秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2023.12.19
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テーマ: 経済(1445)
12月18日の日本製鉄によるUSスチールの買収のニュースには驚きました。

バブル期のような、日本企業が米国市場を席巻し、米国企業や資産を買収して、ジャパンアズNo.1と、いい気になっていた途端に、その後、米国から袋叩きにされ、失われた30年につながった愚を再度繰り返すのかと思いましたが、どうもそうでもないようです。

中学生の頃、ラジオ短波の株式ニュースを聴いていると、米国株市況のところで、ベスレヘム・スチールという会社の株価が読み上げられました。イエスの生まれたベスレヘムの、イスラエルの会社かなと思っていました。今回調べると、ペンシルベニア州ベスレヘムにあった米国の会社で、第2次大戦直後は大変景気がよかったものの、利益を設備投資に振り向けず、従業員の給与にあてているうちに、低コストの新設備を導入した、日独等に追い抜かれ、2000年前半に破綻しました。

USスチールも同様な道を歩んでいたようで、NYSEのティッカーコードXを持つ世界最大だった企業も、米国の同業他社に抜かれ、じり貧だったようです、米国と覇権を争う中国企業に買収されるよりはと、ひょっとしたら、国の方針も絡んで、今回の決定になったのかもしれません。

日本製鉄が、時代遅れのUSスチールについた錆(さび)を、最新技術で落として生まれ変わらせたら、米国の日本を見る目も変わり、新たな日米時代を築き、同様な企業事例も増えるかもしれません。



■参考リンク
USスチール、日本企業に身売りで合意 かつては世界最大の企業2023.12.19 Tue posted at 08:41 JST
ニューヨーク(CNN) 米鉄鋼大手USスチールは日本の鉄鋼最大手、日本製鉄による買収に合意した。買収額は141億ドル(約2兆円)。
122年の歴史を誇り、かつて世界最大の企業だった同社の凋落(ちょうらく)の最も大きな一歩となった。大規模なコングロマリット(複合企業)として最初に登場した会社の一つであり、米国の産業力の象徴でもあった。
だが、近年では米国内でも鉄鋼最大手の地位をニューコアに譲っていた。

衰退の数十年
USスチールは近年、生産量でも時価総額でも他の米鉄鋼大手に大きく水をあけらた。
また、米国の鉄鋼業自体が抜け殻のような状態で、世界の鉄鋼トップ10に米国企業が一社も入っていない。
長年鉄鋼業を分析するチャールズ・ブラッドフォード氏は、買収提案の始まった今年8月、「同社のピークは1916年だった」「それ以降は下り坂で、生産のピークは70年代だった。何十年も何もしてこなかった」と指摘した。
ピッツバーグの地元紙はUSスチール創立100周年を伝える2001年の記事で、同社の従業員数は1943年の34万人がピークで、第2次世界大戦の連合国の戦いで重要な役割を担ったと記述。生産のピークは53年の3580万トンで、当時欧州や日本の鉄鋼メーカーは回復の途上にあったとも記した。
そして昨年、USスチールが米国事業から出荷した鉄鋼は1120万トン、従業員は1万5000人弱となっている。
ピークを過ぎてからは、国内外を問わず新興の競合企業に後れを取り始めた。まずは、戦後ゼロからの再建に迫られ、はるかに少ない労働力とエネルギーで済む新技術を採用した日本やドイツの競合に追い抜かれた。
古い技術を利用
「USスチールにあるのは1940年代の技術だ」(ブラッドフォード氏)
USスチールなどの鉄鋼メーカーは重い腰を上げて外国のライバルに追従し、工場や設備の更新を進めた。それでも、鉄鉱石などを高炉で溶かして鉄鋼を生産する従来の技術を主に使っていた。
こうした高炉を使う鉄鋼メーカーはすぐに、より効率的な電炉で自動車やその他製品の鉄くずを新しい鉄鋼製品に変える「ミニミル」と呼ばれるライバルに後れを取ることになった。

ミニミル技術のパイオニアの一社であるニューコアの時価総額は、今回の買収額140億ドルよりはるかに大きい425億ドル。同社は生産量でも米国最大の年間2060万トン(推定)で、世界で16位に入る。
一方、世界鉄鋼協会によれば、USスチールは欧州事業を含めても1449万トン、世界27位にとどまる。USスチールが最初の電炉を始めたのは2020年だった。
同社は1991年、90年間守ってきたダウ工業株30種平均の対象から外れ、代わりにウォルト・ディズニーやJPモルガンが指標入りした。これは米国の経済が製造業から情報や金融業にシフトしたことを示すものだった。
日本製鉄の全額現金による買収はUSスチール株の15日終値より4割上乗せする提案となった。USスチール株は18日午前に27%上昇した一方、日本製鉄株は同日、1%下落した。

日本製鉄、USスチールを2兆円買収!3つの期待と4つのリスク(窪田真之)NEW 2023/12/21 トウシル

2023年最新版:世界の鉄鋼会社ランキング時価総額TOP76:Reinforz Insightさん
世界の鉄鋼会社ランキング:時価総額TOP76

2位:日本製鉄(日本)
3位:Baoshan Iron & Steel Co Ltd(中国)
4位:ArcelorMittal SA(ルクセンブルク)
5位:JSW Steel Ltd(インド)
以下略

Wikipedia:USスチール
USスチール(英語:United States Steel Corporation(U.S. Steel)、NYSE: X)は、アメリカと中央ヨーロッパに大きな生産拠点を持った総合製鉄会社である。2016年の粗鋼生産は1422万トンで、世界24位。USスチールは1991年にUSXコーポレーション(USX Corporation)と改名されたが、2001年に再びUSスチールへ改称した。2016年の時点で、アメリカ合衆国第2の製鉄会社である。
歴史
J・P・モルガンおよびエルバート・ヘンリー・ゲーリーは、連邦鉄鋼会社の株式を保有していた。その会社と、アンドリュー・カーネギーが保有していた製鉄会社の合併により、1901年2月25日、ペンシルベニア州ピッツバーグにUSスチールが設立された。
1901年には、USスチールが鉄鋼生産の3分の2を支配していた。1911年に連邦政府は、USスチールを解体するために連邦法の反トラスト法を適用することを試みたが、その努力は結局失敗した。当時USスチールはアメリカで生産されたすべての鋼の67%を生産していた。その後、USスチールは元初代社長、チャールズ・M・シュワブ(英語版)によって運営されるベスレヘム・スチールのような競争業者に技術革新で先んじられるなどし、USスチールの市場シェアは1911年までに50%まで減少した。なお、ベスレヘムにもロックフェラーやモルガンの系列会社から役員などが出ていた。
USスチールの生産量は1953年に3500万トン以上でピークに達した。当時340,000人を超える従業員がおり、その雇用者数は1943年の第二次世界大戦中でも最大であった。2000年の時点ではおよそ52,500人を雇用している。
1951年にハリー・S・トルーマン大統領は、米鉄鋼労働組合による危機を解決するために、その製鋼工場を引き継ぐことを試みた。連邦最高裁判所は大統領に憲法上の権限が無いと裁決することにより、買収を無効とした。ジョン・F・ケネディ大統領はインフレに危機感を抱き、価格上昇を抑制するよう鉄鋼業界に圧力を加えた。連邦政府は、USスチールが1984年に ナショナル・スチールを買収するのを妨げた。また、連邦議会からの政治的圧力により、USスチールはブリティッシュ・スチールからスラブを輸入する計画を放棄するよう強いられた。
USスチールは、テキサス・オイル・アンド・ガスを買収。1982年にマラソン・オイル(英語版)も買収した。20世紀末には、そのエネルギー事業からその収益と純益の多くを得ていたが、2001年10月に、トランスター以外の非鉄鋼資産を売却した。ただ、こうした石油開発事業で使用する鋼管などの鉄鋼は今も収益源となっている。
2003年に旧NKKの傘下だったナショナル・スチールが破産した後、同社の資産を買収した。
2023年12月、日本の製鉄会社である日本製鉄がUSスチールを買収することを発表した。買収額は約141億ドル(日本円で約2兆円)である[2][3]。

Wikipedia:ベスレヘム・スチール
ベスレヘム・スチール (Bethlehem Steel Corporation, 1857年 - 2003年) は、アメリカ合衆国の製鋼会社。ペンシルベニア州ベスレヘムに所在した。かつてはUSスチールに次ぐ規模を持っていたが、2001年に破綻、分割され、2003年にインターナショナル・スチール・グループ(International Steel Group, ISG)に売却された。2005年にISGはミッタル・スチールと合併した。
その操業期間中、ベスレヘム・スチールは世界で最大の造船会社の内の一つで、アメリカの工業生産における最も強力なシンボルの一つであった、
ベスレヘム・スチールの終焉はアメリカ経済が、低賃金外国人労働者の流入により工業生産が立ちゆかなくなった最も顕著な例としてしばしば取り上げられる。ビリー・ジョエルの曲の一つ『アレンタウン』で、その顛末をテーマにした内容で歌われている事でも有名。
国際競争との直面
アメリカの製鉄業は第二次世界大戦前から大戦終結までの間に大いに繁栄したが、ライバルであった日本とドイツの製鉄業は連合軍の爆撃による破壊などによって壊滅状態となった。戦後それらの再建は新型製鉄所での連続鋳造のようなより現代的な技術で行われ、戦前から強力な工業力を持っていた国の復興に貢献した。アメリカの製鉄業が重要な国際競争なしに操業することができた1930年代後半から1950年代後半までの約20年間で、工場労働者の給与は上昇し、新技術への利益投資は怠られた。この事実は1980年代に製品の価格格差として影響を及ぼすこととなる。
さらにより安価な外国製鋼材は、大韓民国やブラジル、インドなどの新興国の工業化が進んだ1980年代に輸入され始めた。これはベスレヘム・スチールの市場占有率に否定的な影響を与える。1982年には15億USドルの赤字を計上し、その製鉄所の多くを閉鎖しなければならなくなった。収益率は1988年に一時的に好転したが、1980年代から1990年代にかけて閉鎖とリストラは続けられた。
1980年代中頃に構造材製品の市場は縮小し始めた。一方で市場には新たな競争が現れた。軽量で低層な建設スタイルは低層建造物の増加につながり、ベスレヘム・スチールが生産するような巨大で重量のある構造材の需要は減少した。その結果、1991年には採鉱業(ベスエナジー)から撤退、1995年には製鉄所での製鋼を中止することとなった。ベスレヘムでの140年に及ぶ鉄鋼生産は終了した。ベスレヘム・スチールは企業の中心活動である製鋼業を維持するため、1993年には鉄道貨車生産、1997年に造船から撤退している。
ジェームズ・C・コリンズはその著書『Good to Great』の中で、ベスレヘムの長期凋落をニューコアの急速な上昇と比較している。コリンズは調査チームが集めたデータに基づき、安価な輸入製品がベスレヘムの衰退のただ一つの理由ではなかったと結論を下した。技術の刷新や労使関係改善の失敗が会社の終焉に大きく影響した。
皮肉にも安価な輸入製品はアメリカ製鉄業全体の問題である。最近ニューコアのCEOは輸入製品によって引き起こされた問題に関して上院で証言を行った。
破綻
ベスレヘムでの操業停止とリーハイ・ヴァリー地域への影響で、ベスレヘム・スチールはベスレヘム南側の再生支援を決定し、会社資産再利用のため外部コンサルタントと契約を結ぶ。再生計画は所有する163エーカー(660,000m2)の土地をベスレヘム・ワークス(Bethlehem Works)と改名し、文化、レクリエーション、教育、娯楽のための施設に利用するという物であった。国立産業博物館はスミソニアン協会と協力して建設され、ベスレヘム・コマース・センターは1,600エーカー(6.5km2)の主要な工業跡地から成り、カジノ、娯楽施設の複合体および巨大な小売店舗と共に建設が計画されている。
2001年にベスレヘム・スチールは破産を申し立てた。二年後の2003年に6つの巨大製鉄所を含む会社の資産はインターナショナル・スチール・グループによって買収された。
その資産は2007年にサンズ・ベスワークスに売却され、以前建っていた巨大な製鉄工場は取り壊された。その跡地は2009年5月22日にペンシルベニア州最大のカジノリゾートとしてオープンした[1]。


Yahoo!ファイナンス:日本製鉄株価



Yahoo!ファイナンス:ユナイテッド・ステイツ・スチール【X】株価


Wiikipedia:ラストベルト
ラストベルト(英語: Rust Belt、銹錆地帯)とは、アメリカ合衆国の中西部地域と大西洋岸中部地域の一部に渡る、脱工業化が進んでいる地帯を表現する呼称である。
「rust」は「錆」(さび)という意味で、使われなくなった工場や機械を表現している。この地帯はボスウォッシュ回廊(ボストンとワシントンを結ぶ一帯)の西に始まり、そこから西方にウィスコンシン州東部までと定義できる。この領域の南はアパラチア山脈の炭田地帯であり、北は五大湖で、カナダのオンタリオ州の工業地帯を含んでいる。
ラストベルトは、アメリカ経済の重工業と製造業の重要な部分を形成している。しかし、この地域の多くの都市で製造職の外部委託化が進み、酷い不景気に落ちて地域ごと多角化を強いる事になった。中でも自動車産業の回復が急務となっている。
この地域で頭角を現している技術としては、液体水素燃料電池の開発、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、情報技術および認識技術がある。この地域は技術職の重要な供給源である。





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Last updated  2023.12.21 20:31:21
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