秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2022.03.01
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カテゴリ: 宗教
数年前に読んだ「夢をかなえるゾウ」で、神社にお参りするとき、願い事をせず、神様いつもありがとうと言えば、いいことがあるとガネーシャが主人公に話したのを読んでなぜだろうとおもっていました。

下記の参考リンクにある、松下幸之助さんの言葉、「感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく」、斎藤茂太先生の「素敵な夫婦関係の決め手は、『ありがとう』のたった一言」という言葉を読むと、答えのヒントになりそうに思いますスマイル

2022.3.18追記。

本願寺の掲示板を写真撮影したときに横に設置されていたので撮影。てっきり掲示板をもう一枚設置したのかと思ったら、今、見ると液晶画面のようです。


今年は締め切りましたが、築地本願寺でボランティアを募集していたようです。資格条件がありますが、ちょっとやってみたくなるユニークな企画です。
築地本願寺インフォメーション:2022年度奉仕活動員(ボランティア)募集について
築地本願寺内の接遇・案内にご従事をいただく「奉仕活動員」を募集しております。
参拝される方々にお寺への親しみを持っていただけるよう、みなさまのお力添えをお願いいたします。
(1)内  容  本堂・境内においての接遇・案内

        ※年末年始等必要に応じて休止いたします
(3)活動時間  午前10時~午後3時(内1時間休憩)
(4)シ フ ト  月に1~2日間程度
(5)募集対象  宗門関係機関における修学歴があり、浄土真宗について基礎知識のある方
(6)募集人数  若干名
(7)採用方法  応募いただいた後、個別面談を実施
(8)募集締切  2022年3月15日
        ※応募人数によっては期日より早く締め切る場合があります
応募や奉仕活動に関するお問い合わせは、下記連絡先までお電話ください。
築地本願寺法要行事部 奉仕活動員担当
TEL:03-3541-1131(代表)




【お寺の掲示板56】「有り難い」の反対は「当たり前」幸せだから感謝するのではない。感謝しているから幸せなのだ。(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)DIAMOND ONLINE2019.9.30 4:30
「有り難い」の反対は「当たり前」
 今回は広島市にある超覺寺の掲示板からです。これに似た文言としては、東京都台東区の谷中にある金嶺寺が、パナソニック創業者である松下幸之助氏のこんな言葉を載せていました。
 感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく
 このように感謝することを勧める文言が複数のお寺で掲示されているのですが、それはなぜでしょう?
 感謝するとき、わたしたちは「有り難う」という言葉を発します。この「有り難う」という言葉は、諸説ありますが、仏教に由来しているともいわれています。『法句経(ほっくきょう)』の中の「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし」という一節がそれに当たります。

 この「有り難い」の言葉の反対は「当たり前」になります。
 日常生活を送っていると惰性に陥り、多くのものが「当たり前」の存在になってしまいがちです。「毎朝目が覚めること」は「当たり前」のことだと思いがちですが、朝になっても目が覚めず、そのまま亡くなる人も少なからずいます。ただ、だからといって、「毎朝目が覚めること」に対して「有り難い」と感動を覚える人はほとんどいないのではないでしょうか。
 仏教的にいえば、「諸行無常」や「縁起」の理がはたらいているこの世界において、「当たり前」のことは1つもありません。すべては「有り難い」ことなのです。
 しかし、さまざまなことをわたしたちはすぐに「当たり前」のものと錯覚してしまいます。「電気を使って生活できること」も「お風呂に入ることができること」も「当たり前」だと勘違いしていますが、災害など非常時になってはじめて、わたしたちはその「有り難さ」を悟るのです。
 何でも「当たり前」と思ってしまうと、そこには感動や幸福が生まれません。精神科医の斎藤茂太先生は「素敵な夫婦関係の決め手は、『ありがとう』のたった一言」とおっしゃっていました。それは「有り難う」の一言が、日常の「当たり前」な出来事を貴重な素晴らしい瞬間だとお互いに認識させてくれるからです。
「有り難う」と数多く言えば言うほど、「当たり前」というゆがんだ認識が正されていきます。そして、さまざまなことに感動を覚えるようになり、まさに掲示板の言葉どおり「感謝しているから幸福」になるのです。
以下略

人より「幸せを感じやすい人」が自然にしている事自己肯定感の高い人と低い人の差どこにある?中島 輝 : メンタルコーチ 2021/09/29 17:00東洋経済ONLINE
抜粋
つらいことがあったとき、美しいものに気が付いて、気持ちが晴れた経験は誰にでもあると思います。地面の泥を見て絶望に打ちひしがれていた男も、もし空を見上げる余裕があったなら、輝く星に未来への期待を見出せたかもしれません。
「泥という絶望」を見るか、「星のような希望」を見るのかを自分で選択できるということは、「自分を幸せにできる選択」は自分自身でできるということ。もしその選択が失敗だったとしても、自分で選んだ道なら後悔は少なく、納得できるでしょう。
自分で選択することを続けていけば、他人と自分を比較して落ち込むことが減っていきます。表面だけを取り繕ってごまかす必要もなくなり、自分の信念に基づいて、次々と新たな「幸せ」を選択できるようになるでしょう。
鉄格子の中から上を向くか下を見るか。つまり、希望を見つけるか、絶望に浸るかは、他人に強要されるものではなく、自分自身の選択です。
いいことも悪いことも、好きなことも嫌いなことも、自分の身に起きるすべては、理想の人生をデザインするための「ギフト」です。
幸せとは満ち足りることではなく、気づき続けることです。毎日自分の身に起こるさまざまな出来事(=ギフト)から、どんな気づきを得ることができるのか。それは人ぞれぞれ異なります。
最初に述べた「鉄格子の中」という過酷なギフトから、「希望」を見いだせた人のように、どんなギフトを受け取っても、肯定的に受け止めて感謝をすること。その積み重ねによって自己肯定感が高まり、人生がますます楽しくなっていくはずです。

夢をかなえるゾウ(2007、水野敬也著)とドラマ「夢をかなえるゾウ」(2008)小栗旬、古田新太、瀬戸朝香、水川あさみ





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Last updated  2022.03.18 23:47:15


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