秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2021.04.20
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新幹線に初めて乗ったのは1969年小学校4年生のときでした。父の配慮で、母と子供たちで、ただ新幹線に乗るためだけに、東京から、たしか熱海まで行った記憶があります。

東京を出て、新横浜まであっという間で、小田原を過ぎて熱海まであっという間の40分でした。駅前の土産物屋で食事して、おみやげを買って、また新幹線に乗り、帰りもあっという間で、旅行に行った気分にはならなかったように思います。普通の電車とは速さのレベルが違い、別格の電車で、超特急の言葉がまさにふさわしいと思いました。

その後、大人になって上越新幹線とか、各地に増えて、利用回数も増えると、自分の中での神格化したイメージはだんだん薄れていきました。

今回のプロジェクトXでの、陸海軍出身のエンジニアによる新幹線の構想から、速度を上げたときの振動の問題とか、開発の苦労の話は大変興味深かったです。独特の流線型の美しい車体が、飛行機の技術の応用だったとは。自動列車停止装置も新幹線がらみだったとは。

これぞプロジェクトXのだいご味と思いました。難工事物もいいですが、技術を追求する作品が好きです。

新幹線にまつわる動画はけっこうあるので、観るのが楽しみです。


2023.5.4リンク切れにより差し替え・内容の追加。



■参考リンク
プロジェクトX挑戦者たち「新幹線〜執念の弾丸列車〜」(2002年6月18日放送 42分)
「東京-大阪3時間への可能性」。昭和32年5月、国電の車内に張り出された講演会の吊り広告が、戦後最大のプロジェクト「新幹線」建造の道を開くことになった。この講演会は、国鉄技術研究所にいた旧陸海軍出身の技術者たちが中心となって企画したものだった。流線型の車体、振動を吸収する新型の台車、ATC(自動列車制御装置)・・・。旧陸海軍出身の技術者たちが次々に新しい技術を開発し、新幹線は世界最高速度256km/hを記録。戦争の負の記憶を心に秘めながら、戦後、「新幹線」に第二の人生を賭けた技術者たちの姿を描く。





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Last updated  2023.05.04 03:21:51


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