遊心六中記

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2017.02.01
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カテゴリ: 探訪 [再録]
  阿弥陀堂門の観察・鑑賞をつづけます。 
                                                                             [探訪時期:2013年4月]

門柱から突き出た頭貫の先端が保護を兼ねた装飾金具で覆われています。金具の表面には細やかな線刻が施されています。



堀川通の方から見えるものの線刻の方が豪華な感じです。やはり表側だからでしょうか。


四脚門の側面を境内から見た透かし彫り。菊花がデザインされています。




四脚門の中央から門の側面を眺めると、華麗な透かし彫りが見られます。
つまり、嵌め込まれた透かし彫りはそれぞれ 菊花の両面彫り

菊花をズームアップしてみましょう。







門扉の透かし彫りも精緻です。菊花の一生を図案化しているようです。


         花弁の描き方がそれぞれ違うのです。


扉中央の金色の金具も菊花の意匠です。

中央は十六菊の紋章ですが、花弁が太い線のような意匠です。

阿弥陀堂門から出て左折し、堀川沿いに歩くと、

「太鼓楼」 が見えます。堀川通を通過する時はいつも目にしながら、あまり意識していませんでした。

駒札によれば、この太鼓楼が宝暦10年(1760)の親鸞聖人500回忌に際して建立されたものと考えられているそうです。

大きな説明板をよく見ると、 太鼓楼は新選組ゆかりの地 だったのです。
強引に「新選組本陣」の看板を掲げた時期があった のです。そして、当時北東にあった 北集会所とこの太鼓楼を使っていた と記されています。本願寺は長州と深い縁があり、長州藩士が本願寺を頼りにしていた面があったようで、新選組はこのことに対する牽制的な意図も持っていたのだとか。このことは知りませんでした。
意識的に探訪することで知り得た豆知識。


太鼓楼の鬼瓦 、それぞれ表情が違うのです。おもしろいですね。

「新開道路碑」
太鼓楼のすぐ傍の北東角が矩形に削り込まれ、鍵形にされた塀の前にこんな石碑が建てられています。
石碑には漢文でその経緯が記されています。
この碑は2011年までは、50mほど西側に設置されていたようです。
ZauCatsさんの「京都そぞろ歩き」のページをご覧ください。 移転前の写真を引用されています。


この石碑の前の東西の通りが、現在は 花屋町通 です。 西に進むと大宮通と交差 します。
かつては、現在のように西本願寺の北側を西に通り抜けられる状態ではなかったということです。

築地塀は 定規筋 と呼ばれる白い横線をいれた 筋塀 になっています。五本(五条)は最高位の寺格を示すものだそうです。 (参照1)

本願寺の図

本圀寺の図
江戸時代に出版された『都名所図会』を見ると大凡のことがわかります。 (参照2)
この図会に掲載の図を引用させて頂きましょう。 (参照3)

上段の図のように、「本願寺(西本願寺)は西六条にあり。」で、下段の図の「大光山本圀寺は堀川松原の南にあり。法華宗にして一致派なり。・・・・貞和元年、光明帝の勅によつて相州鎌倉より華洛六条堀川に移す。(この地、古は六条判官為義の舘なり。源義経もここに居せしこと『平家物語』にあり)」とのことで、隣り合っていたようです。
参照資料の脚注によると、この本圀寺は「下京区猪熊通花屋町上ル柿本町にあったが、昭和42年、東山区山科安朱へ移転」したといいます。旧花屋町通は堀川通あたりまでだったのでしょう。
柿本町の位置を地図(Mapion)でご覧下さい。

西本願寺境内の北側、 花屋町通の北は現在、本願寺聞法会館や駐車場に なっています。


東西の花屋町通は南北の大宮通と交差します。大宮通の方から通りを眺めると途中まで頑丈な 石積みの壁 になっています。 堀川通側から西に歩いて行くと、築地塀からこの石積みに切り替わる のです。ちょっと不思議な光景です。(切り替わる箇所に現代風鉄門扉がワンクッションになっていますが。)

交差点から撮った石積みの塀が大宮通側に回り込んで、その先にまた違う様式の塀が見えています。堀川通に面した御影堂門・阿弥陀堂門側の築地塀とその連続が北側に回り込んで続きなす。門をはさみ途中から石積みの壁となります。そして大宮通の築地塀へと再び変化します。繋がり具合の違いから、境内周囲を巡るだけでもさまざまに連想が拡大しそうです。この変化が興味深い。

左折して大宮通を南に歩くと、大きな門があります。これが境内図にある大宮門なのでしょう。

門柱には「大谷」と表札が掛かっています。この一角、宗派門主の居宅入口になっているのでしょうか・・・・。


そして、大宮通を南下すると、築地塀が本願寺の正面、堀川側並びに花屋町通を歩き始めたときと同じ様式になります。この大宮側には塀の間際に倉が並んでいます。大宮通側はこれが往時のままなら本願寺境内を防御する役割が考慮されていたのではという雰囲気を醸しています。

この築地塀沿いに歩いて行くと、今は龍谷大学図書館への入口になっている門があります。築地塀に沿って左折すると、東西方向の通り、北小路通です。図書館に行ける小さな門と台所門があります。この先が見たくて、今回は素通りしてしまいました。
この台所門は現在、本願寺中央幼稚園への入口にもなっています。

そして、この 大玄関門 が見えます。大玄関門あたりまでの北小路通の南側は龍谷大学の大宮キャンパスです。

この 大玄関門 、お寺の門というより、大名屋敷の門という印象を受けます。

この門を今度は内側からも眺めてみたいと思います。多分拝見に行けたと思いますので。今回は、立ち寄りませんでした。詳しくはまたその後にでもご紹介しましょう。

そしていよいよ手軽なスポット細見の極めつけが国宝・唐門なのです。

つづく

西本願寺のホームページ 「本願寺境内図」

参照資料
1) 築地塀   :ウィキペディア
   定規筋     :「コトバンク」
2)『都名所図会 上巻』(竹村俊則校注・角川文庫)
3) 都名所図会. 巻之1-6 / 秋里湘夕 選 ; 竹原春朝斎 画 :「早稲田大学図書館・古典籍データベース」

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
菊花紋章  :ウィキペディア
築地塀解体  :「貝塚の文化財」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!


その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.06.07 09:54:16
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