2017/04/09
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憤りに任せレオが打ち込んだ一撃は、軽くフォルクマールにいなされ、剣先が石畳の表をえぐった。
「――だから、甘いのだ!」
構えの整わぬ隙を、フォルクマールは逃さない。
無防備なレオの横腹めがけ、サーベルが振り下ろされる。

「レオ、下がれ!」
刃と刃の合わさって放たれる閃光。
ユベールの長剣が、フォルクマールの一刀を受け止める。
しかし片腕しか使えぬユベールの剣は、かろうじて相手の軌道をそらしたのみ。
続く一太刀で、フォルクマールはユベールの得物を弾き飛ばす――
「っ!」
声にならないうめきを上げ静止したのは、フォルクマールの方であった。
二撃目を加える前に、身をひるがえしたユベールが抜き放った短銃。
その銃口は至近から、ひたりとフォルクマールの胸に狙いを定めている。

「武器を、捨ててください。」
黄金の瞳を炯々と光らせ、褐色の将校は通告する。
「もう抵抗する手段はない。これ以上戦うことは、自ら死を選ぶのと同じこと。信仰厚い貴殿にとって、深い罪となりましょう。」

なお心を決めかねるフォルクマールの視界に、ある光景が映った。
城の尖塔に掲げられていた連隊旗――マインツ駐留軍アルブレヒトの旗印がゆっくりと降ろされていく。
馬蹄を響かせ現れた騎影が、あらんかぎりの声を張り上げ人々に下知する。

「フィアノーヴァの兵士達に告ぐ!武装を解除せよ!以後、いかなる戦闘行為も認められぬ!これは黒獅子の騎士、アルブレヒト様のご下命である・・・!」

声の主は、女王の騎士の一人。
一騎だけではない。城のいたる所で、同じ触れが繰り返された。
その威令は、人々の口から口へと伝わっていく。
我に返ったユベールが伝令を走らせ、全軍に無抵抗の者への暴行を禁じる。
固い金属音と共に、フォルクマールの取り落としたサーベルが地表に転げた。
それに続き、無言で剣を置く近衛部隊。立ち上がれぬままのテオドール――
彼らの周囲で、いつの間にか人波ができ、一つの方向へと流れていく。
兵舎塔や物見塔内部で戦っていた兵士たちも表に現れて、粛々と歩んでいく。
「ローレンツ様!」
「・・・ティアナ!」
息を切らせた騎士見習いがユベールに駆け寄ると、数歩手前で深礼する。
「女王陛下がお呼びです。居館(バラス)前へお越しください。」

***


城の中央部にそびえるバラスの前面には、半円形の広場が広がっている。
階段状に、中央に向かって高くなる頂き。
今は水の絶えた噴水を背に、女王レティシアが立っていた、
一歩下がった位置に、黒獅子の騎士の姿。
広場に集結した両軍の兵士たちは、女王が手を掲げると一斉にひざまずいた。

「フライハルト国主として、皆に告げます。私の言葉を胸に刻み、決して違(たが)えることのないように――」
水を打ったような静寂の中、女王はフライハルトの母語で、フィアノーヴァの開城と戦闘の終結を宣言する。
その間アルブレヒトは何も語らないが、彼が女王の傍らに立つという事実によって、人々は降伏が黒獅子の騎士の意志でもあると了解したのだった。

レティシアがユベールを呼び寄せ、彼は女王の前に進み出た。
つい先刻、命のやり取りを演じた黒獅子の騎士は、帯剣こそしていないものの、常のように威風をたたえている。
敗軍の将らしく、身を低くして畏(かしこ)まるということもない。
なお侵しがたい空気をまとうアルブレヒトは、低く抑制された声でユベールに問う。
「これまでと変わらず、投降して再び陛下に忠誠を誓う者は、兵卒も将校も厚く遇してもらいたい。」

ユベールの返答を受けて、レティシアは命ずる。
「――この城と将兵を、ローレンツ大尉に委ねます。寛容に、公正に。処遇を執り行うように。」

徐々に、ユベールは女王の意図を理解し始めていた。
フライハルトにおいて騎士階級は、王家の神聖性を分有している。
少なくとも衆目の前では、権能の委譲という形で収める――そうすることで、黒獅子の騎士と宰相の双方を守ろうというのだ。
たとえ女王の意志に従ってのことであれ、アルブレヒトを屈従させたとなれば、人々の憎悪はグストーに向きかねないのだから。

「陛下。」
アルブレヒトが女王の耳元で、何事かを囁く。
女王が軽く頷くと、彼は目礼を返し居館の中へと姿を消す。
「開門を――」
ついに最期まで陥落することのなかった、フィアノーヴァ城の堅牢な門が、女王の命を受けてゆっくりと開かれていく。

やがてユベールの視界に、いまや勝者として境界線をくぐる一団が現れた。
尉官級の将校らに護衛された数台の馬車が、門扉を越えたところで静止する。
人々の前に降り立ったのは、ノルベルト・クロイツァー長官に弟のリヒャルト、そして王国宰相グストー・イグレシアス。
グストーの褐色の瞳はフィアノーヴァの全景を見渡し、次いで女王の前に集う兵士たちの姿一つひとつをなぞるようにして、最後にレティシアを捉えた。
女王に向かって臣下の礼をとるグストー・・・わずかの間、ユベールと視線の交錯したグストーの口元に、かすかな笑みが浮かんだように思えた。
その笑みは、自分へのねぎらいなのだろうかと考え、ユベールは慄然とする。
長年レティシアと対立してきたジークムント公は虜囚の身となり、黒獅子の騎士も降(くだ)した。
グストーは遂に、このフライハルトを束ねる頂点に君臨したのだ。

***


城の中枢でもあるバラスの広間に戻ったアルブレヒトを、初老の従僕が出迎える。
「フォルクマール達は、どうしている。」
「騎士の皆様は、別棟に。重いお怪我もなく、今のところは丁重な扱いを受けておられるようですが。」
建物内部の制圧のために残っていた宰相方の兵士たちが、二人のやり取りに神経をとがらせる。
アルブレヒトは窓から、グストーが入城する様子を遠目に眺めた。
自分の指揮下で戦った将兵に宰相は赦しを与え、元の身分を保証するだろう。
だが、騎士たちは別だ。
「――あとわずか、陛下は私に時間をくださった。この身が拘束される前に、書簡をしたためておきたい。」

アルブレヒトは広間に隣接した彼の居室に入り、従僕に紙を用意させる。
正式な約定の締結にも用いる、調印文書のための巻紙だ。
その場を立ち去れずにいる下僕に向かって、彼は言う。
「マインツ以来、よく仕えてくれた。せめて、己の始末を己でつける・・・そのような猶予があるだけ、私は恵まれている。」
男を下がらせ、監視の兵士のみとなると、彼は紙にペンを走らせる。
一通りしたためる間にも、文字をつづる指先が幾度も鈍った。

  アルブレヒト・・・あなたは、黒獅子の騎士になる

幼い王女の言葉を、天の啓示のように受け止めたあの日から、己は何を成し遂げたというのだろう。
雪海原の丘から見た、美しく慎ましいフライハルト――
全てをかけて、共に背負っていくのだと。

書簡の最後の一文字を記し終えると、アルブレヒトは蝋で封をし、みずからの印章で刻印をほどこした。
「これを、陛下に。」
警備兵は躊躇したが、両手で押しいだいて受け取ると、部屋を後にした。

つかの間の静寂が訪れ、アルブレヒトは椅子に深く腰掛けて瞼を閉じた。
背後から駆け寄る、あどけない革靴の音――これは幸福な過去の追億。
首元に押し当てられた、やわらかな巻き髪の感触。
そうして正面へ回り込んだ彼女は、私の膝に小さな手を置いて見上げ、はにかみの混ざる笑顔でこう呼ぶのだ。

  「アル・・・!」

その呼び声に、彼の心は呼応する。
レティシアは与えてくれた。
彼女に罪の結末を負わせ、苦しめてきた自分に、なお無心の愛を――
「陛下・・・お許しください。」
これが自分に返せる、すべてだ。
座したまま、書き物机の引き出しに手をかける。
取り出したフリントロック拳銃。
気品ある細身の銃身――象牙に紋様を施した意匠のグリップを、アルブレヒトは握った。

咎人となった自分を、レティシアは救おうとするだろう。
だがそれでは、ならないのだ。
騒乱の決着がついたとはいえ、諸侯は深く分断され、火種が絶えたわけではない。
いつか自分の存在や、黒獅子の名が再び、宰相に対抗しようとする者たちの求心力となれば・・・
レティシアの造る新たな世界に、災厄を持ち越してはならない。

ここで終えるのだ。
誰も、過ぎ去った時代に思いをはせ、黒獅子などというものを美しく懐古しないように。

装弾を確かめ、銃の撃鉄を起こす。
もはや、語るべき言葉もない――


フィアノーヴァ城の空間に一発の銃声がこだまし、静寂の中に溶け去った。





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Last updated  2017/04/11 07:11:24 PM
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