遊心六中記

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2020.12.02
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カテゴリ: 探訪
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積善院凖提堂を出て春日上通を西に歩くと、 幅の広い石敷道が聖護院の山門まで 続いています。道路傍に 「近畿三十六不動尊第十八番霊場」碑 が立っていて、近くに 特別公開の案内看板 が設置されていました。この探訪での第一目的はこの特別公開を拝見することにありました。道路に面して駒札が設置されていますが、読みづらくなっていますので、参照しご紹介していくことにします。

山門 の左側手前には「 聖護院門跡 と記された ​寺号碑​ が立ち、さらに手前には「 史蹟聖護院旧仮皇居 と刻された碑 が立っています。

「平安時代の寬治4年(1090)に、白河上皇が紀州(現在の和歌山県)の熊野三山を参詣する際、修験者(山伏)として有名であった増誉大僧正が、先達(案内役)を努めた功績により寺を賜り、聖体護持の意味から聖護院と名付けたという。」 (駒札転記)
聖護院という名前の由来です。
天台宗寺門派の増誉大僧正は「その功により熊野三山の検校職に任ぜられ、修験道本山派の山伏を統轄する」 (資料1) に至り、 当山派(醍醐三宝院)と修験道を二分する形に なります。

鎌倉時代に後白河天皇の皇子静恵 (じょうえ) 法親王が聖護院に入寺し四世門主となり、その後門跡寺院になります。そして世に 聖護院門跡、聖護院宮 と称されることに。

(駒札より転記) わけです。
孝明天皇は皇子祐宮(明治天皇)とともに当院に避難し仮皇居としたそうです。

天台宗寺門派に属していた聖護院は 昭和21年(1946)に天台宗より離脱し修験宗を樹て、昭和36年(1961)に「本山修験宗」と変更して総本山となりました (資料2)
聖護院門跡が通称となっていますが、明治元年(1868)の神仏分離令が発布された流れの中で権現号・門跡号が廃止されています。明治4年に門跡号廃止という記述もみられます。 (資料2,3,4)
(資料4)


山門の頭貫の中央 には、正面と底面に 菊の紋章 が付けてあります。

門は 薬医門の形式 です。門扉は実質的で頑丈そうな感じです。
 大きな 板蟇股 が屋根の棟を支えています。



山門を入ると、正面に大樹が見え、その背後に 西から長屋門・大玄関・大玄関と宸殿前庭の境となる源氏塀 が見えます。特別拝観は大玄関を入り、拝観受付の手続きをします。
源氏塀のところの中門が開いていました。当日は最後に巡ったのですが、まずこちらからご紹介します。(ここは拝観手続きなしで自由に拝見できるエリアでした。)


中門を入ると、そこは「 宸殿 」前の広々とした 前庭 です。宸殿の東南側には「本殿」があり、西面する本殿の前庭にもなっています。 庭一面には白砂 が敷き詰められています。

前庭の北西隅、中門を入ったすぐ左側の奥で源氏塀の傍にこの 覆屋を設けた社 があります。
手許の書には、昭和56年(1981)7月に筆者が描いた聖護院全景図が載っています。それにはこの位置にこの社が存在しません。 (資料1)
後掲の「日吉山王社由緒」碑から 平成19年にここに遷座された ことがわかります。


小ぶりな社ですが、 観音開きの扉が三つ 並んでいます​ 三間社流れ造りで向拝が付いている形式 だと思います。

中央が「日吉山王社」、向かって右が「辨財天」、左が「稲荷神社」 です。
覆屋の桁にそれぞれの扁額が掛けてあります。

向拝の頭貫の両端の木鼻は 獅子像 が阿吽形で彫刻されています。

頭貫の中央部は蟇股ではなくて、衣裳を纏った猿ではないかと推測する像が丸彫りされています。

その奥側には、 木鼻に象が 彫られています。右の写真は頭貫に掛けられた 吊り灯籠 です。

本殿中央の扉 です。精緻に線刻された錺金具が光っています。扉には双龍をデザインした錠が掛けられています。右の写真はその部分拡大図です。
 石灯籠

逆に、中門を入った右(南)側には、 「日吉山王社由緒」を刻した碑 が立っています。
日吉山王社が旧寺領地に祀られていたので、それが現在、聖護院山王町という地名の由来になっていると言います。また、元の社殿脇には樹齢数百年の榧の御神木が聳えていたそうです。親鸞聖人が聖護院僧侶を訪ねるときに日吉山王社に立ち寄られたとき、聖人の手からこぼれた念珠玉より生じた木と伝承されていたことが併せて記されています。 (碑文から判読した大意)

碑の上部に彫られているレリーフ。 菊花の中に法螺貝が描かれて います。 聖護院の宗紋 です。
日吉桜の木札


白砂には 砂紋 が同心円状に描かれ、波紋の広がりをみせている個所があり、猫の置物が石の傍に置かれています。
拝観の折り、案内係の女性が住持の遊び心です・・・とか。ちょっと楽しいですね。

中央部は砂熊手で市松模様が描かれています。
 この場所は位置関係からみて、
「節分会厄除け採燈大護摩供」が行われるときの護摩壇が築かれる場所 のようです。 (資料5)
護摩修行 です。”「仏の智慧を火とし、私逹の中にある悪業煩悩を薪と考え、その煩悩を焼き尽くす」のが護摩の作法である” (資料2) そうです。



本堂前に向かうとき、 「笈掛石」と刻された碑 が目にとまりました。
笈とは「修験者などが衣類・食器などを入れて背負う、足の付いた箱」 (新明解国語辞典) です。
その名称どおり笈を背負ったり、はずしたりするときに使った石ということでしょうか。


本堂前に行く手前、南西側に 十三重石塔 が建立されています。
初層の軸部に四方仏のレリーフが施されています。
西面・南面

南面   東面

北面

回り込んだ北東隅にこの石像がさり気なく置かれています。姿から推測して 役行者 でしょう。
いかめしさはなくて、ほのぼのとしている感じがいいですね。

一隅に雪見灯籠



本堂 の柱には 「不動堂」の木札 が掛けてあります。
本堂の階段前まで行くことができます。建物内を拝観すると、本堂が拝観順路に組み込まれています。
本堂の正面からみて 中央に 本尊の 不動明王像 、向かって 左に役行者像 右に智証大師円珍像 が安置されています。 左端は弥陀壇 で、歴代門主その他の位牌、 右端は天霊壇 で聖護院にゆかりの深い歴代天皇の位牌と阿弥陀如来像が安置されています。 (資料6)

本堂前から眺めた砂紋

それでは、大玄関から入り、特別公開の建物内部や庭の拝見へと移りましょう。

つづく

参照資料
1) 『昭和京都名所圖會 洛東-下』 竹村俊則著 駸々堂
2) 『本山修験宗 聖護院門跡』 聖護院門跡 拝観当日購入した冊子
3) ​ 聖護院門跡 ​ :「宗教情報リサーチセンター」
4) ​ 明治18年4月の門跡号復称について・・・・ ​:「レファレンス協同データベース」
5) ​ 聖護院 採燈大護摩供 ​ :「京都を歩くアルバム」
6) 「聖護院 宸殿図解 書院・本堂図解」 拝観時にいただいた説明資料

補遺
聖護院 ​ :ウィキペディア
門跡 ​ :「コトバンク」
枯山水の砂紋 ​  :「そうだ京都、行こう。」
ー聖護院門跡ー 令和二年六月 月例柱源護摩 ​  YouTube

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探訪 京都・左京 丸太町からの寺社巡り -1 丸太町通を眺めつつ、須賀神社に へ
探訪 京都・左京 丸太町からの寺社巡り -2 積善院凖提堂 へ

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Last updated  2020.12.02 15:06:35
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