セミリアイア「晩年」日記

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2020.03.23
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カテゴリ: 評論
前回書いた通り、今、「格差社会」として問題となっているのは、正規と非正規の格差に象徴されるアッパーミドルと中流と下流の格差である。

この格差はその差が目に見えて違うわけではないから、いっそう強く格差を感じるという構造を持つ。人は、自分が完全に手が届かない生活に憧れは抱いても、嫉妬は感じない。自分たちとあまりにも違いすぎる彼らは、別世界の人間なのだ。

ところが、アッパーミドルと中流、中流と下流は見た目は同じような生活をしている。特に地方では、着るもの、乗る車、子どもの習い事など、皆が同じようなライフスタイルであるように見える。一つの分岐点は住居だろう。アッパーミドル層は、大体30代で持ち家となるが、中流は40代、下流だとずっと賃貸ということが多い。その結果は、50代、60代でより顕著に現れる。アッパーミドル層は、退職時にすでにローンは終わっているが、中流だと1000万前後の退職金で、ローンを清算することとなる。下流はそもそもローンで家を買うという選択肢はほとんどない。無理をして購入すると、不況でローン破産に陥ることも多い。

自分が今住んでいるところは、典型的な中流層の大規模分譲地だ。低金利が来る前に家を建てた人が多く、周囲は高齢化し、地価は下がり続けているから、売却して新たなマンションにでもという考えは、自分たちもないでもなかったが、そうなると手持ちの資産が半減する。隣の家の人も同じような年代だが、やはり住み続けるようだ。自分たちが建てた15年くらい後に、10年定額制という金融公庫の詐欺まがいのローンに乗った人たちは、11年目で返済額が急上昇し、リーマンショックがそれに重なり、ローン破産した人が多い。すでにバブルがはじけ、サラリーマンの平均年収の減少が始まっていた。「ボーナスを充てれば、大丈夫だ」と思っていた人たちのボーナスも、仕事もなくなっていった。

同じような家を建てて住んでいても、毎月できるだけ低い返済に抑え、繰り上げ返済で早めにローンを終える人と、目一杯の借金をして、支払いが回らなくなる人がいる。同じような車に乗っていても、それを72回のローンで買う人もいれば、キャッシュで買う人もいる。子どもの教育も、高校までと考える人と、大学を考える人では、40代、50代までの教育資金の積み立てがまったく違う。無理をして教育ローンと奨学金で大学にやっても、やはり老後資金を蓄えることはできなくなる。

どうしてそうなるのか。それは、マスコミが伝える「ちょっといい暮らし」のモデルが首都圏のアッパーミドル層をモデルにしているからだ。今なら夫婦二人で1000万円以上の年収があり、35年くらいの住宅ローンを30代で組み、繰り上げ返済をしつつ、子どもの教育資金も貯めていく。過度な節約はせず、ブランドの服を着て、車を所有し、海外旅行にも行くし、時々は高級レストランで美味しいものを食べる。最低でも2000万を超える退職金は、夫婦で2倍は残り、老後2千万問題は彼らにとっては、ノープロブレムだ。これがテレビドラマや、グルメ番組が伝えてきたアッパーミドルの生活である。

それを中流層が真似ようとすると、ブランド品を買うが、食生活は貧しい。車は大衆車ではない数百万のものを買うが、子どもの教育資金は貯まらない、という一点豪華主義的な消費にならざるを得ない。しかも、退職金は大企業のせいぜい半分であり、老後資金は決定的に貯まらない。

下流層は真似ようもないのだが、真似ると生活が破綻する。

なぜ、中流層、下流層が無理をしてまで、アッパーミドルを真似るのかといえば、自分の社会的クラスが定位されていないからだ。「一億総中流」という幻想が、まだ彼らを支配している。彼らは「消費」によってそのアイデンティティを維持するほかないのだ。何を買うかで、自分の社会的ステータスが決まるという逆倒した価値観に支配されていく。本当は、どういうステータスに属するかで、何を買うかは決まってくるのだ。



そこにあるのは、能力が違うのに、一つのクラスにいるから、みんな同じなのだという幻想を与える公立義務教育校の姿の延長である。その精神の未熟さのまま、社会に出てしまった人たちの姿だ。たとえ「正規」であっても大企業と中小は決定的に生涯賃金が違うし、「非正規」あるいは「非正規すれすれの正規」ではさらに違う。

それを受け入れるだけの成熟は、自分の周囲の同年代の人たちにはある。というか、そういう人たちでなければ、つき合わないのだ。彼らは、自分のステータスの中で、それなりに努力し見栄を張らずそれを継続してきた。古い言葉だが「分際」を受け入れている。まあ、年齢がそうさせているのかもしれない。人生の残り時間がもうあまりないのに、今更ブランドや高級車で、虚飾することのバカらしさには十分気づいているのだ。

アイデンティティを「豊かそうな消費」というところに得ようとした人々が、今、固定化されつつある格差社会の中で、アイデンティティを喪失しつつある。





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最終更新日  2020.03.23 04:44:18


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