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津川雅彦扮する法務大臣が、水谷豊扮する特命係の検察内部調査に関して事務次官に問いただしますが、次官は私たちに任せておけばいい、大臣は私たちに言われた通りにしていればいいと全く相手にされません。大臣は怒ってしまいます。テレビドラマ「相棒」のワンシーンです。ああ、日本を牛耳っているのは、実は官僚だったんだなあ、と実感させられるシーンでした。『国破れて霞ヶ関あり』は、もと厚生労働省の外郭団体に勤めていた筆者の官僚内部の暴露本です。筆者は自分の在籍していた外郭団体のあまりにもひどい状況を内部告発したため懲戒免職され、それが違法であると自ら弁護士無しで裁判を起こした猛者です。本書は、経済破綻したアイスランドの現状から、各省庁のお粗末な仕事ぶりまで体当たり取材して書き上げたもので、毎日出勤してきても仕事もしないで時間になったら帰るだけの職員や、使い放題の予算、果ては視察と称して豪勢な海外旅行を公費でしまくる理事長など、一般常識では考えられない金銭感覚労働感覚を批判しています。本書を読むとよくわかるのですが、選挙を何度やってもニッポンが全然変わらないのは、結局、ニッポンを牛耳ってるのが政治家ではなく官僚だからなんですね。官僚って選挙はカンケーないですから。今度の選挙で政権交代がどうのこうのって言ってますけど、全然カンケーないですよ。官僚は変わらないですから。今思えば、田中眞紀子は外務省のあまりにもひどい有様を見てそれを直そうとして官僚に返り討ちされたのでしょうね。そう言う意味では防衛庁の次官の汚職事件は小池百合子が同士討ちで共倒れになったのは、まだいい方なのかもしれません。多くの大臣が、事を荒立てるよりも官僚と共生して甘い汁を吸うことを考えた方が利巧、と思うのもうなずけます。しかし、何かあったときは、大臣は責任を取って辞職したり更迭されたり、それくらいならまだいいですが、農林大臣なんか自殺に追い込まれたこともありましたが、その一方で官僚は涼しい顔して全くおとがめなしな訳です。官僚の方が大臣より強いんじゃ意味がないですね。これをどうやって変えていくべきなのか、それを考えねばなりません。が、この本に書かれているのは官僚の愚行を暴露して批判するだけ、そこで止まっています。一応巻末には、対策案のようなものが書かれてますが、10年20年前から言われているような飽き足りの対策に過ぎません。私は筆者の不正を暴く姿勢は立派だと思います。テレビを見たり本をかじっただけで、アーだコーだと愚痴ってるだけの私に比べりゃ、月とスッポンです。それでもあえて言わせてもらえるなら、どうも、こういった、オニの首を取ったみたいに悪い所や失敗した所だけを取り上げて叩くようなのってどうなのかなあと疑問に思うわけですよ。マスコミなんかがよく行政の失敗で無駄な建物がどうだこうだと取材してるのを見ますが、じゃあ、なんでそんな無駄な建物ができる前にそれを止められなかったのか、止めなかったのはその建物ができることを暗黙の了解をしていたってことでしょ、他人の失敗だけ取り上げて正義の味方面してカッコいいことばっかり言ってるのって、あまり信用できないです。ネットで「櫻井よしこ絶賛」と紹介されているのを見ました。なるほど、たしかに彼女が好きそうな内容です。ちなみに、私は彼女があまり好きではありません。
Jul 31, 2009
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一般人の常識では、人と違っていると仲間外れになりそうでいやなんでしょうが、私のようなへそ曲がりはみんなと同じ方がいやです。映画『ペネロピ』は美女と野獣の逆バージョンとなるおとぎ話です。先祖にかけられた呪いのせいで豚の鼻を持って生まれたペネロピ、彼女の呪いをとくのは名家の男との結婚でした。しかし、ブタ鼻に恐れをなして男はみんな逃げ出してしまいます。しかし、唯一人、かつては名家にもかかわらず、ギャンブルで落ちぶれた男だけは違った‥…。とあらずじを読むと、のろわれてブタ鼻になった少女が、王子様の愛で元の姿に戻る、なんて、今更ディズニーでも作らないような映画みたいに思うでしょうが、全然違います。この映画は、そのままの自分を愛する事ができるか、認める事ができない現実をいかに柔軟に認めるか、それがテーマになってます。今の私は仮の姿、本当に自分はもっと別にいてもっともっと素敵なの、と母親に繰り返し言い聞かされていた彼女、そう思っていた彼女が自分を認めた時に初めて一歩先に進む事ができたのです。最近流行の自分探しとか言ってる連中は、この映画を見てよく考えなさい。
Jul 30, 2009
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なにこれ、全然グーグー出てこないじゃん。
Jul 29, 2009
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この写真で猫コンテストに応募しました。入選したらどうしよう。有名になってしまう。
Jul 28, 2009
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押し入れを整理していらんものをガンガン捨ててたら、ピアノ型のオルゴールが出てきました。ほったらかしだったので、ほこりまみれで、こいつも捨てたろかと思いつつも、一応中を見たら、結婚指輪が入ってた。やばい、捨てたらえらいことになるところでした。妻に見せたら、「あー、こんな所にあったんだ。すっかり忘れとった」
Jul 27, 2009
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どうにも不条理な事ってありますよね、人生も長い事やってると何度かそういう目に遭いますが、結局どうする事もできなくて、最後には「仕方がなかったんだ」とあきらめるしかないのが現実なんですが、そんな辛い事にいつまでもこだわらずに、前向きに明るく生きて行こうと考えても、そんなわけにいかない事も世の中にはあります。経験したくはありませんが。『風紋』は、殺人事件の被害者の娘と、その加害者の妻を描いた物語です。帰ってこない母を心配する娘に、警察から他殺死体で発見された事が伝えられます。やがて、逮捕された犯人は彼女の学校の教師だった・・・。以前このブログで紹介した「晩鐘」の前編にあたる物語です。本当なら『風紋』「晩鐘」の順番で読むべきところを逆に読んでしまったんですが、遡るような感覚で面白い読み方ができました。「晩鐘」も長いのですが、この『風紋』も長いです。どちらもどうしようもなく不幸な話ですが、本作は殺人事件の発生から裁判の結審までが物語の軸にあるので、ある意味ではミステリ小説として読めます。特に、後半の裁判のくだりは、弁護士側と検察側とのやりとりの、いろいろな思惑や内情などが緊迫感を盛り上げ醍醐味を感じます。この裁判部分だけでも十分に推理小説として面白いものになるどんでん返しが描かれているのですが、物語のテーマはあとがきで述べているように、犯罪の当事者以外に広がる影響がどんなものかで、乃南アサらしい緻密な人物描写で、恐ろしくリアルに展開していきます。にもかかわらず、このどんでん返しを惜しげもなく使っているのは懐の大きさを感じますね。何しろ、いかにもテレビのワイドショーやゴシップ週刊誌好みのモデルケースのような事件ですので、当然、マスコミメディアの過剰な報道ぶりもすさまじく、その弊害や滑稽さ、そしてのど元過ぎれば熱さ忘れるの姿勢には怒りを感じます。もちろん、これらの過熱報道の背景には、他人の不幸は蜜の味のご近所様を含む私たち一般視聴者の存在があるわけで、猛省しなければなりません。ラストで主人公は「仕方がなかったんだ」と、どうする事もできない結論にたどりつきます。あきらめるのは決して良い事だとはいえない世相ですが、科学がどれだけ進んで社会が発展しても、どうする事もできない結論は変わらないと思うのです。私たちのまわりに、それがいくつもある事を忘れてはならないのです。
Jul 26, 2009
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Jul 26, 2009
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成績評価は別として、私は英語の授業が好きでした。特に、高校時代は英語の先生が優秀な人だった事もあり、(授業中に埴谷雄高の落書きをしてたら、先生に「字が違う」と怒られた、って、怒るポイントが違うと思うんですけど、っていうくらいユニークで優秀な先生、ちなみに植谷雄高と書いていた)テストの成績はそれなりだったけど、英語で台詞を考えたり小話を書いたりして、あげくには必須の英検3級だけでは飽き足らず英検2級までとってしまったくらいです。なんで英語が好きだったか、単純にアルファベット表記がかっこ良かったからでしょうね。いまでもブログや、ツーリングのタイトルは英語表記を使ってますし、できればレポも全部英語表記したいくらい、海外のクールなサイトみたいにしたいんですが、そんな英語力もないので無理でした。でも、決してインターネットは世界に通じるから、世界に情報発信するためには万国共通につかえる英語で表記したいといけないんだ、なんて使命感からではなく、単に、アルファベット表記がカッコいい、それだけの理由からです。『日本語が亡びるとき』は、ネットで話題になった小説家水村美苗の、世界における日本語の位置づけについて書かれた本です。世界中のいろいろな地でいろいろな民族がいろいろな言語で書いている書物、それらが世界で評価されるためには世界で読まれなければなりません。世界共通の言語ありませんが、それに一番近い言語が英語です。ですから、ものを書く人はいずれ英語で書くのが当たり前になるでしょう。その時に、日本語はどうなるのか? 著者は亡びると断言します。そして、それを避けるために日本語教育をしっかりやった上で、優れたバイリンガルを育てる事だと提案しています。タイトルが思わせぶりなんで、すっかり日本語死滅を肯定している本かと思いきや、優れた日本語文学の消滅を危惧している内容でして、しかも、最後の方でやっとわかったという、読解能力の低下が問題なのか筆者の文章力が問題なのか。はじめのくだりの、世界中から集まった作家や詩人が共同生活をして情報交換する組織に参加した話は、実にリアルで、人物描写も的確で、まるで自分もその会に参加しているような錯覚をするくらいの文章力をお持ちの筆者ですが、その後から半ば以降まで、どうも何を書いているのかさっぱりわからない。やたらと「」や<>でかこった言葉や、多用される引用文に傍点などをいくつもつけて、まだるっこしい、すごく読みにくい上に、明治維新ごろの日本文学と西洋文学のかかわりやらの話になって、で? だから何? この話が日本語が亡びる事と何のカンケーがあんのさ? と疑問符ばかりがつきました。ちょっとひとりよがりな感じで、独善的と言うか、自己満足の世界な文章が目立ち、結局、最後は何かと言えば、飽き足りの日本の英語教育に対する批判にたどりつき、さらに、日本語文学の凋落を嘆くところに落ち着きます。ガキのうちから英語の教育とか言ってる前に、日本語しっかり教えろや、英語はそれからでもいいだろ、という意見は私も賛成ですが、思わせぶりなタイトルからこの結論ではいかがなものでしょうか。
Jul 25, 2009
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推理小説で面白いのは犯人は誰なのか、トリックはどうやったのか、そして動機は何か、この3点がポイントですが、犯人やトリックが何通りもできるのに対して、動機だけは金と怨恨の2種類しかないわけで、そのあたりをどうするかが新しい切り口になるようです。『月の扉』は第57回日本推理作家協会賞候補にもなった推理小説です。沖縄で起きたハイジャック、3人の犯人が人質を監視する中で起きた殺人事件、いったい誰が? そしてどうやって殺したのか‥…。最近の作家さんは、みなさん新しい切り口で推理小説を書いていますが、アイディアはいいけど話自体は面白くなかったり、破綻しちゃってるものが多い中、本作はとりあえず形をなしています。殺人の起きる現場がハイジャック下の飛行機内というイレギュラーな密室であるところや、探偵役になる人物がまったく素性不明なところ、そして、一番最後に明かされる動機が、これまで類をみないもので実に面白いです。ただ、タイトルの「月の扉」の意味が推理小説としては賛否は分かれるようですが、私はよかったと思いますよ。
Jul 24, 2009
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最近のコンデジは素晴らしい事に動画撮影も可能なんで、いろいろ撮影して、そんでもってMacBookで編集してちょっとした映画とまではいかないですけど、それっぽいものが作れる、実にデジタル万歳パソコン万歳な時代になってるんですが、できたものの良し悪しについては保証の限りではありませんね。映画『僕らのミライへ逆回転』は今や過去の遺物になりつつある小さなVHSビデオレンタル店の物語です。店長の留守中にちょっとしたアクシデントで全部のテープがダメにしてしまった店員は、家庭用のビデオカメラでハリウッド映画を勝手にリメイクして作りますが‥…。「ゴーストバスターズ」「ラッシュアワー2」「ロボコップ」「2001年宇宙の旅」「キングコング」「キャリー」「ドライビングミスデイジー」と過去の名だたる映画を、ローカルでアナログな方法で作るところが実に面白くて笑えます。あー、なるほどこんな風にして撮影するんだーと感心しますね。今はデジタルで何でもCGを使えば楽々本物っぽく作れますが、こういう時代に合えてチープな機材でここまでやれるんだと言う意気込みを見せてくれます。でも、話自体は感動のエンディングも無理矢理で、いまひとつピンとこなかったですね。それにタイトルの意味も全然不明。原題は「巻戻して返却ください」だそうで、それがどうしてこの邦題になったのか? 配給会社の方に聞いてみたいです。
Jul 23, 2009
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この作品、何が素晴らしいって、松雪のパン○ラが拝めるんですよ。それだけでも歴史に残る名作といえるでしょう。
Jul 22, 2009
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本を読むの理由はいろいろあります。何だかこうもやもやっとしてはっきりと表現出来ないんだけどさー、なんて言ったらいいのかなー、ほれ、そのー、と言うよな混沌とした状況の思考をきれいに表現してくれたりする文章に遭遇すると、とてもうれしいですよね。それが理由で、いろいろ本を読んだりするわけですよ、私の場合。『こんな日本でよかったね』は、日本国内外の諸問題を、ちょっと違った角度で見たエッセイ集です。もともとはブログの記事として書かれたものですが、なかなか面白い視点でいろいろな問題を分析しています。「構造主義日本論」なんて立派な副題がありますが、これからの日本をこうしなければならない、なんて肩肘張った起承転結のある論文ではないので、軽い気持ちで読めます。特に面白かったのは、ひところ世間を騒がせて、例によってのど元過ぎれば熱さ忘れるマスコミさんたちはもう全然見向きもしない社会保険庁の年金問題など、目に見える自己の成績のみを評価する社会において、他人の起こした問題の尻拭いをする事に意義を感じないゆえに、欠陥状態のシステムがのうのうと存続出来たのであるとの分析です。同様に、格差社会問題や学力低下問題なども、なるほどなーと思わせる内容でした。
Jul 21, 2009
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珍しく自分でソファの方に来て寝てます。暑いとソファや座布団で寝ないのに、ちょっと寒かったみたいですね。小さいクッションを枕代わりに寝るのです。丸くなりかけてます。眩しいみたいです。
Jul 20, 2009
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先日、某男Kawasakiライダーさんから荷物がとどきました。なんだろう、わくわく。ばあーーーーーーん、その名も「昭和ロール」! なにやらメチャクチャ美味そうなオーラが光り輝いております。飾り気のない箱に、これまた飾り気のないラップと和紙だけ。こういうのは間違いなく本物であります。ラップと和紙をめくればこの通り、素っ気ないくらいシンプルなロールケーキが現れました。色といい艶といい、申し分ないできです。早速ナイフを入れて食ったらうまい! 口当たりすごく軽い! ぱくぱく食っちゃうよ。スポンジもクリームも申し分なくいいあんばいなのです。くどすぎず、といってあっさりしすぎず、絶妙なのです。いかん、どんどん食ってしまうぞ。気がついたら半分食っちゃってました。うーむ、これは危険だ。もう仕舞っておこう。
Jul 19, 2009
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SFアニメの源流ともいえる作品は、ともに72年放送の「マジンガーZ」「科学忍者隊ガッチャマン」でしょう。おそらく同世代でしたら、その名を知らない人はいないと思います。どちらも興行的には大成功で、後の世代への文化的影響度も大きく、評価も高い作品です。この2作品で描かれる世界は実に単純です。正義の味方であるところのマジンガーZ、あるいはガッチャマンが、悪の帝国と戦い、命をかけて正義を守る、そして苦闘の末、最後には大勝利を手にします。主人公は強く逞しく正義感にあふれ、まさしく男の中の男、英雄、ヒーローに相応しく描かれ、当時の子供たちのあこがれであり目標となる存在でした。一方の敵役は、地球制服を企む絶対悪で、人類とは別のもの、とにかく無条件で殲滅してもいい存在でした。その後のヒット作品、「グレートマジンガー」「UFOロボグレンダイザー」「人造人間キャシャーン」もまた、同じく、絶対正義と絶対悪の対決を描く、それが当たり前の時代でした。77年に公開された映画は、アニメ界に革新をもたらします。その作品のもとになるTVアニメ「宇宙戦艦ヤマト」は、これまでとは違った路線で作られましたが、初放送での視聴率は低迷し、打ち切りとなりました。しかし、その後の再放送と映画化でヒットします。その後はTV版、映画版共に続編が作られ、現在でも歴史に残る名作として語り継がれる不動の地位をものにしています。「宇宙戦艦ヤマト」がこれまでのアニメ作品と違うのは、まず、主役となるヤマトのデザインで、それまで宇宙船といえばロケット型流線形型だったのが、海に浮かぶ戦艦の形をそのまま宇宙戦艦にする斬新なものでした。そして登場人物の多彩さ、これまでのヒーローとその他、という単純な設定ではなく、複数の登場人物がそれぞれしっかりと描かれます。さらに、その性格も誰もが目標とするヒーロー的存在ではなく、普通の人間で悩み迷い葛藤もし、まさしく等身大の存在へと変化します。また、物語は侵略から地球を守る、というこれまでの黄金パターンではなく、すでに地球は崩壊し、それを救うために旅に出るスタイルでした。しかし、それでも、最も根幹になる部分、正義対悪の構図はこの作品でも同じで、地球を侵略する異星人は絶対悪、そして、その魔の手から地球を救い出す主人公たちは絶対正義でした。ところが、物語の終盤、この構図が崩れます。異星人の本拠地で激しい戦闘を繰り広げ、遂に勝利を獲得した後、これまでのアニメなら大円団を迎えるはずなのに、主人公にこう言わせるのです。「おれたちは勝った。だが、勝つものがいれば負けるものもいる。負けたものはどうなる? 負けたものは幸せになる権利はないというのか? それを今まで考えた事がなかった。」「おれたちは戦うべきではなかった。愛し合うべきだったんだ。」このシーンは非常に重要です。これまで、自分=正義 敵=悪という不動の形だった根幹が崩れ去ったのです。時代は高度経済成長の飽和期、日本を豊かにしよう、経済大国にしようと脇目も振らずに走ってきた結果、日本はどうなったのか? これでよかったのか? 人々がそう思い始めたように、アニメの世界でもこれまで君臨した絶対正義の存在が揺らぎ始めました。79年、後にバブルと呼ばれる狂乱の黄金時代を直前にしていたこの時期に「機動戦士ガンダム」は放送を開始します。しかし、これまでのいわゆる子供向きアニメと一線を画す作品だった「ガンダム」は視聴率の低迷にこれまた打ち切りとなりました。放送終了後から人気に火がつき、繰り返された再放送でその人気は絶対のものとなります。映画化され、TV版も続編が作られ、現在も続く大ヒット作となりました。「ガンダム」が子供向けアニメと一線を画すのは、これまでの根幹である大前提の、絶対正義と絶対悪の構図を初回から放棄している点です。「宇宙戦艦ヤマト」で終盤、その存在に疑問を投げかけられた絶対正義、それが本作では最初からその存在を否定されます。物語はスペースコロニーの独立戦争です。その戦争に巻き込まれた少年少女の物語です。ですから、主人公の敵は、事もあろうに、人間なのです。これまで、アニメの敵は人類ではありませんでした。異星人、あるいは古代人、怪物のたぐいで、それ故に絶対悪とみなされて無条件に殲滅の対象となり得たのです。しかし「ガンダム」はそれを否定し、人間対人間の生臭い殺し合いと言うじつにリアルなテーマを持ち込みました。そんな設定ですから主人公も、もちろんヒーローなどではありえません。問題児でヒステリックな癇癪持ちで、なるべくなら友達になりたくないような人物像になります。そして、そんな主人公ですから、行動も曖昧です。かつてのアニメヒーローに見られた自信に満ちあふれた姿はかけらもありません。絶対正義の崩壊した世界に、次に出現するのは「何が正義なのか」と言う問いかけだけです。登場人物たちの台詞「何のために戦っているのだろう」「悲しいけどこれが戦争なんだ」「私が殺したのではない、殺したのは戦争だ」これらの台詞の奥底に秘められた根源不安、あきらめ、自己欺瞞は、物語全体に蔓延し、それらの要素がやがて自分の存在意義の追求へと変遷していくのに時間はかかりませんでした。しかし、その答を出すのには、長い長い時間が必要でした。時代はバブル崩壊、失われた10年が始まろうとしていました。「ガンダム」放送から15年、ようやく「エヴァンゲリオン」が登場します。95年、世紀末の不安と新しい世紀の期待が混在する時代に「新世紀エヴァンゲリオン」は生まれました。これまでのアニメと違い、おもちゃメーカー(主にプラモデル)とのタイアップだけでなく、マンガやゲームなど、他のメディアを広く巻き込んだ形で展開した本作は、TV版わずか26話で、決して良いと言えない視聴率にも関わらず、社会現象を巻き起こし、特に、物語後半から終盤に掛けて描かれる主人公の精神世界と、示唆的で抽象的な最終回は論争にまでなりました。制作したのは「ヤマト」「ガンダム」でアニメブームの洗礼を受けた世代、彼らが求めるのは当然「ヤマト」の絶対正義への疑問、それを経て変遷した「ガンダム」の「正義とは何か」「自分は正義なのか」「自分は何者なのか」という自己存在意義の再確認作業への回答です。物語は使徒と呼ばれる侵略者と人造人間エヴァンゲリオンを操縦(という表現が正しいのかどうかは疑問ですが)する主人公たちの戦いを描いています。主人公の少年は「ガンダム」よりももっと人間的に問題のある性格、消極的で意志が弱く優柔不断で八方美人で無責任に描かれます。彼を取り巻くのは彼とは正反対の積極的で活発な美少女ばかり。そんな女の子に引っ張られて生きている、何とも情けない姿です。また、正義の象徴であるはずの地球防衛軍に相当するエヴァンゲリオンを有する組織も、官僚的でお役所的な大人の事情を綿密に描かれ、縦割り行政の問題やら、予算割りの問題やら実に下世話な話になってます。そのリアルさは、かつても子供向きアニメとは雲泥の差です。そして、主人公は、この時点ではおそらく正義と判断される戦闘に参加する事さえ拒否します。彼はもはやヒーローどころかヒーロー予備軍でさえないのです。正義が何か、自分が何者か、答えがわからない彼は結局そんな自分を「不要な存在」と決めつけ、破滅への暴走をはじめます。物語はそんな彼の心理状況を描くことに変わっていき、それにリンクしてまったく違う物語の姿が現れます。終盤で明らかになるのですが、使徒は実は侵略者ではなく、人類を一度リセットするためのプロセス(人類補完計画)に過ぎず、その背景にあるのが自分の存在意義を証明するのに必要な自分以外の存在の否定でした。完結編の映画版のコピー「みんな死んでしまえばいいのに」です。自分が何者かを決定するのは自分の中の自分と他人の中の自分であり、そのどちらが欠けても成立しませんが、他人との接触が巧くいかない主人公にはそれが理解できません。正義とか悪とかそんな事はどうでもいい、自分がどっちなのかわからない、だからもうどうでもいい、みんな消えてしまえ。物語は完全に破綻します。「エヴァンゲリオン」の特徴的なのは、このように精神世界を抽象的に描いた点です。そして、最後の最後に用意された回答はやはり、首を絞める行為と「気持ち悪い」という拒絶の台詞でした。こうして、絶対正義の存在は没落していきます。いま、こんなアニメを見て育っている子供たちはとても不幸ですね。何が正義なのか知った上で正義を実行できないのと、正義がわからないまま正義を実行できないのとでは、まったく次元が違います。たとえ青臭くても、アホらしくても、ありえなくても、純粋な正義を教えるるアニメ、そんな夢と希望に満ちたアニメがない現代、自我が形成される時期に見たアニメが、人間同士殺し合ったり、いたずらに抽象的な精神世界を描いたアニメではこの先ろくな社会にならないですよ。エヴァンゲリオン誕生から10年あまり、SFヒーローアニメはいまだ暗中模索の時代です。
Jul 18, 2009
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先日、あまりにも暑かったのでかき氷を作りました。自宅でかき氷を作るなんて何年ぶりでしょうか。かき氷を作る器械がなかったんで、かなり昔に景品でいただいたものを引っ張り出して使ったんですが、まあ、景品でもらえる程度のものでしたので、この1回でぶっ壊れた。で、氷みつをかけてキーーーーーンとこめかみにきながら味わいました。いやー、やっぱりクソ暑い夏にはかき氷ですね。でも、かき氷機が壊れたのでもう作れないにもかかわらず、氷みつはまだたっぷり残ってます。どうしよう。
Jul 17, 2009
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推理小説に必要なのは、不可能犯罪と謎解きと救いようのない悲劇だと思うのです。乱歩も横溝正史も、そして綾辻も島田荘司もまたその要素を忘れずに物語を描いています。『匣の中の失楽』は第四の寄書といわれる推理小説です。書きかけの推理小説と同じように殺される事件が起きます。現場は完全な密室で、発見時にあった靴はこつ然と消えていました。犯人は誰なのか? そして第2第3の事件が続きますが‥…。「黒死館殺人事件」「ドグラ・マグラ」「虚無への供物」の三大寄書に続く第四の寄書、といっても三大寄書のいわれは、かの、日本文学界で最も神に近い位置にいた天才埴谷雄高が言い出したらしいのに対して、本作『匣の中の失楽』がそれに続く第四の寄書だと言い出したのが誰なのかよくわからんので、竹本健治本人が「黒死」「ドグラ」「虚無」に続く第四の寄書を書きたいと自分で言い出したのを、そのままセールストークに使っただけじゃないのかと思います。正直なところ、読み終わった感想は、とてもじゃないが、そんな大それた作品ではなかったです。虚構と現実を混ぜご飯にしてお茶を掛け、かきこんで食ってるような内容で、ようするにさっぱりわからない、読んでてイライラしてくるだけの本でした。作品を書き上げた当時22歳だったそうで、その若さでこれほどの作品が書けるのはすごいらしいですが、私が思うに、この自意識過剰で独善的な内容は、若くないと書けないと思いますよ。40過ぎてこんな小説を書いている作家がいたら恥ずかしいでしょう。登場人物が何人も出てきますが、これがまた全然区別がつかない。何度も何度も繰り返される推理合戦も、能書きが長いだけで、謎解きのドキドキもわくわくもないです。「虚無」の冒頭で描かれる4人の推理合戦と比べるとまさしく雲泥の差です。そして、さんざん読者を煙に巻いて、クライマックスはまったく盛り上がらず尻切れとんぼで終わるのです。
Jul 16, 2009
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本屋さんに並んでいたのを何気なく手に取って読んだら一気に引き込まれて全部読んでしまいました。既刊4巻まで出てるんで、日を改めて再び本屋に行き、4巻全部読んでしまいました。最近の本屋さんは、ベンチがあるので座ってゆっくり読めるので、ほとんど1日本屋にいて全部読んでしまいました。何やってんでしょうねえ。そのあげく、ウチに帰ってからやっぱり欲しくなってさっき買って来た。とりあえず、第一巻だけ。
Jul 15, 2009
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先日、また大量生産したのです。何匹かは里子に出ました。
Jul 14, 2009
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そんな便利な時計があるのなら最初から使ってください。
Jul 13, 2009
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「本当はこわい家庭の医学」で、肉より魚を食わんと痴呆になるぞーと脅かされたにもかかわらず、お肉料理を食っているのでした。ペッパーランチの肉料理は鉄板でその場で焼くのでジューシーなのです。これで780円、なんてお値打ちなんでしょか。
Jul 12, 2009
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映画「プリティウーマン」で、ジュリアロバーツ扮する主人公の白馬の王子様になるのは実業家、彼は仕事の内容を聞かれてこう答えます。「倒産しそうな会社を買い取って、それを部署ごとにわけて売却するんだ」ジュリアロバーツの返事がいかしてます。「ああ、バイクを盗んでバラして売るのと同じね、友達もそれをやってるわ」主人公はよほど堪えたのか、共同経営者にこう言います。「なあ、おれたちはこれまで何を作ってきたんだ?」『粉飾資本主義―エンロンとライブドア』はエンロンとライブドアを例にして、株式会社がいかにして粉飾決算の道へ進むのかを解析した書です。著者は、このような社会的問題が発生した場合、なぜそんな事態に至ったのかをしっかりと調査、整理して、それが何を意味しているのか把握する必要があると主張します。著者の分析はこうです。ライブドアの堀江隆文が行ったのは、決して新しいビジネススタイルでもなんでもなく、これまでの「古い経営者」がしていたのと同じ、既成権力へ迎合して甘い汁を吸おうとしていただけで、それは「古い経営者」たちにとっては聖域を侵される事であり、そのために、司法を動かしてあの逮捕劇が繰り広げられたのだ。ライブドア問題については、最近、反論本を出版したり、140億円の賠償金を請求されたり、相変わらず賑やかしいですが、とにかく、面白かったのは、それまでは時代の寵児だの既成権力の破壊者だのさんざん持ち上げていたマスコミが、逮捕されるや否や、手のひらを返したように悪者扱いするのが、本当に節操がないと言うか、厚顔無恥と言うか、笑わせてもらいました。本書を読めばよくわかりますが、ライブドアも、古い経営者も、結局、目くそ鼻くその世界だったんですね。よくよく冷静に考えてみれば、金に狂ったバカものどもがバカ騒ぎをしてただけのことで、楽して金儲けしようなんて甘いんだよホント、ええ、ウチにもありますよ、塩漬けのカブがありますよ。金に狂ったバカものの一人です。
Jul 11, 2009
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この耳のカッコウが好きです。
Jul 10, 2009
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TVCFが面白いので、近所のドラッグストアで安売りしてたのを買いました。食ってみて、率直な意見としては、プリッツを買った方がいいです。
Jul 9, 2009
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実家に拾われて間もなく1年、すでに主のようなふてぶてしい態度になってます。
Jul 8, 2009
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みやこちゃんのご飯が届きました。これは妻が、送料のみでお試しができるモラタメというサイトに注文したキャットフードです。しかし、計算間違いをしていました。1kgが3個来ると思ったら、実際に来たのは300gが3個でした。サイトの説明をよく見ましょう。とりあえず、みやこちゃんが文句を言わずに食ってるから良しとしましょう。
Jul 7, 2009
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今夜のお酒のおつまみは青森八戸直送のいわしだぜ、うぃ~ひっく、あれ、これなんか、ネコの絵が書いてあるなー、うーん、でもカンケーないやぁーくっちゃえくっちゃえ~、となるんじゃないかと心配したくなるパッケージなんですが、ええ、そうです、これ、キャットフードです。ちょっとおかしんじゃないの、世界では何万人が餓死してるってのに、ネコ用に青森八戸直送ですよ。んなもんオレも食った事ないわ。飽食日本、自給率40%、首相支持率23%、こんなチョーシじゃ、ホントやばいですよ。
Jul 6, 2009
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俯瞰図ですが、一見、ツチノコに見えたのは私だけではあるまい。最近のみやこちゃんのお気に入りの場所は、このガレージの屋根の上です。涼しいらしい。下から見ると、こんな風に、顔だけ見えます。ネコは高いところが好きですね。
Jul 5, 2009
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Jul 4, 2009
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推理小説なのに、犯人を推理する、トリックの謎解きをする、事件の全貌を明らかにする、といった醍醐味がまったく味わえない、だからといって、事件を取り巻く悲劇的な物語が描かれているかといえばそうでもなく、薄っぺらな人物描写と思わせぶりな引用文やら横文字の章、ほとんど自己満足の世界、こういう本に1800円もの価格を平気で設定する出版業界、先が思いやられますね。
Jul 3, 2009
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夏も近づくスターバックスのメニューはやはりフラペチーノでしょう。今回、妻は、新製品のコーヒーゼリーフラペチーノを、私は抹茶フラペチーノを飲みました。うーむ、夏にぴったりの味です。
Jul 2, 2009
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先日、天気がいい日にみやこちゃんを洗いました。お風呂に入ってシャワーでジャババババー、そしてネコ用シャンプーでじゃぶじゃぶじゃぶー。去年洗ってないので、その分もごしごしときれいに洗います。ウニャーフニャーギャーとうなり声を上がるみやこちゃんにおかまいなしで妻は大汚れの洗濯物を洗うようにごしごしと洗いまして、お風呂から出てきました。あれ、以前のみやこちゃんは、洗うとひょろっとなったんですが、今回は重量感そのまま、しっぽも太いままでした。太ったな。あとはタオルで磨いてやると、フニャーフギャーと言いつつ、ドライヤーで乾かします。夏毛に変わる時期なんで、抜け毛がひどかったんですが、うむ、それなりにきれいになったかな。
Jul 1, 2009
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