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1Q84(いちきゅうはちよん)村上春樹の1Q84をとうとう手にした。気にはなっていたが、覚悟を決めて読書開始。(午前1時)気がつけば、午前4時30分。違う人生がパラレルに紡がれていく。題名に似合わず、意外とオーソドックスな構成だな・・・どうなんだろう・・・面白いのか?そうでないのか?よくわからない本だな。でも面白い。
2009/08/02
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癒しの音楽と読書ようやく自分のリズムを取り戻しつつあるこの頃。これを土台にさらなるステップを図ろうと必死。この数年、苦しいことだらけだった。色々な方々に迷惑かけてきたし、支援していただいてきた。建築家としての原点に立ち帰り取り組んできた事業も軌道に乗ろうとしている。しんどいばかりじゃ身が持たないとばかりに、たまの休み(ほどんどなし)の束の間に聞く音楽と読書が私のリフレッシュの手段となっている。現在、4冊を併読。理由は簡単。仕事の時は仕事に夢中になればよい。ふと我にかえる瞬間、色々なことが去来する。そんなとき、文字の列をぶち込む。30秒読むと文章に引き込まれてしまう性分なので、2~3小節の文章を読んだら本をチェンジ。頭は決してこんがらがらない。この前、教育委員会の方にいただいたお堅い本も併読。柔らかい本、人生本。専門分野の本。もちろん建築の本。直木賞や芥川賞ものは必読。などなど、とにかく頭をひまにしないだけ。ユーチューブの音楽をイヤホンで聴きながら本を読むと最高に幸せ。特に以下の2曲は必聴。 川井郁子 黄昏のワルツ 寺井尚子 何ていう曲かな? これらの曲を聴いていると、この時代に生まれてきて、芸術にふれることができたことは幸せなんだな~・・・としみじみ思える。きっと、何がどうあろうと今が幸せなんだ!とそう思える瞬間。きっとそうに違いない。
2009/08/01
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豪雨の中のウオーキング県外物件も増えて松江を離れることも多くなってきた。それに、物件も重なり、打ち合わせ・プレゼン作業も目白押し、そんなこんなでいつの間にか時を過ごしていた。一方、地域振興プロジェクトも次の段階を迎え、マスコミで紹介されることが多くなるなど、以前の閑散とした状況からわが身の環境が様変わりしつつある。ありがたいことだ。などということから、いつの間にか運動不足ぎみ。ということで久々のウオーキング。しかし今日の松江はとんでもない豪雨。でもしかし、豪雨の松江を歩くのもいいかなと思い、ウオーキング開始。やはり宍道湖畔はすごい状況だった。夕日スポットから宍道湖大橋方面を見ると、普段なら地蔵のバックに松江の景観があるのだが、地蔵の向こうは霧が立ちこめ、誠に幻想的な風景であった。携帯電話のカメラで撮ろうと思ったのが大間違い。携帯が雨にぬれて、1日経った今でも誤作動状態となっている。普段は絶対というほど行かない街を歩いてみた。約3時間あまりの市内散歩。おかげで普段の運動不足はすっかり解消された。道路が冠水しているところがあったり、あるれそうな小川にロープが張られ警官が警戒していたり、化学消防車が出動していたりと、色々な場面に遭遇した。なにはともあれ、歩いて、歩いて・・・頭がナチュラルに。運動の目的は、運動不足ではなく、頭のレイフレッシュだったことに気づいた。
2009/07/20
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宍道湖の夕景 パート2もう一つの夕景。夕日 嫁が島夕日スポットから夕日を望む。寺井尚子の穏やかなバイオリンが聞こえてきたら申し分なし。時には感傷に浸る時もある。こんな時があってこその人生か・・・
2009/07/07
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宍道湖の夕景美術館に面した湖畔。ここには気を休めたくなる時に訪れる。宍道湖の夕景はとても美しい。水辺は私の一時の清涼剤。正直、辛いときにここにたたずむと救われた気がする。いつか、ゆったりと眺められる時がくるだろう。
2009/07/06
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職人とつくる住まい物心ついたとき、私の周りは職人だらけだった。職人こそものづくりの本質だ。職人を知らない人はかわいそうだ。私は職人を知っている。職人が本物をつくってくれる唯一の存在。クライアントも設計者も施工者も、そのことをわかってほしい。国屋町の住まい 建前坂本町の住まい 建前田和山の皮膚科クリニック 完成時 集合写真職人 バンザイ!
2009/07/05
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日経アーキテクチュア(この日記は自分史として書き始めた。ついくじけそうになるとき、日経アー キテクチュアで紹介されたことが励みになる。この取材がきっとターニング ポイントだったに違いない。今日までよくがんばってきた・・・明日からも)取材の申し出はある日突然やってきた。まさか私が取材の対象となることなど想像もしていなかった。この取材以来、相前後して、NHKで紹介されたり、北海道小樽市から設計依頼があったりと、このころは何かがてんこ盛り状態であったな。どちらかというと失意の中で建築家の道を歩みだし、失うものは何もない中で、どうせなら、崇高な理念をいだく建築家になるんだ!と心に誓ったあの日。それから数年後に訪れた取材だった。その後、栄枯盛衰を繰り返し、今、山陰両県にまたがる自治体をも巻き込んだ活動を興し進んでいる。私に与えられた人生とはどのようなものだろうか・・・と考えさせられるこの頃。日経アーキテクチュアを見るたびにその思いが繰り返される。
2009/07/03
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住まいづくりセミナー以前は、建築家の高橋修一さんが主宰しておられる「住まい塾」にあやかり、高橋さんの許可を得て松江で「住まい塾」を開催していた。ところが、○キスイハウスの代理人やらから内容証明郵便が届き、「住まい塾」が登録商標になっているので使用を差し控えるようにとのことで、残念ながら同名が使えなくなってしまった経緯がある。特定の商品を売るという行為ではなく、建築家として、一般の方々に、とにかく建築の知識を持っていただこうと思い善意で開催していたのだが、はなはだ心外で残念な思いをしたものだった。意欲を失いかけていた私に、友人・知人から温かい励ましや激励をいただき、一念発起、「皆さんが待っている!」という意識が再び芽生え、このたび、「住まいづくりセミナー」なる限りなく一般用語の名前で復活開催する運びとなった。写真は、以前のセミナーの模様を写したもの。内容は、決して特定の商品を売るためのものではなく、私が島根大学で授業を受け持ったときなどに話したことなど、あくまで、一般教養的な建築知識の修得の場にしていただきたいとの思いのみで開催していた。脅し文句的な内容証明郵便には正直参った。それまで、私の中で、好意的に見ていた○キスイハウスのイメージが変わってしまった。駅前の松江市の施設を借りて開催公民館を借りて開催製材会社(こびき屋)で、木の語り部(安達公一さん)から木の話を聞くセミナーを開催
2009/07/02
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建築作品【22 】 坂本の住まい外観はオーソドックスな建築となった。しっくい壁と板張りの外観。板は日に焼けてくるので、今では趣が少し違っているが、それでも、一般的な和風建築とは違う感覚の住まいとなった。内部は、空間に広がりがあり、プライバシーを保ちつつ、家族同士の触れ合いがある住まいとなった。
2009/07/01
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安藤忠雄氏に教えられたこと初めてお会いしたのはもう34年前のことになってしまった。月日が経つのは早いものだとつくづく思うこのごろ。「今見えているもの、今している仕事のその向こう側にあるものを 見つめるんだ」この言葉を投げかけられたときの衝撃はいまだに忘れることができない。あれから30年以上の時が経った。安藤は世界の安藤になった。しかし会ってみると少しも昔と変わらない。「がんばらなあかんで!」 「はい!」昔にタイムスリップ 「段取りはええか?」「はい、大丈夫です!」ん?・・いや大丈夫!昔からそうだが、安藤が現れると空気が一変する。「○○君、ちょっと来て」やさしく呼ばれ・・・「どないなってるん?」「先生のご指示の通りにつくりました」・・・「これはあかんわ!こんなこというたか?それにしてもあかんことわかるやろ!おまえはロボットか!」スタッフに対する言葉でも、まるで自分が言われているように全員が感じていた。今でも背中に汗が流れる。
2009/06/27
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松江市の夕日まるで空が木星の表面のように輝いていた。
2009/06/26
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建築作品【21 】 商店街の授産施設この建築は、松江市内の商店街に建つ精神障害者社会復帰授産施設だ。この施設の設置をめぐり、町内会や商店会などで協議がなされたが、快く受け入れられた。1階は、自然食を取り入れたレストランとパン工房。2階は、多目的スペースとなっており、私も、産学官交流会をここを会場に行った。今はすっかり街の風景に溶け込んでいる。事業には必ずコンセプトがある。思いがある。その事業を取り巻く環境がある。それに加え、立地する環境、住民の思いなどを合わせ、全国でもまれな事業といえると思う。この商店街は、毎月25日が天神市の日となっている。この施設からもパンやお菓子、惣菜類が並べられている。
2009/06/24
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建築作品【20 】 古曽志の住まい2世帯・・・(3世代)住宅として建てられた。一畑電鉄の沿線の踏切に接した3叉路に位置し、地域のランドマークとなる建築となった。お孫さんもふくめた3世代の話し合いは1年以上にわたり、ご一家のその姿勢は私の中で深い思い出となっている。真剣に、時には言い合いながら進められた話し合い。これこそ本音のぶつかり合い。きっと素晴らしい住まいができることだろうと思っていたものだった。変則な敷地に計画されたが、この敷地でないと絶対に出ないであろうデザイン。ご一家にふさわしい住まいができた。
2009/06/23
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建築作品【19 】 春日の住まいボックス型の住まい。外部はメタリックな感じだが、内部はウッディー。この住まいを訪れた方は一様に驚かれるという。面積は大きくないのに、内部の空間はとても広がりがある。この住まいも、親子と共同しての思い出深い設計作業となった。
2009/06/22
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建築作品【18 】 小樽市指定歴史的建造物第4号小樽市にある遠藤又兵衛邸は小樽市指定歴史的建造物に指定されている。松江の築百年の商家リニューアルがNHKで紹介され、それがきっかけで遠藤又兵衛邸のリニューアル設計の依頼がきた。約1年半にわたり小樽へ通った。この建築は、日本建築学会の評定建築に指定されている。リニューアルのコンセプトをめぐり小樽市当局と話し合いを行い、私の概念を認めていただいた。
2009/06/21
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建築作品【17 】 築百年の商家 リニューアル松江市和多見町の商家(元 醤油店)現在は専用住宅となっているが、それこそ老舗の由緒ある醤油店だった。一角には、醤油を製造していた場所があり、酵母の気配ととすすけた梁が往時を思い起こさせてくれた。建築家としては、単なるリニューアルはできない。コンセプトを見出すまでに数か月を要した。ニュ-ヨーク マンハッタンで仕事をされてきたクライアント(施主)氏も、単なるリニューアルではなく、意味あるものにしていきたいとの姿勢がうかがえた。ほとんどの提案を受け入れてくださり建物は完成した。この建築が完成したときNHKが番組で紹介してくれた。松江市長をはじめ、約400名あまりの方々が見学に訪れた。恐るべしメディア!見学者の多さに驚いたものだった。
2009/06/19
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建築作品【16 】 戸建型コーポラティブハウス プロジェクト住宅団地は、一戸あたりの敷地面積が大きいと売りにくいと聞く。ある自治体の開発した団地が売れなくて相談が舞い込んだ。10戸に区画してある敷地を統合し、12~15戸の住宅をランダムに並べ、共有の庭をつくることによって、広い敷地に住んでいるごとくにできるというプロジェクト。ここに住む住民が親しくなければできないプロジェクトだ。したがって、まず住まい手ありき。全体をコーポラティブハウスと考え、住民がそろってから計画をすすめるという企画を提案した。市長はOKだったが、役所のどこかで腰砕けになってしまった。役所の論理はこのころから理解不能となった。数年前のプロジェクトだが、この時期から、公共事業にかかわることをやめ、民間一本でいくことを決めた。
2009/06/19
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建築作品【15 】 荘原の住まい斐川平野にたたずむ築地松に囲まれた住まい。築100年以上は立つであろう古民家。幾たびの増改築が繰り返された建物は、その時折の棟梁の技が交錯する。偶然にも梁が幾何学的に組み合わされていた。新築ではとてもそのような梁組にはならないだろう。その梁組をこの家の歴史ととらえ、すべて表しにした。そこにえもいえぬ空間が出現した。
2009/06/18
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建築作品【14 】 横浜の住まい横浜といっても松江市横浜町。この界隈(かいわい)は、昭和30年代いや、昭和20年代当時の面影がのこる町。表面的に街並みに合わせることはできない。ならば、概念としての町の要素を取り入れることにした。外壁の材料は金属板にしたが、色彩をこの町に合うように決めた。写真で見ると町の風情から浮いているように思われるかもしれないが、現地に行ってみると、見事に調和している。3階建ての建物で、3階にリビングがあり、島根県立美術館のウエーブの金属屋根越しに、松江の風物詩である花火を見ることができる。
2009/06/16
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建築作品【13】 高層集合住宅プロジェクト一所帯あたり40坪、バルコニーを入れたら50坪を超える専有面積の高層集合住宅。このプロジェクトは、デベロッパー(販売業者)がいないプロジェクト。住まい手が共同して建設する方式。(コーポラティブハウス)デベロッパーの販売費がいらないため、とても安く作ることができる。デベロッパーの30坪タイプの販売価格で50坪の集合住宅が手に入る。このくらいの広さを確保できれば、一戸建てと比較してもひけをとらなくなる。おまけに土地代が持ち分割合の所有となるため、土地購入費が格段に安くなるため、同じ面積の一戸建て住宅とくらべ相対的に安くなる。一方で、コーポラティブハウスが高層でよいのか?という意見もあった。低層は低層でもちろん素晴らしい。しかし、高層もそれはそれのコンセプトがある。現に、狭小の分譲マンション群で覆い尽くされている社会の現状があたり前だと思われているところへ、広くてゆとりのある集合住宅も、容易に企画できることを知っていただくだけでも視野が広がるだろう。分譲マンションがなぜ狭いのか・・・それは、デベロッパーの宣伝広告費や経費・利益が必要だからだ。住まい手が協同組合をつくり、土地を共同で購入し、設計と施工を依頼する。そうすれば、いかなる経費も必要としない。デベロッパーの最終目的 ・・・ 販売利益住まい手の最終目的・・・・・・ よりよき住まいの実現19所帯の住まい手がその気になれば、この集合住宅は実現する
2009/06/15
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建築作品【12】 比津の住まい『外部から視線を視線を遮断し、かつ、開放的な内部空間をつくる』クライアントから与えられたテーマを顕実化した建築。周囲を建物に囲まれた敷地の場合に光庭を設ける場合があるが、この住まいの敷地は敷地の面積にも周囲の道路にも余裕のある住宅地。クライアントが求めるテーマに到達したとき、私の既成概念が消えた。外部に対し開放的にするということは、内部の様子を見られるということ。そのような住まいは、大半が、カーテンを閉めっぱなしにしている。とにかく開けっ放しで開放的にしたいという希望だった。開放的とは、外部に対して開放することだと思い込んでいたが、内部に開放的にすることの意義を改めて明確に意識することができた思い出深い作品となった。 光庭からルーフバルコニーへ上がる階段 ルーフバルコー ルーフバルコニー
2009/06/14
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建築作品【11】 田和山の調剤薬局田和山の皮膚科と一緒に計画された建築。コンセプトは、【田和山メディカルスクエア】杉板とガルバリウム鋼板の外壁と、内部に吹き抜けの空間。モニュメントがある吹き抜け空間は、2階ギャラリーの床と手すり壁をFRPのグレーチングを使用した。夜は、幻想的な空間となる。
2009/06/12
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建築作品【10】 ワイナリープロジェクトある醸造家の夢の実現のイメージをプレゼンテーションした作品。もちろん、建築の前に、醸造家の思いや理念がある彼は今、その夢の実現に向け、ひたすら進んでいる。------------------------------------------------------------------- 小村和也の住まいづくりセミナー 7月に住まいづくりセミナーを行います ご参加ください------------------------------------------------------------------- 山陰職人の会 山陰職人の会ホームページ-------------------------------------------------------------------
2009/06/12
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建築作品【9】 1980年ごろの作品およそ30年前に設計した建築。ケーキショップとカー用品店。25歳ごろに設計し、それぞれに思い出深い建築だ。ケーキショップは小さな建物だが、その建築面積とは違い、ずいぶん大きく見える。建物をキュービックな感じにしたいと思い、角の外装を特別加工し取り付けた。これにより、立体的な積み木を積み上げたような感じになった。カー用品店は、当時よく見られたテクノっぽい建物にしたかった。丸い鉄骨を使い骨組みを構成した。------------------------------------------------------------------- 小村和也の住まいづくりセミナー 7月に住まいづくりセミナーを行います ご参加ください------------------------------------------------------------------- 山陰職人の会 山陰職人の会ホームページ-------------------------------------------------------------------
2009/06/11
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南平台のコーポラティブハウス南平台の集合住宅計画を進める中で、コーポラティブハウスの計画が浮上してきた。宍道湖の景観を取り入れた建築は、その実現を求める声を多くかけていただくものとなった。もちろん、現在も計画進行中だが、途中で地主の都合で進めることが難しくなったりしていたが、時を経て、再び、実現に向けて動ける状態となってきた。8世帯のコーポラティブハウス。デベロッパー(販売事業者)がいない、住まい手が組合をつくり協力して集合住宅をつくるというもの。松江随一の景観の地に住みたい方はお申し出いただきたい。------------------------------------------------------------------- 小村和也の住まいづくりセミナー 7月に住まいづくりセミナーを行います ご参加ください------------------------------------------------------------------- 山陰職人の会 山陰職人の会ホームページ-------------------------------------------------------------------
2009/06/10
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建築作品【7】 南平台の集合住宅宍道湖を見下ろす斜面に計画した集合住宅。後に計画案は変化していくが、これはたたき台となる計画案。安藤忠雄設計の六甲集合住宅の概念を私なりに南平台に埋め込むとどうなるのか計画してみた案だ。私の中では、十分に実現可能の案となった。実際に実現しなくても、計画段階のシミュレーションは、実施案の作業となんら変わることはない。
2009/06/08
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建築作品【6】 檜山の集合住宅このプロジェクトは実現しなかった。NT○ファシリティーズに計画案を見せたところ、「ジョイントしないか」と持ちかけられた。断ったのだが、承諾していれば実現したかもしれない。山の上の松江市を一望できる地に集合住宅を計画。実現していたら、よきコミュニティができていたに違いない。極力、造成を避け、自然の形状を生かして計画した。 配置・平面 計画 アクソノメトリック 模型写真1 模型写真2
2009/06/08
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建築作品【5】 幸町の集合住宅設計したのは25歳。・・・31年前?? え~そんなに経ったのか。○○金融公庫の基準が厳しく、室内日照を満たすためサフィックスをX軸とY軸をそれぞれ45°振った。それにより、階段と階段の間にアルコーブが生まれた。それにしても力のある設計だな・・・25歳の私に、感心、感心。 計画案 模型 アルコーブと吹き抜け第2期が計画されたが、残念ながら実現しなかった建てられていたら、1期と2期で面白い界隈(かいわい)になっていたことだろう。 2期計画案 2期模型
2009/06/07
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建築作品【4】 学園の住まい昭和62年に建設した自邸。(現在は所有していない)安藤忠雄が建築学会賞を受賞した『住吉の長屋』のディテールをそのまま採用した。よく考えられたディテールだな~と関心しきりだった。コンクリート建築の厳しさと優しさと価値観を体感できた10年。この体験は、現在の建築家としての私に、大いなる自信と勇気を与えてくれるものとなった。この住まいは、夫婦と子供2人を想定して建てたが、6人家族となってリタイア。現在は木造住宅に住んでいるが、子供たちは今でも、このコンクリート住宅で暮らした日々が忘れられないという。もちろん私も・・・いつかまた、コンクリート打放し住宅に住むことを夢見ている。
2009/06/06
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建築作品【3】 田和山の皮膚科クリニックこの建築に求められたのは環境であった。皮膚科クリニックということで、特に、上履きで皮膚病がうつるということがあってはならないということで、開業医では珍しく下足のままで院内を歩くことになった。靴の汚れをいかに取って入っていただくか、これがポイントとなったが、玄関をギャラリーとすることで歩く距離を違和感なく長くすることができた。室内の壁に桐板(きりいた)を張ることにより調湿の環境をつくることができた。さながらタンスの中の状態だ。乾燥しすぎず、適度な乾燥状態を保つことができる。冬は、床暖房も相まってとても心地よい空間だ。
2009/06/06
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建築作品【2】 浜乃木の家台形の狭少地に計画した住宅。室内に十分な光を確保するため、トップライトを設けるとともに、南側の壁は、1~2階をアトリウムにした壁を建具とした。真中にアトリウムを設置したことで、狭小住宅でありながら、とても広い空間性が感じられる住まいとなった。
2009/06/05
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建築作品【1】 国屋の家いよいよ10万アクセスを超えるところとなったが、しかし考えてみれば建築家でありながら、設計作品について、ほとんど掲載したことがない。この日記が自分史であるならば、当然に設計した作品について記録しなければならないだろう。この機会に記すこととした。作品のはじめは、独立して初めて手掛けた国屋(くや)の住宅。今は、住宅団地の屋並みに飲み込まれ、ファサードが見れなくなってしまったが、思い出深い作品だ。
2009/06/04
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いよいよ10万アクセス!2003年12月26日に建築家日記(1)を書き始めて5年と6か月。最近はたまにしか書かないが、日記というより自分史として書き始めた。公開で書き記していくので、差しさわりのないことしか書けないが、それにしても、あの時はこうだったな・・・と思えるような月日の重なりが見れるようになってきた。その分歳をとったということでもあるのだが。この日記をアップすれば、本日のうちに10万アクセスは超えるだろう。どなたが踏んでいただくのか。石の上にも3年というが、石の上に座っただけでは何の意味もないが、それでも3年も座っていれば意味合いが出てくる・・・、いや、石の上に3年も座っているのだから何かがあるのかもしれないという、他人さまの錯覚をひたすら待つ・・・ということか。評価とは、人様からいただくもの、人様の思い込みや錯覚が、その本質になる。すべて概念。思い込み。しかし、それはとても大切なもの。建築家日記が10万アクセスになろうとしている。きっと何かの意味があるのだろう・・・という錯覚をいただければ本望。これからも、少しずつではあるが、自分史を記していこう。60歳まであと4年。安藤先生いわく、50歳代は、建築家としては、はな垂れ小僧。70歳からが本番!だそうな。私の人生の本番はやっとこれからピークに差し掛かろうとしている。そのアプローチを歩んでいる。定年という人生からの離脱がなくて幸い。生涯現役でいきますよ~!安藤先生に言われたごとく、日々の基礎体力の増進は欠かしたことがない。洋服をきているとわからないが、裸になると筋肉隆々の私。70歳になっても、20代の若者にも負けない腕っ節を維持していくぞ~!同年輩は歳とって引退・離脱。私は体力気力を維持し続け、なおかつ読書しまくり。歳とっても現役ばりばり。(ガンバルゾ!)10万アクセスを超えて、やっと、これからが本番。
2009/06/04
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地域振興プロジェクト昨年8月から手掛けている地域振興プロジェクトは、図らずも山陰両県に広がり、紙面は1万部発行となった。現在、20万部をめざし事業を遂行しているが、当初予定していた目標は次々と達成している。来月(6月)には、地域振興特集の第一弾が発行となる。今後、定期的に特集を組むことになるだろう。第一弾は、『隠岐の島特集』だ。このプロジェクトを、『地域振興におけるイノベーションそのもの』と評していただいた。そのわけを理論的に解き明かしていただいたのだが、まさしく偶然にも、あるいは、本能の望むままに行ってきたことが、知らず知らずのうちに、イノベーションの広義に合致していたらしい。確かに、部分の修復ではない。全体の理念の再構築からはじまり、部分へとつながっていく。私は建築家であるがゆえに、意味のない設計は進めることができない!という思考回路なので、地域を活性化しようとする事柄が、単なるお祭りを企画するというのでは、私の仕事ではなくなる。地域(すべての人)が心ひとつになるには?・・・・キーワードまさに、今進めている地域振興プロジェクトは、山陰全体が土俵となっており、その中の各地域を見据えていくというシチュエーションは、まさに私にとって、建築家的取り組みであり、大建築を創り上げるのと何らかわらない。やりがいのある仕事だ。職人も、知事も、医師も、県職員も、農業者も、画家も、教員も、・・・すべての職業人が、等しく平等に扱われる世界。これが実現した。しかも、未来の職人(職業人)として、高校生も参加する世界。夢のような世界が実現した。 アート(芸術)の創造にほかならない。ようわからん!という人がいるが、『大丈夫、理念は私の心の中で認識できていればよいことなので、あなたが意識される必要はありませんよ』それにしても、マスコミでも紹介されるようになり、自治体での活動も始まった。そして地域の人々が求めていただけるようになってきた。この1~2ヵ月以内には、学校のキャリア教育にも参加することになるだろう。『原点』を書き表したが、思わぬ反響があった。勧めもあり、英文の『原点』も出来上がった。いよいよ、地域がインターナショナルに発信されるときが近づいてきた。今までの出来事のように、私の想像を超えたリアクションがかえってくるかもしれない。人々の潜在的なる欲求と合致しているのであればそれは、ほどなく現実のものとなるだろう。---------------------------------------------------------------この社会は、芸術観と死生観を共有できたときユートピアが実現する
2009/05/26
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久々の書き込み 今日は鳥取市へ出かける。今はその道すがら。 鳥取県内にはやたらと風力発電の風車が多いな~。 島根と鳥取とは風景が随分違う。 最近は、私の建築家活動の中で、設計活動と共に、 『山陰職人の会』の取材・編集を行うことも、主要 な事業となってきた。 そしてその人の輪はオ-バハングしはじめた。 山陰両県にその活動の輪が広がっていく。 今日は雨滝まで足を延ばすことにした。『とうふ 工房雨滝』の豆腐たちに会いに行こう。
2009/05/08
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縦軸 横軸縦は時間軸、横は連携軸。「山陰職人の会」の活動は、職人(産学官の職業人)の連携の場。そこに、「未来の職人さん」コーナーを設けることになった。主に高校生のグループ活動を紹介する。この場は、大人と子供のコミュニケーションの場となる。3/18(水)新聞でこの活動が紹介されることとなった。昨年8月にはじめた活動が10万部発行をめざすものとなった。いずれ島根・鳥取の中学生と高校生6万人に毎月配布することとなる。大人の世界と子供の世界が融合する。
2009/03/14
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賛同の輪思わぬ賛同の輪が広がってきている。このような時勢なので、協力者を得ることは並大抵のことではない、といわれる方も多い。私もまったく同感だ。厳しい時代であることは百も承知している。しかしながら、絶対に失ってはいけないものがある。奇麗事ではない、といって社会モラルなど二の次だというのもいかがなものか。20世紀から今日まで、そのような言い訳でもってどれだけのものが失われてきたのか。苦しくても守らなければならないものはある。それらから眼をそむけてきたからこその今日の有様だ。次代を担う子どもたちは・・・高齢社会での高齢者のやりがいとは・・・このことを企業活動や社会活動と無縁と考えているとしたら、その法人の活動の明日はないのではないだろうか。少々大げさであり、傷だらけの天使?である私がなぜ手がけるのかといぶかしがる向きもあるかもしれない。しかし、今日の状況においてもだれもそのことに眼を向けず、働きかけることもない。社会は求めている。そう思い昨年の5月から行動開始。ひたすら社会貢献プリジェクトを組み立て、少しずつ実行。ある老練の経営者にプレゼン。大いに感じていただき、支援を申し入れていただいた。通じた!!!「私のこの事業は社会の役に立ちますか?」あえて聞いた。「今までになかったことが不思議なくらいだ。これはいいね~!」 (老練経営者)しばし合掌!「ありがとうございます。がんばります!」(私)新たな事業は孤独なものだ。こんなときに、感じ取っていただく方が現れることは勇気百倍だ。老練経営者は、10人くらいの支援の輪を作ろう、とも提案いただいた。思わぬ展開に涙がでそうだ。少しずつ賛同の我が広がっていくのを感じる。いつしか、私の身近な問題も解決していくことだろう。急がば廻れ。昨年2月に、「社会貢献しか救われる道はない!」と叱咤激励いただいた言葉が今でも忘れられない。いよいよ始まるぞ~!
2009/02/23
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公民館からの要望松江市内の公民館を訪れ、「山陰職人の会」誌について伺った。「2枚しか届かないので掲示板に張り出しているが、できれば町内の回覧ができるくらいの枚数がほしい」とのうれしいお言葉をいただいた。どういうわけか、ある町に伺ったときには、「以前回覧で廻ってきて見ました」とのこと。我ながら本誌のパワーを感じたものだった。島根・鳥取の全ての公民館に回覧でまわせるほどの枚数を提供するとなると数万枚必要になる。・・・何とかしますか!できない理由より、どうやったらできるかを考える、などと以前からセミナーで教わってきた。いまこそ本番。さ~どうしよう。ずばり財源があれば可能だ。財源確保の方法は?方法は百万通りある!とコンサルタントの先生が言っていた。なにより、私自身の中に、配りたい!お渡ししたい!という社会貢献欲がうごめいているので、それが、方法を導き出す原動力になる。なんとかなるさ。う~~ん・・・印刷代等々、必要経費をシミュレーション。月々の必要額が出た。どうやって調達するか・・・よい案が浮かんだ。どうやって出してもらうか。そのメリットは?・・・大丈夫、説得できそうだ。なんせ、島根・鳥取で数万枚が地域にわたるのだ。しかも回覧。枚数の何倍・・何十倍の家庭に渡り、さらに数名の家族が見る。数十万人の目に触れることになる。今こそ一緒に社会貢献を!協力いただいた方(あるいは企業)の名前が数十万人の目に触れることになる。なにより、地域がもとめているものを提供するのだ。一緒に社会貢献しましょう!これこそが使命。と説得を開始しよう!
2009/02/22
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社会貢献島根軍団 発進!少々大げさな言い方になったが、まさしくそのような状況となってきている。地域活性化や地域間交流、はたまた子どもたちへのキャリア教育、地域公民館における生涯学習の充実は全国的な命題となっている。それらの命題に応えられるものが「山陰職人の会」誌の配布である。と自負しながら、各方面よりそのような評価をいただくこととなり、地域での協力・支援体制ができつつある。このうねりは、他県へも波及することとなり、島根を拠点に広域へこの活動を展開していくこととなった。そこで、地域の有力な方々のお力添えをいただくこととなり、さながら地域貢献のための島根軍団の結成となる。建築家として、コミュニティの活性化は、都市理論においても大切な使命だ。政治や経済の世界などというものは、国の成り立ちの元でのあくまで手段であると私は捉えている。それらの手段は、根本的な社会基盤があって初めて成り立つものだろう。このことから言えば、例えば、法人(会社)というものは、日本がたまたま自由主義、資本主義の体制をとっているからでのことであり、もし仮に日本が共産主義国家ともなれば、たちまちに法人は国有化され、経営者の活動は今までどおりではなくなることが予想される。ことさらに政治や思想信条を語るつもりは毛頭ないが、ここで申し上げたいことの真意は、たとえどのような国の制度のもとであっても、社会の根本をなす普遍的基盤を常に見つめることこそが大切であるということだ。その普遍的なるものこそが、地域の一人一人の人間であることに私は気付いた。国がいかなる体制になったとしても、社会基盤の根本は、地域をつくり上げている個々人なのだ。一人一人の人間が大切なのだ。これを思想と捉えれば、「人間主義」とでも言い表せるかもしれない。とにかく人なのだ。一人一人が、地域の使命を担って活動している。その集合が地域をつくり上げているのだ。そこには官も民も学の隔てはない。それぞれが、たまたま自分にあった社会貢献の手段としての職業を選択し活動しているのだ。全ての職業が尊いのだ。これらの人々に焦点を当てたのが、この「山陰職人の会」誌だ。この誌面には、制度のしがらみや上位下位の隔てがない。全ての人は、社会貢献をしている仲間同士なのだ。だから誌面に「会」という言葉を付けた。このことを一人一人が明確に意識していただけたとしたら、社会におけるほんとうのコミュニティ意識が生まれるだろう。「山陰職人の会」誌に登場された方、読まれた方の心の中に確実にその輪は広がっている。これこそ、私が建築家として成し遂げたかった「コミュニティの創出」だ。それが今、このような手段で実現されることとなった。この活動を全国で展開していきたい。まずは山陰。そして中国地方へと広げていく。乗り越えなければいけない壁もあるだろう。それを我が島根軍団が一致団結して、各地域におけるよりよきコミュニティの創出に邁進するのだ。
2009/02/21
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「職人の会」の活動が広がる島根県・鳥取県のすべての学校と公民館へ私の作った紙面が配布されている。昨年の8月に発刊したところ、島根県の溝口知事の目に留まり、ランチミーティングに招かれた。記事で紹介した方々と知事室に押しかけ昼食を取りながら懇談した。その席上で、学校でのキャリア教育と、公民館での生涯学習の資料に活用したいということになり、昨年10月から島根県教育庁を通じて配布が始まった。このブログでは詳細を書くことができないが、「まつえSNSへ参加いただければ詳細が分かります。現在までに第5号まで発刊しているが、第6号から、島根・鳥取両県での配布となる。創刊当時はまったく想像もしていなかったが、地域全体の大きなうねりとなってきている。4月からは、県の予算も付いて、誌面に登場した職人(職業人)の方々と各学校の交流が始まる。社会貢献活動が立ち上がった。ある人が、「社会貢献マネージメント」と名づけてくれた。私の建築家としての理念がこうして顕在化した活動となった。
2009/02/19
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島根プロバスケットボールチーム本日は、島根県でプロバスケットチーム設立をめざし、東京より単身赴任でいらしている宮下さんとお会いした。私の建築家機関紙で紹介するための取材だったのだが、その根本理念をお聞きし心躍るひと時だった。こうなれば、機関紙で大々的に紹介するぞ。志を高く持ち、その実現をめざすにはとてつもないパワーが必要だが、バックアップしている事業体はただものではなかった。島根はバスケット王国だった。いや現在でもそうだ。ミニバスケの発祥の地は松江市でることを教えていただいた。スポーツマネージメントなる事業は、これからの日本をまさしく活性化していくことだろう。それは地域振興であり、観光振興であり、地域のよさを広報する活動でもある。私が成し遂げようとしている事業と相通ずるところが多かった。手段が違うだけで、目的は同じだろう。島根県あげての応援が始まった。ている
2009/02/17
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社会貢献事業 趣意書すでに動いている社会貢献事業のさらなる飛躍を期して、ホームページの開設と、支援していただく企業を募るための趣意書が完成し、早速呼びかけ開始。今日は銀行と企業2社を廻ったが、よい反応をいただいた。いよいよ起死回生の逆転満塁ホームラン!絶望の淵に立ったとき、はまむらさんがおっしゃった「これからは社会貢献をしている企業でないと生き残れませんよ」とおっしゃっていただいて1年。現在取り組んでいる事業を開始して約6ヶ月。僅かな期間に山陰両県に広がった。そしてホームページ開設。支援企業を募って、さらに拡大していくところとなった。みんなで社会貢献ができる。まさか、このようなときを迎えることができるとは、一年前には想像もできなかった。もしかしたら私の人生はラッキーな人生かもしれないな。実にありがたい。振り返り考えれば、良いことだらけだ。それが一つに紡がれて大きなものとなった。建築家としての本番だ。
2009/02/02
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もうすぐ節分2月3日は節分。仏教では新しい1年のスタートの日だそうだ。確かに、振り返ってみても、1月1日ではなく節分を節目として色々なことが変化していることに気付く。あくまで私個人の人生においてだが。それにしても昨年の節分から今日までとにかく散々であった。とはいうものの、これからの人生において大切な新たなものが生まれたことも事実。ということは、決して悪い1年でもなかったということ。来週の節分からの活動が活発になることがわかっているが、それが節分から新たな変化が始まるという理(ことわり)に符合するところが実に不思議だ。出会いもそうだし状況もそうだ。とにかくこの組み合わせでないと物事が成就しないという状況がこの節分をめがけて成就していくさまを体感させられていることに、スピリチュアルな何かを感じざるをえない。以前の私は、見えない何かがあると言われてもどこかで信じていない自分であった。しかし、かれこれ35年前にスピリチュアルな体験をしてしまってからは、私たち生身の人間がいる世界と、眼には見えない世界が共存していることを知った。このことをつい忘れてしまっているのだが、念ずれば通ず、決して見えない何かに頼るのではなく、誰からあるいは何かが見守ってくださっていると自覚し、様々なサインに対して、確固たる確信をいだき決してへこたれることなく進んでいくことこそが、見守って下さっている誰かや何かの思いに対して報いていくことであるとの思いを強くしている。不幸だと思ってきたこの一年。試練の一年だと思ってきたのだが、節分を前に、私の建築家としての人生に新たなステージが与えられた。私が感じてきた試練や悩みは、実は新たなステージを生み出すために必用なことであったことが感じられる。この一年沢山の方々にご心配やご迷惑をおかけしてきた。改めて、その方々が、私の新たなステージを生み出すために欠くことのできない方々であったことがいまさらながらに感じられる。私が怒りを抱いた方、私に苦情を言われた方、その方々の全てが、新たな私のステージが作られるにあたって必要な方々だったのだ。大いなるものによって絶えず前向きな何かが与えられ続けている。それは私にとって都合のよい形であったり都合の悪い形であったり。でも、それは結果として、常に前向きな何かの結末に向かっている。今私は、大いなる使命を感じている。求められている。救いようのない状況だと思ってきたのが、まったく逆だった。これはすごいことだ。私が生まれてくることにおいて与えられてきた使命を自覚し、今こそ実践本番。
2009/01/31
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雪で足止め 昨日の安藤先生の講演会&シンポジウムへは結局1時間 遅れて到着した。安藤先生も遅れたらしく、30分 進行がずれていた。 講演も、安藤先生と平井鳥取県知事との対談もとても よい内容だった。おかげで久々に安藤節に浸ることができた。 最後のサイン会が終わってようやくお会いできたの だが、午後7時30分にはどうしても大阪にいなければ ならないということであせっておられ話ができる 状態ではなかった。 安藤先生の乗られた智頭急行は、結局1時間以上遅 れて出発した。ダイヤが大幅に乱れていたので 恐らく希望の時刻には着いてないだろう。 私のほうは、鳥取駅から松江駅に向かっての電車 がすべて運休となり鳥取市に泊まることとなった。 お陰で二人の方と杯を傾けながら語らうことができた。 今朝も大幅にダイヤが遅れていて、始発の特急が2時間 近く遅れてようやく出発。 今日は息子の成人式。遅くとも昼過ぎには帰り着 きたいものだ。
2009/01/11
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鳥取市へ 安藤忠雄氏と再会できるのは3年ぶりとなる。 今日はあいにくの雪模様。今はまだ電車の中だ。 山陰の雪は、松江市より東の米子市が多い。 さらに東の鳥取市はもっと多い。ということで、 車を避け電車で向かったが、すでに約1時間遅れ。 さて何時に着くのやら。再会が果たせのやら。 それより、安藤先生が無事に会場に着かれたのだ ろうか?むしろそれが気掛かりだ。大阪から智頭 急行でぎりぎりの到着だと聞いている。西から鳥取市 に向かってこうだから、大阪からでも大幅に遅れ ているにちがいない。 いやいや、抜かりのない安藤先生のこと。きっと 遅れを見越してさらに早い便で鳥取市に向かわれ たのにちがいない。 と思い巡らせながら、はやる気持ちをなだめながら 鳥取駅への到着を待っている。
2009/01/10
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安藤忠雄シンポジウム鳥取大学の教授から、「企業の環境貢献と森林づくりシンポジウム」のチラシが送られてきた。 ●日時 平成21年1月10日(土)13:20~16:00 ●基調講演 建築家 安藤忠雄 氏 「企業と行政、県民が連携する・街づくり・森林づくり」 ●対談 安藤忠雄氏と平井鳥取県知事による公開対談 ●定員 500名 参加費無料 ●会場 鳥取県民ふれあい会館(鳥取市扇町21番地)久々にお会いしたいものだ。もし可能ならば楽屋までご挨拶に行きたい。久々にエネルギーをいただくとしますか。以前松江に安藤先生にお越しいただいたが、いずれふただびお越しいただきたいと思っている。以前は、「地域の明日のコミュニティを考える会」という産学官連携交流会が主催したが、今度は「山陰職人の会」でお呼びできればと思っている。 夢は必ずかなう。
2009/01/06
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新たな年を迎え、ただただ出会いに感謝思い返せばたくさんの方々の支えをいただいてここまでくることができた。そして新たな出会いの連続。ただただ感謝。ありがとうございます。こうして建築家として活動できることが幸せだ。なんの不足があるものか。日々起きること全てが建築家として活動していることの証だ。都合がよいと思えることも悪いと思えることも両方とも大切なできごと。自分の選んだ道。過去にあった大きな出来事でさえも今日にいたる大切な出来事であったと思える今が幸せなのだ。日々起きることの全てが、将来、あれがあったから今日がある。とそう思えるときがくるのだろう。全てを素直に受け入れる。ただ感謝あるのみ。これからも沢山の人たちと出会えることだろう。今まで出会った方々の恩に報いるためにも、日々の出会いを大切にしていこう。
2009/01/01
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新たなステージ今年一年を振り返るとき、これだけ壮絶でドラマチックな年はそうない。世間一般社会のできごとのことではない。私自身のできごとがそうであった。今年はじめ、今までのステージがもろくも崩れ去ってしまった。どうしてよいか分からない状況の中で見えてきたものは。ハマムラさんがいつも言っておられる「すべての物事の根本にあるのは『社会貢献』です」ということであった。それ以来、今日まで、ひたすら社会貢献。その一つが「山陰職人の会」誌の発刊であった。「山陰職人の会」誌は、10月から島根県全県の学校と公民館へ、年明けの1月からは鳥取県の学校へも配布いただくこととなった。今年はじめは、どうしていくのか迷う状態だったのが、約10ヶ月を経て、建築家としての方向性が明確になった。地域振興、地域活性化、コミュニティの創造・・・全ての答えが『人』であることに行き着いた。地域のよさを広めることはそこにいる『人』を広めればよいのだ。建築家として取り組むべきこと・・建築家だから取り組めること・・・ようやく建築家としての理念とスタンスと、それを実現する実践が明らかとなった。苦しさの中で惑う中で真実に行き着くことができたことは、私にとっては軌跡的といってよい。そんな中で、さらに、数々のプロジェクトが誕生した。大きく4つのプロジェクトに取り組んでいる。来年は、それらのプロジェクトが一斉に花開くだろう。スタッフには随分苦労をかけてしまった。一緒に乗り越えてくれた。この事務所はみんなのものだ。一緒に社会貢献できることが幸せなことだ。さ~!いよいよ建築家の人生の本番だ~!
2008/12/28
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建築家活動このところ「山陰職人の会」の取材や発刊、さらにそこから派生する様々な事柄に取り組んでいる。さらに、建築家としての本業の部分で県外物件が増えてきたので松江を離れることが多い。随分つらいこともあったが、このところは実に充実した毎日だ。「山陰職人の会」の活動はさながらボーダーレスの世界なのでどこのどなたにも働きかけることができる。そういうことから建築家としての意義の部分での活動ができている。産官学の方々にもボーダーレス状態だ。職人を「職業人」と解釈し、どなたであろうと「職人」として接する。お医者さんや大学教授、救急救命士の方も「職人」? といぶかしがる向きもあるやなしや。そんなことはお構いなしに第5号の取材も順調に進んでいる。本業の設計でも新境地が開かれようとしている。イノベーションだ。「思いっきりの社会貢献。」これが私の欲の正体。
2008/12/01
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『山陰職人の会』誌 第4号本誌が第4号が完成した。インターネット配信は11/13、印刷版配布は11/20の予定だ。8月に創刊から毎月発刊し第4号となった。第3号(10月)から島根県庁を通じ、島根県全域の小学校・中学校・養護学校・高等学校ならびに各地域の公民館に配布いただくこととなった。これだけの反響をいただくとは夢にも思わなかった。それだけ地域の思いは深い。潜在的な地域活性化の思いは大きい。現在、印刷版5,500部、インターネット配信約1,000軒。さらに増えていくだろう。地域活性化に向けて発信!
2008/11/10
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