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2018.01.06
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カテゴリ: 探訪 [再録]
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「羅城門遺址」碑の傍にある説明板の地図 を再掲します。これをみていただくとイメージが湧きやすいでしょう。
西方向

                       東方向。東方向には東寺の五重塔が見えます。
石碑の建つ公園の北側の通りが、今見れば何の変哲もない通りです。説明されなければ単に国道の裏通りくらいにしか思わないところです。
これが、 かつての平安京の九条大路の位置 なのです。 平安京当時の大路は8丈(約24m)以上あった そうですから、現在のこの通りより遙かに広い道幅だったのです。小路が4丈(約12m)以上だそうです。 (資料1)


途中、現時点ではスポッと幅広く空き地になっている場所がありました。何とここが 皇嘉門大路のあった場所 だったそうです。この空き地から西側、西大宮大路まで、南はこの九条大路が存在したいまの道路より北で、八条大路までの区域に 「西寺」 があったそうです。
平安京の表記法で言えば、 「右京九条一坊九~十六町の8町を占める」 (資料2) 敷地ということになります。この西寺は平安京のメインストリート・朱雀大路を軸に東寺と対象の位置にありました。 朱雀大路は幅28丈(約84m)です 。現在の千本通りは広いところで25mていど、狭いところではせいぜい6mくらいなのです。ちょっと想像できますでしょうか?  (資料2,3,4)

羅城門跡から西寺跡の地図(Mapion)はこちらをご覧ください。

東方向の眺め

さらに西に進むと、現在は唐橋小学校の建物が建っていて、 このコンクリートブロックで封じられた箇所がちょうど西寺の「南大門」の位置に相当する といいます。



唐橋小学校の北側が、今は通りを挟んで唐橋西寺公園となっています。

この公園の 北よりの土塁上-丘状になったところ-に、西寺跡の碑が建てられています。


西側からの登り口に 「史跡西寺跡」についての説明板 が建てられています。

西寺は「鎮護国家の寺として、諸経の転読・修法などを行い、常住僧50人以上を置く一大道場として繁栄した」のです。「桓武天皇から村上天皇に至る歴世天皇の国忌を行い」ます。 (資料5)
国家による僧尼統制機関である僧綱所は、平安京遷都後に、平城京薬師寺から西寺に移されます。西寺と東寺は一応対等の形の配置ですが、当初は西寺が一段高く見られていた節がこの僧綱所設置から窺えます。

ところが、西寺の守敏が空海との雨乞いの儀式で敗れたこと、及び正暦元年(990)2月に塔を除き大部分を焼失。天福元年(1233)には塔が焼失します。そして荒廃していくのです。 (資料2,5)


土塁上の「史蹟西寺阯」碑  こちらはは2013年5月にここを訪れた時の景色。
やはり若葉の繁った緑色があるのがいいですねえ。


ここには、 礎石が残っています 。位置を変えて撮ってみました(2013.5)。
ただし、これは付近から出た礎石がここに保存されている形のようです。 (資料5)

                        これは、北西角から南東方向の眺めです。



この公園の北側から一筋北の東西の通り、現在の東寺通にある市バス「西寺跡」バス停が斜めに見える四つ辻の南東角に、左画像の 石標 が置かれていました。
「史蹟西寺阯」の石碑あたりが、西寺の「講堂」跡です その背後(つまり北)に「僧房」があり、さらに北側に「食堂」があったそうですので、これはその西側辺りになるようです

現東寺通を西に歩むと、 現在の御前通 です。 平安京の西大宮大路の位置に重なります 。もちろん往時の道幅よりはるかに狭くなっているのですが。 (資料2)
現在の地図(Mapion)はこちらをご覧ください。 ​位置関係がおわかりいただけることでしょう。


御前通に出て、北に少し進むと西側の角に、この 道祖神社 があります。


唐橋は松尾大社の氏子 となるそうですので、 道祖神社と松尾皇神宮の両方の提灯がかけられています
唐橋の産土神が祭られているのでしょう。

道祖神社の角を左折して真っ直ぐ進むと、JR西大路駅に至ります。
逆に言えば、JR西大路駅が「西寺跡」への最寄り駅と言えます。

西大路駅前で今回の探訪は終了です。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) ​ 平安京 ​ :ウィキペディア 
2) 「京都の歴史散策26~鳥羽作道を歩く~」(龍谷大学の公開講座)
   (龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成の講座レジュメ))
3) 条坊制 :「フィールド・ミュージアム京都」
4) 『源氏物語と京都 六條院へでかけよう』 監修・五島邦治 編集・風俗博物館
   光村推古書院  p121
5) 『京都史跡事典 コンパクト版』 石田孝喜 新人物往来社 p109

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
東寺西寺跡 ​ 京都市埋蔵文化財研究所 pdfファイル 
西寺 ​ :ウィキペディア 
西寺跡 京都市南区 ​ :Youtube

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Last updated  2018.01.08 23:09:32 コメントを書く


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