セミリアイア「晩年」日記

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2020.12.14
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カテゴリ: 評論
​​我々の世代が、その成長の過程で「反体制的」であることを血肉化してきたのと対照的に、今の40代くらいまでの世代は「体制的」というよりは、政治的無関心か、政治を一種のエンターテインメントとみる態度が普通のことになってきている。

ほぼ、生まれ落ちたときから、家庭がどの程度教育にお金をかけられるかによって「分断」されていて、大学進学するかどうかで、上位・下位に本格的に二極化し、どういう大学かによってさらに上位25%くらいが昔で言えば中流層を形成していく、というのが現在の日本社会のあり方だろう。

テレビ、新聞などの旧メディアは彼らの日常の中には希薄にしか存在しない。ネットは極端な右翼思想が、そのわかりやすさ故に優勢である。もちろん、それは「嫌韓」「嫌中」という、よりわかりやすいメッセージとして流れる。そこに賛同するのは、実は日本社会の中で、「最初から」差別されてきた非正規の若者たちだ。自らの被抑圧的人生を、抑圧対象をみつけることでバランスしようとする。その点で威勢のいい現政権のような新自由主義が彼らの支持を集める。そしてその「自己責任論」を自ら引き受ける。

中流以上の若い世代はまだ新聞のネット購読をしている層だが、「日経」などの経済色・保守色の濃いメディアを好む。彼らはもちろん分断された社会の中で、その上位にいるという自覚はあるから、この立ち位置が維持される政権を望む。それは現状維持ということだ。

ただし、以上のことは彼らの「思想」ではなく、「気分」のレベルの話であり、だから国政選挙の投票などには行かない。「無関心」の度合いはますますひどくなっている。彼らは「政治」以前に、「社会」に無関心である。封建社会で、カーストの下位層であればあるほど「社会」の構造に対する関心を持たず、自らの階層内で上位を示してくれるような「象徴」に夢を託す。現代で言えば、例えば「車」「ファッション」などに夢中になるのは、それと同じかもしれない。「世の中を変える」ことよりも、仲間内の差違の記号を得ることに「生きがい」を感じる。あるいは、自分たちよりもさらに下位の者を苛めることが、不満の解消の手段となる。

自分たちのような高齢者も、人口ボリュームは多いが、社会保障を維持してほしいから、次第に体制的になっていく。​​​​​​​​ ​​今や、反体制的気分を持ちつつ生きる高齢者は、明らかに少数派だ。

かくして、老若男女総じて、1億総保守化というおかしな世の中が到来している。





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最終更新日  2020.12.14 06:28:10


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