セミリアイア「晩年」日記

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2021.04.03
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カテゴリ: 仕事
​​自分の中で、今の仕事は「今年度限り」という思いでやっていこうと考え始めている。もちろん、そうは公言していないのだが、管理職を辞めて5年目、2年目の特例の準常勤講師。こういう人間がいつまでもいるのは、職場にとってもなかなか扱いにくいものだ。

もうフル年金になって、生活の基盤は十分あるのだから、そこにしがみつくのは自分の信条に反する。次年度からは非常勤で十分だと思っている。あるいは、以前ちょっと声のかかった他校に行くか。先方は自分の教科指導の腕前を、大学受験の得点力をつけるという意味で、十分に分かっているから、どうしても欲しいらしい。非常勤なら、時間を調整すれば兼業も可能だ。

古典の場合は、1年時できちんとした指導があれば、
2,3年で多読すれば大丈夫だ。昨年度久しぶりに2年の古典を担当したが、1年でほとんど何も教えられていない状態だった。それにコロナが加わり、スタートで躓いた。だが、それでも現在は出来の大体普通の特進のレベルまでには回復している。生徒は相当きつかっただろう。なにしろ、1年時の3倍から4倍の文章量を読んでいる。通常は2年で1年の2倍程度、3年で3倍程度だ。

問題は現代文で、これはまともに教えられる教員がほとんどいない。それはそうなのだ。彼らは「近代」と「ポストモダン」と「現代」の思想史的区別も知らないで、「現代」文を教えようとしている。現在の大学入試の「現代文」は「現代を論じた文章」が圧倒的で、女子大か文学部にでもいかない限り「文学」は出題されない。慶応などは「国語」ではなく「小論文」だが、大量の資料文を読まされる。その文章の多くは政治、経済、文化、社会に関する評論である。

今年度、教え子の新人のTTでついたのは、自分の後継を作って欲しいという思惑も働いている。ただ、現代文は教師の個性が色濃く反映するので、これはうまくいかないだろう。こちらとしては、多少のアドバイスができれば、と思うだけだ。

まあ、そういうわけで今の立場で教えるのは「今年度限り」と自分では勝手に思っているのだが、実際にはどうなるか分からない。病気で非常勤もできない状況になるかもしれないし、生活の場自体を、どこかに移すということにもなるかもしれない。

この歳になれば、誰かに会っても、仕事をしても、試合に出ても、「これが最後」という気持ちが必要なんじゃないかな。





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最終更新日  2021.04.03 06:50:44
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