セミリアイア「晩年」日記

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2022.01.02
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カテゴリ: 随想


「子どもは現在を、若者は未来を、そして老人は過去を生きる」

2歳くらいまでの幼児にとって、時間は構造化されていず、現在がすべてである。それは、動物と同じで、3年の現代文で教えた教材に『猫は後悔するか』というのがあったが、「後悔」するには、過去にあった出来事が別の在り方でもあり得た、という可能性の論理空間を持たなければならず、それには時間が言語によって分節化していなければならない、したがって、そのような言語を持たない2歳の子どもも猫も「後悔」できない、という内容だった。

若者は、今ある自分から別の自分へと変わろうとする。それが、荒唐無稽な夢想だろうが、着実な将来設計だろうが、基本的に同じなのは今の自分を否定し、不安もあるが、将来の自分を信じている。彼は、「現在」ではなく、「未来」を生きている。

老人は過去を生きる、というのは、ベンチに座って、静かに思い出に耽っているイメージだが、実際は少し違う。昨日、お客さんが来てお茶や正月の口取りやオードブルを出したりするたびに、一枚の皿や、茶碗、盛り付けの仕方など、一つ一つに過去の記憶が絡みついているのだと気づいた。「過去」を生きるというのは、こういうことなのかな、と感じた。

それが、落としても割れないプラスチックのお椀や皿、外食産業が提供する形だけのお節料理、安手の正月飾りに変わってしまえば、そこに昔の記憶が甦る契機はなく、「思い出」を生きることはできなくなるだろう。「高齢者施設」に入居するというのは、そういうことなのかもしれない。

できることなら、いくら立派でもそういう施設には入らず、ここで健康に暮らし続けたいものだ。





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最終更新日  2022.01.02 06:38:38


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