乱読・積んどく・お買い得!?

乱読・積んどく・お買い得!?

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Comments

chiko619 @ Re:新参者(09/22) 「新参者」読みました。 東野圭吾さんは、…
kimiki0593 @ 相互リンク 初めまして、人気サイトランキングです。 …
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ こんにちは! 遅ればせながらあけましておめでとうござ…
Twist @ はじめまして^^ 先ほどこのロングインタビューを読み終え…
2024.05.06
XML
カテゴリ: 社会・政治・時事
『ルポ 高学歴発達障害』 の中に本著の名があり、
 今回、読んでみることにしました。

  本書は、昭和時代の片田舎で生まれ育った一人の精神科医が、
  過去の片田舎と現代の東京を行き来しながらこれらの変化を振り返り、
  これからの社会の自由や不自由について論じたものだ。
  と同時に、社会の進歩によって解消されていった生きづらさと、
  新たに浮かび上がってきた生きづらさを点検し、
  そうした点検をとおして令和時代ならではの社会病理をラフスケッチし、


この「はじめに」の一文を受け、
「第1章 快適な社会の新たな不自由」では、
現代社会に対する著者の問題意識がダイジェスト的に紹介されています。
例えば、全ての者にハイクオリティが期待される風潮について、次のように述べています。

  IQ70~84の境界知能は、その統計的定義から言って全人口の1割以上が該当する。
  実際問題として、これらの人々をまとめて医療や福祉が背負うのは、
  今日の制度下では非現実的だろう。
  とはいえ、社会がますます美しく、ますます便利で、親にも子にも就業者にも、
  サービスの提供者にも消費者にもハイクオリティが期待される風潮のなかで、
  最も割を食いやすく、最も搾取されやすく、
  にもかかわらずサポートの対象とされにくいのは彼らである。(p.35)


メンタルヘルスの診断基準に、資本主義的プラグマティズムが関わっていることに言及。

  いわばこの、お金によって傷つき、お金によって癒され、
  家庭でも学校でも医療機関でも資本主義と個人主義と社会契約がついてまわる社会のなかで、
  精神科医もカウンセラーもソーシャルワーカーも、
  この壮大なシステムと思想を当然のものとみなし、日常業務のなかでは意識すらしない。

  システムからはみ出した言動に出くわした時、
  それらもまた多様性の範疇とみなすことができるものだろうか?
  それともやはり、秩序からのはみ出しとして、
  つまり症状や疾患として取り扱わずにはいられなくなるのだろうか?(p.83)

そして、第3章「健康という”普遍的価値”」では
健康は、ブルジョワ的上昇志向の手段や、個人主義的自己顕示の意味合いをもち、
現在では”普遍的価値”のひとつとみなされ、
資本主義的プラグマティズムと結びつけて、自己目的化していると指摘します。
さらに、第4章「リスクとしての子育て、少子化と言う帰結」では、
子育ての難しさもこれらと無関係ではないと指摘します。

  昭和時代には健康の範疇からはみ出していなかった人が、
  今日ではADHDやASD、あるいはその他の精神疾患に該当するとみなされ、
  社会や世間から不健康であるとみなされる可能性は少なくない。(中略)
  これとは正反対に、医療の対象とみなされていた、
  つまり不健康とみなされていたものが不健康ではなくなる、
  いわば脱-医療化することもある。(中略)
  もともとは同性愛を、「社会病質のパーソナリティ障害」としていた
  アメリカ精神医学会の診断基準(DSM)は、1973年の改定で、
  「主観的苦痛を伴わない同性愛は治療の対象ではない」と診断基準を改めた。(p.111)

  この子育てのブルジョワ化の内実は、
  「ブルジョワのような通念や習慣に基づいて子育てを考え、
   ブルジョワのように働くけれども、
   実生活や子育てをブルジョワのようにアウトソースできず、
   自分自身でやり遂げなければならない人々」を増大させるものだった。
  昭和時代の日本を含めた20世紀の先進国では、
  専業主婦が増えたことでこの問題はいったん棚上げされた(p.155)

第5章「秩序としての清潔」と第6章「アーキテクチャとコミュニケーション」では、
清潔にまつわる習慣や通念、プライベートな個人生活とそのための空間設計についても、
そのルーツは中~上流階級に遡ることができると指摘します。

  1980年代の新人類たちはモノやレジャーの消費をとおして
  自分たちのヒエラルキーを競いあっていたが、
  令和時代の私たちはそれよりもずっと淡々と、ずっと当たり前のこととして、
  お互いを値踏みしあい、お互いを商品とみなしあい、コミュニケーションのような売買を、
  あるいは売買のようなコミュニケーションを行っている。
  就活や婚活のコミュニケーションはその典型だ。(p.219)

そして、第7章では、次のようにその総括がなされています。
”変化”とうものについて、とても考えさせられる一冊でした。

  ますます便利で快適、安全・安心になっていく社会のなかで
  私たちに課せられている諸条件について、さまざまな角度から検討してきた。
  社会が進歩するにつて、私たちに期待される行動や振る舞いが変わり、
  それに伴って、私たちがどう自由でどう不自由なのかも変わった。
  誰がマジョリティたりえて、誰がマイノリティたりえるのかも変わっただろう。
  東京の美しい街並みや令和時代の秩序は、そうした変化のうえで成り立っている。(p.240)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.05.06 10:27:28 コメントを書く
[社会・政治・時事] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: