全225件 (225件中 1-50件目)
更新遅れてすいません。といか、これからちょっと集中治療室に入ってきます。ICUというやつです。風邪や喘息、肺炎が酷くなってきたので、3~4日かあともう少し入ってきます。治す為に闘ってくるので心配しないでください。元気な文面を書けることを祈りつつ。それではいってきます。
2004年12月03日
コメント(41)
毎日、コメントありがとうございます。ありがたく読まさせていただいています。何だか、最近はすっかり普通の日記形式になってしまいましたが、それもまぁいいでしょう。そういえば、骨髄移植の生着にばかりふれて日数を気にしていたりしましたが、それが終わってからもまだ長く続くのです。ここまでは、弟と俺の細胞が同じに同化していくのですが、そこからは拒絶反応を起こさせて様子をみるのです。またここからも長いのですね。副作用で風邪や体調不良、下痢などになってしまってしばらくは面会謝絶なのでうんざりです。1日1日何とか過ごしていくしかありませんが、希望を見つけて何とか大人しく頑張っていきたいと思います。
2004年12月01日
コメント(6)
コメント、毎回本当にどうもありがとうございます。そういえば、今日数えてみたら弟の骨髄細胞が生着するまであと10日ほどになりました。また10日という道程は長いので、もう10日というかあと10日というか迷うところではあります。前向きに考えていきたいと思います。
2004年11月30日
コメント(4)
今日、未明のことです。トイレに立って歩いている際に、急に立ちくらみがして転倒してしまいました。最近では手足や顔まで浮腫んできてしまいました。誰にも会いたくない心境です。輸血をしたのでもう転倒の可能性は少ないですが、これからはこうした副作用に悩ませられることになると思います。でも、こうしている間にも一瞬一瞬治っていると信じて頑張っていきたいと思います。
2004年11月28日
コメント(4)
今日も、コメントありがとうございます。痛みいっています。さて、今日で早速、移植2日目です。といっても何も変わりはなく、日々何もすることがない現状は変わりありません。手持ち無沙汰というかヒマというか…。生きているのが億劫になってしまうほど何もすることがないので困惑ばかりしています。寝てばかりいます。本当に、午前中などは何もすることがなく薬だけ飲んで寝てばかりです。今は寝られているので良いのですが、寝られなくなるとと考えると…。取り敢えずは、1週間後の細胞の生着を目指して我慢我慢です。
2004年11月27日
コメント(2)
コメントを通じて、日記を通じて、メールを通じてメッセージを頂いて、本当にありがとうございます。目茶目茶、嬉しいです。元気になり次第、返していけたら返していきたいと思います。今日、予定通り兄弟間で弟の造血幹細胞を移植しました。時間にしたら30分くらいのものでしたが、吐き気が出て胆汁を吐いてしまったりと少し大変でした。ただ、これで新たなステージに立てたということで、感慨無量です。勿論、この先の確かな保障はなく危険の方が多いですが、そんな現実には負けずに闘っていきたいと思います。生きるために。
2004年11月26日
コメント(3)
毎日、コメントありがとうございます。体力が無く返事は書けていませんが、いつも嬉しく見て励まされています。これからは少し更新が遅れがちになるかもしれませんが、ご勘弁ください。今日で、放射線の全身照射が終わりました。そして、移植に向けての前段階の下準備は全て終わりました。長かったけれど、やっとここまで来ました。明日やるのは「同種造血幹細胞移植」であるというのは昨日書きましたが、これは点滴ですぐ終わってしまうということです。だから、大事なのは移植が終わってから。弟の造血幹細胞が上手く生着してくれないと困るわけです。そして、その可能性は決して高くないのです。数パーセント、嫌、そんなに高くはないかもしれません。ただ、何度も言っている通りここはやらないとどうしようもないわけで、賭けです。1ヶ月後の生存と快復を信じて頑張ります。
2004年11月25日
コメント(4)
今日、遂に放射線の全身照射というものを受けてみました。何か、首のリンパ腺が腫れたり唾が出にくくなるといった副作用を聞かされていたのですが、今のところは特に喉が痛いというくらいしか副作用は出ていません。一安心です。午前と午後に30分ずつ2回当てたのですが、皮膚が荒れることもまだなく痛い思いもしませんでした。ただ、ちょっと疲れはしましたが…。明日ももう1度やってから、明後日は遂に遂に「同種造血幹細胞移植」となります。幸い、LDHが894にまで下がってきたのには驚いています。だって一時期は、2万とかあったのですから…。そこらのコントロールも含めて、移植後には上手いこと生着してくれればと思います。さて、あと少し。頑張ります!!
2004年11月24日
コメント(3)
実は今日は国民の休日(勤労感謝の日)だったようですが、そんなこととは関係なく、今日も体調は一進一退。抗がん剤を打ってちょっとまたきつかったりしました。が、火曜も無事に終えることができて、移植の金曜まで残り後僅かになりました。そして明日は先週、病院の手違いで受けられなかった放射線の全身照射がやっと受けられるようになります。初めての治療でどうなるか解らずに不安なことは不安ですが、とても期待をしています。あんまり痛くないといいなぁ…。
2004年11月23日
コメント(6)
お久しぶりです。沢山の書き込み、ありがとうございます。とても励まされています♪先週、水曜日から無線LANの使用をストップされ、有線回線への移行を進めていたのですが、今日、ようやくそれが果たされました。更新が全くできずにご心配をかけたかもしれませんが、何とか落ち着きました。今日から抗がん剤を2日間打って、放射線の全身照射を2日間やってから移植になります。抗がん剤は正直しんどいし、放射線の全身照射は初体験なので心配ではあります。でも、長かった1週間の延期でしたが、何とかまたここまで漕ぎつけることができました。予後への不安はとても大きいですが、ここまで来たら最早やるしかないので、頑張っていきたいと思います。長らく心配おかけしてすいませんでした。これからは、体調さえ良ければ、ちょくちょくまた書き込んでいきたいと思っています!!
2004年11月22日
コメント(2)
今回、移植をしようと準備をしていたのですが、病院の手違いで移植が1週間延期になってしまいました。放射線の治療をした後すぐに今週の金曜に移植の手はずだったのですが、病院の施設では放射線の治療の日程が立たないということで急遽、1週間遅らせることになってしまいました。本当に、何をやっているのか。一刻も早く移植をして治療を開始したかったのですが・・・。まぁ、しょうがないのでやることもないですが1週間じっくり待って移植に備えたいと思います。何も出来ないで待つのはとてもすごく辛いですが、我慢して頑張っていきたいと思います。はぁ・・・。何かいいことないでしょうか・・・。
2004年11月17日
コメント(5)
クリーンルームに入ってから時間だけがあります。やることがまったくないのです。水分や固形物など口から摂取すると吐血してしまうので、今は何も点滴以外で栄養をとることができなくなってしまいました。LDHが2万を超えてしまったために、強い抗がん剤の副作用でただ寝ているしかできません。今日、やっと3千台にまで落ち着いてきましたがまだまだ何もできません。これで生きているというか生かされているというのは、本当に吃驚しています。ただ、寝ているといってもすぐに吐き気で目が覚めてしまうのでとても辛い。自分の無力。生きているのが辛い。
2004年11月13日
コメント(3)
今日から白血球の数が60を切ったので、無菌室に入ることになりました。もう食欲が無くなったり、時間の概念が壊れてきてしまっていて、もう何が何やらよくわからない状況です。身体の中で何か起こっているようなので、この調子で耐えて耐えて移植まで頑張っていきたいと思います。
2004年11月11日
コメント(10)
ICEという治療を今日から始めます。恐らくは、その頭文字を取ったものなのでしょうが、7~8種類の抗がん剤やら輸血装置やらを何のかやとつけていったので、流れているはずです。これで4日間くらい投与してから弟の末梢血管細胞を移植して俺がAB型からB型になるという計画があるような話でした。そんな話、しましたっけ?したなrあもうよいのですが…。まぁ、そんな面白企画は進行中です。さて、そんなこんなで、イラクでは非常事態宣言が発令。どうなっちゃっているんでしょう…。カオスですね。こんな感じで、今後は平常運行に戻れたらなぁと思っております。
2004年11月08日
コメント(2)
今日こそはちゃんと日記を書こうかと思って意気込んでいたのですが、いかんせん疲れが溜まってしまっていて何か昨日のようですが明日に回します。えへ。明日、ちゃんと書き足します.と、昨日たちゃんと書いてしまっていたので書かざるを得なくなり無理矢理書いております。まったく面倒くさいことですなぁ。いい迷惑です。というわけで、白血球などの痛みにかまけている間に「4年に1度の民主主義の革命」が終わってしまってしまっていました。まさか、アメリカの新保守主義層がここまで頑強な抵抗を見せるとは想像もしていませんでした。全世界的にブッシュ・バッシングが吹き上げられている最中、よくぞここまでというネオコンには驚かされました。そして、土壇場での宗教右派の粘り腰にはまた驚きでした。さて、今後の第2期目を迎えるアメリカ大統領政権はどんな様相を呈していくのでしょうか。一国による覇権主義を突き進むか(これは財政面の問題においてほぼありえませんが…)、パパ・ブッシュのように本来果たそうとしてできなかった国際協調主義に立ち返るか。現実社会の「戦争は経済に従属し、経済は政治に従属する」という当たり前の論理に服すれば自明の理だと思いますが、さて。近頃、物事を妙に単純化して考えてしまうクセが出てきてしまって困りモノですね。もっと具体的に複雑に立体的に考えなくては!!
2004年11月07日
コメント(2)
をやっとこさ書こうと思っていたのですが、今日、信州から可愛い弟が帰国して色々決まったりしたので、まずはそこから始めたいと思います。というか、最近は夜になると疲れていて滅法眠い…。変なの…。今日決まったのは、愈々、来週末の金曜日に弟から末梢血管細胞を移植するということ。本当は骨髄の採取がベストなのですが、これはその後の保存が万全ではなかったり俺の治療とのタイミングが測り難いという理由によるものです。俺は来週の月曜からは、ICE(アイス)という自家末梢血管細胞移植のときなどに大量抗がん剤治療として生命を落とす可能性がある治療になるかもしれません。正念場ってやつが来ますね。きっと、大変な辛さなのではないかと思うのですが、頑張りたいと思います。今日もまた大切な人々に出逢えたので、幸せな気持ちで眠りたいと思います。それでは、今日は短いですがこの当たりで。
2004年11月06日
コメント(9)
ここまで連続して闘病記的なことを書くのは嫌だったのですが、今日も昨日に引き続き大切な話などがあったのでそれについて触れようと思います。今日になってやっと熱も出ず痛みもなくなりました。ただ、LDHは依然増加傾向で18626、血小板はいまだに輸血必要ラインの1.1、白血球も増強が必要な500、赤血球は268、ヘモグロビンは8.1といった具合でどれをとっても数値の悪化が見て取れます。また、腹水・胸水も溜まってきており食欲はほぼ零。そんな現状を打破するべく、今日は以前使ってみて副作用でボロボロになってしまった(詳しくは「リツキサン投入~!!」で)、リツキサンの治療を行いました。この薬は特定保健用のものか何かで、保険をかけても10万はするという代物。しかも、効果は五分五分というふざけた薬なのにそれにでも頼らざるをえないのが辛いところです。幸い、辛い副作用のときに元予備校の友人ロッカー幸が来てくれたので、気分が紛れて何事もなく終わることができました。更に素敵なお土産まで貰ってしまって大満足♪さて、大いに脱線してしまいましたがここからがタイトルにもある本ちゃんのお話。昨日はone on oneで主治医とマッチアップしたのですが、今日は親父も交えての話し合い。俺のオーナーでありスポンサーを交えての緊迫したものとなってしまいました。昨日、俺に話した「安全第一のゆったりペースで安全率を少しでも高めて移植というやり方をすることは逆に治癒率を下げるので、攻撃的に先手先手で移植までいった方がいい」という話は、「リスクは増大することは承知で、勝負に出ることを選択」する路線で変わらずに進行。まぁ、一言で言ってしまうと「博打」ですね。そしてその時計の針を少し早める作業ですが、最早、躊躇している時間はなく、11月中に何とかしなければいけないようなニュアンスのことを言われました。遅くとも…というようなことは、最早口にしてはいられないということです。その原因は、あまりにも通常の化学療法が効かないということ。俺の腫瘍が抗がん剤に慣れてきた(悪順応)のか、腫瘍の数値を表すLDHが下がらないのです。これでは、来月までに腫瘍をコントロールするという手法は限りなく不可能。ではどうするか?正確性にはこの際、多少、目を瞑って、強い治療(ICEという)をしてLDHが下がったところで移植に踏み切るといったシナリオです。本当は全てを万全にして用意周到にいきたいところなのですが、あまりにも時間が足りない…。横須賀での時間が悔やまれますが、ここは過去を悔やんでもしょうがないので前を向いていきたいとおもいます。いませんそれに加えて、どうやら移植後の適合率(治る確率は)どうやらまたこのまえの俺の予想よりも随分低いらしいということです。30%は少し多く見積もりすぎたということでしょうか。相当な覚悟が必要だということでした。が、十分予想の範囲内だったので、特に問題はありません。悲観主義者はダメージが少なくてよいですね。明日か明後日には弟も来て、いよいよスケジューリングなどが決まっていきます。見舞い客の方は早く来られたが良いかも♪
2004年11月05日
コメント(4)
俺がベッドの上で悶絶していても世界はしっかり回っていたようで、新聞を見てみると「EU憲法批准」「香田氏殺害」「島田司会者暴行(司会者…)」「新札発行」「道交法強化」「楽天野球開店」「ブッシュ再選」などなど。機会があればそのうち触れます。今日は、担当看護士と主治医とそれぞれ面談というかお話をしました。特に担当看護士からは「後で話があるの」と意味ありげな台詞だったのでドギマギしてしまいました。一応ですが今は彼女いません、と先制パンチをくらわしたらどんな顔するかな~と思っていたのですが、雰囲気がちょっとだったので止めときました。話は、周りに爺ちゃん婆ちゃんしかいないという特殊な環境や、一応は重病難治病人なので心理的なサポート、病院やスタッフへの不満があればその改善が必要であろうとの配慮からの面談でした。こんなことは初めてだったので少し驚きでした。細かい粗を探して重箱の隅を突付けばきりがないので、笑顔で「特にないです」と切り替えしておきました。実際、恐らく病院で初めてであろう入院1週間でのベッド付近の模様替えを敢行するなど好き勝手やっているので、特に不満なんかないのです(笑)。少し困ったのは「病気についてどう思ってる?」という漠然とした質問で、久々に5分間くらい心情を吐露しました。彼女がいない今の気持ちをあれだけ話したのは(総量の78%)久しぶりで、少しすっきりしました。一昨日も書きましたが、俺は親しい人が俺を見て辛そうにする顔を見るのが何よりも辛いので、中々本心というかSOSを発しません。唯一、彼女にだけは自分に対しては何でも打ち明けてほしいので意識して90%くらいは打ち明けていました。100%を打ち明けられなかったのは、やっぱりええ格好しぃだからでしょうか(苦笑)。何はともあれ、俺は自分の頭でしっかり状況を理解して行動していて、解らないことは何でも聞くようにしているのでという大丈夫ですよということを伝えました。相手にも、俺という人間が解ってもらえたので、とても有意義なじかんでした。さて、ここからが本番の主治医との話。今日になってやっと高熱も出なくなり痛みも、もはや無きが如しということになってきました。しかし、腹水・胸水が溜まってきており食欲はないというのが現状です。LDHは依然16982.増えてる…。どうやら今のまま化学療法を続けていては埒が明かなく生命の危険も出てくるので、今日までの治療+リツキサンの治療の後にもっと強い治療をしようと考えているけどどうかね?というお話でした。俺としては、安全第一のゆったりペースで安全率を少しでも高めて移植というやり方をすることが逆に治癒率を下げるならば、先手先手で移植までいった方がいいと思っています。考えられるリスクは増大することは承知で、勝負に出ることを選択します。と、いうことで。時計の針を少し早めることにします。当初は12月前半で遅くとも1月後半までにはというタイム・スケジュールは、早ければ11月中に遅くとも12月中までにはということになりそうです。でも、大丈夫。俺、出たとこ勝負ってけっこう強いんです。
2004年11月04日
コメント(6)
日記まとめて書きの4日目。やっとこ今日の日記です。今日は朝の3時までは珍しく5時間ぶっ通しで寝れました。そして目が覚めてからは左右大腿部内側付け根の部分が傷み、相乗効果か尾てい骨まで痛くなりずっと起きっぱなし。両太ももの内側付け根はリンパ腺が通っているところなので、恐らく増えすぎたLDHのせいなんだろうなーと思っていたら今日の採血の結果、16840とのこと!7月の緊急再入院のときに25000を記録していたことはありますが、それでも1万オーバーは…。そして今日は前回治療の副作用で血小板の輸血をしました。1度やってしまうと嫌悪感もそうはなくなり、淡々です。更に今日から都度に痛み止めを注入するのではなく、恒常的に痛み止めを注入するようになりました。俺は、薬というものを上回る人間の適応能力を信じているので少し心配です。俺は良くも悪きくも適応能力に秀でているので、特に。慢性的にしていると慣れてしまって効き目が低くなる可能性があるのと、痛みがなくなった際にそれの判断にロスが出ること。その懸念のために俺はある程度の痛みを我慢するようにしているのですが、そういった考えはマイノリティなようです。まぁ、プロの方々の言いつけなので守っています。そのお陰さまで、痛みはまだあるもののこうして日記を書けるまでになってきたのでよしとします。タイトルにもつけたように、これからが本当の闘いなんだということを意識して頑張っていきたいと思います。中断中、皆様にご心配をおかけしてすいませんでした。今まで大した副作用もなくやってこれていました、こうして書いてきたように芳しくない現状と移植に向けての強い治療が始まるので、また心配をかけることもあるかと思いますがよろしくお願いします。あまりの痛みの連続に死ぬんじゃないかと思うことも少ーしだけありましたが、「ぅあ~~~」「うお~~」「ちくしょーーー」「ファッキーン」「負けるか~」と叫びながら踏ん張りました。今後も、頑張っていきます!!今日は痛みもだいぶ和らいだこともあり、俺の幼少のみぎりにそっくりなかわいい甥っ子、一真(4歳)があっひーるちゃんぬいぐるみのくちばしを持ってぶん回していた微笑ましい光景を見たこともあり、友人がUCLのバルセロナvsACミランの2試合をDVDに焼いてくれることもあり(しかもアナウンサーが下手糞な民放じゃなくてスカパー!!、負けたけど…)、よく眠れそうです♪あ、OK牧場はガッツ一流のギャグだったのですね。初めて知りました。微妙…。
2004年11月03日
コメント(8)
日付が変わってからが大変でした。深夜4時前に熱が38.7℃に上昇。シャツを3枚替えて乗り切りました。そのお陰か、朝はこれまでになく順調でもう大丈夫かな~と思っていた矢先の昼過ぎ、熱が突如39℃に上昇。それに伴ってか腰もまた痛くなり、LDHの急増の影響か腹部も痛む始末。まったくもって、酷い有様でした。そんな時でした。元バーキットリンパ腫患者で俺のよき相談相手になってくださっていて、偶然にも同じ主治医の担当になっているグンさんがお見舞いになったのは。これまでのお礼やお話などをしたかったのですが、最悪のコンディションに気をきかせて下さって、短時間で帰られてしまいました。そのお心遣い、大変嬉しかったのですが残念です。その後、両親が来院。本来は明日来る予定だったので吃驚。体調が悪いときの来客は、非常に困るのです。相手は何もできないし、辛そうな俺を見て辛そうな顔をされるのがたまらなく辛いのです。友達なら今日はきついから帰ってと言えるのですが、両親や俺の会いたい人にはそれが言えないので余計辛いですね。そして、この日から新たな治療が開始。前回のエシャップという薬が全く効かなかったので、今回のトポテシンという薬には期待したいところ…。早速、副作用でロレルじゃないや呂律が回らなくなる。あうあう…。
2004年11月02日
コメント(0)
より強い鎮痛剤を打ってもらうことで、朝頃には何とか我慢できるくらいになりました。やっと一段落着いたのかなと思っていた矢先に、また激痛。この日は午後から急に熱が39.3℃にまで跳ね上がり連日のダブルパンチでヘトヘトになりました。そして採血の結果ではまだ白血球は21700。ちなみに腫瘍の数を把握する指標のLDH、通常118~240のところが8200と出ました。白血球を増やす薬を投与するとそれに伴って上昇するものなのですが、それにしても高すぎてやや不安に。うーん…。
2004年11月01日
コメント(0)
ハロウイーン。確か十数年前に、アメリカで日本人が射殺されたのもハロウイーンの日だったと記憶しています。豊作を祝う祭りの日に起きた事件でした。このことは、またじっくり落ち着いたら書こうと思います。さて、その日を過ぎたら日記は書き込めないと思っていたら、あにはからんや、過去に遡っても書き込めそうなので、お休みしていた時系列に沿って書き込もうと思います。この日は昨日より更に痛みが増して本当に辛かったです。痛み止めをしないと夜も眠れない状況で、あまりの腰の痛みに歩くことさえままなりませんでした。原因は、白血球低下の対抗策として白血球を増やす点滴をするのですが(そうしないと抵抗力が落ちて感染症に罹りやすくなるため)、白血球が作られすぎて腰の骨髄のところを圧迫して炎症を起こすためためです。主治医が予想していたよりも、俺の薬に対する反応が良すぎたためにこのようなことになりました。またしてもニュータイプ…。採血の結果、通常3700~8000のところ、22000という数値。熱も38.2℃。腰の骨をハンマーで叩くような痛みで、胃切除後の開腹による痛みに次ぐ激痛でした。
2004年10月31日
コメント(0)
今日は、浅野匠の守のアレについてからキレるについて考察していく「憤懣やるかたなし」をお送りする予定でした。が、横浜Fマリノスが空気の読めない鹿島アントラーズに負けたことによるテンション低下と、見舞い客による辱め(本当に悔しかった:苦笑)、加えて白血球増強に伴う尋常ではない腰痛のため、マクラの語りのみで終わりにします。立って歩けないほどの痛みで、鎮痛剤を飲んでもまだ痛いのです…。今までにもありましたが「…こんなの初めて」です。書かなくてもいいかな~と思っていたのですが、せっかく書いたしまぁいいか、という流れで。あぁ、状況説明と言い訳をしていたら結構な分量になってしまいました。やればできるのか…。でも、とてもじゃないけど考え事できる場合ではないので。(いつもその場で考えながら書くのです)あぁ、痛い。では今日はこのへんで。ここからマクラです。えーと、まくらってのはあれですね。前振りというか導入というか。多分、古典の枕詞から派生して落語の世界で使われるようになったんじゃないかな?今、思いつきましたが…。気を取り直して。最近、頻繁に耳鳴りがおきます。多分、10分に1回は。耳鳴りは幽霊が近くにいる証拠、と聞いたことがありますが本当なのでしょうか?耳鳴り頻発の理由が解りません…。解らないといえば「OK牧場」。ガッツがよく口にしていて皆、爆笑していますが面白いの?ってゆーかOK牧場って何?知っている人がいたら教えてください。あ、あと、タカスクリニックのCMでヒロミ・ゴウが何をしていて何がしたいかもよく解らないというか解せないので、知っている人がいたら教えてください。
2004年10月30日
コメント(4)
朝、2日ごとくらいに採血をしています。いつも自分の血が、赤じゃなくて緑やオレンジだったら面白いなぁと思いながらニヤニヤしたりしています。先日、新聞の下の広告欄のところで、ダウンタウンのマツモトヒトシが「週刊プレイボーイ」で連載中?のやつが本になったという広告を見ました。最近は「好きか嫌いか」と聞かれたら「微妙~」と答えるやつが多いけど、俺ははっきり白黒つけたるねんみたいなことが書かれてあったと思います。特に読みたいとは思わないのですが、世の中的には何でも好き嫌いをはっきりさせる風潮があるなぁと感じていたので意外な感じがしました。これまで生きてきて、特に組織の中での人間関係面で嫌いなことに関して大げさに表明する人が多い気がします。学校とか会社とかに限らず、人が集まると。皆、こぞって嫌いな人を作っているような感じさえ受けました。そんなに嫌わなくても、あいつにもそれなりにいいところがあろうに…と思うほどです。人が集団になるときに生まれる負のエネルギー(エゴとか)が関係しているので仕方がないかもしれませんが、俺はあんまり好きじゃないですね。好きか嫌いか決めるということは、足場(スタンス)を固めて安定するということです。安定は確かに心地よいですが、立場を定めずにありのままを受け止めるということをもっとしてもいいと思います。人ってとても不完全だなぁと思う瞬間です。この場合は、とても好意的な意味で。拘らないことで、減るストレスは大きなものだと思うのですがどうでしょうか。まぁ、譲れないものがあるのも人間臭くてよいものですが。
2004年10月29日
コメント(0)
さて、新たな仕切りなおしということで装いも新たにいこうと思うのですが、しばらくは新たな形を模索しつつ平常通りの進行で。そんなわけで唐突に愚痴から。俺はいたってどこにでもいる普通の青年です。恐らく、品行方正を絵に描いたらかくや!と、いわれるのではないかと密かに自負していたりしています。しかし、親交のある友人・知人に一筋縄ではいかない人々が非常に多く、「そういえば友達にこんなのがいてね…」という話をすると必ず誤った視線を向けられます。「類は友を呼ぶ」と。いやー。結構、一時期は半ばマジで悩みましたね(笑)。でも、違うんですよ。きっと、この文章でだけ俺を知る方々はわかってくれると思っています。信じています。僕は真面目なんです!!と、まぁそんなことはどうでもよくて。昨日と今日は久しぶりに見舞い客が来てくれました。2日とも男女のペア。昨日は大学時代のクラスメート。今日は塾講師バイト時代の教え子。教え子の方はいまのところすくすくとマジメに育っているのが救いですが、大学のクラスメートは正直彼らの将来が心配になるほどの破天荒さ加減です。自称ミュージシャンのMと、経済産業省関係の天下り先会社で働いているM氏。Mは確かに歌は目茶苦茶上手いのですが、俺が見るに作曲のセンスがあまりなくメジャー受けしないであろう雰囲気がプンプンなのです。自主制作でCD作ったりしていて、どうやら本気らしいのですよね…。最近、不動産関係で働き始めたと聞いたのでやっと正道に戻ったかと思っていたら「いや、俺はミュージシャンだから」とおっしゃるじゃありませんか。バイトだそうです。一応、宅建の資格を取ったようなので食いっぱぐれることはないでしょうが、ややもすれば心配な人物です。M氏は大学に柔道推薦で入ったという柔道家にしてロシア語堪能の元ギャルです。ロシア人の彼氏が先かロシア留学が先か忘れましたが、いつのまにかロシア語を習得して今はその関係で仕事をしています。ちなみに今の彼氏は年下韓国人。大型トラックの免許を持っているのとロシア語ができるのとという特殊性を生かして、まさか政府関係筋で働いているとは…という人物です。あぁ、書いてて頭が痛くなってきました…。本当に、類は友を呼ばないんですよ!!先程、主治医が来て弟と型が適合したと知らされました。少し前進。
2004年10月28日
コメント(4)
今日、この回で日記は200件目となります。日記を書くという習慣がなかったので、この数字には吃驚。たまに休みましたが、よくぞ…。継続はサラサ…、もとい、力なりですね。初めのうちは何の気なしに始めたのですが、次第に自分にとって大きなプライオリティを占めるようになってきました。ちなみに、俺が書いているのは流行の「ブログ」というものなのかな?と思って調べたら、こういった形式で短文であることが「ブログ」の構成要件であるようなので、まぁ個人的見解ですが「ブログ」じゃないとしておきます。入院しているからといって闘病記を書くのも嫌だなぁと思ったので雑記のように書き始めましたが、当初のスポーツ中心でいこう路線から逸脱した流れになっています。まぁ、そこはよしとしておきます。今後も何があるかわかりませんので。自分の望む未来のために少しでも文章が上達するようにと思っていますが、文章力、語彙力、構成力、視野など、まだまだまだまだ努力の必要がありますので、精進精進でいきたいと思っています。&ご閲覧、ご観覧の皆々様には感謝感謝です。本当に、励みになっています。というわけで、次回も請うご期待。メモリアルなことには拘る性質(たち)なのでした。4日前、57キロだった体重がやっと52キロにまで下がりました。あと3キロくらい落ちたらベストなのですが、なかなかです。医者曰く「一筋縄ではいかないねぇ…」。少し、日記っぽく。
2004年10月27日
コメント(4)
古代中国にいたとされる思想家、老子。辺境の異民族の出自で、伝説によると何でも知っている頭の良かった人だとか、何年も寝てばっかりの人だったとかいわれています。後に仙人になって、太上老君として西遊記に出てきて孫悟空に金丹(秘蔵の薬)を取られたりして手を焼かされてしまったりする、お茶目な人気者です。この老子というお爺ちゃん(若い頃もあったでしょうが、イメージ)が唱えた思想が「無為自然」。これを教科書で習うのは政治思想としてなのですよね、そういえば。余談ですが、大学4年の教育実習のときに、母校の生徒たちに「無為自然」を教えたことがあります。文部科学省おあつらえの倫理の教科書に出てくる政治思想としてのお話はつまらなかったので、勝手に人生とはみたいに膨らませて授業してしまったのを思い出します。社会というしかも倫理という教科は、教えられる高校生側にとって非常に人気がないのですが、けっこう面白いのです。あぁ、若かったな~…。と、まぁ、政治思想の話も突き詰めると面白いのですが、今日は根本原理としての「無為」について。「無為」というのは、簡単にいってしまえば「自然にまかせる」「何もしない」ことです。少し難しくいえば、「何もしないをする」ということ。あえて、何もしないのです。これは、入院してから目指している俺の理想の形態です。勿論、肉体的にではなく精神的にというか心理的にというか、そう、言葉にすると難しいのですが、自己の内面的な面において「無為」を目指しています。しかし、この悟りを開くかのような状態は非常に難しくて、未熟な俺は寝ているときぐらいしか実現しようがありません。そうか、だから老子は寝てばっかりだったのかと、今、書きながら気付きました。中国四千年の叡智、かく寓話に宿る。
2004年10月26日
コメント(6)
抗がん剤投与は一先ず終わったのですが、何だか一向に上向かない体調に食欲不振が加わって、わけわからないことになっています。はかばかしくないです…。そんなぼんやりした頭で考えてみたことなので、今日はいつもより尻切れ蜻蛉です。(いつもかな?)ここのところ、のべつ幕なし天災の嵐で政府もこの程、災害対策特別補正予算案の作成に着手したとかしないとか。政府関係筋の行動はやっぱり遅いですね。とりあえずやりまっせという意思表示だけでもすればましなものだと思うのですが。そんな大変な被災地の情報が、あちこちから溢れてきます。しかし、思うのです。そんなに情報は必要か?、と…。語弊がありそうなので言い換えると、必要な情報がちゃんと出回っているのかな?、ということです。暴風雨時にわざわざキャスターを外に待機させての中継。どこも大差のない絵図等を並べ同じ口調で震度の読み上げ。一様に「今のお気持ちは?」攻撃。確かに知りたい側がいるという需要があるからやっているのでしょうが、どうにも疑問です。解りやすい情報だけが並べられている違和感。向上を意識しないお座なりの姿勢。え、問題ないからこれでいいんじゃないの?的な態度。解りやすければそれでいいのか?、という思いが頭から離れないのです。もういい加減そんなことしなくてもいいんじゃないかなと。そんなときにこそボランティアやチャリティーを呼びかけるべき、なのではないかな。テレビって進歩しないものなのでしょうか。うーん、気持ちが悪いせいか今日はご機嫌斜めなようです。おしまい。
2004年10月25日
コメント(4)
抗がん剤を投与すると、副作用として味覚に障害が出るケースが多くあります。「食べる」という生命活動の原点に関わる問題なので、こいつは非常に厄介です。俺の例。美味しいものが不味く、不味いものが美味しくなるのではなくて、不味いものはより不味くなるというこの理不尽さ。メビウスの輪は、未だ40%が眠っているという人間の脳力をもってしても簡単には裏返らないようです。さて、前回の病院と今回の病院。この食事について、大きく違っているところがあります。前回の病院は、何を食べているかしっかり管理したいし、感染が心配なので基本的には出される食事以外のものは食べないでください、というスタンスでした。ところが今回の病院は、食欲がないときは(形態を変えて出すし)、自分の好きなものをコントロールして食べてください、というスタンスです。どちらがいいかは判断に分かれるところだと思いますが両者には明確な違いがあります。鷹揚さというか懐具合というか自由度というか。そこら辺の匙加減は好き嫌いがあるでしょう。変化を望まずに自由より隷属によってもたらされる安定を望む傾向がある日本人の多くは、心理的にも前者タイプがよいのかもしれません。前者が、地方の公営大病院というのも象徴的で面白いものです。あぁ、人間というのは駄目ですね。さっき久々にリバースしてお腹の中が空っぽなので…。お腹がすくとこんなことばかり考えてしまいます(苦笑)。
2004年10月24日
コメント(4)
ここのところ露出が増えて徐々に売れてきているバンド、アジアン・カンフー・ジェネレーション。個人的にけっこう好きなのですが、どうも解散してしまったゼペット・ストアというバンドと同じような匂いがします。いや、ゼペット・ストアも好きだったのでよいのですが。何か、自分の好きなものがややウケで終わる切なさが…。最近、気になっているどうでもいいことでした。さて。俺の中では、大事にすべき人、優先順位というものがはっきりと決まっています。通常は、彼女や元彼女は最高位に位置し、その下層には友人・知人そして最後に家族という位置関係。この序列は、どれだけ自分がその人との関係性を積極的に維持したいかを表しています。本来は上位にランクしているのが人情だろうという家族が最下層に位置しているのは、決して関係性が切れることはないだろうという血を媒介にした甘い幻想ゆえです。ただし、この関係性の維持を望む俺の中のプライオリティは結局は俺の中だけで完結してしまっているので、他者との比較においてジレンマが生まれます。これだけ…という個人の思いは、他者にとっては全く関係がなく逆効果を生む場合もしばしばあります。なかなか難しいところです。これは自戒の念を込めてですが、自分以外は他人という現実を忘れてしまいがちです。自分を同心円の中心にして、主観を拡大して世界を解釈してしまうことが多々あります。人は人として人であり、自分は自分として自分である。この厳然たる事実が、ときに俺を苛むのです。ただの甘えだと解っているので、より一層。まだまだ、人生修行が必要なようです。昨日の確率についての話。「人の運命は確率でははかれないだよ」という言葉に少しく救われました。きっと、直前になればそう思えます。「激流の中に身を投じればそこは案外そう辛くないことを裟吾浄は知っている」と書いた中島敦の心境。ただ、今は未来の七割を覆う暗黒を前にして三割の光明が目に入らない状況なのです。念じるよりない自分の状況が歯痒く、怖い。それでも、あの言葉は嬉しかった。本当に。ここで言うべきではないかもしれないけれど言います。ありがとう。
2004年10月23日
コメント(4)
何だか体重が57キロになってしまいました。腹水が少しと胸水までも溜まってきているようです。俺、大丈夫かな…?(多分、大丈夫です)世の中には数字が溢れています。「数字が全てじゃない」といった台詞をたまさかに耳にしますが、そういったことが叫ばれること事態が逆説的に数字の限りない表現力を示唆しているように思います。そう。世の数字を見れば、世界は理解可能である。人の一生でさえも数字で簡単に表現可能です。そこにあるのは、厳かな事実。客観により私情を取り払った冷徹なデータ。そんな数字を俺は信用しています。それなのに計算がまったく駄目駄目な俺は、今日、ヒマだったので、ふと計算が得意な理系数人に質問しました。「俺、兄弟間で移植をするんだけど兄弟間での適合率って4分の1なんだ。俺は3人兄弟なんだけど確率はどうなる?」確か高校のときに習った数学の確率の授業を思い出せたらチョチョイノチョイだったのでしょうが…。パーミテーションとかの公式を使えば一発なのでしょうが、灰色の脳味噌からは一片の公式さえ出ず。薬学部現役合格を目指す教え子の高3、あだ名はインド人。基本情報処理の資格を勉強中のハラピー。カナダの大学でバイオの勉強中のMayne。上の2人からの回答によると「A、B、CのCが患者と仮定。AとBが両方適合するケースどちらか片方が適合するケースどちらも適合しないケースの3パターンがある。すなわち1-(A、B両方とも適合しないケース)で3人の適合率は求められるので1-3/4×3/4=7/16 =0.4375」となります。(いや、なるそうです)意外に高いなというのが正直な感想です。ちなみに主治医は聞いても正確な数字を話さないと思いますが、移植をしてちゃんと治る確率は30%近辺でしょう。主治医の表情や資料のデータを総合してはじき出した俺の勘ですが、俺はこの勘がめっぽう働くので、ほぼ近似値だと思われます。とても確率が低い戦いで、負け戦が大嫌いの本来の俺なら確実に引き返すところですが今回はそうもできません。さて、頑張りましょうか♪そういえば、いつか忘れましたが深夜アニメで双子にモテまくる主人公といった体(てい)のやつをチラッと見ました。確率にするとどのくらいの確率なんだろう…。きっと、食パンを咥えた転校生と角でぶつかって同じクラスになるくらいの確率であることは間違いないでしょう。
2004年10月22日
コメント(4)
先日の日曜日、友人が名古屋で結婚式を挙げるというので電報を打ちました。人生初。お赤飯ものです。しかし、電話口のお姉さんのあまりに冷静で事務的な口調に気圧されてしまって、面白電報を送ることができなかったので悔いが残ります。必ず、リベンジ!!台風23号が過ぎ去りました。毎回思うのですが、台風が上陸しているところにリポーターを向かわせるというのはいつなくなるのでしょう。あれで視聴率があがるというお馬鹿な視聴者がいるのも問題ですが、アナウンサーも組合でストでも起こせばいいのにと毎回思います。てゆーか、あれ、必要ですか?台風凄いのは見りゃ解るだろうに…。話が逸れました。本題へ。台風は昨夜21時過ぎには関東に上陸し、今年最大級の規模と強さの雨台風としての実力を遺憾なく発揮していきました。今年は、平成6年の猛暑のときと同じく11月になっても台風襲来の可能性があり、偏西風が例年より南下せず台風の進路を邪魔しないために、今後も台風には注意しなければならないでしょう。そして、去った今朝も秋雨前線を刺激した影響で台風一過とはならず、風雨を残していました。お陰で晴れ間が射してきたのは午後からです。と、ここまでの情報は食事ごとに何の気なしで見るニュース3回分(計20分くらい)から得た情報です。部屋のじいちゃんたち(みんな60歳オーバー)は、やることがないのでテレビっ子状態で台風情報を収集していたはずなのですが、今日の会話では「今回の台風は雨が凄かったねぇ」「まだ台風来るのかねぇ」「なかなか台風一過で晴れないねぇ」と、え?テレビ見てたんじゃないの?的な発言を繰り返していました。何度も何度も解説してたんじゃないの?みんな60歳オーバーとはいえ2時間以上見ていたニュースをころっと忘れるわけないし…、あまつさえ今日なんかみんな5時くらいから起きてテレビ見てたのに…。何故だか考えていたのですが、解りました。ニュース、見てなかったのです。正確には見ていたけど、頭に刻み込まれなかった。巨大台風上陸ショーを見るただの普通の観客になっていたのです。情報というものは面白いもので、発信者と受信者のコミュニケーションが取れないと最大限の効果を発揮しません。古くはトロイの不吉な予言ばかりを的中させる予言者。最近の例では、妻が浮気をしているのではと疑心暗鬼の夫は依頼した探偵が浮気の事実はないと報告しても認めずに調査を続行させ、めんどくさいのでありもしない浮気をでっち上げて報告するとやっぱりなと納得するというケース。多少内容にふり幅はありますが、情報の指向性を丸ごと飲み込める技量・度量がないと、情報を真に利用できないのだろうなと感じた朝でした。(願わくば自分は客観的に情報を扱えるようになりたいものです。とはいえ、情報によっては心乱される情報もあるわけで(別れ話とかね…)、強くならなければ…)むにゃむにゃ…。(タモさんがテレビに出てくるまでは寝る時間)そうそう。今日、久々に晴れて空気の綺麗な東京・渋谷から、富士山が見えました。あ、また腹水が溜まってきてしまって…。
2004年10月21日
コメント(4)
昨日の日記(プログっていうのかな?)につきましては、沢山の反響を公私共々で頂き、ありがとうございました。とても力を頂きました。頑張ります!!さて、昨日の日記で現在の主治医はいいと書きましたが、実は胃を切ったときの主治医もなかなかのものでした。(そう考えると、俺が気に入らなかったのは前回の主治医だけということになってしまうような…)俺が評価する医者のポイントは幾つかあります。先ず、確信を持って治療をすること。確信を得るためには机上ではなく実践での経験が不可欠。前回の主治医にはこれが足りていませんでした。不安な医者は患者も不安にします。次に、多角的な見方ができること。病状を一方向から見るのではなく、複合的な視点で見つめて対処することを望みます。これに間違いないという思考停止は禁物です。これにも経験が若干関係してきますが。最後に説明能力。こちらの知っているであろう情報は簡略化して要点だけに止め、こちらの知りたい情報をレベルに合わせて伝えられる能力を俺は欲します。当事者として。今挙げたこの3つ。そういえば、医者・教師・政治家の「先生」と呼ばれる職業にはどれも必要な要素なように思われます。ふむ。突き詰めていったらなかなか面白そうですが、今日は本論と違うのでここまで。うちょさて、この一連の入院で、担当主治医とその統括役職である部長のコンビが俺の前に毎回登場しました。部長は、大体が漠然とした政治家然とした物言いをする楽観主義者タイプです。(極端に分ければ)主治医は、詳細なデータを細かく紹介してリスクを大きく強調する悲観主義者タイプです。(極端に分ければ)見ていると、なんだか刑事の取調べコンビのように見えてきます。「仏の~」という老刑事と熱血漢な新人刑事。おそらく、どの世界にもあるステレオタイプなのでしょう。(話はすごく飛びますが、この前、国立国語研究所が発表した外来語の言い換えで「ステレオタイプ」→「紋切り型」というのがあった気がします。最近の若いもんにはわからないと思うのですがどうでしょう…)さて、これからの治療はどのように運んでいくのか。お手並み拝見といきましょう。今、台風23号が関東に直撃している感じです。(私見)吹き飛ばされないように!!野菜が値上がりしても文句を言わないように!!
2004年10月20日
コメント(4)
最近また腹水が溜まってきました。明日から治療が始まります。先程、2時間ほどかけて主治医&両親と今後の治療計画について考えて話し合ってきました。今度の主治医は、切れます。余計な説明は省いて俺が必要としている情報を解りやすく話してくれる、俺にとってベストな主治医です。(今のところ)さて、自分ではすっかり忘れてのほほんとサッカーマガジンなんぞを読み読み暮らしていたのですが、改めて大変な病気なんだということを再確認しました。ここで初心に戻って確認。「悪性リンパ腫 びまん性大細胞型 バーキット様」が正式に近い病名。資料が手元なくもう消灯時間なのでうろ覚えですが、今までの数々の化学療法(抗がん剤治療)の結果を踏まえて、今後は移植手術に向けて治療することになりました。同種(姉弟)移植を目指します。(俊、検査よろしく♪)まだ型が合うかわかりませんが、駄目だったらさい帯血移植にシフト。今のところ、再発率の高さから自家移植(自分のやつを移植)は考えない方向です。とはいえ、白血病では同種移植で治る可能性は高いのですが、悪性リンパ腫では正直なところ治療成績は低いそうです。そして、再発の可能性は完全には否定できないし、合併症での死亡例も実は少なくないと。更には後遺症が残る可能性は高く、それが原因での死亡例もまた若干ではあるが存在するというものでした。と、まぁ、かんなりのリスクを背負わないといけませんが、移植、やろうと思っています。家族を交えてのオフィシャルな回答はまだですが。両親(特におふくろ)はそんな感じで言われたのでちょっとショックを受けていましたが、ここで勝負しないとそのうち勝負できない世界にいってしまうので、しょうがないですね。抗がん剤でずっとやるという治療は、そのうち抗がん剤に身体が慣れてしまいジリ貧であるということと25歳という年齢なために、却下。今後は、今まで使ってこなかった抗がん剤を使って腫瘍をコントロールして、安定させてから移植という感じらしいです。早速、明日から抗がん剤を投与するとか。今までかなり時間をロスしてきてしまいましたが、ここでやっと針路を定めて出発できそうです。残された時間は、未来にしかありません。生きるために…、いざ。(皆様には多大な心配をかけ、すいません。今後も迷惑でなければ、是非!!)
2004年10月19日
コメント(8)
昨日、見舞いに来たソウちゃんとヨネさん(共に27歳)は、土産に「子犬用毛布」を持ってきてくれました。前回は「酸素」を持ってきた2人…。そういえば、同じサークルの後輩は売店で買ってきた「あっひーるちゃん」をくれました。うちのサークルのファンタジスタっぷりといったらもう。次回は誰が何を持ってきてくれるのでしょう…。最近どうもピリっとしない日々が続いています。天気のせいかな~とか、親しい人に逢ってなかったりメールがこないからかな~とか考えていたのですが、どうやら違うらしいということがわかりました。1つ目は、贔屓のサッカーチームがうまくいっていないので、苛々しているのです。2つ目は最近、頭の中でしている考え事のせい。教育についてや在日米軍について、ブッシュについてや対中国問題についてなどについて考えていたのですが、全然煮詰まらなくて疲れてしまっています(頭が)。3つ目は、今とても中途半端に宙ぶらりんな状況のために、心の張り合いを失っているのです。特にこの3つ目は大きいのではないかと思います。倒さねばならぬ敵の存在はわかっているのに、どこにいるのかどうやって戦えばよいのかわからない感じです。(…ちょっと違うかな)素直にじっくり色々決まるまで一休みすればよいところなのですが、またぞろ焦りが出てきだしています。ここのところは、俺のウィーク・ポイントですね。うーん、もっと大人にならねば…。さて、血液検査も尿検査もレントゲンもエコーもCTもやったので、明日は主治医から今後の大まかな流れが説明になるはずです。ワクワク♪そういえば、今は何も治療をしていないので個室858号室から大部屋856号室に移動になりました。久しぶりの大部屋は就寝が21時なので大変です…。隣のじいちゃん、オナラしすぎです(泣)。
2004年10月18日
コメント(4)
最近、めっきり眉毛が薄くなってしまったり顔が浮腫んできたりしてきました。やだなぁ…。今日は素晴しいサッカー日和でした。そんな中、2時からサッカーJ1リーグ、浦和レッズVS横浜F・マリノスの試合を観ていました。今後の優勝及びもしかしたらチャンピオンシップに向けての大事な一戦だったため、スコアは0‐0。攻めも攻めたり守りも守ったりな良い試合でした。そして総合的にはやはりマリノスの方に分がありました。もっとも、連覇のためにはたとえアウェーだったとしても確実に勝たなければならない試合だったので非常に不満。日本人は過程が良ければ結果をあまり重視しない傾向がありますが、結果が大事なときはちゃんと敬意を払ったうえでブーイングを!!と、それはさておき。最近あまりJリーグの試合をフルで観ていなかったので、今日は久々に丸々1本堪能しました。(野球中継に比べてなんとサッカー中継の少ないことか。昨日は野球のせいでスーパーサッカーは1時間半押し。始まったのは深夜1時半ときたもんです。やっぱり野球は大嫌い…)気になったのは、ファールの多さ。今日はハードな一戦だったため削りにいくプレーが多いのはわかるのですが、必要ないところでのファールと安易に倒れてファールをもらう行為が多すぎるのです。確かに、やっているうちについというプレーヤーとしてはしょうがない気持ちはわかりますが、そういった甘さがなくならないうちはアジアレベルで足踏みでしょう。と、少しヤキモキしながら観ていました。その後、サークルの先輩のソウちゃんとヨネさんが、突然、見舞いに来てくれて昔話やら昨今の話に花を咲かせました。2人とも今年27歳になる身分でありながら、今も大学生に混じって山中湖であるサークルの大会に出場してしまうくらいのパワフルでファンキーな御仁たち。すっかりあてられてしまい、サッカーがしたくてしたくて堪らない病に罹ってしまいました。そういえば、もう10ヶ月もサッカーしていないなんて…。人生初です。今後ストレートにいけば、来年の夏くらいには元通りサッカーができるようになっているはずなので、我慢我慢。しかし、ながいなぁ~。そういえば、先日のアジア予選VSオマーン戦のゴールは素晴しい展開でした。小野のパスを受けた時点でゴールまでの道筋が俊輔の頭の中には出来上がっていたのでしょう。ほんの少し先の未来を見る能力は、流石にファンタジスタと呼ばれるだけのものでした。最終予選は更に激しくなるので、あと一歩、進化しないと今のままの日本代表では苦しいでしょう。が、サッカーの灯を消さないためにも、彼らには頑張ってもらいたいものです。
2004年10月17日
コメント(3)
今日、世界の終わりのような夕焼けを見ました。現代のソドム・ゴモラともいうべき渋谷の空に、凄惨なほどの美しさが存在することの意味を考えてしまいました。実はここだけの話。もう時効だから書くのですが、横須賀と川崎の病院のときはたまに病院から抜け出してコンビにとかに行っていました。川崎の方は、オペ後しばらくして点滴が外れてからの2週間くらいだけ。横須賀の方は、慢性的に点滴を入れていたり白血球が足りなくて感染症の恐れがあるため部屋から出られないことがあったりしたので、なかなか難しかったです。…そう、脱出のネックは点滴なのです。あないにでかい付属品が自分についてきてはいけません。あんなのを引き連れて街中を歩いていたら、完璧に不審者であることは明白。完全に職質かけられます。そこで、点滴が外れるのを待たなくてはいけませんでした。点滴が外れる瞬間とは、風呂。まさか、あれをつけたまま風呂には入れませんから。というわけで、毎週3回の風呂の後にはこっそりと、そして逆に堂々と病院を抜け出していました。病院をこっそり抜け出す目的はと聞かれると、別に、買い物がどうしてもしたいわけではありませんでした。大体が売店に売っているので。しかも、あまり間食ができない身体になっていたり食に欲を覚えなくなっていましたので。確かに、「アフタヌーン」や「ヤングマニアル」といったマイナーなマンガを立ち読みしにや、「ワールド・サッカー・グラフィック」や「でらベッピン」といった手に入れにくい雑誌などを買いに行くという目的もありました。では本当の目的は何かというと…、言葉にするととても恥ずかしいですが、ずばり「自由の獲得」でした。自分の足で(範囲は狭いながら)好きなところに歩ける自由。病院という秩序から逸脱したという自由。確かに危ない行為といえば危ない行為でしたが、「自由」とはそのくらいのリスクと引き換えにしてお釣りがくるほどの価値がありました。そして、今。ここは敷地面積が広く、建物の出口から病院の出口まで距離と人の目がありすぎるために、脱出は不可能なのです…。そして昔この近辺の大学に行っていたのでわかるのですが、近くにコンビにがない…。はぁ。晴れて退院をするその日まで、大人しくします…。どうぞ、ご安心の程を♪
2004年10月16日
コメント(7)
昨日はやはり疲れていたらしく、11時前には寝てしまっていました。今日、一旦部屋を移ったのですが、治療の進み具合や病状によって大部屋に移ったり個室になったりする模様です。さて、今年に入って3つめ(!)の病院に入院です。初めは大都市の中堅病院、次に地方の大病院、最後に大規模展開の有名優良病院。設備的な面は徐々に良くなってきています。初めも病院のICUは今いる病院の個室以下だったのが懐かしく思い出されます。オペ後の2日は辛かったなぁ…。前回、今回と個室に入っていますが、今回の方が個室は広いです。ただ、広いわりに何もないのでいちいち歩かないといけません。モノグサ者には10畳の部屋より6畳の部屋の方が住みやすいみたいです(苦笑)。ナースは、質(技量)的には横須賀の病院は悪くなかったのですが、総合的に相対的に見た場合、1番マイナスでした。公務員という立場と、地域に密着しているが故に出てくる「のほほん」加減に加え他に競争相手がいないというサービス性のなさがあったように思います。人員不足であったのも大きなマイナス要素でした。初めと今回は、それと比べると看護婦の数が間に合っているようで、効率的に回っている感じです。最後に料理。毎回、俺が作った方が美味いのに…という不満を抱えながら食べていますが、今の病院が1番不味い気がします。何でしょう、やる気が消えてく味をしています…。まぁ、病院食はどこも大抵が不味いので文句はいいますまい。と、細かいところはさておき、主治医の的確な診察と治療さえあれば何でもいいというのが正直なところです。そういえば、アストラゼネカ製薬のMRをしている親友D氏によると、今の病院は「全国の病院ランキング」で8位。関東エリアでは3位だそうです。日本人ってランキング好きでこの手のランキングの本とかが巷にあふれていますが、誰がどうやって決定しているのでしょう?こういうのに流されてしまって安易に安心するのは危険な気がしますが、まぁ、いい結果なのでよしとします♪
2004年10月15日
コメント(0)
この前、登場したキャバ嬢からメールが来ました。「出張で六本木に行くかもだから寄る」と言っていたので、何をしているのか聞いたところ、「DJ」だとのたまう。「世界の音楽会に革命を起こす」とか…。『音楽界』のことかな…?…あいつならできるかもしれない。ある意味…。さて、というわけで今日、横須賀から渋谷(広尾)の病院へ転院の運びとなりました。内科のベッドの空きがないとのことですが、内科の隣にある外科の個室に暫定的に入室。明日には内科の方に移れるということです。なんでも、救急車にでも乗せて来させてくれと渋谷が言ったところその必要はないと横須賀がつっぱねたりと色々あったようで、しょうがないので電車とタクシーで来ました。…まぁ、終わったことなのでよいでしょう。 治療のほうは必ずしもすぐ移植ってなわけではないらしく、また仕切り直していく模様。どうやら純然たる「バーキット」ではなく「バーキット様」という「びまん性大細胞型」の亜種のようなものらしいとうのもあって色々やっかいっぽいです。今は、直前の治療でマジ白血病の治療と同じレベルの治療をしたということで、腹水は若干あるものの安定しているので検査検査で来週頭くらいまで協議をするっぽいです。ここまできたらもう焦ってもしょうがないので、病院を探検しつつのんびりいこうと思っています。(体調の良好な限り)そうそう、その元キャバ嬢の彼女からのメールには続きがあって、(ここから原文ママ)「ゎたしの許可なく勝手に死ななぃょ→にッ!!」「許可なく死んだら次生まれ変わるときゎ『かぇる』ですからッ!!」とのことです。カエルになるのは嫌なので、頑張ります。……、あいつならやりかねん。
2004年10月14日
コメント(4)
今日、久々に風呂に入りました。垢がボロボロ落ちていい気持ちでした。今日は色々書こうと思ったのですが、長かったここでの入院生活を思うと文も長くなってしまいそうなので一言だけ。明日、転院します。いえい♪
2004年10月13日
コメント(6)
昨晩、寝ようと思ってうつらうつらしているときに、ここ数日気分が晴れないのは苛ついていたからだと気付いたので、日記にしたためて整理しようとおもったのですが、あんまし読んで面白そうじゃないかなと思って、止めます。あ、今日から病室の外に出られるようになりました♪というわけで、今日は21時からラーメンの番組があるのでそこにあやかってラーメンのお話。ラーメンといえば、あの天下の料理書「美味しんぼ」にも国民食と出てくるくらい日本人に親しまれています。好みも千差万別。醤油ラーメン、味噌ラーメン、豚骨ラーメンなどから発展して家系ラーメンや新家系ラーメンが出てきたりと、もう百花繚乱でわけがわからなくなってきています。俺は個人的には豚骨ラーメンの類はほぼ何でも好きです。それがない場合は塩ラーメンといった感じです。醤油は澄まし汁みたいで味噌は味噌汁みたいなので、いまいち好きになれません。俺が今のように豚骨ラーメンしか愛せなくなってしまったのは、恐らく環境のせいでしょう。昔、長崎県に住んでいた4年の間に食べ続けたインスタントラーメン「うまかっちゃん」。こいつのせいです。博多ラーメンというくくりで、豚骨スープの黄色いやつをうちでは使っていました。これが目茶苦茶に美味いのです。こいつのせいで、いまだに乾麺が大好きで生麺でもよっぽど美味いやつしか受け付けなくなってしまっています。幼少期の食事、恐るべしです。ちなみに、この4年間で「ちゃんぽん」にもうるさくなってしまい今でもリンガーハットの「ちゃんぽん」は食べられません。あと、「皿うどん」を「固焼きそば」という関東人のセンスにも納得がいきません。ビバ、九州!!
2004年10月12日
コメント(12)
ここのところ転院を前にして治療は行われず、副作用も軽減化しており何事もないので、手持ち無沙汰というかモチベーションが低下中。速やかに荷造りができるように部屋の中を軽量化している最中なので、やることがありません。加えて未だ部屋に缶詰だし、外もずっと灰色だし。この3連休は、ぼけーっとテレビを見て、ナースさんたちと他愛のないお喋りをして、ゲームボーイでドラゴンクエスト2をやっていました。(しかも沈没船が見つからずずっと立ち往生)ここにきて、やっとナースさんの1人に「どんな性格かわかってきました」と言われました。…遅くない?早く転院決まらないかなぁ…。
2004年10月11日
コメント(3)
今日はてっきり台風一過でいい天気かと思いきや、どんより天気だったので、ずーっと寝てました。先日、友人各位に日曜までと告知したのにあれから携帯のほうにはメールが1通しか来ず。書き込みをしてくれる方2名とメールの1名とその後輩1名以外の全てに転院告知メールをする羽目になりました。明日あたり50通くらい携帯でメールしなきゃ…。あぁ、めんどくさい。今日は、たまっていた新聞をまとめてじっくり読む日。何気なくニュースを見ながら新聞の下の広告欄を見ていたら、女性誌が2誌も創刊されていました。近年、出版業界は不況を囁かれており総合的にみると売り上げは落ちている模様です。(余談となりますが、この、売り上げの減少傾向から読書率の低下が叫ばれているような気がします。でも、私見ですが売れてない事との因果関係は希薄な気がします。)そのなかで、雑誌部門はここ数年のうちに廃刊や休刊が相次ぎ、その流れでリニューアルや新創刊の流れが出てきています。その部門のトップグループではなく2番手3番手グループが姿を消して新手が台頭してくるといった、日本社会によくみられるやや硬直したマンネリズムの図式はそのままなところは、見ていて面白いところです。姿を消していった雑誌は情報を総合的に扱うといったややコンセプトが曖昧なものが多かったのですが、新手は分野の細分化傾向や、今までと同じ総合情報誌にしてもターゲットを明確に絞ってきたものが多くなってきたような気がします。(特に、最近の傾向はファッション系が強く、多くなってきています)そしてもう1つ顕著なのが、ターゲットの年齢層。今までにはあまりなかった30歳オーバーをターゲットにした雑誌が、男女を問わずここのところ急増しています。今後の団塊ジュニアの分布と合わせて考えると、やや先走り感はあるものの先々有効な一手のように思えます。総中産階級化や結婚の晩婚化或いは非婚化など日本の社会構造の変化に柔軟に合わせて、金のある、また金払いのいい層に向けてのターゲッティング軌道修正の早さは流石はマスコミの一角だなと思わせられます。最近で特に最近目につくのが、30代、40代、50代に向けたインテリ・ファッション雑誌。確かにここの年代の人間が変わると、日本も大きく変わってくると思うのですが時間がかかりそうです。特に男性は保守的なので、カッコいい男になろうぜ的なキャンペーンは成功し難いのではと思います。雑誌の売れ行きは意外に好調だということですが、女性に比べて男性がファッショナブルになる日はどう考えても遠そうです、テレビで新橋のサラリーマンを見ていると。まぁ、何にせよ。出版界が活性化することはよいことなので、デフレ進行のストップなどとは関係なく、独自にでも、もっともっと活性化するとよいなぁと思っています。
2004年10月10日
コメント(4)
先程まで凄まじい勢いで風雨が吹き荒れていました。窓ガラスが割れんばかりの勢いでした。何でも横須賀をドンピシャ直撃したようで、災害に強い我等が京浜急行が全線ストップするという異常事態。まぁ、明日はさぞかしよい天気になるでしょう。…俺には全く関係ありませんが。さて、毎日ぼんやり暮らしていますが、その中でも考え事をする時間というのがあります。入院する前は、歩きながらや煙草を吸いながら考え事をするのが1番効率が良く考えがまとまりました。それに準ずるのが風呂や横になっている時間。そして、今、俺に残されているのは横になる時間だけになってしまいました。毎日、寝る前にぼやーんと色々な事を考えているのですが、めんどくさくてメモを取るということをしないので、片っ端から忘れていきます。何かの出来事に付随したことか、よっぽどの思いつきしか憶えていません。でも、たまに断片的にだけ憶えているときもあります。昨日の寝る前に考えていたことは、「俺がお前でお前が俺で」。何のことやら全く憶えていませんが、このフレーズだけしっかり憶えているのです。まったく、何を考えていたんだか…。最近の憶えている寝る前に考えていたことは人間のタイプについて。人を車と仮定して、コーナーに差し掛かったときに減速して、ブレーキやギアを使って余計に燃料を使いながらボディに傷を付けないタイプとコーナーに入っても減速しないで、ボディーを傷つけながらもスピードを落とさずに進むタイプのことについて考えていました。多分、トラブルが起こったり起こる前に、時間や気苦労をかけて何らかの対処をして被害を最小限に抑えるタイプと周りのことや自分のダメージなど気にしないで、自分のやりたいように最短距離をいくタイプのことを考えていたのでしょう。確か、憤りながらの思考だったと思います。恐らく後者の人間に対して、自分勝手なヤツめと思いながら不器用なヤツめと思っていた気がします。うーん、何を考えていたんだろう…。というか、何を考えて生きているんでしょう…。そんなことを考えながら、今日も寝るとしましょう…。
2004年10月09日
コメント(4)
今日はとうとう輸血をすることになってしまいました。血小板とヘモグロビンを入れました。ちょっとというか、かなりしっかり心理的な嫌悪感はあったのですが、そのときに電話とメールをした子のお陰で、何とかすんなり乗り切れました。ありがとう。雨が降っています。窓際で耳を澄ませて聴いていると、雨音は異なるリズムを奏でています。絶対音感のある友人はこれを音符で表現できるのですが…。雨音もたまにはよいですね。たった1つで、独立して完璧に単純な美しい音。それを台無しにする可能性を孕んでまで束ねられたメロディの綺麗さは、人類の飽くなき好奇心と探究心を感じます。どうでもいいのですが、個人的にはピアノとヴァイオリンの音がとても好きです。クラシックはもとよりジャズや洋楽・邦楽でも、クラシックバージョンのリミックスは、ほとんど大好きです。普段、好んで聴いているのがメロコアやハードロックだったりするのですが、その反面、そういった一面もあります。色々と移り変わりましたが、ただの邦楽も好きです。そういえば、つい最近、ミスチルのアルバム「シフクノオト」を聴いていたら涙が止まらなくなるという出来事がありました。特に感動したとか詩が良かったからとかではありません。だって、今までに何回も何十回も聴いているのですから。でも、何故だか解りませんが聴いている間中、涙が止まりませんでした。よく解りませんが、きっとこういうのが「音楽のチカラ」なのだろうと思います。
2004年10月08日
コメント(0)
昨日の友人各位確認報告メールは日曜までにお願いします。今朝、日赤から電話があって明日から転院OKとのことだったのですが、血液検査の結果、血小板の数とヘモグロビンの数値がガタ落ちしてしまったので、やっぱり転院は来週の連休明けになってしまいそうです。一応、昨日今日は肉を差し入れしてもらって吐かずにちゃんと食べたのですが…、無念。顔見知りのナースさん達と別れるのは断腸の思いですが、次も可愛いナースさん達がいっぱいいるといいなぁ~。というか、そんなことを考えている間に(ちらっとですよ)、明日の血液検査の数値次第で輸血が必要な事態になってしまいました。何か、主治医も数値結果にナーバスになっているようなので、もしかしたら輸血するかもです。気持ちは分かるけど、嫌だな…。そんなこんなで、また腹水が溜まらないように気を付けなければいけません。平穏の日々は一体、何処か…。食欲は相変わらず回復しないしたまに吐いてしまうこともあるので、取り敢えず今日は、特定保健用食品(トクホ)のヤクルトを飲んで、L.カゼイ・シロタ株を摂取して乗り切ってやろうと思います。(効果あるのか?)ごくごく。
2004年10月07日
コメント(4)
えーと、この日記を見ている友人各位。転院連絡の人数確認と身近な読者の把握をしたいので、これを見た人はメールください。(時間はいつでもよいです)そんで、知り合いみんなに情報をたらい回してくれると助かります。さて。やっとというか意外にあっさりというか、転院先が決まりました。(割合は4:6くらいかな)渋谷の日赤医療センターです。できれば今週中がよかったのですが向こうのベッドの空きがないらしく来週になります。残念。来週の頭ということだったので月曜には行けると思っていたら、ハッピーマンデー法のお陰で病院が休みのため、火曜か水曜、遅くとも金曜までには移れると算段しています。月曜、そこの部長さん宛てに転院話を打診しに行きました。こちらの主治医的にも、最大限やっているのに治療成績が上がらないこともあって即OKだったようで(ここでごねられてもたまりませんが)、動き出したらとてもスムーズでした。白血球の下がり具合と病気の進行の速さを考えると今週中に移るのがベストなのですが、物理的にスペースがないのでは致し方あるまいて、ということになってしまいましたが。部長さんの話では、アズ・スーン・アズで来て速やかに移植の準備に取り掛かるということらしいです。バーキットリンパ腫は、基本的には化学療法(抗がん剤治療)で75%以上の治癒率を誇る病気です。でも俺の場合は、病気の確定が遅かったのか、75%以上という確率には入れない部類に入るためか、治療に限界があったためか、移植ということになりました。移植というのは、同種移植。推論ですが骨髄移植ではなくて、造血幹細胞移植になると思います。血を作る細胞を移植しようということです。同種移植というのは、兄弟姉妹のなかで白血球の型(HDL)が同じなら、移植できるというものです。全くの他人のものを移植するよりも拒絶反応が少ないことから、成功率は70%くらいだとか。もし、型が適応しないときはさい帯血移植という形になります。(詳しい説明はもしものとき)状況が状況なため、12月初旬には、遅くとも1月中には移植手術を行う予定でいます。移植後は半年~1年を様子見しないといけないため、社会復帰は早くても来年夏くらいということになってしまいます。長ぇなぁ…。うーん、こんな大事になるとは思っていなかったので、軽くショックです。両親や、本気で心配してくれている人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。一刻も早く治ることが最優先課題です。が、これまでの歩みとこれからの道程を思うと本当になんと言っていいか…。元グランパス(現甲府)の小倉が、アトランタ五輪を前にして左ひざ十字靭帯断裂という大怪我をしたときに「神様、おるんですか。俺、なにかしましたか?」とつぶやいた気持ちが、よくわかります。まぁ、まだまだ未熟なので、しょうがないなぁという風になかなか悟りきれませんが、これが人生ですね。C'est La Vie.やっと動き始めた電車に飛び乗って、とっとと行きたいと思います。快速特急で。
2004年10月06日
コメント(13)
ここのところ地味に少しずつ、毛脛が抜けております。文字が読めるようになり本を読み始めてから、もう20年くらいが経ちます。1番古い読書の記憶は、絵本「からすのパンやさん」。そこからアンパンマンシリーズよりはおむすびマンシリーズに夢中になり、ほうれん草マンシリーズから怪傑ゾロリシリーズへと変化。(3、4歳~7、8歳)そこから少し空いて普通のマンガや漫画偉人シリーズ、オーパーツ(UFOや世界の不思議)を経て、横山光輝「三国志」を踏み台に吉川英二「三国志」にたどり着きました。(10歳~12歳)登場人物、全部憶えてたなぁ。ここから一気に歴史物や宗教系、そして小説というジャンルを狂ったように読み耽るようになりました。手当たり次第に乱読していましたが、基本的に好きな作家中心で、そうでないときはタイトル。タイトルがいいものは、たいてい内容もよいものです。予備校時代に、歴史をとことん勉強して古典の裏側にある背景を勉強してから教科書にでてくる古典にはまりました。強烈に見方が変わったのが「ガリバー旅行記」。すごいです、アレは。俺は非常に好みが激しくて気に入った作家の作品以外読まない傾向にあるので、今後とも何とか引き出しを増やしてやろうと健闘中です。頭が痛くなってきたので、今日はこのあたりで。特にお薦めしたがりではないのですが、ここ数年で初めて読んで衝撃を受けた作品を数点ご紹介。まさかあんなにマニアックに支持されているとは知りませんでしたが掛け値なしに面白い、田中芳樹「銀河英雄伝説」。思考回路を書き換えられて必要以上に論理的になってしまいました、森博嗣「すべてがFになる」。曖昧で不安定だった自分の生き方を貫いていこうと決心しました、金子達仁「ターニング・ポイント」。そういえば、転院が決まりました。骨髄の移植手術も。詳しくは、整理して明日。
2004年10月05日
コメント(2)
深夜、サークルの後輩から歌舞伎町のキャバ嬢の写メール。あまり上品な顔ではないので「好みじゃない」と返信したところ、売り上げはかなり良いのだとか。まぁ、確かに綺麗なうなじをしていました。あぁ、元カノでキャバ嬢になったあいつは元気かな…。さて、週末と今日で「海辺のカフカ」と「アフターダーク」を読んだので、今日は村上について。村上春樹と村上龍という両作家を知ったのは、中学生の頃。国語の便覧(教科書の補助教材)の現代作家というカテゴリーに、吉本ばななと一緒に載っていました。そこで少し興味を持ったのですが、実際に本を読んだのは高校生になってから。村上龍の「海の向こうで戦争が始まる」がスタートでした。予備校時代に、頭のいい友人カップルが「村上龍って純粋よね」と言いあっているのを聞いて、こいつらは馬鹿か?と思ったことがあったのですが、今にして思えば一面の真実のような気がします。最近、できちゃった結婚をしたY太という友人のお袋さんの「村上龍は生意気だから読まない」という発言も、真実の一面を指している気がします。才気溢れる感じで生意気な村上龍は、わりと好きです。(エッセイはちょっとうざったい感じなので嫌いですが)友人に薦められて読んだ「愛と幻想のファシズム」と「5分後の世界」は、傑作だと思います。「音楽の海岸」と「希望の国のエクソダス」も好きです。ただ、期待していたサッカー小説「天使のパスと悪魔のゴール」(だっけ?)は…。残念。春樹を初めて読んだのは、浪人になってからです。龍をほぼ読んだので、ってことで村上繋がりで読みました。ところが、ブックオフに行ってもないのです、文庫が。そんなわけで、春樹作品は順不同で飛び飛びです。「ねじ巻き鳥クロニクル」や「ノルウェイの森」などの代表的な作品は読みましたが、まだまだ読んでいない作品が沢山あります。(これは少し幸せなこと)1番好きなのは「ハードボイルド・ワンダーランド」。傑作です、これも。村上春樹は、現実感に乏しいくせに普遍性がある主人公の作りだすことによって、不特定多数の読者にシンパシィや共感を感じさせるのが抜群に上手いと思います。毎回、出てくるのは何かが欠落した感じの主人公ですが、俺は割合好きです。ただ、新作の主人公たちは少し昔の作風と違い風だったので、ギャップに驚きました。でも「海辺のカフカ」はもう少し突っ込んでほしかったし、「アフターダーク」は実験作ではありましたがもっと深みがほしかったです。期待値が高すぎるのが原因かもしれません。いつもいつも傑作が続くわけないですが、少し残念です。昔の作品を読みながら、今後の作品に期待。そういえば、村上春樹の奥さんはカメラマンか編集者のようなことをしていて二人三脚な感じで仕事をしている(していた?)と、何かで聞いたか読んだかした記憶があります。そんな関係っていいなぁ…、と思います。
2004年10月04日
コメント(4)
記録を調べてみたら、前回は白血球が200になってやっと滅菌になったのに、今回は800から滅菌。うーん、面妖だ…。明日の夜か明後日から、副作用が本格化する予定です。「退院したら何をしたい?」とは、見舞い客の方々からよく聞かれる質問です。アホほどサッカーがしたい。仕事がしたい。正直なところ、本当にしたいのはこの2つしかありません。(人に会いたいとか、美味いもん喰いたいとか、映画を観たいとか、そういった細々したものは別にありますが)でも、働く前にちょっとどこかへ旅したいと思っています。じいちゃんが住んでいる鹿児島は霧島に行こうかなとは思っていますがどうなることか。春になる前に、なんとか行ってみたいですね。さて、そんな感じで旅行について考えているといつも思い出すのが、初めての一人旅。最近、ずーっと思い出そうと躍起になっているのですが、どうしても思い出せないことがあります。曖昧な記憶。時は、1993年。齢、15の春です。高校に合格したので、当時、単身赴任をしていた親父のいる下関に行きました。同時期に、昔住んでいた長崎県佐世保市と従姉妹の住む鹿児島県鹿児島市にも行きました。行ったことは確かなのですが、どのような順番でどのようなルートを辿ったのかが全く思い出せないのです。かなりどうでもよいことなのですが、喉に引っかかった魚の小骨の如く気になっています。憶えている情報は、飛行機で行き、電車で帰った。飛行機は九州で降りた。電車で帰る途中、神戸が震災だったのでそこはバスで移動。そのあとまた、電車で大阪を経由して東京へ帰った。思い出せないのは長崎と鹿児島の存在。どうやって行って帰ってきたのか、順番は謎です。写真も残っているのですが、記憶は曖昧なのです。10年しかたっていないのに、思い出せません。最近は、頓に海馬の機能が低下してしまいっぱなしです。でもまぁ、失ってしまった記憶はありますが、初めての一人旅ということで、あの旅は非常に大きなものを得ました。一人で予約して確認して行動するということで、新たに自覚や自信を大きなものにしました。それ以降は、団体でしか旅をしていないので、今度は一人か二人で旅行をしたいです。気ままなぶらり旅に憧れます。いい旅、夢気分。
2004年10月03日
コメント(6)
全225件 (225件中 1-50件目)