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最近ネットフリックス関連のニュースが興味深い。まず株価が急落した。1月20日の時間外取引では2割以上も下げた。加入者の増加が市場予想を大幅に下回った。経営陣は他社との競合も伸び悩みの一因として認めた。日本でもアマゾンプライムビデオ、ディズニープラス、U-NEXT、Huluなどオリジナルコンテンツを競っている。私も複数加入したいのだが金も時間もない。ドキュメンタリーはネットフリックスが一番多いので3年以上契約している。ただ多くのユーザーは映画やドラマ目当てだろう。ネットフリックスはリベラルメディアである。日本制作でドラマ版「新聞記者」を配信している。で問題が起こった。まぁ、日本のリベラルには悪い知らせだろう。ネットフリックスで人気のスペインのドラマで「ペーパー・ハウス」は第2シーズンまではスペインの民放のオリジナルだった。本国では続編は作られなかったが、ネットフリックスで配信されて人気となった。でネットフリックスオリジナルで第3シーズンを制作、第4シーズンで完結となった。スペイン版だと女性がもう一人の女性に向かって「あんたゲイだね!」と怒るセリフとかあったのだが、ネットフリックス版になったらゲイ男性やらトランスウーマンの登場人物が追加された。リベラルメディアが頑張るのはいいことだが、世界が追いついていかない。反リベラルにも言い分はあろう。ロシアは同性婚禁止の改憲を行った。で親分のプーチンはウクライナで頑張る。リベラルという言葉の響きは美しいのだが、いつの世にも地獄は付きまとってくる。日本はまだマシな方だから焦っても無駄だろう。そういうこと。
2022.01.26
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大麻合法化が叫ばれている。特にリベラルな人たちによってだと思うが、真偽は分からない。個人的にはどうでもいい。ただ大麻は発がん物質だと思うし、金がもったいないので禁止されてた方が個人的には嬉しい。医療大麻は役に立つなら大賛成だが、病人以外の手に渡らないようにしてほしい。ちなみにたばこも大嫌いなので、国が禁止してくれればありがたいが、喫煙者の自由を一気に奪うのはまずいとは思う。薬物と親和性があるように見える職業がいくつか思い浮かぶ。理由はどうあれ芸能人など最たるものである。思想的には昔のヒッピーとか今のリベラルに絡んでくるのかなと。ティモシー・リアリーとか名前を思い出すわけである。英雄色を好むというが、政治家や芸能人のようにある程度地位や名声を得ると不倫騒動とか起こしやすくなるのかもしれないが、ただの勘である。リベラルさんも夢を追わずに法の枠の中でチマチマ清貧に生きてみたらいかがでしょうか。死にかけているようなささやかな幸福を求めて。
2020.09.09
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アメリカの雑誌ハーパーズ・マガジンで欧米の著名人150人以上が公開書簡を発表。タイトルは A Letter on Justice and Open Debate だそうで。私が名前を知ってるのはノーム・チョムスキー、J・K・ローリング、サルマン・ラシュディ、マーガレット・アトウッド、ジョン・バンヴィル、スティーヴン・ピンカー、マルコム・グラッドウェルくらいだが、察するに相当の面子なのだろう。BLMで真っ二つに分かれて殴り合っているアメリカを正直アホなんじゃないかと思っていた。これ以上死者を増やすつもりなのか。コロナのストレスが彼らの暴れ心を刺激したのかもしれないが、アメリカというのはエネルギーに満ちた国で羨ましい。嘘。羨ましくも何ともない。J・K・ローリングはハリポタの栄光などかなぐり捨てて四面楚歌になろうとも一歩も譲らない恐るべき言論の闘士である。実に興味深い。これから日本でもこの公開書簡ネタが取り上げられそうで期待している。とりあえず待ちたい。日本もアメリカみたいにならないうちに考えといた方がいいだろう。芸能人の政治的発言とかね。
2020.07.08
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テラハ事件で世論が怒るのは当然だが、いじめなんてなくなるはずないのである。今は義憤に駆られている人も、自分の嫌いな人を攻撃するチャンスに恵まれれば、平気で傷つける態度に出るのである。どこの国だっていじめを肯定する空気はある。ないとは言わせない。もちろん被害者は地獄なのだから加害者は図に乗ってはいけない。以前、佐藤浩市氏が安倍首相の病気を揶揄したとされて叩かれたとき、私が賛成できると思った著名人の発言は堀江氏の「佐藤浩市が悪いに決まってんだろ」と黒沢年雄氏の「佐藤浩市を許してやってください」だった。当人がどうすることもできない身体の問題を攻撃したのはまずい。しかし袋叩きが許されるほどネット民は善人ではない。種苗法というマイナーなネタを問題提起してネット民を驚かせた柴咲コウ氏が誹謗中傷、脅迫を受けて法的措置を検討するとのこと。テラハ事件が彼女に力を与えたのかね。怒りは表明せにゃならねぇ。不勉強で申し訳ないが、誹謗中傷・脅迫がどの程度だったか分からない。ただ政治問題だから明らかな犯罪行為以外でそこまで強く出るのは違和感を覚える。もちろん訴えるのは自由である。なんだったらワイドショーに生出演とかしてくれたら面白いのだが。盛り上がるだろう。種苗法ネタは個人的に面白そうなので次の日記に書くことにする。正義のために声を上げる。言葉の武装闘争。実際に武装解放闘争だったら革命である。大事件だ。個人的には革命なんかされてたまるかという気分でいっぱいである。正義が勝つと世の中がおかしくなる。正義ほど悪魔的なものはない。反動大好き。
2020.05.27
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木村花氏は被害者で低能先生は加害者。共通点はどちらもネットで苦しんだこと。違うのは低能先生は同情されないということ。当たり前の話だが。前回の日記で、コロナのせいだと冗談で書いたのだが、低能先生のように、ネットの誹謗中傷事件ではコロナなんか関係ない場合の方がはるかに多いわけである。今回の誹謗中傷で与野党が新ルールを作りそうな勢いである。個人的には常識の範囲内での規制ならかまわない。日本なら言論の自由なんて宛がい扶持で大丈夫だろう。もちろん左翼は政治と絡めて何か言ってくるだろう。それでも与党が極端な案など出さないと思うからどうでもいい。問題は人が自分の嫌いな奴を憎みたいという心は抑えられないということ。欠点のない人は少ないから何かしら攻撃材料はあるだろうし、仮に欠点が全く見当たらない人でも弁を弄していくらでも悪口が言える。何が何でも他人に絡みたがる人もいるだろう。過剰な人間関係を求める。顔の見えない相手でさえ潰しに行こうとする。だから、まともに対峙するよりは身をかわす練習でもした方が早いのではないかと。堀江氏が、自分も中傷されたら傷つく、みたいなことを言っていたが、つい「嘘をつけ」とか思ってしまうわけである。堀江氏とか古市氏とかいくら叩かれても一向に動じないメンタル最強セレブで人生の勝者だと思っているのだが。木村氏の場合もヒールだしこれくらい叩いても大丈夫だろうと油断があったのではないか。投稿してしまったら取り返しのつかないことになってしまったわけである。悪口の一つも言わずに平穏に生活できる人がどれだけいるか。自己肯定感の強い人なら他人なんかどうでもいいわけである。で日本だったら結構そういう人は多いのではないかと思っている。世界には生きるか死ぬかの人たちが多数いる。不幸な事件だが、、やるだけのことはやって粛々と流すのがよろしかろうと思いました。
2020.05.26
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リアリティショーはドキュメンタリーではない。ドキュメンタリーだって演出はある。リアリティショーは視聴者を扇情して数字を稼ごうとするだろう。ヤラセなしと謳っても信用できない。テラスハウスのような恋愛リアリティショーとなると視聴者の思い入れもすごいわけである。よせばいいのに特定の個人を叩いてしまう。昔、大江健三郎氏や川本三郎氏とかがヴァルネラブルという言葉を使っていた。ヴァルネラビリティといえばIT用語でいえば「脆弱性」、要するに攻撃に弱いということだろう。木村花氏はレスラーだからメンタルも強いだろうと思ったらとんでもなかった。2ちゃんねるの「死ね」は挨拶。誰々の凄惨な死を心から願うスレとかあった。こういうのを異常と思わずにやり過ごしてきたネット民もいるだろう。国民はネットの誹謗中傷にも集団免疫が必要?韓国では女優さんが自殺してしまった例もある。アメリカのリアリティショーやトークショーの出演者が殺人の加害者にも被害者にもなったことがある。悪い見本だが日本でも起こってしまった。もちろんこの国では批判はしていい。アベガーも存在できるし、あべしねとかツイートした、まともとは思えない人もいた。もちろん左翼の欺瞞をおちょくる言動はネットに溢れている。ただ個人を叩くのはやっぱり問題があるし、ガセネタに踊らされて加害者になるリスクがある。そもそもそこまで他人を憎もうとも思わない。私は毎度のようにこの手の話にはシャルリーエブドを持ち出すのであるが、シャルリーでは傷つけられた側が殺しに来た。木村氏は逆の方法を取ったと見られている。ここで正論がまかり通る。ネットの中傷はけしからん。しかしネットというのは悪意を可視化するには実に便利なツールである。今回の事件で正論で押してくる者達がこれまで以上に正義を叫ぶわけである。ただし正義を叫んでいる者が全て正義とは限らない。自分は批判してもいいが批判されるのは許さない。過剰な正義ほど恐ろしいものはない。独善もあれば、正義のふりした偽善もあるだろう。何より、いっとき感情が燃え上がって手が付けられなくなる。アラブの春ですよ。波風を嫌う人間の権利はどうなるのかね。そうだコロナがみんな悪いんだ。何もかもコロナのせいだ。コロナ憎んで罪を憎まず。
2020.05.24
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日本人が爆買いしてどーすんの。私は今日、卵や牛乳といった生鮮品が買いたかったのだが、断念した。トイレットペーパー以上の騒ぎになってしまった。外出自粛要請は戒厳令じゃない。だけど人間には心がある。理性は本能に退けられる。エヴァで微生物とか光の束みたいな形のないようなものが使徒となって主人公たちと戦ったわけだが、あんな感じ。訳の分からないものと人間の心が格闘しているわけで、まぁ、生きるということは悲しくも避けられない戦いを続けることである。ともあれ庶民は必死である。もちろん私は庶民以下の屑なので、彼らに同調せざるをえなくなるのかね。金持ちまで必死になったら号泣しながら笑うしかないが。
2020.03.26
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もう40万人。世界的に耐えがたい生殺し。K-1強行が精一杯。小池知事が東京封鎖を匂わせる発言。今日は寒い中、花見を兼ねてスーパーへ買い出し。世の中は三日見ぬ間の桜かな。今年の花見は癒され感が若干割り引かれてしまっているのは仕方ない。私の日々の生活はコロナ以前と全く変化がない。まだ図書館も開いている。ただどうしてもプレッシャーを感じるわけである。首都封鎖となれば図書館もアウトだろう。地域住民のマインドはどうなることか。レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』で災害時に人々は冷静、寛容になって優しく助け合うと考察している。ただそれでも私は世の中そうは甘くないと思っている。表面的には寛容でも腹に一物抱えている者が多そうな気がする。開高健の『パニック』、デュフォーとカミュのペスト小説、サラマーゴの『白の闇』とか知識人たる作家の想像力が生み出した作品である。これらの物語が仮に抒情に満ちたハッピーエンドを迎えたとしても、そこに至るまでに争いを通り抜けているわけである。幸い日本の若者は怒らない。怒っていい場面でも我慢してくれる素晴らしい人が多い。我ら年寄りの方がキレやすくなってると巷間言われている。頭を使って切り抜けられればそれに越したことはない。桜優しく散って下さいな。
2020.03.24
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時期尚早だろうとは思うが、とりあえず書いてみる。株の暴落で資産はメチャクチャ。まさに地獄だが、私の生活は景気と関係なく常に底辺である。読書と動画・音楽鑑賞くらいしか趣味がない。本は図書館、CDも10年以上買ってない。有料ストリーミングはNetflix。衛星はスカパー。ネットの接続料と合計して月に1万円前後。交際費は年に2万円も行かない。何が楽しくて生きているのかと言われれば全く自信がない。俺の人生は何だったんだ、と考え過ぎて父親の元農水次官に殺されてしまった引きこもりさんは気の毒だったが、世間は同情などしないのではないか。世の中甘くない。ただ私はそれでも引きこもりたい。引き込もれるか否かの勝負である。生まれてきた以上生存競争からは逃れられないが、その凶暴な荒波を避けて引きこもることが人生における辛勝なのである。好きで生まれてきたわけでもないのに、生きるために祈り続けなければならないのは狂おしいが悟るよりない。今はコロナでそれどころではない。我が国の感染者数が少ないのは検査しないというカラクリがあるという説が多い。他国と比べて封鎖への執念が足りない日本は、いつかオーバーシュートして世界から大馬鹿扱いされるリスクを背負っている。景気もバブル崩壊のように受け止められている。不本意にも世界は狂気じみた景気対策を打たなくてはならなくなっている。欧米は収拾がつかなくなっているようだが、時間が解決するだろうとの期待のほうが大きい、つーかそうでないと世界が終わる。私は巣ごもりにストレスを感じない方である。ただ大多数の健常者が身動き取れない現状にいつかブチ切れると思われる。大したことのない病気との我慢比べ。ただ病気が悪い方に変化して最悪の威力で襲いかかってきたらリアル世の末。目下のところは何言っても無駄。人生は生殺し。茹で蛙地獄の微笑。
2020.03.23
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勝訴の記者の思想傾向を知らないのだが、敗訴の男性は安倍首相に近い人と言われていたのは知っていた。これは反アベの人たちは黙ってはいられないだろう。血が騒ぐ。原田隆之氏は現代ビジネスの12月21日の記事で「単なる男女の問題に矮小化してはならない」「被害者の自己責任を責め立てたり、被害者を中傷したりする人々は、われわれの人権を蹂躙するという意味で、社会の敵であり、反社会的なのだ」と信じられないことを言っている。当事者でない限り主観丸出しの評価しかできない。上級国民やグレタさんの話にも似ているが一つの事件を利用して実現不可能な理想論を語られたら大変なことで、全体主義になってしまう。社会の敵は皆殺しにすればいいのか。証言からすると敗訴した側が不利に見える。だから彼を擁護する方がとてつもなく難儀だと思う。ただ違法でない限りは言論の自由は担保されるべきである。傍観者はけしからんなどという方が恐ろしく危険な考え方だと思う。他人の自由をないがしろにする気満々である。左翼の人たちは判決に乗っかって喜んで杉田氏やはすみ氏を反アベ精神で叩くだろう。それはいいのだが、この事件にイデオロギーを持ち込まれても白けるだけである。所詮ヒモ付き言論なのかなと。
2019.12.23
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台風明けの14日夕方、あいちトリエンナーレ閉幕で津田氏と大村氏は胴上げでお祝いされた。一度は潰されたように見えたが、左翼はうまくやった。権力に擦り寄って果実を手にした。大村知事はなぜ下らない理想論と正義の側に立ってしまったのか。政治家が独断で正義を語るなどとんでもない。河村氏を説得するでもなく常軌を逸していると馬鹿扱いして罵倒した。許せないと思った人たちは今回の敗北をバネにして、法に触れない範囲で右翼思想の普及に努めればいい。右派知識人を増やしたらよろしいかと。条件付きで再開された表現の不自由展は観覧の不自由展とか検閲の自由展とか揶揄された。確かに面倒を強いられてまで見たくない。ネットフリックスの方が面白い。芸術の分からない奴は馬鹿だと言われたら、「馬鹿ですが何か?」と開き直ればいい。芸術家だからといって崇高だとは思えないし、興味もない。衣食住が人並みなら頑張らなくてもいい。頑張らない方がいい。日本の場合、庶民は付いてこないし、革命は起きない。左翼が一生懸命やればやるほど国民の多数は引いてしまう。ただ世界では左右ともポピュリズムが流行っている。でウォール街はウォーレンリスクを警戒しているらしい。バイデンがウクライナ疑惑でトランプに責められてサンダースは健康問題。でウォーレンが目下トップに。以前私は枝野氏をバイデンに、サンダースを志位氏に譬えた。ウォーレンは譬えようがないが日本で言えばれいわだと思う。日本共産党とれいわは対米と資本主義の許容度に僅かな差があるだけで似たようなもの。ちなみにウォーレンは昔は共和党員だった。トランプと逆のパターン。よく言われることだがグローバリゼーションが進むと途上国の生活レベルは向上するが、先進国の中流はその煽りを食って落ち込んでいく。その過程で途上国も先進国も庶民の不満がポピュリズムを加速させる。ただアメリカが社会主義になったら世界にとって何一ついいことははない。大統領選でウォーレン相手の方がトランプは勝ちやすいという予想もあるが、トランプ当選に続く悪夢が実現する可能性もある。オカシオコルテスはサンダース支持を表明。ただ彼女のような若手議員たちは青年将校みたいで、ベテランが生ぬるいと思ったら下剋上でも起こしそうな気がする。全く急進左派は恐ろしい。日本ではれいわとN国が代表的だが維新も先駆け的な政党といえるだろう。こういった政党が将来連立政権入りとかいうことになったら日本も何か良からぬことが起こりそうな気がする。表現の不自由展など大したことはない。自由のレベルで言えば多くの庶民にとって日本は及第点。津田氏らは彼らの主張の中にイデオロギーを意図的に浸み込ませている。ここは彼らの嫌がる反動精神を貫いて対抗するのが手軽で便利だろう。動かない方が楽。
2019.10.17
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再開にこぎつけた左翼の逆襲が始まりそう。対して河村市長が抗議の座り込み宣言。これは面白くなってきた。展示の内容は反日かもしれないが、そのこと自体はどうでもいい。ケンカが始まるのではないかというワクワク感がある。もちろんテロはまずい。で大村知事は手荷物検査や金属探知機導入とか言い出したらしい。つまらなそうな展示物のために話がどんどん大袈裟になって野次馬の代表たるメディアはさぞ喜ぶことだろう。あとは世界がどう見るか。ただ世界各地で起こって下手すれば何年も続いている紛争、抗争に比べれば馬鹿みたいな話であろう。反日か否かなど世界は興味を持ってくれないかも。よって日本人自ら解決しなくてはならないと思うが難しそう。ただ火種が投げ込まれたことによって何か新しいものが見えてくるかもしれない。河村氏が座り込みを実施するなら、テロも雰囲気的にやりづらくなって一石二鳥。河村氏の株は上がると見た。大村知事は次の選挙どうなるか。くだらないイデオロギーのおかげで世論が盛り上がればそれはそれでよろしいのでは。
2019.10.07
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あいちトリエンナーレ問題がしつこいわけである。個人的には表現の不自由展は思想戦に見える。公的にやることで私の嫌いな言葉である「マウント」を取り、啓蒙、善導を企んだ。しかし多くの国民にとっては大きなお世話で、そんな思想押し付けられたところで何の得にもならない。抗議の主体は右寄りの人達による組織的なものだという説がある。津田氏も大村知事もある程度の反発は予想していたが甘かった。要するに左翼が思想戦を仕掛けたのを右翼が返り討ちにした。偏った意見をぶつけ合った人たちのケンカを我ら小市民は傍観していた。ただ表現の不自由展は日本人が糾弾されているようで後ろめたいものがある。ほとんどの日本人は加害者ではないから、責められてもしゃらくさいと思うわけである。あっしには関わりのないことでござんす。シャルリー・エブドで分かるように、問答無用でやられることがある。イスラム過激派をわざわざ刺激するなど馬鹿以外の何物でもないと思うが、私はシャルリーとか言い出す市民デモが盛り上がった。一方で自業自得じゃないかと私はシャルリーではないと主張する人もいた。そもそも命を賭してまで表現の自由を追求することにいか程の価値があるのか。自由など宛てがい扶持で十分。世の中自分の思うようにいけば世話はない。体制批判に明け暮れる左翼の人たちは何故にそこまでエネルギッシュなのか。『地下室の手記』ではないが「世界なんか破滅したってお茶が飲めればそれでいい」私の場合は住み慣れた子供部屋でコーヒー飲めてネットフリックスでも観ていられたら平らかな人生送れてしまう。恐ろしいことかもしれないが実際そうなりつつあるのだから仕方ない。
2019.09.06
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ワイドショーは今頃N国とか、あいちトリエンナーレなどで騒いでいる。地上波はネットの後追い。お金があるのだから面白い論客を養成してほしい。で貞本義行氏の少女像批判。正直驚いた。貞本氏はエヴァのキャラクターデザインで私はセレブと見做しているのだが、ネトウヨみたいなツイートで凄い。私はアニメファンではない。ただ偶然エヴァの本放送を見たことがある。オウム以来日本やアメリカの新宗教についての本をよく読んでいたので、エヴァンゲリオンというタイトルに驚いたのだが、主人公たちがなぜかキリストの弟子たる「使徒」と戦っていて意味が分からない。要するにカッコいい用語だけデタラメに拝借した単なる戯作だと思っていた。当然毎回見る気など無かったのだが、同じテレ東のWBSでブームだと特集されて深夜の再放送から全話見たわけである。貞本氏だが自重してほしかった。物も言いようで角が立つ。アニメファンにイデオロギーを開陳するのは好ましくない。宮崎駿作品にイデオロギーで心酔する庶民など少ないだろう。大衆芸術としてのアニメで十分。松尾貴史氏とかラサール氏とかの政権批判もひどいわけである。陰湿に見える。面白くやってくれれば別だが、ただ尖っているだけでは白ける。アメリカのコメディアンみたいにできないものか。津田氏の無謀な試みがあっさり頓挫したが、庶民は蒸し返すなと思っているだろう。慰安婦はほめられたことでないのはほとんどの日本人は分かり切っているのに表現の自由とか言ってさらに攻めようとするから返り討ちにあう。見て見ぬふりでいいのかといえばいいのである。お上に任せるしかない。素人に何ができようか。飯が食えれば表現の自由など要らない国民だって存在するだろう。左翼の悪癖だがなんでも戦争に結び付ける。でも人間の本性は戦争なのだから諦めろというしかない。津田氏も軽口を自ら「可視化」して自滅した。ウイリアム・ゴールディングの小説のタイトルを思い出した。『可視の闇』Darkness Visible
2019.08.11
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表現の自由にイデオロギー持ち込むとこうなる。ただでさえ韓国との関係が悪化しているのに、これ以上荒立てようとしているのか。津田氏は抗議は予想していたそうだが本気で勝てると思っていたのだろうか。動機不純も甚だしい。「湧き上がる反感などを可視化」してケンカを売るなら勝たなきゃいけない。劇薬でも何でもないただの無謀。負けて目立つのが目的なら狡猾。表現の自由というが、シャルリー・エブドとか考えれば分かりそうなものである。いくら日本が平和だからといっても甘すぎる。津田氏は何と戦おうとしたのだろう。私は平和主義者なので津田氏のように世を乱すイデオローグはやっぱり怖い。
2019.08.04
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人気コラムニストの小田嶋隆氏。本日の日経ビジネス「ア・ピース・オブ警句 ~世間に転がる意味不明」では「プチホリエモンたちの孤独」と題して見解を述べておられる。リンクは張らない。全6775字と長目。堀江氏がTwitterで年金デモの参加者を馬鹿呼ばわりしたことを支持する人の数が多く、しかも彼らの「連帯感」が強烈だったそうだ。で堀江氏的な自己責任論に乗っかった人たちを浅薄だと軽蔑したいらしい。彼らは自己陶酔的で自身を孤独なマイノリティーだと思い込んでいるそうだ。だからこそ群れて行動するデモ参加者を心底軽蔑するという。んでもって小田嶋氏はプチホリエモンたちはネット上の架空人格として「富裕層の自分」になりきった者が多いと踏んでいる。なぜなら彼らは孤独だからだそうだ。私見。日本のデモはコスパが悪い。昔SEALDsが頑張ったがデモなんかやってる暇があったら勉強した方が社会を変えやすそう。中高年のデモは見るからに貧弱で哀れ。もう一つ。小田嶋氏はなぜ親分の堀江氏を叩かないで富裕層に成りすました孤独で哀れな追随者(文字通りフォロワー)を上から目線で批判したのか。孤独が貧乏より辛い人だっているだろう。報ステに出演するほどの言論セレブの小田嶋氏が弱い者いじめはよくない。小田嶋氏はマッチョ嫌いである。でも自分より弱いと思われる論敵をけなすのはよろしくない。そんなキャラ作らない方がよろしいかと思います。
2019.06.21
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通り魔事件は定期的に起こるのだから騒いでも仕方ない。騒ぎたければ意地でも毎日騒げ。どうせ何日か経てば国民の大半は忘れてしまう。ワイドショーなんかで被害者・加害者の生い立ちやら何やら詳細に伝えても扇情でしかない。1人で死ねの是非など論じても馬鹿らしい。激怒は仕方ないし、それを諫めてもいいとは思うが所詮当事者ではないのである。被害者・遺族の悲しみの深さなど想像もつかない。ちなみに私なんか言われなくても1人で死ぬだろうし、死体は発見されないまま爆発して部屋を修復不能にするかもしれない。加害者はそこに絶望したのかね。好きで生まれてきたわけでもないのに生きなきゃいけない人間って大変だ。ただ我ら引きこもりの面汚しではある。いっそニュースは被害者・加害者とも名前を伏せてどこで何人殺されたかとかだけ伝えてサラリと流してしまえば視聴者は怒ったり悲しんだりする時間が失われてがっかりするかも。ネットの意見も大半は我ら素人が喚いているだけ。もちろん喚く自由はある。ただ怒っては忘れを繰り返していても埒が明かない。知らぬが仏っていい諺ですよね。
2019.05.30
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ネットに思いの丈を打ち明けるのは止めた方がいいのではないかという話。ネットで自分の論敵、もっと言えば嫌いな人を貶めるためにニュースにかこつけて悪口を書く。相手には一発でバレる。それだけならいいが、自分のブログの読者に「それはあまりにも不寛容。彼らだってあなたの守りたい弱者かもしれないのに。」と突っ込まれたり、不勉強だと批判されて自滅する。で取り繕うことができないまま誤魔化して逃げる。読者は一体何だったのかと思うだろう。ブログがストレスのはけ口になるというなら好きにすればいいのだが、ネットの言論なんかに期待しない方がよろしいのではないでしょうか。
2019.04.28
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白鵬国籍離脱申請の話。別に相撲ファンではないので知識など無いままに書く。白鵬は大横綱。本来なら強大な発言力がある。今は何となく自由に振る舞えない。帰化することで角界に「良い意味で」今以上に君臨する道を選んだようである。白鵬はモンゴル人にとってもヒーローだろうから母国でも騒がれるだろう。ただ実力者は自由に世界に羽ばたいていい。日本人の学者が学問を究めるためアメリカに帰化してノーベル賞もらったりする。独断で万歳三唱や三本締めを敢行できたのは彼がチャンピオンだから。協会は嫌がる。日本には日本のやり方がある。強ければ横綱の品格など不要と日本の相撲ファンは考えるだろうか。相撲が純粋に勝ち負けだけを競うスポーツなら白鵬はもっと威張れると思うが、国技だ伝統だ文化だ、あーだこーだ。で日本にも譲れない部分があるのだろう。そこをトップリーダー白鵬が突き崩せるだろうか。勝ち組の条件闘争。勝ち組に国籍などどうでもいい。目的のために日本国籍が取れるなら取る。もっと万歳させろ、三本締めさせろ。ファンがついてくればそれでいいんだ。何の文句があろうか。以上相撲ファンでもなんでもない野次馬の感想。偉大な横綱に敬称略で申し訳ありません。
2019.04.17
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私は中高年引きこもりの自覚はないのだが、定義からすると完璧に当てはまる。61万人の中の一人である。仲間が多くて嬉しい?年齢的にはかなりのところまで来ているので修復不能だろう。ただ修復しようとも思わない。経済的にはなんとか自立している。アベノミクスのおかげだかどうか知らないがリーマンショック以降10年間以上サラリーマン並の年収を得ることができた。もっとも下げ相場になれば株で食えなくなる。その不安は常にある。生活苦の中高年引きこもりの人には同情するが、彼らには私のような屑の同情など迷惑だろう。ただ金さえあればプライドなどどうでもよく生き抜いていける。世間の目が冷ややかでも気にしない。私はそれでいい。自我を殺しているのかもしれないが苦にはならない。自閉症スペクトラム。引きこもりにも程度の差はあるが基本は対人関係。どれだけ我慢できるかである。人と関われば関わるほどストレスが増すならその人にとってはマイナス。笑われようが非難されようが逃げるが勝ちである。もっとも子供部屋おじさんとして親と同居させてもらえるかという問題がある。私の場合は親が馬鹿で私を甘やかし過ぎてくれたおかげで今がある。近所の人は私を出来損ないだと思っているに決まっている。でも気にならない。ほとんどの人間の一生は何のために生まれたのやら、大したことないまま終わるのである。引きこもりというのも哀れな属性で、劣った人間のなれの果てのように言われる。実にいじめやすい。社会からはみ出すことを恐れる多くの健常者は引きこもりの存在を嬉しく思うだろう。下には下がいる。生活保護はもらえるならば恥を忍んでありがたくもらうべきだと思うが、健常者の多くは引きこもりはけしからんから公助など不要だと思うだろう。生活保護は本当に困っている人にとか言われるのは目に見えている。やはり人と関わらないで収入を得られる手段があればそれが一番なのだが現実は甘くない。ベーシックインカムの実現を祈っている暇などなさそうだし、死にたくなければ最低限の生きる努力は必要。何て優しい時代。でも時代のせいにしたところで埒が明かないのは言うまでもない。いかに引きこもって生きられるかを追求するのみ。
2019.03.29
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いい年こいて独立もせず実家の子ども部屋で暮らし続けるおじさんのことらしい。私も子供部屋おじさん。「子ども」じゃなくて「子供」なのはなぜだろう。別にどうでもいいが。まぁ、まともに独立した大人からの悪意を感じるわけである。彼らが子供部屋おじさんを蔑んだりおちょくったりしたくなる気持ちは理解できる。ただこちらとしてはコスパがいいからやめられない。シェアハウスなんかより恐ろしく気楽。ただ親には申し訳ない。世間体があるだろう。本来なら家を追い出されて当たり前。私の場合は親が馬鹿だったから助かった。ただこの言葉流行るかなぁ。例えば中年引籠りの人とかを過度に属性叩きするのはポリコレリベラルあたりはどう考えるのだろう。私はただの屑なので馬鹿にされても全く気にならない。むしろ彼らも頑張って煽ってるなと感心している。何より彼らの言い分の方が基本的には正しい。ただ心に傷を抱えている人とかに無神経に使えるのかね。ポリコレ全盛の時代である。悪口が好きなくせに自分が言われると傷つくのは虫が良すぎる。ちなみに私は昔ネットで「40過ぎて独立もできない」と批判されたことがある。これは私のPCをハッキングした者が私を特定して2ちゃんの株板に書き込んだものと思われる。ちなみに同時期に朝5時頃に寝込みを襲う無言の嫌がらせ電話をされたこともあった。全く無職も楽じゃない。そういえば「ごはん論法」という言葉があるが面白くも何ともない。あんなのでは政敵を怒らせることはできない。相手が最も嫌がって傷つく言葉を探す必要がある。陰湿を愛する人は腕の見せ所。悪口の才能で人間を磨け。
2019.03.03
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野田市の事件は今なおワイドショーで取り上げられている。昔からいくらでもあった出来事を我ら糞庶民はニュースネタとして消費して終わり。似たような事件はこれからも続出するだろう。他人の子どもが亡くなって気の毒に思っても、次の瞬間に美味しいジャンクフード食いまくってお笑い番組に呆けることを忘れない我ら糞庶民のふてぶてしさは処世術の一つだろう。今回児相の対応が叩かれているのは我らの偽善の発露だろう。もちろん叩かれて当然の部分も多いのだが、児相の職員だって自分の生活や家庭を守らなくてはならない。楽に生きたい。自業自得なのだろうが、ただの公務員がテレビで顔を日本中に晒されて、彼らと比較してそれ程善人でもない我ら糞庶民に屑扱いされて気の毒な面もある。児相は警官ではない。おかしな親に攻撃されても強い国家権力で応じることは難しそう。なんなら児相職員に武装させるとか他人の子どものために命を張れるだけの条件を与えてやるべきではないか。警察だってストーカー殺人を見て見ぬふりしたと批判されたことがある。現実はうまくいかないことは分かり切っている。湯浅誠氏が、彼ほどの人物が躊躇した挙句勇気を振り絞って虐待をチクる189番通報した記事を読んだことがある。畜生によくある子殺しが人間にとって悪だというなら法治国家に住む我ら糞庶民にも重苦しい話が割り振られる時代に変わっていくのだろう。ただそれでも悪の陳腐さ、頑強さに勝てるという自信など全然持てないのだが。
2019.02.08
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自己責任論で安田バッシングはけしからんという論調がネトウヨ叩きに使われているが、当の安田氏が自己責任論を軽やかに認めてしまっているので左翼や小林よしのり氏や古谷経衡氏あたりの主張は上滑り。ちなみにいわゆるネトウヨと呼ばれる人たちの意見にはほとんど反対である。ただそれ以上にネトウヨを叩いて為にする批判を続ける狡猾な論調が好きになれない。ネトウヨを叩くのが正義だと思うならとんでもない勘違いである。叩けば叩くほどネトウヨが増殖するリスクがあるし、左翼が正義だと思う日本人は少数派であろう。ジャーナリストの自己責任と過労死や格差・貧困とかを一緒くたに論じるのもおかしい。他人に迷惑を掛けないのは日本では美徳とされているように思える。安田氏は当然心得ているわけである。律儀な日本人は死刑を好む。ともあれ人の命を奪ったものは捕まったら諦めて死んでくれというわけである。まさに自己責任ではないか。たぶん日本人は自己責任が好きなのである。もちろん日本以外でも自己責任好きの国民が多い国もあるかもしれない。とにかく進歩派と呼ばれるような人たちは強靭な羊の群れを侮ってはいけないということ。馬鹿に馬鹿にされないように。
2018.11.03
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今月18日の日記で松本人志氏の死んだら負け発言について書いた。で今回は松本氏が安田純平氏に「道で会ったら文句は言いたい」発言。前後の文脈はともあれ松本氏ほどの有名人・セレブはあまりきつい発言は控えた方がいいと思う。安田氏より松本氏の方がはるかにこの国で力を持っている。テレビでもネットでも今回の自己責任論について盛り上がっている。コメンテーターやら論客やらが各々持論を述べている。それはいいのだが、たとえば小林よしのり氏のような文化人と見做された人たちがリテラの見出しみたいな芝居がかった論調でネトウヨは馬鹿だとか喚いているのは見苦しい。自己責任論など自分のためのものである。殺されて後悔するのは自分であり、他人につべこべ言ってもらったところで意味はない。代わって死んでくれるわけじゃない。そもそも安田氏自身が自己責任論を心得ているように思える。捕まることを覚悟で行く確信犯だから腹は据わっている。ただ命は惜しいだろう。人間だもの。要するに今回の話に乗じて、批判に精を出す人は人間の悪しき本性を臆面も抑制もなく丸出しにして、安田氏をダシにくだらない自己満足のためにケンカしたいだけなのである。言論の自由の範囲内だから仕方ないが。安田氏は殺されないでよかったとは思うが、ジャーナリストということで厄介である。冬山で遭難した一般人なら迷惑だからといって国が助けないわけにはいかない。まして先進国たる日本は心に余裕があった方がいい。問題は安田氏がどれほどのジャーナリストなのかということ。彼のイデオロギーの賛否を問う形で周りがギャンギャン騒いでいるのは飽きもせず日々繰り広げられる無駄話。最後に私の感想。国民が無意味な声高きおしゃべりに興じることのできる平和国家日本に生まれて得をした。良かった。個人的には株で死にそうだが。
2018.10.29
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原田隆之氏の『松本人志はもう「時事問題」を語るのをやめたほうがいい』というコラムを読んだのだが、悪い意味で驚いた。本文のリンクを張ることは控えるが、現代ビジネスのウェブで読める。原田氏のプロフィールには筑波大学教授とあるから立派な学者なのだろう。それにしては主観のオンパレードというか、よくもまぁここまで真っ直ぐに思い込みを語れるものだと思って感心した。松本人志氏が上から目線で弱者を傷つけているというのだが、あまり同意できない。松本氏はセレブなので弱者に対する感覚が多少ずれていたとする。しかしそれは仕方ないことで弱者の方でも別に真に受けないだろうし、当事者でもない限りはまず傷つかないだろう。松本氏が自殺者は責められるべきだと発言したからといって、彼が自殺した人に一切同情していなかったなどと受け取るのはその方が曲解だろう。悪意があったとは思えない。インテリ原田氏が勝手に弱者に忖度しているわけである。弱者からすればいい迷惑かもしれない。でお決まりのイデオロギーの罠に嵌っているのである。松本氏を小川榮太郎氏と同列に扱うなど原田氏の思い込みに過ぎないだろう。爆笑問題ならよくて安倍首相と食事した松本氏は駄目だというなら言論人の皮を被ったただのアベガーである。仮に悪意だったとして過剰に反応するのが正しいのか。この手の偽善にも見える理想論が本当に弱者の救いになっているのか。言論なんかで弱者の苦しみが救えるのなら世話はない。世の中上手くいかないことを思い知って噛み締めて。話はまずそこからだろう。
2018.10.18
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前回の日記で「低能先生」は九大中退と書いたが、九大卒業だった。なぜ中退だと思ったのだろうか、己の低能さに涙。でこの事件についてのコラムをいくつか読み直したわけである。色々な分析があった。凶行の原因は低能先生と揶揄されたからではなく、人殺しのような大それた事など出来ないヘタレ扱いされたからだとか。ただいずれにせよ無職で負け組を自覚していたと思われる容疑者の最後のプライドをへし折る結果になったのだろう。無職は基本的に蔑まれる属性。高学歴無職となれば人間的欠陥を疑われるわけである。容疑者にもその自覚はあったのではないか。ダイヤモンドオンラインの窪田氏のコラムは日本人の他社攻撃癖が悪いというとんでもない言いがかりが面白かった。清々しいまでの朝日的論調だと思った。どこの国の人間だって同じように偉大で同じように卑劣だと思うが。東洋経済オンラインの本田氏のコラムは副題が「匿名コミュニティによる正義追及の恐ろしさ」で個人的に同意できる。「ネット社会では精神的に追い詰められていく過程で、自分の敵を過大に見積もる傾向がある」と。多対一で攻められていると感じ被害妄想を膨らませてしまうのだろう。当然却下されるのだが、容疑者にしてみれば最後の自我を守るための自衛の殺人だったのだろう。で本田氏は「凶行に及ぶところまで相手を追い詰めないこと」が大切だと。それに対して賛否両論のコメントが寄せられている。容疑者の荒らし行為は常軌を逸しているのだから正攻法は通用しないと思う。結果的に単細胞で過剰な正義が負けたわけである。運営企業とかも戦々恐々となるだろう。リアルで排除された人間をネットでも排除すればこういう事件も起きる。リアルの殺人件数は減っているというから諦めるしかないのでは。こんなもの政治とかで解決できる話ではない。
2018.07.01
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危険な42歳無職が八つ当たりでネット有名人を殺めてしまった事件。私も無職で肩身が狭い。荒らし対策とはいえ低能先生と蔑称で煽ったのがまずかったのではないか。シャルリー・エブドと似たような話だが、シャルリーの場合はケンカ上等で煽った挙句殺されたのだからよく言えば殉職、悪く言えばただの馬鹿。低能先生と茶化すことによって容疑者の怒りを充満させてしまった。中退とはいえ九大に行っていたのだからそれなりのプライドはあっただろう。同時に無職という属性のための自己卑下も。ネットでは表情も様子も逆鱗の所在も分からない。大昔、派遣社員が橋下氏を脅迫する書き込みで捕まった時、ブログに大したことのない人間が批判は百年早いみたいなことを書いてしまい、派遣という属性を批判したと受け取られても仕方ない過ちを犯したことがあった。もっとも当時も私は株で食うしかない無職で、己の属性は派遣より下だから問題ないかなと思っていた。今更お詫びしても何ですが、いかなる人も持っているアイデンティティやプライドには気遣うべきだった。お互いが喧嘩腰になれば事件が起こりやすくなる。ただ人間はケンカし対立し戦争して殺し合うものである。そういう風に出来ている。人間は畜生なのである。良くないことではあるが人格攻撃も属性批判もいじめも恥じることなくやってのけるのが普通の人間なのである。被害者は堪ったものではないが、うまくかわした方が身のためだと思う。もっとも今回のように理不尽に殺されてしまっては実に気の毒だが、ネット時代にこの手の犯罪が増えたとしても仕方ない。便利になれば弊害も生じる。解決策は偉い人に任せよう。ネットで意見が分かれた時どちらかに加担してやり合うくらいなら孤高のコウモリになって空から俯瞰していた方が楽である。特にイデオロギーでは。もっとも悪口が言いたい、ケンカしたいだけのネット言論では何かをやり遂げたつもりになったところで結局は虚しさに襲われるだけじゃないのか。もちろんそれを見ている自分も馬鹿丸出しなのだが。
2018.06.29
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