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今となってはもう信じられないけど、スタートしてから数ヶ月の間、はるるのほむぺはただひたすらに文章だけの、とても地味な印象のHPだったと思う。今から、ちょうど1年前のころ。「おおお~っ、文字が大きかったり小さかったりしてるっ」とか。「写真が山のように並んでるう~!すげえ~!!」とか。笑同じようなレベルでスタートした楽天仲間たちで、いちいち驚きながらオビエテいた(笑)こんなとこに来ちゃって、ぼくたち、大丈夫なんだろうかって。現在の自分のほむぺは、1日の日記の中に数枚の画像が入ってるのが、いつの間にかあたりまえになっているからなあ・・・。本人も意識して無いままに、こうなってしまってた~(笑)およそあの頃は、画像形式の変換方法やサイズの縮小など、近くに詳しい人がぜんぜん居なくて、なにか新しい事をやろうとするたびに「????」の、オンパレード状態だったから。くやしまぎれに、魅力的なHPってのは、コンテンツとその中身の充実だあ!!と、宣言はしなかったけど、心の中で叫びながら。ただひたすらに、文章だけの日記を書いていた・・・。画像倉庫の問題が起こって、ふと、思い出したあの頃↓。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ~。絶対絶命!!ーーージャングルの中の川辺で、大量出血のはるる。ちいさな村で世にも恐ろしい手術台に登る! 10月25日(木) あの有名なワット・ポーじゃなくって、ワット・ボーと言う村が、タイ中部の中核都市ピサヌロ-ク郊外にあります。ちょっと前までバンコクの下町にあったけど、今は取り壊されてしまった、ATTゲストハウスの心優しい男子スタッフ「アモ-ン」の実家が、ここにありました。国民の休日を利用して田舎に帰る彼に誘われて、里帰りに付き合った時の話です。このゲストハウスは、トータルで何ヶ月分も泊まっていた、はるるの定宿でしたので、オーナーやスタッフたちと友達付き合いしていました。 アモ-ンの家に何泊かした後。この故郷の村人が、みんなで少しづつお金を出し合ってトラックをチャーターして、お寺参りと川遊びに行くというので混ぜてもらうことにしました(笑)払ったのは、みんなと同じ100バーツ。ラグタイムJAZZのような、にぎやかな音をたてて、トラックのすし詰めの荷台のぼくらは異常に盛り上がりながら走り出しました。 タイの国じゅうでいちばん美しいとされる仏像がおわします「ワット・サケット」をお参りしてから、山岳地帯に向かう事、約一時間半。みんなは「滝」だというのだけど、日本人のはるるには1メートル足らずの段差しかないただの渓流にしか見えない。けれど、急流や滝の少ない国土のタイでは、これでも立派な観光名所らしい。かなりの広さの駐車場も整備されてるくらい、だもの。 ズボンのすそや、スカートをたくしあげて、みんなコーヒー色した熱帯の生暖かい川の中に入って行きます。「おい、はるおも早く来いよ~!」と、呼ばれて恐る恐る足を踏み入れる。田植えを体験したひとなら判る、あの暖かい泥の感触が裸足になった足のうしろにくすぐったい。やはり、大して冷たくなくっても熱帯の陽射しの中では気持ちが良い。結局、地元の子供たちだけでなく、おとっつあんやおっかさんまで参加して盛大に水の掛け合い。はるるも、Tシャツから頭までずぶ濡れになるまで遊んで、そろそろ岸に戻ろうとした時。ずぶり、と自分の足が何かを踏み抜いた感触。 「あ、あ~。」何だか、自分でも良く判らないけど、酸っぱいような変な表情をしていたと思います。立ち止まったままのはるるに、「WHY?」アモ-ンが寄って来る。 「ん~。」彼の肩を借りて、悪い予感の足を、そうっと持ち上げてみる。 思った通り、右足の親指のつけねから土踏まずにかけて、ざっくりと割れて大量の血液に染まっています。生暖かいコーヒー色の熱帯の川。いかにもウイルスがうようよと泳いでいそうな、この水の感触。とりあえず、何とか岸辺に上がって確かめる。公衆道徳という言葉は無い!と断言できそうだった当時のタイでは、ガラスビンのペプシやコカコーラも、ぽいぽい何処にでも捨てられていた。はるるが踏み抜いたのは、セブンナップの緑色のビンの大きなかけら。それを見たら、急に痛みが襲った。 誰かがその辺の草を千切ってきて、これを当てれば血が止まると言う。けど、止まらない。あまりに一度に出血するもので、みるみる足首から先が青白く変化して行く。そのおかげで、足先の感覚がへんに冷されたように無くなって行く。聞けば車でも、ここから一時間以内にはまともな病院も無いという。(明日に、つづく)←とても今日だけじゃ、書ききれないぞ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・http://plaza.rakuten.co.jp/ayashi/diaryold/20011026/ ↑日記のつづき(笑)あと、その日記の続編みたいなこんな日記とか↓・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・熱帯の村の夕暮れどき、はるるの生涯最高?かも知れない至福体験を教えちゃうぞぉ! 10月29日(月) バンコク下町のATTゲストハウスのスタッフ、前回の痛~い日記にも出て来たアモ-ンは、タイ人にしてはひょろりと長身でとてもはにかみや。心優しいのが仇になって好きなガールフレンドにも思うように告白できません。彼女の写真を一枚撮るにも、はるるに依頼する始末。・・・まあ、そこが良いんだけどね(笑) 足に怪我しちゃった数日前、彼の故郷の村を初めて訪れた日のこと。長距離バスの旅を終え、いちばん風通しの良い部屋をあてがわれて自分の荷物を降ろし、同じようにひょろひょろの彼のばあちゃんと、カタコトのタイ語で喋ってた。アモ-ンは、繰り返し「ぼくんちは、ビンボーだから」と言うけど、タイの農村の家の中は何処も同じだ。つまり、家具なんて、ほとんど無い。たいていの家の床は黒くぴかぴかに光る板張りで、暑い日中はひんやりして風通しも良くって昼寝には最適で、気持ちいい。フローリングなんて言葉は、ここには無いけれど・・・・日本で流行るずっと前から、南国ではこのスタイル(笑) この村、ワット・ボーでも青少年の憧れはモーターサイクル、略して「モトサイ」です。ホンダやスズキ、そしてヤマハを乗り回さないと、女の子にも相手にしてもらえません。でも、とアモ-ン「ぼくの家は貧しいから、自転車しか買えないんだ」そう言えば、ここには黒いちゃりんこしか無いや。ごめんね、と言いながら暫らくすると何処からかモトサイを借りてくる。「ハルオ、ちょっとタラートに行こう。パイ。ティアオ!(遊びにね!)」 モトサイに2人乗りして少し傾いてきた陽射しの中を行くと、大きな町のタラート(市場)と違ってここのバザールは、粗末な屋根の下に簡単に長い板が数列ほど差し渡してあるだけ。まだまだ陽射しの照り返しは強くて、屋根の下の日陰は嬉しい。その広い板の上には、さまざまな野菜、色とりどりの果物に混じって村を流れるナ-ン川で捕れた生きのいい川魚が並ぶ。冷蔵設備やショーケースなんて有るはずは無いから、元気なハエもぶんぶん飛んでる。ぐりぐり茶色のハエ捕り用リボンが沢山下がってて、ちょっと懐かしい風景だ。ふわふわしたハタキのようなもので追い払ってるおばちゃんも居る。ほっぺに化粧パウダーをぐりぐりしてる、ハッとするような美少女も居る。ここでの主役は、買う者も、売る者も、みんな女性だ。なぜか、お魚さんのとなりに、ちょっとだけ電気製品が並んでたりする。電池とラジオ。懐中電灯にウオ-クマンもどき(笑) 大したモノも買わず、彼の同級生に出会って紹介されたりして笑ってると、ずっと前から知っているふるさとに戻ったような気分になった。でも、それにしてもまだ暑い。さっき、荷物を降ろして着替えて来たばかりなのに、汗っかきのはるるはTシャツの背中がべたべたする。「アプ・ナーム」水浴びしたい、つまり風呂に入りたいと、カタコトのタイ語でアモ-ンの肩をたたく。彼は無言で頷いて、いっしょにモトサイが停めてある場所へと足を返す。 家へ戻って、部屋で石鹸やタオル、着替えの準備も整うと、アモ-ンが呼びに来る。「パイ、ハルオ」行こうぜ、と言われて彼の後を追う。台所を抜けて、家の裏手に出てしまう。「あれれ」昔の日本みたいに、風呂が庭先にでもあるのかなあ?!どんどん歩いて、敷地を抜けてしまうのに、止まらない。あれれ、原っぱの斜面を下って行くと、村をつらぬくナ-ン川が大きくカーブを描いているのに出会う。ふと、気がつくと同じような仕度をした人々が、対岸からも降りてくる。こちらからも、夕暮れの風に誘われるように三々五々、男女を問わず川辺に出て来ている。あ。そうなんだ。 みんなのお風呂は、このナ-ン川でした。そう、思うとちょっとだけ涼しくなった空気より温かい、やさしく流れる川の水が、ものすごく雄大な露天風呂に見えて来ました・・・。立ち止まってると、ちいさな魚たちが足先をつんつんつつきます。その、絶え間の無いかすかなくすぐったさが、ぼくの心を包むように歓迎してくれている、ナ-ン川のメッセージのような気さえして身震いして来てしまう。嬉しさがこみ上げる内に、夕もやがたなびいて無数のホタルが飛び交い始めました。ほんとは時間が経っていたのかも知れませんが、あっという間に闇が押し寄せて、頭上には銀河の流れが広がっていました。ふつう、これは沐浴と呼ぶものかも知れませんが。はるるにとって、これは生涯最高の露天風呂との出会い体験で、生きているしあわせを、ほろほろと実感したものでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ↑とにかく、写真がUPできなかったから、ひたすら毎日の日記がこんな風でした(笑)そして、たまには↓こんなはるる自作の詩、なんかも。はは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぼんやり。 10月30日(火) 選んだ者を選んでやろう美しいものをもっと美しくしてやろう見つめるものを見つめてやろうあのひとは ただのばかな まちがいだったのだそんな生涯を 生きよう**** **** **** ****かなしみを 全部引き出しに 収めて目を閉じるとあの昼下がりの夢 が 見えるこれは 悲劇だね何だか見たことない街まで 見える**************************************ここの詩とは、直接関係はありませんが---。今の季節になると、あるきっかけがあって思い出します。ビートルズの「フール・オン・ザ・ヒル」が、昔から好きでした。直訳すると<おかのうえのばか>・・・なんだか、いいでしょう?モトの唄も、とっても好きです。丘の上で ぼんやり笑ってる ひとりの男なにを思い なにを考え聞こえない声で たったひとりで叫んでいるよ 丘の上で・・・(はるる・訳)と言う、出だしの曲でした。 (秋の終わりの・はるる)
2002年10月31日
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来週の木曜日から、4日間の予定で8年ぶりの香港だ。中国に返還されてからは訪問したことなかったから、初めて。今までの3回は、いつものようにバックパッカーとしての一人旅の途中で立ち寄ったもので、ぼろぼろよれよれの格好でリュックをかついでのスタイルだった。しかし、今回は全然違ってる。ある有名なボランティア団体の地区会長をしている配偶者のオマケで、盛大に開催される年に一度のアジア・エリアの総会に出席するための旅、だから。 そして夜には、百万ドルの夜景を背にした、豪華なな会場のディナー・パーティーが開かれる。世界各国のひとびとが夫婦同伴で参加することが多いので、年間のネクタイ回数が、両手で数えられてしまうはるるのような人間にも、お呼びがかかったのだ。笑もちろん、タキシードなんか持ってないから、義父の衣装を一揃い、そっくりそのままお借りすることに。哀しい事に、どうしてだか知りたくも無いけれど、衣装のサイズもぴったりなのだ。ふだん、着ていないものだから、たまに慣れないスーツ姿などになるとまったく板についていなくて、まるで『コスチューム・プレイ』状態のはるるになってしまう、しくしく(笑)なぜ義父の衣装が、サイズぴったりなのか判るのかといえば、ちょっとまえに1回だけ、はるるたち夫婦が仲人をつとめた結婚式と披露宴のときに借りているので、実証済み。とほほのほ。ええい、こうなったら胸に赤い薔薇でも差して、気分はジェームス・ボンドになって行ってやるぞ!!待っておれ、香港!・・・逃げるなよっ!!メイン会場は中国返還の大式典をやった、あの香港島の海沿いのコンベンション・センターで。開会式は反対に、中国本土と地続きの九龍半島側の海沿いにある、香港コロシアムの方で行われるそうです。 しっかり、詳しく、いつものように報告しちゃうからね~♪みんな、期待しないで待っててね~~♪♪
2002年10月30日
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今月の7日に、自分のホームページが一周年を迎えて見ると、それまで気がつかなかったいろんなことも見えてきた。まず、相互リンクしていただいている楽天のなかのHPを、改めて整理して見たら休止中のほむぺがいくつもあった。閉鎖してしまったものは、自動的にHPのリンクが切れちゃうけれど、数ヶ月間ものあいだ日記が更新されていないものなどは、ちょいと微妙(苦笑)なので、とりあえずメールを入れるか、掲示板にカキコでお久しぶりのごあいさつ。これで、数週間待って反応がなければ・・・削除、かな?!でも、そうしたくないような、印象深いひとたちもいらっしゃる。バリからパリに絵葉書書いたXXさん。サイパンで永いことコンシェルジェやってたXXXさん。みんな、HPは開いたままだけれど、しばらく音沙汰がない・・。HPが一年間、継続する可能性はどのくらいなんだろう?!50%くらいは、あるのかなあ。でも、毎日のように新しいほむぺが続々と誕生してるのに、楽天全体のHP数はそんなに大きな変化はない。それだけの数、何時の間にか消えてしまう管理人が居るってことなのだ。とても愛着のある、長いおつきあいのホームページが、何時の間にか管理人とともに消えてしまうのは、さみしい。でも、「HPを閉鎖します」との、ていねいなメールをもらうのはもっとイヤだけど。いちばんいいのは、あまりムリせずに・・・疲れたらちょっとだけ「お休み」にしちゃって、てれてれたらたらと続けてくれること、なんだけどなあ。全部のカキコにレスを付ける必要は無いし、毎日の日記を書く義務も無いんだけどなあ・・・。楽天からの日記さいそくメールなんか無視して、思いっきり好きなだけサボりまくろう!!みんな、リラックスして気軽になが~~く、お付き合いしましょうねェ~♪それが、いちばんだよ(笑)たぶん。 ↑はるるの住んでいる宇都宮にある中央公園の夕暮れどき☆////////////////////ところで、びっくり?緊急質問!!!☆いつの間に 画像の倉庫が100枚になったの!! 今134枚だけど 今日1枚UPできたのに どうなってるのぉこれから 始める人が100枚?よくわからないけれど楽天ヘルプ(?)には--------------------------------------------------------パソコンにある画像ファイル(GIF、JPEG、PNG形式)を画像の倉庫に 登録しておくと、楽天広場で簡単に使えるようになります。画像は、 最大100枚まで登録できます。1枚あたりの画像のデータ容量は、50K バイトまでとなります。それ以上の容量の画像は登録できません。 --------------------------------------------------------ってかいてあるよぉ 足りるわけないじゃん!!わお!誰か、教えて?!どーなってんの???今まで、楽天の画像のリミットって最大200枚だったじゃん。それが突然、2分の一、だなんて☆影響を受ける人が沢山居ると思うなあ・・・努力して、中身の濃いHPを制作してる人ほど。(↑ここまでは、昼休みに書いた。ここ以下は、お家に帰ってから↓の、はるるのほ~こく、です♪)さっき、あたらしい画像登録にトライしてみた。結果は、やっぱりNO!・・・でした!!まず、今までのはるるの画像は70KBくらいが平均だったので、最初それで引っかかった。リサイズして、50KB以下にサイズを小さくして再チャレンジしてみると・・。『画像が100枚を超えているので、削除してから差し替えて下さい』とのメッセージが。どうやら、今まで100枚を超えていた分の画像データは、自分で削除しない限りは無事のようだ(苦笑)けれど。楽天の画像の倉庫は、どうやらこれ以上は役立たずになってしまったようです。緊急に、新しい画像の引越し先を探さなきゃあ!みんなに逢いたくて、わくわくしてる未発表の画像データが数千枚もひしめいてるからね。旅の写真、空の写真、ふるさとの写真、そして忘れちゃいけない「天使うさぎ」さんの写真も、いっぱい♪100MBまでOK!のとこが、どっかにあったような気がするんだけど誰か、相も変わらずほむぺ初心者マークのままのはるるに、わかりやすくていねいに教えておくれ。おねげえですだあ、お代官さまぁ~!!しくしく。///////////////////////////////////////////さらに、ところで、これ↓88890 2002-10-29 19:37:28 *.zaq.ne.jp 88889 2002-10-29 19:37:27 なおよしなおよしさん 88888 2002-10-29 19:37:20 *.zaq.ne.jp 88887 2002-10-29 19:34:05 龍宝15さん 88886 2002-10-29 19:31:31 Stephanie0207さん 88885 2002-10-29 19:29:38 はるる20さん ↑ついさっきの、ほむぺアクセス・データなんだけど(笑)今の今まで、ひみつにしててカウンター88888をゲットしたひとに、もんのすごい賞品をあげちゃおうと企んでいたのに、正体不明サンがすり抜けて行ってしまいましたぁ~~~~!あああ~っ!残念、無念。ほんとに物凄い誰でも喜ぶ豪華賞品だったんだけど、まあいいや。次回のなにかのために、ひみつにしとこっ!あははのは。なんせ、はるるのところはキリ番なんかカンケー無いことになってるほむぺなもんで、今まで1000の時と、55555の時の2回だけ、気まぐれでプレゼントをあげたことがあるのみ!今回のプレゼントは、そりゃもうスゴイ賞品だったんだけどね♪ああ~、残念!(中古だけど、はるるが使ってた現役のデジカメと旅行券のセット、だった!)ついついひみつ、バラしちゃったけど、まあいいや。とられなくて、よかった、かな?!はは。//////////////////////////////////////////////////////北関東、今朝はとても冷え込みました。宇都宮の最低気温は、たったの3度。栃木県の平野部では「初霜」を観測したそうです。それどころか、奥日光では「初雪」だものなあ・・・寒いわけ(笑)昨日の夜は早い時間から、飛騨の純米吟醸酒が美味しくて、手料理や残り物料理を肴にして、配偶者と差しつ差されつしてるうちにすっかり出来あがってしまい、なんと夜の8時にはぐっすり寝ついてしまった(笑)←まるで、おこちゃま♪で、まだ暗い時間の4時頃に目覚めてしまったので、階下に降りて行くと空気の冷たいこと!おまけに、リビングはフローリングなので、あわててスリッパを履いた。それでもまだ、足のゆびさきがしびれるように冷たいまま。だんだん小さくなってゆく秋の背中が見えて。ふゆは、確実に忍び寄っている。
2002年10月29日
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秋がどんどん深まっていますね・・・・お寝坊の季節にもなりました。朝の空気も冷たくて、少しでも長い間、ふとんのなかでぬくぬくとまどろんでいたくなる(笑)?!そう言えば、パソコンのモニターの前でうとうと『オン寝』してる人も、居るんじゃないかな~?!インターネットに繋いだまま、その前で寝ちゃうことを「オン寝」と呼ぶこと、最近知りました(笑)オンラインで寝ちゃうから、そう言うみたいです・・・。それはさておき、季節の移ろいがあるのに、逆行してるなあ。はるる、と言えば季節はずれなことに今頃になって、数週間前にカンボジアとタイで日焼けした腕の皮膚が、ぼろぼろと剥けはじめています(笑)この、ささやかなむずがゆさが、南の国の強烈な陽射しを求めてるみたいで、なんだかさみしい。北関東もずいぶん肌寒くなったけれど、今朝はなんとか雨が上がったので、午前中フリマのはしごをしようかと思ってます。配偶者もひさしぶるに、のんびりとしてる(笑)はず、なのに。(まったく、どこがのんびり、なんだか、苦笑)以下、日曜日の配偶者のスケジュール↓そのくせ、午前10時からともだちのお茶会に出ると言って、玄関前が気になると草むしりしてからそそくさと外出してった。12時から、芸術祭の演劇部門の発表する娘のゆめの出演を見るために、市文化会館ではるると待ち合わせ。そのあと別行動で、3時からクラブの地区の打ち合わせで、ちょっとした会合。終わったあとの夕方は、11月8日に香港であるライオンズの世界大会ではるるが着用する、フォーマル・スーツかタキシードを義父に借りるため、配偶者の実家に現地集合(笑)はるるが、持ってるスーツでサイズが合うのは数着しかないんだもん。最近はネクタイに縁が無い生活してるから、ね。悲しいことに、義父のサイズとぴったりなんだ、ははは。↑自分で、自分の首をしめてる配偶者、ですけどね。今日もフリマをはしごするけれど、ぼくは旅先でもフリマを見つけるとよく覗きます。あと、床屋サンで髪をカットしたり・・古式マッサージしたり・・・すると、異国にいてものんびり、リラックスしちゃう♪ 移動したり、観光したりじゃなくって、ひとつのところに留まって時間を止めていると、非日常の旅の途中の世界が、ぐぐっと手元に引き寄せられて、日常に近くなる。一人旅の、世界じゅうから切り離されたような違和感が、とたんに消えてしまって、自分の外側の異国じゃなくて、ゆるゆるとやさしい内側の世界に変換してしまう♪ 世界じゅうで、みんな何処でも似たようなこと、やってる。上り坂の国家と、過去の栄光にすがる落日の国。それだけじゃなくって、原因は実にいろいろ・・・。南北問題は、先進国と開発途上国(←この言い方、あまり好きじゃないケド)だけじゃなくって、あらゆる国の近隣諸国同志で発生してる。学校生活だって、同じクラスでも、みんな仲良しにはなれないし、隣りのクラス同志のつきあいだって結構むずかしかったりする。主婦同志、同じ職場同志だって同じく、派閥をつくったり、ねたんだり、裏切ったり。にんげんって、進歩が無いよなあ・・。 ↑天使うさぎが乗ってるこのリュックは、一人旅のカナダ人女性のバックパッカ-のもの。アンコール回廊の西北側で、西の空を望む。ここでも、おっこちないように必死になってる高所恐怖のうさぎさん。(だれだろ、こんなヒドイ目に合わせてるのは・・?!)アンコールワット観光自由化で、一見、平和に繁栄してるかに見えるシェムリアップの街だけれど、この付近からポルポトの残党が一掃されたのは、まだそんなに昔のことじゃない。アライモノさんが言ってた、山の中の川に沢山の彫刻がある聖地は1999年の春に、やっと戦場じゃなくなって一般者が自由に巡礼出来るようになったばかり。ゲリラの本拠地もあって、とても近づけない場所だったのだ。下手に細い枝分かれ道を進んでしまったりすると、地雷もまだまだ残ってる。観光名所や、街のオールド・マーケットなんかには、必ずと言ってもいいくらいに、地雷で両足を失った人などが物乞いする姿が見られる。片足になって、義足で歩いてる人も、注意して見てると、けっこう居る。みんな、片足くらいでは日常に差し支えなく、スムーズに歩いてるからぼんやりしてるとワカラナイ。 ↑カンボジアと言う国での、誰かのわすれもの・・・それより、あまりに日常的だったので衝撃的だったのが、子供達が元気に集団で遊んでる姿だ。ときどき、肌の色のやたらに白い子や、ブロンドの髪をしてる子なんかが混じってる。別に、みんなと一緒になってはだかんぼになって、川に飛び込んだりしてるのはまったくの地元っ子と変わりない。みんなと同じ様に、貧しい格好をしてるけど、顔立ちは白人そのもの、だったりしてる。アンタック?だっけ。国連の平和維持軍。ここ、シェムリアップには、けっこう長い間駐屯してたみたい。その兵士たちが、現地のカンボジア女性との間にこしらえて、そのまま置き去りにして行ったワスレモノ。日本人の自衛官や警察官との間にも、同様のケースがあって、週刊誌ジャーナリズムなどがニュースにしたことも、あった。みんな、忘れてるけど。沢山の外国人の兵隊さんがこの街で、完全武装で平和を維持しなきゃならなかったのは、ついこの間、だったのだ。アンコールと、その周辺の素晴らしい無数の遺跡たちは、東京23区ほどもある敷地に、変ることなく聳えている。 ↑夜明け直後、アンコールワット最上部の、東北の角の回廊で。高さにビビってるうさぎさんの向こうには、背後のジャングルが広がってます・・。 **** ****「カンボジアでの、わすれもの」・・・この、いちまいの写真をUPしたくって、日記の一部を再録しました。シェムリアップと、その周辺のアンコール遺跡群は、2002年現在観光客が押し寄せて、その治安は首都のプノンペンより良いくらいです。////////////////////////////////////////////////////////ここからは、おともだちの「らったなー」さんの文章です。(ご本人の了解を得て、レポートを転載させてもらいました♪)<アンコールの子供たち>1996年にアンコールワットを訪ねた。1993年にPKOが終了し、それから2年後、まだ内戦の傷跡もさめやらぬ時であった。ガイドブックもほとんどなく、カンボジアの情報をほとんどもたずに行った。ベトナムからプノンペンへ飛行機で行ったのだが、雨季のため見渡す限り水であった。湖?と思ったが、所々、屋根が見えた。田も家も洪水で水に埋もれているようなかんじだった。 プノンペンの町は、ラオスの首都ヴィエンチャンを少し大きくしたようなかんじだった。ラオスとカンボジアは、同じ宗教であり、文化もにている。そして、フランスの植民地であったことも影響しているのだろう。びっくりしたのが、プノンペンの町が意外にきれいだったことである。きちんと整備されていた。内戦の傷跡がまだ感じられたが、それでもこんなにきれいな町。内戦がなければ、もっと発展していただろう。まだ治安は悪かったが、プノンペンの町はとても好きになった。ツール・スレーンは、学校を拷問場として使った所である。せまい牢屋。鉄鎖。床にはまだ血の跡があった。一番驚いたのが、壁一面に、人の頭蓋骨で大きなカンボジアの地図をつくってあった部屋である。カメラをむけることもできず、ただ立ちすくんでいた。どうして、人はここまで残酷になるのか、、、いたる所に物貰いがいた。手足のない人たち、、、うつろな表情で、いきる希望も失っていたのだろう。自分が何十万というお金をだして、ここにきていることがなんだかとても複雑だった。雨上がりのアンコールワットは、すばらしかった。観光客もほとんどいなかった。しかし、アンコールワットや他の遺跡に行く道のいたるところで銃をもって検問を行っていた。1ヶ月前に旅行者が殺されたため、アンコールトムやいくつかの遺跡は銃をもった警察、兵士?の護衛つきであった。今はそんなこともないらしいが、、、そして、その遺跡をまわっている間、ずっと子どもたちがついてまわった。ガイドして、チップをかせぐのである。バスで移動しているはずなのに、次の遺跡へ行くと、もうその子どもたちが待っていた。どうやら、近回りをして、走ってきているらしい。「ここで写真をとるといいよ。撮ってあげる。」と、とても親切。日本語担当の子や英語担当の子、タイ語担当の子、なかには何ヶ国語も話すことができる子もいた。学校に行って、語学を学んだわけではない。プロのガイドと観光客の話を聞いて覚えたり、観光客と話すことによって言葉を覚えていくのである。しかし、ある子に「いくつか?」と聞いたら「わからない」と言っていた。学校にも行っていないとのことであった。何ヶ国語も話せても、自分がいくつか知らなかった。「チップ、チップ、チップ。」としつこいくらい言われるけれど、彼らもしっかりガイドしてくれたはず。(けっこう本格的)あんまり高額をあげる必要はないけれど、ガイドをしてもらったのなら、少しくらいのチップはあげてね。(聞くだけ聞いて、チップもあげないケチな日本人がいた。)それがいやだったら、最初からガイドを断るか、無視。1997年ふたたび内戦勃発。これはすぐに落ち着いた。今も決して治安が良いわけではないけれど、カンボジア。もう一度、訪ねてみたい国である。 このレポートを書いた「らったな-」さんの、『ラッタナ-』とは、ラオスの言葉で『宝石』を、意味しているそうです。ステキなHNですね。はるるが、生まれて初めて出来たタイの友人の名前も「ラッタナ-・ラシャナロン」という名前の、ちょっと目には女子高校生にしか見えないような人妻、でした。ご主人は警察の若手幹部で、そのときは東京大学の法学部に国費留学中のようで。ラッタナ-さん本人は殆ど独身生活と同じ状態。1986年当時は、プラティ-プさんの下でクロントイ・スラムでの幼児教育のボランティアに精を出している最中、だった。その忙しい合間に、生まれて初めてのバンコクを食事も名所も学校も、案内していただいた。東北部イサ-ンのサコナコ-ン出身の、このひとのおかげではるるのタイ人に対する印象は決まったようなもの、なんです。このタイのラッタナ-さんに関しては、写真なども添えて、いずれ詳しく紹介しますね。なんせ、エア・インディアが成田からバンコクへ行くのに、香港経由だった時代の話、ですけど(笑)////////////////////////////////////////////////////////話が、どんどんジャンプして読みづらい日記になってしまいましたあ。おごめんなさ~い。そして、ここまで読んで下さったかた、どうもありがとう…
2002年10月27日
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普通の家庭だと、何日か出張で家を空けていたご主人さまが自宅に戻ると、その空白の数日のうちにあった身辺の出来事を、子供のこと、学校や近所のこと、親戚や身内のことなど、あれこれあれこれとまくしたてる奥様がいらっしゃる(笑)内心、「うっせえなあ~(ムカツキ)もう、コッチはよお~、疲れてんだからさあ~、かんべんしてよ~もう~~っ!」などと思ってるご主人も、うっかり口ごたえしたり、黙ってたりしてると、後がどうなるかは経験上知っているので、おとなしく相槌を打ちながらふんふんと聞いたフリしてる。・・・・どこにでもよくある風景、ですよね(笑) ↑はるるの自転車で、10分ほど自宅玄関から走ったら、ゆるやかな棚田の夕暮れが、目の前に広がった。斜めから射してくるきんいろの陽射しが、すっかりやわらかく変ってる。特に、子育てと家事に追われて、狭い日常の生活の中に日々を過ごすひとたちにとって、心置きなく何事もあけすけに吐き出せる、貴重なパートナーだものね(笑)やっぱり、ここは手ぐすねを引いて待ち構えてる・・・もう、風呂も入ったし、ビールも飲んだし、ここはもう切り上げてさっさと寝ちゃいたいところなのに、話しはエンドレス・テープのように果てしなく続く☆でも、ひょっとして、ひょっとすると、その上さらにその後に、別のオツトメまで、手ぐすね引いて待っている場合も、無いわけでは無いし。(もうほんとに、こんなとこで過労死、しちゃいそ★ナンテ☆) ↑この近くの住宅街のカーブで9月21日、三万円が天から降ってきた♪(詳しいことは、その日の日記を読んでね☆)でも、これが男女反対の立場なら、どうなるのか?つまり、長期出張によく出掛ける配偶者の妻と、その留守を子供と一緒に家で待ってる夫、の場合は。実は、はるるの家庭が、最近ずっとこんな感じなんですけどね。 ↑宇都宮の中央公園前のボタン信号。結論から先に言うと・・・結局、変わらないみたいです。荷物を整理して、リラックスした普段着に着替え、ダイニング・テーブルで向かい合ったとたんに、出張先であったことや、共通の知人のうわさなど、それまで溜まってたものを一気に吐き出す感じで、機関銃のような連射トーク攻撃。それまで、独身時代の部屋のようにしずかにゆったりしてた室内が、あっという間に日常に戻されてしまう。女性は、どこまでも、やっぱり女性ですねえ。ま、それでいいんでしょうけれど。 ↑あかねに染まった流れの音を聴いていると、ほたるがひとつ。ぼくの自宅から歩いて数分の、パチンコやさんの後ろの小川で見ていた夕暮れ。そう言えば、はるるがいつもの長期の旅行から戻っても、連射トークなんか無いもんなあ。「ただいま~」「おかえり~」「うう~」で、おしまい。あはは。旅に出るとき、必ず言われるのが「旅先から、電話くらいしてね」なんだけど、特に、こことところサボりがち(笑)「HPの日記読んでてよ~」って。済ませちゃおうとする。当然、ぼくの配偶者は腹を立てるけど・・・・。はるるは、相変わらず反省してない。注)ふだん配偶者は、はるるのやってるこのほむぺを絶対に読んだりしません。と、言うのも幸いなことに、ぱそこんの操作などが不得意なもので。ぼくが旅行中にぱそこんを立ち上げ、HPを呼び出して、日記を開くのも、全部ムスメの世話にならないと出来ない状態なんです♪おかげさまで・・・・タスカッテマス(笑) ↑はるるの家のガレージ前で見た流星☆////////////////////////////////////////////////////////さて、ぼくが愛読してるメルマガに『タイの三面記事』というものがあります・・・・今日の夕方届いたその最新号に、すごく気になる記事があったので、一部、転載↓させていただいて紹介しちゃいます。イギリス人の青年、浮浪象を買い取り森に帰す。────────────────────────────── 23日、ロンドンのパブのオーナー、チャールさんは次のように語った。『私はタイに来て5ヶ月になります。その間バンコクに出てきて浮浪している象を見て可哀想になり、象たちを自然の森や住みやすい環境の元に帰してあげたいと思いました。そこで、スリンから象を連れてバンコクに出て来て、シーロム周辺を浮浪していた象使いと話をつけ、彼の連れていたメスの象(約30歳)を30万バーツで買い取る事にしました。既に前金を払い、残金は今日支払うことになっています。浮浪象を1頭買い取る事に決めたのは、《象を自然に帰そう》というプロジェクトをやっているからです。象を引き取ってから暫く休養させ、その後、森に帰す為の準備をしてから、トラックに象のエサを乗せ、森に帰すつもりです。私の計画では、ランシットからチェンマイまで1日に2時間づつ象に乗り、4ヶ月を掛けて行き、そこで、象を自然の森に帰す予定です。出発は11月の1日を予定しており、私が象に乗り、全員で10人ほどのチームを組み、予算は150万バーツを予定してます。チェンマイまでの行進中は、道中で象の保護に関するビラを配り、象に対する虐待を止めさせ、象の重要性を伝える事にしています。このような活動をするのも、タイの象の重要性を知らしめたいが為です。私はこれまでに3ヶ月を掛けて象に乗る訓練を受け、象と親しむ方法を身につけました。 』 タイ語の現地掲載紙⇒(カオ ソット 10.24)↑実は、はるるも今回の旅行途中でシーロムかいわいをウロウロしてて、何度もこのぞうさんを見掛けていた覚えがあったんです。他にも、同じ様な運命の小象さん、なども別の繁華街で見掛けたし。写真も、何枚か撮ってあったので、ここに一枚だけ。 ↑状況から言っても、バンコクの下町を歩いてる、このぞうさんのこと、だと思う。たぶん。
2002年10月25日
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ごめんなさい、今日はなんだかマジメな日記になっちまった(汗)『アンコールワットは何百年ものあいだ、密林に埋もれていて忘れられていた幻の遺跡』なのだ、と言うのは大嘘、だったことに、現地に来て初めて知らされた。よくよく考えてみれば、いくらジャングルと言っても戦乱や天災、幾多の王朝の栄枯盛衰に関わりなく、その土地に根付いた町や村の集落での庶民の日常生活は、いつものように続いて居た訳で。(笑)東京23区に匹敵する広大な敷地に展開される、神の宿る巨大な石の構築物は、いくら熱帯の植物群が繁茂したところで、隠れようもない存在だった。当然、地元インドシナの住民たちだけでなく、アジア地区で交易にたずさわる商人たちや白人の宣教師たちにも、アンコールの遺跡群は広く周知のこととして認知された存在だった・・・。ただ、辺境のそんなものに興味のない欧米の大多数のひとびとが、まったく知らなかっただけで(笑) では、なぜ「忘れられた幻の大遺跡が、密林の中から発見!」されたことになってしまったか、と言うと・・・。1860年に、アンコール遺跡を「再発見」したとされている、フランスの自然科学者アンリ・ムーオ。探検家でもあった彼の著書「アンコール・ワットの発見」が、ヨーロッパで大ベストセラーになり、センセーショナルな話題となって、西欧の人々のオリエンタル熱をかきたてた。13世紀には、中国の元王朝の使者がここを訪れつぶさに観察した記録が、公式文書となって現存しているほど、歴史的にも認知された寺院だったのに・・・。笑それまで、自分の知識(地図)に無かったものは存在しないもの、と言うことになってしまう、白人至上主義の傲慢さ。ーーーそこには大航海時代以来、繰り返されてきた『発見』の、まやかしが、ある。・・・・ほんとは、その周辺のひとなら誰でも知ってることを、西欧社会に向かって広く紹介しただけ、だったのだ。確かに、境内はアンリ・ムーオの「再発見」当時、ジャングルのように樹木で覆われていたと言う。けれど、その寺院のすぐかたわらでは、いつものように農民が畑を耕していたのだ。・・・・・こんなこと、ガイドブックの何処にも書いて無かった! ↑たそがれの大樹海に沈むアンコール遺跡、遠望。正直言って、少し見くびっていたのかもしれません。こんなに、ものすごいスケールの建造物だとは、思ってもいなかったので、その全貌を目の当たりにしたときは、圧倒されてしまいました。言葉が出ないってことは、ほんとうにあるんですね。豊かな水と、あふれかえる緑のなかで、目にみえない遥かな高みにまで続いているような、魂の深い部分を揺さぶりかえすような、その存在感。 3日間有効な、40ドルの入場パスを購入したので、明日もあさっても、この至福の広大なみどりの空間を歩き回ることが出来ます。1日パスが20ドル、3日間パスが40ドルで、一週間有効パスが60ドル。カンボジアの物価にしてみれば法外な値段だけれど、この国の唯一と言っていいくらい、貴重な観光資源&収入源なのだ。外国から来ている旅行者たちは、あまり文句は言えないかも。生きているシアワセを実感しながら、いま、のんびりしたシェムリアップの街に戻って、同じゲストハウスの数人と、川辺の風景を肴にビールを飲んできました。タイ料理の親戚みたいなカンボジア料理の屋台めし、おいちい。(↑アンコールワットを初めて目撃した日、2002年9月23日のはるるの日記の一部、より)///////////////////////////////////////////////////////さて、最近の↓バリ島情勢、です☆ ↑バリのデンパサ-ルの博物館の庭.『バリ州政府が声明を発表』インドネシアのバリ州政府は10月15日、爆破テロ事件を受け声明を発表した。事件で被害に遭った遺族に哀悼の意を表するとともに、バリ島を訪れる予定の旅行者と旅行関連業者などに対し、州警察や自治体が一丸となり、安全確保のための対策を講じるなどとしている。 また、島内の現況については「ほとんどの観光施設、ホテル、レストラン、空港施設などが通常通り営業されており、従来と何ら変わりなく観光できる」としている。*** *** ***JTB、日本旅行、ジャルパックの3社は10月18日、今後のインドネシア方面の主催旅行の催行に関する判断を公表した。外務省が14日付で、バリ島への渡航に関する危険情報を引き上げたことを受け、3社は21日出発までの同国への主催旅行をほぼ全面中止していたが、22~28日出発のツアーも見送る。 JTBではバリ島を含むツアーを催行中止したことについて、「より具体的な内容を確認したうえで、例えば利用ホテルを絞り込むような必要があれば対応したい」などとして、今後、主催旅行の早期再開に向け、ホテルをはじめとした警備体制の確認など徹底的な調査を実施するという。10月29日以降出発分の催行は、各社とも10月25日までに決定する方針。また、11月29日までの主催旅行については10月28日までの申し出に限り、取消料を免除する。 また、3社では唯一ジャルパックがツアーを継続してきたビンタン島について、JTBと日本旅行の両社も主催旅行の再開を決定した。JTBは19日出発分から、日本旅行は22日出発分から再開する。↓事件のあったレギャン地区の美しいビーチへの出口。↑このほむぺに掲載の写真は、すべてはるる自身の1万円ちょっとの安物デジカメだけで撮影されたものです♪
2002年10月22日
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トレンサップ湖は、東南アジア最大の淡水湖だ。しかも、カンボジアの国土の中央部にあって、雨季と乾季の降水量の差で3倍もの面積の変動がある。雨季のトレンサップ周辺を上空から見下ろすと、見事に大地全体がひたすら水浸し(笑)森も林も、田んぼや畑も、家も道路も、役場も教会も学校も、イヌもニワトリも。 ↑遥かに広がってゆく水の中の一本道。これを真っ直ぐ行けば、アンコールワットのある、深い森までつづいてる。(雨季はこんな、だけど。乾季には、この辺あたり一面に緑の大地が広がっているんです・・。水牛じゃない普通のウシさんだって、今は水浴びなんかしてるけど、乾季にはふつうに草の上で寝そべったり、お食事したり)別に、洪水による水害の被災地なんかじゃないんだよね。季節ごとに繰り返されてる、ただの年中行事だから、もちろんみんな平然と水浸しのなかで日常生活を送ってる。さて、以下は先月9月末。カンボジアの都市「シェムリアップ」滞在3日目の、ビール飲んで食事したあと、現地のインターネット・カフェで更新したはるるの日記を元に、かなりの部分を加筆。さらに映像を加えてバージョン・アップしてみました。でも、これでも、まだまだ言い足りない・・なあ。//////////////////////////////////////////////////////朝は、まだ夜も明けきらないアンコールワットに、最後の訪問。5時前に着いてしまったら、あたり一面は夜のしじまの中で・・。西の空の月明かりだけが、遺跡を支配していた。満月の銀色のような輝きとちがって、うすい水色のようなひかりのオーラみたいなものに、自分まで包まれそうな。まだ、沢山の星も残っている。夜明け前の空が、いちばん闇が深い・・・。 ↑夜明け近く、アンコール遺跡に浮かんだ十七番目の月。まだ、ポリスもでも来ていない時刻だったので、乗せてきてくれたバイクタクシーのドライバーも、ひとりで入場すするのは危険があるという。どうしようかと、ためらっていると間もなく、職員とポリスマンと、観光客とガイドがどどっと押し寄せてきた(笑) ↑兄弟が交代で操作、末っ子もベテラン船長。アジアの大部分の小舟がそうなんだけど、日本で廃車になったトラックなどのディーゼル・エンジンが搭載されてる(笑)故障が少なくって、評判は良いみたい。昨日はアンコールワットの上から下まで、目一杯に上ったり降りたりしてしまったので、今回は腰を落ち着けることにした。本体に続く有名な一直線の石畳の手前の、朝焼けのおすすめビューポイントで、東の空とその下にそびえる三つのパゴダに、向き合った。 ↑西楼門を出ると、まぶしい朝日が射す参道。すがすがしい空気が透明な、夜明けのアンコールワット。こころなしか、空が明るくなって来る。駆け足で、太陽の気配が忍び寄る。最初の日の出の瞬間には、いろんな国から来ている観光客たちの間からも「おおーっ」と、声があがったほどに見事なサンライズ。宿に戻って、シャワーのあとに、昨日の朝と同じフランスパンの朝食。ただ、今朝はとなりのカンボジアのひとの真似をして、美味しそうな明るい緑色のジュースを注文。・・・豆乳、だった(笑)パンのオープンサンドが25円。ジュースが13円。午前中は、昨日見逃した東北部のアンコール周辺遺跡を。お昼に戻って、シャワーのあとにお昼ご飯のはず、だったのに天井の回転扇風機が、あまりに心地よくって、つい次のスタート時間まで熟睡してしまった・・・。 ↑東南アジア最大の湖にワクワクしちゃってる、うさぎ。からだが軽いので、水の中では楽しそうにプカプカ浮いてます(笑)こないだのお洗濯でも、実践済み。腹が空いたまま、シェムリアップの南部に広がるカンボジア最大の湖トレンサップ湖に向かう。明治のチョコレートと、タイのセブンイレブンで買ったガーリックトーストのスナック菓子を、腹の足しにと持参して。 ↑もう、ずいぶん沖合いに出て来たけれど、草むらや林がある。この辺も、ついこの間まで、陸地だった・・・。おおきなイカダの上に展望レストラン(と、呼ぶには、いささかボロッチイけれど)が浮かんでる。ただただ、ひろびろと広がるばかりの水面のところどころに、雑貨屋や食堂のイカダとか、ガソリンスタンドのイカダなんかが、ぽつりぽつりと点在していて、不思議にオモシロイ☆雨季になると、乾季の数倍の面積に広がるこのトレンサップ湖は、まるでフロリダ半島の先のキーウエストのよう。ちょっと高くなってる道路以外、両脇の家も畑も田んぼも林も、全部が全部、水没してしまっていて、あるのはただひたすらに茫漠とつづくばかりの、あふれかえるように豊かな水の連なり・・・。 ↑ズールーの漂海民の湖バージョンだろうか。半分以上の家は、イカダの上に建っているから。季節や魚たちとともに、風のように移動しているひとたち。千と千尋の、あの水のひろがりが現実のものとなって、目の前にひたひたとさざなみ立っている。7ドルにまけてもらったおおきな船に、たったひとりの客として座っていたら、野生の大型の鳥が二羽・・・頭上を横切って行った。その影の、大きかったことに、うさぎさんと一緒にびっくりした。帰り道、トレンサップ川にかかる木造のささやかな橋たちに、心を奪われる。プーさんの100エーカーの森の小川に架かってるようなのや、ムーミン谷のお馴染みの橋みたいのが、熱帯のうすい珈琲色した流れの上に、すてきなたたずまいで居るのだ。中には、屋根が付いてて、マディソン郡にありそうなの、とか(笑)でも、みんなどこか不器用なてづくりの香りのする橋の数々。(その、写真も沢山撮ったから、あとで特集します♪) ↑水面に漂うキリスト教会。旧フランス領インドシナは、ラオス・ベトナムと一緒に、カンボジアも含まれていた。植民地時代の名残で、フランスパンやキリスト教も、したたかに戦火をくぐり抜けて根付いて居る。とにかく、どこまでも水におおわれた別次元世界が、ぽんと目の前の日常となって放り出されたみたいで、わくわくのウオーターワールドでありました。なんだかしらないけれど、まいにちうれしい。オールド・バザールの屋台飯をドライバーと一緒に食べて、夕陽を眺める遺跡のある丘に向かう。昨日の夕焼けは、雲が多くて冴えなかったので、リターンマッチなのだ。今夜はカンボジア最後の夜なので、同宿の人間たちと、ビールをいつもより多めに飲む。///////////////////////////////////////////////////////http://homepage1.nifty.com/PardiseCity/index.htm↑アンコール遺跡が解りやすく解説された写真集、見つけました。
2002年10月20日
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カンボジアにも、インターネットカフェはあった(笑)さすがに、どこもオープンしたばかりのような新しいお店ばかりで、料金は1時間でUS2ドルのお店が多かったな~。ちょっと前まで内戦が続いてた国だから、行って見るまでは心配してたんだけど、ほんとに最近はどこにでもあるなあ・・って感じ。西域の砂漠のオアシス都市にも在ったし、ヒマラヤ山脈ののふもとでも見かけた。さんご礁に囲まれたちいさな島にも、雨水しか飲めないような田舎の村に在る雑貨屋の店先でも。こうして思って見ると、はるるも色んな場所から、メールしたな・・・。さらに、去年の秋からは、海外の色んな国からこのホームページの更新作業まで、やってるし・・・。 ↑タイのプーケットからフェリーで2時間ほどの楽園の島、ピピ島のインターネット・カフェで。1分で2バーツは、ちょっと高い。(現在1バーツは3円弱、です)いま、クラビやバンコクでは1分1バーツが普通料金。それから最近、国際電話してるひとはみんなカフェを利用して、こんな感じで格安のインターネット電話を利用してますよ。このほむぺの日記をここのカフェで更新したときは、天使うさぎが行方不明中だったなあ、そう言えば。思い出しちゃったよ、ああ良かったなあ・・・再会できて。このときは、諦めながらゴミになって燃やされそうななった忘れ物のうさぎのこと、書いたんだっけ。つい、この間までの旅先では、国際電話も一回で数千円もしちゃうし、絵葉書なんか出しても、本人の帰国の方が早いような郵便事情の国も珍しく無かったし。いったん、数週間や1ヶ月くらいの旅に出てしまうと、ほぼ音信不通が当たり前、だった(笑)世界じゅうから切り離されて、たったひとりぼっちの自分を噛み締めながら、心地良い不安の海を漂ってる一人旅、だったのに。もう、あの旅先での不思議な緊張感は、無い、よなあ・・・なんだか、便利になりすぎて、地球が広かったあのころがとても懐かしい。こうしてるあいだにも、地球はどんどん狭くなってる。///////////////////////////////////////////////////////さて、本日も断片だけどバリ続報です。↓☆インドネシアのバリ島で爆破テロが発生したのを受け、外務省は10月15日、バリ島に続き、ジャカルタなどインドネシアその他地域への渡航に関する危険情報を、従来の「十分中止して下さい」から「渡航の是非を検討して下さい」に引き上げた(一部地域除く)。 これに伴い、旅行各社は、近年ツアー人気の高まってきたビンタン島に関しても、主催旅行の催行判断を迫られた。 ↑雄大な火山と湖を間近に見晴らす、キンタマーニ国立公園のとても展望の良いレストラン。ビュッフェスタイルのランチを案内してくれた、ふたり。串焼きのサテがとりわけ美味しかったなあ・・ バリ島ツアー(主催旅行)を一時的に催行中止とした旅行会社が多いなかで、一部には催行続行を決めた旅行会社もある。 大手の中ではJTBやジャルパック、日本旅行などが21日までの催行中止を決定。さらに、21日までの申し出に限って11月21日出発分まで取消料を免除する方針としている。 東急観光は10月21日まで催行を中止し、22日から再開する予定だが、ジャルパック主催商品の販売比率が高いこともあり、混乱回避などの観点から今後再考する可能性もあるという。 このほか、阪急交通社が11月12日出発分まで、全日空ワールドが10月31日出発分までそれぞれ催行を中止。各社とも催行中止を決定した出発日以降の対応は、様々な状況を加味した上で後日改めて検討することになる。 その一方で、近畿日本ツーリストとエイチ・アイ・エス(HIS)のほか専門会社の一部が主催旅行催行を中止しない方針を決めている。近ツーは「予約済みの顧客に改めて旅行参加の意思確認を行う一方、現地ホテルなどには保安体制の強化を要請した」としており、HISもバリ支店の規模、サポート体制などから催行可能と判断したという。 ↑芸術村ウブドで見つけた、みどりにおおわれている、ちいさなブティック。 バリ島に拠点を持つツアーオペレーターなどからの情報を集約すると、現地の状況は次の通り(状況は急変する場合もある)。 デンパサールのングラライ空港は、オーストラリアから警備員が増員されている。チェックイン時には荷物検査に時間がかかる様子。定期便は平常通り運航されているが、チェックが厳しくなっており出入国審査、税関では多少時間がかかる。 現地公共バス、タクシーなどは平常通り(進入禁止以外の場所を除く)。街や店舗などについては、爆発現場以外は平常で、外国領事館などは警察による警備が強化されている。 主要観光スポットも通常通りだが、爆発現場となったレギャン通りは一部通行止めとなっている。オプショナルツアーは、「KUTA SHOPPING」以外は平常通り催行されている。ホテルの営業状況は、水、電気などのインフラを含めレギャン通り沿いのホテル以外は通常通り。 今年4月の同情報見直しに伴って国土交通省は治安悪化地域などにおける主催旅行催行の可否を旅行各社の自主判断に委ねており、今回のバリ島は主要旅行先としては初のケースとして注目されたが、判断は会社間で分かれた結果となった。(TABI通信、より) ↑レギャン・ビーチで朝の散歩から自宅に帰る途中だそうで、なんだかとても仲の良いカップル。声をかけたら、頼みもしないのにポーズしてくれた♪☆今夜のニュースで配信、消息不明だった神奈川県の夫妻のご主人の遺体が確認されたそうです。ついに、日本人にも犠牲者が。////////////////////////////////////////////////////////6日間の出張から戻って来た配偶者、自宅に2泊したかと思ったら、今度は夜中の2時半に起きて4日間の出張に飛び出していってしまった・・・再び、パートタイム独身のはるる、です。ちょっと、さみしい。ムスメのためにご飯を炊いて、簡単なおかずを作る。10年ちょっとまえ、までは(笑)炊飯器を使っても、ご飯なんか炊けなかったはるる。あやしいたんけんたいごっこで、キャンプ料理の面白さと奥深さに目覚めてしまい、以来自宅でも簡単なものなら結構自分自身で調理するようになった。はるるが一時、夢中になって周囲のひんしゅくを買ってる趣味の数々も、たまには役に立って配偶者にほめられることもあるのだ・・・。ほんとに、たま、だけどね(笑)
2002年10月18日
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あんな平和で、おだやかな島なのに。「インドネシア国内の人が起こすとは個人的に思えない」と、おっしゃるひとも居るんだけど。 けれど・・・インドネシア、世界最大のイスラム教徒をかかえる国、でもあるんですね。けれど大部分の国民にとって「バリ島」は、異国みたいなもの。独特の文化をもって、バリ・ヒンドゥーと呼ばれる独自の宗教を伝統的に継承している、イスラムに較べて戒律もゆるい異質の島。ひとつの国のなかの、もうひとつの外国みたいな性格も、持ってる。 メガワティさんも、国内のムスリム勢力の圧力もあって、インドネシア内の過激派組織への取り組みが、もうひとつだった。増して、今回標的になったクラブは、『インドネシア人は立ち入りお断り』の店。犯人達には、イスラム国家に侵入してくる、欧米を中心とした西欧文明の象徴みたいに、映ってしまったのかも知れませんね。 世界的なネットワークを持ったイスラム過激派の関与も、もちろんあるでしょうけれど・・・同じ国民の関わりも無視できない部分は、あるでしょう。いずれにせよ、哀しい「負の連鎖」ですね。憎しみが憎しみを呼んで、さらに大きな悲しみが、悲しみを呼んでしまう。モンキーフォレストの奥に分け入ると、渓谷に下りてゆく階段がある。聖なる水の注ぐ岩壁の上には、数メートルのリアルなとかげの石像が苔むしたまま、沈黙と共に見守っていた。知らずに角を曲がると、ふいにこれに出くわすことになり、どきりとする。だって、こう言うのが↓何匹も居るんだもの☆ ↑これらのデジカメ映像のすべて、2002年春、バリで撮影。さらに、犠牲になったひとたちに追い討ちをかけるのが、戦争やテロを対象外にしてる保険規約のせいで、どこからも金銭的な保証のアテが無い状態。駆けつける家族たちも、自腹なんだろか?! ↑もともと、ひとつのものだったバリ・スタイルの割れ門は、もし、邪悪な存在などが聖域に侵入しようとすると、再びひとつに戻ろうとして、その悪しきモノを挟んでしまい、押しつぶして抹殺すると言う。日本で、魔除けの仁王様が聖域の左右に立ちはだかっているみたいなもん、なのかなあ。/////////////////////////////////////////////////////夕方になったので、お仕事終わりにして家に帰ったら・・・現地バリの知り合いの旅行会社から、メールが来てた。以下↓バリ島とBALI HEATはテロ行為に絶対に屈しません。 私達 BALI HEATは今まで通り走り続けます。 亡くなった方々の為、そして私達の愛する島と人々の為に◆◇◆=============================================◆◇◆謹啓 お客様各位平素より大変お世話になっております。この度、私達が愛して止まない、緑と笑顔の楽園、バリ島に大変痛ましい事件が起きてしまいました。300人を越す旅行者の方々や地元の人々を巻き込み、180人以上の尊い命を犠牲にした憎むべきテロ爆発事件はバリ島全体を哀しみのどん底に陥れました。テロ行為は、罪の無い無関係な人々の命を突然に、理由も無しに奪う、憎むべき卑劣な行為です。様々な国家の思惑や権益、宗教が根深く絡む今の国際情勢においては、簡単に善悪を判断できないものですが、爆弾が爆発した現場の凄惨さは私達に、テロ行為は絶対に許されない憎むべき行為であることを強く訴えていました。10月15日、私達は爆発現場とデンパサールのププアン広場で行われた追悼式に参列し、遺族の方や友人を失った方々、旅行業界の人々とともに犠牲になった方々の魂を弔いました。 そして、亡くなった方々への追悼とテロ行為に対する怒りを胸に、苦しくても、絶対に活動を止めないことを強く誓い合いました今回の事故は、決してバリ島の治安が悪くなったわけでもなく、又、バリの人々が反米や反豪感情を持ったから起きた事故ではありません。テロリストがたまたま、私達が愛する島を標的に選んだに過ぎず、バリ島はこれまでと変らず旅行者の皆様を温かくお迎え致します。皆様をお迎えできますことが、この島が立ち直ることができる唯一の手段です。どうか、これからもバリ島とBALI HEATを応援下さい。心からお願い申し上げます。最後に、この事件で亡くなった私達の友人、そして旅行者の皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。バリ島より深い追悼と大きな希望を込めて 謹白2002年10月17日 BALI HEAT代表 **** 並びにスタッフ一同追伸 多くのお客様より励ましのお言葉を頂戴致しました。 私共スタッフ一同、皆様の温かいお心遣いに、本当に力付けられました。 メッセージをお送り頂きましたお客様に心から感謝申し上げます。 ありがとうございました。これからも頑張ります。
2002年10月17日
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うちの配偶者が、なぜだか知らないけど、どうしても天使うさぎの、あのキラキラが気に入らないらしい・・・。あれが、なんともお下品に見えるらしい。場末のキャバクラ嬢『奈々ちゃん』の衣装みたいに、やたら安っぽくて派手だと言うのだ。このままだと、ほかの洗濯物といっしょに大きな洗濯機の泡の中で、ぐるぐるぐるぐるぐるぐる、虹色にかがやくキラキラがとれちゃうまで回転させられそうなのでーー。緊急事態発生!!!と、ゆ~ことで。はるると、うさぎさんは今夜、ひしひしと身に危険を感じて、自分たちの手でゴシゴシすることにした。(お互いに、よく、洗濯のやりかたなんてワカラナイけど、笑)とりあえず、防衛本能が目覚めたのだ。このままで居ると、明日の朝には洗濯ぐるぐるの刑が待っていそうなもんで、追い詰められての行動。その仕上がり、吉と出るか凶と出るか、はワカラナイ。とりあえず、ちいさなオケにぬるま湯を張って、そこでしばらく洗剤まみれになって泳いでもらった。数分後、柔らかなスポンジでこすってみると全身が泡だらけになって、うさぎの耳だけがアンテナみたいに飛び出してるのがかわゆい♪ドデカイあたまの部分は、スポンジ状なので。つよく押して見ると、ぎゅうぎゅうにつぶれてしまう。ちょうど、その表情が、手塚治虫のブラックジャックに登場するオンナのコ『ぴのこ』、の得意ワザ<あっちょんぶりけ>みたいで可愛いい(笑)ほんとにちいさな胴体の部分は、あたまの30%くらいしかない。そこには、つぶつぶのビーズみたいなものが、ぎっしりと詰まってる。 ↑ここで、ぐるぐるぐるぐる、されるのは、やだなあ。(柔らか仕上げで、やさしくキレイキレイしてもらった、しっとりお肌のうさぎさん)しっかり、水道ですすいでから、洗濯機の上の棚にあった柔軟材「ソフラン」仕上げのお風呂の中で、3分間じっと待つうさぎさん。それから更に、もう一度すすぎ洗い。ずいぶんキレイになったような気がするけど、もう、元の色がどんなだったか忘れてしまったから、よくワカラナイ。タオルでくるんで、やさしく水分を拭き取ってやってから、ぎゅうう~っと絞ってみると・・・・したたたたっ、と。まるで、うさぎのオシッコみたいに意外なほど沢山の水たまりが。面白くて、何回やっても意外なほどの水が出て来る。そのたびに、アッチョンブリケ(笑)さあて、明日いちにち、陰干しにしてみてどうなってるかなあ?!4月のバリ島から始まって、海も山も、国内も海外も、超近代ビルからアンコールワットなどの古代遺跡まで、ほこりまみれになってどこにでも行ったからなあ・・。そのぶんの旅のアカ落とし、成功すると良いんだけどな。いま、しっとりお肌のうさぎさんが、テーブルの上でこっち見てる。「しばらく洗面所にこもって熱心に何かやってると思ったら・・そんなこと、してたんだあ」どう、きれいになったかなあ?って、はるるがたずねたら。配偶者とムスメが、軽蔑と同情をミックスしたような視線で、こちらを見てる。ええ、ええ、どうせオジさんが、こんなちっちゃなぴんくのうさぎを洗ったりして、かっこわるい、ってゆ~か、キモチ悪いことやってるってのは・・・・・じゅうぶんに、承知しておりますです。ほっといてくれえ(笑・泣)///////////////////////////////////////////////////////(そう言えば、前日の日記で気になってたバリ島の知り合いから、リアルタイムのレポートが来てるので、ここに掲載しときます) お久しぶりですね。はるるさんもご家族も皆さんお元気ですか?私も元気です。今回のテロ、日本でも報道されているんでしょうね。ここでは、隠し事なしにテレビに出してしまうので直視できないほどでした。でも、あと1時間遅かったら(12時回って爆発してたら)被害者はもっともっと多かったといううわさです。旅行者の多くは早めにチェックアウトしました。特に、アメリカ系の人は出歩きません。道路もすいています。でも、現場状況を知らないお客様はやっぱり『観光したい』とおっしゃいます。どきどきしながらの観光でした。こんな感覚は初めてでした。私の会社は、クタエリアです。現場から2キロほど離れていますが隣の建物の窓ガラスが割れていました。今日から道路が通れるので今日は会社に来て見ました。(昨日チェックアウトのお客様があったばかり)嬉しいことにたくさんの方から心配して声をかけていただいて、私の気持ちも『頑張れる!』になっています。はるるさんも覚えていてくださってよかった!今日は手短に近況報告とお礼まで ↑夜明けのバリ、レギャン・ビーチにたたずむ♪(2002年春・撮影)////////////////////////////////////////////////////////今回のバリ島でのテロ。無差別、とは言っても白人を中心とした西欧の文明社会に対する、イスラム文化圏全体が持ってるアンチテーゼ、の部分は無視できないんだろうなあ・・。現に、あのディスコは「インドネシア人は入るべからず」の、絵に描いたような差別施設だったものなあ・・白人たちの特権意識って本人たちは特に意識してないんだろうけど。現地のひとにはどう映ってたのか。でもほんと、復讐や憎しみの連鎖はキリがないよ。歴史が証明してるだけじゃなくって、現に、今もイスラエルやアイルランドなんかで、繰り返されてる。学校や職場でのいじめ、永遠につづく嫁と姑のいがみあい・・人類の永遠のテーマ?!
2002年10月16日
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結論は簡単だね(笑)何処にもないけれど、・・・ほら、何処にでもあるよ。ぼくたち訪問者にとっての「楽園」にも、あたりまえのことだけれど、そこに住むひとたちの日常が存在している。元から住んでいるひとも、新参者のひとにも等しく日常生活が。バミューダにも、ポカラにも、ピピ島にも。 ↑ピピ島の、とりさんのダンス♪よく、『海外に行くといい写真が撮れていいねえ~。』なんて言われると、ちょっと(それはないよ)と、思ってしまう。日常のなかで拾い集めた夕焼けの写真でHPデビューした、はるるさんとしては。どこにでもある風景のなかにも、「楽園」は隠れてる、のに。つまらない写真は、国内でも国外でも変わりゃしない、よ。自分の内部の問題、だと思うんだけど・・。素材の切り取り方、や・・・対象との距離の置き方、なんか。「楽園」が、何処にあるのか、と同じことなんじゃないかなあ、きっと。広い地球の上で、「この世の楽園」と呼ばれている場所のひとつが、インドネシアの中では異端の島、バリ、だ。だった、と言うべき、なんだろうか?この4月に、家族旅行で滞在したばかりのレギャン・ビーチで、起こるはずの無いような事件が起きてしまった。はるるたちが泊まったホテルの直ぐ近くで、と楽しかった想い出にも冷水を浴びせられたような気分。 ↑事件のあった、レギャン地区で。朝のお散歩おじさん&女神さま☆////////////////////////////////////////////////////////<バリ連続爆発>「神々の島」の楽園一転、地獄絵に 【デンパサル(バリ島)中坪央暁】爆発音がとどろき、血だらけの若者があふれたディスコは、骨組みだけの無惨な姿となっていた――インドネシア・バリ島で12日深夜(日本時間13日未明)に起きた爆弾テロ。外国人観光客ら200人近い命を奪い、日本人の若い女性ら7人も重軽傷を負った。「神々の島」とも呼ばれる南国の楽園は、一瞬にして地獄絵と化した。ディスコの周りでは若者らが恐怖にこわばった表情で、行方不明の友人や仲間を探し回り、島の空港からは先を争うように帰国する外国人観光客の姿が目立った。 ↑レギャンの裏通り☆ テロが起こった12日深夜、バリ島デンパサルの南約15キロにある繁華街レギャン地区のディスコ「サリ・クラブ」は数百人の若者で満員だったという。手足にやけどを負い、病院で手当てを受けたオーストラリア人男性のモンゴメリさん(35)は「入り口付近にいたら爆発が起こった。夢中で外に逃げた。一緒にいた友人2人の行方がわからない」と顔をくもらせた。現場には黒焦げの遺体や、吹き飛ばされた手足が散らばっていたという。(毎日新聞より抜粋)//////////////////////////////////////////////////////// ↑毎日のようにバリ島の何処かであるお祭りの、ちょっと恥かしい晴れ着すがた☆ かなりの部分を観光によって成り立たせている島なので、明日からの収入に顔を曇らせる現地のバリニーズたちのことが、真っ先に気になった。今回の事件によるダメージは、数年前の日本人観光客によるコレラ騒動を、遥かに上回るものになるだろうから・・。増して、さっそく外務省がこんな声明を出した↓////////////////////////////////////////////////////////今回の爆発の詳細、背景等は現在までのところ不明ですが、今後も同様の事件が発生する可能性は排除できません。つきましては、インドネシアに渡航・滞在される方は、ここ当分の間、ショッピング・モール、デパート、レストラン、ディスコ、カフェ、宗教施設等多数の人の集まる場所や公共施設の近く等にはできる限り近づかないようにするとともに、外出する際には、このような事件等に巻き込まれないよう、最大限の警戒を行うほか、周囲の状況やその他の動向にも十分ご注意下さい。 また、ラジオ、テレビ、インターネット等で治安関連の最新情報を入手するよう努めて下さい。 問い合わせ先 外務省海外安全相談センター ////////////////////////////////////////////////////////↑これを、このまま額面通りに受け取ったら、ほんとに何処にも行けないよなあ~☆楽園をイメージで創り出すのも、にんげん。でも。その楽園のイメージを簡単に破壊するのも、にんげん。はるるも、コップの中に↓楽園の無人島を閉じ込めてみた・・・。(レオナルド・ディカプリオの映画『ザ・ビーチ』で、伝説の楽園の島として撮影の主な舞台となったロケ地の、国立公園の無人島ピピ・レ島)2002年9月末・HP管理人撮影 ところで、この連休。演劇部の芸術祭に向けての休日返上の準備で忙しいムスメに付き合ったはるる、珍しく全く何処にも出掛けないで、インドア生活でごろごろごろごろごろごろ・・。1日の半分は、溜まってる画像処理やCDロムの為のファイル整理で、あっという間に経過してしまう。晴れた空が青いなあ・・・と、思う間もなく夜になって、浮かんでくる月も青い。夕方、飛騨の高山に6日間の出張だった配偶者から電話。長野の上高地あたりで、行楽帰りの渋滞に捕まってしまい、ぜんぜん動いていないと言う。やっと仕事も終わってやれやれなのに、こう言う時の渋滞は可哀想。恥かしがりやで、なにかと言うとすぐに耳まで真っ赤に染めてうつむいてた、ちっちゃくって細かったおんなのこは、何処か宇宙の彼方に消えたまま。ふと、気がつくと替わりに、男勝りのばりばりの頼もしい仕事ウーマンが、何時の間にかはるるの家に生息していた(笑)なのに、はるるはごろごろごろごろ・・・。たっぷりと、休みまくって好きな本に好きな音楽で、趣味三昧。配偶者は休日返上で、お仕事三昧!!でも、来月はふたりきりで4日間の旅行を、全額旦那さまの費用持ちでプレゼントしてあげる約束があるから・・いいことに、しよ。もう飛行機の切符も、ホテルの手配も済んだし、手付け金も払ったし。きみが居れば、何処でもその場所が楽園だよ、なあんてね♪あは。そゆ、のが。みんなの理想、なんじゃないのかなあ~♪でもなあ・・・「激しく燃えた恋」ほど、結婚すると冷えるのも早いし(苦笑)やさしい「恋人」は、たくましい「お母さん」に、変身しちゃうし☆<変化してゆくものを楽しもう>って、この秋に新発売のクルマのCMが訴えてるけれど、ひとは変らないものにしがみつこうとする(笑)
2002年10月14日
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わあ~、おごめんなさい~!!借金踏み倒して、日本に逃亡したはるるの代わりに立て替えてくれてた、なんて。実は、そんなことじゃないかと、気になってたんです。クラビの空港でも・・・やきもきしながら。絵葉書の切手代と合わせて、借金まみれになっちゃいました~!500バーツ、プラス、90バーツ、合計590バーツの借金!!オーノォー!!願わくは、ゆかこさんが悪徳高利貸し業者でないことを、祈るだけ(笑)今回の旅では特に、ほんとに、ほんとにお世話になっちゃいました。お礼にデートのひとつもして、豪華ディナーでもご馳走してあげたいとこだけど、人妻だから遠慮しとくね☆ ↑クラビ国際空港のロビーの案内所でやっと再会したうさぎさん!> 台風にもかかわらずご無事でご帰国されてらしたようで何よりですね。ほんと、日記でも書いたように間一髪だったみたいです。成田の上空でけっこう長い間、ぐるぐる旋回して待機してた飛行機はいっぱいあったようで。>> 写真をありがとうございます。> お父さんのほっぺたの照り具合がまさしく「ジャムおじさん」> のようで笑ってしまいました。あはは。確かに、ジャムおじさん、言えてるかも(笑)ほのぼの、人が良さそうで・・・いかにも。じゃあ、すうぱあエネルギッシュなアンパンマンは、まるくないけど「ゆかこさん」?!からだやこころの、何処かが欠けたら・・・パン工場に戻って、ジャムおじさんに補充してもらってる・・・って。>> 実は翌日ランタ行きオフィスの世話になってた女の子から> きっちり請求されてしまいました。> 何でもドライバーから請求されたそうで> 立て替えてくれてたようです。> 実際誰が見つけたのかわからないので女の子に100B> (あちこち電話かけてくれたり手配してくれたので)> うさぎを持ってきてくれたドライバーに200B> うさぎを見つけてくれたであろう人に200B> という内訳で500B渡しておきました。↑なんだか、500だと足りないくらいですね。そんな気がしちゃいます。こんど行く時は、ランタ行きオフィスにも、なにかおみやげ持って行きたいな♪>> そうそうカンボジア絵ハガキの切手代> 15Bx6枚=90Bも立て替えてありますよ。ばたばたしてて、すっかり失念してました!あは。 ↑ほむぺで希望者をつのった絵葉書、カンボジアで半分出したんだけど、のこりの半分のみなさんへの絵葉書はここピピ島の、このテーブルで書かせていただきました。>> ただ今ハイシーズンに向けての準備が忙しいので> クラビ情報はまだ待って下さいね。>> あと私と子供のXXXXX写真はHPに載せないで下さ~い。↑うふふ。了解☆>> 今中国系ベジタリアンフェスやってます。> では旅行記編集がんばって下さいませませ。あとから、イトウさんがぶっとい金属製の針を顔に突き刺してる写真をメール速報で送って来ました!あれってムスリムの修行者なんかもやってるけど、なんであんな痛いこと、ワザワザやるんだろ??知ってる??!☆かおるさんは、相変わらず夢見る瞳で元気にしてました。ときどき、アンちゃんの保護者みたいだけど・・・好い組み合わせ、ですよね~、あのふたり。静かなびーびーは、波の音がたくさん聞こえてて、良かったです。「お客さま」だから、って。料金(宿泊・飲食)は受けとってもらえなかった・・。 ↑もう、いっしょになってから何年にもなるのに・・・あいかわらず、みちよさん&ラーのお熱い視線です。いいなあ~(笑)みちよちゃんは、いつものように色白のまま(笑)あんなに海のきれいなピピ島に何年も暮らしてるのに・・・全然泳がない、ふつうのタイ人みたいだよね。でも、大好きな人といっしょに暮らしてて、基本的にとってもしあわせそう。ピピに住んでるのに、ピピのなかのことにも疎くって、まるで浮世離れしてるとこが、またいいなあ~(笑)↑どこでもドアのように、アンコールワットからあっという間に、のんびりしたタイ南部の海辺。ゆかこさんも含めて、タイの南部の潮風と一緒の暮らしをしてる知り合いのひとたちが、のんびりといっしょうけんめいに、自分に忠実に日常を生きてるのを実感して、いつもなんだか心の奥のほうがほっこりと温かくなります。日本でいつものように生きてる毎日になかで、5000キロメートルくらい南の国で、そうやって生きてるともだちが居るってのは、いつもうれしいことです。ドラゴンボールの元気玉を、分けてもらったような気分になって。お父さん、サラちゃん、ゆかこさん、スタッフのみなさん。お身体、たいせつにハイ・シーズンを乗り切りましょうね♪///////////////////////////////////////////////////em: ウサギちゃんharuru: はいharuru: 実は、日記に書いたより、もういちにちまえからharuru: 天使うさぎは行方不明だったharuru: でもem: 気づかなかったの~~!haruru: 気がついた時点で、書いたharuru: 違うのharuru: 気付いてたけどharuru: 日記には朝気がついたことにしてたem: よく戻ってきたねem: 日本だとごみの日に出されてるよharuru: 実際は、前日の夕方から捜索開始してたharuru: ごみ・・・・・・haruru: かわいそem: うんかわいそ~~haruru: そうだけど、そうじゃないぞお~em: 国民性かな?em: それともharuru: だから、最初の夜はharuru: 海辺で宴会してても、気になったem: 心配したよ~em: 本気でem: !haruru: うんharuru: クラビのゆかこさんがホンキで心配してくれてharuru: あ、指名手配のポスターharuru: スキャナするの、忘れてた!!haruru: 500バーツのやつem: 見たいよ!HPにem: UPしてね!haruru: はんぶん、タイ語で書かれてる・・・em: 面白いharuru: 二種類あるよharuru: カラーでうさぎも写真がのってるem: すごいharuru: おたずねもの!でem: 。。。em: 捜索願なのに・・・haruru: うんharuru: でも、WANTEDharuru: だよem: さすがに、その土地にem: 長くいる人だからharuru: うん、人脈がひろいよ~em: そういうことが効力 あるとem: よく知ってらっしゃるharuru: 500バーツはem: 思いもつかなかったharuru: 捜索一日半たっても効果がないので、はるるが提案した。もしかして、って。haruru: でも、チラシやポスターまでem: やっぱり銭か・・・haruru: 自発的に作ってくれたのは、ゆかこさんharuru: それまではharuru: タイ人らしく「しらないよお~」haruru: 関係者のだれかが、知ってたと思う、たぶんharuru: でなきゃ、こどもに「ほうら、かわいいだろ」なんて持たせてたり・・em: え!em: そうなんだ!em: でも500バーツ だったらharuru: 数字が発表されたとたん、島のどこからか出てきたもんem: そりゃそうだharuru: はるるも、だてに タイに長いこと通っていません、笑haruru: 心理戦争、だよem: よくわかってらっしゃるharuru: でも、そこを責めたりしちゃいけないem: そうだねharuru: うらみを買っちゃうからねえ・・タイのひとのプライドを傷つけちゃうのは、タブー。これ、絶対。 ↑タイ南部の辺境で行方不明になってしまった「天使うさぎ」捜索のために、ゆかこさんが作ってくれていたWANTEDポスター。もう発見されたあと、使用済みのこれをもらったんだけど、異国の街角に貼ってあったとこ、見たかったな~♪haruru: でてきたよお~haruru: ありがとお~em: よかったねharuru: で、ちゃんちゃんharuru: うんharuru: BBSでem: うんharuru: 「はるるのばかたれ~」とカキコしたひとはharuru: ふるくからの、おともだちem: そうなんだ!haruru: うさぎの大ファンharuru: ほんとに腹が立ったらしい、保護者のはるるに・・haruru: とにかく、見つかったから良かったけどem: いやあ~うさぎちゃんはアイドルだからねharuru: ぼくも、ほとんど諦めてた。見つかるとは、思ってなかったから。em: 知らせを読んだときはharuru: 失ってみて、初めて、そのおおきさに気付いたem: 私も何してんだよ~って思ったよharuru: ちっちゃいのに、おおきい、笑em: うん!これはharuru: うん??em: 運命だem: ずっと付き合っていくんだわharuru: 運命ってのが あるharuru: ベートーベンもあるけど、ゆうみんの、曲も・・・よく、コンサートのアンコールで唄われてるやつ。emi: うさぎちゃんとはるるさんにもharuruex : ディスティニ-、宿命、とも・・ ↑クラビの青空。街路灯のぞうさんが、とってもチャ―ミング♪
2002年10月12日
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昨日から飛騨の高山でお祭りがあって、週末までは配偶者がそちらのホテルに行ったきり。・・・と、言っても遊びじゃなくって、仕事での出張なんだけど。なんでも有名なお祭りらしく、TVのニュースでも毎年恒例のように流れてる。あたりまえのこと、だけど。ーーーみんなが遊んでる時に、いちばん忙しい職業ってのも、沢山あるよなあ・・・。息子のあきらは、秋休みも終わって東京に戻ってるから、毎日のように演劇の部活で遅いムスメと、昨日からふたりきり。いつものように父子家庭(笑)生活の手抜き料理。朝はカンタンに住ませて、とりあえず夕食のためにお米をといで、炊飯器に夕方6時にセットしておく。お昼のお弁当は、配偶者が居ないから作らないので、ムスメには500円ダマひとつ、渡す。←お昼代金。けち、だなあ。 ↑まだ暗いうちから集まってくる観光客たちが、日の出を見るベストポイントで迎える夜明け。はるるは、そのもうちょっと前の、だあれもいない月の光のころから、このあたりを散歩してた。まだ、ポリスたちの姿も無い時間帯なので・・・ぶっそうだと地元のひとに言われてたから、ほとんどなあんにも持たない「手ぶら」の状態でいつものデジタル・カメラだけ持参。<2002年9月末撮影>チョコレートには、一部でよく知られてるように習慣性のある麻薬成分が含まれているので、一日に10枚くらい食べ続けてる女性の姿が、ニュースの特集で紹介されている。(20代後半のOL,だった)食べ過ぎると気持ち悪くなって、いったん全部吐いてしまってから、気分良く、またチョコレートを口にする姿は、痛ましく見える。世界企業のコX・コーラにも同じ様な成分があって、コーラに習慣性をもたせてるのは有名なはなし。CIAの看板企業なんじゃあないか、とか昔からささやかれてる、笑。よくある都市伝説のひとつなのかな?!同じ様に、ねっとオークションにハマってしまい、ワルイ評価をつけられるのを恐れるあまり、ご主人にナイショで借金までして取引を続ける主婦が紹介された。一日の大半を、ネットの取引と、そこで出会った知りあいとの交流に使い、キーボードの前から動かない・・。果ては、評価アップのために、ゆとりがなくなって、ヤミ金融のお金にまで手を出してる。人間には、必ず何らかの依存症体質があるという。毎日HPを更新しなきゃいけない、BBSのカキコには、必ずレスしなきゃいけない、なんてのも立派な依存症の現れなんだろな。きっと。義務、なんてどこにもないのに。追いまくられて、笑。メール中毒、カウンターの数字だけにこだわってしまう中毒、なんてのもありそう。現実の自分の周囲のひとたちには殆ど意味も無いもの、なんだけど。チャットや、無意味なネットサーフィンなんかも、クセになってるひと多いね。別に、わるいことじゃないけど。客観的に見れば、どうってことないこと、なんだけど。依存症の表われとして、それがものすごく大事なことになっちゃってる。目的のためには手段を選ばない。善悪の判断さえ、正常に働かなくなってることを、自覚しない。で、全部にレスしたり、毎日日記を更新したりすることが、すごい負担になってることを自覚しないまま、自分で自分を追い詰めちゃったり・・・。全ての依存症に言えることなんだけど、いちばんの治療方法は・・・。まず、『自分を冷静に、客観的に見直してみる』こと、なんだそうです。それまで、夢中になってたことの本質が、別の角度からゆっくり見据えてみることで、何か、解決の糸口が発見できるかも。・・・はるるも、仕事依存症体質、治さなきゃイケナイな(爆)もっと、キチンと遊ばにゃ!あはは。↑なんて、冗談言ってると、石なんかぶつけられそう(笑)イテッ!!←ほんとに、やるなよな・・・おおいてえ。でもね、だから気まぐれなレスしかしない手抜きの掲示板なんです、ここのほむぺは。日記の記入率も、見事に年間通算73%だし・・・(笑)
2002年10月10日
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三万円が天から降ってきた日の夜・・・。(みちばたに、むきだしの3万円が落ちていた日)つまり、9月21日の夜、のこと。成田からバンコクへ向かう飛行機の座席の中で、ノート・パソコンを開いて書いた文章が、確かにその時、フロッピーに収録してあったハズなのに、消えてしまってた・・・と、ゆーか、なぜだかワカラナイけど壊れてた。本体の何処に格納されてるのか、なかなか見つからなくって、今夜になり、ようやく発掘出来たのだ。他人さまにはきっと、たいしたことないもの、なんだろうけれど。でも、確かにあのとき、あの場所でしか書かなかったもの、だと思う。では、想像力をひろげながら、お読み下さいね(笑)いやんなっちゃうくらい、不思議にステキな満月の夜でしたから。 (高度1万メートルの、航空機の窓辺にたたずむうさぎさん☆)//////////////////////////////////////////////////////////////////////そういえば、今夜はお月見、だった(笑)いつもと違って、真っ暗やみの窓の外だと思っていたら、意外と明るいので気が付かされた。それもそのはず今夜は満月で、遥か彼方の下方には、南シナ海がいちめんの銀色に輝いている。中秋の名月を、こんなかたちで迎えるとは・・・。 (アントーン群島国立公園の上空の雲たち。熱帯の雲はこんなふうにちんまりと行儀よく点在したりする。海面にもくっきりと、それぞれの影が・・)月明かりで、熱帯性の積雲が規則性を持って並んだ影を、くっきり映しているのが、小人たちの影法師のように見せて、不思議な光景をつくってる。日本列島を離れて、はるるの乗ったボーイングは沖縄上空を飛び、台湾南方をかすめ、中国沖の最大の島である海南島を過ぎると、いよいよベトナムにさしかかるところ。大部分の雲は、眼下にあって。ジャンボジェットの座席は、いつでも快晴の空の下を飛んでるから、意外と最高の観月スポットなのかも知れない。 (アンコール遺跡の石畳の参道の上に浮かんだ十七番目の月)昨夜、寝不足気味だったので、短時間だけど何時の間にか、機内食のディナーのあとに熟睡してしまっていたらしい。我知らず眠っていたあとの、思いがけない目覚めのひとときの、なんとも理由のつかない、うすら淋しいようなかなしみ・・。それとも高度一万メートルの成層圏に身を置いて、世界じゅうから取り残されてしまったような、さみしさ・・なんだろうか。この、なんともやりきれない、甘い感触の漂う気配はきらいじゃないな。夕食後の機内は明りを落として、あたりはすっかり暗くなってる。消し忘れてた自分のポジションの読書灯のスイッチを切ってみると、窓の外が急にやけに明るく見えた。そして、そんな気分のまま眺める満月の、まぶしいくらいの輝き。比較の対象が見当たらないせいでか、虚空の中で青みがかった銀色に光り輝く円盤は,やたらにちいさく見えてしまう。 (天使うさぎの耳の上には、夜明けにまどろんだままの月)セカンド・バックから天使うさぎを出してあげて、十五夜のお月様の中で相変わらず餅つきしてるうさぎさんと、分厚い風防ガラスごしに対面させてみた。すすきの替わりに、うさぎさんの耳がささやかにキラリン、輝いてた。/////////////////////////////////////////////////////////////////////月のひかりのなかで狂ってしまいたいこともある、でも狂わない狂えない日々をすごしてる日本列島のまんなかへんの住人にも、あれは見せたかったなぁ・・・。月の光が、好きなひと。 (手前のちいさな島の群れが、アントーン群島国立公園。その奥には、はげしいスコールに煙るサムイ島のシルエットが。シャム湾のサムイは、プーケットに並ぶ、美しいビーチを沢山持ってる有名なリゾート・アイランド)
2002年10月08日
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2001年の10月7日は、覚えています・・。はるるが生まれて初めて、HPを創った自分だけのささやかな記念日。テキストだらけの、超初心者が作るなあんにもないほむぺだった・・・。生まれて初めてデジカメを買ったのが、11月中旬にネパールへの旅の前日で。それが、いちねん経ったらこんな画像だらけのサイトになっちまうなんて(笑)そこで、なつかしい映像をいくつか、並べてみた。ええと、まず最初のこれは、ながいことトップ・ページに使用してた映像です。↓持ってるのは、はるるの好きなビヤ・チャ-ン。 ***********************************************『あやしいふるほんやさん』が、「あやしい」理由!***********************************************みなさん、はじめまして。 あやしいたんけんたい>関連書のみを扱うつもりで始めた『あやしいふるほんやさん』というバーチャル・ふるほんやをやってます。中沢先生や野田知佑さんなどの著作から、80年代初期の幻の絶版「椎名誠を探せ!」あたりまで、探検隊のメンバー関連の在庫は300冊前後なのですが・・・二本指打法の悲しさ。入力が思うように進まず、他のジャンル入り乱れのバトルロイヤル状態の品揃え(笑)つい半月前までは、出品数700を数えましたが、現在は11月10日から3週間ほどアジアをさすらいに行くもんで戦線縮小ちゅうです。本の雑誌で取り上げた本のみを揃えた、『もっと、あやしいふるほんやさん』ほんとにヘンな本をはるるがセレクトした『さらにあやしいふるほんやさん』危ない本や、ヤラシイ本ばかり集めた『ほんとに、あやしいふるほんやさん』が、HPのどこかの隠れバナ-でリンクしてる、ってのはどうでしょう?――はるるの掲示板の、自分で書いたカキコのデータがぐうぜんにどっかのメモ帳に残っていましたので、収録しておきます。ここのHPに「あやしいふるほんやさん」というタイトルに惹かれて来たゲストさんが、「なんだ、どこもあやしくないじゃないか!」と言う声もよく聞くんです。こんなわけ、だったんですねエ(爆)で、銀河の彼方に消えてしまうBBSじゃなくって、こちらに記録しときますね(笑)でも、「せいりせいとん、ということばは、はるるの辞書にはないのだ」と豪語(!?)するはるるには、あまりきちょうめんなことは合わないみたいです。さいきん、ふるほんやさんは、さぼり気味。すんません。・・・こんなずぼらなおひつじ座の典型的なB型にんげんでやんす。この文章は↑未だに、よくある質問なので再録しておきます。 涙が出るほど ブラッディメアリーさんうらやましい!! カトマンズの夜の街の物音や気配、朝の空気の匂い。はるるさんの体験の一つ一つがうらやましい。一人旅は話し相手を探す旅になりませんか?話したいことが胸の内にあふれてきますよね。パソコンを友に出来る時代は話し相手が連れて行けるから便利。一人旅には孤独も必要だけどね。ああカトマンズ、ドラえもんの「どこでもドア」で私も行きたい。はるるさーん、次の旅には連れてってね!!チャン・ラッ・クン!!!!(11月18日21時24分) ↑これは、カトマンズからのリアルタイム旅日記ちゅうの、ほむぺ掲示板へのカキコです・・ ↑先週、はるるの泊まってるプールに訪れた夕焼け。ある地方自治体の保健・福祉部門の管轄に入っている、定員が五千人規模のレジャー・プール。毎年、ここで過すしずかな時間はとても気に入っているし、見晴らしがすごくいいので、雄大なスケールで眺められる夕焼けと朝焼けも楽しみなのだ。もちろん夜には、天の川も見えるし。かぶとむしやくわがたも、光目指して飛来する!←ムシのきらいなひとには、ヤだろうけど(笑)おまけに、今年はそれをデジカメで撮影する楽しみもある。一石で二鳥の、美味しいお仕事(しかも、ただ留守番して泊まるだけで、一晩でいちまんえん!)なのだ。 ↑うちの近くにあるJRAの牧草畑の午後。 ↑まちぶせ(・・・くすくす)毎月毎月、百万円前後の支払いを、まじめ(笑)なはるるは数年間に渡って律儀に銀行その他に払いつづけ、17年間つづいていた自分の事業がどうにもならなくなって、それまで住んでいた自宅を売却したりして、いろいろと経済的に厳しい事が尾を引いていたとき、この副収入はとても助かった。ひどい利息のついたものなどは無くて、倒産や破産と言った状態ではなく、自主廃業の形で自然に店じまい出来たので、生まれたときから住んでいるこの街で、どこにも不義理をせずに済ませられた。ただ、親族たちにはとても迷惑をかけてしまったが。とにかくこの宿直のぶんだけは、まるまるおこづかいに回せたから。いつもの亜細亜旅行の費用などは一時期、この一夏のお泊りで稼ぎ出してた。今年さらに、インターネットがモバイルつなぎ放題のノートパソコンでも出来る環境になったので、長い夜も退屈しないし。自宅はOCNのフレッツ・プランのつなぎ放題。電話代を気にしていた、ついこの間が、まるで嘘のよう。昨年までは、読書とビデオ三昧だったけれど。今年はそれに、ネット生活がプラスされるから、天下無敵(笑)↑なんて、今年の夏のことなんだけど、ずいぶん昔に感じる(笑)同じ様な時期にスタートしたお馴染みのみなさんのほむぺも、最近続々と一周年を迎えてる。はるるのHPも、ふるくからのかた、あたらしくお友達になってくださったかた、色んな皆さんのご支援でここまでたどりつきました・・・。これからも、あせらずマイペースで休みたい時には『思いっきり』さぼりながら、てれてれと楽しんでやってゆきたいと思ってます♪ほんとにみんな、どうもありがとう!これからもよろしくね・・
2002年10月07日
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先週のカンボジア・タイ旅行で、はるるがデジカメ撮影した映像を、まとめています。とりあえず、13枚からスタート♪例によって、解説コメントはボチボチと五月雨的にくっついてゆきますので、気長にお付き合い下さいね。写真の枚数も、もちろんドンドン増えてくよ!!←←の、映像博物館(3)を、クリックすれば全部見られますよん。シェムリアップの街からまっすぐ北に20分ほど。バイクタクシーの後部座席に乗って、途中にある入場パスのチェック・ポイントを経由して、TOKYOにある皇居のお堀端の二倍の幅はあろうかという、雄大な水をたたえたアンコールワットの外堀に差しかかる。もちろん、柵もなあんにもないから・・・子供たちや、おさるさんたちが自由に遊んでる光景が。↓道路の行く手の右手水面の向こうに、長い石橋と楼門が見えますね・・・前の二台のバイクに乗ってる乗客は、同宿のひとたち。 ポリスのチェックが厳しいので、西の正面入り口で、沢山のタクシーやバイク、マイクロバスなどがひしめきあい、待機してる。はるるたちも、二時間後ということで、ここで待ち合わせる。長い石畳の橋を渡って、西楼門をくぐりぬけると、↓初めてアンコールワット神殿に対面することになる・・・正直言って、少し見くびっていたのかもしれません。こんなに、ものすごいスケールの建造物だとは、思ってもいなかったので、その全貌を目の当たりにしたときは、圧倒されてしまいました。↓ 言葉が出ないってことは、ほんとうにあるんですね。豊かな水と、あふれかえる緑のなかで、目にみえない遥かな高みにまで続いているような、魂の深い部分を揺さぶりかえすような、その存在感。3日間有効な、40ドルの入場パスを購入したので、明日もあさっても、この至福の広大なみどりの空間を歩き回ることが出来ます。生きているシアワセを実感しながら、いま、のんびりしたシェムリアップの街に戻る。 ↑ここで、すごいことがありました。アンコールワットの敷地の中で。イングランドから来ていた若いカップルの旅行者に、天使ウサギのことを、「それは、なんなのだ。そんなにかわいいやつの、名前はなんというのだ?なぜ、写真をとっているのだ?さわらしてくれ」とかなんとか、とくにエリザベスとゆう、19歳のおんなのこの騒ぎかたが、はんぱじゃない(笑)ついに彼らにねだられて、このふたりがいっしょにウサギさんと記念撮影まで、してしまうことに・・・。彼らも、天使うさぎの写真がもっともっと見たいというので、はるるのホットメールのアドレスを教えておきました。自分たちの写真も添付メールで欲しいので、必ずHPにもコンタクトしてくれるそうです・・・あ、でもHPは日本語だけだあ(苦笑)どうしよ。うさぎさんの人気も、国際的になってきました☆でもでも、広い広い遺跡の中、回廊をぐるぐる、階段をえっちらおっちら、ひたすらに歩きまわったあげく、おそろしいてっぺんまで連れてかれたりして、「天使うさぎ」は↓グロッキー気味(笑) どうやら10月7日のホームページ日記開始一周年記念日を待たず、6日の日曜日には8万アクセスになってしまいそうです・・・地区の自治会対抗の体育祭があるので。班長のはるるは朝早く、6時50分から集合してテントの準備などしなきゃ・・・で、アクセス者の確認などもできそうもありませ~ん。いくつか競技にも出ることになってるから、夕方まで帰れない。肉離れに、気をつけにゃ(苦笑)
2002年10月05日
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今日の日記には、先週撮影したアンコールワットと、背後のトムの映像を一枚づつ、合計二枚UPしました・・*さて、昨夜の日記の最後で言ってたお話、です。ともだちの夫妻で、フランスだかイギリス旅行をしてたのが居て、あの台風の日にはるるより少し遅くに成田に差しかかったらしい。聞くも涙の話を、こんこんと聞かされてしまった(苦笑) ↑アンコールワットの背後にあって、その敷地面積はアンコールワットのスケールを更に上回る、アンコールトムの中心存在のバイヨン寺院。2002年9月24日の昼下がり。///////////////////////////////////////////////////////haruru:おそろしいってのはね、ひこうきが成田に着けなかったのが・・・?: うんharuru: いっぱいあったんだよー、 あの日。?: あぁ、そなんだ・・・haruru: お家に帰れないひとがいっぱいいた。(後で聞いたら、政府の拉致事件調査団まで、成田に降りられなくって、関空まで行ってしまったらしい、笑)?: 台風、すごかったもんねharuru: ヨーロッパ旅行からの帰りの友達夫妻は一時間以上、関東地方の上空で(太平洋沖?!)旋回してて・・どうやら、着陸はムリということになったみたい。?: よかったね、はるるharuru: それからしばらくして、はるばる関空につれてかれて、この態勢のまま天候の回復を待って成田に行くかも知れないって、そのままずっと飛行機の座席で夜中まで待たされた。?: まぁharuru: でも、結局ダメだったので降ろされて、バスに詰め込まれて・・・。しかも、翌日北関東の自宅に戻るのに、交通費いちまんえんしか、もらえなくって 大赤字だって!!?: だよねーharuru: ホテルと二食分は出たらしいけど、それだけ?: うん、haruru: で、連れて行かれたのが、ずいぶん遠くの・・haruru: 神戸のポートピアにある『高級ホテル』?: へー、なんで?haruru: 真夜中にえんえんとバスに乗ってharuru: 航空会社と契約してて、あの時に空いてるとこがそこしかなかったらしい?: たいへん・・・haruru: もうへとへとで?: つかれてたでしょうに・・・haruru: お金もいっぱい使うことになっちゃってさあーーだって、片道の新幹線代金や、持ってた荷物の自宅への発送代金、ホテルでの二食以外の飲食代金なんか。?: ま・・・haruru: 翌日の仕事の予定も、計画が全部ぱあ!?: 大損害haruru: だね(笑?: うんharuru: 自分の身にふりかかったら、オソロシイ、こと。?: ほんとにharuru:たった、 一~二時間の到着の差でharuru: はるるも、こうなってたとこだった・・?: 気をもんだよ。 どうなるかわからなかったからharuru:ほんとに、はるるとしては すべりこみセーフ!だった。もう、手持ちの現金は8千円ちょっとしか持ってなかったし。?: 時間も知らなかったしharuru: あの旅の最初に天から降ってきた(もう、そゆ、ことになってる♪)三万円のご利益??かな??: んー・・・(後で聞いたら、航空会社の保険による補償があったと言う事で、かけていた旅行保険や、利用した旅行代理店によるそれ以上の金額的サポートは、まったく無かったらしい。でも、北関東の住人が関西地方で放り出されて、総額「いちまんえん」で帰るってのは、不可能だよなあ・・・。これは、航空会社によって差がありそうだなあ、ほんと。でも、普通はそんなことまでは考えないし?!) ↑アンコールワット正面の十字回廊前の空間から見上げた明けゆく空。2002年9月24日の夜明け。こんな角度で見上げてるひとなんか居なかったので、ここでも周りにだあれも居なくて一人占め状態だったなあ・・・笑。
2002年10月04日
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ーーそう言えば、面白いことに、アジア諸国のどこの国に行っても、となりの国を誉める国民にはあまり出会わない。タイの人達は、周辺のミャンマー(ビルマ)、ラオス、カンボジアあたりの国を「ビンボくさい!」と、言って馬鹿にする。そのタイとの地続きの国境を持つマレーシアのひとびとは、「タイは汚い、臭い、貧しい」と、長いこと言い続けていた。そのくせ、タイと言う国がイスラムの戒律に縛られない仏教国なことを良いことに、安いタイ北部出身の女性を買いに来るマレーシアの男性で、国境沿いの街はいつも賑わっている(笑)さらに、南でマレーシアと接しているシンガポールと言う都市国家の住人たちは「マレーシアは、汚い、貧しい」と、みんな言う。今回、初めてカンボジアに行って、ひょんなことから友達になり、十数人で宴会をやってしまったふつうのひとたち(10代から40代までくらい)が、みんな胸を張って同じことを言うのには、感心してしまった・・・。唄を唄い、地元のビールや酒を飲みながら、「でもねえ、タイの連中はいばってるけど、ちょっと昔はあの辺は全部、おれたちクメールの王朝の領土だったんだぜ!」どうやら、アユタヤ王朝以前のタイが一時カンボジア領だった時代のことを言いたいらしい・・・そこで、さらに別の男性が、口をはさんで来る(笑)「そうそう、国家システムも文化も、ずっと俺たちの国が先進国家でお手本だったんだ!」待てよ、これと同じ様なやりとりが、日本と、その隣りの半島の国との間にもあったよな(うんうん) ↑天使うさぎが乗ってるこのリュックは、一人旅のカナダ人女性のバックパッカ-のもの。アンコール回廊の西北側で、西の空を望む。ここでも、おっこちないように必死になってる高所恐怖のうさぎさん。(だれだろ、こんなヒドイ目に合わせてるのは・・?!)世界じゅうで、みんな何処でも似たようなこと、やってる。上り坂の国家と、過去の栄光にすがる落日の国。それだけじゃなくって、原因は実にいろいろ・・・。南北問題は、先進国と開発途上国(←この言い方、あまり好きじゃないケド)だけじゃなくって、あらゆる国の近隣諸国同志で発生してる。学校生活だって、同じクラスでも、みんな仲良しにはなれないし、隣りのクラス同志のつきあいだって結構むずかしかったりする。主婦同志、同じ職場同志だって同じく、派閥をつくったり、ねたんだり、裏切ったり。にんげんって、進歩が無いよなあ・・。アンコールワット観光自由化で、一見、平和に繁栄してるかに見えるシェムリアップの街だけれど、この付近からポルポトの残党が一掃されたのは、まだそんなに昔のことじゃない。アライモノさんが言ってた、山の中の川に沢山の彫刻がある聖地は1999年の春に、やっと戦場じゃなくなって一般者が自由に巡礼出来るようにんったばかり。ゲリラの本拠地もあって、とても近づけない場所だったのだ。下手に細い枝分かれ道を進んでしまったりすると、地雷もまだまだ残ってる。観光名所や、街のオールド・バザールなんかには、必ずと言ってもいいくらいに、地雷で両足を失った人などが物乞いする姿が見られる。片足になって、義足で歩いてる人も、注意して見てると、けっこう居る。みんな、片足くらいでは日常に差し支えなく、スムーズに歩いてるからぼんやりしてるとワカラナイ。それより、あまりに日常的だったので衝撃的だったのが、子供達が元気に集団で遊んでる姿だ。ときどき、肌の色のやたらに白い子や、ブロンドの髪をしてる子なんかが混じってる。別に、みんなと一緒になってはだかんぼになって、川に飛び込んだりしてるのはまったくの地元っ子と変わりない。みんなと同じ様に、貧しい格好をしてるけど、顔立ちは白人そのもの、だったりしてる。アンタック?だっけ。国連の平和維持軍。ここ、シェムリアップには、けっこう長い間駐屯してたみたい。その兵士たちが、現地のカンボジア女性との間に置き去りにして行ったワスレモノ。日本人の自衛官や警察官との間にも、同様のケースがあって、週刊誌ジャーナリズムなどがニュースにしたことも、あった。みんな、忘れてるけど。沢山の外国人の兵隊さんがこの街で、完全武装で平和を維持しなきゃならなかったのは、ついこの間、だったのだ。アンコールと、その周辺の素晴らしい無数の遺跡たちは、東京23区ほどもある敷地に、変ることなく聳えている。 ↑夜明け直後、アンコールワット最上部の、東北の角の回廊で。高さにビビってるうさぎさんの向こうには、背後のジャングルが広がってます・・。//////////////////////////////////////////それはそうと、今日、オソロシイことを聞いた。ひょっとしたら、はるるにも襲いかかったかも知れないオソロシイ運命の話なんだけど、↑の話とべつになっちゃうから、明日にでもたっぷりと・・お話するね。
2002年10月03日
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旅は、「行く前」と、「旅行中」と、「帰って来てから」と・・・一粒で二度おいしいグリコ・アーモンドキャラメルより更に多く、三度おいしいものだ。その三度目の楽しみは、旅の記録の整理作業(笑)と、行って来た場所についての文章などを読むこと、あたりかなあ・・。初めて使用し始めてから丸一年近くになるデジタル・カメラの記録媒体としては、安くて軽くてコンパクトなスマート・メディア(超小型フロッピー)を愛用している。今回の旅行では念のため、現在のところはるるが所有しているスベテのスマート・メディアを、ありったけ持参して行った。その内訳は、8メガX3枚、32メガX4枚、64メガX1枚の、合計8枚で、総容量216メガバイトぶん。実は、もう1枚の余分があったんだけど、これはタイの田舎町に住んでるゆかこさんへのデジカメに対する貴重なスペアとしての「おみやげ」なので、計算外。さて、最初の8メガはーーーーJR大宮駅となりの「さいたま新都心」ホームで撮った、ジョン・レノン博物館のビルの外観写真でスタート。成田でHP更新作業をしてるうさぎちゃんの映像などを挟んで、翌日のバンコク市内の映像などで<104まい>次の32メガはーーーバンコクの続きでオープン・エアに近い、ビリヤード付きのビア・ホールで午後の雨の中でのリラックスした酒飲み写真から、プロペラの小型機でのカンボジアへの移動と、初体験のアンコール・ワットの映像など<396まい>3枚目の32メガはーーーシェムリアップ市内の風景と、アンコール周辺に存在するおびただしい遺跡群を、ひたすらにバイクタクシーで移動し、寺院のなかを夢中になって歩き回り、よじ登り、いろんな気持ちいい場所で休みまくり、撮影しまくった<402枚>あと、4枚目の64メガ<814まい>5枚目の8メガは<102まい>6枚目の32メガでは<418まい>7枚目の32メガ<420まい>8枚目の8メガのメディアで<105枚>の、総合計216メガバイト<映像は約2700枚>↑実は、映像として最初は3000枚ちょっとはあったんだけど・・・。気に入らないのや、完全に失敗しちゃったピンぼけなんかを数百枚カットしたら、こうなった(笑)で、4枚目のスマート・メディアから、とりあえずアンコール・ワットの静謐な夜明けのこの一枚を。 ↑夜明けの空に解き放たれるアンコールワット。はるるは、絶え間なく移ろってゆく色彩の数十分間のあいだ、この場所に留まってしまいました。ちょうど、だあれも居なくって・・・・この風景を一人占め(笑)団体旅行では、決して出来ない時間のゼイタク・・・子どもの頃、始まったばかりの夏休みの昼下がり、ゆるゆるとお昼寝のまどろみの中に漂ってるみたいな、ひととき。それが、この国では一年中、味わうことができるんだものなあ・・・
2002年10月02日
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9月30日の昨夜も、最後の〆(しめ)は、極楽のタイ古式マッサージで♪宿から、歩いて数分のところ。夜10時ちょい過ぎは、12時閉店なのでギリギリ・セーフ!2時間で250バーツ(およそ700円くらい)のお店、今回の旅では4~5回通っちまった(笑)みんな、きちんと訓練されてて、2時間たっぷり心も身体も、もみもみ・こりこり&バキバキ・ボキボキやってくれる。店の入り口には、水盆に香りのする花が色とりどりに浮かんでる。まず、土足を脱いで入り口付近のソファに身を沈めると・・・担当者がひとりにひとつづつ、ぬるま湯のたっぷりと入ったプラスティック桶をしずしずと持って来て、お客の足元に置きます。石鹸をつけたスポンジで、足の指いっぽんづつから、両足首までゆるゆると洗って下さるのが、マッサージ開始の気持ちいい儀礼。おまけに、マッサージの途中でも、いつでも。頼めば無料で、熱い中国茶でも、冷たいジャスミン茶でも、持って来てくれるし・・・おかげさまで、ぐっすり安眠して、まだ暗いうちに早起きして空港へタクシーを走らす。ホテル・チェックアウトして、前の通りでメータータクシーを拾ったのがAM4:00。空港のカウンターチェックインがAM4:40ほど。バンコク出発がAM7:00。↑このとき、日本時間ではすでにAM9:00ちょうどなので、さっそく客室乗務員から「時計のハリを、2時間進めて下さい」と、アナウンスがある。日本到着予定は、2時半ごろの予定。タイ東北部の「イサ-ン地方」上空を横切って、ラオスとベトナムの山岳地帯を飛ぶ。ベトナム戦争の頃、アメリカ軍の基地になっていたダナンを抜けると、入道雲がひしめく南シナ海。台湾の南をかすめて、沖縄列島に沿って日本本土に接近。1時半ごろ、四国沖あたりがら晴れ渡っていた海面が、台風の影響か一面の雨雲が見渡す限りに広がった。房総半島沖にさしかかると、成田が混み合ってるせいで、何度も何度も旋回しながらの「待ち」の態勢になってしまった。気流もいくぶん不安定で、ふわりふわりと急降下や上昇も。旋回も5~6回も続いて、やっと、降下の許可が出る。けれど、九十九里沖まで来ると、再び上空の待機命令。PM2:30着の予定が、結局は1時間遅れの3:30ほどになってしまった・・・(笑)宇都宮直行のリムジンバスも、良い時間のダイヤが無いので、通関を終わって4:00前後に出てきたら、次のバスは1時間後。PM5:00に、はるるの街、宇都宮行きマロニエ号に乗ったら、千葉から都内にかけての自然渋滞&事故渋滞、東北道も台風の影響で一部不通なども出ているらしい。結局リムジンバスの停留所で、配偶者のクルマにピックアップしてもらったのは、今夜のPM8:00過ぎ、でした・・・。ただひたすらに、移動の一日。うさぎさんも、お疲れさま・・・でした。家の玄関に入ったのは、PM8:30。無事、ふたりとも、お家に帰ってきましたよん♪今回の旅の写真、3000枚近く撮れました。涙が出るほど美しいアンコールワットも、あちこちでおちゃめなうさぎさん、初めて出会ったいろんなひとびと・・そして、初めてなのに、なんだか懐かしい風景。これから,順次ここのHPにUPしてゆきますね♪
2002年10月01日
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