秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2023.11.16
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プロ野球の平光清審判のことを急に思いだしたついでに調べてみました。小学校から大学まで慶応のエリートで、一流会社に就職されたのにプロ野球審判に転職された経歴をお持ちです。1軍の審判なら1000万円の収入があるそうですが、大企業ならそれ以上の生涯賃金がみこめるでしょうにもったいない話です。きっと野球が御好きだったんでしょう。

審判をおやめになったきっかけが1992年の阪神対ヤクルト戦での「幻の本塁打」事件ということを今回はじめて知りました。センターに飛んだ打球を二塁塁審の平光さんがホームランと誤審されたのが原因です。よく考えれば、あっという間に飛んで行ったフェンス際の打球を二塁塁審が判定するのはむずかしく、バックスクリーンの前あたりに審判をもうひとり配置させたらよいのにと思います。

最近はビデオ判定が導入されて、また最新式のIT機器により機械判定(ロボット判定)も実現される見込みだそうです。人と機械によるストライク・ボールの判定の違いについて、プロ野球考察チャンネルさんの「【3割打者が消滅する】ロボット審判の問題点を徹底解説」が興味深く面白いです。外野ポール上空を通過した打球のホームラン、ファウルの判定とか、ボールにGPSを埋め込み、それを追えば簡単にわかりそうです。昔、「審判は10人目の選手」という言葉がありましたが、機械に任せられることは任せれば公平になっていいように思います。







■参考リンク
Wikipedia:平光清
平光 清(ひらこう きよし、1938年7月15日 - 2011年8月9日[1])は、日本の元プロ野球審判員、野球解説者。大学野球、プロ野球選手の経験はない。通称「先生」「審判先生」。東京都大田区出身。
経歴
岐阜県生まれ[2]。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業[3]。高校・大学では野球部のマネージャーを務めた[3]。「早慶六連戦」の時の4年生マネージャーでもある。1961年に日本通運へ入社。同社に勤務する傍ら、東京六大学野球連盟などで審判を務めていた。
1965年にセントラル・リーグの審判に採用され[4]、同年4月10日の開幕試合、大洋ホエールズ対国鉄スワローズ戦(川崎球場)に右翼外審として一軍デビューし、4月13日の国鉄対広島カープ戦(明治神宮野球場)では早くも球審を務めるなど1年目からセ・リーグの主力審判として活躍した。1968年には審判員交流制度によりパシフィック・リーグの審判を務め、1992年に退職するまで通算で3062試合に出場した。
人物

小学校から大学までずっと慶應一本というその経歴が物語る通り、インテリジェンスあふれた、細身で白髪の紳士であるが、プレイボーイとしても有名であり、グラウンド外でそのことを示すエピソードには事欠かない。
「平光」という苗字は岐阜県に多いが、彼の父親も岐阜県出身である。
1995年には、ゲームソフト『燃えろ!!プロ野球'95 ダブルヘッダー』(ジャレコ)に審判役として声の出演をした。2006年には、サントリーフーズ「ゲータレード」のCMに出演している。オートバイ・トライアルライダーの黒山健一と、横綱・朝青龍明徳の本塁上のクロスプレイで「セーフ」と判定する野球審判の役である。
「幻の本塁打」事件
1992年9月11日の阪神タイガース対ヤクルトスワローズ18回戦(阪神甲子園球場)において、同点の9回裏二死走者一塁の場面で、阪神・八木裕が放った打球は外野ラバーフェンスの一番上の平らな部分(外野フェンスとしては中腹)に当たったあと上方に跳ね返り、ラバーの上にある金網のグラウンド側に当たったあとバックスピンがかかった状態でオーバーフェンスして外野スタンドに入った。グラウンド側の金網に当たった打球がスタンドインするという通常ではありえない打球の動きに二塁塁審の平光が一旦本塁打の判定を下したが、ヤクルト左翼手の城友博と中堅手の飯田哲也が即座に抗議をし始め、ヤクルトベンチも総出で抗議を行った。その後審判団協議の結果、判定を覆し二塁打(エンタイトルツーベース)とした。すると今度は本塁打を取り消された側の阪神が抗議を始めたため、平光は阪神の中村勝広監督に自らの誤審を認め、自分が今年限りで責任を取って審判を辞めることと引き換えに試合を再開するよう要請[8]。中村は突っぱねたが阪神の三好一彦球団社長の説得もあり試合は再開された。平光は一連の騒動のため連盟より厳重注意を受け、制裁金3万円の判断が下された。この誤審により緊張の糸がプツンと切れてしまったとして、中村への宣言通り、この年限りで審判を退職している[9][10]。
なお、試合は延長15回引き分け、所要時間6時間26分(うち中断37分)、試合終了時刻は翌12日の午前0時26分という日本プロ野球において史上最長試合となった。

プロ野球の審判になりたい!仕事内容や年収を徹底解説!
抜粋
審判員の収入はいくら?
そんな審判の給料事情も気になりますね。
審判員の給料体制は基本年収+報酬(試合出場手当)です。
1軍の審判員であれば年収平均は1000万円ほど、2軍の審判員は平均400万円前後と大きな違いがありますね。

セリーグ、パリーグの違いによる収入の差はなく、原則として65歳が定年が定年です。現役引退後に審判員になる選手もいます。
また、優秀な評価や経歴に応じて審判員を表彰する仕組みもあります。
比較的高い収入をもらって仕事をしている審判員。全員が同じウェアに身を包んでいますが、彼らも試合を盛り上げる一員です。

名物審判・平光さん死去…「八木幻のホームラン」きっかけに審判引退八木の本塁打が二塁打に覆り、平光審判(左)に抗議する阪神・中村監督=1992年9月11日 【2011年8月17日付デイリースポーツ紙面より】
 元セ・リーグ審判部副部長の平光清(ひらこう・きよし)氏が9日午後、肺がんのため東京都港区の慈恵医大病院で死去していたことが16日分かった。73歳だった。東京都出身。葬儀・告別式は故人の希望により近親者のみで済ませた。
 慶大卒業後、日本通運に入社。1965年にセ・リーグの審判員に採用され、90~92年まで副部長を務めた。日本シリーズに5回、オールスター戦に7回出場するなど歴代14位の通算3061試合に出場した。

 6時間26分のプロ野球最長試合となった92年9月11日の阪神―ヤクルト⑱戦(甲子園)では九回2死一塁から八木の左翼フェンスに当たって観客席に入った打球を二塁塁審として本塁打と判定。だが審判団の協議の末、判定は二塁打に覆った。
 これを受けて阪神は猛抗議。37分間の中断後に再開され、延長十五回引き分けに終わった。この「幻のホームラン」となった判定をきっかけに平光氏は審判を引退。後に解説者に転身した。
▼阪神・八木2軍打撃コーチ「突然のことで本当に残念です。イベントなどで軽くあいさつをさせていただくことはありましたが、じっくりとお話をさせていただく機会はありませんでした。審判の方はみなさん個性的でしたが、その中でも結果的にああいう(92年の幻のホームラン)つながりがあり、いつも気になっていました。ご冥福をお祈りします」

東京新聞:「ロボット審判」すでに米マイナーリーグで導入 それでも「人間の審判は必要」2022年5月4日 06時00分

産経新聞:日本球界にも波及か…韓国プロ野球、来季公式戦から「ロボット審判」導入2023/10/20 15:44浅野 英介

昔、「審判は10人目の選手」だった読売の威光も地に堕ちたってことらしい2005年06月08日 16時46分13秒 | 野球





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Last updated  2023.11.18 15:00:39


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