遊心六中記

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2019.09.08
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カテゴリ: 探訪
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阪急電車の嵐山駅 です。ここを起点に法輪寺を何十年ぶりに訪ねました。親に連れられて十三参りに行った記憶はありますが、お寺のことは殆ど覚えていません。一度は再訪したいと思っていました。地蔵寺(桂地蔵)を訪ねた後、ふと思いつきで嵐山に足を運ぶことに。天気が良かったこともその気になった一因です。ということで、それぞれ独立した形でまとめて、ご紹介することにします。

スタートから早速寄り道モードに。中ノ島を少し見たくなり迂回する形になりました。


道すがらまずこの「 付近観光案内図 」に気づきました。部分拡大図を作成しています。
黒丸が上記の起点です。四角枠に現在地とあるのが、この案内図の掲示場所。
中ノ島に足を向けたのは、この東端 (赤い丸とつけたところ) までわざわざ行くことはないので、このあたりからの景色が眺めたかったのです。
中ノ島橋 を渡ります。

橋上から 上流側を眺めた景色 。中ノ島の地名は 嵯峨中ノ島町 です。「 嵐山公園中之島地区 」とも称されています。この橋から上流側には南岸の嵐山地域と中ノ島の間に 渡月小橋 が架かり、中ノ島と北岸に 渡月橋 が架かっています。この流れは桂川の一部です。渡月橋より上流側も桂川ですが、渡月橋までは「保津川」の名で呼びなれています。また、嵐山公園一帯は「 大堰川 」とも呼ばれます。

桂川は古くは 葛野川 と称され、東の鴨川に対して、西川とも呼ばれたそうです。古代に嵐山の葛野川流域に秦一族が入植し、 秦氏は葛野川に堰を設け て水利の便をはかり流域の開発をして行きます。そこから大堰川の名称が生まれたと言います。 (資料1)
下流側の景色
橋上から、分岐していた川の流れが中ノ島の東端で合流する様子が見え始めます。ここで気づいたことは、この橋のところから、 南側に用水路 が設けられていることです。


橋を渡り、右折して中ノ島の東端に歩み始めて、大きな碑があることに気づきました。
日中不再戦 」と太い文字が刻まれています。今までこの碑の存在を知りませんでした。

日中不再戦之碑 」のタイトルで 案内碑 が傍にあります。1968年7月に日中勃発30周年を記念して建立されたと記されています。題字は当時の清水寺貫主大西良慶氏の揮毫とのこと。この案内碑自体は2019年7月に建立されています。 (案内碑より)
なんと碑建立から50年後に案内碑が作られたというところに、平和への悲願を再認識する必要性を重ねているように思った次第です。


中ノ島の東端部 に立ち、分流した水流が再び合流し、一つの流れてとして東に流れ行く様を眺めました。


北岸、嵯峨の景色 です。ここは嵯峨の広がりを眺めるのには良いロケーションです。

余談です。大堰川は大井川(河)とも記されます。延喜7年9月に宇多法皇が大井河御幸をしています。
この時、紀貫之は、
 大井河川辺の松にこと問はむかかる御幸やありし昔も (拾遺集、巻八、雑歌上)
 波の上を漕ぎつつ行けば山近み嵐に散れる木の葉とや見む (新拾遺集、巻十八、雑歌上)
と詠んでいます。
また、坂上是則の詠んだ歌
 もみぢ葉の落ちて流るる大井川瀬々の柵懸けも止めなむ (続後撰集、巻八、冬歌) 
も残されています。 (資料1)

「986年(寛和2)10月10日、円融法皇が京の西効大井河に摂政兼家以下多数の公卿・殿上人を従えて遊覧したとき、作文(さくもん詩作)・和歌・管弦の三船を用意して、それぞれの船に達人を乗せて腕を競うという趣向であったが、そのとき殿上人であった公任と源相方(すけかた)の二人は、この三船全部につぎつぎと乗り込んでその才名をはせた」 (資料2) と言います。

白河天皇もまた、1076(承保3)年、鷹狩り嵯峨に行幸し大井川畔にも立ち寄り、歌を詠んでいます。 (資料1)
 大井河古き流れを尋ねきて嵐の山の紅葉をぞ見る (後拾遺集、巻六、冬歌)

王朝時代の大井川での船遊びを復元したのが、毎年5月第3日曜日に渡月橋の上流側で行われる (くるまざき) 三船祭 」です。1928(昭和3)年に創始されたと言います。 (資料1,3)

元に戻ります。
今回はもう一箇所、さらに良いロケーションに気づくことになりました。それは後ほど・・・・・。

再び中ノ島橋に戻り、法輪寺に向かうことに。

                            中ノ島から眺めた橋の全景
 橋の北詰から眺めると、上流側には堰があります。

堰を越えて流れ落ちる水が激しく白くざわめいている姿にフォーカスすると、水のダイナミズムを感じます。

それほど深く考えずに、最初の交差路で左折し、道路沿いに西方向に進みました。

確か、上掲の部分図に青い丸を追記した辺りだったと思いますが、大きなクレーンと舟が目にとまりました。

近づいてみて、ナルホドと気づきました。亀岡から保津峡を経由して嵐山までの「 保津川下り 」です。
嵐山に着いた舟を川から引上げ、回収するための基地のようです。舟をここで陸揚げし、トラックに積み込み、保津川下りの出発点・亀岡まで運搬されるのでしょう。 保津川下りの舞台裏 という次第です。

大凡で歩んだ結果、渡月橋小橋の少し手前まで行き過ぎてしまいました。上掲地図の青い丸と紫色の丸を付けた法輪寺との位置関係です。
法輪寺に向かうために、桂川南岸沿いの本来の道路を少し後戻りすることになりました。
まあ、そのお陰で道すがら想定外のものに出会うチャンスとなったと言えます。

つづく

参照資料
1) 『昭和京都名所圖會 洛西』 竹村俊則著 駸々堂 p231, p265-267
2) 『日本の歴史 5 王朝の貴族』 土田直鎮著 中公文庫 p170
3) ​ 京都嵐山 三船祭 ​ :「車折神社」

補遺
嵐山公園・嵐山東公園 ​  :「京都府」
桂川(淀川水系) ​ :ウィキペディア
大堰川 ​ :「コトバンク」
桂川・大堰川・保津川 ​ :「京都通百科事典」
秦氏 ​ :「コトバンク」
京都・亀岡 保津川下り ​ ホームページ

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Last updated  2019.09.11 23:16:50 コメント(2) | コメントを書く


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