遊心六中記

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2019.03.02
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カテゴリ: 探訪
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桜生史跡公園を出た後道沿いに南下します。地図で見ると、桜生自治会館に行くまでの少し手前のところで左折し、国道8号線の下を通り抜けて少し先に 「寶樹寺」 がありました。史跡公園からみれば、国道を挟んだ南側になります。
この記録整理をして改めて気づいたのですが、最初に訪ねた西徳寺と同様に、山門のすぐ左に鐘楼があります。ここも浄土宗のお寺で、山号が「桜生山」です。

講座のレジュメから遺跡周辺地形図の一部を切り出し引用します。 (資料1)
小さな赤丸を付けた場所が寶樹寺です 。寺の南東方向に、桜生 (さくらばさま)

探訪の眼目は、山門を入りすぐ右側にありました。石造阿弥陀如来坐像の隣りにある 宝篋印塔 です。



宝篋印塔の塔身に金剛界四仏の種字が刻まれているという石塔 です。14世紀に建立されたと推定されるそうです。

金剛界は胎蔵界とともに、両界曼荼羅の一つで、金剛頂経に基づくものだそうです。
金剛界四仏とは、西:阿弥如来、東:阿閦 (あしゅく) 如来、北:不空成就如来、南:宝生如来 が位置し、 塔身中央部が大日如来として、金剛界五仏 とも言われるそうです。 (資料2)

寶樹寺は、慶長元年(1596)久阿弥比丘中興だそうですので、衰微してしまった天台系寺院のあったところが、浄土宗のお寺として中興されて復活したということなのかも知れません。 (資料3)

また、宝篋印塔の基礎の格狭間には華頭曲線の凹みが見えますが、その中にレリーフはなさそうです。
格狭間には装飾文がレリーフされているのを見かけます。 川勝政太郎氏は近江式装飾文の文様群を提唱 されているそうです。「実態としては蓮を用いた植物文様と孔雀等を用いた鳥獣文の二つの文様群を更に統合し概念化されたもの」と言えるそうです。 徳源院京極家墓所にはずらりと歴代の宝篋印塔が並んでいます。 この宝篋印塔群には、華瓶と三茎蓮文が装飾文として使われ、その三茎蓮文に多様なパターンが見られることに着目し、 上垣幸徳氏がそれを分析し、5種類に類型化
滋賀県内の宝篋印塔には、多様な装飾文のレリーフが見られるようです。

余談です。
徳源院京極家墓所宝篋印塔群は、史跡探訪で2012年10月に訪れたことがあります。しかし、その時はこの装飾文には気づきましたが細部までは充分に観察できませんでした。残念!

                    これがその時撮った写真です。

手前の宝篋印塔の格狭間に装飾文がレリーフされているところを切り出してみました。これで少しイメージが湧くかもしれません。

もとに戻ります。

大きな岩に寺号が刻されていて、その上に 勢至丸(法然上人の幼名)が旅立つ像 が建立されているのが目に止まりました。


これはお寺を出た時、生垣の角地で目に止まり写真を撮っておいたものです。
その時は意識していなかったのですが、辻町子安地蔵堂の地蔵石仏群のご紹介をした一枚と共通する形式です。レリーフされている仏像が何なのか。阿弥陀仏座像のように見えますが・・・・・、私のは判断しづらいところです。


桜生城跡の手前で見た燈籠 です。 化灯籠(山灯籠) と称される部類の灯籠なのでしょう。
自然石が利用されているので、見る位置により雰囲気が変わっておもしろいものです。



ここが山を背景にした「桜生 (さくらばさま) 城跡」の遺構 だそうです。一辺50mの方形の郭を掘と土塁が廻っていて、澤氏の居館だったとか。 景色の右側が方形の郭部分 です。文禄2年(1593)に廃城とされたといいます。 (資料1)
この景色は西側の水堀と土塁ですが、他の三方は空堀・土塁で囲まれていたそうです。
方形の郭の中には立派な民家が建っています。澤氏の子孫の方が現在もお住まいだとか。

南側から水堀の遺構を眺めた景色 (これは、福林寺磨崖仏に向かう時に撮影)


桜生城跡の北側、すぐ近くに 「日吉神社」 があります。上掲 地形図にマゼンダ色の丸を付けた場所 です。

ここにも化灯籠が手水舎の傍にあります。手水鉢もまた、自然石の上部を刳り抜いただけのシンプルなものです。この調和がいいですね。

拝殿とその背後(北東側)に瑞垣・社殿が見えます。
この神社の 背後は大岩山 になります。埋納されていた 銅鐸24個が出土したところ です。



           この神社の狛犬は、両方とも獅子像のようです。
台座に「二千六百年」という文字が刻されています。皇紀二千六百年という意味でしょうから、昭和15年(1940)を意味します。 (資料5)
この時に台座とともに狛犬一対が奉納されたとみるのが自然でしょうね。


本殿(重文)は一間社流造 です。 祭神は大山咋神 です。

口碑によれば天平14年(742)に坂本の日吉権現を勧請し、本殿を創建されたと伝わり、桜生村の産土神として祀られてきたそうです。建久2年(1191)に本殿を焼失し、弘安4年(1281)に再建され、その後再三修理が行われて来たそうです。昭和19年(1944)に国指定重要文化財となっています。 (資料1,6)


ズームアップして何とか撮れた写真を見ても、装飾がほとんどありません。逆にそれが特徴的です。


本殿の左右に境内社が祀られています。左右の社の方が装飾性に富んでいます。
境内社は 大神宮と野神社 とのこと。 (資料6)
境内に説明の掲示がなかったので、どちらがどれなのか不詳です。



境内にはブロンズ製の 神馬 が奉納されています。胴に神社の神紋「左三巴」が象られています。

この後、福林寺跡磨崖仏に向かいます。

つづく

参照資料
1) REC「近江の歴史散歩42 ~野洲を歩く~」 2019.2.19
 (講座レジュメ資料 龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成)
2)『図説 歴史散歩事典』 井上光貞監修 山川出版社  p339, p356-357
3) ​ 寶樹寺 ​ :「湖国寺探訪」
4) 「徳源院京極家墓所宝篋印塔群の基本装飾文について
    -中世の石塔における装飾文の類型化の試み-」 上垣幸徳氏論文
     『紀要』第21号 2008.3 滋賀県文化財保護協会
5)​ 紀元二千六百年記念行事 ​ :ウィキペディア
6) ​ 日吉神社 ​ :「滋賀県神社庁」

補遺
金剛界曼荼羅 ​ :「MANDALA DUALISM」
金剛界曼荼羅 ​ :「コトバンク」
3. 両界曼荼羅 ​ :「真言宗泉涌寺派 大本山 浄土寺」
宝篋印塔 ​  :「Flying Deity Tobifudo  空飛ぶお不動さま」
各部の名称などについて(その2) ​ :「石造美術紀行」
近江 桜生城 ​ :「近江の城郭」
桜生城  近江国(野洲) ​ :「城郭探訪」

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探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -1 三上神社・西徳寺・辻町子安地蔵堂 へ
探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -2 桜生史跡公園(史跡大岩山古墳群)へ
探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -4 福林寺跡磨崖仏・真福寺 へ
探訪 滋賀・湖南 野洲を歩く -5 稲荷神社・三上陣屋跡・悠紀斎田・御上神社ほか へ

こちらも御覧いただけるとうれしいです。
スポット探訪 [再録] 滋賀・湖北 柏原宿から足を延ばして・徳源院(京極家の菩提寺)
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Last updated  2019.03.04 17:28:13コメント(0) | コメントを書く


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