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2017.01.21
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カテゴリ: 探訪 [再録]
 [探訪時期 2015年2月]

宇治に戻り、折々に行った探訪のつづきを再録して、ご紹介します。

源氏物語ミュージアムの企画展「モノが語る平安時代」を見たときに、 善法古墓からの出土品 が展示されていました。展示品は平安時代末期の和鏡と白磁の皿と合子、白磁(青白磁)の皿で、これらの白磁は輸入磁器とのことでした。これらは偶然に発見されたようです。その後の発掘調査範囲では、近世のものが少し出土したに留まるようです (資料1,2) 。企画展を見た後、善法がどのあたりかを教えていただいたので、2015年2月の中旬に市役所に用事で出かけた後、大凡の見当で歩いてみました。 発掘場所などは市道・住宅地等になっています。当初はどのあたりでの出土かという感じだけ知りたかったのです。そこからこんな探訪に進展しました。
善法・妙楽周辺の地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

その時にこの地域で見つけたのが「善法寺」(浄土宗)です。 所在地は妙楽211になります。境内の一部だけですが少し拝見しました。後で調べてみると、明治時代はこのあたりを「京都府下山城国久世郡宇治町」と称していたことがわかります。「妙楽211」というのはそのままです。 (資料3)

ちょっとした高台にお寺と墓地があり、少しですが坂道を登ります。門前への途中に参詣者専用駐車場があり、その一隅に駐車場と縁のなさそうな石碑が見えます。興味本位で近づいてみました。

その石碑は、 「宇治高等技芸学校・宇治高等専修学校 創立之地」 を記念するものでした。


この沿革記によれば、戦後の1946年に川田夫妻がこの地に 宇治洋裁女学院 を設立したとか。その学校を母体に、1965年に 宇治高等学校を擁する学校法人宇治学園 として、発展していったようです。1994年には、 学校法人立命館との法人合併が実施され、立命館宇治高等学校が設立されて、現在に至る のです。
宇治高校が京阪電車宇治線の三室戸駅に近いところにあったのは知っていましたが、その母体となったのが、この地だとは知りませんでした。宇治高等専修学校は2005年頃までに廃校になったとか。 (資料4)

現在の立命館宇治高校は、山城総合運動公園太陽が丘の南西隣り(広野町八軒屋谷)に校舎があります。


山門の少し手前に伐採された真新しい切り株がありました。年輪を数えてみると、百年近い樹齢のようです。



山門がオープンだったので、お寺についての予備知識もないままに境内を少し拝見しました。

門を入ると、すぐ前に鐘楼があります。その傍に地蔵尊立像が祀られています。



蕪懸魚 (左) です。屋根には 牡丹の飾り瓦 が置かれています。

地蔵尊立像の傍に、 「地蔵菩薩縁起」の駒札 が立っています。



墓地への入口付近には六地蔵尊を祀る例が一般的だと思いますが、ここはめずらしくも 七躰の石仏像 が祀られています。たぶんこれも地蔵尊だと思うのですが・・・・。一躰ずつ微妙に違うところがあり、興味深くおもしろいです。

墓地への坂道を少し登ったところからの眺め。
丘陵地の高台途中に本堂や鐘楼が建てられているのが感じられるでしょう。
この写真を撮った場所も、狭い開削地の感じで、元はお堂が建っていたのかもしれません。墓地はもっと上にあるようですが、訪れていません。

坂道を下り、本堂の方に回り込むと、もう一つの門があります。
鐘楼から本堂周りの平地境内部分はそれほど広くはありません。

私が目を引かれたのがこの瘤々した一本の樹木です。感じとしては上掲の切り株と同じくらいかそれ以上の樹齢がありそうです。なぜ惹きつけられたか?

それは自然の造形のおもしろさです。部分写真を撮ってみました。



どうでしょう?
在る部分にフォーカスして見ると、ふっと動物のイメージが湧きますよね・・・・・。

あなたは、ご覧になって、何に見えますか?

境内を拝見した時は知らなかったのですが、事後に少しこのお寺について調べてみました。浄土宗のお寺であること以外にはあまり情報を得られませんでした。しかし、遅ればせながら別の発見がありました。
ここの墓地に「山本宣治」の墓があるのです。
治安維持法改悪に反対したことから、テロに遭遇し刺殺されたあの 「山宣」 です。山本宣治の名前は記憶にあったのですが、 その墓がこの善法寺の高台の墓地内にあるとは知りませんでした。
今も命日(3月5日)には 山宣墓前祭 が行われるのだとか。 (資料5)

 「山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋しくない 背後には大衆が支持してゐるから 」

墓碑の背面に、この言葉が刻まれているそうです。山本宣治が帝国議会で行った演説草稿からの引用だといいます。 (資料6)

機会を見つけて、今度は「山宣」の墓を訪ねてみたいと思っています。

坂道を下り、ふと「県神社」にも立ち寄ってみることにしました。

途中で見た地蔵石仏 。桟敷町と記された前垂れが掛けられています。
石仏の大小があり、まるでお地蔵さん家族一家という感じでおもしろい。

子供の頃、地蔵盆の始まる前に、運び込まれてきたお地蔵さんを洗い、何人かでお地蔵さんの顔を化粧して、テントに設けられた祭壇にお地蔵さんを祭る・・・・そんな風習をふと思い出します。関西の夏の風物詩の1ページです。

ご一読ありがとうございます。
つづく

参照資料
1) 「宇治市埋蔵文化財発掘調査概報」第12集  1988年 宇治市教育委員会 p46-48
2) 「宇治市埋蔵文化財発掘調査概報」第14集  1989年 宇治市教育委員会 p42-43
3) 四百年前社寺建物取調書 善法寺 175 [総合資料館]  :「京都府」
4) 宇治高等専修学校  :ウィキペディア
5) 山本宣治の墓  :「写真で見る近代京都の歴史~GREENの部屋~」
6) 山本宣治(山宣)の墓(宇治市)   :「京都風光」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
善法古墳   :「遺跡ウォーカーβ」
学校法人宇治学園   :ウィキペディア
宇治高等学校     :ウィキペディア
立命館宇治中学校・高等学校  ホームページ
賽の河原地蔵和讃   :「じぞうや・無空」
地蔵和讃   :YouTube
「賽の河原地蔵和讃」考   :「なつちゃんの山歩き日記」
地蔵の子守唄   :YouTube
姫路成田山明勝寺 水子供養   :YouTube
水子地蔵和讃②   :YouTube
山本宣治  :ウィキペディア
山宣プロフィール やませんわーるど  :「ほっこり京都」
京の地蔵盆   :「京都をつなぐ無形文化遺産」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)





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Last updated  2017.01.21 14:29:43 コメントを書く


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