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2023.03.19
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今回のプロジェクトXは昭和40年代後半から脳腫瘍等、人体の精密な部分の切開や、止血等に優れたレーザーメスが、東大附属病院の先生と、持田製薬により開発されるまでのお話です。このメスにより、それまで助からなかった命が助かったのは大きい功績だと思います。

医療用に実用化されるまでは、操作性、正確性等の課題を克服するのにいろいろな苦労がありました。装置の開発を請け負った、府中の日本科学工業が途中で倒産する残念なアクシデントもありました。困難にめげず創意工夫で開発を成し遂げた技術者は立派だと思います。

また、成功の果実は享受できなかったものの、前人未踏の分野に挑戦した日本科学工業のような会社を支援するようなベンチャー企業支援制度が当時あればよかったのにと思いました。











■参考リンク
NHKプロジェクトX:レーザー - 光のメスで命を救え倒産工場と脳外科医(紀伊国屋書店)
レーザー光線。その強力な出力から「殺人光線」と呼ばれた技術を医療に用い「神の指先」と言わしめたレーザーメスを開発した男たちがいた。
立ち上がったのは脳外科医、滝澤利明。昭和40年代、脳外科では摘出困難な腫瘍や出血に悩まされ、余命宣告せざるを得ないこともしばしばだった。「レーザーを照射すれば正確に患部が切れ、しかも一瞬で血管が塞がり出血がない」ことを自ら動物実験で確認した滝澤は、小さな町工場とともに開発に乗り出した。
町工場のメンバーは全員が手に火傷を負いながら開発に取り組んだ。しかし当時まるで「巨大な大砲」だったレーザー発射装置を手術室に出し入れできるほどコンパクトにし、直進するレーザー光線を医師の手元まで送り、自在に照射することは至難の業だった。しかも開発から3年後、町工場は倒産。技術者達は妻子を実家に帰し、債権者から身を隠しながら開発を続けた。
昭和50年、様々な困難を乗り越え、ついにレーザーメスが完成した。残るは医療機器として当時の厚生省から認可を得るための臨床例が必要だった。昭和54年、滝澤は悪性の脳腫瘍を患い余命1年と宣告された8歳になる女の子の手術に成功。翌年、レーザーメスの製造が正式に認可された。
一人でも多くの命を救いたいと願う脳外科医と町工場の技術者達の執念のドラマを描く。







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Last updated  2023.03.21 04:03:35
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