カテゴリ未分類 0
全9件 (9件中 1-9件目)
1
『酒道楽』村井弦斎(岩波文庫) 日本文学史の教科書(時々本ブログで取り上げる、高校で使うレベルの文学史教科書)にはたぶん名前のない村井弦斎という作家は、明治期におけるベストセラー作家だと本書の解説にあります。 報知新聞に連載されていた、酒の害を解く「教訓小説」である、と。 一般大衆の生活意識の向上を啓蒙とする大衆小説ですね。 なるほど、当時はさぞ、酒が原因の失敗が数多くあったんだろうなと思います。だって、現在に至ってやっと若干の社会的変化が出てきたとはいえ、つい最近まで「酒の上」といえば何でもありみたいな風潮が、わが国にはありましたよね。日本は酒飲み天国である、と。(それは私の周りだけだったのかな、そんなことないですよね。) また、酒が原因で亡くなった文人は結構多いと聞きます。 有名なところでは、大酒のみで肝硬変で亡くなった若山牧水は、死んでしばらく遺体が腐敗せず、生きながらすでにアルコール漬け状態であったという逸話は有名。 私が読んだ数少ない酒テーマの小説で指を折るのは『今夜、すべてのバーで』ですが、筆者中島らもは酔っぱらって階段から落ちて亡くなったと聞きます。 酒害を説く本書の村井弦斎は、さほどの酒好きではなさそうですが、例えばこんなところは酒飲みに対する観察眼の優れたところでしょうか。 「おまえは直にそう言うけれども酒を飲む時に色々の肴が膳の上に列んでいないと心持が悪い、十品でも二十品でも品数が多くないと膳の上が淋しくっていかん、といってナニも尽く食べるのでないから一つ物をコテ盛にされると胸が悪くなる、カラスミとか塩辛とかいうような物を少しずつ幾品も出しておくれ、眺めていればいいのだ」 酒飲みの小説家、山田風太郎も同じことを言っていましたね。 さて、上記にも触れましたが、本書は明治三十五年に報知新聞に連載された新聞小説です。のちに朝日新聞の専属作家となる夏目漱石のデビュー作『吾輩は猫である』(この作品は新聞小説ではありませんが)に先行すること3年です。 どちらもとてもユーモラスな作風であり、並べてみると明治期の小説界の思いがけない懐の深さに、何となく感動してしまいそうです。 もちろん両作品には、甚だしい違いがあるといえばあります。 それは今日の二作品に対する大きな評価の差が、不当とはいえないくらいのものかもしれません。 思うに、わたくし今回この二作をぼうっと比べてみて(『猫』はこの度改めて読んだのではなく過去の読書の記憶ですが)、純文学小説と大衆小説の大きな違いの一つに、エンディングの差があるのじゃないかと感じました。 『酒道楽』のほうは、いかにもおざなりといえばおざなりなエンディングです。 それはきっと、純文学小説が、完成した全体の形をあくまで追求するのに比べて、大衆小説は、もう見せ場は各回のその時々で終わっているからという態度ではないかと思います。 にもかかわらず、本作は結構読んでいて楽しいです。 さすがに岩波文庫のチョイスです。(かつて愚かな私は、岩波文庫の文庫化作品チョイスに疑義を感じたことがありましたが、現在は岩波チョイスに信頼を置いています。) この楽しさの原因は何かと考えるに、二つ思いつきました。 一つは本作の大きな特徴の一つであるユーモア感覚が、決して古びていないことです。これは結局のところ、ユーモアに品位があるからではないかと私は思います。作家の、対象への視線の温かさと言い換えてもよいものでしょう。 もう一つは、実は私は、明治期の小説を何作か読んで、明治という時代に対し一種の「地獄」めいた生きにくさをずっと感じ続けているのですが、それは例えば女性蔑視の感覚です。 それは結局、人間が生きる上で経済的自立がいかに大切かということなのですが、そして本書も根本のところではそれからの脱却は描かれていないのですが、女性登場人物の個々の描かれ方に、どこか社会状況を突き抜けたような救いがあります。 それはきっと、酒毒の啓蒙というばかりではない「フェミニズム」めいた作者の視線です。これが、読んでいて楽しい雰囲気を醸していると思います。 というわけで、きっとさらに分析しだすと結構厳しい部分も出てきそうですが、酒毒の啓蒙を目指しつつ、しかし酒に対する攻撃に徹底性の欠ける本書は、それゆえに大衆小説として現代に生き残ったように思います。 全然関係がないかもしれませんが、私はふっと『ゲゲゲの鬼太郎』を思い浮かべ、確か作者水木しげるは、ねずみ男がいなければ鬼太郎はちっとも面白くないと言っていたのを思い出しました。 あ。いえ、やっぱり、全然関係ないですかね。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2019.01.07
コメント(0)
『塩原多助一代記』三遊亭圓朝(岩波文庫) たぶん現在岩波文庫で手に入る三遊亭圓朝作品は、本作と『怪談牡丹燈籠』『真景累ケ淵』の三作だろうと思います。本ブログでもこれでなんとか三作の読書報告を揃えることができました。 でも、わたくし思うのですが、怪談話の他の上記二作に比べますと、どーも何と言いますかー、本作はキックが足りないのではないか、と。 そんなことを考えまして、そしてそもそも「塩原太助」(実在人物は「太助」だそうです。という人はどんな人なんだろーとネットでちょっと調べてみますと、江戸時代の群馬県の人で、群馬には記念館なんかがあって、地域の有名人ではありませんか。 ああ、そおー、と思ったのは、「炭団」を作った人なんですってね。 なるほどねー。 つくづく考えてみますに、わたくしにはこういった一時代前の国民的文化教養が非常に欠落している、と。 例えば「大星由良之助」とか「吉良の仁吉」とか、のちに知識として知りましたが、それは日本国民なら万人が知っているだろうという、国民的文化教養という感じの知り方じゃないんですね。 でも、それはもちろん私のせいばかりではありません。 こういった時代劇的人物は、一時代前の講談や芝居やかつての日本映画の中に広く生きていた人々で、その頃貧乏人の子せがれであった私は、そういった文化教養を受ける環境になかった、ということでありますね。 それに第一改めて指摘するまでもなく、そんな一時代前の国民的文化教養が、現在何の役に立つのかと言いますと、んー、何の役にも立たない、としか答えられないからであります。(多分。もし役に立つとすれば、やはり歌舞伎界とか講談の世界で必要な知識としてでしょうか。) 私それでふと考えるんですが、現代の「国民的文化教養」ってのは一体どういったものだろうと。どんなものだと思います? 何か思いつきますか? ……んー。あっ、あれっ! と思ったものが一つあるんですがね。 それは、スタジオ・ジブリの特にトトロと魔女の宅急便じゃないでしょうか。 現代における日本人の国民的文化教養といえば、これ以外にないのじゃないかなと思うのですが、いかがでしょう。(……んー、ひょっとしたらゴジラ、なんかもそうかしら。) というようなことを考えていましたらそれはそれでとっても楽しいんですが、本題の読書報告からどんどん離れっぱなしになりますので、ちょっと戻します。 三遊亭圓朝の落語の口述筆記です。ほぼ完璧な言文一致体で、ちっとも難しくありません。 このほぼ自由自在な口語文について、かつて私はなぜ明治の言文一致運動はこれを受けて発展していかなかったのかと(全く受けなかったわけではありませんね。二葉亭四迷はこれを参考にしています。)ずっと疑問に思っていましたが、中村光夫の文章に書かれてありました。 明治の文学者は、これを文章(言文一致文体)と見ていなかったのだ、と。 うーん、そんなことってあるんでしょうか、これもちょっと理解しにくい解釈ですよねー。 しかし現代でも、例えばもしもきわめて現代的な重要な文学テーマが、一作の漫画の中に描かれていたとして、それを無抵抗に優れた文学作品とは、我々もなかなか認めないでしょうしねえ。 そんな感じですかねー。(それとは大分違いますかねー。) さて作品の内容的な報告に一向に入っていきませんが、ストーリーとしては、要するに一言で言いますと勧善懲悪の作品です。 でもこういったほぼ完璧な勧善懲悪作品というのは、出来のいい作品は、なぜか悪役がとってもいいですよねー。 どこがいいのかなーと考えてみまするに、いかにも悪役、絵に描いた悪役、だからでしょうね。 現代は、そんな絵に描いたような悪役は、なかなか作品内に表わせませんね。 悪役になるに至った内的必然性なんかが求められたりして、それがリアリティだといえばそうなのかもしれませんが、何と言いますか、そのような複雑さの分、鑑賞する我々の側が変に気を使ってしまって、まー疲れるといえばちょっと疲れてしまうんですね。 本作はそんなことを何も考えなくていい(疲れなくていい)、そんな作品です。 悪役が実にストレートに憎らしい悪役です。 私たち鑑賞者が、何の条件も付けずに「この悪い奴らめ!」と言い切っていい極悪非道な登場人物たちです。 と、考えると、この「爽快感」も、なかなか捨て難いものではありませんか。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2015.11.08
コメント(0)
『河内屋・黒蜥蜴』広津柳浪(岩波文庫) 本文庫には三つの短編小説が収録されています。この三作です。 『河内屋』(明治二十九年九月) 『黒蜥蜴』(明治二十八年五月) 『骨ぬすみ』(明治三十二年一月) どの作品のタイトルも、とてもシンプルですね。こんなのが時代の流行だったんでしょうか。ちょっと同年代の他の小説作品をいくつか挙げてみます。 『舞姫』森鴎外(23)、『五重塔』幸田露伴(24)、 『滝口入道』高山樗牛(27)、『たけくらべ』樋口一葉(28)、 『外科室』泉鏡花(28)、『不如帰』徳富蘆花(31) ……んー、やはりこんな題名の付け方が流行だったのかも知れませんね。どれもとってもシンプルです。(合わせて、みんなちょっと不気味な感じがしますね、なぜでしょうか。) さて次に、今回この短編集を読んで、私はもちろんいろんな事を思ったのですが、その一つとして、言文一致文体のとてもこなれていることに感心しました。(細かく見れば、この三作の間にも少し文体の相違があって、やはり年代順に徐々に変化していき、よりこなれた口語文体に移行してることが分かります。) 例えば、こんな感じです。 お染は食を廃して、自ら死を求めて居る。お染が死んだ時は、自分も此世を捨てる時である。自分のために死ぬ人を、決して一人は殺さぬ。お染も死ぬのである。自分も死ぬのである。死ぬ前に唯一度――今一度染々と逢つて、染々と話を為て、自分の為に死んで呉れる礼が云ひたい。礼が云ひたい。一度逢ひたい。(略) (『河内屋』) 抽象的な内容の描写ですが、見事にこなれた表現になっています。 ところが日本文学史の教科書を読んでみますと、明治時代の言文一致運動の先駆者として挙がっているのは、下記の人々と作品です。 二葉亭四迷『浮雲』(20)『あひびき』(21) 山田美妙『武蔵野』(20)『蝴蝶』(22) 尾崎紅葉『多情多恨』(29) しかし最初に挙がっている『浮雲』『武蔵野』からわずか9年、それでここまで文章がこなれるんですねー。 というよりも、言文一致運動の先駆者として名前の挙がっていない広津柳浪の文体ですらこれだけ言文一致になっているということから、逆に言文一致という運動が、いかに時代に必要とされていたのかが分かるようであります。 もっとも、これも岩波文庫に入っている三遊亭円朝の諸作品を読めば、これくらいの言文一致は当たり前だとも思えます。刊行が約十年先行する三遊亭円朝の作品は、まるで武者小路実篤の小説のように、「天衣無縫」に言文一致していますよ。 一方、広津柳浪という作家は、日本文学史の中ではどの様な「文学思潮」に位置づけられているかと見ますと、「深刻小説」「悲惨小説」という言葉が出てきます。 出てきますが、なんか、これよく分からないですね。あまり聞いたことないですね、そんなことないですか? 同じ流派の人に他にどんな作家がいるかと調べてみますと、樋口一葉が挙がっているではありませんか。あの五千円札の、例の、一葉女史であります。 そんな「有名人」を擁しながら、なぜ「深刻小説」とか「悲惨小説」という文芸用語が今ひとつ人口に膾炙しなかったかと考えますに、思うにこれは、ネーミングのセンスの悪さのせいですね、きっと。 「深刻」とか「観念」とか、もー、はっきりいって、そのまんまじゃないですか。固有の、オリジナルな文芸思潮を表すものとしては、メリハリと言いますか象徴性と言いますか、なんかあまりに工夫がなさ過ぎるんですよねー。 ……というわけで、流派のネーミングに恵まれなかった筆者でありました。 というか結局の所、描いていたものに、「キック」が今ひとつ足りなかったように思うんですがねー。 例えば、作品世界における社会に対する告発性をもう少し高めていたなら、きっと「社会小説」に成りえただろうし(木下尚江の『火の柱』なんてのはそんな作品です)、社会正義に目覚めるのがイヤだったら、「自然主義」のように、あるがままに書くのだ、善悪正義を問わない「無思想無解決」の姿勢なのだ、と尻をまくる手もありました。 というふうに、広津柳浪作品の歴史的限界を、私、わがまま勝手に述べてきました。 ではこの筆者の評価すべき部分はどこなのだと考えますと、パンドラの箱の中に残っていた「希望」のように、作品の中に底光りしてあるものは、ぐるりと一周回って、やはり文体力であると思います。 上記に「言文一致運動の先駆者として名前の挙がっていない広津柳浪の文体ですらこれだけ言文一致になっている」と書きましたが、やはりこれは筆者特有の文体力でありまして、どの作家もがこれほど書けるものではありません。 かつて、内田魯庵の小説を読んだ時に、その幸田露伴に見まがうような優れた文章に驚きましたが、今回は、尾崎紅葉ばりの広津柳浪の文章に、改めて私は、明治文学の懐の深さをつくづく感じるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2013.03.17
コメント(0)
『真景累ヶ淵』三遊亭円朝(岩波文庫) 少し前に同作者の『怪談・牡丹燈籠』を読みまして、とっても面白かったもので、同じく「怪談物」の本作を読んでみました。 相変わらず見事な言文一致体で、以前にも触れましたが、これだけの先行作品がありながら、なぜ日本の明治初期の言文一致運動はすらすらと進まなかったのかと、私はかなり疑問に思っているんですがー。どなたか、お教えいただけないでしょうかね。 ただ、少し思うのは、新しい物が産まれる時はいつも同じだと思うのですが、新しい物は新しいというだけで優れた価値でありながら、同時に新しい故に重みに欠けてしまう(という風に往々にして思われてしまう)というところがあるからでしょうか。 たとえば、言文一致運動とは関係ないですが『月に吠える』で口語詩の地平を一気に圧倒的に拡げた萩原朔太郎は、その後文語詩に戻ってしまいましたね。あれは一体なぜなんでしょうね。 およぐひと およぐひとのからだはななめにのびる、 二本の手はながくそろへてひきのばされる、 およぐひとの心臓はくらげのやうにすきとほる、 およぐひとの瞳はつりがねのひびきをききつつ、 およぐひとのたましひは水のうへの月をみる。 この口語詩の中に天衣無縫に描かれる詩情は、その滑らかさを信条としつつ、やはり重みにかけるような気が、するといえばしますね。 純粋にその創作物のできは良くても、生まれたものが時間を背負っていないということは(当たり前で、だって産まれたばかりですから)、否応なしにその評価に強く影響を与えてしまうのかも知れません。 と、まー、そんなことも考えつつ、しかし、このお話は文句なしに徹底的に面白い物でありまして、本当はあまり、文体がどうのこうのなんてことは考えながら読んだりはしませんでした。 岩波文庫で460ページほどもあります。とっても長いお話です。長すぎて、真ん中で見事に二つに分かれてしまったお話です。 以前にも述べたことがありますが、私は落語が好きで、文庫本でも結構読んでいました。 その中には、やはりお話が途中でブツ切れてしまっているのも少なからずありましたが、これは一体どういう現象なんでしょうかね。昔の人は大まかで、そんなことは気にしなかったからでしょうか。 でも、明らかにお話は二つに分かれているのですから、きっちりと別々の話に仕立ててしまえばいいと思うのですがね。(本作も、分かれておりながら微妙に登場人物の出入りがあったりしていますが、はっきりいってこれは一作品しているから人物が出入りするのであって、別々の話にしてしまってもさほど困らないと思うのですが。) これもよく分からない事柄の、その二であります。 まず前半が、「怪談話」であります。 幽霊が出てくるんですね。いえ、幽霊かどうか微妙なものが出てきます。 「真景=神経」なんですね。文明開化この方、幽霊なんていやしない、気の迷いだ、神経だ、というのが「真景」の言葉の由来だそうです。(でも明治以降でも、「幽霊もの」には大物・泉鏡花がいらっしゃいますよねぇ。) しかし以前にも少し触れた、三島由紀夫の『遠野物語』批評の伝で行けば、「炭取り」は明らかに回っているんですね(村上春樹の『羊をめぐる冒険』を書いた本ブログを参考にしていただければありがたいです)。 で、この「幽霊」の出し方が、実に絶品です。 この瞬間のこの出し方しかないというところで、見事にぴたりと幽霊を登場させています。それは語り(文体)とストーリーが渾然一体となった、まさに名人芸であります。 と言うところでお話は終わっても良かったんですが、触れましたようにさらに後半が始まります。 後半は、「幽霊」は出てきません。かわりに語られるのが「仇討ち話」であります。 そもそもこのお話には、前半もそうですが、見事にたくさん小悪党が登場しますね。読んでいてめちゃめちゃうっとうしい奴らです。 しかしこんな小悪党は、実際この時代に(江戸時代後半でしょうか)結構いたのですかね。 文化文政期から幕末にかけての、歌舞伎やなんかの爛れたようなデカダンス文芸なんかを見ていますと、こんな少々力のある小悪党が(武家階級とかヤクザとかですね)、弱者をいたぶる話はいっぱいあったような気がします。 そう言えば昔テレビで流行った「必殺シリーズ」。 『必殺仕掛人』や『必殺仕置人』なんかの世界は、まさにそんな世界でしたね。弱者が一杯の恨みを呑んで死んでいったその恨みを晴らす、というのがテーマでしたね。懐かしーなー。 本書の後半もそんな話であります。 しかしもう、こんな話になっちゃいますと、あれこれ理屈など言わず純粋にストーリーを楽しんでいき、最後の大円団でスカーーッとカタルシスを感じる、でいいのだと思います。 事実そんなお話でした。 上記二つの疑問は残ってしまいましたが、そんなとっても面白いお話でした。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.11.12
コメント(0)
『牡丹燈籠』三遊亭円朝(岩波文庫) 最近、夜のニュースくらいしかテレビを見ないもので、どんなテレビ番組が放映されているか、ちっとも知らないんですが、あれはまだやっているんですかね、あれは。 それはそれは、ずーっと、ずーっと昔の話です。なにせ、白黒テレビですから。 (今、何かの拍子に大昔の白黒テレビの画面を見たりすると、本当に「大昔」という気がしますが、記憶の中のそのころの番組、例えば「スチャラカ社員」(何、その番組? とお思いの貴兄、気になさらないでください。)とか、「てなもんや三度笠」(あ、これなら知っているとお思いの貴兄、ご協力ありがとうございます。)とかの画面を思い出すと、なんかビミョーに色が付いていたような気がしません? いえ、きっと錯覚なんでしょうが。) 土曜日の午後あたりですが、関西圏ですからたぶん今でも「吉本新喜劇」はしていると思いますが、今回私が話題にしたいのは、すっごく素朴な形でそのころ結構たくさん放送されていた漫才とか落語とかのことなんですね。 ほとんど何の手も加えていないような感じで、素材そのものをボンッと投げ出したように放映されていたやつです。きっと、番組作りのノウハウとかもなく、予算なんかもほとんどなかった時代だったんでしょうね。 とにかくそんな漫才・落語の「原型」を小学校低学年の頃から、まー、毎週見ていたわけで、これは、このー、やはり「刷り込み」が行われるわけですねー。 おかげで現在も、漫才・落語は私のフェイバレットの一つなんですが、息子が大学生になって落語研究会に入部するに及んで、我が家では、なんといいますか、「マイブーム」を越えて、日常生活の中に溶けこむに至っています。 かくて角川文庫の、あるいは講談社文庫の『古典落語』は、親子二代にわたってむさぼるように読まれました。実はこの手の本は、やはり中央=東京指向で、上方落語は一部分でしかなく、ほとんど実感のわかない「べらんめえ」口調のものを読まされるんですが、まぁそれはそれで、面白かったです。 さて、わたくし、そもそもそんな素地のあるところに、今回の本を読みました。 いやー、感心しましたねー。 「伴蔵お前先へ入んなよ。」 「私は怖いからいやだ。」 「じゃアおみねお前先へ入れ。」 「いやだよ、私だって怖いやねえ。」 「じゃアいい。」と云いながら中へはいったけれども、真暗で訳が分からない。 「おみね、ちょっと小窓の障子を明けろ、萩原氏、どうかなすったか、お加減でも悪いかえ。」と云いながら、床の内を差覗き、白翁堂はわなわなと慄えながら思わず後へ下りました。 どうですか。まず、この文章の完璧に口語表現であることに驚かされますよねー。 それはこの本の出版が明治10年であることを考えますと、まさに圧倒されんばかりであります。 だって、坪内逍遙の『小説神髄』が明治18年、二葉亭の『浮雲』が明治20年ですよ。驚かざるを得ません。 (もっとも、江戸時代後期の作品、例えば式亭三馬なんかは、かなりこなれた口語表現を書いているようですが。) 二葉亭は『浮雲』を書く時、かなり円朝を参考にしたということですが、こと「言文一致運動」に関しては、尾崎紅葉にしたところで、なぜこの方向で真っ直ぐに進めなかったんでしょうね。小説文体が円朝に追いつくには、たぶん「白樺派」まで待たねばならなかったと思います。 次に物語の内容ですが、これがまた、やはり凄いですねー。 構造的展開とピカレスク。 悪党(ピカロ)が男女数名出てくるんですが、実にこれらの人物がいい味を出していますねー。 まー、よく読みますと、この長編の中で(岩波文庫300ページほどあります)、ちょっと人格描写に一貫性を欠くような部分もないではありませんが、それでもとっても構造的に作り上げられています。 もちろん最終的には勧善懲悪に終わるのですが、しかし今更私が指摘するまでもありませんが、日本文学がこのわくわくとする構造的な面白さを長く失っていたことについて(今でも十分にあるわけではありません)、上記に触れた「言文一致運動」の展開と同様、物事の進化というものは、なかなか一直線に進みにくい要素が、やはりあれこれあるんだろうなあと、私は読後とっても面白かったと満足しながらも、少し残念に思ったのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.09.21
コメント(0)
『くれの廿八日』内田魯庵(岩波文庫) 近代文学の成立期、つまり明治二十年代というのはどんな時代だったんでしょうね。 少し前に、「明治本ブーム」みたいなのがちょっとあったように記憶するんですが、確か、そんな明治文学全集なんかが出版されていたのを、うちの近所の図書館で見ました。 編集をしていたのは坪内祐三氏であったように思うのですが、この評論家の本でかつて私が読んだ事のある本は一冊だけあります。 『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』という本です。 これは、慶応三年生まれの文学者、夏目漱石・宮武外骨・南方熊楠・幸田露伴・正岡子規・尾崎紅葉・斉藤緑雨という錚々たるメンバーのことを書いた本で、結構面白かったのですが、終盤、急に尻すぼみで終わってしまったという印象が残っています。 坪内祐三以外にも、その辺の、明治時代の前半あたりに強い興味を持っていそうな方としては、関川夏央や高橋源一郎などがいます。しかしどちらの方も博覧強記な方ですから、特に明治前期だけに造詣が深いというわけでもなさそうですが。 ともあれ、明治二十年代の文学というものに、わたくしも少し興味を感じつつ、しかし、近代日本文学史の本なんかを読んでいる限りでは(私の読んでいるのは、高等学校の国語の副読本の日本文学史の本です)、この辺についての記述はさほど多くありません。 せいぜい、坪内逍遙・二葉亭四迷の写実主義と、尾崎紅葉率いる硯友社・『我楽多文庫』程度であります。 でも、その多くない作家の作品を、それではだいたい網羅して読んでいるかといえば、まー、読めていないわけですね。 先ず第一に、今ではそう簡単に作品が手に入りません。 しかしそんなときこそ、この文庫。 岩波文庫があるんですねー。岩波文庫にけっこう入っております。 やはり岩波文庫は偉大ですよねー。 わたくし、最近とみに岩波文庫緑帯の「ファン」なんですが、今回の読書についても、とても有り難く、岩波文庫を利用いたしました。 さて、筆者・内田魯庵というと、何か難しそうな顔をしてパイプかなんかを銜えている写真がまず浮かびます。あわせて、この方は、私の中では文芸評論家じゃないかという「レッテル」が張ってあります。 それは決して間違ったレッテル張りではないのですが、今回この評論家の小説を読み、私は大いに驚きました。 全編、実に生き生きとした文体で描かれているではありませんか。例えばこんな感じ。 「第一お前、」とお吉は畳掛けて、「人の家イ来たら、女は女同士で先ず主婦に挨拶するのが作法といふもンだ。女のくせにツーと澄して直ぐ主人の部屋へ通るッてのは耶蘇のお仲間は知らないが世間には無い事ッたネ。妾の様な意気地なしだから断念めてるが、気の強い細君なら主婦を措いて主人に交際ふ様な女は出入をさせませんネ。当然だともお前、往時なら他の良人を寝取ると云はれたッて一言も無いサ。ねヱ、爾うぢァないか。いくら学問が出来る同士だからッて世間が承知しないからネ……」 と云ひつつお吉はジウと云はして吸つた煙草の煙を輪に吹いて何処となく凝視めて、ぢいツと考え込んだが、やがてトンと煙管を叩いて銀の顔を見た。 「馬鹿馬鹿しい! 是れだけの財産を有つてゐて、二十圓ばかしの教師さんに馬鹿にされるンだからネ、お前達にも馬鹿にされるサ。」 どうです。とつてもテンポのいい描写ですね。 かつて私は、二葉亭四迷の『平凡』や『其面影』を読んだ時、そのテンポの良さと諧謔味溢れる筆致に四迷個人の文才を見たのですが、四迷に文才があることはいうまでもないとしつつ、時代の中に共通した文体としてそれは、例えば尾崎紅葉の『多情多恨』の中にも、あるいはもう少し先の作品になりますが(明治三十八年です)、漱石の『猫』の中にも、このような「名文」が広く点在していることが分かります。この魯庵の名文もしかりです。 しかし同時代人の幸田露伴にしても同様ですが、この時代の文学者と呼ばれる人々は、誠に恐ろしいばかりの「文章力」を持っていたことに、つくずく感心されるものであります。 ところがそんな内田魯庵が、少なくとも高校レベルの文学史教科書においては、ほぼ取り上げられることがない(評価されていない)のはなぜかと考えると(私の持っている文学史の本では、批評家として名前だけが小さく挙がっています。)、文体の素晴らしさに惑わされず、冷静に読めば、やはり分からないことはないみたいです。 それは作品に盛り込まれた内容・思想ですね。 この煌びやかな文体が結果として描いているものは、風刺から決して逸脱するものではなく、人間造形についても、内面を深く抉っていく展開は、求むべくもありません。 (うーん、このことはつまり、魯庵が小説家に向いているのではなくて、ジャーナリストに向いているってことなんでしょうかね。) では一体、この素晴らしい文体は何のためにあるのでしょう。 それは、現在という時代から歴史を遡って鳥瞰的に見れば、時代的限界、あるいはやはり、筆者の文学的才能の限界といってしまえそうにも思います。 そしてその事の無念さは、この生きのいい文体の奔流が私には切ない流出のように感じられ、その「もったいなさ」を、呆然とただ心痛めるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2011.05.28
コメント(0)
『かくれんぼ』斉藤緑雨(岩波文庫) そもそも日本文学史についての本を読むのが結構好きなので、拙ブログの「副読本」になっている高校国語「日本文学史」教科書(古書大量販売店で105円也)を、なんということなくぼーーっと見ていたりします。 以前にも触れたことがありますが、その「日本文学史」のうち明治以降の近代文学に絞っての話ですが、割とよく読んでいる部分とそうじゃない部分とがまばらになってあります。 そんなあまり読めていない部分=時代のひとつ、明治初期・文明開化頃の作家の一人が、今回報告の斉藤緑雨であります。 少し前にこんな本を読みました。 『慶応三年生まれの七人の旋毛曲り』坪内祐三 なかなか面白そうな本だと、初めは勇んで読んでいたのですが、読後の感触としては、どうも「尻すぼみ」であったような印象が強いのですが、それはさておき、坪内祐三氏の着眼の鋭いところは、この慶応三年生まれのメンバーの何と「旋毛曲がり」な独創的な面々であることかという発見ですね。こんなメンバーです。 夏目漱石・宮武外骨・南方熊楠・幸田露伴・正岡子規・尾崎紅葉・斉藤緑雨 まったく、錚々たるメンバーですが、これは時代が人物を生むという現象、例えば幕末にいきなりわっと傑出した人物が沢山現れた、というのと一緒ですね。 その中で、特に何が言いたいのか絞り込んでいきますと(そろそろ絞り込まねば纏まりそうもありません)、一番に注目するのは緑雨と漱石が同じ年ということであります。 さらに、僕がうーんと唸ったのは、この事実の発見でした。 1904年(明治37年) 緑雨、死去。36歳 1905年(明治38年) 漱石、『吾輩は猫である』発表。 これはどういったことを語っているんですかね。 現在緑雨は、一般的にはほぼ「無名」と言っていいと思いますが、もしも漱石にも、緑雨と同じだけの長さの人生しかなかったならば、彼も一文学研究者としてと、一部の人には知られつつあった新進の俳人という、やはり現在となればほぼ「無名」の人物でしかなかったということでしょうかね。 さて今回報告する短編集には三つの作品が収録されていますが、そのうち二作品は未完です。 完結している『かくれんぼ』という作品についても、今となっては歴史的な価値以外のものがあるとは思えません。 近代小説が人間を描くものであるとするならば、この作品は人間を描く以前の段階で作品を展開させ、そして終わらせています。 タイトルは『かくれんぼ』ですが、僕はまるで「双六」のような小説と読みました。 純情だった青年が、郭遊び・女遊びのあげく「色悪」に成り果てるまでを、八人の女性との関係を絡めて描いていますが、その描き方が、まさに「双六」のようです。 主人公自身の内面、女性との人間関係、共に深まりというものを持たず、サイコロの目によってコマを進めていき「あがり」に至る双六と、まるでそっくりでした。 やや長い『門三味線』という作品も、樋口一葉の『たけくらべ』と瓜二つの設定を取りながら(発表年も同じ明治二十八年)、未完であるという点を差し引いても、残念ながら『たけくらべ』とは較べるべくもありません。(少年少女を主人公にした純朴さや情緒は持ちながらも。) これは結局の所、例えば文章力や構成力の差などということでは、たぶんないんでしょうね。 なんというか、もっと大きな、「時代の把握力」とでもいうものの差のように思います。 もっとも、有名なアフォリズム、「按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし。」などと述べた緑雨にとって、そんな時代のヤスリの中を生き延びる才能と、それを持つ者の人生や幸福との間にまるで相関などないことは、十分承知であったことと思われますが…。 緑雨36歳、「僕本月本日を以て目出度死去致候間此段広告仕候也」という人を喰った死亡広告を自らで書き、東京本所横網町の自宅で病死したということであります。 もって瞑すべし、なのでしょうか……。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.09.25
コメント(2)
『安愚楽鍋』仮名垣魯文(岩波文庫) 以前よりこの時期、つまり、明治維新以降で、坪内逍遥の『小説神髄』『当世書生気質』または二葉亭四迷の『浮雲』出版以前の時期ということですが、この時期の小説を読みたいものだとは、ちょっとだけ、しかし割と長くしつこく思っていました。 しかし、なかなかその機会に恵まれなかったんですね(って、書くと己は「被害者」のように聞こえるんですが、そんなわけでもありませんが、まぁ)。 その理由は二つです。 一つ目は、本ブログの基本的なコンセプトのことであります。 私は、一報告につき一冊の本(上下巻とか分冊になる場合は、両巻で一応「一冊」)、できたらそれは文庫本で、そしてその本全部を読んだ上で、ブログに取りあげるということを考えています。 実際に報告する小説が、短篇集の中の一編でしかなくっても、であります。 なぜ一冊の本に拘るのかというと、これを一作品という単位にしてしまうと、分量の多寡にかなり違いが生まれすぎると思ったんですね、始めは。 しかしそうは言っても、例えば有島武郎の『或る女』と同作者の『宣言』とでは、同じ一冊の文庫本とはいえページ数が違いすぎるという「問題」は依然存在します。 しかししかし、我々が「最近本読んだ?」とか「10冊の本を読んだよ」とか言う時、普通ページ数の多い少ないまでは問わないですよね。「君の読んだあの本は70ページしかないから、0.5冊だな」とか言いませんよね。 まー、それくらいのアバウトな「基本方針」ということであります。 ついでに、その本がなぜ文庫本かということにつきましては、実は細かい理由はあれこれありますが(値段や本の大きさ)、基本的には「趣味」ですかね。 私は文庫本が好きなのであります。 それを踏まえた冒頭の状況の一つ目の理由は、「その時期の文庫本が、現在はなかなか出回っていない。」ということであります。 しかし、まー、当たり前でしょうなー。 こんなストライクゾーンの極端に狭い「好み」に、出版社が対応してくれるわけがありません。(恐らく唯一、私の好みに一部対応をしてくれているのが「売れ筋外し」の岩波文庫です。誠に有り難い出版社であります)。 次二つ目の理由ですが、これは簡単(かつ致命的)。 私に、言文一致以前の文章を自由に読みこなす国語力が欠けているせいであります。 例えば上記に私がお褒め申し上げました岩波文庫ですが、現在でも新品で坪内逍遥の『小説神髄』を出版されています。 しかしこれが、わたくし本屋で手にとって少しだけ読んでみましたが、評論で長くって言文一致以前でさっぱり分からない。うーん。 ということで今回は、「恐いもの見たさ」の興味のようにして本書を読んでみました。 (ちょっと前置きが長くなりすぎてしまって申し訳ありません。) 出版は明治四~五年であります。明治初年の文明開化の風俗を、同じく開化期の風俗の一つである、牛鍋屋に集うお客を通して描くと言うものです。 しかし、そこに積極的なストーリーの展開はありません。坪内逍遥の『当世書生気質』とよく似た文体を取りながらも、違うのがこのへんなんですね(そしてこの違いが新旧「文学」の決定的な違いであります)。 なかなか鋭い描写力を持ちながらも、作品に構造的な深まりが無く、皮相な風刺だけにとどまっています。 しかし、合計二十人ほどの牛鍋屋の客を、始めに着物や外見について描き、次に牛鍋を食べながらの独白を描き(複数名で来ている客であっても、会話はなぜか少ないです。少し不思議ですね。)、それを通して人物の性格を浮かび上がらせるというこの形式は、実は結構面白いです。 モノローグ描写がとても上手なんですね。 読みながら思ったのですが、これを直接の影響関係とまでは考えませんが、漱石の『猫』の中の幾つかの場面、例えば水島寒月の「首くくりの力学」だとか「ヴァイオリンを買う話」だとか、猫の中でもかなり面白い場面には、やはり本書にも見られるような、いわば江戸期の戯作の伝統が、魯文を通って、漱石まで途切れずに続いていると感じました。 この岩波文庫には、冒頭に解説文が書かれてあるのですが(岩波古典大系のパターンですね)、その中に、魯文が新時代に相応しい独創性を持てなかった原因の一つとして、「時すでに初老の域に入っていた」事を挙げています。 おそらく私の想像力が乏しいせいでしょうが、何となくみんな一緒によーいドンで、明治維新に突入したというような、考えればあり得ない浅はかな感覚的理解を私はしていまして、なるほどこういう「当たり前」の指摘は、やはり研究者の指摘としてとても有り難いものだと思いました。 もしも魯文が、「青雲の志」に燃えた十八才の時に明治維新に出会っていたならば、ひょっとしたら、二葉亭のじゃない別の『浮雲』を書いたかも知れないんですよね。 魯文もやはり、「大作家」だったのかも知れませんよね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末にほんブログ村
2010.09.01
コメント(0)
というわけでですね、先週末、私は、ほとんどぼーーとしつつ、少しは庭で愛兎と戯れつつ、少しは金魚の瓶の水替えをし、そして、バッハとブルックナーを結構聴きつつ、そして、こんな本を読んでいました。 『学問のすすめ』福沢諭吉(講談社文庫) えー、例のアレです。アレ。 「天は人の上に人を重ねて人を作る」 っちゅうギャグが、昔はやったような、そんなことはなかったよーな、なんかよーわからんやつですがー。 実際のところ、この本は、ほとんどの人が冒頭の文句だけは知っているが読んだことのない本として、ひょっとしたら『源氏』や『枕』なんかの古典作品を除くと、一等賞の本じゃないでしょうかね。 つまり、「多くの人が冒頭だけは知っていて、それ以外の個所は読んだことのない本」という分野のベストワンであります。 そう思いませんか。そんな本って、古典作品を外して、明治以降の作品で考えるとして、この本以外に思いつきますか。 いいですか。二条件です。 1.書き出しは非常に人口に膾炙している。 2.作品全体を読んだ人はとても少ない。 どうでしょう。クラシック音楽で言えば、メンデルスゾーンの『結婚行進曲』みたいな物ですね。冒頭有名、最後まで聞いたことある人ごく少数。 えー、話題戻します。 漱石の『草枕』なんか、ちょっとそれに近いような気もします。でも、『学問のすすめ』に比べると「実力の差が歴然」という気がしますよね。やはり、きっと一等賞です。 というわけで、私もその例に漏れず、冒頭以外はまるで知らなかったのですが、今回、全文を読んでみて(文庫本でだいたい150ページほどであります)、和漢混淆文的な擬古文でありますので、若干読みづらかったんですが、結構面白かったです。 何が面白かったかと言いますと、まず、この本のテーマが一言ですっと言えることです。つまり、 「徹底的実学志向」。 ほぼ、これに尽きますね。もちろんそれは、時代的背景によるものでありまして、私は一切そのことを貶めるつもりはありません。むしろ感心したことのその2として、「実学志向」だけでよくこれだけの物事をカバーしたものだと思ったことです。 例えば、友達大切にしろ、人嫌いになってはいけない、なんて事にまで触れており、私といたしましては、若かりし頃に比して、はるかに「人嫌い」になっている我が身を大いに反省致しました。 それに、優れた文章にはすべからく遍在している物が、この作品にもあります。それは、 1.ユーモア精神 2.パッションであります。 たとえばこれは何なのでしょうか。同時代の他の人の文と比べたことがないので、断定はできませんが、やたらと二重否定が多いのです(まー漢文脈といってしまえばその通りなんでしょーがー)。例えば、 学者勉めざるべからず。けだしこれを思うはこれを学ぶにしかず、幾多の書を読み幾多の事物に接し、虚心平気活眼を開き、もって真実のあるところを求めなば、信疑たちまちところを異にして、昨日の所信は今日の疑団となり、今日の所疑は明日氷解することもあらん。学者勉めざるべからざるなり。 なんて文ですね。ここはさほどユーモラスでもないですが、こんな風に「ざるべからず」とか「いわざるを得ず」がいっぱいあると、そこはかとないユーモアと、作者のパッションを感じてしまいますね。 そんなわけで、私は実は時々吹き出しながら、この本を読みました。でも私が吹き出したのは、それはきっと作者の「狙い」でもあったと思います。 ということで、今となっては「誰も読まない(?)」(明治初年は大々ベストセラーですが)『学問のすすめ』ですが、まーそもそも今時こんな本を読んでいる閑人は日本国中でもそんなにおりますまい。 じゃそゆことで。にほんブログ村
2009.06.08
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1