・・料理を作っていると、なんだか自分が丁寧に暮らしているような、そんな気分になれます。それに、なにか気持ちがやわらかくなるのかも。落ち着きます。まだまだ失敗続きですが、料理上手になりたいものですね。
2006年02月28日
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すごくきれいなものに触れた気がして、しばらく、言葉が出せなかった。今でも、上手く言葉が紡げない。それに、なによりも、私が今迷っているいろいろなこと・・・将来のことであったり、付き合っている人の事であったり・・・に対する、小さな、答えというほどではないけれど、何か、ちょっとした支えになるようなもの。それが、随所にちりばめられていることにすごく驚いたのだ。この本は、発売日すぐに購入していたから、もう3ヶ月近く寝かしていたことになる。なんとなく読むのがもったいない気がして、今まで、おとなしく本棚に並べられていたのだ。それを今日、突然に、読みたくなって、他の、今日読むはずだった本を追いやって、読んだ。なんだか、呼ばれたみたいに。そういうことって、やっぱりあるんだな。私は奇妙な境遇では育っていないし(少々死に近い育ちではあったかもしれないけれど)、職業も、春から普通に本屋さんになる。付き合っている人も、留学しようとしていることや大学院に通うこと、遺伝子などの研究をしていることは共通点でびっくりしたけれど、彼は何か壮絶な過去なんかは持っていない。そう、現実は、小説ほどには奇ではない。境遇も、考え方も、一致することなんてないのに。理解できないこともすごく多いのに。それでも、何か、私の進む道に、「大丈夫だよ」と言ってくれるような、妙な優しさとありがたさが、この小説にはあった。今までも、文章に支えられることはたくさんあったけれど、小説全体の雰囲気が、今の自分にぴったり合致して、なんとなく支えてくれることなんて、初めてだ。今日読んだから、すごくよかったと思う。昨日や、買ったばかりの頃や、明日だったら、きっと、こういう捉え方にはならなかったな、と、はっきり思える。ばななさんの文章の力かな。なぜか、いろんなことを納得できる気がした。すごく、うれしい。うん、しっかり、進んでいこう。まだまだ迷うけれど、迷うだけではなくて、たまには、信じていこう。明日また迷うかもしれないけれど、それでもいいんだと、なんとなく、思えた。
2006年02月28日
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私には、今までもこれからも、大切にしていきたい作家さんというのが、何人もいる。それは現代小説であったり昔々の人であったり、時代も国も性別も様々だけれど、いつでも、この文章を読めば大丈夫、という人がいる。よしもとばななさんも、その一人だ。中学生になりたてくらいの頃から読み続けているからもう10年以上この人の作品を読み続けているけれど、いつでも、すごく救われる。その時その時の気分で一番合う作家さんというのは違うけれど、ばななさんは、いつでも3位以内には入る、私にとっては稀有な存在だ。私が好きな文章は、だいたい、頭で考えるのではなくて、体で感じることを信じている文章なのだと思う。理性的な判断よりも、何か本能的なもの。それは感じるままにぶつかっていくんじゃなくて、心にひとつ、絶対に譲れないものを持つこと、なんだと思う。自分もそういう風に生きていきたい。そう思うから、きっと、そういう本を選び取ってしまうんだろうな。他人に惑わされず、自分を信じて、未来を進むこと。そういう風に。
2006年02月23日
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この二人の書く小説は、テレビドラマを見ているみたいだ、といつも思う。いい意味で。「天国の本屋」も、これも、第三者の視点が常にあるように思えるのだ。だからブラウン管の向こうを見るように、友達の恋バナを聞くように、となりでそっと聞くように、読めるのだ。それでも感情移入はしてしまうわけだけど。ここに書かれているような、言葉ではないつながりがある友情って、私は好きだ。「友達だよね」と確認しあうようなのは、友達じゃないんだろうな、って思うから。帯には「1997年4月1日、あなたは、誰を好きでしたか?」とあって、迷う大人たちのラブストーリーって書いてあるんだけど、私には、友情の物語に思えた。さらっと読めるけど、この本はけっこういい、と思う。
2006年02月08日
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初めて読んだときと、印象が変わった気がします。あおいの気持ちがすごくわかって、マーヴが怒り出したとき、私はすごく悲しかった。聞かれたくないことを聞かれたくないタイミングで聞かれる、背筋が薄ら寒くなる、どうしようもない寂しさ。別に、あおいは、マーヴに意地悪をしたいわけじゃない。困らせたいわけでもない。ましてや、マーヴを愛していなかったわけではまったくない。本当に、ただ、どうしようもなかっただけなのだ。自分の中でまだ生傷で、まだ整理がついていない問題を口に出せるほど、あおいは不真面目じゃなかった。優しすぎたのだ。自分にではなく、自分「なんか」を愛してくれる、マーヴに。あおいは自分を怠慢だというけれど、怠慢なんかじゃない。本当に怠慢で自分に甘い人だったら、自分の傷を、マーヴにも背負わせることで、楽になろうとするだろう。私みたいに。それでも、優しさは、時に武器になってしまう。そのことが、切なかった。どうしても離れられないあおいと順正の関係より、そのことが、切なかった。
2006年02月07日
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なんとも、不器用な物語だった。 「こうやって死ぬまでの一生、不安になったり怖がったり茫然としたりして過ごしてゆくのかと思うと、今すぐ地面に寝そべってぐうぐう眠ってしまいたいくらい、気が重くなった。でもそれでもタケオが好きだった。好きをつきつめるとからっぽな世界にいってしまうんだな。わたしはぼんやりと思った。」 気づいたら、はらはらと、泣いていた。 もう、それだけで、精一杯だった。
2006年02月07日
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川上さんは不思議な魅力がある。日々の様子も、どうにも不思議である。 毎日が不思議。そして、ちょっと優しい。 ちょっといい気持ちになれる一冊です。
2006年01月31日
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久しぶりに行った学校でこの本を読んでいたら、同じ学科の男の子に「タイトルの(、)がいやらしいね」と言われた。気になる感じがするらしい。 確かに、その間が不穏だ。 内容は、「してやられた!」という感じ。川上さんの世界にぐいぐいやられて、わけもわからず涙ぐんだり、微笑んだりしていた。 不思議な存在感で迫ってくる。短編すべてが秀逸だった。 一作目には、泣いた。ぽろぽろと。胸が押しつぶされるようだった。
2006年01月31日
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久しぶりに行った学校でこの本を読んでいたら、同じ学科の男の子に「タイトルの(、)がいやらしいね」と言われた。気になる感じがするらしい。 確かに、その間が不穏だ。 内容は、「してやられた!」という感じ。川上さんの世界にぐいぐいやられて、わけもわからず涙ぐんだり、微笑んだりしていた。 不思議な存在感で迫ってくる。短編すべてが秀逸だった。 「雛形」は、泣いた。ぽろぽろと。胸が押しつぶされるようだった。
2006年01月31日
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最近よく、丁寧に生きたいな、なんて思う。私は忙しくなると、勢い自分の扱いがぞんざいになるからだ。 4月から新社会人になるにあたり、丁寧に生きる、心づもりをしておきたいな、なんて思う。 そんなことばかり考えているからか、最近手にするエッセイはどれも丁寧なものばかりだ。 この本も、そうだった。 ひとつひとつ、身のまわりに息づく何かを、見逃さずに書き留めていく、その温かい視線が、読んでいてうれしかった。 やたらと忙しい東京だけど、まだまだ捨てたもんじゃない。疲れた時はこのエッセイ界の新鋭の本を手にとり、丁寧な心を思い出したいと思う。
2006年01月29日
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携帯のメールで文章書くときと、手書きのときと、パソコンのときと、それぞれ、文章って少しずつ変わるような気がします。私は日記をほとんど携帯で更新して、たまにパソコンで更新するのですが、やっぱり、文章がちょっと変わってくるんですよね。視界の問題なのかな、頭で考えていることはそう変わらないから。目に見える範囲で、書き方が変わってくるのかもしれないですね。最近携帯で書く小説とか流行っているけれど、それって、書籍化したとき、どうなんだろうな、なんて思ってみたりしました。逆はいいと思うんですよ、概存する小説なんかを携帯で読めるようにするのは。そういう手軽な状態で読みたい、という人もいるんでしょうし、文章本来の形はそこまで損なわれないと思いますし。まあ、個人的には嫌いですが。でも、携帯から作成された文章って、書籍化されたとき、見づらかったり、読みにくかったりする気がしますね、よほど考えて打たないと。あの小さな画面だからこそできること、というのならいいと思うんですけどね。なんか愚痴っぽい文章ですね。単に、私が書籍好きなだけでしょうね。紙媒体が無くなることは絶対に無いと思っているのですが、昨今の、なんでも画面を見つめながらいろんな情報を得れてしまう状況は、なんか憂えてしまうのです。かなり利用してますけどね。なんか、何を書きたいのかわからなくなってきたなあ(笑)
2006年01月28日
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誰にも理解されないのは淋しい。 誰かにそばにいてほしい。 でも、心のなかには、誰も来てほしくない。 そんな難しい苛立ちが感じられる、青春の物語だった。 ひとりは淋しい。 でも、かならず、誰かがいてくれるのかもしれない。
2006年01月28日
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自分の生き方をはっきり自覚するのは難しい。 自分が何が好きで何が嫌いかを自覚することも、好きなことを選び取ることも、難しい。 この二人は、自分自信を心地良く保つための戦いを止めない。それは我が儘ではなく、自分を健全に保つための方法なのだ。 言いたくても言えなかったこと、目指したい姿が多く見受けられる、素敵な本だった。
2006年01月28日
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なんだか、とんでもなかった。 愛は、怖い。 三浦しをんの文章は、どうにも強引だ。オタクとも言えそうな程の知識量と持ち前の表現力で、こちらをぐいぐいと引き寄せる。 これは一人の男の歪んだ愛憎をめぐる、終わりのない物語だ。愛が嫉妬を呼び、その嫉妬が新たに愛に似た何かを生み出す。限りなく愛に近い錯覚は、いつかかならず己を滅ぼす… 愛し愛されることは、「つもり」になったらもう終わりだ。また、それ以外見えなくなっても、行き止まりなのだ。 何とも言えない喪失感と、有無を言わせぬ疾走感のある作品だった。
2006年01月26日
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私は、登場人物の入れ代わりによってつながっていく短編集が大好きだ。世間は狭くて、世界はつながっているから、その方がリアルだと思うのである。 この物語は、まわりまわって、短編集なのに、一冊かかって解決するところがおもしろかった。 恋の終わりも始まりも、その微妙な空気は言葉ではなくて、実感するのだ。言葉に出さなくても本当はわかっている、あの、空気。 それに気づきたくなくて、私はいつもかき乱してしまうのだけど。 幸せなままの恋なんてないし、終わっても、いつまでも泣いてなんかいられない。何が正しいかなんてわからない。 それでも、進みたいと思う。 人は、進むしかないんだろう。 人はどこかで誰かと出逢い、迷い、傷付き、また誰かに出逢う。 めぐりめぐる恋の形を優しく描く、素敵な短編集だった。
2006年01月23日
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私は、クリスマスが大好きだ。キリスト教徒ではないのできちんとしたお祝いはしたことないし、何より、なんでクリスマスに恋人どうしでお祝いするのか解せない。 だけど、私はクリスマスが大好きで、やっぱり、大好きな人と過ごしたい、と思う。なんだかキラキラした街を、大好きな人と歩きたいと思う。 この短編集には、優しくて小さなキラキラがたくさん詰まっていた。季節はずれだけど、なんだかワクワクした。 角田さんの「クラスメイト」には泣かされ、島本さんの「雪の夜に帰る」には強く共感した。どのクリスマスも、幸せで、切ない。 今年のクリスマスも、素敵に過ごしたいな。 まだ気が早いけど、そう、思った。
2006年01月22日
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一面雪景色です。受験生には悪いのだけど、気持ちいい! さっそく近くの駐車場まで散歩。雪を踏みました。 雪を「踏む」より、雪を「はむ」という言葉の響きのあう、やわらかい感触です。あの「くっ」となる感じが大好き。いくらでも踏みます。 今日も雪を楽しみ尽くそうっと。
2006年01月21日
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この物語のどこかで、きっとあなたは、ニシノユキヒコに恋をするだろう。 否、恋さずにはいられないだろう。 それは激しい恋心などではなく、深い、静かな、安らかで悲しい恋になるだろう。 これはいろんな時のいろんな人の回想から、ニシノユキヒコという人の恋をたどる物語だ。 読めば読むほど、いたたまれなくなった。ニシノくんが愛おしく、悲しかった。 どうしてこんなに、愛はうまくいかないのだろう。 どうして、すんなり愛せないんだろう。 そのことが身にしみて、簡単には泣けないほど、寂しかった。 最期にニシノくんは、幸せになれただろうか。誰かを愛する心に満たされただろうか。
2006年01月19日
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会っている人たちのことがすごく好きなのに、なんでだか人疲れしてしまうことって、ありませんか?このところ、部活もなくなって卒論も終わって、すごくいろいろな友達とあっていたら、そんな感じになってしまって・・・すごく好きなのに、楽しいのに、空っぽになってしまう感じで。・・・う~ん、私がわがままなのかなあ・・・ちょっと、久しぶりに気分が下降気味です。
2006年01月17日
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自分が、何よりも大切にしているものって、優先するものって、なんだろう。ここには、31歳の人々の、最優先する何かが描かれる。人によっては、痛々しいくらい、何かを背負っている。私の大切なものは、なんだろう。それはたぶん、私の気持ちなんだろう。奥の奥、触れさせる人を選んでしまう、そのやわなこころだろうと思う。そう思うと、少し悲しかった。
2006年01月16日
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最近よく、丁寧に生きたいな、なんて思う。私は忙しくなると、勢い自分の扱いがぞんざいになるからだ。 4月から新社会人になるにあたり、丁寧に生きる、心づもりをしておきたいな、なんて思う。 そんなことばかり考えているからか、最近手にするエッセイはどれも丁寧なものばかりだ。 この本も、そうだった。 ひとつひとつ、身のまわりに息づく何かを、見逃さずに書き留めていく、その温かい視線が、読んでいてうれしかった。 やたらと忙しい東京だけど、まだまだ捨てたもんじゃない。疲れた時はこのエッセイ界の新鋭の本を手にとり、丁寧な心を思い出したいと思う。
2006年01月04日
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卒論の字数が制限字数を一応越えて、しかもだんだん頭働かなくなってきたので、今まで実家に帰っていた彼氏さんをお迎えにちょっくら出かけてきます。毎日規則正しく生活してるので、眠いです…(苦笑) 卒論、書くには書いてるんですが、なにぶんじわじわと初めの主旨からずれてってるもので…軌道修正&つじつま合わせに一苦労です。古典文学の楽しみ方を書いていたはずなのに、何でこんなに花散里について熱く語っちゃってんだろ…?いったいどこまでヒートアップしてしまうことやら。 もうじき終わる、ってことで、まだ終わってもいないのに図書館で本をガンガン予約、取り寄せしてます(苦笑)。早く読みたいな。卒論後の計画ばっかりたててわくわくしちゃうんですよねf^_^; 久しぶりに外に出たら体が重い(苦笑)。考えてみたら5日間くらい閉じこもりっきりor車で移動!これはダメですねf^_^; 動かなくちゃ(>_
2006年01月04日
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お久しぶりです。遅ればせながらあけましておめでとうございます。今年も少しずつではありますが頑張って更新していこうと思うので、今後もよろしくお願いします。 昨年末に無事に部活動を引退し、今は提出期限の迫った卒論の制作に日々励んでいます。今まで勉強してこなかったツケがまわってきて、集中できないったらありませんが、稚拙なら稚拙なりに、頑張って書こうと思います。 早くお休みに突入したいです!
2006年01月04日
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なんだか慌しく、明後日はクリスマスイブなんですねえ・・今年は人生初、部屋に飾り付けをしていないクリスマスです。なんだか淋しいものですね。最近、本も実はあんまり読んでいませんでした。通りで、卒論が全然進まないと思った。私はコピペではレポートが作れず、自分で思ったことを反芻して、自分の言葉にしないと全然書けない。自分の中から言葉を出すためには、言葉に触れていないと、どうにも上手くいかなくて。焦りますね。資料も読みたい、でも、普通に読書もしないと、書けない。焦ると余計にできなくなるから、あわてず騒がず、です。
2005年12月22日
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いったいいつ以来なのでしょう。本当にお久しぶりです。とても忙しくて、こころもからだも余裕がなくて、気がつけば、こんなに長い間放っておいてしまいました。最近は、12月末の部活動の引退に向けて残務処理におわれています。最後に書いた日よりは、だいぶ楽になってきました。あと少し、部活動を最後まで全うして、卒論を書いて、この大学4年間を締めくくりたいと思います。ご心配かけた方々ごめんなさい。また少しずつ書こうと思います。ゆっくりゆっくり、枯れかけた感受性を取り戻していけたらな、と思います。
2005年12月20日
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心の琴線に触れる物語だった。 どうしようもなく切なくてすごく好きな場面がたくさんあって、電車の中でもぼろぼろ泣いた。 これを読む限りでは、私は大人にはなれない。 感情を巧くコントロールすることが大人ならば。 好きになってしまったら、抜き差しならなくなってしまう。 好きになってしまったら、コントロールなんか、できない。 私はそれでもいいと思う。 無器用で、いいと思うのだ。
2005年11月28日
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どうしてこんなに、今回は抜け出せないんだろう…? 頑張っているのに。 どうすればいいんだろう…
2005年11月23日
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ここから、どこへ行くのだろう。 何処かへ行きたい。 何処かで、いきたい。
2005年11月18日
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鬱の波から抜け出せません。非常に、辛いです・・・・閉じこもってしまいたい。こんなに辛いのに、強がってしまう自分が辛い。平気な自分を演じて、どんどんぼろぼろになる自分が辛い。正直になれない自分が辛い。正直になる勇気が出ない自分が辛い。相手を許せない、自分が許せない。だから、無理をすることにした。でも、それは、本当に苦しい。頭がどんどんぐちゃぐちゃしてしまう。それとは違う自分で、本を読んでいる。本を読んでいる自分は、完全に逃避している。本来の自分から離れてしまっている。自分がばらばらになっていく感じ。本当が自分がどう感じているのか、だんだんわからなくなってきた。できればもう、何も感じたくない。特に、負の感情は、もうほしくない。いっそのこと、すべてを肯定してしまいたい。自分がなんなのか、わからない。必要なのかも、そうでないのかも。わかりたいのかも、わかりたくないのかも。
2005年11月18日
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涙が出た。悲しいんじゃなくて、淋しくて、涙が出た。すごく、静かに、静かに。ちいさな短編集だ。恋が12個、そっと集められて寄り添っている感じ。明るいのに、ときどきすうっと淋しくなる、優しくて、少し悲しい人々。私が思わず泣いてしまったのは、「川」という短編だった。鳩子と一郎の、静かな逢瀬。幸せの空気に涙する鳩子。「大丈夫だよ」と優しく受ける一郎・・・・一郎の「おいてったりしないからさ」の一言に、今、こうしてこの文章を書いている最中でも、涙が出てしまう。それは私が、今一番欲している言葉だからかもしれない。ねえ、おいていかないで。このまま私のそばにいて。そう、思っているからかもしれない。主人公たちはみんな、デートではなく、逢瀬をしていると思った。逢瀬、という言葉の響きが、しっくりするのだ。恋は、優しい。でも、恋は、絶対的に、淋しいのだ。
2005年11月16日
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案じていた通り、鬱々としてしまっています・・・無気力状態が続き、昨日は熱まで出して、寝込んでしまいました・・・・悩むことが、とても多いのです。その上、救いが無くて・・・一日中悩みこんでいるわけではもちろんありません。ただ、がくん、とくるのです。急にぼろぼろ泣いてしまったり、突然気持ちが悪くなったり・・・とにかく、不安定な状態が続いています。そんなわけで書く気も起きず・・でも、書くと、そして、書けると、気持ちが少し落ち着いて、まとまる気がします。本は現実逃避に、ちょこちょこと読んでいます。今は川上弘美さんの「おめでとう」を中心に、平行して、そのときの気分でいろいろ読んでいます。安定した人になりたいです。どうしてこんなに揺れてしまうんだろう・・・・ストレスの原因はわかっています。でも、それを取り除くことはできない、と、それも頭ではわかっています。それでも、割り切れない部分が自分の中にまだあるから、こんなにも苦しいのでしょうが・・・私が不安定になることによって、迷惑を被る人がいる。そのことが余計に心にのしかかります。だから、少しは無理ができたほうが、気持ちの面ではいいのですが・・・なかなか上手くいきません。安定した人に、なりたいです・・・少なくとも、人に迷惑をかけない程度には。
2005年11月16日
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最近は学校に行くとすぐ疲れてしまって、なかなかパソコンも開けず、鬱&疲れ状態が続いているのですが・・・皆さんの書き込みとか皆さんの日記を読んだりすると、励まされますね(^^)気付けば4000!落ち込みやすい時期(この時期、私の苦手なイベントが目白押しになっているのです・・・・)のため、鬱々とした文章を書く日もあるかと思いますが、気長にこれからも宜しくお願いします!
2005年11月12日
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これでひとつ肩の荷がおりました・・・そんなに大きくはないですが、とある書店さんから内定を頂きました!これで春からは社会人です。本屋さんです!社員割引で本が買えます!(そこかよ)本を売ります!良かったです。胸を張れる就職活動ではなかったですが・・・(苦笑)
2005年11月09日
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さわやかだ!このさわやかさは、すごく久しぶりだ。森絵都さんの「リズム」以来の気がする。それが児童文学ってことなのだろうか。健全、さわやか。最近はそうでもないものも増えているけれど。私も、本文中のミカのように、男の子になりたい時期があった。でもそれは小学1年生のとき、母から、「ドラゴンボールは残酷だから女の子は見ちゃダメ」と言われた時期があって、そのときだけだったと思う(少ない)。あとは、自分ではボーイッシュと言うか男っぽいと思っていたけど、思い返してみると、けっこう女の子っぽかった気がする。男の子と仲が良かったから本当にしょっちゅうからかわれて(「ちゅーしてた!」とか、あらぬ疑いをかけられまくった。教室でキスなんかするかよ・・・)いたけれど、「からかうやつがバカだ」と思うような、可愛くないコドモだった。ミカは、女になることを戸惑っている。告白なんてされて、初めて、自分の中の「女」を認める。・・・・・なんてかわいいのだろう。女になるのが、私は楽しみだった。本ばかり読んで、耳年増になっていたのだろう。早く大人の女になって、恋愛したいと本気で思っていた。その頃の自分と、今の自分がそう変わっていないことを、小学6年生の私が知ったら、ちょっと落ち込むかもしれない。私がミカと同じ歳だった頃。私は、小説を書くことと、好きな男の子のことを考えるのに夢中だった。キャンプファイヤーを利用して好きな子に誕生日プレゼント(手作りの野球ボールマスコット!少年野球に入っている子だった)をあげたり、席が近くなると喜んだり、できるだけ視界に入ろうと努力したり。きゃーきゃー騒いだりはできなかったけれど、その子のことばかり考えていた。「ミカ!」を読んでいると、あの頃の、教室の雰囲気や、毎日の高揚感、逆に、嫌だったこと、早く大人になりたかったこと、そういう気持ちや空気が、リアルに伝わってきて驚いた。小学6年生って、すごく難しい年頃だと思う。完全にコドモなんだけど、意識だけはどんどん大人びてきちゃって、からだも、不思議なほど急に大人への準備を始めちゃって、うまく行動できなくて、いらいらする。思い出した。あの、むずむずした感じ。行きたいのか、戻りたいのかわからない感じ。続編も、ぜひ読みたい。大人に近づくミカがどんな風になるのか、自分と照らし合わせて、考えたいと思うのだ。
2005年11月08日
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読み終わって、とても寂しくなった。悲しくて、寂しくて、なのに、どことなく、すっきりした気もする。それはおそらく、主人公の美浜が、打ちひしがれながらも、前に進もうとしているからではないだろうか。「美浜」って、すごくいい名前だ。海を見ながらつけられた名前、という感じがする。これは桐野さんの処女作であり、「取り残された人々」を描いた物語だ。取り残されるのは、辛い。失恋であったり、まわりの雰囲気に乗れなかったり、様々な場面で「取り残される気分」は味わうかと思うが、「死」は・・・突然の死は、別物だ。あるはずのものを、急に空白にしてしまうその恐怖・・・事故もさることながら、自殺のその空白感は、圧倒的な恐ろしさで、周囲の人を蝕んでしまう。美浜は恋人であり、幼なじみであった青年の突然の死によって、取り残される。 家族の確執、居心地の悪さ、変わっていく街と、馴染めない自分たち・・・最初から最後まで、息苦しい緊張感が続く。 傷つくだけ傷ついて、見たくないものまで見て、どん底まで来て、美浜は、ようやく前に進もうとする。そのことが、読後の救いだった。 本当は美浜は、落ちられるところまで、落ちたかったのかもしれない。 どん底まで来れば、あとは這い上がるしかないから。寂しいだけじゃない。力強い物語だった。
2005年11月08日
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夕方になってくると、だいぶ気分が前向きになるんですけど、朝がだいぶ、ダメです・・・何もしたくなくて、一日があるのが億劫になってしまいます。やりたいこと、読みたい本、やらなくてはいけないこと・・・たくさんあるのに。なんにも、したくない。心臓が意味もなくバクバクして、ずうっと不安な気持ちがぬぐえません。あと数時間待てば、少しはましになるのだから・・・今は、やり過ごし、やり過ごし、ですね・・・
2005年11月08日
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ちょっとだるい時間には、なんも考えずに読める本がいいな。そう思って、ちょっとずつ読んでいた、三浦さんのエッセイを一気に読んだ。とにかくテンポのいい切り口で、もう、しゃべるしゃべる。とにかくしゃべる。妄想しまくりのその日常には、なんだかちょっと共感できるところもあったりで。友達とのおしゃべりをするかのような、気楽な気持ちで読めた。でも気楽な中にも、三浦さんの視点の鋭さというか、鋭い観察力を感じます。本当に、すごく人のことを観察する人なんですよね。しかも、観察したら、妄想しちゃう、という(苦笑)。私のブログも、こんな感じで書けたらいいなあ・・・なんて思いました。
2005年11月07日
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やるべきことを黙々とこなしながら、鬱々とした気分が、全く抜けない。むしろ、深まっていくばかり。どうしたらいいんだろう。何かに集中していても、ため息ばかりが出てしまう。気付けば、涙も出てしまう。思い切り泣きたいのに、その割には、ぜんぜん出ない。誰かのそばにいたい。誰かと、なにも心配しないで笑い合いたい。誰といても、心の中の、不安がぬぐえない。大好きなあの人とは、一緒にいられない。自分がどうしたいのかわからない。どうしてこんな気分になってしまっているのかも。どうすれば、抜け出せるのかも。わからない。助けてほしい・・・誰かに、そう言えたらいいのに。
2005年11月07日
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たくさんの、「人ではないもの」が出てくる。それらは一様に孤独であり、そして、とても優しい。人ではなくても、寂しさや、こころもとなさや、誰かを求める気持ちは変わらない。どんな存在も、ひとりぼっちでは、生きていけないのだ。不思議で、少し怖くて、どこか優しいこの短編集では、人間の醜さや情けなさも包み込むような視線を感じる。それが、優しい雰囲気につながるのであろう。川上さんの用心深さは、優しさからくるような気がする。
2005年11月06日
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今日は毎月楽しみにしている、「ダ・ウ゛ィンチ」の発売日です。 まずチェックするのは、文庫とコミックの発売日一覧。今月はコミック一冊、文庫5冊(?)を最低でもお買い上げの予感…アホ… そう言う舌の根も乾かないうちに部活前にブックオフに寄り、いそいそと2冊購入… のんびりした休日で、今日は部活後に飲みにも行くのに、中途半端なもやもやがずっと拭えなくて、感情の源をずっと探っていた。 そして、夕陽の中ぼんやりと歩いていたら、ふっと、もやもやの原因が見えた。 ああ、私、不安なんだ。 不安の源はまだわからないし、不安の要素なんて何もない。それなのに。 ときどき、こうなります。 とにかく、すごく不安で、泣きたくてたまらない。 その気持ちが、どこから来るのかは、わからないけれど。
2005年11月05日
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川上さんの作品を、ちゃんと読んだのは、たぶんこれが初めて。作品って言っても、これはいろいろなところに川上さんが書いたエッセイをまとめたもの。小説とは、またちょっと違うけど。小説家というものは、得てして、いろいろなものを大切にする人たちがなるらしい。川上さんも、例にもれず、たくさんのことを抱えながら生きていらっしゃるようだ。まるで散歩をしているような文章だ。ゆっくりゆっくり、川辺を散歩しながら、ぼんやり考え事をして、それを文章にしたような。すごく優しい。そして、ちょっと用心深い。私が川上さんの文章に対して真っ先に感じたことは、「用心深いな」ということだった。一字一句、丁寧に選んでいる感じ。もちろん、それは他の作家さんも同じで、文章を書く人には共通の感覚なんだろうけど。川上さんからは、何か、特別の用心深さを感じる。なんなんだろう。確か、「酔って言いたい夜もある」で角田さんが「作家には選んで言わないことがある」みたいな話をしていたけれど、そこで川上さんにふれて、「どろどろを絶対書かない」とか言っていたけれど、それと何か関係があるのかな?川上さんから感じる、用心深さ。それはどこから来ていて、どうしてそう感じるのか。それが知りたくて、次は、川上さんの小説を手にしているのでした。
2005年11月04日
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川上さんの作品を、ちゃんと読んだのは、たぶんこれが初めて。作品って言っても、これはいろいろなところに川上さんが書いたエッセイをまとめたもの。小説とは、またちょっと違うけど。小説家というものは、得てして、いろいろなものを大切にする人たちがなるらしい。川上さんも、例にもれず、たくさんのことを抱えながら生きていらっしゃるようだ。まるで散歩をしているような文章だ。ゆっくりゆっくり、川辺を散歩しながら、ぼんやり考え事をして、それを文章にしたような。すごく優しい。そして、ちょっと用心深い。私が川上さんの文章に対して真っ先に感じたことは、「用心深いな」ということだった。一字一句、丁寧に選んでいる感じ。もちろん、それは他の作家さんも同じで、文章を書く人には共通の感覚なんだろうけど。川上さんからは、何か、特別の用心深さを感じる。なんなんだろう。確か、「酔って言いたい夜もある」で角田さんが「作家には選んで言わないことがある」みたいな話をしていたけれど、そこで川上さんにふれて、「どろどろを絶対書かない」とか言っていたけれど、それと何か関係があるのかな?川上さんから感じる、用心深さ。それはどこから来ていて、どうしてそう感じるのか。それが知りたくて、次は、川上さんの小説を手にしているのでした。
2005年11月04日
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先ほどようやく家に到着し、今やっとゆっくりしているところです。帰る前に祖母に会ってきましたが、どんどん快方に向かっているので、本当に良かったです。4泊5日も行っていたのなんて・・・中学生の夏休み以来かもしれないな。おかげで、感覚がすっかりのんびりになってしまっていて、東京に慣れない、慣れない・・・・(^^;)本当に、東京って、すごく急いでいる街なんですね。私自身も、東京にいると、なんだかすごく焦ってしまう。祖母の家のあたりは時間の流れが本当にゆっくりで、もちろんいいことばかりではないんですけど、いろいろのんびり考えごとができました。書いてみたい小説ができたことが大きな収穫です。まったく、何をしに行ったのやら(苦笑)。しかしせっかくネタをあたためてきたというのに、東京に着いたとたん、思考回路が停止してしまうのですね・・・・焦りばかりが先行して、なんにもできない!これはどうしたことなんでしょう・・・・う~む。ゆっくりと、考え事のできる自分にしていこうと思います。文藝の冬号を読んでいたら、触発されて・・・(苦笑)。私も小説書きたい!書かねば!まあまずは、本の感想でも、順次アップしていこうかと思います。焦らず、焦らず・・・・
2005年11月04日
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すごい勢いだ。冒頭の短編にどんな意味があるのかわからず、まずは読ませられる。続いて、主人公ののんびりとした就職活動の日々についつい自分を投影させ、ぐいぐい入っていってしまった。私も、こんな感じで就職活動をしていた。なんていうか、「何でもいいから絶対に職に就く、会社に属する」という流れに、完全に乗り遅れたのだ。最初は興味のあるもの片っ端から見ていたのだが、すぐに疲れて、というか、やる意味が見いだせなくて、「一度しかない人生、どうせなら好きなもんを仕事にしようではないか!」と思った。そして出版社・本屋・司書と、本に関わる職種のみにしぼって活動した。主人公と同じ流れだ。そして・・・これまた同じく、落ちまくった。そして、未だ決まっていない。来年就活だって人、私の話は聞かない方がいいかもしれない(苦笑)。とにかく私は本が好きで、私には本しかない、というくらい好きなので、最初は「それを仕事にしちゃったら、せっかくの趣味がもったいない」なんて思っていたのだが、気がつけば、これから先の人生、職に就くとなると、時間は大幅に仕事にとられる。趣味の時間なんざ、割かし削られる。ならば、好きなものを仕事にしようではないか!!!!と思ったわけですが、現実はそうは甘くない(苦笑)。特に不況の出版・書店業界、そして退職者のあまり出ない司書、どちらも需要のすくないことったら!!!そして私の気合の足りないことったら・・・はあ。「格闘する者に○」は、そんな私の微妙な心境を絶妙に突きつつ、問題点を提起しながらも、何しろ戦わせてくれるのだ。別に内容は就職活動に限ったことじゃないんだけど。政治活動とか老人との恋愛とかホモの友達とか義理のお母さんとか弟の家出とか、そっちの方が気になるエピソード満載で、就職活動の影が実は薄いのかもしれないけれど。でも。「人生の岐路に立たされたときの悩み」が、上手く書かれているんじゃないかな、なんて気がしたわけです。三浦さんは本当に、気が合うなあ(勝手な想像)。妄想癖があるらしいところなんて、特に。この「格闘する者に○」は三浦さんのデビュー作。デビューとは思えない、落ち着き払って計算しつくされた文章に感じるけれど、勢いがやっぱり、「最初」って感じかも。就職活動中の人、人生に悩む人、読んでみることをおすすめします。スカッとしますよ。
2005年11月03日
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あらすじをぱっと見て、これなら病院で読むんでもいいかな・・・なんて思って買ってみたら、予想と違う、攻撃的なタッチの、中編3つの文庫本だった。野間文芸新人賞?だかなんだか、何かの賞をとったやつらしい。角田さんの描く主人公たちは、本当によく「怒る」。ご本人も喜怒哀楽の中では基本は「怒」だという。おおらかそうな外見からは想像もできない答えだ。私は基本はおそらく「楽」であり、「怒」はほとんど感じないもしくは極力感じないように努めているため、角田さんの描く、主人公たちの素直な反応には、毎回毎回驚かされてしまう。フリーター文学とか、アパート文学とか言われている頃の角田さんの作品を、最近、好んでたくさん読んでいる気がする。それは、今の自分のこころのどこかを映している気がしてしまうからだろう。中途半端で、宙ぶらりんな、自分の姿を。最近の私は、毎日がなんとなく過ぎていくようで、とても怖い。いろいろなことを考え過ぎて、よくない方向に行ってしまって、大切な気持ちを温存できなくなってしまっている自分が、本当に嫌だ。大切なものは本当にたくさんあるのに、理由のわからない焦りから、気付けないでいるばかりだ。「怒」をきちんとできない臆病者の私は、いつしかその気持ちを「哀」に変えて、溜め込んで、辛さから目をそむけて「無」にしてしまう。それは、良くないことだ。そんなことをしていると、感じられるはずの良いものも、感じられなくなってしまう。「まどろむ~」に出てくる人物たちは、体当たりをするひとばかりだ。体当たりしない、安心な生活をしていた主人公も、いつの間にか、上京してきた弟やその変な友達たちの体当たりに動かされて、体当たりの、素直であけっぴろげな世界に足を踏み入れ始めてしまう。それがいいことなのか、悪いことなのか、臆病になっている私には、わからない。でも。素直になることで、大切にできることってたくさんあるんだな、と、なんとなく思った。
2005年11月03日
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1日に行われた祖母の手術は無事に成功して、経過もとても順調なので、明日には東京に帰ることにしました。 看病といっても数時間しかすることが無いので、毎日のんびりしてしまいました(苦笑)。 田舎なので、心の底からのんびりした感じになります。街全体が、のんびりしているというか。 東京はどうしたってせかせかした雰囲気がぬぐえませんからね。 また、病院には特別の、据えた空気が漂っていますよね。重いくらいの、少しこもった空気。 あの、流れない空気は、独特の落ち着きを産み出していると思うのです。そしてそこでは、私も焦らないでいられるのです。 祖母を見舞いながら、自分の休暇にもなった気がします。 本も少し読めました。小説も、少し書いてみたり。 東京に帰っても、また頑張らなくては…
2005年11月03日
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