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こんにちは。
本日は、いよいよ最新作「
おもしろ歴史ウォーキング
相模・伊豆国編
」
からのネタです。
新たに 取材したネタと写真をもとに書き下ろした本作は、 ゴージャスな歴史スポットの紹介で人気を博しております 。
…ということで、今回は、第1章の『 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市 』をお送りさせていただこうか、と。
諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。
すべての記事は、 こちら ですよ。
是非、本書もご覧いただければ幸いです。
ちなみに記事は、 2019 年の 6 月に訪問したときのもの 。取材した頃のように、何の心配もなく出歩ける日が返ってくることを祈っています。
1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景
「 相模・伊豆国編」の トップバッターは、神奈川県横浜市です。
最近、少し残念に感じるのは、東京都や神奈川県で、行っていない城跡がほとんどなくなってしまったこと。子供の頃から、城跡を紹介するガイドブックを読み漁り、休日のたびに出かけていましたからね。
仕方なく、かつて城があったとされる場所を訪ね、その痕跡を探すのが歴史ウォーキングの主流になってしまいました。しかし、都市化が進み、期待した痕跡はほとんど残っておりませぬ。
やはりこの目で、モノホンの土塁や空堀を眺めたい。
…と思っていたとき、神奈川県のおすすめウォーキングコースというサイトの中に、まだ訪れていない城跡を見つけました。
横浜市の泉区に、鎌倉幕府の御家人であった泉小次郎の館跡が残っているそうなのですよ。現地は公園になっていて、今も館の遺構が残っているらしい。
泉区は、自宅からそう遠くなく、周辺に歴史スポットもあるそうなので、早速出かけてみることにしました。
ウォーキングのスタートは、相鉄いずみ野線のいずみ中央駅。
駅前は、美しい水辺の風景が広がっていました。泉区といずみ中央というネーミングから期待していた通りの景色ですな。
ちなみに、この辺りの親水公園は、地蔵原の水辺と呼ばれているそうです。 2
つの人工池をはじめ、水辺のアトラクションが豊富にあり、夏場は最高の納涼スポットかも。
2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺
駅前を流れる和泉川の近くに丘があり、その上に建つのが須賀神社。
ここは、先ほど書いた泉小次郎親衡(ちかひら)が創建した神社だと伝えられています。泉小次郎を知っているように書いてしまいましたが、実は、ここに来るまでは知らない歴史上の人物でした。
鎌倉時代初期の信州の武将で、鎌倉 2 代将軍・源頼家の子、千寿丸を擁立して執権北条義時の打倒を計画した人なのだとか。しかし、計画は事前に発覚。
北条氏は、この近くにあった館に攻め寄せてきたそうです。その際、泉小次郎は、混乱に乗じて信濃に脱出したらしい。
千寿丸とともに、現在の川越市に落ち延びて出家し、 88 歳まで生きたという説もあるそうです。
信州の武将が、この地に館を持っていたのは、江戸時代における大名の江戸屋敷のイメージでしょうか。
そういえば、現在の東京にも、当時の江戸屋敷にあった神社が今も残っていますね。
泉小次郎は、須賀神社を館の守護神として祀り、この近くにある神明社を鬼門除けとして勧請したらしい。
須賀神社のすぐ近くにある長福寺も、泉小次郎が道場として創建したお寺だそうです。
鎌倉時代の武将の業績が、今もこの地に深く根差しているのはすごいとしか言いようがありませぬ。
3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城
長福寺にお参りした後、いよいよ本日のメインイベントである泉小次郎の館跡へと向かいます。
場所は長福寺のすぐ近くの泉中央公園にあるのだとか。この標高差を眺めるだけで、心が浮き立ちました。
石段を上ると、小さな池が…。
傍にあった解説板を見ると、この池は、「泉小次郎馬洗いの池」と呼ばれているらしい。
池は一年中湧水が枯れたことがないのですか。昭和 20 年頃までは、干ばつが続くと近隣の人々により、池の水が汲み干され、雨乞いの行事が行われていたとのこと。この池の底に沈んでいた小さな島には、室町時代初期の五輪塔があり、池のほとりには数基の板碑もあったそうです。
ただ、城の中の池と言うと、籠城時の飲料水の確保のほうに興味がわいてしまいました。
郭の周りは、結構、急峻な崖に囲まれていますな。
さらに階段を上がると、一見、児童公園のようなスペースが現れました。
普通の児童公園と違うのは、館跡の解説板があること。
それによれば、遺構は、南北 400 メートル、東西 200 メートルに及び、東側と南側には、約 4 ~ 5 メートルの空堀。そして、基底が 3 メートル、高さが 1 メートルの土塁が残っているとありました。
公園の中心部はあまり痕跡が残っていませんが、それを取り囲む部分に当時の遺構が確認できるのですね。
東側の土塁は、花壇と紛らわしい。ただ、摩耗の具合が鎌倉時代の館跡を伺わせます。
それに対して、南側はかなり深い空堀が確認できました。
土塁は、かなり低くなっていますが、その前に凹みがうっすら残っており、二重堀があっとされるのも納得です。
これらの部分を見ると、鎌倉時代の館というより、より城に近いイメージかも。事実、先ほどの解説板には、南北朝時代の城址ではないかともいう記述がありました。
世間的には、館というより、中和田城と呼ばれているのも頷けます。
中和田城として考えてみると、城の西と南は、崖や土塁、空堀によってしっかり守られており、東側も低くなってはいるものの土塁が確認できました。
東側の土塁の外側は、当時空堀があったらしいから、それなりに防御はしっかりとしていたのでしょう。
ただ、城の北側は、さほど比高もなく、土塁や空堀のあった痕跡もない。比高約 10
メートルの台地の先端部を使って作った城なら、北側に大規模な土塁や空堀がないと、城としての用を成さないと思うのですが…。
それも含め、鎌倉時代の館か、それとも、それに改変を加えた南北朝時代の城か、という疑問もあります。
戦国の城は、数多く訪れていて、それなりにイメージを膨らませることができるようになりましたが、上記の時代の城はよくわかりませぬ。
ただ、これだけの防御力を持った城館なら、泉小次郎が北条氏から攻撃されても、ある程度持ちこたえられたでしょうね。
4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり
中和田城も、謎の城のひとつだと思いつつ、次の目的地である宝心寺へと向かいます。
宝心寺の前身は、泉小次郎が菩提寺として建立した泉竜寺という禅寺であったらしい。すると、こちらも泉小次郎ゆかりの寺院ですか。
その後、子孫が絶え荒廃していたのを、 1651 年、この地域の領主であった松平昌吉が浄土宗の宝心寺として建立したそうです。
松平昌吉は、徳川家光に仕える 2000
石の旗本だったのですか。近くに、松平家の墓地である「宝心寺の殿墓」があるそうなので、探してみたのですよ。
結構、歩き回ったのに見つかりませんでした。
行った日は暑くて、肉体的、かつ精神的なダメージが…。
ただ、近くの和泉川親水広場で、すぐそのストレスを癒すことができました。
きれいな水に大きな鯉が泳ぎ、アジサイが木の根元に咲き誇っています。
川と一体化した広場が整備されており、 1988 年度の 国土交通省「手づくり郷土賞」 に選ばれたのも頷けました。
和泉川を一旦離れ、ここからは心癒される神社仏閣巡りです。歴史のある地域ならではのアイテムがたくさんあって、歴史ウォーキングを楽しむことができました。
まずは、四ツ谷の石仏。昔からこの場所で、地域の人たちを見守ってきたのでしょうね。
少し歩くと、鎌倉幕府以前から祀られているという第六天神社があります。
境内の脇には、酒が湧くという弁天池がありましたが、工事中で見ることができなくて少し残念。
そのあと向かった密蔵院では、茅葺き屋根の鐘楼が見事でした。
5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と♪森と泉に~囲まれた天王森泉公園
田んぼと森に囲まれた道を行くと、左手に、木造の大きな建物が現れます。
(以下、「 おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編 」に続く)
このあと、天王森泉館の内部をじっくり見学です。
1911 年に、清水製糸場の本館として建設された建物 で、横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構なのだとか。横浜市認定歴史的建造物にも選ばれているらしい。
裏山にある緑深い森は、天王森泉公園になっています。「森泉」というネーミングからもわかる通り、豊富な湧き水に触れることができました。
さらに下飯田遊水地を通って境川へ。度重なる水害で移転した数々の神社仏閣も、歴史の重みを感じます。
小公園で休憩したとき、大きな石碑があり、それを見て驚きましたね。
そこには、「富士塚城址」の文字が…。
こんなところに城跡があるなんて聞いてないよ~と叫びそうになったのでした。
関東の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、こちらをご覧いただければ幸いです。
「 おもしろ歴史ウォーキング 相模・伊豆国編
」
(参考)
目次より
第1章 和泉川沿いに点在する鎌倉時代の武将・泉小次郎の遺跡と横浜市内で唯一残る製糸場を歩く 神奈川県横浜市
1.泉区の名に恥じない、駅前に広がる地蔵原の水辺風景
2.執権北条氏の打倒を図った泉小次郎ゆかりの須賀神社と長福寺
3.鎌倉時代の館か、南北朝時代の城かで迷う中和田城
4.「手づくり郷土賞」受賞の和泉川親水広場と心癒される神社仏閣めぐり
5.横浜市内で唯一残る製糸関連の遺構と ♪
森と泉に~囲まれた天王森泉公園
6.境川における東泉寺・琴平神社の深い関係と富士塚城跡の謎
第2章 源頼朝の蛭ヶ小島、北条早雲の韮山城、江川太郎左衛門の江川邸がセットで楽しめる韮山を歩く 静岡県伊豆の国市
1.源頼朝と鎌倉北条氏、後北条氏発展の舞台になった韮山
2.源頼朝が配流された場所と伝わる蛭ヶ小島
3. 3
千 6
百の兵力で、 4
万 4
千の豊臣方の攻撃に約 100
日間持ちこたえる
4.戦国時代とともに生き、その終わりとともに終焉を迎えた韮山城
5.戦国の城の迫力を今に伝える土塁と急斜面
6.富士山の絶景を独り占めできる韮山城の本丸
7.お台場の築造に大きな役割を果たした江川太郎左衛門
8.大河ドラマ「篤姫」「西郷どん」や「JIN-仁」などのロケに使われた江川邸
第3章 世界文化遺産・韮山反射炉とそれに匹敵する観光スポットに育つことを期待したい伝堀越御所、北条氏邸 静岡県伊豆の国市
1.頭を空っぽにしながらでも楽しめる担庵公思索の道
2.「世界文化遺産・明治日本の産業革命遺産」として東日本で貴重な韮山反射炉
3.実際に鋳鉄の溶解が行われた反射炉としては、世界で唯一現存する遺構
4.北条時政建立の願成就院は、運慶作の国宝仏を所蔵
5.「箱根の坂」や「里見八犬伝」に登場する堀越公方の御所があったとされる場所
6.意味深な溝や石が点在する北条氏邸跡
7.北条氏邸の跡に建つ、北条一族の菩提を弔う寺院・円成寺の跡
第4章 古代から近世の歴史スポットが満載! 歴史散歩の王道が満喫できるウォーキングコース 神奈川県川崎市
1.古代と中世の歴史スポットがいっぱいのウォーキングコース
2.7世紀末に創建されたと推定される関東の正倉院・影向寺
3.古代橘樹郡の役所跡に作られた眺望の良い古代の丘緑地
4.弟橘媛伝説と古事記との関連が興味深い子母口富士見台古墳
5.川崎の内陸部まで海が広がっていたことを示す子母口貝塚
6.思わず血圧が上がる江戸時代の領主の暴挙と癒しの「農の景色」
7.土塁か、古墳か、人によって見え方が違う井田城跡
第5章 三島駅前の観光スポット・楽寿園は、装飾絵画で彩られた建物と絶景の溶岩庭園が素晴らしい 静岡県三島市
1.かつて伊豆国の国府が置かれた三島市
2.三島駅徒歩 3
分で、観光客のさまざまなニーズに対応できる楽寿園
3.国の天然記念物および名勝に指定されている絶景の庭園
4.旧東海道を両側から扼するために作られた山中城
5.城が未完成のまま豊臣の大軍を迎え、多くの武将が壮絶な戦死を遂げる
6.ダブルボギー確実の岱崎出丸の巨大な畝堀
第6章 ビジュアルでは、石垣の城に負けない土の城・山中城と伊豆国の一宮・三嶋大社を歩く 静岡県三島市
1.豊臣の大軍と激闘が行われた日本百名城・山中城
2.ビジュアルで石垣の城に負けない、山中城の畝堀と障子堀
3.豊臣軍との攻防戦時の様子が気になる西の丸
4.傾斜地にある二の丸と二段構造になっている本丸
5.厳重に守られ、本丸より標高の高い場所にある北の丸
6.半日で落城した山中城と百日持ちこたえた韮山城の要害度に関する一考察
7.伊豆国一宮・三嶋大社と水辺の景観が美しい白滝公園
第7章 歴史スポットは相模国分寺跡だけじゃない! 巨大古墳に中世の武士の館跡がてんこ盛りの海老名を歩く 神奈川県海老名市
1.七重塔がそびえたつ海老名中央公園
2.船つなぎ用の杭が育った伝説がある海老名の大ケヤキ
3.歴史好きがスルーするのはもったいない、ひさご塚古墳と浜田歴史公園
4.全国的に珍しい建物の配置があったという相模国分寺跡
5.京都の東寺の五重塔より高い七重塔があった
6.大正 7
年に作られた村役場庁舎を活かした郷土資料館がある
7.パンダとネギでも注目を集めた相模国最古級の有鹿神社
第8章 戦国の城ファン必見の深見城と緑深い水源地を中心に広がる泉の森公園をめぐる旅 神奈川県大和市
1.大和市のネーミングと銀行合併の意外な関係
2.明確な遺構が残るものの、資料が少ない謎の城・深見城
3.当時の縄張りをイメージできる戦国ファンにとって貴重な城
4.日本の原風景とエキゾチックな橋のコラボが魅力の泉の森公園
5.古民家の間取りの変化が理解できる大和市郷土民家園
第9章 戦国関東のスーパースター太田道灌、北条早雲にかかわる大城郭・大庭城を歩く 神奈川県藤沢市
1.ゴージャスなススキの群落に出会える引地川親水公園
2.後北条氏の城の特徴?が気になる裏門公園
3.縄文時代から、人々の生活の舞台であった大庭城
4.いったい誰が、こんな大城郭を作ったのか
5.大庭城にまつわる悲しい伝説が残る舟地蔵
6.もうひとつの大庭神社と裏山に大庭景親の居館があったと伝わる宗賢院
7.はるか彼方に江ノ島の絶景が見える伊勢山公園
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