セミリアイア「晩年」日記

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2020.12.14
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カテゴリ: 時評
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相変わらずの後手後手の政策決定だが、マスコミは政府が何をやっても例のアクセル・ブレーキ論で喧しい。

フランスのコロナ対策についての報道を見たが、第1波の時に、政府がマスクを義務化しようとしたとき、それは「移動の自由」の不当な侵害だという訴訟が起きたという。マスクをしての外出は「やりにくい」というのが、原告の主張だった。

それが当たり前だと自分は考える。基本的人権について、それがわずかでも侵されそうになった時、全力で抵抗するという市民的伝統が、西欧にはある。

トランプはマスクをせず、大規模集会を開催し続けた。あれは非難されて当然だが、あれだけ死者数の多いアメリカでも「集会の自由」自体を否定しようという論調はない。密になろうがなるまいが「集会」は自由なのだ。

それに比べると、「5人以上の宴会は自粛」、「高齢者はGoTo自粛」等々、政府は基本的人権を侵しそうな「要請」を次々に出している。「自粛」を「禁止」と書き換えれば、すべて憲法違反であるが、日本人の同調性を計算に入れてのことだから、少なくとも憲法に抵触はしそうな「要請」だ。

ところが、そのメッセージを受け取る国民の方が「GoTo」というアクセルと「自粛」というブレーキの間で右往左往しで、「どうしていいかわからない」、「どうすればいいかはっきりしてくれ」という情けないことこの上ない状況に陥っている。

「移動」するかどうか、「自粛」するかどうかは、国や県が決めることではなく、個人がその主体性において決定すればそれでいい、という市民的「常識」のかけらも見られないことの方が、最大の問題だと自分は考える。







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最終更新日  2020.12.14 06:52:21
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