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『中世への旅騎士と城』新装復刊ハインリヒ・プレティヒャ著 平尾浩三訳 白水社旧西ドイツで、高校生向けのテキストとして書かれた一冊。(1977年初版)ヨーロッパの騎士の生活を中心に、中世の住居、食物、娯楽、服飾、文学から戦争の有様まで。当時の詩や手紙なども引用しながら、平易に解説されています。この本の特徴は、文章から情景がいきいきと浮かんでくること。説明調にならず、読者の想像力をかきたてながら中世の文化を伝えてくれます。著者は歴史学で博士号を取った後、長年高校で教鞭をとっていたようで、学術的な内容をうまく調理して魅力的に出す方法に長けているのだなという印象。同時に、翻訳の素晴らしさもあると思います。私事ですが、このブログでweb拍手のお礼小説に中世ネタを盛り込んだのも、本書に刺激されたためです。以前に日記でご紹介した『中世ヨーロッパの城の生活』がイギリス中心の構成だったのに対し、本書はドイツの文化が多く取り上げられているのも、私の興味関心からは嬉しい点でした。
2008/01/15
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山岸凉子の最新作、『ヴィリ』。ようやく単行本を購入して読みました。『テレプシコーラ』に続く、バレエを題材にした作品です。今度の主人公は多感な少女世代ではなく、プリマをつとめる43歳の女性。己にも他人にも厳しくバレエ団を率いる彼女は、IT企業の社長というパトロンを得て、彼に想いを寄せ始めます。ただ、女手一つで育てた娘はバレエに伸び悩み、拒食気味。そんな問題を抱えつつ、バレエ団は新たな演目「ヴィリ」を公演することに。ヴィリ(ウィリー)とは結婚前に亡くなった女性の精霊で、男性をとり殺すとも伝えられる存在。そこへ以前バレエ団を出てドイツに移籍していたダンサーが戻ってくることになり・・・年齢を重ねた女性の、誇りと嫉妬、恋と焦燥。相変わらず人間の心理を細やかに描き出す手法には感服です。雑誌連載の最初数回を読んだときは、これって?とイマイチだったんですが、この物語の面白さは後半を読まないと分かりません。重いテーマですが、読者をグイグイ引っ張ってラストまで放しません。いや、すごく面白かった!『ヴィリ』では、山岸凉子がこれまでの作品で使っていた手法を逆手にとる仕掛けがあります。ファンにとっては、「あ、またこう来たか」と思わせといて「何ィ?!」みたいな。(笑)数年前までの作品には、出口の見えない奈落の底で終わるような話が非常に多かったですよね。男性の身勝手と女性の業の集約みたいな作品が。でも最近見られるように、『ヴィリ』は救いのあるストーリーです。大団円ではないけれど、ちゃんと救いが用意されていて、読者としては肩に入っていた力をホッと抜けるような物語が嬉しいです。それにしても、山岸凉子の描く幽霊(この物語には霊が出てくるんです!)って、どうしてこんなに怖いんでしょう。ほんの数本の線だけで表現してるのに、リアルに描かれるよりよっぽど恐怖ですよ。見た瞬間、心の中で「ギャァァァ!」とビビりました。ほんと、怖かった。
2007/11/15
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『宮廷文化と民衆文化』二宮素子 山川出版社タイトルに異議あり!(ぉちょっと、出だし批判的に書きます。(後半で褒めますから。)世界史リブレット・シリーズの一冊な本書。「BOOK」データベースの紹介によると、「合理主義を追求してきた近代社会。私たちは、今それを息苦しいものにも感じている。中世末ヨーロッパ人の喜びや悲しみは今よりも激しかった。民衆の感性や習俗は近世にはいっても大きな変化をみせなかったが、宮廷びとは、激情を礼節と作法で馴化し、国王を頂点とする儀礼の支配する構図に組み込まれて生きるようになった。支配層と民衆との文化の裂け目は大きい。その二つの文化を検討し、それらがどのように近代社会へ流れ込んできたのか。」と、あります。私は民衆文化や、貴族文化との融合といった点に期待して読んでみたのですが・・・この本は、「フランス(とイタリア)の宮廷文化」に改題すべきだと思う。タイトルに民衆と入れておきながら。こんな偏った本は初めて見た。^ ^;もう、各章へのページ数の割り当てで一目瞭然なんですが、1.ブルゴーニュとウルビーノの宮廷 31ページ2.フランスの宮廷 31ページ3.民衆文化 17ページ4.ブルジョワ文化による統合 4ページ(滝汗)第4章とか、章にする必要があるのかも分からないし。民衆文化については魔女や祭りの話など、どこかで聞きましたという話題が多く、あまり収穫は期待できません。「ブルジョワ文化による統合」部分も、文字通りブルジョワ層が宮廷と民衆の文化を結びつけましたと書いてあるだけで、どういう風に、が欠如しています。これは・・・リブレットの制限あるページ数の中、こういう大きなテーマで出版しちゃった編集側の責任かも、とも思いますが。しかし、しかし、けなしてばかりでも読んだ甲斐がありません。ちょっと面白かった点を。この本は主にフランスとイタリア(ウルビーノ:イタリア中部)について語っていますが、「書物」に注目して読むと楽しいかもしれません。著者は『新百話』、『クレーブの奥方』など、中世~近世に読まれた物語を引用したり、役人の報告書などを載せています。全体の流れが分かる程度に引用してくれてるので、当時の感覚について生き生きとしたイメージを持つことができます。また、各宮廷が図書室にどのくらい本を所蔵していたか。最初は雀の涙ほどの数が、個人の蒐集家に劣らないほど段々と充実されていくのが具体的な数字で分かります。そうして王立図書館が作り上げられる・・・といいますか、古くは国王より個人の方が知識を囲っていたというのが面白いですね。それに加え、17~18世紀の民衆がどういった本を手にしていたかも、簡単ながら説明されています。あとは、国王の一日のスケジュールだとか、巡幸の日程(移動経路や滞在期間など)いった資料が役に立った・・・かも。あまりタイトルをマに受けず力を抜いて読めば、発見のある本かもしれません。とにかく「民衆」部分に期待はできないし、宮廷の方も専門的に行きたいのか概説にしたいのか、ちょっと狙いが絞れてない気がします。「興味の持てる部分を拾う」感覚で読むことをおススメします。■次回は、『中世への旅 騎士と城』という本をご紹介したいと思います。これは私、大絶賛!ではでは。*追記*時々日記にアフェリ貼ってますけど、正直まったく期待はせず、成果チェックを数ヶ月怠っていました。そうしたら、どなたか・・・3月と4月にポチって下さったんですね。ありがとうございます♪(=人=)
2007/06/07
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『傭兵の二千年史』菊池良生 講談社現代新書兵士が「祖国のため」に戦った時代など、歴史の中ではほんの僅かに過ぎない・・・傭兵は世界で二番目に古い職業。ヨーロッパにおいて、戦争の担い手の大半は”喰うために血の輸出をする傭兵たち”。古代ギリシャに始まり、スイス傭兵部隊やランツクネヒトなど中世の傭兵全盛時代、近代での傭兵没落、フランス外人部隊設立にいたるまで。傭兵が活躍した社会事情や彼らの立場、戦争で身をおこし、支配階級へとのしあがった傭兵隊長たちなど。筆者は軽妙な語り口で読者を引き込み、傭兵を中心に据えた社会史を教えてくれます。この筆者は日本語が上手いので、詰まることなくサクサク読めます。^-^傭兵と、彼らを統率する傭兵隊長、雇い主である国主や領主が互いの利益関係でどう動いていたか、シンプルにまとめられていて理解しやすいのが良い点。逆にあんまりシンプルなので、事態が単純化されすぎなのではと不安になるのですが・・・。また、傭兵の日常や文化面など、彼らの生き生きとした部分は他書にあたるべきなようです。私は小説のネタ探しで読んでいるので、こういった部分は特に欲しいところです。しかしこの本の素晴らしい点は、本文中の随所に引用文献や参考文献が明記されていること。もっと知りたいと思った時、どの本を参照すればよいか分かるのはありがたいことです。本書を最初の一冊にして、どんどん幅を広げていくのがよいかも。日本についても若干記述があって、「あ、あれは傭兵なの?」という私にとっては意外な視点がありました。最後に難点をあげるとすると・・・この本を読んでいると「騎士=馬に乗った傭兵」のような扱いで、かなり混乱しました。何人もの人間と契約を交わす傭兵騎士や傭兵騎士団がいて、夜盗まがいに狼藉を働いていたというのは分かるのですが、むろん特定の雇用主のためシステムに則って養成された騎士たちもいるわけで、その辺の違いが地域差なのか時代差なのか、割合はどの程度なのかも含め、傭兵と騎士の定義を最初にしっかり出してほしかったです。そういうわけで、この本のおススメ度は★★★★☆ 星4つ。^-^
2007/05/04
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『アラビアの夜の種族』全三巻 古川日出男 角川文庫「あぁ、終わってしまった・・・」これが読み終えての感想です。 もっとこの世界を味わっていたかったなぁと。19世紀初頭、カイロ。ナポレオン率いる軍船がエジプトを目指し、侵略を企てる。迎え撃つのは最強のマムルーク騎馬軍団。ヨーロッパとの戦争に負けを知らないイスラム騎兵達は、今度も勝利を確信していた・・・エジプト第三の実力者イスマイール・ベイに仕える、うら若き天才アイユーブを除いては。かつて幾人もの権力者を虜にし、破滅させたという『災いの書』。アイユーブは『災いの書』をフランス語に翻訳し、ナポレオンに献上しようと目論む。カイロの片隅で翻訳作業は密かに行われる。「魔術師アーダムは、それはそれは醜い男でした・・・」一千年の昔、王国の王子にして魔導の心得を持つアーダムは、あまりの醜さゆえに誰からも愛されなかった。ある時、彼はたった100名の騎兵で隣国を内側から崩壊させてみせると父王に奏上するが・・・だ、だまされたっ。冒頭の数ページを立ち読みして、てっきりナポレオン対エジプト軍の物語だと思って買ったんですよね。全然違った。違った・・・でも面白い!19世紀初頭のナポレオン戦争の話がメインで、それと交互に『災いの書』の中身が挿入される形になっていますが、この作品の中心は『災いの書』に記された物語の方です。ナポレオン云々の話は、魔術師アーダムの物語をよりドラマチックに、より読者の関心を引きつけるように演出するための道具にすぎず、ナポレオンが登場する必然性はありません。ナポレオンの話とアーダムの物語が噛み合ってるわけでもありません。(作者は噛み合わせたかったようですが、その試みは上手くいかなかったと思います。)ですから『災いの書』、アラビアンナイトにも似た、魔法と冒険と、愛と狂気の神秘の物語に興味が持てない読者は、この作品に退屈してしまうでしょう。(だって文庫で1000ページ近くあるし。)逆にファンタジーに関心があるなら、作品中で言われている通り、読者は『災いの書』と特別な関係に陥り、現実と夢の境界も消えて忘我の境地で読みふけってしまうに違いありません。醜さゆえに愛されず、異教の蛇神ジンニーアと契約を交わすアーダム。その千年後、魔法を使う人々の森に拾われたアルビノの捨て子ファラーと、反逆で国を追われ、自分の素性すら知らず成長した心正しき王子サフィアーン。三者別々の物語が、やがて一本の線で繋がれていきます。裏切りと愛情・・・既にあちこちで指摘されているように、登場人物の一部は、確かに単純凶暴馬鹿です。(汗)でも、この物語がイスラム圏の伝承をベースにしている点を念頭におけば、伝説的な冒険譚として十二分に楽しめるでしょう。(ラストがご都合主義的に思えますけど、そこまでの過程が面白すぎる。)ナポレオンの話は不要にも見えますが、そこは図と地の関係。ナポレオンのストーリーが無機質に粛々と進行するからこそ、アーダム達の幻想的世界が強烈に浮かび上がってくるのです。全編通して、イスラム教の習慣なども紹介されているのも興味深く。イスラムでは一日が日没から始まるとか、初めて知りました。なお、この作品は古川氏のオリジナルではなく、作者不詳の英語版の翻訳だそうです。古川氏のスタイルとして、セリフが妙に軽かったり(下品だったり)する部分があります。蛇神ジンニーアには「もう少し控えめでお願いします」と言いたい一方で、サフィアーンの話し方などは古川氏の翻訳だからこその魅力があるような。原書とはだいぶ雰囲気が違っているはずですが、翻訳によるキャラクター性の補完・拡充という点でも、よくできた作品であると感じます。
2006/12/23
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『宮廷文化と民衆文化』買いたいと思っている本。忘れないよう、メモ代わりに。14世紀~17世紀のフランス。貴族と一般民衆の価値観が乖離していく様子。
2006/12/14
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『戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』松村劭 PHP文庫軍を構成する各部隊は何を目標にし、目標達成のためにどんな戦術を駆使していくのか。過去の戦争について大まかな流れを知ってはいても、詳細を求められると自分のイメージが漠然としていることに気づきました。で、Amazonをフラフラして行き当たったのがこの本。戦いに勝利するための大原則から、渡河地点の選び方、街道での戦いで有利な配置方法、突破点の決め方、主力と支隊の使い方など。問題形式で、複数の作戦案から読者に適切なものを考えさせる作りが面白いです。私も解いてみたのですが、解答は合っているのに理由が全然違っていたり。。。^ ^;戦術としての着眼点、判断が新鮮でした。ちなみに著者は元自衛隊の作戦参謀で、現在はデュピュイ戦略研究所の東アジア代表・・・だそうです。興味深かったのが、同一の仮想戦場で「兵士8名を率いる軍曹」と「4000人を動かす大佐」の行動・判断をシミュレーションする章。それぞれ任務も責任の範囲も違う指揮官が、戦場でどう機能しているのか分かります。この本の良い所は、"○○の戦闘での××軍の働き"というような個別の成功例を語るのではなくて、開戦から終戦までの長期間を、一つの部隊、分隊に張り付いて考える点。その中で包囲戦があったり、作戦変更があったり、救出任務が飛び込んできたり、指揮官が直面する問題を一連の動きとして捉える事が出来ます。少なくとも、私の興味関心からは大変参考になりました。出版社と著者は繰り返し「戦術はビジネスに応用できる」と主張していますが、その辺の有効性は不明なので、純粋に趣味の本として読むのがおススメです。この著者は他にナポレオン戦争の全史をまとめて出版されているようなので、そちらも時間があれば読んでみたいと思います。
2006/11/24
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今日のゲド戦記*8.狩り*オジオン師匠の言葉を受け、影から逃げるのでなく、逆に追うのだと決意したゲド。彼は自分の感覚をたよりに、大海原に乗り出します。一旦は影に追いつくのですが、影はゲドを罠にはめて逃げてしまう。これまでゲドを追っていた影が逃げ出す・・・?ゲドが前向きな意志をみせるとき、影の力は弱まってしまう。この辺りから、ラストへの布石が始まっているようです。さて、影の罠にはまったゲドさん、地図にもない孤島に漂着します。ここには、とある老兄妹が二人きりで暮らしていました。幼い頃に流れ着き、兄は人間不信、妹は人の言葉も話せない。彼らの正体は・・・・読んで確かめていただきたいのですが、隔離された人間の悲惨さといいますか。この物語はホントふわふわしたところのない、ドロリとした怖さがありますね。ゲドは彼らを外の世界へ連れ出そうとするのですが、拒絶されます。やがて彼らは、誰に知られるでもなく死んでいくのでしょう。そして彼らは歴史の中で途中退場したまま、その先を偲ばれるのでしょう。(もう一回つづく)
2006/08/28
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今日のゲド戦記(4)*7.ハヤブサは飛ぶ*全編通してこの章が一番面白かった。私としては。導かれるまま宮殿へ向かったゲドは、影に襲われ大変な痛手を被り、杖すら失ってしまいます。倒れていた彼が目を覚ますと、そこは豪華な造りの寝室。そして屋敷の麗しき女主人、セレットが現れ・・・このセレット、実は学院でゲドがヒスイと争う遠因になった女性。優しく、どことなくはかなげな彼女に、ゲドは惑います。セレットはゲドに、太古の精霊が宿る宝石テレノンを見せ、石に触れて話しかけてみろという・・・この辺り、ネタバレになるので書きませんが、この本の前半と話しがつながっています。色々あって。テレノンで出くわした災厄からハヤブサに姿を変えて逃れたゲド。あまりに長い間ハヤブサに身をやつしていたため、彼は人の言葉も忘れ、ハヤブサのようにしか物を見、考える事ができなくなっていました。そんな彼が引き寄せられるようにたどり着いたのは、あのオジオン師匠の庵でした。彼はゲドを元の姿に戻してやると、影にも名前はあるはずだと断言します。これまで影に名前はなく、よって支配する術もないと逃げる一方だったゲド。彼はオジオンに再会して、初めて影と向き合い、影を追い詰めることもできると気づくのです。あぁ、この思考の逆転・・・さすがオジオン様!「人は自分の行きつくところをできるものなら知りたいと思う。だが、一度は振り返り、向きなおって、源までさかのぼり、そこを自分にとりこまなくては、人は自分の行きつくところを知ることはできんのじゃ。川にもてあそばれ、その流れにたゆとう棒切れになりたくなかったら、人は自ら川にならねばならぬ。」自ら川になる・・・学院の大賢人たちも教えられなかったこと。ゲドはようやくとるべき道を知り、オジオンと真の師弟の絆で結ばれるのでした。この章は、様々な面で人間らしいドラマがあって楽しめます。この次の8.狩りも、また別の意味でドラマチックなのですが・・・(ちょっと怖い)(まだつづく)
2006/08/09
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今日のゲド戦記(3)*5.ペンダーの竜~6.囚われる*小さな村に迎えられたゲド。相変わらず人を寄せ付けない彼と、友情を結ぶ船大工の男が現れます。しかし、船大工の子供が猩紅熱にかかってしまい・・・助けを求められたゲドは、何もしてやれません。魔法使いは病を治すことができても、死にゆく者を引き止めることはできないのです。結果、子供は死んでしまう。その頃、近海の島に竜が現れ、ゲドは人々から竜退治を依頼されます。ゲドはある方法で見事、竜を追い払うのですが・・・私はちょっと竜が気の毒に思えました。人々から賞賛されるゲドですが、船大工との関係は壊れてしまいます。竜退治はできても、人の子一人助けられないのか・・・と。表立って非難はしなくても、そういう目で見られる。このあたりの描写を読むと、作者はドライな感覚の持ち主なのかなと感じます。例えばこれがC.S.ルイスの作品だったら?こういう逆恨みは、規範からの逸脱行為として描かれるでしょう。でも作者のグウィンは、こういうすれ違いを常態と捉えているようです。これが当たり前。とてもリアルな展開です。竜退治は成功したものの、居場所のなさを感じたゲドは学院のあるローク島に帰ろうと思う。しかし、海が荒れてどうしても島にたどりつけない。ゲドは影に取り憑かれている・・・ローク島は忌まわしい災厄を自ら拒む力があるのです。行く先の決まらないゲドは、人に勧められて「テレノン宮殿」なる場所に向かいますが、その途中、再び影に襲撃され・・・(つづく)
2006/08/08
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今日のゲド戦記(2)*3.学院~4.影を放つ*師匠オジオンのもとを離れて、高等魔法を修めるために魔法学院へやってきたゲド。彼の回りに、ようやく交友関係ができてきます。ゲドは初めから図抜けた才能を持っているので、学院生たちから一目置かれているのですが、先輩のカラスノエンドウはゲドに温かい友情を捧げてくれます。(ゲドにとって初めての友人かも。ただ、ゲドの方は相変わらず一歩ひいてるイメージですが。)しかし、もうひとりの先輩、気取り屋のヒスイとは衝突ばかり。ここで、ゲドの悪い癖が出てしまうのですね。ヒスイに対抗心を燃やしたゲドは、彼を魔法で負かして優越感に浸ってやろうと思う。ゲドは勢い余って、ヒスイの前で死霊を呼び出すのですが、例の「影」、しかも今回は大変凶悪なものまで呼び起こしてしまいます。この影がゲドに襲いかかるシーンは、謎の地球外生命体が人間を捕食しているような、生々しい恐怖があります。さすがSF作家。(違)半死半生の目に遭ったゲドは、その後もずっと影の追跡に怯えることになります。人や事物を治めるためには、それの真の名を知らなければなりません。言葉(ロゴス)こそが、本質を知り、作用を及ぼす力の源になるのです。しかし彼が生み出した「自身の無知と傲慢の影」は、「肉を持たず、心を持たず、名を持たず、つまりはものとしてこの世になく、ただ、ゲドが与えたこの世の外の恐ろしい力としてあるだけ」ですから、誰にもこれを抑える手段が分からないわけです。ゲドはますます人と距離を保つようになり、やがて学院を卒業すると魔法使いとして地方の村に迎えられることになります。(つづく)
2006/08/01
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先日購入した『ゲド戦記1<影との戦い>』。なんと言いますか、この本は一気読みするタイプの物語ではないなぁと。毎日ちびちび読んで、少しずつ感想を書いていきたいと思います。*今日のゲド戦記(1)1.霧の中の戦士~2.影*暗い・・・竜と派手な立ち回りを演じる大冒険を期待していたのは、間違いだったようです。うーーん、なんだろう。世界に色がないといいますか、イメージが灰色なんですよね。実際は色彩豊かな情景の描写もあるのに、伝わってくるイメージが灰色なんです。後世の大賢人、ゲドの少年時代から、粛々と物語は始まります。ごく普通の少年ダニーは、普段は疎遠な伯母がヤギ寄せの呪文を唱えているのに出くわし、魔法の世界に触れます。読み手としては、この魔法との出会いでぐぐっと興味を引かれるわけですが、作者はまじない師の伯母をこう切り捨ててしまいます。ゴントでは昔から、「もろきこと、女の魔法のごとし」といい、また、「邪(よこしま)なること、女の魔法のごとし」という。十本ハンノキのこのまじない師は、(中略)なにぶんにも無知な人びとの間で育った無知な女であったので、いかがわしい、つまらぬ目的のために、つい、持てる術を使ってしまうことも少なくなかった。真の魔法使いならば、こころえ、従うべき均衡と様式を知っていて、だからこそ、いよいよの時がくるまでは、むやみと術を使うのはさしひかえるものだが、(後略)別にジェンダーを問題にしようという事ではなく、こうなると最初に読者が惹き付けられたヤギ寄せの場面(ゲドと魔法の出会い)も、つまらぬ邪なことになってしまい、盛り上がりかけた気持ちがストンと落とされてしまいます。それが狙いなのかも知れませんが、全体に流れる求道的な論調が、魔法世界へ素朴に入り込むことを疎外しています。(^ ^;作者が「魔法使い」と「まじない師」の間に引いた線引きは、ゲドと他の人間の関係にも反映されているようです。幼い頃から才能を開花させたゲドは、魔法使いオジオンに弟子入りするのですが、好奇心と虚栄心から死霊を呼び出す魔法を唱えて、「影」を生み出してしまいます。この虚栄心が、随分ドロドロとしたもので、子供の可愛らしい見栄っ張りとは違うんですね。自分は他の人間より才能がある、有能な自分には、もっとふさわしい居場所があるはず・・・こういう子は上手く人間関係を作れません。影を呼び出してしまって、反省するかと思いきや、そうでもない。物事をわきまえたオジオン師匠も、ゲドの行為はたしなめても基本的な姿勢を咎めることはありません。この辺りに、私は違和感を感じるのですが・・・ゲドの虚栄心は、さらに大変な事件を起こしていくようです。(つづく)
2006/07/31
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『天使と悪魔』(上・中・下)ダン・ブラウン 角川文庫最近巷で話題の、本屋でババンと平置きされている『天使と悪魔』。『ダ・ヴィンチ・コード』の前作が文庫化ということで、私も電車での暇つぶしにと上巻を購入しました。そして、上巻を読み終えて、とても後悔したのです。「なんで、三冊いっぺんに買わなかったんだ!」(笑)続きが気になって気になって、次に本屋行くまで大変でしたよ。冒頭の、「猟奇的な死体」「秘密組織」「暗殺者」「被害者の親族と調査にいく」といった要素がダ・ヴィンチ・コードと全く同じだったので、「えぇ?」とも思ったのですが、読み進めたら全く問題なしでした。17世紀から18世紀にかけ、カトリックの総本山バチカンから迫害を受けた科学者たちは、闇に潜伏し、秘密組織「イルミナティ」を名乗って報復の時を待っていた。欧米諸国の政府、経済界、軍部や友愛組織などに密かに浸透し、影から操っていたイルミナティ。彼らは20世紀になって姿を消したと考えられていたが、スイスの科学研究所セルンで、一人の研究者が殺害される。死体の胸には、滅んだはずの「イルミナティ」の焼き印が押されていた・・・。というのが、冒頭のストーリー。今回のテーマは、科学と宗教の対立。イルミナティはセルンから奪った○○(とても危険)で、教皇選挙が行われているバチカンに報復を企んでいたのです。セルンの応援に呼ばれたラングドン教授は、象徴学とイルミナティへの知識で、暗殺者を追うのですが。。。ローマ中を駆け巡り、彫刻やガリレオの書物から道しるべを探しつつ、イルミナティを追う過程は、二転三転して息つく暇もありません。しかも、24時間で爆発してしまう(こらえ性のない)○○を発見し、組織に捕まってしまった枢機卿たちも助け出さねばならない、ダ・ヴィンチ以上に緊迫した展開。古代の信仰からイルミナティに受け継がれ、現代の社会にも痕跡を残している「象徴」のうんちくも面白く・・・ラストでは、現代での宗教の意義を問いかけるような物語になっています。終盤、大変などんでん返しがあるわけですが・・・この辺りは、ダ・ヴィンチより無理なく、読者の期待を裏切らないものでした。「イルミナティ」というと、いかにも怪しい陰謀説なイメージで、モナリザに比べるとキャッチーさは劣るでしょうが、物語全体の質としては、こちらの方が優れている印象です。(『ダ・ヴィンチ』の場合、一部のやや強引な解釈を作者が援用しているため、引っかかりを感じる読者も少なくないはずですが、『天使と悪魔』は作者がうまくフィクションを混ぜているので、「そういう世界」として楽しめるのだと思います。)文庫版の解説も、適度に読者を現実に引き戻してくれる内容で好印象でした。個人的には、イルミナティの創設者ヴァイスハウプトが(大学の法学部長さんらしい)、まさにレティシアの時代、隣国バイエルンの人なので、妙にドキドキしました。当初のイルミナティは単なる知識人の集まりで、"怪しい秘密集団”ではないようです。会員である知識層、政治家、貴族たちはフリーメイソンと掛け持ちしてる場合もあり、革命時のジャコバン党員にメイソンの会員は多かったそうで・・・グストーなんて、どこかで繋がりがあっても不思議じゃないですね、まったく。^ ^;
2006/07/12
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『王妃の離婚』 佐藤賢一 集英社文庫 2002年西洋の歴史小説をお得意とする佐藤氏の、直木賞受賞作。以前、pian pianoさんが佐藤氏の紹介をされていたのがきっかけで購入。これがとても面白くて、429ページもあるのに1日半で読了しました。15世紀末のフランス、国王ルイ12世は、王妃ジャンヌとの離婚裁判を起こします。証言はすべて王が優位になるよう捏造され、王の望み通りに離婚成立かと思われた時、「零落した中年弁護士」が義憤に駆られ、王妃の弁護に乗り出す・・・。初めにあらすじを読んで、ヨレヨレクタクタの、もっさりした中年男をイメージしていたのですが、主人公フランソワは、なかなか才走った怜悧な男でした。彼は若かりし頃、パリ大学法学部で将来を嘱望された、「伝説の人」なのですが、とある事件で大学をやめて、田舎で弁護士稼業をしているのです。実は王妃ジャンヌとは、ちょっとした因縁があり、はじめ彼は裁判のゆくえを冷淡に見守っていました。王妃が屈辱を味わう姿を見てやろう・・・そんな思いで裁判を傍聴していたフランソワは、因縁の張本人(昔の恋人の弟)を介して、王妃と言葉を交わし、彼女を知ることになります。王妃からの弁護依頼を一度は断るフランソワですが、裁判中、自分の証人にさえ裏切られた王妃が孤独に戦う姿と、自分の青春時代の情熱が交錯し、ついに弁護を引き受けるのです。この作品は法廷サスペンスに分類されるようです。王優位の、権力を背景にした不正な審議を、フランソワが法解釈や新証言を繰り出して崩していく過程は、胸をすくような展開。そこに、当時のカトリックの結婚概念や、婚姻取り消しの条件(なにしろカトリックは、原則的に離婚を認めないので、現代から見るとなかなか興味深い理屈をつけて婚姻を解消するのです)、フランスの文化史や都市と人々の生活に関する豊富なウンチクが絶妙な形でストーリーに織り交ぜられていて、歴史好きには、たまらない面白さ。(笑)また、外見が十人並みで足が不自由なために「醜女」と嘲られてしまう王妃ジャンヌは、随所で心の強さと高貴さを見せてくれる、大変魅力的な女性で、この作品の面白さに大きく貢献しています。彼女の心理描写は、かなり現代的な解釈で描かれている反面、フランソワの恋人がいう、結婚は愛の義務化であり、虚飾と堕落だ、という自立的な発言は、どこか19世紀的な香りがしてくるような?敵役である国王と手下は、読み手が焦るほど弱いので、対決シーンにイマイチ迫力が足らない面はあるのですが、活劇の楽しみは佐藤氏の別の作品に譲るとして、久々に「一気読み」したくなる作品でした。う~ん、これはハマる・・・今は同氏の『双頭の鷲』を読んでいます。
2006/06/14
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『聖戦ヴァンデ』(上・下)藤本ひとみ 角川文庫初めに申し上げておきますと、この本で私は藤本ひとみのイメージが変わりました。小説のネタにしようと「ヴァンデの反乱」(1793.3~フランス、ヴァンデ地方の農民が蜂起した大規模な反乱)に関する本を探した中の一冊です。(残念ながら、このネタは本編ではボツに。長くなりすぎるから。)藤本ひとみといえば、高校時代に友人が大ファンで、私も『ブルボンの封印』とかシャルルシリーズを読みましたが、ストーリーや仕掛けは面白いと思いつつ、歴史小説としては乙女チックすぎて、ファンになりそこねました。(藤本ファンの方、すみません。私は陳舜臣とか骨っぽい小説が好きな変人でした。)しかし、この作品はひと味違うという批評を某所で読み、それならばと。で、読んだらこれが面白いのです!!他のロマンス系、官能系な作品とは風合いが違い、かなりストイックな作りで。物語は革命期のフランス、バスティーユ牢獄襲撃から始まります。国王騎兵隊の士官で侯爵家の嫡男アンリ。彼の友人かつ副官、平民出身のニコル。革命を信奉する少年ジュリアン。彼らはパリ市街で偶然出会い、アンリは13才のジュリアンが書いたビラを目にします。『バスティーユを陥落させたことは、取るに足らない。王座を打倒すべきである。』当時、革命が起こったとはいえ、誰も王制の廃止など考えていなかった時に・・・一人の少年が予言のように、こう綴るのです。ジュリアンの透徹した眼差しと論理は、このビラを通してロベスピエール達の目にとまり、ロベスピエールは顔も身元も知らない「ビラの書き手」を自分の理解者であると認めます。またジュリアンは、敬愛するロベスピエールに近づきたい一心で、ジャコバン党員として革命に身を投じていくのです。一方、王宮襲撃を阻止できずに国王を幽閉されてしまったアンリは、心ひそかに革命への共感を抱いている親友ニコルを除隊させ、自由の身にしてやると、自分は田舎の領地へと身を隠します。しかし、穏やかな日々は長く続かず・・・対外戦争のため、全国に30万動員令が出されると、自分の土地を離れて戦場へ行く事を拒んだ農民達が各地で蜂起。アンリの領地でも、立ち上がった農民達が彼に指導者になるよう懇願します。政府の軍隊を相手に、農民軍が勝利できるはずもない・・・アンリは迷いますが、領民達の決死の覚悟と願いを聞き入れ、反乱軍の指導者となるのです。ジュリアンはロベスピエールの影として、革命の障害を殲滅させようと企み、ニコルは革命軍の将軍となり、ヴァンデ鎮圧を命じられ、アンリは王制の復活と農民の安寧な暮らしを求めて、絶望的な戦いに向かう・・・彼らの対立は、やがて未曾有の大量虐殺へと発展していきます。登場時は普通の少年らしい傷つきやすさを持っていたジュリアンが、ロベスピエールに自己を投影して心酔し、彼のために革命を完成させる事を至上の価値とする大量殺人者になっていく様子は、藤本ひとみお得意の犯罪心理学をベースにした描写で、ゾクリとさせられるモノがあります。それを受け入れてるロベスピエールも、かなり危険な雰囲気。立場上対立するアンリとニコルの友情は、(最初の方こそ少々乙女風味ですが)抑制がきいていて好感が持てました。ヴァンデの反乱に参加している他の指導者たちが個性豊かで、物語に華やぎを与えています。しかし個性的であるがゆえに意見が対立し、アンリが危険を察知していながら、どうにも出来ない組織のもどかしさ。(彼らは皆、実在の人物です。カトリノー・・・ボンシャン・・・・涙。)お読みになったら、物語の進行と共に、追いつめられれば追いつめられるほど、彼らを好きになってしまうでしょう。「9月虐殺」同様、語られる事の少ない革命の闇、「ヴァンデの反乱」。裏側から見たフランス革命を、ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。
2006/05/19
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『海鳴りの石』全4巻 作:山口華物語によせる、一通のファンレターぼくのしょおらいはゆめが、レープスに行ってかいぞく王になってわるいやつらを大ほうでやつけることてす。 匿名希望(フライハルト市 11才)「レオー、綴りめちゃめちゃよ??」「意味がつーじればいいじゃん。大切なのはハートだよ、姫様!」「書き直しなさい。恥ずかしいから・・・。」あらすじ <僕>の親父は小説家。書きかけの原稿を置いてフラリと旅に出かけてしまった親父・・・ある晩、僕の夢に現れたのは小説の主人公、フェナフ・レッド。伝説と歌に満ちた島国レープスの「お世継ぎ」だ。「君、力を貸してくれ。」レッドと入れ替わりに、親父の物語世界レープスへ入り込んでしまった僕。予言にうたわれる通り、失われた神宝<ひびき石>を取り戻し「新しき王」となれるのか・・・だがレープスには世継ぎを排除しようとする王の妾妃一派の影と、大国ハイオルンによる侵攻の足音が。しかも、予言の鍵となる<海鳴りの石>は海賊王の血によって呪われていた!叙情あふれる上質なファンタジー 楽天ブログでも活躍されています、yhannaさんの作品。 読み始めてすぐに、まず驚きました。海外文学では?と思えるような、ヨーロッパの空気を持った物語です。神宝の力と感応する歌姫や海竜、魔法と竜から人へのメタモルフォーゼ(変容)といった世界観はもちろん、文章表現、各所に配置された小道具(例えば雄牛の打鐘、飾り房の式、雪野牛etc.)--西洋に舞台を借りただけの和製ファンタジーではない、奥深さを持っています。それに加え、物語にとって欠かせない要素、日本語の美しさも逸品です。随所に織り込まれる数多くの歌や詩の断片・・・つめくさ香る 春の野辺(のべ)に来ませ 旅人 まだ日は若い疲れし馬を 憩わすあいだわれに語れよ 外国(とつくに)の便り こうした詩が単なる飾りに終わらず、物語の主軸ときっちり噛み合っているのです・・・という事にラスト近くで気づいてびっくり。(汗) 緻密で優雅な情景描写によって、レープスの風景が「見えてくる」のも魅力です。一巻のラスト、燃えさかる炎の中で主人公と黒衣の君(デール・パイノフ。親父が書いた前作の主人公)が邂逅し、封印された扉へ導かれるシーンは映画を見ているよう。。。美しい。予言と価値転換、犠牲と再生の物語 話の進行の中で僕とレッドは幾度も入れ替わり、終盤では互いの世界がめまぐるしく交差していきます。さて、主人公の<僕>は勇敢で冒険心に満ちた青年・・・ではありません。彼はあくまで普通の若者であり、無力さを自覚しています。彼にあるのは「知」・・・この世界を生み出した「親父」の息子であり「物語の読者」である彼は、レープスの成り立ちと過去を知っています。彼の役割は、長い時の中で失われてしまった伝説を、もう一度レープスに伝え直し時の輪をつなぐこと。しかしこの役割を果たしたとき大いなる災禍がおとずれ、<僕>とフェナフ・レッドは「世継ぎの君」として生きる事から逃避していきます。 世継ぎとして戦の旗頭に祭り上げられるのは真っ平だと思う<僕>。 自分が世継ぎであると明かす事で新たな戦乱が起こるのを憂い、野に下るレッド。(僕もレッドも、状況を先読みできすぎるので、他の者のように突っ走ることができないようです。『指輪物語』のデネソールのよう?) 彼らの思いとは裏腹に、人々は新たな王の誕生を熱望し、予言もまたレッドが王位に就く事を示しています。僕とレッドは、世継ぎと名乗ることも世界に完全に背を向けることもできず、一人の民としてレープスのために戦いますが、彼らの選択はさらなる犠牲を生み出していき・・・。 彼らが積み重ねられた犠牲の意味に目を向け、受け入れたとき、世界は再生へ向かって動き出すのです。読者の予測を大きく裏切る形で。勝手にフェナフ・レッド この物語は単純な勧善懲悪では終わりません。多種多彩、魅力的な登場人物たちは、敵も味方もそれぞれ予言成就のための役割を担っています。物語が進むにつれ彼らは読者に新たな顔を見せ、<僕>やレッドの中での価値付けも変化していきます。このあたりも含め、トールキンと通じるテーマを幾つも見いだすことができます(というのもyhannaさんはトールキン研究がご専門なのですから)。 ラスト、海鳴りの石の呪いが解かれ、予言の「新しき王」が誕生するくだりは急転直下、見事な展開。そこから始まる世界の再生も、壮大で空間的な広がりを感じさせる素晴らしい場面で、ぜひ映像で見たい圧巻の光景です。 各人物に思い入れを持っていた一読者としては、そこに至るまで何度も「あぁぁ!」と身悶えする展開がありましたが、読後感は良いのでご安心を。うちのレオは、レープスに移住して海賊王になりたいそうです。(笑)なお、この本の1巻か2巻をお読みになって感想を送ると超豪華(すぎる)プレゼントがあるそうで・・・詳しくは作者様のHPをご覧下さいね。 読み終わって、まだまだもっとレープスを味わいたいと思える作品です。ファンタジーがお好きなら、文句なしでお勧めできます。
2006/04/02
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日本中がフィギュアに熱視線♪な毎日。観戦のお供にピッタリの一冊を買いました。。。『オール・アバウト フィギュアスケート』ぴあmook 2005年 1505円オリンピックでフィギュアに興味を持ったor好きだけど、まとまった知識はない・・・という人にとってもおススメです。最近のトップスケーター131人を紹介。女子、男子シングル、ペア、アイスダンス・・・日本はもちろん各国の注目選手がカラー写真でお目見え。日本選手に関しては、オリンピック候補に上がった人以外の有力選手も沢山載っていて、こんなに層が厚かったのかと驚かされます。所属やコーチ名等も記載があるので、「この人とこの人は同じリンクで練習してるのね♪」とか「あの二人は振り付け師が一緒だったの?!」みたいな楽しみ方もOK。この本の目玉は「ジャンプの種類と見分け方」「ステップ、スピンの種類」などが写真入りで解説されている点!特にジャンプの見分け方は、習得すれば演技をより深く楽しめること間違いなしです。読んだけど、面白かった♪その他、アイスショーで活躍中のプロスケーター(往年の名選手)達や、観戦ガイド、定番プログラム、コスチュームチェックなどもついて納得の一冊。さすが、「ぴあ」。・・・で、何故ここまで私がフィギュア好き好き病なのか。それは全てジェフリー・バトルのせい。男子シングルで銅メダルとった彼ですよっ!いやーん、すてきー、可愛い~~v ←メロメロのようですねジュベールも素敵!でも、バトルのやんちゃな雰囲気がたまりませんvかもし出す雰囲気では、エキゾチックなエマニュエル・サンデューも好きです。『天黒』がミュージカル化されたら、ぜひ彼にユベール役を!(笑)
2006/02/22
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『基本はかんたん人物画』視覚デザイン研究所 1800円 先ほどご紹介した『やさしい人物画』はレイアウトがやや古く教科書的で、文字も多い・・・そんな点が気になるという場合、これがおススメです。2004年発行の新しい本なので現代的な感覚で読めます。『やさしい人物画』との比較:まず、モデルはすべて日本人。骨格、筋肉、重心の取り方、陰影の付け方、視点変更、ポーズ集といった部分は類似。プラスαの要素として、顔の表情、パーツや手の描き方が細かく載っています。また、作例を担当している山崎正夫氏はスポーツ系イラストで有名な方だそうで、ダイナミックな動きの作例なら本書の方が豊富。体格の書き分けや髪型の表現にも少し触れられています。(なぜかアフロの描き方があるの・・・)こう書くと、本書の方がずっと充実しているように見えるのですが、そうとも言えません。ページ数は、『やさしい人物画』の方が60ページくらい多いのです。つまり、本書では各要素がダイジェスト的に扱われているということ。アウトラインをサッと確認したい人向け?説明は分かりやすいし、イラストが綺麗なので眺めるだけでも楽しい本です。取っ付きやすさなら、こちら。本格的にやる意欲と根性があるなら『やさしい人物画』が良いかも知れません。
2006/02/05
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『やさしい人物画 人体構造から表現方法まで』A.ルーミス著 マール社 1800円人物画、特に全身像をきっちり描けるようにしたいっ。デッサンなんて適当だったけど、基礎から学んでみたい。。。そう思って購入した一冊。美術系の学生さんなら誰でも知ってるバイブル的な本だそうです。おススメな点:人体の骨格から、肉の付け方、遠近法、陰影、動きの表現、視点の移動(上方や下方から見た場合の描き方)などなど、かなりお役立ちの内容に納得。もちろん、ポーズ集や著者の美麗イラストも多数収録。これ一冊をモノにすれば、かなり力がつくと思います。???な点:モデルは白人の8頭身。日本人を描く場合には、自分で工夫が必要かと。(天黒メンバーを描きたい私としては嬉しいのですが。)また著者のスタンスとして「君の仕事は、君の周囲の日常的素材を美化し、理想化すること」とある通り、「理想的」な容貌の人間しか出てきません。このあたり初版1943年という時代を感じますが、つまり太った人、痩せた人、特徴的な顔の人、黒人などはスルー。現代のイラスト、漫画では様々な容貌、体格の描き分けが求められるので、この一冊でパーフェクトとはいかないでしょう。もちろん、デッサンの基礎を学ぶという点では十分すぎるほどの良書。(たぶん)???な点を補ってくれる本は、また別にご紹介したいと思います。
2006/02/04
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『舞姫テレプシコーラ』山岸凉子 1~8以下続刊 ダ・ヴィンチに連載中初めに申し上げましょう。これを読んだら、あなたはバレエを踊りたくなる。(断言)山岸凉子さんの作品は、激大雑把に分けて「幻想的で夢いっぱいのファンタジー」と「リアルで痛みを伴う心理劇」に区分できると思います。この方のバレエ作品といえば初期の『アラベスク』が既にありますが、これは前者、ロシアが舞台の良質な少女漫画。(うなるほど面白い。)そして、現在連載中の『テレプシコーラ』は後者、痛い方。(といっても少女の成長物語なので、明るい側面もあるのですが。)山岸凉子の作品は、痛い。しかも激痛。何が痛いのか、それは読者が日頃見ないふりをしている自分の負の面、汚い面をガリガリとえぐり出してみせるからです。自分がダメだ、弱いと思っていても、では何が、どこが弱くてダメなのか、このまま進んだらどうなってしまうのか、一定のところまで考えると普通は思考停止するのではないでしょうか。その先を確かめるのが、あまりに怖くて気分が悪いから。。。ところが山岸作品はノンストップ。行き着くとこまで行っちゃう。結末には、救いのない破滅が待っている。読者は「あー痛い!痛い!くぅ~」と思いつつ、目を背けることができず読み切ってしまうんです。この物語、舞台は現代の日本ですが、設定からして凄い。主人公はバレエ教師の母と将来有望なバレリーナの姉を持つ、明るく気弱な(?)バレリーナの卵。潜在能力は高いけれど、骨格的な問題でハンデを背負っている。そして主人公が出会った一人の少女・・・彼女は天才的な素質を持ちながら、顔が(救いようもなく)醜いせいで男性としてコンテストに出場しようとするほど。(汗)しかも経済的に困窮している親が、彼女に児童ポルノへの出演を強要しているのです。あぁ・・・痛い。。。容赦ないです、山岸先生。しかし山岸作品が単に痛い作品と違うのは、心理描写です。普通、人物の感情や思考は、話の流れに必要なものだけを書きますよね?山岸凉子は、「そんなこと必要ないんじゃない?」と思えるような部分まで書く。雑念とも言えるようなものまで、ノーカット。そんな風にして再現された思考の「揺れ」が、リアリティーとして読者に迫ってくるんです。読者は、劇中のふとした出来事、些細な思考から「痛み」に気づいてしまう。ただ、これは裏を返せば「喜び」や「発見の驚き」への「気づき」にもなるんですね。主人公が体験する「こうすると上手く踊れる!」「こんな風に踊ると凄く楽しい!」という発見は、そのまま読者の発見になる。まるで自分が踊れたように気持ちいいし、実際こんな風に踊ってみたいと思う。山岸凉子という方は、思考や感覚の過程を豊かに描き出し、読み手を作品の世界に引きずり込んでしまう達人なのです。ですからきっと、これを読んだら、あなたもバレエが踊りたくなる。(笑)私はバレエ教室に通いたくなりましたよー。
2006/01/30
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『神聖ローマ帝国』菊池良生著 講談社現代新書 2003年 720円ドイツという、なじみ深い国名は19世紀以降のもので、中世~近代の終わりまで、ドイツ地方は神聖ローマ帝国という国(?)でした。フライハルトも属する、この帝国。962年のオットー大帝以来、約800年もヨーロッパの中央に位置しながら、学校で習う歴史などでは、意外と盲点ではと。「そもそも、どの辺が領土なの?」「で、ローマと関係あるんですか??」「存在自体忘れてました」 ・・・・・といった具合に(笑) ←忘れてたのは自分大体が、プロイセンとかオーストリアとか、一部の地域名で語られることが多いですものね。この『神聖ローマ帝国』という本は、800年の歴史を大変分かりやすく解説してくれています。特に、ローマ教皇や、帝国内部の諸候と皇帝の政治的な力関係の推移が、その時々の勅書や資料をもとに整理されていて、理解しやすい。逆に言いますと、事態が単純化されすぎている、帝国への解釈がオーソドックスで最近の研究傾向を無視している、といった難点も出てくるわけですが・・・。フライハルトや(笑)バイエルンなど、大国以外の諸候の様子を教えてくれる入門書は少ないので、そういった意味でも貴重です。この国を勉強する最初の一冊としては、とてもおススメ♪なお、帝国議会や帝国クライスなどの制度面については記述がほとんどないので、別の本を参照する必要があると思われます。(←「別の本」は、いずれまたご紹介したいと思います)ということで、今日は小説の更新が間に合わないので、本のご紹介でした。(ぺこり)
2005/12/11
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『不思議な恋文』女帝エカテリーナとポチョムキンの往復書簡小野理子著、東洋書店、2001年。630円これは面白い。ロシアのエカテリーナ二世に興味を持ち、関連本を探す中で出会った一冊。恋多き女帝エカテリーナが最も愛した恋人、ポチョムキン将軍との間に交わした手紙の内容を、解説付きで紹介しています。ポチョムキンは非常に優秀な人物で、クリミアをロシアの版図に加えるなど、軍事面でも高い功績があったのは、以前にもご紹介した通り。そんな有能な年下の恋人に惚れ込んだ女帝の心情の変遷が、彼女自身の言葉によって綴られています。正式な手紙から、こっそり受け渡したメモ書きまで・・・「私は沢山愛人がいるって言われてるけど、本当はそんな事ないの!」「貴方に会いたいのに、なかなか侍女達が部屋を出て行ってくれないわ。」みたいな話から、「(身ごもってるのに)延々堅苦しい儀式なんかさせられて、うんざりよ!」のような、マタニティーブルーな愚痴まで・・・・これを読んだら、あなたはもうエカテリーナ様の虜。(笑)最初は「陛下!」「私の愛しい人v」な感じの二人が、だんだん普通の夫婦っぽくなっていく様子も笑えます。←主旨が違うこの本に紹介されているのは、書簡の一部に過ぎないので、本格的な研究書ではありませんが、当時の雰囲気は十分感じる事が出来ます。掲載の書簡は、エカテリーナのものが大半・・・というのも、残念ながらポチョムキンの返事は、あまり残存していないんですって。慎重な女帝は、彼からの手紙を読んだらすぐ燃やしてしまい、逆に、ポチョムキンは女帝からの手紙を大事にスクラップしていたのです。←男の勲章?(私の小説の中で、レティシアが一生懸命ユベールに恋文を綴り、アルブレヒトにからかわれるシーンがありますが、あれはエカテリーナとポチョムキンをヒントにして書いたものです。)また、当時の政治的状況を著者が分かりやすく説明しているので、この一冊で歴史のおよその流れが掴めるのも良い点です。翻訳も古めかしくなく、250年前に生きた人々の息づかいが聞こえてきそうなこの本、一読の価値はありですよ。
2005/11/27
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先にご紹介したコミック版の原作です。(11/5の日記参照。)『女帝エカテリーナ』(上・下)改版、H=トロワイヤ著、工藤庸子訳、中公文庫。私が実際に読んだのは、古本で手に入れた旧版ですが、現在はこちらのみ新品で購入可能のようです。ドラマチックで手に汗にぎるような池田版『エカテリーナ』の元本。コミックでは削られた経済問題や、フランス知識層との交流、ロシアの宮廷事情など(もちろん恋愛含む)を、原作は詳しく伝えてくれます。面白いです。た・だ・し。ですね。伝記小説ということと、恐らく翻訳の問題で、非常に淡々としてます。淡々と、約700ページ。(汗)文章に癖があるため、最初は忍耐が必要かも知れませんが、一旦慣れてしまえば、本当に充実した内容です。優れた文化人であるトロワイヤは、多方面からエカテリーナの魅力を十二分に書きだしています。分量に負けず、モチベーションを維持できるかが勝負のカギでしょう。(笑)そのため、やはりコミック版で大いに気持ちを盛り上げておき、勢いで読破されることをお薦めいたします。☆さてさてっ、ここから普通の日記ですが、なんとなんと!!崎_さんからレティシア様の絵を頂いてしまいましたっvv昨日の夜、お忙しい中描いて下さったそうです。嬉しいですv有り難うございますvそこで、早速フリーページに飾らせてもらいました。何気に、「+アトリエ+」という項目が加わってます。専用近道はここ。(笑)→ 地下道
2005/11/06
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今日は、『天空の黒~』を書くきっかけを与えてくれた本をご紹介します。『女帝エカテリーナ』全3巻、池田理代子著、H=トロワイヤ原作、中公文庫コミック版。18世紀、ドイツの田舎貴族の娘ゾフィーは、ロシア帝国の大公(次期皇帝)の妃候補に選ばれます。聡明さと野心に満ちた彼女はドイツ人であることを捨て、名前、言葉、宗教、生活習慣すべてを異国式に変え、誰より「完全なロシア人」となることで大公妃の地位を獲得。やがて無能で放埒な夫が皇帝となると、クーデターで政権を奪い、ロシアの女帝、エカテリーナ2世となります。才能を遺憾なく発揮し、政治、外交、軍事において成功をおさめていく彼女は、ロシアを文字通り栄光の道へと導くのです。ロシア人作家、トロワイヤによる伝記小説を、(言うまでもなく『ベルばら』の作者である)池田理代子が漫画化した作品。政治的事件が連続する緊迫した展開もさることながら、この漫画の醍醐味は、エカテリーナと数多くの愛人達との恋愛模様にあります。彼女の唯一の贅沢として、次々と取り替えられる男性達、その中で唯一人、彼女の無類の信頼と愛を得て、生涯の伴侶ともいえる存在になる若き鬼才ポチョムキン。(この天才軍事家の名は、彼にちなんで付けられた「戦艦ポチョムキン」によって、さらに有名になります。)この作品は、著者が「少女漫画」から大人向け「歴史物語」に移行する過渡期に書かれたようで、ドラマチックで丁寧な心理描写と、政治的・歴史的味付けが絶妙に調和した力作かと思います。個人的には、『ベルばら』の次にお薦めです。『女帝エカテリーナ』を読んだのは、1年ほど前ですが、それまで西洋史は好きでも宮廷物語を作ろうなどと思い付きもしなかった私が、稲妻のようなインスピレーションを受け(笑)、突如、一気に、『天空の黒~』(の元になる漫画)を書き上げた程ですから・・・といえば、多少この物語の素晴らしさが伝わるでしょうかっ??ともかく、買う価値のある、ずっと手元に置いておきたくなるような本です。原作の伝記本についてのご紹介は、また次の日記で。。。
2005/11/05
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