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2017.01.29
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カテゴリ: 探訪

養源院

なぜか? それは この寺名が浅井長政の法号に因むということに改めて気づいたから です。いつもは 「血天井」 というコトバの方をまず意識し、それ以上に考えなかったのです。



この2枚は、今年(2017)1月に門前で撮ったもの 。このときは鬼瓦に関心がありました。その傍の菊花の飾り瓦にも目がとまりました。


このお寺は、淀殿が父・長政の二十一回忌の追善供養のために、秀吉に願い建立したのが草創のようです。叡山の僧・成伯法印(長政の従弟)が開山で、長政の院号を以て寺号とされました。文禄3年5月(1594)のことです。しかし、程なく火災で焼失。江戸時代、二代将軍秀忠夫人、あのお江さんが秀忠に願い、元和7年(1621)再建されたのが今の本堂だそうです。伏見城の遺構を用いた再建なのです。 (駒札&参照1)

江戸時代の図会、今風に言えば、観光ガイドブックには、「養源院は宗旨天台なり。本尊阿弥陀仏、恵心の作。当院は浅井備前長政の草創にして、開山は盛伯法印なり」 (参照2) と一行記されています。当時は長政が草創したという伝えがあったのでしょうか。それとも意識的にそう記したのでしょうか。


ネット情報では、伏見城は元和5年(1619)に破却されました。城内の建物群のリサイクルの一環に組み込まれたのでしょうね。お江が賢明でリクエストのタイミングが良かったのか、秀忠がお江の思いを配慮したのか・・・・。伏見城の「中の御殿」が移築されたといいます。 (参照3,4)

一書では、「京都の寺院」の宗派別説明において、養源院が浄土真宗の宗派の下で記載されています (参照5) 。駒札・略由緒には宗派のことは記載がありません。ネット情報で改宗が第二次大戦後だとわかりました。浄土真宗遣迎院派とするサイトもあります。


山門を入るとすぐ右手に、 白衣弁財天 が祀られています。

 覆いのお堂の中には、左側に摂社があります。


                                                              建物の東側には方形の池


参道を奥に進むと、左に 元三大師と刻んだ石碑 があります。その傍にはこちらも、 覆いのお堂の中に毘沙門天を祀る小祠
 参道の右手には、 「大聖歓喜天」の石碑 です。
なぜ、歓喜天がここに? 
それは秀吉が歓喜天を信仰していたためにこの養源院に安置されているのです。ここが秀吉の修養の場にもなっていたのだそうです。 (拝観説明、参照4)




左手(北側)にはかなり広い空き地があります。建立当初はいくつかの建物が建っていたのでしょう。現在の山門の北側に大きな門が閉ざされた状態になっています。こちらは後で触れたいと思います。



 筑地塀を入ると、手水舎があり


              その北の大木の傍に宝篋印塔があります。


注連縄の巻かれたご神木がその先にあります。

西に向かって建つと、 「白鷹龍神・白玉明神・赤桃明神」という額が掛かった石の鳥居 があり 小祠 があります。この木がご神体なのでしょうね。
この木の傍に、「ヤマモモ(京都市指定保存樹)」の説明板があります。
「このヤマモモは、豊臣秀吉が伏見桃山城内に手植えしたものを、後年にこの地に移植したと伝えられています。双幹で、枝葉を四方に伸ばした雄大な姿は圧巻で、半球形に整った樹形が長い歴史を物語っています。」 (説明板より)


本堂への入口 には、 三葉葵の紋を染めた幕 が掛けられています。
本堂の奥に見えるのは地蔵尊のお堂です。地蔵尊のお堂の右隣には、大日如来の扁額を掛けた小祠、竿の正面に元三大師と刻んだ石灯籠、写真には写っていませんが右に鐘楼があります。

養源院はまさに神仏習合のあり様を今に伝える境内の佇まいだと感じました。
明治政府の神仏分離策がここにはどの程度及んだのでしょうか。お寺主体の境内に神社が祀られていたこと、あるいは、徳川家の菩提所であるということが、現状を残したのでしょうか。
しかし、あるサイトで「1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、本堂以外の建物、庭も破却されている」という説明を見つけました (参照6)
神社の近くの仏教色を破壊するのだとすると、白鷹龍神と本堂は近すぎるような気もします。そこまでは徹底できなかったということでしょうか。思いとどまった?
このあたり、興味深いところです。

一書によると、「小堀遠州作といわれる池庭は明治期に損壊され、往時の俤はない」と記しています。 (参照7)

本堂の拝観では撮影禁止のため、写真でご紹介できないのが残念です。

宗教色を除くと、拝観のハイライトはやはり俵屋宗達の障壁画と血天井でしょう。

伏見城は関ヶ原の前の段階で、家康が鳥居元忠にその守備を任せます。いざというときは死守せよという含みだったのでしょう。戦いが起こると、勿論徳川方の守る伏見城は前哨戦としてのターゲットになります。この伏見城の戦いは慶長5年(1600)7月18日~8月1日だったようです(和暦での日付)。西軍の伏見城攻め総大将は宇喜多秀家以下総勢4万人、守備軍は総大将鳥居元忠以下1800人だったとか。死力を尽くした後、 8月1日に、鳥居元忠ほか380余名が、「中の御殿」にて切腹して果てたそうです。 (参照5,8)
この「中の御殿」の移築は、たぶん 自刃した家臣たちの供養 でもあったのでしょう。幾つもの意味合いが重ねられたお寺の再建ということになりますね。

拝観の時、最初はテープ録音の解説を聴いていたのですが、途中からご住職(たぶん、そうでしょう)が説明してくださいました。 元忠以下自刃したときの建物の廊下の板の間が本堂廊下の三方(正面と左右)の天井にそのまま使われたのです。 元忠の自刃の最後がどのような形だったのか、変色した血痕の跡を指し示しながらの説明でした。その形が思い浮かびます。養源院で使いきれなかった板の間は、数ヵ所で使われているとのことでした。ネットで見つけた 「同様の血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもある」 という記述に結びつくのでしょう (参照3)

俵屋宗達の描いた杉戸絵 は8面あり、襖は12面あるそうです。
「唐獅子図」  玄関を入った拝観受付の近くでみられる杉戸絵。
    躍動感溢れる図柄です。拝観時に左側の杉戸絵の絵葉書を1枚拝受しました。
「白象図」  少し奇抜なデザイン感覚のダイナミックな象です。杉戸2面に各1頭です。
「波と麒麟図」  この絵が唐獅子図の裏側の面に描かれていたものと思います。
    おもしろい組み合わせの発想です。この図柄もダイナミックです。
    (当日の曖昧な記憶です。位置について間違いがあるかも知れません。)
 杉戸絵に気をとられ、 宗達の襖絵 については、記憶が漠然としています。
(廊下からの拝観だけなので、本堂の部屋の中は余計に見づらいという点もあります。)
尚、玄関から左の方に、 狩野山楽の牡丹を描いた襖絵 があります (参照1) 。部屋の中にはその襖の前に仏像が三体安置されていて、廊下からの拝観だけなので、十分に襖絵を鑑賞できませんでした。この点は、残念です。

歴代将軍の位牌が安置されている そうです。 お江と秀忠の位牌には「菊」「葵」「桐」の3つの紋が付けられている という興味深い説明を聴きました。
「菊」は皇室、「葵」は徳川家、「桐」は豊臣家を象徴する紋です。3つの紋が並ぶ位牌はここに安置されているものだけだそうです。徳川の時代になったとはいえ、政治的に幕府創成期であり、人間関係にも錯綜した背景がありました。
徳川秀忠が家光に将軍職を譲位したのが1623年。その少し前1615年に大坂夏の陣で豊臣家は滅亡しました。徳川政権による制覇が確立したとはいえ、盤石な体制までには未だという時期です。豊臣秀頼の母、淀殿はお江の姉でした。秀忠とお江の間にできた長女の千姫は、一旦は豊臣秀頼の室となっています。五女の和子は、1620年に後水尾天皇の中宮として入内しました。入内までには紆余曲折があります。また、1627年には紫衣事件が朝廷・幕府間で起こっており、後水尾天皇が激怒し譲位を実行するに至り、天皇家と徳川家の関係が微妙にもなっています。お江の死没は1626年、秀忠が死没するのは1632年です。 (資料9,10,11)
しかし、位牌を安置してあるところが薄暗く、自然採光主体では十分にその3つの紋を確認できませんでした。(同じ感想を漏らされた人も居られました。)仕方の無い面も・・・・という気はしますが、説明を聴くと残念です。

本堂の廊下は左甚五郎の造ったうぐいす張りだといことなのですが、多くの観光客が一斉に歩いていたためなのか、鳴き声を聞けませんでした。私の耳が鈍感になったのかも・・・・。あるいは靜かな中で、一人歩むと、鳴き声が聞こえてくるのかもしれません。

小堀遠州作の池庭の他、事後のネット検索でお江の石塔墓のあることも知ったのですが、拝観範囲には入っていませんでした。(これは山門前の駒札の説明にも記載されていません。)これまた残念なことです。このあたりの残念さは、個人差が大きいでしょうね。

本堂の玄関を出て、山門へ向かう前に、境内の探訪をしました。上記で少し触れてますが、探訪箇所の写真をここに補足します。

地蔵堂 には 「延命地蔵尊」の額 が架かっています。
そのお堂の右斜め後に、 さまざまな石仏像が壇状に 集約されています。

          地蔵堂の傍の 石燈籠 、その右斜め方向に、 大日如来を祀る小祠 もあります。


鐘楼


人がないこの参道がいいですね。秋の紅葉が奇麗ではないでしょうか。
緑の濃淡一色の景もいいものです。

山門の少し手前まで参道を戻り、右折して北に進むと広い空間が今は空地になっています。

西側に山門の北にある門の内側が見えます。この北門は 「勅使門」 です。

東方向に目を転じると、空地の先にもう一つの門 「中門」 が見えます。

多分今は開けられることがないのではないか・・・・という雰囲気です。

           中門の前から、勅使門のある西方向の景色。


中門前から勅使門への途中まで戻り、左折すると山門の傍でみた石鳥居のところに戻ります。

山門を出て、右折し北に向かいます。



      養源院の山門の北側にある 「勅使門」




勅使門の屋根 をよく見ると、両端の鬼瓦の間に、棟を構成する瓦の側面に 菊文 が使われているのです。興味深いのは、上掲の 山門に使われているのも菊文 なのですが、勅使門の方が花弁の数が多く、密なのです。観察するとおもしろいことに気づきます。

別記事でご紹介した法住寺の山門の屋根は両端が獅子口で、棟を構成する瓦の側面は左の写真で見る三つ巴文です。一方、 法住寺の龍宮門の方は 棟の両端が鯱であり、こちらの棟を構成する瓦には、 養源院の山門と同じ形の菊文が使われいます 。比較していくと面白さが加わります。


門の両側の建物の屋根には、桃の飾り瓦が置かれています。これもまた厄除け的な意味合いが込められているようです。桃は比較的一般的に見かけます。

これで養源院の探訪を終わります。
ご一読ありがとうございます。

参照資料
1)「養源院略由緒」 拝観の時にいただいたもの。
2)『都名所図会 上』(竹村俊則校注 角川文庫)p230
3) 養源院   :ウィキペディア
4) 養源院(ようげんいん) :「HIGASHIYAMA」
  [京都 東山区南部地域活性委員会が発信する観光情報案内サイト]
5)『京都・観光文化検定試験 公式テキストブック』(淡交社・2004年初版)
6) 養源院(東山区)  :「京都風光」
7)『京都史跡事典コンパクト版』(石田孝喜著・新人物往来社)p252
8) 伏見城の戦い      :ウィキペディア
9) 徳川秀忠   :ウィキペディア
10) 崇源院      :ウィキペディア
11) 『新選 日本史図表』 坂本賞三・福田豊彦監修 第一学習社

補遺
養源院  京のスポット ;「KYOTOdesign キョウトデザイン」
遣迎院   :ウィキペディア
元三大師  :ウィキペディア
元三大師  良源 :「飛不動 龍光山正寶院」
歓喜天   :ウィキペディア
毘沙門天  :ウィキペディア
弁財天   :「京都百科事典」

当日、屋内は撮影禁止でした。ネット検索すると、図像が結構掲載されています。養源院の屋内(自然採光主体なので薄暗い・・・)で見るのとかなり印象は異なりますが、どんな図像か、参考にするには十分に有益です。あとは現地現物でご鑑賞ください。
大琳派展  :「アトリエ・リュス」
   俵屋宗達の白象図・唐獅子図杉戸の図が掲載されています。
養源院 金地着色松図  :「京都観光Navi」
養源院  :「わかさ生活」(→ ほっこり京都生活)
   血天井の一部、「波と麒麟図」、お江の石塔墓など写真掲載枚数が多いです。
京都「養源院」で俵屋宗達の絵を見る  :「みずえ」
   中の御殿の移築、血天井について、伝承にとどまり、史実だと確証できるものがないという説もあるようです。その点に触れられています。
じわじわくる京都「養源院」~数奇な運命をたどった数々の魂がそこに・・・~
    :「Travel.jp」
File7 瓦屋根  バックナンバー:「NHK 美の壺」
5.瓦屋根の細部の名称-鬼瓦とか(屋根の雑学知識)
  :「知れば知るほど楽しくなる日本めぐり(建物・日本建築・歴史)

     ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.02.15 21:37:52
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