2004年04月17日
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慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

アッサラーム アライクム

今日は第40章です。

章名は「ガーフィル(赦す御方)」とも「ム・ミン(信者)」とも呼ばれます。

「(主の)玉座を担う者たち、またそれを取り囲む者たちは、主の御光を讃え、かれを信仰し、信じる者のために御赦しを請い、祈って(言う)。『主よ、あなたの慈悲と知識は、凡てのものの上にあまねく及びます。悔悟してあなたの道を踏む者たちを赦され、かれらを炎の懲罰から御守り下さい。』 」
(40:7)

とあるように、アッラーを信じる者のために、天使たちがアッラーのお赦しを願って祈ります。

第28節にはフィル’アウン(ファラオ)の一族の一人が、信者(ム・ミン)として表明し、アッラーを畏れていると言います。一人の信者として、信仰と善行への努力が、最後は勝利に導かれることが記されています。

マッカ時代の後期に、前章の集団章の直後に啓示されたとされています。この章から神秘文字「ハー・ミーム」で始まる章が続きます。



インナマー ハーディヒ=ル=ハヤートゥ=ッドンヤー マター’ウゥー 
ワ インナ=ル=アーヒラタ ヒヤ ダール=ル=カラール
(現世の生活は束の間の享楽に過ぎません。
本当に来世こそは永遠の住まいです。)

「インナマー」は「インナ(本当に)」と「マー(こと)」が一緒になったものです。
「ハーディヒ」は指示語の「ハーディー(これ)」の女性形です。その後に来る女性名詞の「ハヤート(生活)」を指しています。これは名詞文の主語になります。
「アル=ハヤート=ッ=ドンヤー(現世の生活)」はいつも「アル=アーヒラ(来世)」とセットで頻繁に聖クル’アーンに出てきます。

「マター’ウ(ン)」は「マタ’ア(持ち去る)」が語根で「もの、事、楽しみ、享楽」という意味です。
「ハーディヒ」が名詞文の主語で「アル=ハヤートゥ=ッドンヤ」が同格で「マター’ウン」がその述部です。ですので、主語と同じようにマルフー’ア(ダンマ表示です。語尾の母音が「ウ」「ウン」となります。)です。

聖クル’アーンの読誦ルールで、「ウン」の語尾が「ヌーン(N)」の子音で終わり、その後に「ワ」(「そして」の意味の接続語)が来ると、その影響を受けて、「ウゥー」という感じになります。「イドガーム(同化)」と言います。

「インナ=ル=アーヒラタ」は「インナ(本当に)」の後ろでは、名詞文の主語がマンスーバ(語尾が「ア」「アン」になります)ですから、「アル=アーヒラ(ト)(来世)」は「アル=アーヒラタ」となります。



「ダール(住まい、家)」
「アル=カラール」は「カッラ(住む、落ち着く、居続ける)」が語根で「不変、固定」という意味です。
「ダール」を修飾していますから語尾の母音は「イ」です。
アーヤ(節)の最後ですから、ここで休止する場合は、子音で終わります。

ムスリム(イスラーム信者)は「来世」を信じています。

「天国で幸せに暮らしているよ」とかお盆や彼岸の日には「彼岸から亡くなった人」が戻ってくるという意識があります。
ムスリムはお墓参りはしますが、亡くなった人が、あの世にいるとは考えていません。
最後の審判にアッラーが全ての人間を甦らせになるまで、「アル=バルザフ」と呼ばれるところにいます。
そこで、心静かに待てるか、既にそこから責め苦が始まるかどうかは、現世でのその人のあり方によります。

「アザーブ=ル=クブール(墓の懲罰)」という言葉があります。

アル=ブーハーリーのハディースにはこうあります。

アナルによると、預言者(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)はこう言われました。

「死者が葬られ、友人たちが去って行き、まだその靴音が聞こえているとき、二人の天使が死者のもとへ来て彼を座らせ、『この人ムハンマドのことを何と言っていたか』と尋ねる。そこで彼が『わたしはムハンマドさまがアッラーの僕(しもべ)そして使徒であることを証言します』と答えると、天使は『見よ、これがお前の地獄で座ることとなる場所だ。しかしアッラーはその代わりに天国の座る場所を与えられた』と言い、彼は両方の場所をはっきり見る。一方、不信仰者(クッファール)或いは似非信者(ムナーフィクーン)が天使の件の問に対して『わたしは知りません。ただわたしは皆が言っていることを真似しただけです』と答えると、天使は『たしかにお前は何も知らなかったし、また唱えもしなかった』と言うやいなや彼の脳天に鉄槌をくわせるので、彼はまわり中に聞こえるほどの叫ぶ声をあげる。しかし、これは人間とジン(妖霊)だけには聞こえない。」

ムスリムのハディースにはこうあります。

イブン・’ウマルによると預言者(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は言われた。

「人が死ぬと、彼は朝晩、彼の居場所を示される。もし、彼が天国に入る者であれば、それは天国で示され、もし彼が地獄に入る者であれば、それは地獄で示される。その後、彼は『そこが、復活の日にお前が送られる場所である』と告げられる」

しかし、聖クル’アーンにはこうあります。

「かれらがそれを見る日、(墓の中に)滞留していたのは、一夕か一朝に過ぎなかったように思うであろう。」
(79:46)

人によっては、現世もバルザフも「短い」と感じるようです。

ムスリムのハディースにはこうあります。

「死に際しては、アッラーに対し、善き望みを託することが大切である」


ともあれ、人間は誰でも必ず死を迎え、審判の日まで墓に留まります。そして天使によって終末の日の到来を告げるラッパが吹かれると、すべての人間は死に絶えます。そして2度目のラッパが吹かれると、すべての人間はアッラーによって再び魂をその体に吹き込まれ、復活します。
(イスラミック・センター・ジャパン刊「イスラーム・・アキーダと’イバーダ」より)

「記録の書」が審判のためにアッラーの前に呈示され、各人の記録にアッラーが最後の判定を下されます。報償と懲罰は思慮深く行われ、その審判の結果により、ある者は天国へ入り、永久無上の幸福の扉が開かれるでしょう。懲罰を受けるに値する者は堪え難き火と苦痛の地獄へ送られることでしょう。
(A.A.マウドゥーデイー著「イスラームの理解」より)

善行が報われないように見えること、悪徳が栄えることなど、この世での不条理な出来事に対して、「来世」を信じることは、ムスリムの生活の再生として力を与えてくれていると上記の書は結んでいます。

ムスリムのハディースにはこうあります。

アナスによると、アッラーのみ使い(サッラッラーフ アライヒ ワ サッラム)は言われました。
「”最後の時”は、地上で人々がアッラーへの祈りが続く限り、来ることはない」

私たちは「アッラーへの祈願(ドゥ’アー)」を続けましょう。そして、「墓からの懲罰からお守くださるように」亡くなった同胞たちへの祈願(ドゥ’アー)もしましょう。
そしてそれよりも優るとされている「時間どおりの義務の礼拝」を確立しましょう。

アッラーのご加護と祝福がありますように
ワッサラーム





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最終更新日  2004年05月09日 00時38分40秒


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