漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

2012.03.08
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カテゴリ: 手塚治虫伝

手塚治虫









                        手塚治虫伝 最終章








                  手塚治虫伝 ・ 手塚治虫伝を終了します










僕は中学入学時トップスリーで以降高校卒業時まで生徒会会長を続けた。
僕はまた関西大学で同好の志3名と供にまんが同好会を立ち上げ初代会長となった。
同好の加藤という男が手塚治虫の師 酒井七馬 とのミーティングに誘った。
翌月 ジュンまんが研究会 という集まりの会長職も引き受けていた。

手塚治虫先生からの依頼でTVアニメーション どろろ 
公開前のプレゼンテーション会場設定と大阪での動員を森之宮ピロティホールで実施した。

手塚治虫先生は約2時間遅れで新大阪駅に到着した。




              「 ぁ はい玉地といいます 」


手塚さんは自然に握手を求めてきた。

手を握った瞬間に僕の人生は激変しやがて虫プロダクションに誘われた。
種々の訳あって社員とはならなかったが以後長いお付き合いを許された。

どろろ 同様手塚治虫大阪個人事務局を展開し 
千夜一夜物語 や 火の鳥2772 などの製作にも携わり、
2度の中国美術家教会訪日使節団の接待と 
世界まんが博 の企画と実施に際して 
日本漫画家協会関西支部長への強い要請   を受け 
初めての選挙制度を導入し5期10年を勤めた。


「 漫画家は皆が正しいという事を疑いその裏にある真実を見抜き

  玉地さんにしか出来ない画風とやりかたで咬み付きなさい 」


いつのまにか手塚治虫先生より4才も年をとってしまった。
書ききれない思い出はまだまだありますが一旦長い手塚治虫伝を終了します。










社団法人日本漫画家協会会員

                                      玉地俊雄





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最終更新日  2012.03.08 09:20:06


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